私信」カテゴリーアーカイブ

医師としての生活スタート(思い出)

「無事国家試験も合格し
医師としての
小児科医としての第一歩を
九州大学病院でスタートしました。

医師免許をいただいたとはいえ
まだまだと言うか
実践力は全く0の状態でのスタートでした。
病棟で
小児癌のこどもたちの主治医に
なりましたが
こどもたちは、とても苦しい治療を受けてきて
僕たち研修医が何もできないことを
患者さん自体、親御さんもわかっています。

薬一つ出す
熱冷まし一個出すのも
風邪薬を出すのさえ
指導医に確認し
自分ひとりでは何もできない状態の研修医。

僕にできることは
こどもたちと遊ぶことでしょうか
そんな僕を
先生と呼んでくれていたのは
立派な先生に早くなって
僕を1日でも楽にしてねと
病気をしていても天真爛漫の笑顔の奥にある
ふとみせる悲しい表情が忘れずに
研修医なりに持ってる知識を総動員し
もっと、もっと学ばないとと
患者さん、病気と24時間休みなしで
向き合って過ごしました。

でも
こどもたちが笑顔で元気になって退院しても
なかなか医師としての実感を感じられませんでした。
僕が描いてた医者の像との乖離を感じ
治した実感がありませんでした。
薬が、あの20mlの薬液が、ちっさい、ちっさい丸薬が
治しただけで
僕はこどもたちに何ができただろうか?
もっと医師として
この手で、我が力で
病気を治したいと思うようになりました。

その時の思いが
僕の今の医療スタイルにつながっているのには
間違いありません。

現代医学の礎、考え方をを今に伝えている
医聖ヒポクラテス(BC450-300)が次の言葉を残しています。

「病気を治すのは
医師ではなく自然である。
医者はそれを手伝うだけだ」として
自然治癒力を重視したという
言葉が残されています。

医者が治しているのではなく
治すお手伝いをしているだけ。
僕が研修医の時感じた思い
現在に続く思いは
間違いではない。

患者さんの治癒力を引き出すために
僕ができることをすればいいんだ。

今でも医師としての道は途中。
まだまだ僕の歩む医道は続きます。」

今もその思い、気持ちは変わりません

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育ててくれた家に今でも感謝(思い出)

5年前に幼少時過ごした家が
取り壊されました。
取り壊される前に訪れた時の思いでのブログ。

「このたび
1年ぶりに訪れました。

今は誰も住んでなく
僕も病気のこともあり
一年以上そのままにしていた家。

どんなにさみしい思いをさせて
しまったでしょう。
僕だけでなく
父、母をそして姉の
日々の生活、成長を
悲喜こもごも一緒に
どんな時も見守ってくれた
苦楽共にした家なんです。

本当に
本当に
感謝、感謝なんです。
あの家があったから
現在の両親が居る、僕がいる、姉が居るんです。

1年以上ぶりに家に
入りました。

何もないがらんとした室内でしたが
空き家だったとは思えない
次に誰かすむのを
待ってくれててるかのように
さわやかな空気感なんです。

しっかり、しっかり
いつ戻ってきてもいいように
守ってたんだよ・・・・と
言ってるような気がしました。

ここで
育つことができたから
今こうして生きていることができる
新しい家族もでき、生活もあるのは
この家で大きくしてもらったから。
大学生になって巣立っても
僕をずっと見守ってくれていた。
いつも帰ってこれるように
全身全霊を込めて
ここで守ってくれていたことを
感じ
これまで過ごした光景が
走馬灯のように流れていきました。

新しい家族がここで
新しい歴史を創られることでしょう。
きっと
神様に優しく迎えられることでしょう。

ここを去ることは
さみしい気持ちはありますが
いつも、どこにいても見守ってるよと
家の神様に言われた気がして
帰るときは
不思議とさみしさは感じませんでした。

家の神様
土地の神様
本当にありがとうございます。

しあわせになります。」

 

今は形も何もない家の存在は
両親と姉と家族全員とともに
今も僕の心の中にあります。

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ネタニヤフ調書

ネタニヤフ氏と言えばイスラエルの首相。
1996年からイスラエル建国後生まれの最初の首相。
驚くことに
現在もイスラエルの首相であり
30年近く首相であり続ける人物。

何かと問題の多いイスラエルだが
この国に長期君臨したのは
本人の人徳のいたすところかと思えば
やはり多くの疑惑があり汚職や
刑事起訴され、現在もその裁判が継続されている。

この映画は
そのネタニヤフ氏の警察の取り締まりの状況を
ジャーナリストの証言を織り込みながら
ネタニヤフ氏だけでなく
その妻を始め家族、使用人や、疑惑を持たれている財界人の
証言がリアルに語られている。

そして
その疑惑を言葉巧みに逃れようとする
ネタニヤフの姿を描いている。

この映画を観て
現在は疑惑だらけの首相も
政治家になったのは
人民、イスラエルのために首相になったはずなのに
人間は権力を握ると
その権力を自分に使うようになって
自分の保身のために走り出す。
彼の妻がいうように
「彼が国家」のように走り出し
その甘い汁を吸おうと
多くの財界人がよってくる。

そして、その悪行が表面にでるようになり
益々保身に走るようになる。
そして、自分の政権、政治生命を維持するために
自分の政治信条とは異なるはずの
極右政党と手を組んでしまった。

そのために
現在終息の見込めない
ガザ地区の紛争につながっているのだ。

人間の欲は怖ろしいものだ。
そして、欲が権力を握ってしまうと
多くの犠牲が生まれてしまう。
それでも欲の暴走は止められないということを
生々しく伝える映画だった。

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シロヤは思い出のパン屋

まだこどもの頃
黒崎に買い物に行った時には
必ず立ち寄ったシロヤのパン屋。

ここの食パンは
フワフワで少しあまさもあって
パン屋で厚切りに切ってもらって
そのまま食べてもいいけど
母が作ってくれた
キュウリがたっぷり入った卵サンドは
今まで食べたサンドイッチのなかでも
一番美味しい思い出の味。

食パンの他にも
練乳がったぷりはいった
サニーパンが一番人気。
その他にもレーズンパン、ミルクパンも
よく買ってもらって食べたな。

お店はいつもショーケースの周りに
二重三重の人垣ができたので
小さい頃は身長が低いので
中々注文できなかったのも小さい時の思い出。
父親の会社の近くにあったので
よく買って帰ってきた。お土産の味。
父がシロヤのパンを買ってかえると
母親の機嫌が何となくよくなるのを
今でも覚えているので
父は母のご機嫌取りのお土産だったのかも。

そんな思い出のシロヤのパン
サニーパンを何十年ぶりに食べた。
練乳たっぷりの甘さは
昔の懐かしい味で大満足。
ただ、思っていたほど外側が硬くなかった。
これも時代の流れに合わせた変化だろうか?

令和時代にいきる自分からしたら
今昭和の味を楽しめられるのは
うれしいこと。

いつまでも
作り続けて欲しいシロヤのパンです。

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グランブルー(完全版)

この映画は
フリーダイビングの世界記録に挑む
2人のダイバーの友情と軋轢
そして海に生きる男を愛してしまった
女性のこころの葛藤を描いた映画。

10代からダイビングに親しんだベッソン監督が
長年の夢だったイルカに魅せられた潜水夫の物語を
実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの
協力を得て映画化されたらしい。

初めて観る映画だったが
潜水記録に挑む男の真剣さ
その男に惚れてしまい
自分に対する愛と、海を愛する男の
気持ちに翻弄される女性。

男性性と女性性との違いを
刻銘に表現されていた。
女性は愛の下で
男性は愛よりも浪漫をもって生きる
生物なのだとつくづく思った。

自分が育った昭和の世代からは
どこか納得してしまう生き方だろうが
現代を生きるZ世代はどう感じるのだろうか?

一緒に観た妻が見終わったあと
感想をひとこと
「逆アリエルだねと」
確かに・・・

男達は海に帰っていった。

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栄光のバックホーム

この映画は
脳腫瘍のため引退を余儀なくされた
横田慎太郎 元阪神タイガースのプロ野球選手の
軌跡を描いた映画をみた。

阪神にドラフト2位鹿児島実業から入団した
将来有望な選手であったが
プロの道は厳しく
中々芽が出なかったが
生まれ持った根性で一軍を目指して
努力していた時に
脳腫瘍の診断を受け過酷な治療をうけた。

過酷な治療にめげそうになった時に
支えてくれた家族、チームメイトらなど
多くの人に支えられた乗りきろうとしたが・・
病魔は容赦なく襲ってきた。
そして野球選手の夢は諦め
第2の人生を力強く歩み出すのです。

そして
病魔に力強く立ち向かう姿が
実はだけに
胸に訴えてきた。

慎太郎選手を病気に通じて得たことは
「希望と夢は病に勝つ」
確かに病があったとしても
希望と夢があれば、それを実現するために
生きることができる。

その言葉は
ホスピスに入って、意識が混濁するなかでも
挫折に悩む先輩に対して
「先輩は、身体が動くからいいじゃないですか」と
叱咤激励するのです。

確かに
どんな困難なことがあっても
身体が動ける限り
打開することができるのです。

そして
慎太郎選手は
度々、「野球の神さまはいる」と語っていた。
僕もそう思うのです。
誰かが(神さま?)がいつも見守って下さっていると。

とてもいい映画を観た後
今年最大の寒波襲来の中でも
どこかこころが温かくなっているのを感じた
いい映画だった。

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盤上の向日葵

この映画は
柚月裕子の同名小説を、坂口健太郎と渡辺謙で
映画化されたヒューマンミステリー。

将棋の世界と言えば
最近では藤井聡太棋士の活躍で
将棋界は注目されています。

この映画では
将棋界の明るい面の世界ではなく
賭け将棋の世界で生きる真剣士という
裏世界があることを知った。
その裏世界で生きる天才棋士にその才能を認められ
徒弟となり
その技を磨いていく若き天才棋士。

棋士としては尊敬していても
その裏世界で生きていく師匠に
別れ、真っ当なしあわせを手にいれようとするが
その時に、過去の彼を苦しめた人々が
そのしあわせを壊したいのかように
彼の前に現れる。

彼は今のしあわせ
彼が描くしあわせな未来を手にしようと
彼らと戦うが・・・
どんどんはまっていってしまう。
その訳は、彼のこの世に生まれた時決められたような
運命のわなに巻き込まれていくのです。

うーん、最初から最後まで
二人の名優の共演
そして、将棋を指す時に語る
表情だけの演技に
圧倒された迫力ある映画でした。

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裸坊の明けた朝は

昨日は
防府天満宮の御神幸祭でした。
このお祀りは
太宰府より防府に還り留まられた
菅原道真公の御霊に
毎年毎年「無実の知らせ」をお伝えし
お慰めするため、
縁深い勝間の裏まで渡御する壮大なお祭。

白装束に身をかためた
5000人あまりの裸坊が
この行事にご奉仕する
西日本一の荒祭として有名なお祭です。

いつも静かな防府の町が
町全体が
「兄弟わっしょい。兄弟わっしょい・・・」の
声があふれるのです。

僕はこのお祭には
荒々しく危険が及ぶことも希にあるので
傍から手を合わせている派ですが・・・

お祭が終わった翌朝
いつものように神社参りをしていると
いつもと違う空気感を感じる。
キリッとして空気。
町はひっそり寝静まっているけど
耳を澄ませば
「兄弟わっしょい」の木霊が聞こえてきそう。

いつもと
異なるキリッとした空気は
きっと昨日の裸棒達の
お清めいただいたおかげなんでしょう。

これも
菅原道真公の福なんだと
有り難さと
ささやかなしあわせを感じた朝でした。

みなさんはどんなしあわせを感じましたか?

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思い出のクマは何処に

僕は小さい頃からぬいぐるみが
好きな男の子でした。
それも、クマのぬいぐるみが大好きで
おもちゃやで
お気に入りのぬいぐるみの熊ちゃんを見つけた時は
母におねだりをしていました。

最後に
熊のぬいぐるみを買ってもらったのは
小学校の4年生時に
当時大流行した
パンダのぬいぐるみです。

小学校4年だったので
さすがに両親とも
パンダのぬいぐるみを買うのに
反対したのですが
これが最後だと・・・説き伏せて
パンダのぬいぐるみをゲットしたのです。
そして
約束通り
それが最後の熊のぬいぐるみとなり
実家を離れるまで
ずっと一緒の状態でした。

こんなに熊のぬいぐるみが好きでも
実際に熊を見たこともなく
日本の山の中にいるだろうけど
それは架空の動物に近いかわいい存在でした。

そして
住んでいた九州には
月の輪熊がいたけど
ほぼ絶滅したという話しを耳にしていたのですが
最近
熊の出没のニュース
熊に襲われたという被害のニュースが
毎日のように報道され
熊が怖ろしい野獣としての目で
見られるようになったのです。

山は
植物を底辺に
植物を食べる草食動物
草食動物を食べる肉食動物を頂点とする
三層のピラミッド構造になっていると
昔から考えられてきました。

そして熊はこのピラミッドの
どこに位置づけっれたいるというと
日本人は昔から
この三層の山のピラミッド全体を
「神聖な山」と考え
日本人は熊を山の神と考え
他の動物と次元の違う存在ど認識してきたのだ。

だから
人里に現れて、人を襲って来た熊に対して
駆除する行為に賛否両論が出てきたのである。

熊が人里に下りてきたのは
気候変動による餌不足
人間による環境破壊も影響しているのかもしれない。

今この状況を打破し
かつてのような
平和なピラミッドに戻すことが
人間の使命となるだろう。
この危機を乗り切って初めて
新たなピラミッドが形成されるのです。

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進路指導②

医者になる道を
選択したものの
本当に心に描いたような医者になれるか
自信がなかったのでしょう
今とちがう形で
夢を描いていました。

医者には
患者さんを診る医者と
研究する医学者という道があります。

当時
僕には姉が生化学の研究者である方と
結婚することが決まっており
将来有望な医学者として
期待され、近々アメリカへ留学される
予定の彼であり
時々、医者についての話を聞くことがありました。

義理の兄となる人の
後ろ姿を診ながら
そうか、研究者という道がある
そうすれば、世界を股にかけた仕事で
人を助けられるんだ。

そうだ
留学して、癌についての研究をしよう。
そんな医者になろうと決意し
受験勉強に取り組んでいました。

でも、理科的発想ができないのに僕が
世界を渡り歩きたい
そんな医者になる道を選び
それが科学者というのも
今考えている理想とした医師像から
少しピントが外れた選択だったんです。

そういえば
理科系でも難関と言われる医学部に
文科系人間の僕が挑むと決めたのは
医者は理科系頭は必要ない。
人の心も考えないといけない
生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
受験に理科系科目が必要なだけで
医者は理科系頭じゃなくても
できるからと思ったから理科系を選んだんです。

理系に言っても
僕の進む道は、医者になっても
世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
その時点で持ち続けていたんですね。

医学者として
世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
僕はなぜか
臨床医になるのは
夢の夢と思ってたのでしょう。
ひと言でいうなら
サラリーマン家庭でもなれる
医者の道を歩くことを決めたんですね。

まだまだ迷いの多い決断でしたが
魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?

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