「心の調べ」カテゴリーアーカイブ
神との対話
入院中リハビリ以外の時間は
安静の時間でした。
からだを休めるのが目的だけど
こころを休めるのも大事なことでした。
そこで
日頃読めなかった本を
例えば小説など
気持ちがゆっくりしないと
落ち着いて読めないような
小説など中心に読む
読書の時間がとれました。
また
買っていたのに
いまだ読んでいなかった
いわゆる積ん読のままだった
本を読むのには
いい時間だと感じ
外泊を許された日に
積ん読されたままの本の背表紙を見渡し
手を伸ばしたのは
Nウオルシュ著「神との対話」でした。
この本は、全く普通の主人公が
人生のどん底にあったある日、
突然始まったまった神様との対話を記録した
本だった。
その内容は
主人公に対しても衝撃だったけど
読んでる内に
神が主人公に話しかけている本の中の世界ではなく
僕自身に話しかけてくれているかのように
神が話しかけてくれいる気がしたのです。
神が話してくれた
自分について、人生について
魂について、人生について・・・
様々なことを
何もわからない僕にも
理解できるように
根気強く説明してくれるのでした。
ハッとさせられる
気づきの時間でした。
でも
本を閉じると
神はいなくなり
神はやっぱり
本の世界での話だと思ってしまいました。
そして
神と対話できる
主人公をとてもうらやましく思えました。
本を読む度に
神に出会えるので
僕にとって
読書は至福の時間でした。
本はいつかは終わります。
読み終わった時は
まだまだお話したい気持ちになりました。
また神に会いたいとおもってたからか
別の作者の
神様との会話を記録した本にも出会うことになるのです。
その本のご紹介はまた次の機会に
この時間は
神様とほんとに会ってたような
対話していたかもしれないなぁ
と今では思うような
不思議な時間でした。
しあわせ探し
道
死亡率は100%
人間には寿命があります。
どんなに健康に気をつかい、
最新の医療を受けたとしても
いつかは死んでしまいます。
これは
避けることのできない運命です。
今日本の平均寿命は80歳程度ですから、
現在の年齢で平均寿命を考慮して
自分はこれから何歳ぐらい
生きれるのか?生きたいのか?
が考えることができます。
そして
それを目標に
今から10年をどう生きるのか?
20年後はどうなっていたいのかという
ビジョンを立ててみると、
生きていく目標がはっきりしてくるでしょう。
100歳まで生きようとすれば
大変な努力が必要です。
でも50歳まで、60歳まで、70歳まで
健康に生きるためにはどうしたらいいかを
10年刻みで考えれば、
具体的なイメージもできやすいでしょう。
すると
意外と時間の流れの速さも感じるかもしれません。
すると、一日一日が貴重に思え、
大事に過ごせるでしょう。
そして
目標まで十分満足して生きることができれば、
その先は、これだけ頑張ったからと
後は自由に生きるという決断もできます。
残りの人生をいかに充実させるという、
クオリティ・オブ・ライフを考えていくという
人生の選択もできます。
そして誰でも最後の時を迎えます。
でも最後を自分ひとりで決めることはできません。
元気でぽっくり逝きたいと思っても、
現代医学では
死なせてもらえず、
寝たきりや長い長いリハビリ生活を
余儀なくされることもあります。
長生きをすれば認知症の問題もあります。
どう生きていくのか?を考えると同時に
どう死ぬのかも考えていく必要があります。
それには、年齢、性別、環境、性格、
そして
人生観や死生観といった要素が全て絡み合っています。
あなたと同じ人生を歩む人はひとりもありません。
あなたの生き方に悔いが残らないように、
どうやって生涯を終えたいのかを
考えて生きてくことも、
どう生きるのかと同じように大事だと思います。
しあわせになりたかったら
“しあわせになりたかったら”
しあわせになりたかったら
誰かをしあわせにしてあげたらいい
苦しんでる人
悲しんでる人
辛い思いで悩んでる人
慰め、励まし、勇気を
届けよう
人にたいしてだけじゃない
動物にも
小さい虫にでも
誰かが助けが必要としているなら
手助けする。
手を差しのべる。
そうすること
そうできること
それこそが
しあわせになることなのかも
運命を分けるのは①
毎日色んなことが起きます。
日々変わらないと思って
平凡な毎日を過ごしているように思えても
振り返ってみるちると
出会う人も違うし、やってることも違う
全く同じ日は一日としてないはずです。
その違いのある日々を
どう過ごすか、どう過ごしたかで
人生の結果は変わってきます。
日々のわずかと思える変化、出来事を
どうとらえるかどうかで
その後の人生はだんだん変わってくると思うのです。
そして、人生を分けるのは
「何がおこったか」ではなく
「起こったことをどう解釈するか」ということに
かかっていると思うのです。
やわらかく生きる
生きにくい現代社会だから
みんながこんな風に生きていけたら
しあわせな世界になるんじゃないかなぁ
と思って、こんな詩を作ってみました。
“ふわふわ、やわらかく”
やわらかく
いきていこうね
とんがらず
ふわふわとやわらかく
あせらずに
むりせずに
ふわふわとやわらかく
みんなとも
しんじあいながら
ふわふわやわらかく
からだも
いたわりながら
ふわふわやわらかく
やわらかくいきていくと
きづいたら
しあわせになっていそう
忘れられない密な自粛生活
コロナ期間は、今でも
個人的にも色々忘れられない時間が
多くあります。
特にコロナ期間の自粛期間の時間は
僕にとって
入院時間と同じくらい忘れられない
とっても貴重で密な時間でした。
入院中はできなかった
家族3人で過ごすという
それまであたり前だった時間。
朝の散歩から始まり
毎日
妻と娘が一緒に作ってくれた食事を
3人で笑顔で食べ
たまには
手作りのケーキなどおやつを持って
友人の恵みいっぱいの畑や
人のいない大自然の中で過ごす。
そして夜になったら
3人で川の字になって寝て・・・・
また朝になったら、お散歩に行って・・・の繰り返し。
いつも家族3人一緒
何をするにも3人一緒でした。
妻と娘の話し声が
妻と娘といる空間と時間の流れが
僕のからだを心地よく癒してくれました。
自粛期間の家族との密な時間でした。
その後
こんなに長く家族3人で一緒に過ごした時間って
あっただろうか?
これからもそんな時間ってあるだろうか?
退院した後一番望んだことは
家族3人で過ごす時間でした。
この願いを
神さまがそしてコロナウイルスが
叶えてくれたんだと思います。
本当に感謝の日々でした。
今朝いつもの神社には
ひとりでお参りして
神さまに毎日生きていることにお礼して始まった一日。
今日もそしてこれからも
この穏やかな日々が続くことを
願うばかりです。
あたりまえ
いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた
でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた
あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ
あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く
ドゴール「果物採集」
自然には
人を癒す力がある。
そのことを伝えた詩を紹介します。15
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。
