私信」カテゴリーアーカイブ

もぐら

という山浦未陽監督の短編作品を観た。
この映画は
風俗店で働く若い女性の姿を描いた作品。

皆それぞれ
夜の世界で生きていかないといけない事情がある。
その世界には男も女もない。
誰もが親にさえ言えない
理由を抱えてもがき、悩みをかかえ
今の闇から脱出しようと
必死で生きている。

真っ暗闇の夜なのに
キラキラ輝くネオンの光が
心の闇を照らす虚栄心偽りの光では
こころは癒やされない。

そして心が癒やされた時に
朝の光に気づくのです。
朝の光は嘘偽りのない
希望の光であることに気づくのです。

その気持ちはよくわかる。
僕も太陽から希望の力をもらっている。
だから、昨日も、今日も、そして
きっと明日も
陽が昇る前に起きて
朝日に希望をもらって生きているのです。

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薬指に助けられて

以前入院していた時は
手のリハビリもしていました。
手の動きはとっても複雑。
だから
手を以前のように動かそうと思うと
かなりリハビリを
頑張らなくてはならなかった。

特に
リハビリに難渋した指は
薬指。
動きずらそうにしている
薬指をみていると
弱い指だし
この指だけが
思い通りに動かないことも不思議
動くときは
小指と一緒だし
その弱い指に
どこか愛おしさも感じてしまう。

この弱い薬指の役割もあるはず。
文字通り薬を塗るときには
重宝する指。

薬指に薬がついていても
親指と人差し指と中指の3本が
自由に動かせるので
ものもつかめるし
この3本で作業することができる。

歴史的にみても
古人は不器用なこの指にも
愛情をもって接してきた。

西洋では
この控えめな指が
愛情に通じていると考え
この指に結婚指輪をつけるようになった。

薬師如来では
左手に薬の壺をもち
右手の薬指を少し前に出し
傷ついた私たちに
薬を塗ろうとしてくれているように
この指は病気を治す力をもった
神聖な指と考えてました。

僕自身にとっても
薬指は
リハビリ中に
大きな勇気と治る力をもらった
指であることを実感しました。

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朝のセレモニー

7年前病気をしてから
生活のリズムは明らかにかわった。
それまでは
睡眠時間を減らしても
働いたり、勉強したりしていた。
睡眠は、休憩の延長戦でしかなかった。

しかし
病気をしてからは
朝起きると
「ああ、生きている」と思うことが
あったのを思い出します。

そして
目覚めたと同時に
今日も大事に生きていこうという気持ちが
あふれてくるのです。

それは今でも続いていて
朝起きてから
朝食をとるまでの時間は
自分だけの黄金時間とも言えます。
だから、無駄にはしたくない
朝4時には起きて
散歩を兼ねて、近所の氏神様にご挨拶。
そして
その後はブログを書いたり
その時感じた気持ち、考えをアウトプットの時間。
これが僕の朝のセレモニー。

仕事が終わった夜は
リラックスしながらインプットをする時間。
そして今日一日が無事終わったことに
感謝の気持ちがあふれてくると
なぜか8時を過ぎると
自然に眠くなり
9時には寝る毎日。

早起きしても
7時間は寝てるので
朝起きる時には
心身とも生まれ変わったような気分で目覚め
また朝のセレモニーを始めるのです。

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まことに日に新たに

まことに日に新たに
日々新たに
また日に新たなり。

どんな状況に置かれようとも
日々、心を新たに精進する。

☆開院16年を迎え、初めての休日
これからもみなさんに力強くお役に立てることを願って
自分にとって浄化と開運を願って
当院から北東の吉方位にあたる
二所山田神社にお参りし
湯野温泉において穢れを落としてきました。

帰宅すると
温泉効果で肌は艶々
今日からまたしっかり働けそうです。

みなさんのしあわせを願って
今日からまた働けることに感謝です。

 

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TOKYOタクシー

タクシー運転手(木村拓哉)が
85歳の女性(倍賞千恵子)を柴又から
葉山の高齢者施設に送るまで
彼女の思い出の地を巡りながら
彼女の過酷の反省を振り返り
家族、夫婦の絆について考えさせられていく
山田洋次監督らしい
こころにじんわり響く映画だった。

昭和の時代は
現代では、かなり遠くの時代になったのかもしれない
人々の生活、生き方
特に女性に対する状況は
今では考えられないほど
過酷なものに描かれている。

その激動のなかで
生きた女性が感じたこと、反省
そしてこれからの人々に生きて欲しい
とメッセージに思える
倍賞美智子の深い演技。

年老いて
死期が近いのを感じた時
今までの人生を振り返り
得たこと、失ったことを感じ
自分では変えられない人生の学びを
次の世代に伝えたいと思うのではないでしょうか?

自分も還暦の時を過ぎ
まだまだ人生の残りを考えた時
少しでも
今までも生きてきた
多くの人からいただいた人生の福を
これからの人にお渡ししたい
気持ちがあります。

そして、その福を於渡すために
3冊目の著書を執筆中です。

「これからの人生は福渡しの人生」です

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本「月夜の森の梟」

この本は
作者である小池真理子さんが
37年間連れ添った夫であり
同業の作家でもあった藤田宣永さんが
亡くなった後の
生活思いを書き綴ったエッセイ。

見送った後思い出される
夫である藤田さんとの
生活を感情と共に
思いのままに綴られており
赤裸々な思いが胸に迫ってくる

例えば
再発したことを告げられたとき
精神的にも疲労困憊して帰宅した後
家に帰った後
食欲の全くなかったご主人に対して
やっぱりお腹がすいて
カップラーメンを食べているときに
横で
もう手立てがないんだなぁとつぶやかれ
生と死の堺を感じた作者。

年取ると
老人は自分の死を達観して
死に対して落ち着いて
対応でききるようになるのでは?と思うけど
実際、自分も年をとっても
死を達観できるようにはならないし
生きている感覚は
思春期も今も老年期も
変わらないことを知った。

今回
この本を読んで
大切な人が亡くなったときに
どう思い、どんな行動をとるのか・・・
教えていただいた
疑似体験できた有り難いエッセイだった。

自分のつらい気持ちを
語ってくれた小池真理子さんに感謝です。

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素敵な奇跡

毎日、多くの人に出会います。
その出会いのひとつひとつ・・・・・って

”先生”と呼ばれて、返事をしている自分がいる
”〇〇さん”と呼ばれて、返事をした自分がいる
”〇〇ちゃん”と呼ばれて、返事をしている自分がいた
”パパ”と呼ばれて、返事をしている自分は、ちょっと不思議

呼びかけられてわかる 自分の立場
人生に用意された 自分の立場

この尊い出会い、絆って
素敵な奇跡

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医師としての生活スタート(思い出)

「無事国家試験も合格し
医師としての
小児科医としての第一歩を
九州大学病院でスタートしました。

医師免許をいただいたとはいえ
まだまだと言うか
実践力は全く0の状態でのスタートでした。
病棟で
小児癌のこどもたちの主治医に
なりましたが
こどもたちは、とても苦しい治療を受けてきて
僕たち研修医が何もできないことを
患者さん自体、親御さんもわかっています。

薬一つ出す
熱冷まし一個出すのも
風邪薬を出すのさえ
指導医に確認し
自分ひとりでは何もできない状態の研修医。

僕にできることは
こどもたちと遊ぶことでしょうか
そんな僕を
先生と呼んでくれていたのは
立派な先生に早くなって
僕を1日でも楽にしてねと
病気をしていても天真爛漫の笑顔の奥にある
ふとみせる悲しい表情が忘れずに
研修医なりに持ってる知識を総動員し
もっと、もっと学ばないとと
患者さん、病気と24時間休みなしで
向き合って過ごしました。

でも
こどもたちが笑顔で元気になって退院しても
なかなか医師としての実感を感じられませんでした。
僕が描いてた医者の像との乖離を感じ
治した実感がありませんでした。
薬が、あの20mlの薬液が、ちっさい、ちっさい丸薬が
治しただけで
僕はこどもたちに何ができただろうか?
もっと医師として
この手で、我が力で
病気を治したいと思うようになりました。

その時の思いが
僕の今の医療スタイルにつながっているのには
間違いありません。

現代医学の礎、考え方をを今に伝えている
医聖ヒポクラテス(BC450-300)が次の言葉を残しています。

「病気を治すのは
医師ではなく自然である。
医者はそれを手伝うだけだ」として
自然治癒力を重視したという
言葉が残されています。

医者が治しているのではなく
治すお手伝いをしているだけ。
僕が研修医の時感じた思い
現在に続く思いは
間違いではない。

患者さんの治癒力を引き出すために
僕ができることをすればいいんだ。

今でも医師としての道は途中。
まだまだ僕の歩む医道は続きます。」

今もその思い、気持ちは変わりません

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育ててくれた家に今でも感謝(思い出)

5年前に幼少時過ごした家が
取り壊されました。
取り壊される前に訪れた時の思いでのブログ。

「このたび
1年ぶりに訪れました。

今は誰も住んでなく
僕も病気のこともあり
一年以上そのままにしていた家。

どんなにさみしい思いをさせて
しまったでしょう。
僕だけでなく
父、母をそして姉の
日々の生活、成長を
悲喜こもごも一緒に
どんな時も見守ってくれた
苦楽共にした家なんです。

本当に
本当に
感謝、感謝なんです。
あの家があったから
現在の両親が居る、僕がいる、姉が居るんです。

1年以上ぶりに家に
入りました。

何もないがらんとした室内でしたが
空き家だったとは思えない
次に誰かすむのを
待ってくれててるかのように
さわやかな空気感なんです。

しっかり、しっかり
いつ戻ってきてもいいように
守ってたんだよ・・・・と
言ってるような気がしました。

ここで
育つことができたから
今こうして生きていることができる
新しい家族もでき、生活もあるのは
この家で大きくしてもらったから。
大学生になって巣立っても
僕をずっと見守ってくれていた。
いつも帰ってこれるように
全身全霊を込めて
ここで守ってくれていたことを
感じ
これまで過ごした光景が
走馬灯のように流れていきました。

新しい家族がここで
新しい歴史を創られることでしょう。
きっと
神様に優しく迎えられることでしょう。

ここを去ることは
さみしい気持ちはありますが
いつも、どこにいても見守ってるよと
家の神様に言われた気がして
帰るときは
不思議とさみしさは感じませんでした。

家の神様
土地の神様
本当にありがとうございます。

しあわせになります。」

 

今は形も何もない家の存在は
両親と姉と家族全員とともに
今も僕の心の中にあります。

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ネタニヤフ調書

ネタニヤフ氏と言えばイスラエルの首相。
1996年からイスラエル建国後生まれの最初の首相。
驚くことに
現在もイスラエルの首相であり
30年近く首相であり続ける人物。

何かと問題の多いイスラエルだが
この国に長期君臨したのは
本人の人徳のいたすところかと思えば
やはり多くの疑惑があり汚職や
刑事起訴され、現在もその裁判が継続されている。

この映画は
そのネタニヤフ氏の警察の取り締まりの状況を
ジャーナリストの証言を織り込みながら
ネタニヤフ氏だけでなく
その妻を始め家族、使用人や、疑惑を持たれている財界人の
証言がリアルに語られている。

そして
その疑惑を言葉巧みに逃れようとする
ネタニヤフの姿を描いている。

この映画を観て
現在は疑惑だらけの首相も
政治家になったのは
人民、イスラエルのために首相になったはずなのに
人間は権力を握ると
その権力を自分に使うようになって
自分の保身のために走り出す。
彼の妻がいうように
「彼が国家」のように走り出し
その甘い汁を吸おうと
多くの財界人がよってくる。

そして、その悪行が表面にでるようになり
益々保身に走るようになる。
そして、自分の政権、政治生命を維持するために
自分の政治信条とは異なるはずの
極右政党と手を組んでしまった。

そのために
現在終息の見込めない
ガザ地区の紛争につながっているのだ。

人間の欲は怖ろしいものだ。
そして、欲が権力を握ってしまうと
多くの犠牲が生まれてしまう。
それでも欲の暴走は止められないということを
生々しく伝える映画だった。

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