真実の医療」カテゴリーアーカイブ

病は気づきの時

病気になると
  今までと全く違う状況に
  厭がおうでも
  これまでと違う状況に
  置かれることになります。

  すると
  自然に色んなことに気づかれされます。
  
  自分のからだに対して
  どんな風に過ごしてたのか
  反省すべき点もたくさん出てきます。
  でも、自分のからだびことばかりではなく
  自分が生きていた環境についても
  様々考えさせられることがあります。

  僕も、病気したときに
  なんと多くのしがらみの中で
  生きてきたのかと気づきました。
  
  人間は社会的動物といわれるように
  ひとりでは生きていけません。
  人と人の間で生きている動物であり
  その時間が長くなると
  色々と人間関係で悩むことも多くなります。

  仕事での同僚、先輩、後輩
  取引先との関係
  仕事上だけでなく
  家庭上でも親や夫婦、こどもの関係でさえ
  悩み、苦しみことが生まれることもあることでしょう。

  そんな時
  ちょっと立ち止まって考える時間を
  病気が与えてくれてたと思います。
  しがらみの中で苦しんでいるなら
  ちょっと立ち止まって
  考えたらいい。
  そんな時間を病気の時
  いただいたのだと思います。

  無理をして生きてませんか?
  嫌なことを我慢してないですか?
  無理して笑顔でいようとしてないですか?
  ・・・・
  などなど
  そんな時、病気は
  ちょっと立ち止まって
  考える時間をくれたんだと思います。

  どうしていいかわからなければ
  ちょっと物理的、時間的に距離を
  明けてみればいい。
  無理して、がんばっても
  あなたの魂は喜びません。

  我慢して嫌な時間を過ごすなら
  好きな人と好きなことをして
  心豊かな時間を
  心満足するまで過ごしたらいい。

  そんな時間を過ごすことが
  自分自身を大事にして
  自分自身を愛する生き方
  魂が喜ぶ生き方
  そして
  誰もがしあわせになる生き方だよと
  病気の時
  気づいたのです。

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何のために生まれてきたのか?

こどもは
 素朴に疑問に思ったことを
 ストレートにおとなに聞いてきます。
 その質問を投げかけられたおとなは
 ハッとさせられたり
 考えさせられることってよくあります。

 先日も
 こんな質問を投げかけっれました。
 「人間は、最後はみんな死んでしまうのに
  どうして生きなければならないの?」

 死ぬとわかっているのに
 なぜ生きないと生きようとするのか?
 生きる意味、本質をついた質問を
 就学前のこどもに
 投げかけられて
 あたりまえのことに
 どう答えたらいいのか
 考えさせられました。

 家に帰って
 家族にもこの質問を投げかけました。
 鋭い質問という感想と共に
 家族でも考えてみました。

 いつも魂について話してるので
 家族でもよく話すテーマですが
 死が終わりでないと思うかどうかで
 疑問が解けるのではないかという意見が出ました。

 みなさんは、最後は死んでしまうのに
 どうして生きていると思いますか?

  仕事をするため? 
  苦労をするため?
  楽しいことをするため?
  愉快な人生を送るため?

 そんな時
 大思想家でもあられる稲盛和夫さんの
 講演での話を聞く機会があり
 その中で
 生きていく意味についてお話をされていたので
 ご紹介します。

 稲盛さんは 
 我々の人生は、自分自身の魂を
 浄化、純化、深化するためにある。

 人生は 
 たった1回しかない
 やり直しのきかない人生だとも言われるけど
 仏教を学ばれた稲盛さんは
 仏教では、我々の本質である魂は
 輪廻転生をくり返しているので
 今回がたった1回の現世での人生は終わらないと
 考えています。

 肉体が滅ぶことを死と考えるなら
 確かに
 現在の肉体は必ずなくなるので
 この肉体で生きる人生は
 1回きりかも知れません。

 でも
 人間の肉体が滅んでも
 稲盛さんが言われるように
 魂は生き続け
 何度も生まれ変わる輪廻転生があるとすれば
 魂の浄化、成長のためにこの世にまた生まれてくるという
 大前提があるなら
 この世に生まれてきた意味があると思います。

 誰も確認することができない
 魂があるという大前提で
 生きていくことが
 今生きていることに
 大きな、大きな意味を持つことは間違いないと思います。

 人は目に見えないこと、科学で証明できないことは
 スピリチュアルなことをいって
 相手にもしない方も多くいらっしゃいます。
 こんなこというのは
 不思議な医者だとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 でも
 大事なこと、本質的なことって
 目に見えないところにあるものだと
 僕は思っています。

 だから
 お話しないことには
 伝えることはできないんです。
 僕が感じる魂の世界
 魂が在るということを
 これからお話ができればと思います。

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東日本大震災10年経って今思うこと~FUKUSIMA50を観て~

東日本大震災が起こって10年
  東日本大震災と言えば地震、津波のことは
  絶対忘れてはいけないけど
  もうひとつ絶対忘れていけないことは
  福島の原発事故。

  当時原発事故の状況が
  刻一刻、タイムリーに
  原発建屋などの事故の状況が伝えられ
  結局
  建屋の屋根が水蒸気爆発で吹き飛んだ状況は
  今でも記憶にしっかりとどめている。

  その時、現場の方々は
  原子炉がメルトダウンを起こすのを
  指をくわえて見いたわけじゃなくて
  吉田所長をはじめ
  現場で働く人々の
  尋常でない努力のおかげもあったと思っていた。
  その時の状況を知りたくて
  当時現場の状況を映画化した
  FUKUSIMA50を今回はじめて観た。

  映画では予想通り
  緊急電力も途絶えるなど
  想定外のことが起こる中で
  最悪の放射能漏れ
  原子炉の爆発を抑えるために
  まさにからだをはって
  命がけで戦った職員の姿が描かれていた。

  現場は死線の状態
  いついのちがとられるかもわからない戦場。
  そんな状況を知ってか知らずか
  官邸や会社本部からは
  日本を守らないといけないという使命もあるから
  現場に対して
  オンラインできびしい注文が次々にとんでくる。

  恐怖との戦いで
  現場は究極の重責で
  きっと逃げ出したかったかもしれないが
  日本を守るという責任から

  逃げ出さずに守ってくれたおかげで
  あわや
  東日本に人が住めなくなるかもしれない
  状況から救ってもらえ
  現在があることを
  決して忘れてはいけないことを
  この映画は伝えてくれた。

  映画を観ていて
  10年前の福島の原子力発電の状況、対応は
  今の新型コロナウイルス感染との
  共通点が多いと言うことに気がついた。

  放射線事故は
  コロナと同じように目に見えない相手の戦い。
  目に見えない放射線を相手に
  放射能汚染が広がらないように
  電力の途絶えた建屋で
  バルブの操作をしたり
  目に見えない相手に対して
  文字通り手探りで戦っていた。

  
  もしあのとき
  2号機の建屋が爆破してたら
  日本の人口の半分は放射能の汚染に今も苦しみ
  東日本には住めない状況になっていた
  かもしれな状況だった。
  日本が残るかどうかのギリギリの状況だったようです。

  でも
  そうなる状況を
  神様は望んでなかたのかもしれないです
  なぜか
  2号機建屋の屋根の一部分が壊れたおかげで
  圧力を下がる抜け道となり
  大爆破、大惨事を逃れて
  我々は今、こうして日本で暮らしていけてるのです。
  
  なぜ
  屋根の一部だけが
  自然に壊れただけで難を逃れた理由は
  今もってもわからないと
  映画の中で語られていました。

  あわや危機一髪の大逆転のことが
  奇跡が起こっていたのです。

  僕は、神様がくれた再生へのチャンス
  なんだと思うのです。
  それは、我々人類特に日本人に
  かわらないといけないことに気づくチャンスを
  いただいたのではないだろうか?
  この10年で 大切なことに気づき変わっただろうか?
  
  思えば
  当時原子力発電は
  安全で、クリーンな発電だという触れ込みだった。
  自然を壊し、人間自身の生活を豊かにするために
  原子力発電を推進してきた
 
  その姿は
  人間の科学の勝利に酔っているかのように
  奢ってなかっただろうか?
  人間の知恵なんて
  自然の前では無力なんだぞ
  自然が地震、津波という事象で
  教えてくれたんではないでしょうか?

  真実を見極めろ、気ずけ、めを覚ませと
  言われているような気がするのです。

  この10年
  復興をすすめているけれど
  元の生活に戻すことが
  復興ではないことを伝えたいんじゃないでしょうか?

  何も変わってないから
  地球はウイルスを撲滅することじゃないよ
  人間の考え方、生き方が間違ってることに
  気づいてもらうために
  津波という手段の次に
  ウイルスを送り込んだ気がするのです。

  復興オリンピックっていってるけど
  言葉だけで 
  どう変わったオリンピックになるの?
  賛成できないよ、もっと考えなさいと
  神様が言ってるような気がします。
  
  今こそ変わらないといけない
  そんな変われる変化をまたもらったのだ
  もし、変わらなければ・・・・
  
  東日本大震災の教訓を生かして
  規制の価値観からの脱却が必要では
  ないでしょうか?

  本当に大切な物は
  目に見えない、目に見えないところに
  あると思うのです

  変わりましょう。

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南海トラフが来るかはあなたしだい②~みんなで愛の波動を送ろう~

  東日本大震災を経験し
  もうあのような災害に
  出会いたくないと
  誰もが思っているでしょう。
  しかし
  科学は
  今後も同規模、いやそれ以上の地震
  いわゆる”南海トラフ”は必ずやってくる
  だから備えましょう
  と伝えています。

  南海トラフが来るかどうかも
  まして
  いつ来るなんて誰もわからない。

  それは神様だってわからないのかも?
  僕は
  自然災害も含めて
  この世に起こることは
  今地球で生きている人々の
  思い、想念によって決まるのではないかと思います。

  みんなが
  己を大事にするように
  周りの人々を、自然を、地球を宇宙を
  愛をもって、愛の意識をもって過ごし
  愛の波動をもてるかどうかにかかっている
  ような気がします。
  
  地球を守るかどうかは
  ひとりひとりの思いにかかっています
  どれだけ地球を愛する波動をもてるかどうかに。
  今のような、自分が第一、物欲中心の
  世界のままでは
  いつか南海トラフは起こってしまう気がするのです。

  コロナウイルスの誕生は
  人々の思いが試されている気がします。

  自分を愛するように
  周りの人、自然、地球を愛し
  愛の波動を送って生きていきましょう

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南海トラフが来るかどうかはあなたしだい~東日本大震災から10年~

  東日本大震災が起きて丸10年になる。
  東日本大震災が起こったのは10年前の3月
  サンタキッズ&ファミリークリニックが開院したのは
  同じ年の2月。
 
  直接震災の被害をうけたわけではないけど
  クリニックと同じ年月を重ねているので
  とても人ごとではない。

  あの日のことは
  今でもはっきり覚えています
  業者さんにすごい津波が来てますよと言うので
  急いでテレビをつけて
  その今まで見たことのないような
  光景に心が震えたのを
  今でも新鮮に頭に残っている。

  その後も
  その光景は頭から離れず
  1年後経って
  どうしても僕でも何かできることあるだろうと
  ひとりで
  知人を頼って東北に行った。

  自分ひとりで短時間だったので
  実際力になれるような働きはできなかった。
  でも、1年経っても
  町中にそのままの津波の傷跡。
  それにもまして
  地元の人の
  全く癒えていない心の傷跡に
  何とかしないと  
  人の心の復興に大切なのは
  愛なんだ、愛しかないと
  感じたのを
  ご挨拶した住人の玄関先で
  強く感じた経験が
  今でも僕の心の源になっている。

  そして、10年経ち
  復興のニュースは耳にすることもあるけど
  人の気持ちはどうなっているだろうか?
  気になるところです。

  まだまだ 
  僕にできること、しないといけないことがあると
  日々考えているしだいです。

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基本的人権について

  3/2のブログで
  平等社会について私見を書きましたが
  今回は
  魂の点から「基本的人権」について
  少し書いてみます。

  基本的人権って
  いろんな意味、捉え方、考え方が
  あると思います。
  僕が理解している
  基本的人権とは
  ひと言で言えば
  人が人として生きていく権利だと
  理解しています。

  ただ、今の社会って
  基本的人権を保護してもらうのが
  当然、当たり前のことだと
  国や市、そして国に対しても
  少々甘えてしまっている面がないでしょうか?
  基本的な権利は
  国が保障するべきと思い
  自分自身の力で生きていく
  必死さを忘れてはないでしょうか?
  
  コロナの時代、色んな制限を強いられています。
  その中で、聞こえてくる声は
  保障を求めてる声。
  それに国も答えようと
  休業補償、持続化給付金など
  これまでにない保障があるけれど
  それに対する有り難さ、感謝する声が
  少ないような気がします。

  国は
  国民の基本的人権を守らないといけないので
  当然の政策、当たり前でしょうか?
  感謝しないといけないと思います。

  どんな動物も
  過酷な環境に追い込まれても
  文句一つ言わず
  必死で行こうとします。
  その必死で生きているエネルギーを
  この宇宙は感じています。

  この宇宙は
  自分で生み出そうとしないと
  何も生まれません。
  与えられるだけで成り立ってる世界ではないのが
  この宇宙の法則なのです。

  このように生きていこうと  
  思って動いたそのあなたのエネルギーが
  必ず宇宙は、味方してくれます。
  そこにいいも、悪いも在りません。
  誰からの生き方の押しつけでなく
  自ずから願う生き方に関して
  宇宙は必ずあなたに力をかしてくれます。

  これが
  あなたが生きたいように生きれる権利
  これが
  真実の基本的人権と言えるのでしょう。

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正義という名のいじめ

  政治のゴタゴタ、不祥事の経過が
  報道される度に
  とても、嫌な悲しい気持ちになる。

  今回は某女性政務報道官の接待問題。
  問題に対して
  説明を求め
  説明しても、納得がいかないと
  追求を続け
  (説明だけではなく根本は何を求めるているのか?)
  体調を崩し、入院された。

  辞任、入院の報道されると
  (税金の無駄使いをしたのに  
   入院するとはなにごとだ)
  と病人を労る気持ちなど全くなく
  追求する手を緩めない人たち。

  そして、追求した政治家自身も
  入院まで、おいつめ
  有能な才能を葬ったのは
  追求した己の責任は全くないと言いたげな
  コメント。
  
  一連の報道をみると
  人の権力に対する闇の果ての姿を
  見ている気がして
  ぞっとしてしまう。

  自分の行動を振り返ることなく
  人の行動を評価することって
  とても次元の低い観点じゃないだろうか?

  弱肉強食の動物の世界では
  絶対にこのような攻め方をしない。

  嫉妬し他人を攻撃することって
  人間だけが犯してしまう愚かな行為。
  
  今のこの世の中の醜さを変えることは
  現代の政治家、お役人、
  そして教育者、科学者
  また、僕たち医者も含め
  今のままの考え方では無理だと思う。

  現在の既存概念の中で生きていては
  世の中を変えることはできないと
  強く思うしだいです。
  ひとりひとりが
  真実の自分、本来の自分に気づき
  それに向かって歩き始めないと
  この世の中は変わりません。

  みんなも自分からできる
  真実の姿を追求していただきたい。
  僕も
  僕ができる医学の道、医道を通して
  僕の見つけた真実の道を
  お伝えしていこうと思っています。

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振り返れば20世紀は・・・地球からのメッセージ

  コロナウイルスの世界的流行の
  直接的な影響とはいえないかもしれないが
  大きく時代は変わりつつある。
  それは人の考え方も、
  大きく変わってきている気がする。

  変わっていることを感じる前に
  これまでの時代、特に20世紀を振り返らないと思う。

  20世紀は
  科学のめざましい進歩によって
  自然をも支配できるように
  自然を破壊し
  人間の思うままに
  世界を作ろうとした。

  自然を支配すれば
  ますます生活が豊かに成り
  そして
  お金を産むということになると知り
  お金を手に入れれば
  豊かな快適な生活になるという
  ことを知り、それを追求しました。

  全てがお金があれば
  解決できると
  錯覚をしたのかもしれません。
  そんな錯覚に浸ってしまったのが
  20世紀という時代。

  それが、正しい
  人間らしい生き方だと
  我々は当然だと思ってしまっていたのかもしれません。
  それは、違うんだよ、誤った生き方だよ
  それに気づいて欲しい、動いて欲しいと
  地球が訴えるように僕は思うのです。

  コロナウイルスも
  先日の山火事も
  大地震も・・・・
  全て地球からのメッセージのような
  気がするのです。

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コロナ発生と確定申告

  今日で
  山口県ではじめてコロナ感染が報告されて
  丁度1年が経つ。

  1年前は
  入院中で、リハビリの毎日
  その日から面会も、外出が禁止。
  入院したら、完全隔離の状態が始まった。

  当時を振りかえると
  こんな風に記録していた。

  朝起きてニュースをみると、
  下関でコロナがでてしまった。
  感染予防のため病院で家族の面会も禁止になった。
  とてもきびしい判断だけど、どうしようもない。
  しっかりリハビリするしかない。
  さみしい、つらい3月になりそう。

  とさびしさの気持ちを綴っている。
  でも、後に
  病院の処置、判断によって
  守られていつものように
  感染に気にすることなく
  いつものようにリハビリができることに
  感謝だとも書き綴っている。

  そして
  この時期は確定申告の時期
  今年も令和2年度の集計ができて
  1年を振り返ると
  確かに、経済的経営的には
  とてもきびしい一年だったけど
  いろんな方々に助けられ、力を借りて
  この1年乗り切れたことがわかる。

  ほんとうに有り難い
  色んな方の愛を感じて生きることを
  感じた僕にとって気づきの1年だった。

  今のこの思いを
  今こうして社会で生きさせていただくことが
  できているのを
  この一年の気づきを、恩を
  みなさんにお返しするのが
  僕のこれからの使命だと
  今年の確定申告書をみて決意するのです。

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お金のエネルギーは循環している

エネルギーは循環しています。

  人々にも
  宇宙からエネルギーをチャクラで受け取って
  脊髄、経絡に沿って
  血液がからだ全身に運ばれるように
  からだのすみずみまで
  宇宙のエネルギーで満たされます。

  血液も全身を巡っていますが
  血液と異なるのは
  血液は心臓にまた戻って
  酸素などを受け取って
  また全身に運ばれますが
  宇宙からのエネルギーは
  全身に運ばれた後
  地球(大地に)に流れて
  人のからだは再び
  エネルギーを受け取る準備をしているのです。

  からだに不調の部分
  つまり
  チャクラ、経絡などに不具合があり
  エネルギーの流れが滞ると
  エネルギーによるパワーを失う
  すなわち病気になると
  考えられます。
  
  エネルギーをきちんと循環させるということは
  生きていくことって
  健康に、しあわせに生ききるためには
  とても大事なことだと思います。

  このエネルギーの流れは
  人のからだにだけいえることではなく
  先日のブログで書いたように(2/26参照)
  お金もエネルギーを持っているので
  お金のエネルギーも循環させないと
  いけないのです。

  お金はうれしいエネルギーを与えれば
  つまり
  お金を私利私欲のために
  貯めておく(とどこめておく)と
  お金は喜びませんし
  決して循環しないので
  お金は離れてしまうでしょう。

  お金は 
  あなたが適切に、喜んで使ってもらえることを
  望んでいます。
  
  お金を上手に使えている人は
  気も上手に使えている人だと思います。

  その人の元からは
  どんな状況であっても
  必ずあなたの元にまた返ってきます。

  こんなこと聴いたことがあります。
  「お金は、特別たくさん入ってきません。
   でも、不思議と
   必要なときに必要なだけ入ってくるのです」
  きっと
  この方はしあわせな生き方を
  されているんでしょうね。

  気と同様、お金も
  人のために喜んで使えば
  あなたも、わたしも
  どんどんしあわせになっていくんでしょうね。

  エネルギーは循環しているから
  これは宇宙の法則です。

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