真実の医療」カテゴリーアーカイブ

こころの栄養も大事

何を食べるかって
とても大事なこと。

だから
ファーストフードばかり
インスタント食品ばかり
大量生産された、お弁当や食品ばかり
スナック菓子ばかり
こんな食事はお勧めしないけど
もし、こどもにこんなことを言われたら・・・・

ハンバーガーのM店に
時々食べに行くことがあります。

ここでは
いつも忙しくしているお母さんも、
朝ご飯を作らなくてすむからなのか
ニコニコされています。

みんなが笑顔になれるハンバーガーは大好きです

でも
ファーストフードは栄養面などの点で
オススメはできないし
食べるのを極力控えるべきものです。

でも
食べることは栄養だけが目的じゃない
家族そろって
家族全員笑顔になって、
みんながしあわせな気持ちで
食卓を囲めた食事なら
栄養面以外の大切さがあります。

だから
そのことを理解して
食べるならたまにはOKですよね。
こころの栄養も大事ですから。

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全人的に診療するとは

我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。

患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。

でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。

しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。

最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。

しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。

病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。

でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。

だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。

病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。

生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。

ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う

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期待して下さい

当院は
赤ちゃんからおとなまで
様々な年齢の方を対象としているので
外科的な処置が必要でなければ
診療をしています。

ですから
色んな目的で受診されてこられます。
主治医の先生が
お休みなので
いつもの薬だけ欲しい。
とりあえず今の状態を診てもらいたい。
コロナワクチンの時期なので
コロナワクチンだけでなく
ワクチン接種だけお願いします
などなど
当院の受診目的は様々です。

僕の目の前に
座った患者さんは
患者さんの目的が薬だけであろうと
100%、全身全霊を込めて
診察しています。

日頃診てもらってる主治医の先生ほど
患者さんのこれまでのことはわからなくても
今僕がわかる範囲で
できることをしよう
診察後
主治医先生の迷惑にならないように
診療をしようという思いで
患者さんを診させていただいていますが
・・・・・
患者さんには
当院を受診した思いはまちまち。
薬屋さん感覚で
この薬を下さいとか
注射だけでいいですとか
露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
患者さんとの出会いも
一期一会かもしれないけど
いい出会いになればと思って
診療をしているのですが
診察室で
医者と患者という立場で
相対していますが
その前に
お互い人として
向き合っていることも
忘れてはいけないと思ってます。

もし、目の前の患者さんが
この先生は、偉大な人なんだ
この先生について行けば大丈夫。
この先生について行けば
頑張れるし
どこまでもついて行きます
なんて言われると
奇跡でも起こせそうです。

逆に
何か間違えでもしたら
糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
萎縮して
いい診療なんてできません。

医者のパフォーマンスは
患者さんに期待されると
上がるんでスンね。

これは
医者だけではなく
学校の先生や塾の先生に
期待すると成績が上がるし
お父さん、お母さんや
ご夫婦でも相手に期待すると
期待した本人にも
結局いい結果を産むということは
心理学の世界では
よく言われることで
ビグマリオン効果と呼ばれています。

是非
この先生はいい先生だと思って
いただけると
僕の力は100倍にも1000倍にもなって
患者さんもっともっと良き方向に導けます。

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しあわせのハードルが下がる

病気と健康の状態を比べると
病気になるより
病気にならないほうがいいに決まってる
と誰もが思うだろうし
それは真理だと思うから
人々は病気にならないように
巷では
いろいろな健康法が発表され
僕の元にも
からだのいろいろな悩みを抱えて
訪れる人がいる。

でも
いざ病気になって
それも長い間入院生活を強いられると
病気になったから
わかったこと
それも良かったと思えることがある。

それを
日々忘れないように
こうして少しずつだけど
書き留めているわけだけど

病気になって感じた
良かったことのひとつに
しあわせだのハードルが下がったことがある。

すなわち
今までなんとも感じなかったことに対して
感動することが増えるのです。

例えば
朝起きたとき
昨日全く動かなかった左の指がピクピク動き
ベットの手すりがつかめたこと
・・・・そんなことだけで
うれしくて涙がでました。

朝起きて
毎朝山から日が昇り
色も形も異なる
朝焼けの光景に感動して
写真を撮っては
家族に送ってました。

その他にも
鳥が病室前の手すりに止まっただけでも
会いに来てくれた気がして
喜んでました。

初めて
病院の外を散歩したときは
風が僕の歩みを
応援するかのように
背中を押してくれてるように
有り難く思いました。

食事も
肉と言えば鳥
魚と言えば鮭ばかりだったけど
あるときは煮てたり、揚げたてあったり
カレー味だったり
ムニエルだったり
同じ味ではないことに
感謝でした。

これが健康の時だったら
朝起きても、外を歩いてても
食事をしているときでも
仕事のこと
今やらないといけないことなど
考えることがいっぱいありすぎて
今の太陽の姿も
遊びに来てくれたかもしれない
鳥にも気づくことなく
毎日の食事も
エネルギーとしてからだに放り込むだけの
食事だったに違いない。

なんと
自分の周りにたくさんあったしあわせに
感謝せずに過ごしたことだろうか?
と言うことに
病気をしたことで
気づかされました。

これは
病気をして
しあわせのハードルが下がったから何ですよね。
病気をしたおかげで
しあわせのハードルが下がり
しあわせをいっぱい感じられるようになりました。
ですから
実は病気をしたことにも感謝なんです。

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足下の木の葉

その朝
いつものように
氏神様の周りを
竹箒で掃いて
さっぱりした気持ちで
お参りをしていた時の
ことでした。

さっぱりした気持ちで
神様の前で
手を合わせて
ふと足下をみると
足先に黄色い木の葉が
合ったのです。

お参りの前に
はいたばかりなので
こんな目立つ木の葉が
あるはずはない
掃かなかったはずはない・・・と
思って
自分の掃除をしたということを
肯定しようとしてました。

その時
ふと思ったのです。
ここに確かに木の葉があるのです。
もしかしたら
掃いたときにもあったのかもしれない。
その木の葉の存在に気づかず
見ようとせずに
勝手に掃除ができたと
思ってしまったのかもしれない。

掃除完了と
判断したのは自分自身の頭。
つまり
思考だったのです。

実際に
やらないことは
まだ残っていたのに
終了としたのは
自分自身の心。

病気の時も
見落としていることって
多くないだろうか?
原因を頭だけで
考えてないだろうか?
そうしていると
大きな木の葉
つまり大きな原因が
足下にあっても
気づかないんですよね。

頭で見るだけでなく
肉眼の目を
心の目でも素直にとらえることが
大事なことを
足下の木の葉が教えてくれました。

病気の原因は
必ずあるし、示してくれている。
それに気づける生き方を
しなさいということを。

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自然法則に従って生きている

梅雨明けすると
雨の心配することなく
安心して朝の散歩を続けています。

僕たちは
天気予報で
梅雨明けしたことを
核心するのですが
朝、歩いてるときに
自然が全く異なるのを
肌で感じます。

まず
空を見上げると
雲が少なく
澄み切った朝焼けの
グラデーションに
思わず足を止めて
空を見上げてしまいます。

吸う空気も
肌に当たる空気も
さらっとして
エネルギーいっぱいの風が
僕のからだを包んでくれます。

そして
耳を澄ますと
梅雨時期に毎晩聞こえていた
カエルの大合唱が聞こえないのです。
変わって
巣立ったツバメのさえずり
そして
暑さでイライラしてるのでしょうか?
お互いを威嚇するような
カラスの鳴き声。

肌で、目で、耳で
自然に気持ちを向けると
確かに
時は流れている。
季が変わった
つまり
梅雨明けしたことを感じます。
そして
感じているのは
人間などの生物だけでなく
自然も生物と同様に
地球全体、いや宇宙全体にある
自然法則を感じているのだと思います。

ニュートンは
リンゴが木から落ちるのを見て
万有引力に気づいたという
有名な話がありますが
僕は
ニュートンのこの話について
最近
この話は万有引力に気づく発想に
結びついたのは
間違いないのでしょうが
リンゴが木から落ちたのは
万有引力の問題だけでなく
リンゴの実が充分熟したので
リンゴ自身の意志によって
木から落ちたのではないでしょうか?

目には見えないけど
リンゴも生きている
生きているものだけでなく
この世に存在する全てのものに
生きている力、意志があるような気がするのです。

地球上に存在する全てのものが
宇宙の法則に従って
この世に存在しているのです。

梅雨が明けたのも
今朝太陽が昇ったのも
今、僕がこうして生きているものも
朝、セミが一斉に鳴きだしたのも
自然の法則に従ってることのあらわれ。
決して、時計、カレンダーをみて
生きているわけではない。
ニュースや科学ではなく
自然を感じて生きる
自然法則に従って生きていることを
忘れてはいけない。

と言うことを
梅雨明けの朝、散歩しながら
感じました。

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病がからだと心を操る~メタトロンが教えてくれること~

病気が発症する前は
心の状態が
からだの状態に影響している。

つまり
病気になる前は
心が主人で
からだがこころの指示のもと
動いていた。
それが病気になると
そのからだと心の主従関係が逆転し
だんだん
からだのほうが主人になっていって
こころがからだの指示にしたがうという
立場が逆転してしまうのだ。

先日
受診された高齢の患者さんは
何年ぶりに受診された。
数年前に
からだのしびれ、睡眠障害などの
症状があり
メタトロンも受けられ
1回だけの受診で
その後音沙汰のなかった患者さんだった。

この数年間で
良くなっていたら良かったけど
今飲んでいる薬を処方してくれと
受診された。

お話をきくと
睡眠障害は続いて
最近専門病院で
薬を調整してもらい
睡眠できるようになったが
その病院が少し遠方にあるので
お一人での通院が難しいので
ご家族の付き添いがないと通院ができない。
ご家族も
忙しく、近くの病院で
薬をもらえたら・・・と思って
思い切って当院を受診されたようでした。

今の薬で
眠れるようになったようだけど
今まで通っていた
病院にいけない理由があるようだ
話していると
それは、物理的理由でなく
不信感などの理由で
いけなくなっているようでした。

少しでも
力になれればと思ったが
今飲んでいる薬は
専門医でないと処方も難しく
その処方までの間に
医師の苦労の跡も
薬歴からも感じられ
僕ができること
しないといけないことは
処方をすることではないと
強く感じました。

患者さんは
眠れないという極限の
からだの状態が
こころをも支配し
こころがガチガチに硬くなり
自分を苦しめている。
からだに支配されている
こころを解放させてあげるないと
この苦しみからはずっと続く。

まずは
今の病院の先生に
こころをむけて
患者さんの思いを届けることから
はじめないと思った。

そのための方策を
いくつかお話して
僕ができる薬の処方をして
その日の診療は終わった。

数年ぶりに会ったこの患者さんは
人が変わってしまったようになっていた。
病気になると
こころも、性格も
病気の状態にあるからだに支配され
変わってしまうのだろうか?

この患者さんを診て
こころが先かからだが先かを
見極めることも
からだの支配から
こころを解放するのも
僕の使命だと思った。

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物語を語って下さい

目の前の患者さんに対して
最善の治療をするために
我々医師は日々努力していますが
病気の種類も含め
接する患者さんの症状、訴えは
多岐にわたり
医療も進歩する中で
患者さんに常に最高の治療をするためには
医師ひとりの経験だけ
医師ひとりの研究勉強だけでは
十分とは言えません。

そこで
皆の経験した治療法などを
分析して
病気に対する
道標を科学的根拠に基づいて
示したのが
EBM(Evidence-Based Medice)と
いわれるものです。

このEBMのおかげで
どこの病院であっても
医師の自身の経験に左右される治療を
患者さんは
受けられるようになりました。

しかし
最近は、EBMにこだわりすぎ
EBMが標準治療だから
EBMじゃないといけないという
風潮が強くなってきた気がします。

ここで
間違ってはいけないのは
EBMはじゃないといけないわけでは
ないので
EBMに縛られることは
ないのですが・・・
この治療に当てはまるように
治療を進めてしまう
傾向に陥りがちです。

患者さんの病気になった理由、経緯、症状
そして
病気についてどのように考えているのか
どうしたいのかなどの
患者さんの思いは加味されずに
基準とされる血液検査、画像検査などの
結果のみで判断、実施され
目の前の患者さんのことより
データーばかり見ているという
批判につながっているのでは
ないでしょうか?

ナチュラルメディカルセンターでおこなっている
メタトロンでは
みなさんに1時間の時間を作ってもらって
施行しています。
またメタトロン中であっても
特に患者さん自身の行動を規制することも
ないので
メタトロンの結果を含めて
患者さんと様々なお話をします。

毎日どんな生活をしているか
何が心配かなど
ご自身のことだけでなく
ご家族のこと
お仕事のこと、コロナウイルスについてなど
お話の内容は
多岐にわたります。

実は
この1時間のお話は
とても重要なんですね。
この会話から
患者さん自身が抱えている問題
どう生きていきたいか
何を求めていることが
わかることがあります。

そうすると
例えEBMに添った治療をおこなっていても
根本治療とはとはならず
EBM的治療だけでは
根本的治療が難しいことを
感じます。

その様に感じるのは
決して僕だけではなく
最近ナラティブ・ベイスト。メディスン(NBM)も
必要であると訴えられる医師も
増えてきています。

NBMは
患者さんが語る物語から
病気になった理由、症状、考え方などの
患者さん自身が抱える問題を
全人的に把握し
そこから
最善の治療法を考えていこうという考え方が
出てきています。

病気の原因は
患者さんひとりひとりで異なります
ですから
治療法もひとりひとりことなります。

ですから
NBMも加味して
治療をおこなう必要があると思います。

僕は
これからも
患者さんに対して
いつもOPEN HEARTで
患者さんの言葉にいつも耳を傾けられる
医師でいようと思っています。

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生きる意味

“生きる意味”について考えてみた。

ある人は、人の役立つこと
ある人は、魂を磨くこと
などなど
みんなそれぞれの考えを持ち
どの考えも正しいと思うし
きっと答えはひとつではないのだと思う。

人間だけが
生きる意味を考え
生きていくことが
“人は考える葦と言われる”所以なのだろう。

そんなことを考えさせられた週末
ある子宮頸癌を患っていた 女性の
最後の手記、最後の言葉を知った。

「 一日一日を丁寧に“暮らす”
ひとつひとつを心を込めて“暮らす”
その積み重ねが“生きる”ということなのだと
強く思いました。」と
頭で考えるだけでは
生きることの意味はわからない。

今この瞬間の人生を生ききることで
“生きる意味”わかるのだと思う。
“今を生ききり”
そして
“この瞬間を生きていること”に感謝

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老いると軽く生きられる

人生百年時代といわれるように
世の中にはお手本となる
年の取り方を身をもって教えてくれる
人がふえてきます。

例え多少肉体的衰えがあっても
認知症を感じるような変化が垣間見るような
瞬間が増えてきたと客観的に感じられるようになっても
それをマイナスの現象として捉えず
ひとつの文化として積極的にとらえていくと
ああいう風な年をとりたいと思われるのではないでしょうか?

蓮如が「人は軽きがよき」という言葉を残しています。
人は成長すると共に
多くの責任、役割を背負って生きています。
その責任は自分の意志で下ろすことはなかなかできないけれど
老いてくると
肉体的にもできなくなるし
認知症がはじまってしまうと
やることは現実的に無理になってしまうので
自分の意志と関わらず、手放すことになる。

その分
背負ってる分を手放して軽く生きていけるようになるのです。
それが年をとることの現実の生き方だと思うのです。

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