出会いを大切にするということ

よく”出会いを大切にしなさい”と
言われます
”出会いを大切にする”って
どういうことだろう?

人は、日々出会いを重ねて
生きています。
この世にたった一人の
大切な存在同志と出会い。
その人に今日出会ったからといって
次の出会いが必ずあるとも限らない。
次に出会うことは
保障されていない。

だから
出会いは only one
出会いは 一期一会
と言われます。

貴重な出会いだから
出会えたこと
めぐり会えたことを喜び
喜びを感じた瞬間に
出会えた人のしあわせを願う気持ちが生まれ
その人のしあわせを自分でも喜べるようになる
ような気がします。

人との出会いを大切にすると
人の喜びが我が喜びに
感じられるようになるのだと
思います。

出会いを大切にできた時
出会った相手のしあわせを喜び
真心のこもった行動ができるようになります。
でも、
出会ってから時間が経ってくると
お互いになれ合いの気持ちが
出てきてしまいます。

親しくなれば
親しくなるほど
相手の真心のこもった行動が
当たり前になってしまいます。
そして
相手に対して
甘えから色んなことを
望んでしまいます。

それは
出会ったことの
有難さや感謝の気持ちを
忘れてしまったからでは
ないでしょうか。

だから
いつも出会えたしあわせ
この世に生まれてきたしあわせ
を感じながら
仕事をし、生活し
毎日を過ごしていくと
とってもしあわせな毎日が
過ごせるような気がしませんか?

これからも
今まで以上に出会いを大切に。

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生きるとは手放すこと

若い時は
生きることは何かを得ることだと
思っていた。
更に若い時は
誰よりも先んじて獲得することに
満足する時期があった。

でも次第に年をとってくると
必要以上に欲しがり
欲が増えている自分に驚くようになった。
その増えた欲が
自分の人生を歩きにくくしていることに気がついた。

そこで
老いの時期をしあわせに生きるためには
これからは得る人生ではなく
手放すことが必要になるのだ。

これは子育てにおいても言えること。
成長したこどもをいつか手放さなければならない時は
必ず来るし
来ないといけないと思う。

こどもを手放すことは
その瞬間とても悲しく
何も残らない気がして悲しくなるかもしれません。
でも、そんなことはないのです。

美智子上皇皇后様が
次のような歌を残されています。

「手許の光が消え
二人の子の中に
ほの光るものがさしはじめる」

手放して気づく
朽ちることのない光があることに。

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病気になって知ったゼロパワーの存在

本当の自分
本来の自分に目覚めると
自分の中のゼロポイントにつながって
おもいがけない力が
出現したことを
体験することが誰にでも
あると思います。

ゼロポイントに目覚める地
次から次に
本当の自分、本来の自分の心が
露わになり
自分の本音の部分が
出てくるようになります。

ゼロポイントに目覚める
きっかけになるののひとつは
病気の時だと思います。

僕も病気になったとき
これまでの自身の生活や生き方を
振り返り
“本音で生きよ”という
魂の叫びとも思える声に
触れたような気がしました。

実は
肉体は
意識するに関わらず
魂の声に敏感に反応するのです。
からだに出てきた反応は
魂の意向であることもあるのです。

その魂の意向
つまり
本当の自分に忠実になると
宇宙と同一化することができ
宇宙に存在する
ゼロパワーとも接触することができ
それまで想像しなかたような
大きな力を得ることができ
奇跡と呼ぶようなことが起こるのです。

病気になることには
大きな意味があることなのです。
つまり
病気になったことで
魂からの声に耳を傾ける時間ができ
からだの声に従って
本音で生きていく決心をするように
なるのです。
そう決心した瞬間に
あなたの自然治癒力のスイッチがおんになり
それまでとは違う
エネルギーの流れが生まれます。

ですから
病気になったら
医者任せにして生きていくのではなく
どんな病気であっても
諦めずに
自分で魂の声に従って
自分の意志で生きていくことが大事なのです。

あなただけの人生
誰かのため、人の眼を気にして生きていくのではなく
自分の本当の気持ちに気づき
自分の感じる宇宙と一致することで
ゼロパワーをいかして生きていけるのです。

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メタトロンが教えてくれること~高血糖の理由~

その患者さんは
当院ができた時
10年以上の付き合いのある患者さん。

患者さんは
糖尿病を長年患っておられ
糖尿病専門医の指導を受けているので
僕は
セカンドオピニオンの立場で
漢方薬とメタトロンでの
診療をずっと続けてました。

その患者さんは
長年薬を内服しているにも関わらず
Hb1acは7-11を変動し
ずっと正常値に至ったこともなく
数値だけ見ると
とてもコントロールできている状況ではない。
数値を初めて聞くと
どの医者も大慌てするとか。
でも
インシュリンは分泌されているとのことで
Hba1cが高くても
インシュリンの皮下注射は使わない方針のこと。
その患者さんを
15年近く僕も診ているが
不思議と合併症状を起こすこともなく
血糖値だけが高いが
からだが高血糖であることを
正常だと言っているような気がして
膵臓だけでなく
セカンドオピニオンとして
全身状態を診させていただいた。

最近は
メタトロンを使って
専門医と異なる着眼点で
その患者さんの診療を続けていた。

その患者さんのメタトロンは
膵臓はもちろん
神経も、腎臓の血管も、目の血管も
合併症がある状況でなく
メタトロンの治療にもよく反応して

毎月メタトロンをする度に
臓器から良くなっているのが
わかっていたので
Hba1cが8代前後で推移しても
そのうち正常値に近づくと予想していた。

しかし
先日その患者さんが受診されたときには
とても心配そうに
「今日は悪いと思う」
「○○内科の血液検査で
Hba1cが9台になったので
今日は覚悟してますと」

糖尿病は
表だった症状が出にくいので
検査値など
他覚的評価中心になるので
取り急ぎ
メタトロンをはじめた。

結果は
前回よりもいいぐらい
膵臓も、神経も、眼も
他に心臓も、肺も若いひとにも負けない
力強い状態でした。

糖尿病の悪化は考えにくい
なら、なぜ血糖値が上昇したのか?

もういちど
患者さんを診ると
腰にコルセットをしている。
尋ねてみると
今、自宅の庭の改築に力を入れられてて
自ら工具を持ち、木を伐採したり
結構日々
重労働をおこない
ギックリ腰になり
まだ痛みが残っているので
原因を整形外科で検索中だとか。

庭作り
7月完成うぃ目指して
今つゆ時期に入り
晴れ間には寸暇を押して
作業に入っている。
メタトロンでも
腰を使っているサインが出ていた。

僕は話を聞いて
血糖値が高い原因は
これだと思った。

つまり
庭作りに頑張っていることが
アドレナリンがでて
グルカゴンがでて
血糖値を上げて
血圧も上げて
からだが戦闘態勢に入っていることがわかった。

Hba1cが高いのは
頑張っているから高いのだ
膵臓が悪いからではない
頑張るからだになるようにしてるんだ。
だから
腰も痛めている
庭作りで頑張り過ぎたからだを
いやしてあげたら
きっと血糖もさがり
血圧も、腰の状態も良くなるはずです。

今の
患者さんの高血糖の原因のことをはなすと
患者さんも納得されて
来られたときのゆうつな表情とは
全くちがう明るい顔で帰られた。

患者さんに1ヶ月後会うのが楽しみ。
そして
7月患者さんの新しい庭に
お伺いするのが
僕も楽しみにして診療を終了した。

検査などの数字だけに縛られることなく
その人の暮らしぶりから
患者さん自身を診ることの大切さを
あらためて教えられました。

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目標よりも大切なもの

人生において大切なものは数々あります。

幼い頃から学校では目標を立てなさいと言われたし
学校だけでなく職場においても
目標を掲げて働くことを強いられることも
多くあります。
そして、その目標を達成するために
何を、どう過ごしていくか決めなさい。
つまり、目標の道程を
可視化しようという場面も
多々あります。

人生において
目標に向かって前進することが
大事なんだと植え付けられてきましたが
可視化できる目標なら、わかりやすいが
目標には可視化できない
こころの中に秘めたものだってあるはず。
それに対しては
目標達成を実感するというより
予感するという感覚でかんじるもの。

このように考えると
人生において重要なのは
目標をもって前進するよりも
原点を見失わないことのような気がする。

原点のことを
初心だという人もいるし
ある人は目的だという人もあるでしょう。

目標、目的を描いたその瞬間が
原点だということにならないでしょうか?
その原点を描いた出発点の気持ちを忘れずに
前に進むことが
最後は原点の思いを満足させる人生のような気がするのです。

今の気持ち、原点を忘れずに
日々生きていきたいものです。

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崇神天皇時代から変わっていない感染対策

医療の発達した現代でも世界的パンデミックを経験します。
パンデミックが起こったのは
今回のコロナだけでなく
歴史的にもスペイン風邪、ペストなどが
知られています。

日本でも
歴史上
何度も疫病が流行したという記録が
残っています。
一番古い記録は
第10代崇神天皇の時代に
疫病が流行ったようです。

崇神天皇の時代については
諸説ありますが
紀元前100年頃のことかと
考えられます。

これまでの疫病の多くは
今考えるとウイルスや細菌が原因で起こる
感染症であったと思います。
この疫病の原因がわかるようになったのは
つい最近
20世紀になってからなので
崇神天皇の時代には
全く原因がわからなかったでしょう
その時に崇神天皇は
自分ができることをして
疫病を収めようとしたことでしょう。

朝、夕と
神々に祈りを捧げられたれたことでしょう。
そして
自らの身を清めるために水行し穢れを落とされ
お住まいの宮殿を浄められたそうです
そして全国に
天社という国直轄の神社を作り
国社という今でいうところの県庁をつくり
神戸という地域の氏神様(県知事)を任命し
天皇の指示が
神戸を通して全国の人々に届く
仕組み作りしたのです。

これで
天皇の思い、つまり中央と地方を
一つにすることに成功したのです。

具体的には
それまで
神社に人が定期的に集まる風習があったので
人が集まる神社に
手水舎を設置し
そこで手洗いと口をゆすぐことを
徹底されたのです。

崇神天皇の思いと行動を
国民が一つにすることで
疫病は程なくして収まったそうです。

この話は
今から2000年以上前の話ですが
科学が発達した現代でも
手洗い、みつを防ぐなど
やってることは同じなんです。

感染対策の
基本は昔と変わってないことにも
びっくりですね。

でもなぜ
科学の発達した現代において
コロナ感感染症は
収まらないのでしょうか?

それは
崇神天皇が願った
国民の命と生活を守りたいと願いが
一つになっていないから
国民に伝わっていないからなんでしょうか?

2000年前に比べて
人口も増え
生活形態も複雑になって
人々の思いも複雑になっているので
思いが
伝わりにくい時代になっているのも
あるでしょう。

でも
昔も今も変わらないのは
人々のいのちが大切だということ。
今こそ
何が一番大切かを
ひとりひとりが考え
気持ちを一つにする時期がキーポイントですね。

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魂の誕生

輪廻転生がある
魂の存在があると信じている人は
増えてきているが
実際その存在を証明した人はいない。
でも、魂の存在を思わせるような
体験談を報告されるかたがいる。

脳科学者で
AIによる人工脳の開発に携わっている
科学者であられる黒川伊保子さんが
自分の出産直前に経験した
不思議な感覚を書き残されているので
紹介します。

「出産前夜。
眠りについた私は、深い眠りに落ちる寸前に
ふと目が覚めた。
何か尋常じゃない気配を感じて。
霊ではなく、時空の亀裂といったほうが当たっているかも。
私の枕の元のすぐ上で
トンネルのような穴が開いた感覚があったのだ。
深い深いトンネルだった。
私の後頭部のわずか10センチほどのところに
その空間はぽっかりと口を開けた。
ごうっという音を聞いた気がした。
私の脳裏に浮かんだのは、「死が近くにある」という感覚だった。
しかし、なぜか、私はちっとも怖くなかった。
そこは懐かしい場所につながっているきがしたからだ。
翌朝、お産がはじまった」

この文書を目にした僕は驚愕した。

お産前に感じた
この世とは別の世界がある
そこに生と死があると感じた体験。
同様なことは
時折生まれたこどもが語る記録はあるが
母親の出産前に感じた体験をきいたことは
僕はない。
科学者である彼女が非体験なことを書き残すはずはない。

この文を読んで
僕は魂のふるさとがあると
また確信するに至った。

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内なる声を聴く

入院していたときから
自分の内なる声を
感じるということを経験しました。

例えば
リハビリ中に
動かない手が
動く手の動きをサポートするように動いたり
次の日には
動かなかった指が
少しずつ動くようになっていたり
小さな奇跡というような
出来事がありました。

そして
その奇跡を感じたときには
からだの中から
ニコニコ笑顔で
「よかった、よかった」という
声が聞こえてきたのです。

この声は最初は
自分自身の心のつぶやき
喜びの声だと思っていたのですが
毎日度々、異なるときに
同じような声が聞こえてくるし
僕のリハビリを加勢してくれている
見守ってくれている力が
あるように思えるようになりました。

内なる声、内なる力が
あるのではないか?

この内なる声は
決して自分の感情やつぶやきと
必ずしも一致しない
思いもしない言葉のことも多くあり
僕自身の感情の声ではないんです。
この声は
感情の心のもっと奥の、深いところにある声で
その時の感情や出来事に関しては
淡々と見つめている
もうひとりの自己が確かにいる、ある。
それが内なる声なんですよね。

そして
この内なる声を最初は気のせいだと
否定してましたが
だんだん受け止めて、
その内なる声を意識して
暮らしいると
心強い味方がいつも見守って下さってるような気がして
毎日が、行きやすくなったような気がします。

内なる声は
病気をしたから聞こえてたのでしょうが
聞こうともせず、従うこともなく
無視して暮らしていたので
病気になってしまったのでしょうね。

僕自らのせいで
病気を招いてしまったのに
内なる声は
だから、言っただろうと叱咤すること
そんな怒ったそぶりも全く見せず
親身になって応援してくれるのです。

僕が内なる声を裏切ったとしても
内なる声を裏切ることなど
全くありません。

その
内なる声に気づいたときに
有り難くて、有り難くて
涙が止まりませんでした。

これは
僕だけのことではありません。
みなさんの中にも
内なる声は存在するのです。

僕の医者としての仕事は
みなさんに
その内なる声を聴けるように
お伝えすることのような気がしてます。

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食べ物を食べる理由

人間を含め生物は
ものを食べることによって
成長するし、エネルギーを得ていると
考えている。

確かに
エネルギーとなる燃料を補給する
役割があるということには
誰も異論はないだろう。

でも、食料を食べるのは
自分自身の体を日々、作り直すためだということを
ルドルフ・シェーンハイマーが
同位体を使って生体物質の動きを可視化して証明した。

自分たちの体は
いつも同じ状態ではない
実は日々作り直しているのです。
だから月日が経つと
容姿が変わっているのは
誰もが実感していることでしょう。

全ての生命は
絶え間ない分子と原子の流れの中で
刻々と変化し
微妙なバランスの上で成り立っているのです。

体の中では
いつも壊され、また作り直されているのです。
この二つのエネルギーが体内で動いていることが
メタトロンをするとわかります。

この壊し、作り直す営みを
生物学者福岡伸一先生は「動的平衡」といっているのです。

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薬を飲むなら喜んで

最近は予防医療が発達してきたので
こどもだけでなく
おとなも予防接種できる病気が増えました。

そこで、当院でも
予防接種目的で来られる方が増えました。
多く来られるので
みなさんが
日頃どんなお気持ちで
過ごしているかがわかる
場面に出くわすことがあります。

気づいた点をひとつ。

問診票には
今どんな診断を受けて
どんな薬をのんでいるかを
記入する欄があります。

とても大まかな質問で
答えやすい問診になっているのですが
逆に、書き漏らしもあるかもなので
きちんと確認する必要があります。

そこで
「病気はありませんか?」とおたずねすると
「病気はありません」と答える方が多いので
「え?問診には薬を飲んでると書いていますが}
「薬は飲んでるけど、病気じゃないよ」
「病名はご存じですか?」
「・・・・・」という
会話をくり返すことが度々あります。

普通なら
病気がある。診断がついている。
だから、お薬を飲んでいるはずだけど
何のためにお薬をのんでるのか
わからなくなっている。

ご高齢だから
長年飲んでるから
わからなくなってしまうのかもしれません。
健康になってても
習慣的に薬を飲み続けていると言うことも
あるかもしれません。

これには
いつもきちんと説明していない
医者側の責任もあるかもしれません。


自分の身を守るために
自分がどんな病気?
どこが弱いから治療をしているのか
知らないといけません。

からだには
カルテが記憶しているわけでは
ありません。
薬は、からだにとっては異物です。
からだが必要かどうか判断します。
その時に
あなたがどんな思いでその薬を
摂取しているかが
その薬が
効果が出るかどうかのポイントになります。

あなたが
喜んで、その薬を飲んでいるのであれば
あなたのからだは
喜んで薬を吸収し
ちゃんと働くように受け入れてくれることでしょう。

薬を飲むなら
あなたのためになってるからと
納得して、喜んで飲んでもらいたいです。

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