今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

現代人は何にいそがしい?

開業医をしていると
ほとんど病院の中で過ごすので
世間の状況を
肌で感じることは少ない。

でも時には
交通の便がいいところで
開催される学会には
診療の隙間時間を利用して
出かけるようにしています。

都会にいくと
交通(乗り物の)乗り方が
明らかに違ってきているし
買い物をする時も
お金を実際払うことは少なく
電子マネーで払うことが多い。

数字は動くけど
実際のお金の動きがわからない社会。
自分の知らないところで
なんか動いてるかもしれないという
どこか空恐ろしさを
今の社会の動きに感じてしまう。

そして
都会にいくと
乗り物に乗っている時だけでなく
歩いてる時でも
一人の時間があれば
スマホを観てる人ばかり。

旅行にきて
少しでも美味しいもの、楽しい所を
探そうと調べている人もいるだろう。
様々な情報を仕入れようとしている人だっている
また、誰かに連絡しないといけない人だって
いるのだろう。

今やらないことを
やっているのにスマホを使っているのは
理解できる。

でも電車に乗ると
景色をみたり、寝たりしたり
いわゆるボーッとしていた人は
以前はたり前にいたけど
今周りをみると
ボーッとしているのは自分だけ
周りの人は
手に持ったスマホの画面を見てる人に
囲まれてしまった。

みんな
なにが、そんなに忙しいの?
そんな今しないといけないことが
スマホの中にあるの?
スマホ観ている人に囲まれ
スマホをみない僕は
何者なの?と疎外感さえ感じた。

みんな、周りのことをみる暇がないぐらい
忙しいの?
現代人が、みんなが
なんにそんなに忙しいのか疑問に思ってしまうことが
都会に行くたびに思うのです。

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金と銭の違い

江戸言葉に
「江戸っ子は宵越しの銭はもたない」
があります。
一日の稼ぎはその日のうちに
使い切るという意味に現代風にいえば
なる。

銭と似た言葉に金という言葉があるが
今は銭という言葉は日常的には
使わないから
お金も銭も同じ意味捉えられるが
江戸の人はそうではない。
江戸時代
銭とは、まさに今もみなが考えるお金のこと
お金の単位と考えたようで
日銭を稼ぐ、安物買いの銭失いという言葉の銭は
現代で言うお金のことである。

それに対して
金は今で言う金貨のこと
小銭ではなく
大きく言うと、今で言う貯金、財産とも
考えていいのだと思う。

「小金を貯めている」という言葉は
お金を貯めている
お金を持っていることなのだ。

太っ腹に宵越しの銭はもたないといっていても
小金は持っている人が多かったのだと思います。

現代人も
お金を大切にしていて
必要な時、必要なものに銭を使うことが
大事だと思うのです。

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ボロボロに燃え尽きるまで

人生目的には
人それぞれいろいろだと思いますが
思想家の執行草舟さんは、その著書の中で

「人生の目的は
燃え尽きることにある。
その人の命がボロボロになるまで
燃え尽きたかどうか
わたしにとっての
成功哲学はそれだけです」
と書いています。

ちょっと過激な言葉で
そんな自己破滅的な生き方をしないと
しあわせになれないのか?と
一瞬ひいてしまいました。が

もう一度冷静になって
この言葉を読み直すと
ボロボロになるまで、生き抜け。
今を一生懸命、先のことを畏れず
一瞬、一瞬を全身全霊を込めて
生きていけ
という執行草舟さんの想いだと思うのです。

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貧乏くさくなりたくない

お金がなくては
生きていくことはできないし
お金があると
欲しいものも買うことだってできる。
お金があると
やりたいことだってできる。
お金があると願いや夢を叶えてくれる
気がしてくれる。

本当にそうだろうか?

石川啄木が
「働けど、働けど、我が暮らし楽にならず」
という歌を残してるけど
現代は
「働けど、働けど
稼げで、稼げど、我が暮らし楽にならず」
と思っている人が多いのだろうか?
それはおとなだけでなく
こどもがお金欲しさに犯罪に手を
染めてしまうこともある。

お金を稼ぐ目的が
かつてとは変わってきている。

自分は、戦争を経験した親に育てられたので
贅沢をするためにではなく
生きていくために
必死で稼いだ親に育てられた。

こどもである僕には
感じさせない苦労を
親はいっぱいしたおかげで
僕は何不足もなく今ここに生きることがある。

これは僕のことだけでなく
今までの日本人の生活はどこもそうであっただろう。

そう言えば
母親が生活が苦しいとつぶやくことがあり
その独り言をきいて
こどもの時父親に
「どうしてうちは苦しいの?」と尋ねると
父は
「戦争に負けたからだぞ」と言われ
それにこどもながらに納得して、それ以上
尋ねることはしなかった。

60年代はまだ日本はまだ貧乏だったけど
みんな「貧乏くさく」はなかったと思う。
逆にいうと
現代はものにあふれ豊かな時代になったけど
貧乏くさくなっていないだろうか?

貧乏と貧乏くさいは全く違う。
貧乏というのはクールでリアルな経済状態をいう。
だから、
例え貧乏だとしても、貧乏は精神状態とは関係ないので
心豊かに暮らすことができる。

最近の人の動きなどを見ていると
他人の富裕を羨む人もいるし
自分の財産をしっかり退蔵して
誰とも分かち合わない人も増えていないだろうか?
富を手にして、権力に近づいてしまうとは
もっぱら
税金を我が物のように私物化したり
公権力を私用に流用したり
公よりも私を大事にしていると思えるような
行動をしている人が増えてはないだろうか?

貧乏を脱して貧乏くさくなる人が増えていけば
この国はどうなっていくのだろうか?

お金に手にした後
貧乏くさく生きないようにしなくてはと
いつも思うのです。

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積善陰徳

この言葉は
中国民事代の袁了凡が書いた
「陰隲録」という書物に出てくる言葉。

ある日
了凡さんが占いをする易者と出会います。
易者は
「あなたはこれから先、どんどん出世するが
52歳で死にます。
こどもにも恵まれません。」
「この運命を変える積善陰徳という方法
を薦めたのです。
その方法を実行しては、
世のため人のためになるようなことを
コツコツと積み重ねて
こどもに恵まれ
74歳まで生きた」という話しです。

世のため、人のためになるような
素晴らしいことを誰にも
知られないようにやるのが陰徳。
この陰徳を積み重ねることによって
たまった徳が
未来を生きる孫やひ孫に
返っていくということ。

あなたの今の行動が
あなたの子孫に影響するのです。
いい祖先になれる方法です。

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チャイコフスキーの妻

という映画を観た。
チャイコフスキーと言えば
白鳥の湖、くるみ割り人形など
美しいメロディーの名曲を多く遺した
ロシアの大作曲家です。

その私生活は
男色家であるなど
その私生活は謎めいています。

そんなチャイコフスキーに妻がいたことを
この映画で初めて知り
その夫婦関係は
通常の夫婦とは全くことなるもの。

女性を愛すことができないチャイコフスキーを
愛してしまい
その愛を死ぬまで貫くことを
神に誓って結婚した妻の一生を描いたもの。
その妻の苦悩は想像以上で、その苦悩を
報われないかも知れない愛を信じて
生きた女性の姿を描いた映画でした。

男である自分にだけでなく
この女性にしかわからない面が描かれているので
この女性を理解することはできない。

映画をみながら
日本でも
彼から離婚を申し出ても、受け入れず
裁判まで起こし
別居していてて
数年に1回程度しか合わないのに
彼のための新居をつくっていたという
樹木希林さんと内田裕也さんの夫婦の思い出された。

もうお二人とも亡くなられているが
最近晩年に二人が初めて共演した番組を観た。
樹木希林さんも相変わらずの毒舌を吐いていたが
その仕草、視線の優しいこと
その仕草に、サングラスで目元はわからないけど
口元が緩む裕也さんの姿。
今も変わらない愛を貫いている夫婦の姿を見た。

そんなあとだったので
チャイコフスキー夫婦の運命の酷さに
涙した映画だった。

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意味のないことでも意味がある

幼い頃気がついてみたら
勉強もそうだし
親から進められた習い事も
やらされていた。

もっと遊びたいのに
みんな遊んでるのに
なんで今日はピアノのレッスン
そして今日はスイミングの日。
嫌々することって
意味があるのだろうかと
ものごころついたころには
そう思うことが増えてきた。

だから
親にやめたい、やめたいと
行く度に言っていたけど
親はうんと言わず
幼稚園から中学生になるまで
嫌々ながら続けていた。

そんなこどもの時に意味がないと思っていた経験は
おとなになって意味のある時間になっていることに
気がつくのです。

そのひとつは
意味のないことを一生懸命やった経験に
意味があるのだ。

こどもの時
一生懸命勉強した、水泳の練習をした
ピアノをした
その打ち込んだという経験が
何かに挑戦できることを
僕の身体に染みついているのだろう。
だから
おとなになっても
何かに挑戦して、どんな結果によるかもかかわらず
やり遂げられるのだという
自分しかわからない自信に繋がっているのだと思う。

今、自分の人生を振り返って
人生には何一つ無駄なことはないと思っている。
やめたいと言っても続けさせた
親に今は感謝しかないのです。

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やさしく生きる

「自分に厳しく、相手にはやさしく
という自己を確立しなさい」
これは
司馬遼太郎が小学生向けて書いた
「21世紀に生きる君たちへ」の中の言葉です。

司馬遼太郎氏だけでなく
僕たちも
こどもたちに向けて
人にに優しくしなさいなんて
言うことはよくあります。

でも、優しくするって
人間の本能ではないので
やさしさを身につけていけないものなので
訓練して身につけていけない。

だから口を酸っぱくして
言ってしまうのだろう。

やさしさを身につける訓練って?

いつも他人の傷みを感じ
労りの感情をもつことで
やさしさは育つものだと思う。
でも
他人のこころの傷みを感じることって
限られた個人の経験だけでは
意外に難しい。

自分の苦しい傷みを経験した時には
他の人にもらったやさしさを
いつも忘れないようにすること
そして
読書や他の人のつらい話しを聞いた時に
我がごとと感じる感性を育むことが
必要だと思うのです。

他人のことを思えあえる
やさしさにあふれる世界の実現になるヒントが
この言葉にあると思うのです。

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しあわせになる道は

心理学者のアドラーが
「自分だけでなく、
仲間の利益を大切にすること。
受け取るよりも多く
相手に与えること。
それが
幸福になる唯一の道である」と
言っています。

人はひとりでは生きていないし
ひとりだけで生きていることも
できません。
どんなに才能があふれる人でも
誰かの支えがあってこそ
生きていけるのです。

自分がしあわせになるためには
周りの人たちがしあわせであるのが
絶対条件なのだと思うのです。

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ボランティア

ボランティアというと
何かを見返りを求めないで
してあげることって
思うだろうけど
僕は
ボランティアは、何かをさせてもらうことで
学ばさせてもらっている。
だからそれ以上の対価を求めないというのが

ボランティア活動を重んじるアメリカ人の
考え方です。
つまり
僕たちは
ボランティアをしたということに
満足して終わることが多い気がする。
でも、させてもらったという
意識を持って行うと
その謙虚な気持ちが
深い人間形成に繋がるのだと思う。

ソプラノ歌手の佐藤しのぶさんは
貧しいこども達に勇気を与えるために
度々海外に行かれたようですが
歌った後に
集まったこどもたちに逆に励まされ
世界には理不尽にも極貧のこどもたちの
いることを知り
その貧しさを解決できない自分の無力さを
感じたという
感想を遺されています。

ここに
ボランティアをする
本当のこころがあると思うのです。

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