真実の医療」カテゴリーアーカイブ

コンタクト

お盆の最後に観た映画「コンタクト」
20年以上前のジュディ・フォスター主演の
SF映画だけど
衝撃的内容でした。

なぜ、このお盆の
最後を飾るように観ることになったのか
見終わった後も
なぜか不思議な感じでした。

こんな個人的な感想で
何を言っているのだろうと
思っているかもしれないので
内容のあらすじを少し紹介します。
(ここから**内はネタばらしの内容が
含まれます)

*天文学者エリーは
こどもの頃から、今は亡き父親の影響で
この広い宇宙には
地球人以外の生命体の存在を信じ
研究を続け
ついにベガ星付近から発せられた
電波信号を傍受し
人類はその信号を解読し
人類を宇宙空間に移動できる設計図であったことが
判明しました。
そして
エリーがその器械に乗って
宇宙へ、ベガ星へと瞬間移動したのです。
しかし
実験はエリーが乗ったポットは
一瞬で破壊され大失敗に終わりました。
でも
エリーは
その一瞬と思われたことを
18時間に渡って記録してたのです。
しかし
記録していたものは
電気的ノイズでしかありませんでした。
しかし
エリーは経験していたことは
美しい宇宙の存在
父の姿となって
エリーに
「これが人類が宇宙にでる第一歩であること」
「この広い宇宙で
決して地球人はひとりぽっちじゃない」
というメッセージを受けたのですが
それを人に伝える手段を何一つもたないのだから
エリーした経験を伝えるのは
エリーの想いしかありません  *

この映画はいってるのです。
今生きているのは
大きな存在の一部として
生きていること。
人には説明することはできないけど
確かに存在してるものはあるんだと。

僕も思います
実際、人の経験も知識も
自分以外の人に説明する
信じてもらうのはとても難しいけど
経験した人だけが
伝えることができる世界は
確かに存在してるのです。

目に見えない世界を
目に見える法則として証明するのが科学
こころで感じることを大事にするのが宗教
この二つとも
真理の世界を追求する目的では
同じではないでしょうか?

医学も
科学だけで証明することだけでなく
あなたがそしてぼくが感じる
こころの部分も大切にして
真理を追求する時代になってきたのだと思います。

サンタブログ20210825

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病気の本質とは

今苦痛の状態にはない
苦しんでる症状がない
苦しみを感じないからといって
健康だと言えるだろうか?

苦痛がなくても
健康でないことは多々あります。
なぜなら
苦痛を感じるのは感覚です。
もし感覚が麻痺していたとしたら
病の状態にあったとしても
苦痛を全く認識することはないのです。

このように
症状のあるなしで
病気であるかどうかを判断するのは
リスクがあると言うことです。

症状とは感覚が感じる
異常状態だと言うことになります。
つまり
からだの中に発生した
病気の源(病毒)に抵抗するために
存在を知らしめるサインです。

もしこのサインを感じる感覚が
麻痺していたとしたら
病気であっても、感じなく過ごすことで
どんどん病気状態が進行することになります。

健康な人は
病気のサインを受け取れる力が
ある人とも言えます。
逆に
健康でない人は
病気に対して正しく抵抗する感覚が
まず最初に麻痺していくのだと言うことを
知らなくてはいけません。

実は
病気だと思っている症状は
病気の本体そのものではなく
病気から発生した毒に対する
からだの反応であり
病気本体に抵抗するからだの反応だ
言えるでしょう。

例えば
熱が出るのも
体内に侵入した病毒に対して
免疫力を上げたり
抵抗しているからなのです。
この時に
解熱剤を使って
強引に熱を下げようとしたならば
病気に対する抵抗力が落ちるのは
自明なことではないでしょうか?

症状も含めて
からだに感じた感覚は
全て我々に何かを知らせようとする
サインなのです。

症状が起こったときに
一体からだに起こってることを
考えることが大切です。
医者のように医学的知識がないから
無理と言われるかもしれません。
からだの仕組みは知らなくても
あなたのからだは
あなたにしかわかりません。
どんな名医でも
あなた自身の全てを知ることは無理です。

あなたが
自分のからだと対話しようとすることで
必ず
からだ自身がその問いに答えてくれるはずです。

僕も医者として
あなたのからだの声を聞くお手伝いを
させていただくのが
僕の使命だとも思っています。

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ノアの箱舟

いつ止むかもわからない
雨が続き
謎の感染症が蔓延し
人々は
息を殺し、
ただただじっと
雨が止み
感染症が治まり
真夏の日差しいっぱいにあふれ
街には
人々の明るい笑い声、笑顔にあふれる日が
来ることを願って
耐える日々を過ごしていた。

でも、全く
雨は止まず
感染は広がり、更に猛威をふるい
人々の心の中では
どんどん不安がまし
その心を解消するためなのか
あちこちで
争いごとが起こり始めた。

そんな荒れた世界。

僕は
ひとりの老人と出会った。
その老人は
「早く、舟に乗りなさい。
地球は嘆いています。
この世を変えないといけない
ことを決意したのです。
今までの世の中は、まちがいだった
ことに気づき
世界を変えようとしています。
あなた方に
次の世界を作るために
選ばれたのです。

もう、元の世界には戻れません。
戻ってはいけないことを
戻ることを地球は望んでいないこと。
今までの過ちを気づいたものが
新しい世界を作っていかなければ
いけないのです。

さぁ、早く乗りなさい」

僕は
突然会った老人に
背中を押されて船に乗り込みました。
乗った途端
船の扉が閉まり、船は出発しました。

出発したと同時に
船内に取り付けてあった
モニターの画面が
外の世界を映し出しました。

東京、ニューヨーク、ロンドンと
思われるような都市が映し出されました。
そこには
以前のように
食事を楽しんだり、ショッピングしたり
楽しむ人々の姿でした。
どこかなつかしく、うらやましくもある
人々の生活。
しかし
その後、人々の様子が変わりました。
叫び声を上げながら
一目散に逃げ出したのです。
そこに現れたのは
荒れた川の姿でした。
世界の都市の姿は全てが
荒れた川の場面になりました。

船中は
嘆く声であふれかえりました。

僕も
涙があふれ出し
人目も気にせず
これまでないくらい慟哭していたのでした。

その時
僕はいつもの起きる時間で
いつものようにベットの上でした。

今観たのは夢だったのでしょう。
でも
その夢はあまりにもリアルで
今までの生活、世界に戻れない
戻ってはいけない
新しい価値観の世界に
変えないといけない
それが今生きている僕たちの使命ではないでしょうか?

このままでは
人類は
二度目のノアの箱舟を経験する
ことになるかもしれません。

元の生活に戻るだけではなく
新しい価値観の世界を
模索していきましょう。

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もともと”ひとりぼっち”

コロナ感染者が増え続ける中
人流を抑えるため
不要不急の外出を控え
人が集まることの自粛を求められ続け
行動規制することに
疲れを感じてる人々。

人間は
社会性の動物と言われるように
ひとりでは生きていけない動物。
だからなのか
「ひとりはさみしい」という科白が
耳につきます。

でも人はわがままな面もあります。
ひとりじゃないと満足かというと
感性の異なる人と過ごすと募るつらさ
誰かと一緒にいても
なぜかさびしさを感じることもあります。

人といるのに
感じるさみしさは
ひとりでいる時より
ずっとさみしいこともあります。

さみしさを感じる根本は
人といるからというものではない
と思うのです。

人はひとりで生まれてきて
ひとりで死んでいきます。
元々
人間はひとりぼっちなのが
当たり前なのです。
ひとりでは学べないことを学ぶために
この世に生きてきたからこそ
友人や仲間そして家族さえ
必要なのです。

もともとひとりぼっちで
生きてきたのに
さみしさを感じるのは
原因は人がいるいないに
左右されるわけではなく
別のことをこころが感じているのが
原因にほかならないのです。

さみしさを感じるのも
この世に生まれてきた
目的のひとつのような気がするのです。
すなわち
人間は生きている限り
孤独とも向き合わないといけないという
ことではないでしょうか?

一緒にいて楽しく食事をするのは
そんな時間をすごすのは
さみしさのなかから
独り立ちをするために
必要な過程では
ないでしょうか?

自分のこころを
紛らわすために人と過ごすのではなく
人と過ごすことで
自分とのちがいを感じ
自分の心の根本で求めてることを感じ
生きていくことを学ぶのでは
ないでしょうか?

今の時代は
みんなが
自分の心と向き合う時間を
地球が、コロナウイルスが
そしてもしかして神様から
いただいた機会かもしれません。

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病気になって知った魂の役割

日本は平成から令和になり
元号が代わっただけでなく
日本全体だけでなく世界全体
もしかしたら
地球の空気が代わった気がします。

令和の令は
零=ゼロとつながっており
いろいろなことが
変化する時代に来たということを
知らせてるのでしょうか?

そんな令和の時代になって
自分は病気になりました。
病気になったことで
自分と向き合うことができ
今の自分の気持ちだけでなく
これまでの自分の生き方
気持ちを整理する機会をもらいました。

これまでの頑張りの原動力になっていたのは
好き嫌いがベースにあった気がします。
好きなものは
今の自分に必要なもの。
嫌いなものは
今の自分に必要のないもの
と言う風に考えていたかもしれません。

でも
よく考えると
好きになる理由
好きであり続ける理由はいらないし
ましてや
嫌いな理由もいらないのです。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが
いい悪い、好き嫌いに
こだわることもないし
善悪とわける必要もないんですよね。

それは全て魂からのメッセージ
なんですね。
その行動の起点になるのは
好き嫌いという理由ではなく
魂、内なる自分が
乗り気であるか
こころを込められているかという
ことなんです

その魂からのメッセージを
頭の中で
これまでの経験で判断しようとすると
好きだから、嫌いだからという
理由付けをしてるんですね。

僕は
魂からのメッセージに従って
様々なものを
取捨選択しました。

これまで大切にしたものも捨て
これまで嫌いだったものが大切に思えたたり
一つ一つ
魂のメッセージに従って
行動しています。

捨てるときに
つらい気持ちをしたこともありましたが
今は
スッキリしています。

これまで
頑張ってきたことって
何だったんでしょう。
病気になって
魂のメッセージに従える機会を得
つまり今の自分は
病気によってリセットされたんですね。

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地球からのメッセージ

多くの感動を伝えてくれた
オリンピックが終わり
我々の目を覚ませといってるのか
コロナ感染者数は増え
大雨による危険にさらされ
アフガニスタンでは
戦闘状態がどんどん悪化しているようで
なんだか
夏なのに
地球全体が、こころの中も
どこか曇よりした状態ですよね。

オリンピックの感動は
薄らいできて
なんだか
地球から
オリンピックから
何を学んだんだと
叱られている感じがします。

オリンピックで学んだこと?を
これから活かしていかなければ
もっと地球は荒れてしまうような気がします。

オリンピアンの
語っていた言葉・・・・
喜びの声だけでなく
感謝の声が今も耳に残っています。

僕たちは
オリンピックにでたわけではないけど
オリンピアンから
大事な想いを共有できる
いや、共有するために
オリンピックは開催されたのだと思う。

一部の政治家などの
オリンピックを商売として
利権に群がるためではなく
オリンピアンの純粋な姿に比べて
なんとおぞましい姿だろう。

オリンピックが終わった後に
何を学んだかのように荒れている
地球全体が
感染、異常気象、争いなど
そして
人々の不満ばかりの声
不満が不満、不安なこころをよび
人々に暗い影を落とす。

その先にあるのは
ダークサイドに
落ちていくしかないのか?
このままでは
危ないことを
地球は教えてくれている。

この危機から救うのは
ひとりひとりの
今を生きていること
生きていることからできる
全ての事柄に感謝なんです。
感謝の心を持てば
自分以外の人々に愛を伝えること
愛することができる。

愛の力が
今の状態を変えてくれる。
愛こそが
ダークサイドから抜け出す方法
だと地球がメッセージを
送ってくれている気がします。

地球をそして人類をすくえるのは
ひとりひとりの愛の力。
その力は
今生きていること、今出会ってる人に
感謝して生きていくことだと
言うことなんだと思います。

今日も愛をもって
生きていきましょう。

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記憶屋 あなたを忘れない

”記憶屋”という映画を観た
この映画は
主人公遼一が、恋人杏子にプロポーズをし
しあわせの絶頂にいるはずだったが
翌日から杏子と連絡が取れなくなり
数日後出会ったときには
杏子の頭から
遼一の記憶だけが無くなっていたのです。

そんな時
人の記憶を消せる
“記憶屋”という都市伝説的な存在を知り
恋人の記憶を取り戻すために
その記憶屋を探しはじめる。
そして、記憶に隠された
大きな意味を知ることになる
・・・というストーリーで
これ以上はネタバレになるので
映画の内容はここまで。

映画を観ている内に
“記憶屋”の存在について
感じたのです。

“記憶屋”はいる。
みんな記憶を消されていることに
気づいたのです。

人は
産まれたときに
前世から産まれる直前までの
記憶を全て消されて
僕たちはこの世に
産まれてきていると思ったのです。

なぜ、全ての記憶を消して
僕たちは産まれてきたのでしょうか?

この世に生まれてきたのが
魂の成長のためであるとすれば
過去の記憶を持ったままだと
不条理な世の中や自分を
恨んでしまい、また憎むこともあり
過去の経験が
現在の気づき成長を阻むことに
なってしまわないだろうか?

もし記憶が残っていたら
自分と気があう人とだけ
付き合おうとしないだろうか?
苦しい経験をしていても
そのことにこだわらずに
ゼロスタートで考え、行動し
そして成長するために
記憶が消されているのでは
ないかと思います。

そして
全ての記憶は
一時的に消されてるだけ。
この世の経験が終わった後
記憶はまた再生される。

そしてその時に
前世、そして前前世に出会った人がいたから
また現世でも
様々な人と出会い、経験できたんだと
この世に感謝できるのではないかと
思える気がします。

記憶を消してくれて
生まれてこれたことに感謝して
精一杯生きていこうと思いました。

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漢方薬でしあわせ探し

診療において
漢方薬を処方する機会も
多くあり
漢方薬を希望されて
受診される患者さんもいます。

漢方薬は
同じ薬だといっても
西洋薬と異なる面が多々あり
漢方薬を
西洋薬と同じ感覚では
使えない薬であることを
知らないといけない面があります。

漢方薬を希望する患者さんは
漢方薬は
西洋薬と違って
自然の物質からできているので安心
じわっと効くので安心
でも、苦いのがあるけど
そこは我慢して飲まないと
いうイメージがあるようです。

確かに
西洋薬と漢方薬は
作用の面だけでなく
本質的に全く異なる薬だと
考えないといけません。

西洋薬は
基本的に
症状を抑えるために使う薬。
漢方薬は
病気の種類、症状には関係なく
病気になったことで
崩れている気・値・水の
からだのバランスを
整えるのを目的にしてます。

漢方薬は西洋薬のように
症状をとるだけが目的ではなく
からだ全体を健康な状態に整えることで
症状を、病気を治していくのです。

根本的に
全く向いてる方向が異なる薬
と言えるのです。

そして
漢方薬が効いてるかどうかは
からだ自身が判断します。
もし
漢方薬を飲んで美味しく感じたり
からだが調子よくなったなぁ
朝スッキリ目覚めたなぁなど
漢方薬を飲んでよかったことが
起こっているはずなんです。

逆に
からだに必要でない薬になると
苦い、まずく感じたり
ひどいときには
吐き出したりします。
その時飲んだ漢方薬は
からだには必要でなくなった薬なんです。
ですから
飲み続ける必要はないんです。

漢方薬が苦いと思われるのは
すでに合わないお薬を
頑張って飲んでいる証拠。
飲む必要はない薬なんですね。

このように
からだに合った漢方薬を飲み始めると
ささやかかもしれないけど
しあわせになったことを
教えてくれているんだと思います。
実は
ささやかでもいい
毎日しあわせなことを感じながら
生きていくことって大事なこと。
を漢方薬は教えてくれているのだと思います。

漢方薬は
しあわせなことを教えてくれる薬
なんです。

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時を超えたお盆

今年のお盆は
みなさんはどのようにお過ごしでしたか?

大雨が心配なお盆
コロナの感染報告がうなぎ昇りの日々で
高校野球も3日連続の順延で
政治家の方々が
自粛生活を叫ばれるとおりの
お盆になった気がします。

いつもと違うお盆をおすごしだったことでしょう。
僕はのんびりと
家族と過ごした夏休みでした。

本を読んだり
DVDをみたり
雨や風の音を耳にしながら
お風呂に入ったり
まさに
時の流れに身を任せながら
時間の流れに身をゆだね
過ごしていました。

時の流れを感じたのは
今という時間だけではなく
過去に戻ることも・・・

半藤一利氏の最後の著書
「戦争というもの」を読んで
その時僕は
戦争が始まる当時に
いました。
戦争に突入し
連戦連勝のニュースに沸き返る人々
でも実際は
先行き不安だらけの日本の状態で
あると言うことに気づかず
報道を信じて。勝つと信じ
生きていたのです。

そして
8月15日の
田辺聖子さんの日記に触れ
「何事ぞ!」と
突然の敗戦の事実を知り
驚愕したと書かれており
まさに本を通して
戦争体験。

偶然にも半世紀前の
日本の状況を
偶々手にした著作から
知ることなり
当時、人々が自粛を強いられながらも
いつになったら
元の自由な生活に戻れることを
望んでいたのだと
どこか現代にも通じる
感覚をを覚えました。

まさに
戦時中も今も
人々の気持ちは
元の自由な気持ちになりたいという
気持ちを持ってるのは同じだ
と言うことを感じました。

そして
その日みた映画
「ナミア雑貨店の奇蹟」
いまだした手紙が32年前から
返事が来るという
時空を越えて交流するという
映画でした。

時計の上では
現在であっても
過去から送られてきたメッセージを
受けた気がした
ちょっと不思議なお盆を過ごしました。

これも
お盆だから受け取ることができた
これからもしっかり生きよという
ご先祖様からのメッセージだったのでしょうか

今日からクリニック平常通り
診療いたします。
よろしくお願いします。

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見えない自分の背中

  自分のからだなんだから
  自分のからだのことが
  一番わかっているのは自分。
  わかってあげられるのも
  自分しかないと思ってしまう。

  でも、実際のところ
  一番わからないのが
  自分という存在では
  ないだろうか?

  自分のからだなのに
  自分の背中を
  自分の目で見ることはできない。
  人に見せている
  自分の顔だって
  鏡を見ないと自分の顔すら見ることができない。
  うれしい顔も
  悲しい顔も
  怒った顔も
  普通にどんな顔もわからない。
  鏡を使ってみても
  左右逆の顔しか
  知ることができない。

  だから
  自分については
  自分以外の人に尋ねるしかない。

  特に
  からだが悪い時には
  医者などの自分以外の人に
  頼らざる負えない
  僕自身も
  他の人のからだを客観視できるけど
  自分のからだは
  混乱してしまうことも多い。
  だから
  相談した相手が
  僕の何を見ているのかが
  とても大事に思える。

  僕のからだを
  どんな思いでみてるか?
  からだだけでなく
  こころも魂も診てくれると
  とてもありがたいと思う。

  だから僕も
  患者さんを診るときには
  患者さんが見ている部分だけでなく
  患者さんが見えない部分も
  診て、伝えて
  本当の健康を手にしていただきたいと
  思うのです。

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