年別アーカイブ: 2020

日本のことをもっと知りたい

  医者になると決めた自分
  僕は世界を股にかけて働こうと
  世界を視野にいれた将来を描いていました。

  でも
  今は世界に出るよりも
  日本の、日本人のよさを知り
  世界に伝えようと思いました。

  そう思ったのは
  大学3年の時
  姉夫婦がアメリカにいた時期があり
  姉夫婦がいることを理由に
  夏休みを利用して
  1ヶ月の単独アメリカ旅行をしました。

  ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ダラス
  ロッキー山脈、イエローストーン国立公園などなど
  アメリカ全土、東から西、北から南までまわりました。
  旅行の計画はひとりで
  地球の歩き方というひとり旅行の本を読み
  旅行計画ひとりで立案し
  飛行機にのり、バスも使い
  ホテルも全て予約からひとりで行いました。

  当時から
  学校の英語は苦手ではないけど
  日常会話なんて、ほとんどできません。
  もちろん、今のように
  翻訳アプリなどもありません。

  そんな僕でも
  ひとりで
  時にはBOY(少年)と間違えられたり
  刺された人をみたりしましたが
  計画通り
  歩き回って
  アメリカ旅行を堪能しました。

  今も英語は話せません。
  今の僕にはきっとひとりで全てやって行こうなんて
  思いませんし
  勇気も無いです。

  若いからできた経験
  親も良く行かせてくれたと感謝してます。

  僕の家は
  もー列サラリーマン家庭で
  家族旅行も
  数年に1回行くかどうかの経験敷かない僕が
  まずアメリカに行く
  東京すら行ったことないのに
  ニューヨークやワシントンに行く
  これって特別なことだと
  しっかりアメリカのことを知ろうと決意し
  飛び立ったのを今も憶えています。

  全てみようと
  どこでも
  歩きました、市営バスにのり移動。
  自由の女神はフェリーで渡りました。

  アメリカの都市の特徴はそれぞれでした。
  ワシントンは綺麗だし
  ニューヨークではティファニーでお買い物
  なんてしゃれこみました。

  帰る頃になって
  アメリカを色々みて思ったんです。
  ニューヨークは知ってるけど
  東京も行ってない。
  ロッキー山脈の自然に触れたけど
  あちこち自然公園や建造物を診た経験をさせてもらった。
  けど
  僕は日本人なのに
  日本のこと何も知らないことに気づいたんです。
  アメリカにもいいところが一杯合った
  日本は狭い国土だけど
  アメリカにないいいところ、素敵なところも
  いっぱいあるんじゃなーだろうか?

  もう外国はいいや。
  僕はもっと、もっと日本のことを
  知らないといけないと思って
  世界に目を向ける前に
  しっかり日本のことを知り
  日本のために日本で生きたいと思ったんです。

  それから
  旅行以外に
  外国に行きたいと思ったことは
  少しもありません。

  最近
  アメリカに留学したひとりの青年の
  エッセイを目にしました。

  そこには、こう書かれていました。
  
  「外国の人はお国自慢が得意です。
   自分の国に誇りを持っています。
   そして彼らは自国の歴史や文化にも誇りを持っています。
   わたしは、高校を卒業していままで
   日本で誇れるものを
   何一つ学んだことはありません。
   自分の国を語れませんでした。
   外国の方に対して
   私は日本人であることを語れず
   なんとなく世界平和を願っているなど
   半端な会話で過ごしてました。
   今思えばなんと恥ずかしいことだと思ったと
   そして、彼は日本に目覚め始めたと」
  書かれてました。

  まさに
  僕がアメリカ旅行から帰国したときの
  気持ちも同じでした。

  それからは
  外国に住もうなんて思いません。
  留学しようという気持ちもありません。

  日本を知り
  日本に生まれたことを誇りにできるように
  生きていこうと決意しました。

  実際
  今当時のアメリカ旅行を振り返り
  日本人であることに目覚めるために
  アメリカ旅行に行ったような気がするのです

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もしもピアノが弾けたなら

  11/28のブログで
  ばんばひろふみさんが歌っていた
  SACHIKOという歌が
  急に浮かんできたことを
  書きました。
  
  このSACHIKOという歌の他に
  僕の好きな歌で
  西田敏行さんが歌って大ヒットした
  「もしもピアノがひけたなら」と
  いう歌があります。
 
  この曲がヒットした当時から
  カラオケなどでも良く歌い
  感情移入も良くできて
  しっとり聴かせられ、歌うことができる
  僕の十八番の歌でもありました。

  この曲のやさしいメロディは好きだけど
  なぜか
  歌詞にひかれてました。

  この歌は、こんな歌詞で始まって
  ♪もしもピアノが弾けたなら
   思いの全てを歌にして
   君に伝えるだろう
   ・・・・・・
   だけど
   僕にはピアノがない
   君に聴かせる
   腕もない
   心はいつでも半開き
   伝える言葉が残される
   ・・・・・
   と歌われます。
   
  好きな歌だけど
  どうしてこの歌詞に共感するのか
  全く理由がわかりませんでした。

  実は僕は
  5歳からピアノを習っていて
  ピアノを弾くことは
  自分にとってもお得意分野だったので
  ピアノが弾けたなら・・・・なんて
  そんな気持ちにはなれないけど
  それなのに
  なぜ、この歌詞に、この曲に惹かれるのか
  ちょっと不思議でした。

  でも  
  今回病気をして
  好きな理由がわかった気がします。

  病気をして
  ピアノが昔のようにはひけません。
  左手が思うように動きません
  力もないので
  鍵盤をしっかり抑えないと
  音が出ないのです。

  現実として
  昔弾いていた
  大好きだった曲
  得意だった曲
  ショパンもベートーベンもシベリウスの曲も
  弾くことはできません。

  今までは
  ピアノを弾くことで
  自分の感情を音で表現することが
  できました。

  でも、今は
  この歌詞のようにできません。
  できないけど
  もっと自由に
  今まで以上に感じることも多くあり
  今もこうして
  その感情を、想いを
  表現できるようになったのです。

  自分の思いを音にできないのは
  残念だけど
  絶望的には成らないんです。
  もっと色々伝えることができるようになった
  からなんでしょうか?

  今日この時がくるのが
  わかってたから
  この曲が好きだったんだと思います。

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みんなの願い

星新一さんの
  「ショートショート」を引き継いで
  星新一さんが全国から寄せられた
  膨大な作品の中から編んだ
  「ショートショート みんなの広場」の中から
  八塚顔高さんの「みんなの願い」という作品を
  今日は紹介します。

  神様の使いが
  地球にやって来て
  みんなに呼びかけました。

  「地球は誕生から
   宇宙時間の一周期に達したので
   これをお祝いして
   神様がみんなのひとつの願いごとを
   叶えることになりました。
   1週間後に、神様に向かって
   自分の願い事を一つだけ念じてください。
   その中から一番多かった願い事を
   一つ神様が
   叶えることになってます。

   みんなそれぞれ懸命に考え
   1週間後のその日
   それぞれの願い事を心に念じました。

   神様の使いが再びやってきて
   その結果を発表しました。

   神様が叶える願い事は
   人間以外のほとんどの生物の願いである。
   
   『人間を地球上から
    消滅させて下さい』というものに
   決定しました。
   皆様、次の1周期を目指して
   地球を大切にして下さい。
   それでは、ごきげんよう。

   人間達が
   最後に聴いたのは
   動物たちの歓喜にも似た喜びの声でした。

   これを読んでどう思われましたか?

   人間は
   いかにも地球上の支配者であるかのように
   我が物顔で
   動物たちを殺し
   地球という環境を破壊し
   まだまだ自分達の利益追求に
   走っていませんか?

   こんな時に
   コロナウイルスが登場しても
   まだいのちと経済を両天秤にかけ
   周りの状況
   これまでしてきたことを顧みようともしない人間。
   
   ひょっとして
   コロナウイルスは他の生物には広がっていません。
   このショートショートのように
   動物たちの願いによって
   登場したウイルスかもしれません。

   ちなみに
   人間はたったひとつ叶えてくれる願いに
   皆が迷い、一致することもなく
   バラバラだったのです。

   まさに
   我々は、自分のことだけでなく
   周りの人が
   こどもが孫のこと
   そしてこの地球全体の生物のこと
   更には
   宇宙全体のことも
   考えて行動しないといけない
   時期になっているのではないでしょうか

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明るいこころが病に悩まない日々を生む

 人間は全力で生きていくよりも
 半分だけ力尽くせばいい。
 あとの半分は
 自然のめぐみに任せればいい。

 弓の矢もそう。
 人間はぐっと弓を後ろにひけばいい。
 これ以上ひけなくなったら
 指を放ち
 跡は矢の行く先をみているだけでいい。

 毎日の生き方もそう。
 できることに力を注ぎ、魂を込め
 あとの結果は、元に任せればいい。
 日々やるべきことを、やる
 なすべきことをなす。
 やるべきことをやり抜く生き方こそ
 恵ある生き方なんだと思う。

 やることはやらずに
 人に求めたり
 神に頼むのもちがうとおもう。
 求める生き方は、やめるべきだと思う。
 やるべきことに集中するこことが大事。

 朝目が覚めたら
 一生懸命働き、汗を流し
 やることやったあとの結果は 
 じっと見つめるだけである。

 このように生きる生き方を積み重ねることが
 安心の心を生む。

 病気の時であっても
 生き方は同じ。
 やるべきこと、できることをやりきることが
 安心のこころを生む

 そして
 安心の心を生む生き方が
 明るい心へとつながり
 病気と縁の無い世界へと導いてくれる。

 病気と縁のない 
 明るい心を育てるために
 本を読み、色んな方の考えに触れて  
 自分を見つめ直すことも大事。
 そして
 成りたい自分に向かって
 全集中して生き、働く。
 そんな日々を毎日積み重ねれば
 病気と縁の無い
 明るいこころでいられる。

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だます人、だまされる人

 年末になると
 色んな事件が報道されますが
 例年特にお金がからんだ詐欺事件が頻繁に報道されます。
 最近、ここ山口でも
 保険外交官の方が20億近い
 詐欺を働いていたことが報道されました。

 詐欺の報道を聴くと
 いつも思うことがあります。

 詐欺をする人
 人をだます人は
 確かに悪い人です。
 でも、だまされる人は
 いい人なんでしょうか?
 
 だました人は
 道理にあわない
 悪いことをしたので
 罪の償い、罰をうけることになります。
 でも
 だまされるには
 だまされた人にも
 だまされるだけの理由が
 合ったからではないでしょうか?

 いい話、うまい話をきいたときに
 どうして自分に
 そんな取り分があるのか
 考えたのしょうか?

 詐欺にあっった側に
 世間の常識から考えてみて
 大きく外れていないか考えなかったでしょうか? 
 相手の巧みな
 話術などが合って、
 信じ込まされたかもしれませんが
 だます人がつけ込んだのは
 だまされた人の心の闇
 すなわち欲望だと思うのです。

 だまされた人の心は
 語られることは少ないですが
 必ず欲望があるはずです。

 欲望があったから
 だまされてしまったのでしょう。
 大きな欲望を持っていなければ
 詐欺師のいうことの話の矛盾点に
 気づけたかもしれません。

 自分の欲望が
 冷静な判断をできなくしてしまっているのです。

 お釈迦様が
 色欲物欲を捨てなさいと
 仰っているのは
 自分を見失わないためかもしれません。

 うまい話、いい話が合ったとき
 自分のこころが病まされていないか
 その話で
 自分の欲望を満たそうとしていないか
 考えないといけないですね。

 欲望は
 簡単に我が身を滅ぼす原因に成るのですから。

 ただ詐欺師の手法もどんどん光明になり
 おれおれ詐欺のように
 人の情に隙いる詐欺も世の中にあります。
 
 その場合も、なんでもお金で解決するのではなく
 何事もその本人、いのちを第一に思えば
 その方の安否を確認する行動に走るでしょう。

 いつも何事もお金で解決しようとしているから
 お金が第一という物欲の心が
 影響しているのかもしれませんね。

 常日頃から
 お金に縛られず
 生きる習慣を持ちましょう。

 コロナの時代で、今
 いのちか経済かなどと選択をせまられる
 報道を良く聴きます。
 僕は
 これにも違和感を持ちます。

 大事なのは
 いのちでしょう。
 お金を失っても
 命さえあれば、またやり直しがききます。

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SACHIKO

朝散歩してたとき
 ふと頭に浮かんできた歌があります。

 それは
 ばんばひろふみさんが歌っていた
 「SACHIKO」です。
 この歌は1979年に発表された歌で
 僕が中学生の時に流行った昭和歌謡です。

 当時から
 やさしい節と
 妹?娘?に対して歌われた
 心温まる歌詞に心温められる
 大好きな歌でした。

 そんな好きな歌でしたが
 お散歩の神社を巡っている時に
 突然頭のなかでなり出したのです。
 
 ♪しあわせを数えたら
  片手にさえ余る。
  不幸せ数えたら
  両手でもたりない。♪
 
 そして、途中はわからず
 サビの部分が浮かんでくるのです。

  ♪SACHIKO 思い通りに
   SACHIKO 生きてごらん
   ・・・・・・・
   いつでも帰っておいで
   僕はおまえのそばにいるよ ♪

 という歌の同じ歌詞の部分が
 何度も何度も
 頭の中でリフレインされたのです。

 その歌を流れるときは
 心も晴れやかに
 足取りも軽やかになるんです。

 ただ好きな曲だから
 ここちよい歌だから頭に浮かんだんじゃないと
 それは
 僕の頭に浮かんだ
 単なる鼻歌ではなく
 神様からの応援歌だということに気づいたんです。

 ♪ふしあわせなことより
  しあわせなことを
  数えて生きていけばいいよ。

  これからは
  思い通り 
  生きたいように生きてごらん
  いつでも戻ってきたらいいよ。
  いつもおまえのそばにいるから ♪

 ときっと神様が
 僕の魂を応援してる声だったんです。

 この歌の歌詞のように
 思いっきり今日という時間
 今この瞬間を生きていこうと
 思います

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発熱は免疫力を上げてるサインです

病気になると「熱」がでます。
高熱がでると不安になります。

熱が出たとき、病院を受診するのは
 どんな時でも間違いではありません。
 遠慮なく病院にかかって下さい。

 ただ
 熱=病気のサインだけれども
 熱=悪いサインとは限らない
 ということを知っておいて下さい。
 
 熱は、
 病気を治そうとしている
 からだの免疫反応なのひとつです。

 そこで
 あわてて熱を下げてしまうと、
 からだは免疫力を高めようと、
 更に高熱を出そうとします。

 熱を発生するには
 全身のエネルギーを使うので、
 体力を消耗します。

 熱がある時動けなくなるのは、
 体力を消耗しないで欲しいという
 からだからのサインなんです。

 熱以外のすべての症状も同じです。
 症状は全て
 からだがあなたを守っているサインです。

 あなたを苦しめるため
 症状があるわけではではないのです。

 症状という 
 からだがあなたを守ってくれているサインを
 素直に受け止め、
 対応し治療することが早期治癒につながります。

 当院では、
 どんな病気に対しても
 からだの発するサインを応える治療を行っています。

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がんを病む心

 かつて
 結核は不治の病と言われていましたが
 医学の発達、抗生剤の登場で
 結核は治る病気、予防できる病気になり
 変わって、現代における
 不治の病は癌であることに
 異論を唱えられる方はいらっしゃらないでしょう。

 不治の病である癌に対して
 ちまたでは
 癌にならない方法はないか
 癌と縁のない生き方はないのか
 癌にならない考え方、心の持ち方はないかと
 誰もが模索しているようにも思えます。

 癌とはどんな特徴があるのでしょう
 癌という字は
 とても硬いということを僕たちに
 教えてくれています。

 実際
 乳がんになると、
 通常は柔らかい乳腺が
 とても硬くなります。
 胃癌では、強力な胃液でも
 溶けないほど硬いしこりに成っていることが
 わかっています。

 癌になると
 硬くなるのは臓器や組織だけでなく
 心の中にも
 硬くて、暗いしこりができているといわれてます。
 旦那さんやご家族に不満を持っている方
 愛されてないとと嘆く深い悲しみの中にいる方
 旦那さんやご家族のわがままにおびえて過ごしている方
 そんな心模様をお持ちの方は
 乳がんや子宮癌を発症される方が
 多いといわれています。

 相手の悪い心の闇に囚われるなど
 ご自身の心持ちが悪いと
 その心ががん細胞を育ててしまいます。

 あなたが
 心の闇に囚われてしまい
 その闇を発散できないでいると
 その暗闇が心のしこりとなり
 その方の持っている運の悪さなどが重なって
 癌となって体に現れてしまうのです。

 癌にならないために
 どんなことがあっても
 明るい心を失わないことが大切です。

 さらさらとしたよどみない
 流れるような清い心
 なんでも受け入れられるる豊かな心
 機嫌のよい心
 感謝の気持ちを持ち続ける心
 常日頃から持っていることが
 癌にならない心を持ち続けること。

 何事も
 汚れた部分に目がいくのではなく
 美しい部分をみている心の持ち主は
 陽気で、癌と無関係な生き方をしている方でしょう。

 心配、取り越し苦労、おびえる心
 これが心のしこりとなり
 それが目に見える形となって現れたのが
 癌の姿だと言うことを
 忘れないで下さい。

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日々の喜びをかみしめて過ごす

 11/19のブログで
 希望は持つな
 遠い未来に対して
 あれこれ思っていてもしかたが無い
 それよりも大事なことは
 今だというをお話しました。

 僕も入院した当時は
 からだが動かない現実を知り
 これからどうなるのか
 わからない未来のことを思って
 不安に思っていました。
 
 僕が不安な気持ちにいるときでも
 からだは一生懸命、一途に
 僕を、僕のからだを守って
 くれてたんです。

 入院して1週間ほど過ぎた
 ある日、朝目覚めると
 少しだけだけど
 それまで全く動かなかった
 左手が動いたんです
 そして、短い時間の間だけど
 手を水平に上げて
 短い時間でしたが維持もできんです。
 わずかな動き、そしてほんの瞬間的な時間だし
 支えはいるけど
 以前のようにはいかなくても
 動かしたい方向へ動きをわずかでも
 動こうという動きを示してくれる。

 本当にうれしかったですね。
 特別ななことをしたわけでもない
 動かす薬を飲んだだけではない。
 いうならば
 自分の意志とは形で
 僕のからだは治ろう、治すという
 僕のために治そうという
 慈愛に満ちあふれた力を感じました。

 動かなかった手が動く
 それが小さい動きであっても
 僕にとっては
 大きな大きな喜びでした。
 そしてその喜びが大きな希望になりました。

 喜びが希望になりそして心も明るくなり
 不安な気持ちも吹き飛ぶんですね。

 希望は持たなくてもいい
 不安など払拭しようとしなくてもいい
 からだは見放さず
 しあわせの方向に導いてくれる
 今を信じて、今生きていること、起こっていることを
 ただただ喜べばいい。

 日々喜びをかみしめて過ごせば
 希望持とうと思わなくても
 自然と希望が湧いてくるんでしょうね。

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なぜ初めに言葉があったのか?

  言葉ひとつで
  人生が変わってしまうことがある
  言葉ひとつで
  願い事が叶うこともある。
  僕は言葉はとても
  大事なものと思っています。

  聖書に
  「はじめにことばあり」と
  世界のはじまりは言葉からはじまったと
  書いてあります。

  人類が言葉を持つようになったのは
  人類が誕生して
  かなり経ってからだと
  記憶してるので
  この聖書のはじまりの文には
  どこか違和感を感じ
  なじむことができませんでした。

  しかし
  最近、いろんな書物を読むようになって
  この言葉ありきの解釈に触れる
  ことが多くあり
  少しずつ意味がわかってきました。

  聖書でいう言葉というのは
  どうも神そのものの存在を表してる
  という結論に至りました。
  
  神は光であり、エネルギー波動であり
  時間をも支配する存在。
  神の力を総じて
  わかりやすく述べているのでは
  ないのでしょうか?

  実際に言葉でコミュニケーションをとるように成ったのは
  人類が誕生しかなり経ってからだし
  それまでは音として
  音とは波動なんですよね。

  すなわち
  今のように
  耳で感じる音としての言葉ではなく
  波動として
  相手の意志を感じ取り
  自分の意志を伝えていた。

  また
  これも定かではないですが
  昔々、縄文時代、ムーの時代の人々は
  まだ肉体もなく
  波動のままの状態であった時期が
  合ったとも考えられています。

  波動でコミュニケーションをとっていた
  エネルギーを感じていたのではないでしょうか
  
  自分の身の回りの生物をみても
  自分の耳にはわからなくても実際には存在する
  虫の羽尾と、こうもりの超音波、鳥の鳴き声
  全てもものは波動を伝え合っています。

  これは
  生きているものだけでもなく
  神も波動で私たちに話しかけているのは
  昔も今も変わらないことかもしれないと
  僕は思っています。

  言葉は
  波動エネルギーと考えると
  その言葉に、想いという波動エネルギーをも
  乗せて、伝えることもできるはず。
  それが言霊ということに成るのだと思います。

  最初に
  言葉というエネルギーによって
  この世は始まった。
  そしてそのエネルギーによって
  生まれた人間をも含めた地球上の全ての生物は
  神のエネルギーを受けとり
  そのエネルギーの使い手なんだと思います。

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