真実の医療」カテゴリーアーカイブ

痛みの苦しみがわかる方法

医者であっても、看護師であっても
医療者であるなら
患者さんの孤独と苦しみを理解することが
大事だと思うのです。

僕も、こどもだけでなく
おとなの人に注射をする時にも
「痛いでしょうけど
ちょっと我慢しましょう。(して下さい)」
と声をかけるようにしています。

その様に声をかけるだけで
患者さんの気持ちも和らいでくれると
思っています。

研修医時代
先輩医師が痛い処置をする時に
何もできない新米医師の自分は
患者さんの傍に立って
手を握って、声をかけてあげるしか
できなかった。
だけど、その時
痛みに耐えるように
僕の手をぎゅっと強く握ってくると
僕も力を強くして握りかえしました。
その時の
こどもたちの強い表情は
今でもしっかり、覚えています。

病気の時は
とてもつらいものだし
とても孤独を感じるものです。

その時に
そばにいて
その痛みを孤独を受け止める
ことが医療者もできれば
患者さんも頑張ってくれるはずです。

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みんなの中にいる神様

入院していたとき
感じた、わかったことのひとつに
自分のからだの中には
自分をいつも守ってくれている力があること。

それまで
どんな生活をしていても
例え、道徳にひどいことを
していたとしても
いつもどんな時も
自分を守り抜いてくれる力が
あることをかんじました。

それは
入院中は、
からだに備わっている自然治癒力だと
思って今も自分の中にある
自然治癒力はあると確信するに至っていますが
退院後一年経ち
その思いは変わっていませんが
自然治癒力だけでなく
きっと自分の人生全てを見守ってくれている力が
あることを今は疑っていません。

その力は
神様の力だと言っても言い過ぎではないと
思います。

自分のからだの中には
いつもどんな時でも、どこにいても
自分を見守ってくれている力があると
確信しています。
その力って・・・・
表す言葉はすぐには浮かばないけど
ひょっとして
この力が神様のご加護というのかとも
思うのです。

神様が
いつも守ってくれているのだから
自分を信じて、生きていくことは
神様にお任せして毎日過ごせいいんだ。
神様のご加護の元
生きていけばいいと思えば
どんなに毎日生きていくのが楽になることでしょう。

それから僕は
神様の力、ご加護を感じたときには
手を合わせて感謝するようにしました。
その時、お祈りについて気づいたことがリます。
それまで
神社にお参りにいくのは
初詣、誕生日、厄年、受験など
神様の御利益を期待して、願い
お参りに言ってたんですよね。

でも
御利益をお祈りするのではなく
今こうして生きられることに感謝の気持ちを
神様に伝えないといけない
これが神様の喜ばれるお参りだと
気づいたんですね。

自分の中にいらっしゃる神様に
感謝することは忘れてはいけないことに
気づいたと同時に
神様は
自分以外の人の中にもいらっしゃってるんですよね。
もちろん、木にも石にも、動物にも花にも、物にも
全ての中に神様がいらっしゃるんですよね。

日本では
八百万の神と呼んで
全ての物に感謝の気持ちを伝えいるんですよね。

全ての物、人の中にいらっしゃる
全ての神様に感謝して
神様にお任せして
毎日一生懸命大切に生きていけば
必ず神様からのご加護があるんでしょうね。

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老いるといいことはない?

診療に訪れるお年寄りは
最初は全員というくらい
ため息交じりに、暗い表情されて
診察室に入ってこられます。

病気だから
病気の時に明るく過ごせと言っても
なかなかそんな気分になれないのは
わかります。

普通に生活していても
腰が痛かったり
目が悪くなっていたり
物忘れが多くなったと
多くのお年寄りが
嘆かれる理由はわかります。
そして
「老いていいことなんかない」と
老いたことを悲しそうな表情で
僕に訴えてくるのです。
そんな悲しい顔をされると
僕まで悲しい気分になってしまうのですが・・・

本当に年をとることは
そんなに悲しいことなのでしょうか?

確かに
若い頃に比べると
あれもできない、これもできないと
できないことを数えてしまうと
気分的に落ち込んでしまいます。

でも、物は考えようです。
例えできることの数が減ろうと
できる範囲で楽しめることは
いくらでもあるはずです。

できないことに目を向けるのではなく
できることに目を向けて毎日過ごせば
老いて体が衰えようとも
生きる喜びを持ち続けることができるはずです。

まだまだ、自分の中にある
元気なエネルギーがあることを診療しながら
お伝えすると
まだまだやれるという気持ちに切り替えられたのか
診療が終わる頃には
明るい笑顔を浮かべられる方もいます。

最初は
そのことに気がつかなくても
来院されるたびに
だんだん表情が明るくなり
以前感じた老いることを悔いてた
重い空気が
前向きな空気に変わって
診療室全体が明るい雰囲気に包まれるから
不思議です。

ナチュラルメディカルセンターでは
年老いても、明るく元気に過ごせる
診療を目指しています。

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余命1年の宣告をうけたら

最近年をとると
死について考えることが増えてきます。
そして
死の瞬間のシュミレーションを
することが増えてきました。

誰もが
穏やかな死の瞬間を迎えたいことでしょう。
後悔なくその瞬間を迎えるために
もし余命1年の宣告をうけたら
あなたは何をしますか?

残された時間が限られていたら
もう一度会いたい人に会いに行く
最後にあそこに行ってみる
やりたかったことをしてみる・・・・
など
やっておきたいことは頭に浮かぶことでしょう。

もし僕なら
もう一度行きたいところ
行ってみたいところもあります。
もう一度会いたい人もいます。
コンサート行ったり
名所巡りしたり
ゆっくりできることで
何も考えずに、おいしいものをゆっくり食べて
本をゆっくり読みたいなど
やりたいことが頭をよぎります。

でも、きっとその時になると
体が動く限り
働こうと思うだろうし
時間があっても、
死の間際には体力的も限界で
とても出かけることは
無理な状態になっているかもしれません。

死の間際になって
家族ともっと過ごせればよかった
旧友に会っとけば良かったと思う人が
多いと聞きます。
そう思うのは
それまでの人生で
家族と一緒に過ごすよりも仕事や趣味を
優先したのは
その時はそれが大事だと思ったからでしょう。
旧友に会うよりも
もっと集中するべきことが
あったからでしょう。
そのことを大事だと思って優先してたのに
死の間際になって
こうすればよかったと後悔するのは
考え方によっては
一寸欲張りな気もしませんか?

人間は最後になると
もっとできたのではないかと
後悔したり、様々な思いに駆られるのは
人間の業なのかもしれません。

ですから死の間際に少しでも
悔いることのないよう
今やっていることに
全力で悔いなく全力で取り組むことが
大事なのだと思います。

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エネルギーの方向

メタトロンを行うことで
その人の持っている
現在のエネルギーの使い方
エネルギーの状態を
知ることができます。
現在の自分自身のエネルギーの状態を
知ることで
体の使い方、生活そして究極的には
生き方さえも見直すことで
真の健康状態を得るものです。

メタトロンはエネルギー状態を
診ているのですが
様々な型のエネルギー状態を診ていると
エネルギーの方向には
2種類あることがわかってきました。

ひとつは
天、宇宙からのエネルギー。
このエネルギーは松果体で受け取り
背骨を通してからだ全体にくまなく
供給しているエネルギー。
ひと言で言うならば垂直のエネルギーです。

このエネルギーを受け取ることで
人間は生命力となり
生きていく根源力となっているのです。
このエネルギーを
受け取り、自分の中で熟成させて
生きているのです。

このエネルギーを感じるのは
祈りまたは願いとして
我々は感じているのです。

もうひとつのエネルギーは
横に広がっていくエネルギー。
つまり水平のエネルギーです。

このエネルギーがあると
しあわせだと感じる。
そしてこのエネルギーは
人から人に移っていくのが特徴です。

だから
しあわせはどんどん広がっていくのです。
でも、
しあわせのエネルギーだけでなく
逆の負のエネルギーがあります。
このエネルギーは広がると
戦争や誹謗中傷など乱れた世の中になってしまいます。

まずは
自分の垂直のエネルギーを整えることが大事
そのエネルギーを整えるのが
メタトロンの役割です。

自分の垂直エネルギーを整えた時
あなたらしく生きていけるようになります。
そのエネルギーを水平エネルギーとして
伝えることができれば
世の中も良くなるのです。

それがメタトロンの究極の目的だと
最近思うのです。

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ささやかなしあわせが健康の元

どんな時に健康だと感じますか?

頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?

症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません

ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。

病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです

からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。

今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?

よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?

そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。

逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。

朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?

ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます

 

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好きなことの嫌い

さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。

実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面があります。

注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともあります。

でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶんです。

”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”

僕は我に返るのです。

今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、

目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をします。

終わった後は、不思議と一瞬で空気が変わります。

こども達の気持ちが僕の心に伝わってきます。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。

注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはありません。

注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれます。
注射を打つ時は
僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まります。

これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるのでは4ないでしょうか。

その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わると思うのです。

嫌な事でもだから、
いいことはもちろん伝わる。

だから、
いつも目の前の人のしあわせを念じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。

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かつてテレビドラマのセリフで
「人という字は
人と人が支え合っている姿を
表している」
がありました。

確かに
棒に見立てた二人の人間が
支え合っているようにもみえるけど
ちょとうがったみかたをすると
「支え合っているように見せかけて
長い棒が短い棒の方に寄りかかっている。
長い棒の方が楽をして
短い棒は苦労している」
と見えると。

確かにそう言われれば
そう見えてきます。

どんな見方をしてもいいのですが
この人の字はをみて思うことは
確かに
人と人は支え合って生きている存在なんだ。

これは
僕にとっても言えること。
医者として診療していて
患者さんの病気を治して
患者さんを支えて働いているけれど
患者さんを診ることで
僕は生きることができる。

自分の
誰かの役に立ちたいという気持ちを
患者さんから頂いている。
だから
次の患者さんに対して
また向き合う力を持つことができているのだということ。
つまり
僕も患者さんに支えられて
生きているのだと言うことに気づいた。

そう言えば
ブラックジャックも次の様に叫んでいた。

「それでも私は人を治すんだ。
自分が生きるために!」

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健康が目的ではない

 

新年の決意で
“健康”を第一に掲げた方も多いことでしょう。

でも
あなたは今年健康であればいいですか?
健康であれば、ほかに何も望みませんか?

実は
盲目的に健康を目指す方は
意外に不健康であることの裏返しだと言われています。

健康を目標に掲げた時
健康が目標になっていませんか?
健康が人生の目的になっていませんか?

健康でいたいのは….
“やりたいことをやるため”のはず。
ただ、健康でいるだけが目標でないはず。
たとえ今病気であっても
元気になれば、やりたいことがあるはずです。
どんな人も
健康であるその先に
健康のからだになったら、どうしたいかが
きっとあると思います。

実際
人生に目標があり
日々目標に向かって“芯”“軸”のある
生き方をしている人は
からだも強い人が多いのです。

健康であるということは
人生の目的でなく手段にすぎないはずです。

東洋医学に
“心身一如”という考え方があります。

心とからだは繋がっています。
心が元気なら、からだも元気なのです。
心が健やかなら、からだも健やかになります。

やりたいこと
やらないといけないことがある
そのために生きていることを感じて
日々過ごしている人は
心身とも健康を望み
人生を全うするのではないでしょうか。

使命を感じて生ききる
それが
より良い事実した人生を送ること
になると思います。

みなさんが
健康でご自身の生きていく目的が
成就できること願い
応援していきたいと思ってます。

☆ 今年の倫理法人会の書き初めで
“黎明”と書かせていただきました。
黎明とは、夜明けの意味。
今年一年、何かが変わる、変わらないといけない
そんな予感がして、書きました。

今年一年がどんな一年になるかわかりませんが
きっと明るい未来が待っていると信じて
目標、目的を持って突き進んで行きます。

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薬は飲んで欲しい

患者さんを診察し
病気を治そうと、患者さんに今必要だと思う
薬をだします。

今選択した薬が
患者さんの病気にどのように対応してくれるかは
残念ながら経過をみないとわからないのです。

だから
処方をだす時には
薬が効かない場合も想定しながら
日数も考えて処方しています。

そして
急性期を過ぎて
もう一押ししっかり治したいと思い
少し長めにお薬をお渡しします。

でも、患者さんの思いは
ちょっと違って
薬を途中で内服するのをやめてしまったり
飲んでいただけなくて
びっくりすることがあります。

でも、医者である僕もそうですが
患者さんも早く治りたいから
病院にも来るし、薬も希望されるのだけど
治り始めると
患者さんと医者である僕との思いが
かけ離れてしまうと感じてしまいます。

患者さんは
一番苦しい時期を乗り越えると
「もうよくなっているし
もう薬はいらない。飲みたくない」と思うのは
ごもっともだと思います。
その気持ちの裏には
「薬を飲んでいる間は病気なので
早く薬をやめることで
病気が治った」と思えるのかもしれません。

でも
治ったと思う所から安心せずに
もう一歩しっかり治してもらいたいのが
処方する側の願いです。

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