「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
遺伝子に組み込まれた生きる力
人類史上、
突然多くの方のいのちが
失ってしまう出来事がありました。…
古くはヴェスヴィオ火山の噴火で
ポンペイの町全体がのみこまれたり
日本でも、最近
東日本大震災などの自然災害で
多くのいのちが奪われてしまいました。
そして
中世ヨーロッパでは
ペストの大流行で総人口の1/4の方が亡くなり
20世紀では
スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザの大流行で
6000万人の方が亡くなり
感染症が猛威をふるうこともあります。
でも
多くのいのちが奪われることって
病気や天変地異ばかりではありません。
先の第二次世界大戦のような戦争
原爆投下、テロ事件など
人間同士の欲望、争いによって
尊い多くのいのちが奪われています。
いのちが失われた悲しみは、
生き残った人も亡くなった方も
ずっとその悲しみが心にきざまれてしまいます。
だから、自殺も含め
全ての人のしあわせを奪う行為は
絶対にいけないことだと思います。
これらは歴史に残っている
不幸の歴史のひとつですが
有史以来、歴史に残っていないけど
最も多くの死の原因は
“こどもの死”です。
いつの時代も
多くのこども達が亡くなっていました。
病気になることもある
天変地異が起これば、かよわい命の炎は
たちまち消え去ってしまうことも多い。
“生まれてすぐ亡くなってしまう
“自然死“のこどもたちは
歴史には残ってないけど、とても多いのです。
だから、
赤ちゃんの体の中には
が生き残っていくための力が
備わっています。
口におっぱいが触れれば
必死で吸おうとする反射があります。
おっぱいを飲む時には
お母さんの目をじっと見つめます。
手に触れればに握ります。
笑いかければ、ニコってします。
低体温にならないように
赤ちゃんには熱を産生する
褐色細胞があります。
これらは
赤ちゃんが
生きて残っていくための
愛されるための
反射、仕組みです。
そして
この反射は、おとなににつれて
なくなってくるんです。
でも、
反射、仕組みは消えても
その生きていく術は
遺伝子の中にちゃんと残って
次の世代の赤ちゃんに
引き継がれて生きます。
僕たちの体の中には
生きていくための力が
神様からもらい
先祖代々から受け継いがれ
生きていく力が備わっているです。
その素晴らしい生きる力を大事にして
いのちを大切にして
生きていくことが
健康であることに
つながるのだと思います。
薬より大切なこと
人は
病気になった時はもちろんだけど
病気を予防するために考えた時
薬やたべもののことをまず気にします。
日常の診療でも
みんな薬を求めて受診される
だから
薬が飲まなくていいよと言うと
喜んでもらえるかと思うけど
実際は不服そうな顔をされる方が多い。
僕は
病気を治すためには
薬だけではなく
薬よりもっと大切なことがあります
プラシーボ効果という言葉が
医学会にはあります。
それは、たとえ偽薬であっても
服薬される患者さんが
本物の薬であると信じて服薬すれば
実際効果があるというが経験されているのです。
同じ薬を飲むにしても
仕方なく渋々飲むのと
「これはすごくよく効く」と
前向きな気持ちで服薬するかでは
治療効果に大きな差が出るのです。
このプラシーボ効果は
人間のからだが持っている
自然治癒力の働きで説明することができます。
いい薬だ、この薬を飲めば絶対治るなど
より強いイメージや信念を持って服薬すると
免疫の中枢器官である間脳が刺激され
間脳の働きが活発になリます。
その刺激が神経系に情報伝達されると
血液中のリンパ球が強化され
病気に対する免疫力が高まって
従って
自然治癒力も高まると言うわけなんです。
人間には
生まれたときから
元々備わっている自然治癒力があります。
その生まれつき持っている
自然治癒力のパワーは
自身が考えているより
はるかに強力で
どんな難病でも治すだけの力があるとも
言われています。
その底知れない
自然治癒力をひきだせるのも
自分自身しかないのです。
治りたい、なおるなど
その病気に打ち勝つんだという
強い気持ち、信念をもち
心の底から
自身のもつ自然治癒力を信じることでしょう。
僕も入院したとき
絶対治る、これまで通りの仕事、生活をすると
と思ってましたし
それが現実になったのは
薬ではありません。
自分自身の力
すなわち
自然治癒力のたまものなのです。
この世には
プラシーボ効果が存在します
つまり
自身のもつ思いやイメージが強ければ
奇跡を起こす力が
誰にも備わっているのです。
主の祈り
日本人は
キリスト教徒でなくても
何かあると
手を合わせて神?に祈ることがあります。
キリスト教徒なら
祈ることは
日常的に当たり前の行為でしょう。
聖書(新約聖書)に
「主の祈り」というものがあって
これはカトリック系の幼稚園でも
毎日お祈りされるそうです。
これは
マタイ福音書第6章にあるそうですが
死を迎えたときに助けて下さいと
いう祈りだそうです。
死から助けを乞うって
死から逃れる、避けさせて下さい
という祈りではなく
死を迎えたときに
「魂を助けて下さい」という祈りなんです。
キリストは復活されました。
肉体が滅んでも
キリストも人もまた復活することができると
教えられています。
また、キリスト教では
天国と地獄があり
死ぬ前にその中間にある
煉獄というところにいって
罪の償いをして
天国か地獄に行くと
考えています。
つまり
死を迎えても
魂は生き続け、復活する
輪廻転生があると考えたのでしょう
ですから
死を迎えたときに
天国に行ってまた復活できるように
臨終のときに祈るのです。
「天にまします神よ
御名があがめられますように
御国が来ますように
御心が行われますように。
天におけるように
地の上にも」という
主の祈りの一節にあるように
天にいるように
どんな時も清らかな気持ちで
生きることが大事なんでしょうね。
そのために
人は神に手を合わせて
「主の祈り」を唱えるのですね。
からだをうまく使えば病気なんか怖くない
暑かった夏がうそだったかのように
過ごしやすい
季節になってきました。
自然は
四季が毎年訪れてきて
それぞれの季節の恵みを
僕たちに届けてくれます。
でも
僕たちの生活環境を
見てみると
自然に抵抗するかのように
冬でも暖かく
夏でも涼しくして
過ごしています。
食べ物に対しても
季節限定の自然の恵みなどお構いなしに
いつでも、どこでも
日本中、世界中のものを
お金さえだせば
いつでも、どこにいても
食べることができます。
僕たちの生活は
自然の流れに逆らって
過ごしています。
実は
僕たちのからだも
体全体で
暑いときには暑さを
寒いときには冷えを感じ
暑いときは
からだの熱を奪う食べ物
寒いときは
温める食べ物を食し
自然の流れに合わせて
これまで暮らしてきたはずですが
暮らし方の変化によって
からだは、まだ
その変化について行けてないような気がします。
だから
現代人は
冷え性、頭痛、だるさを訴えるひとが増え
アレルギー疾患、うつ病、不妊などに
悩まされている方も年々増えてきているのも
自然に抵抗した
生活様式の変化にも
その一因があるような気がします。
僕たちが住む世界には
全て陰と陽の二つの面をもっていて
陰と陽が
バランスをとることで
健康に過ごせると考えられています。
暑い陽の時には
陰性の物を食べて
寒いときには
陽性の食材をとることで
バランスをとって
過ごしているのです。
ですから
物があふれる時代だからこそ
しっかり
自然の流れを考え
食材を選ぶ必要があります。
例えば
玄米がいいと言っても
からだが陰性のひとにはいいけど
陽性の人には
取り過ぎると害になってしまうことになります。
最近の健康ブームで
食に対する極端なこだわりを持ち
実践される方が増えています。
自然に逆行するような
極端なこだわりは
そのものがどんなにいいエネルギーを持っていても
あなたにとっては毒にしかなりません。
こだわって
自然に逆らって生きていくより
寒いときは寒い時を楽しみ
暑いときは暑さを謳歌するような
自然を満喫する生活をすることを
お勧めします。
人間も
自然の流れで生きていくことが
何よりもしあわせなことです
インフルエンザワクチン
10月になって、だんだん寒くなってくると
インフルエンザワクチンを受けたほうがいいのでしょうか?
と質問されることが多くなります。
”インフルエンザ”という病気は
社会全体を巻き込むような病気になっています。
社会全体が過敏に反応する病名です。
ですから、あわてないでいただきたいと思います。
インフルエンザであわてないために
今回は”インフルエンザワクチン”についてです。
体にインフルエンザウイルスが入ってくると
身体の中ではウイルスを排除するために抗体が作られます。
抗体ができると
次にインフルエンザウイルスが体内に入って来ても
抗体がウイルスを排除してくれるので
インフルエンザが発症しません。
この免疫機能を利用して
人為的に抗体を作って病気を予防していくのが
ワクチンの原理です。
インフルエンザワクチンの効果は、
年齢によっても異なりますが
A型に対する効果は 8割前後、
B型に対する効果は 6割程度と言われています。
今まで
B型に対する効果が弱かったので、
今回からB型のウイルスも1種類から2種類にしています。
今年は、B型に対しても、効果大です。
ただ
インフルエンザワクチンをしても
インフルエンザにかからないわけではないのですが
一人でも多くの方に接種していただきたい
と思っています
インフルエンザワクチンの目的は
入院や死亡など重篤な状態になることを防ぐ
特に高齢者やこども、基礎疾患を持っている人などの
重篤になりやすい人を守るのが目的の一つです。
インフルエンザが広がるのを防がないといけません。
そのために
多くの人にワクチン接種を実施して
周囲の人に感染を広げることを抑えることも重要です。
一つの集団の8割以上の方が
予防接種をすることで
その地域の病気の蔓延を防ぐことができると
言われています。
また
一人一人に対しての予防効果は
インフルエンザワクチンを接種することで
完全ではないにしても
インフルエンザが発症しにくくなる
肺炎、脳炎、心筋炎などの重篤な合併症になる
リスクも1/3程度になる
そして
何といっても、インフルエンザワクチンをしたことで
安心感を得ることもできます。
接種しようかどうしようか
迷った時は、
不安にならないためにも、あわてないためにも
ワクチン接種をお勧めします。
そして
一人でも多くの方に接種していただきたい理由が
もう一つあります
今、アメリカでは
1994年まで日本で行われていた
学童期集団接種方式が見直されています。
実は高齢者における
インフルエンザワクチンの予防効果はどれくらいあるのか
まだはっきりした結果はでていません。
ただ
日本では
学童期集団接種が行われていた1978~1994までの
人口10万人あたりのインフルエンザによる死亡者は 6.8人
学童期集団接種が中止された1995年以降の死亡者は 14.5人
と集団接種中止後
明らかに高齢者や乳児の死亡例が増え
また
脳炎、心筋症などの重篤な合併症も増加しています。
学童期集団接種をしていたことで
学級閉鎖、欠席率の抑制して学童の健康を守っていた
とも考えられます。
学童期集団接種が見直されつつありますが
現在は、予防接種の性質上集団接種を行うことは
難しいと思います。
ですから
インフルエンザワクチンを一人でも多くの方がすることで
自分の身を守るだけでなく
自分の周りの人々の
命を守ることができる
立派な社会貢献、人助けになる尊い行為だと思っています。
インフルエンザは
怖い面もある病気です。
薬があっても予防が大切だと思います。
予防効果を高めるためにも
一人でも多くの方が接種されることが大事です。
予防接種をしようか迷われたら
接種をお勧めします。
この世に無駄なものは何一つない
この世に存在する物には
何一つ無駄な物はありません
最近
人間の遺伝子の全配列が
解明されました。
これで
色んな人体の謎が解明されるかと
考えられましたが
実際に解明されたのは
わずか4~5%と言う状態です。
遺伝子配列は
DNAによってできていて
DNAは細胞の設計図とも言えます。
設計図がないと
家を建てることはできません。
でも今
僕たちが持っているDNAの設計図の
全体像はわかったのですが
誰がその設計図を描いたのかもわかりませんし
設計図をどう使えばいいのかも
はっきりわからず
日々過ごしていたような状態です
人の膨大な量の設計図を
全ていつも使っているわけではなく
オン、オフをくり返しながら
必要なときに動かし働いていることも
わかって来ました。
人体は
小宇宙であると
表現されます。
宇宙の分野も
人体と同じように
わかっているのは全体のわずか数%程度とも
言われてます。
わからない部分は
ダークエネルギーと言われてます。
広大な果てしない宇宙のマクロの世界と
遺伝子のミクロの世界は
似ている世界
同じ構造だとも考えられます。
遺伝子の95%はゴミ(ジャンク)だと
考えられましたが
その80%は必要なときに働くように
コントロールしている
スイッチがあることが
最近わかってき
ました。
わからないことだらけの人体。
自分のからださえ
実は知ることは難しいのです。
からだは
人体と魂との両輪で
できていると僕は考えています。
我々の命の設計図があるとしたら
部品としての設計図と
もうひとつ別に
魂の設計図が存在するはずです。
それについては
現代を生きる僕には
存在すら確認する術ももっていません。
しかし神様は、きっと
宇宙にも、そして人体にも
無駄な物は何一つ
作っていらっしゃっいません。
だから
人生にも
例え病気の時でも
慎重に観察すれば
病気の時だから働く遺伝子があり
必ず有益な方向に
我々を導いてくれているのだと思います。
人生に無駄な物、事は
ないのです
今日何が起こっても
無駄なことではないのです。
今日という日を大切に過ごしましょう。
フロイトとアドラー
毎日健康上悩みを解決しようと
こどもからおとなまで
様々なかたが来院されます。
そして
お話を聞いてると
その人の考え方が2種類あることに
感じます。
それは
前向きに考えるかどうか
物事をポジティブに捉えれるかどうかが
大きいなと思います。
ネガティブに考えてしまう人も
出来るだけ前向き、ポジティブに考えた方が
いいと思って
お話しするのですが
中々一筋縄ではいけません。
そんな時
心理学者のユング、フロイトの考え方
それと
アドラーの心理学のちがいの話を聞きました。
そこで、今日は
フロイトとアドラーの心理学のちがいを
お話しようと思います。
フロイトは「原因論」と言われ
過去にこういう原因と考えられることが
合ったので
今があるのだ。
つまり
今こうなったことの原因を探し
その原因をみつけて
原因を改善しようとします。
それに対して
アドラーは「目的論」と言われ
その人の今の状態は
その人が選んだことでしょう
ということなのです。
全ての原因を
自分以外の外に求めるのではなくて
自分自身に求めているという
ことです。
日頃診察しても
この2つのパターンを
感じることがよくあります。
病気などの何かのからだの不調を感じたときに
普通は
なんでこうなったんだろうと考え
食事、運動が悪い
寝れなかったから
仕事のストレス
人間関係の不調が
あるから起こったんじゃないかと
一生懸命
その原因だけを探そうとします、
アドラー的に考えると
今この状態にいようとするのは
自分が選んだこと。
何のために
自分はこの状態を選ぼうとしたのだろう
この選んだことで
どんなことを考え、
その考えたことで
自分の気持ちが変わってきてないだろうか?
今、こういう風に気づくために
この不調という時間が
必要になったのだろうか?
などなど
様々の内なる原因に気づき、
変化が始まるのです。
原因がわかったとしても
それを自分で変えようとしないと
決して先には進めませんよね。
どんな状態でも
原因は自分自身の中に答えがある
そんな気がします。
そう思えた瞬間に
人は変われるのかもしれませんね。
魂の痛み
我が国の
ホスピス医学の第一人者であり
現在もホスピス医学の第一線で活躍中である
柏木哲夫医師の
インタビューを聞いたことがある。
2500名以上の患者さんを看取り
患者さんの死の瞬間に向き合い
その瞬間に感じた思いを
語られた言葉は
とても重く、深く
でも患者さんの気持ちに寄り添えてるかと
苦悩にも満ちた日々から
感じた確かな言葉が
僕の心にも重くのしかかってきた。
2500人以上看取った患者さんで
忘れられない2名の患者さんを
紹介された。
ひとりは
大社長さんで末期の膵臓癌で入院されてきた患者さん。
その患者さんは
富も名声も、いわゆる生きているうちに
手に入れられる全てのものを
文字通り手にされててた患者さん。
その患者さんは、柏木先生に
不安だ、死ぬのが怖い
この不安をとることを必死で願われたけど
医学では痛みをとることはできても
こころの不安をとることはできなかった。
患者さんの不安をとってあげることができず
看取った患者さん。
もうひとりは
末期の肺がんで入院されてきた患者さんは。
その患者さんはクリスチャンで
自分の死期を悟られてるのでしょう。
2週間で神様のところに行きますが
それまでの間この胸の苦しさだけを
とって下さいとお願いされたそうです。
その患者さんに治療をし
神様もお恵みがあったのでしょうか
3日後には息苦しさもなくなり
2週間後に逝かれたそうですが
最後の言葉は「行ってきますね」と言われ
安らかに旅立たれたそうです。
人はなくなるときは
生きているうちに
身につけていたものが
全て剥げ落ちて
魂だけの状態となって
旅立つのかもしれません。
死ぬときは
この世で手に入れたものは
何一つもって逝かれません。
持って行けるものは
魂の部分だけ。
人は
魂の修行をしに
この世に生まれたとしたなら
満足した、望み通りの修行ができて
平穏な魂の状態で
魂の世界に戻れる
(死を迎える)生き方をすることを
目指さなければいけないんでしょう。
魂の求める生き方とは
自分でしかわかりませんが
自分に素直に生きていくことで
気がつくのかもしれませんね。
健康って?
健康ってどういうこと
だと思いますか?
からだに異常が起きた時
体内では
ホルモンや免疫細胞、神経が異常をキャッチし
正常な状態に戻そうとします。
この働きをホメオタシス(恒常性)
と生物学的に言いますが・・・・
このホメオタシスの働きで
からだは正常に保たれています。
これが健康な状態。
ホメオタシスの働きに異常があり
正常な状態を保てなくなった時に
様々な症状を自覚することになります。
これが
病気の状態
どんな些細な変化が起きても
自覚症状がなくても
からだは敏感に異常を察知し
元の正常な状態に戻そうと
ホメオタシスが働いて
健康を維持しようとしています。
つまり
病気になった時に
人間誰もが持っている
自分で自分を治す力が
必ず働いているのです。
この力が“自然治癒力”の
正体です。
ですから
病気を治しているのは
医者でも薬でも、
どんな代替治療でもなく
自分自身、
自分自身の持っている治癒力
なのです。
そして、
病気が治ったのは
症状がなくなったことではなく
からだの状態が
症状の出る前の状態に戻ること。
そして
その治った状態を維持することが
“健康”と言うのだと
僕は思います。
☆ 赤ちゃんのヤギと遊んできました。
鳴き声も歩いても、食べても何をしていても
かわいい。
動物でも赤ちゃんって、可愛くて
やっぱり天使ですね。
足の痛みが伝えることは?
メタトロンをすると
日頃気づかないことを
教えてくれる。
その気づきをほっておくと
からだは
もっと強いサインとして
症状をだすことがある。
医師としては
患者さんの症状という苦悩を
取り除こうと
努力するが
これで止まってはいけない。
なぜ、その症状が起こったかも
考え、改善する働きをしないと
本当に治ったとは言えないし
治したとも言えない。
だから
医学的アプローチだけでなく
様々な角度から考えていかないと行けない。
先日
歩けないほどの
足の痛みがあると受診された患者さん。
足を見ると
足の親指が発赤、腫脹し
少し動かしただけでも
痛みが走り、歩くことも苦悩の状態。
骨には異常がない。
痛風発作?なども疑ったが
血液検査も異常なし。
検査しても
異常がないことは
度々経験することであり
そのようなときは
原因がなにより
今苦痛の症状をとることに成り
局所の炎症を取り除く治療を行った。
1週間後再来され
局所の炎症は改善され
痛みも少なくし
歩きやすくなっていたよう。
なのに・・・・
患者さんは
痛みが取れたはずなのに
ちょっと悲しそう、苦しそうな笑顔
なんです。
足の原因の可能性について
もっている医学知識を総動員して
説明したが
患者さんの表情は曇ったまま。
なぜ??
患者さんと
その後診察をくり返しているうちに
夕方になると
涙があふれて来るんです。
患者さんは、
コロナの状況になって
目標を失って
目標探すと同時にからだを休めるために
故郷に戻ってきて
ふるさとの力で
からだは癒やされたけど・・・
こころが癒やされてなかったのですね。
これからの未来に対して
何をするべきか迷いに迷った時期
足の不調も相まって
前に進めなくなったんですね。
ですから
こころの進めない状況を
足の不調が教えてくれているんですね。
前に進んでごらん
一歩前に踏み出してみてごらん
動き出せば
足の痛みも忘れるから
前に一歩踏み出して・・・と
応援してくれている気がしました。
そう、患者さんに
伝えました。
今後
患者さんが前に歩く姿を
後ろからしっかり支えようと思います。
