私信」カテゴリーアーカイブ

裸坊の明けた朝は

昨日は
防府天満宮の御神幸祭でした。
このお祀りは
太宰府より防府に還り留まられた
菅原道真公の御霊に
毎年毎年「無実の知らせ」をお伝えし
お慰めするため、
縁深い勝間の裏まで渡御する壮大なお祭。

白装束に身をかためた
5000人あまりの裸坊が
この行事にご奉仕する
西日本一の荒祭として有名なお祭です。

いつも静かな防府の町が
町全体が
「兄弟わっしょい。兄弟わっしょい・・・」の
声があふれるのです。

僕はこのお祭には
荒々しく危険が及ぶことも希にあるので
傍から手を合わせている派ですが・・・

お祭が終わった翌朝
いつものように神社参りをしていると
いつもと違う空気感を感じる。
キリッとして空気。
町はひっそり寝静まっているけど
耳を澄ませば
「兄弟わっしょい」の木霊が聞こえてきそう。

いつもと
異なるキリッとした空気は
きっと昨日の裸棒達の
お清めいただいたおかげなんでしょう。

これも
菅原道真公の福なんだと
有り難さと
ささやかなしあわせを感じた朝でした。

みなさんはどんなしあわせを感じましたか?

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思い出のクマは何処に

僕は小さい頃からぬいぐるみが
好きな男の子でした。
それも、クマのぬいぐるみが大好きで
おもちゃやで
お気に入りのぬいぐるみの熊ちゃんを見つけた時は
母におねだりをしていました。

最後に
熊のぬいぐるみを買ってもらったのは
小学校の4年生時に
当時大流行した
パンダのぬいぐるみです。

小学校4年だったので
さすがに両親とも
パンダのぬいぐるみを買うのに
反対したのですが
これが最後だと・・・説き伏せて
パンダのぬいぐるみをゲットしたのです。
そして
約束通り
それが最後の熊のぬいぐるみとなり
実家を離れるまで
ずっと一緒の状態でした。

こんなに熊のぬいぐるみが好きでも
実際に熊を見たこともなく
日本の山の中にいるだろうけど
それは架空の動物に近いかわいい存在でした。

そして
住んでいた九州には
月の輪熊がいたけど
ほぼ絶滅したという話しを耳にしていたのですが
最近
熊の出没のニュース
熊に襲われたという被害のニュースが
毎日のように報道され
熊が怖ろしい野獣としての目で
見られるようになったのです。

山は
植物を底辺に
植物を食べる草食動物
草食動物を食べる肉食動物を頂点とする
三層のピラミッド構造になっていると
昔から考えられてきました。

そして熊はこのピラミッドの
どこに位置づけっれたいるというと
日本人は昔から
この三層の山のピラミッド全体を
「神聖な山」と考え
日本人は熊を山の神と考え
他の動物と次元の違う存在ど認識してきたのだ。

だから
人里に現れて、人を襲って来た熊に対して
駆除する行為に賛否両論が出てきたのである。

熊が人里に下りてきたのは
気候変動による餌不足
人間による環境破壊も影響しているのかもしれない。

今この状況を打破し
かつてのような
平和なピラミッドに戻すことが
人間の使命となるだろう。
この危機を乗り切って初めて
新たなピラミッドが形成されるのです。

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進路指導②

医者になる道を
選択したものの
本当に心に描いたような医者になれるか
自信がなかったのでしょう
今とちがう形で
夢を描いていました。

医者には
患者さんを診る医者と
研究する医学者という道があります。

当時
僕には姉が生化学の研究者である方と
結婚することが決まっており
将来有望な医学者として
期待され、近々アメリカへ留学される
予定の彼であり
時々、医者についての話を聞くことがありました。

義理の兄となる人の
後ろ姿を診ながら
そうか、研究者という道がある
そうすれば、世界を股にかけた仕事で
人を助けられるんだ。

そうだ
留学して、癌についての研究をしよう。
そんな医者になろうと決意し
受験勉強に取り組んでいました。

でも、理科的発想ができないのに僕が
世界を渡り歩きたい
そんな医者になる道を選び
それが科学者というのも
今考えている理想とした医師像から
少しピントが外れた選択だったんです。

そういえば
理科系でも難関と言われる医学部に
文科系人間の僕が挑むと決めたのは
医者は理科系頭は必要ない。
人の心も考えないといけない
生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
受験に理科系科目が必要なだけで
医者は理科系頭じゃなくても
できるからと思ったから理科系を選んだんです。

理系に言っても
僕の進む道は、医者になっても
世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
その時点で持ち続けていたんですね。

医学者として
世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
僕はなぜか
臨床医になるのは
夢の夢と思ってたのでしょう。
ひと言でいうなら
サラリーマン家庭でもなれる
医者の道を歩くことを決めたんですね。

まだまだ迷いの多い決断でしたが
魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?

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先輩医師の死

知らせは突然だった。
メールが届いた時には
忘れられない名前なのに
本当に先輩の名前なのか
わからなくなるぐらい
混乱していた自分がいた。

最後にあったのは
昨年春の小児科学会。
お昼のセッションで偶々出会い
一緒に昼食を摂ったのが最後だった。

研修医時代に
新生児医療に対して
文字通り一から教えていただいた
先輩医師。

その指導は
厳しくも、やさしさもあり
いつも僕を信じて指導してくれた。

最後にお会いした時も
そのお人柄は
当時とは全く変わらなかった。

その先輩が、もういない。

その先輩の死が信じられず
生きている証を捜そうと
HPを訪問した。

すると、そこには最後のお知らせが。
そこには病気療養のため
今週末でしばらく休診すると。

そして
休診予告の日が
亡くなった日だった。
亡くなる直前まで
病と戦いながら
こどもたちの診療に当たっていたのだ。

文字通り
いのちの削りながら
過ごされていたのだ。

その生き様を知って
僕にこのように最後まで
小児科医として生きていくことを
教えて下さった先輩医師。

本当に大きなことを
教えて下さった先輩。
ありがとうございます。

ご冥福をお祈り申し上げます
合掌

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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神秘体験

僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。

僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。

でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。

最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。

それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。

魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。

ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。

著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。

「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。

つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。

僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。

重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。

これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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書いている時に考えていること

一昨年から
本を書いています。

1作目は「どう生きてどう死ぬか」は
50代に経験した脳出血を経験して
感じたこと、学んだことを書きました。
2作目は「進め」という
自分の人生を振り返り、
今、若い人に伝えたいことを求めました。

そして、現在3冊目を執筆中。
これは今年還暦を迎え
今後の生き方をまとめています。

でも
今後どう生きていくかは
これまでと違い、体力も落ちるし
今までの考え方通りに行くかどうかは
書きながらも
不安を感じつつ書き進めていきました。

そんな時
これからの人生について書く時の心得を
あるかたから、こんなアドバイスをいただきました。
それは

「人間は70歳を超えると
途端に体力がガクンと落ちます。
あなたはまだ60歳になったばかり。
これからは70代や80代の人生を生きる
自分を想像してごらんなさい」と。

これからの自分の姿を想像しながら
未来の70代の自分になったつもりで
書いてみようと思った。

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好みが変わったのは

病気をしてから
生活も一変しましたが
好みも嗜好も変わった気がします。

入院中している間
体重が7kg落ちました。
食べれないような病気ではなかったし
いつも3食とも完食でしたし
病院だから
カロリー計算もされている食事だったから
やせたんでしょうね。

入院前の食生活が
いかに高カロリーを摂取していたって
ことでしょうね。

入院中の月一回の体重測定で
最初は体重減少するのをみて
生活を反省しながら
体重が減るのを楽しみにしてましたが
毎回、毎回減るので
なんか違う病気があるんじゃないかと
ちょっと不安になったりしてましたが
退院後は
ぽっこりお腹も凹み
顎のラインもしっかりでて
何よりも
今まで切れなくなった、ズボン、シャツなどが
着れるようになったのが
何よりもうれしかったです。

入院中は
ある意味ストイックな生活でしたから
その反動で
退院後は生活が
乱れるかと心配してましたが
その心配はありませんでした。

嗜好が変わりました。
まず、ビールが飲めなくなりました
久しぶりに飲むビールは苦かった。
とても飲めたもんではない。
今まではゴクゴク飲んでました。
飲んでも飲んでも酔わないぐらい
飲んでました。
そんなビールが飲めなくなりました。

ビールを一口飲んだとき
こどもの時、祖父のビールを
一口いただいて苦くて、まずいと思った
記憶が蘇りました。
元々、ビールはダメなんですね。
ビールは飲まないけど
お酒は嫌いではない。
飲もうとおもう機会は少なくなりましたが
リラックスしたいときには
不思議と飲みたくなるんですね。
特に、赤ワインが飲みたくなります。
そして焼酎、日本酒も
リラックスしたときに、食事と一緒にいただき
お酒とは
言いお付き合いさせてもらってるような
気がします。

次に間食です。
僕は甘いものも辛いものも好きな
両刀だったのですが
脳出血を起こしたので
塩分は意識して控えるようにしてます。
甘いものは
あんこが欲するようになったのです。
あんこが食べたくなるんですよね
おまんじゅう、どら焼き
いわゆるあんこスィーツが欠かせません。
クリームよりもあんこ
あんこの後のおせんべいはいらなくなりました。

そういえば
とある神社の宮司さんが
僕が、あんこが好きで、抹茶と所望するのが
好きなんですといわれたのを思いだし
納得しました。

入院中といえば
ストイックな生活を強いられますが
確かに
ある面ストイックな生活ですが
嗜好が変わったというより
本来の自分を思い出す時間
だったと思います。

以上入院後1年たったブログですが
現在は・・・
好みは変わっていないのですが
病気をして6年目となり
年が過ぎ、体重も少しずつ増加中。
当時よりを思い出し
もう少し食事に気をつけねばと
気持ちを入れ替えたところです。

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誕生日を迎えて

本日60回目の誕生日を迎えました。
誕生日を迎えたからと行って
急に成長するわけではないし
おめでとうといってもらうことがあっても
昨日までと
変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
正直な実感です。

そんな時
伊勢物語の主人公でもあられる
在原業平の和歌を知った。

「日やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」という歌です。

この歌の解釈を
作家高樹のぶ子さんが
こんな風に解釈されています。

「この月は
いつぞやの月とは違うのか。
いや、そんなはずはない。
今年の春は
去年の春と違うのか。
いや、そんなはずもない。
我が身として、昔のわたしと変わらない。
それなのに
なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
そうか、
わたしの心が変わったのだ」と
の書いています。

そしてあこがれの人を思い
「あのお方がいた頃のしあわせだった
わたしが見た月や感じた春は
あのかたを失った
今おわたしが見る月や感じる春とは
確かに違う。
それほど、わたしは
あの方を思い続けている」と

熱く、熱く
純粋に人を愛する気持ちを
詠った和歌だったんですね。

自然も時間も
いつも雄大な流れの中に
身を置いて僕たちは生きている。
変わっていくのは
自分の身、思いだけである。
だから
昨日の自分の気持ちと違う
自分として生まれ変わった気持ちで
自分の使命、生まれてきた目的に向かって
これからも明日も、明後日も
しっかり歩いて行こうと思います。

僕がどんな時にも
太陽も、風も、花も虫も
変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
応援してくれている。

ほんとうに
有り難いことです。
今、この時代、この時に
生きていられることに
本当に感謝です。

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