「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
災害を未然に防ぐには
災害を未然に防ぐためには
「人の心が平穏でなかったら
その心のエネルギーは
世の中を見出し
そのエネルギーが集まると
邪気になる。
邪気、すなわち悪いエネルギーがたまることが
災害を産むのである。
平穏な心で
人々が過ごすことができれば
災害がくるのを
防ぐことができる」と思うのです。
つまり
世の中に悪いエネルギーが高まることが原因で
地震、洪水、津波、疫病を産むのです。
ですから
災害を防ぐのは
今生きている人類の心の
在りようによると言うことです。
具体的には
1日1回短い時間でいいので
心静め、めを閉じ
自分の呼吸感じいや
自分の呼吸に集中する
自分が息を感じます。
すると自分が生きているのだという
実感が湧きます。
生きているのはなぜか
生きることができている理由は・・・など
次々
自分の生きている意味に
思い当たることがあります。
そして次に起こるのは
生きていることに対する
感謝の気持ちが芽生えてきます。
その感謝の気持ちをもって生きる
その感謝のエネルギーは
色んな人に伝わっていき
世の中に平穏なエネルギーで
あふれることになります。
その平穏なエネルギーで
この地球が満たされれば
人を苦しめ続けるような災害は起こらない
と思うのです。
今、コロナウイルス騒動も
人々の邪悪なエネルギーの影響と思うのです。
今生きていることを感じて
生きていることに感謝して
みんなが過ごしていけば
なにも怖れることはない気がするのです。
元総理が語った長寿のコツ
安倍晋三元総理の兄が
安倍家の家族についてかかれた
「安倍家の素顔」という本を読んだ。
この本は
作家自身の取材を元に書かれた本ではなく
安倍晋三氏の兄である安倍寛信氏が
ご自身の思い出として
書かれているので
政治家一家の表の顔、裏の顔が
政治家としての一面、家庭人としての一面など
赤裸々に描かれており
とても興味深い内容だった。
この本を読んで
色々感じることもあったが
このブログで、みなさんに知っていただきたいことは
90歳の天寿を全うされた
晋三氏の母方祖父であられ
昭和の大政治家であった岸信介氏が語った
長寿のコツについてです。
氏いわく、長寿のコツは2つあると
まず一つは不義理をすること。
不義理と言っても、岸氏も総理まで務められた
大政治家であり、不義理を尽くさずして
生きてきたわけではなく
昭和の大政治家であり一般人以上に義理人情を
尽くしてこられた方だからこその不義理と言う言葉。
きっと、義理人情に縛られることは
寿命をする減らすことになる。
だから、ある程度の年齢になり
人生の集大成の年齢になれば
義理立ても好きなだけにして
ちょっとぐらい不義理なぐらいで
生きていく方が、長生きできると言われている。
僕も先日のブログで
しがらみの話を書いたが
しがらみの整理も必要なのかもしれないです。
2つめは、規則正しい生活だと。
岸氏は戦後すぐ戦犯の疑いがかけられ
3年間ほど過ごした巣鴨プリズンでの
生活を振り返られ
プリズンでは、朝5時半に起き、夜9時には就寝。
1日1時間は運動、部屋の掃除などさせられ
食事は腹八部目、間食は一切なしという
規則正しい生活を3年間され
これの時の習慣が、それまでの不規則の生活を
改善してくれた。
その生活があったから長生きできた
まさに人間塞翁が馬と語られています。
この経験を踏まえて
50歳になったら1回刑務所暮らしをするのがいいと
笑って語っていたとか。
思えば、自分も
50歳過ぎて3ヶ月過ぎの入院生活を経験して
生活が一変しました。
全てのことをこなすのが難しくなり
不義理なことを申し出ることも増えました。
生活も、入院後今でも
朝5時に起き、夜9時には寝床に入り
朝、氏神様へのあいさつをかねて神社まで
1時間ほどウォーキング。
食事もほどほど、入院時の体重を維持してます。
この生活をつづければ
僕も長生きできるかが証明できるかと
思いますが。
もうひとつ、長生きするかどうかは
本人のもってる寿命がありますから・・・
実際長生きできるかどうかは
死ぬときにしかわかりませんが。
僕が、今言えることは
病気の後、心身ともに生きやすくなっていること。
ですから
みなさんにも
安倍元総理のおじいさんの岸氏の長生きのコツを
是非、実践されてみてはいかがですか?
悩みは必ず解決できる
誰もが問題にぶつかると
その問題を解決しようと
考えるでしょう。
そして、解決方法がみつからないと
悩むでしょう。
でも悩んだ時の状況を考えた時
悩みを解決する方法が
ひとつやふたつは見つかっていることに
気づいているのです。
しかし、その後も悩み続けてしまうのは
その解決方法を
やるかどうかで悩んでいるのことに
気がついたのです。
悩んでいる時だけでなく
自分のことを一番わかっているのは
自分だし
悩んでいる問題に対して
一番真剣に考えているのも
自分なんです。
これは
僕のことだけでなく
誰にもあてはまることだと思います。
考えに考えて
解決方法は見つかっているのに
その解決策をやるかどうかに迷ってるだけなんです。
考えているだけでは
絶対に問題は解決しません。
考えた解決方法を実行する勇気をもてば
必ず解決に繋がるはずです。
「悩んでいる人は
解決方法を知らないのではなく
それをしっていてもやりたくないだけ」
なんです。
浦島太郎の意味
日本人なら
誰でも知っているおとぎ話として
浦島太郎があります。
ただお話として読んでも
楽しめるけど
浦島太郎に関連した伝説が
日本のあちこちにあったり
何か深い意味があるのでは
深読みもできる
奥の深いお話に思えるのです。
僕なりに
この浦島太郎を読み解いてみると。
浦島太郎は
この世に、この世界に生まれた意味を
抽象的に示している気がするのです。
つまり
浦島太郎が訪れた竜宮城は子宮
海は羊水。
亀に竜宮城に連れて行かれた浦島太郎は
子宮に連れて行かれたのです。
つまり
男女の交尾、つまり太郎は精子なのです。
竜宮城で
一定期間四季を竜宮城で
過ごした太郎は10月10日たって
家に帰りたいと言って
家に戻ります。つまり出産を迎えるのです。
そして
竜宮城を出るとき
乙姫様から玉手箱をもらいます。
物語の中でも
特に意味深な玉手箱の意味は・・・
僕は次のように意味が
積まれているような気がするのです。
玉手箱の中には
生まれる前、生まれるまでの記憶が
詰め込まれ
そして、この世に学ぶべきこと
学ぼうとして書き留めた覚え書きのような物が
入っているのかと思います。
人間は
不死不滅の魂としていますが
この世には
新たな経験、魂磨く、己自身の成長するため
限られた肉体を手にして
これまでの経験を封印して
生まれてきていると思います。
人間は
この世では限られた
肉体をもって生まれてくるので
いつか必ず肉体は滅び
真実の姿、己自身に変えるために必要な物が
玉手箱に収めて生まれてきているのでは
ないでしょうか?
肉体は滅ぶ、限られたいのちのなか
自分生まれてきた意味があること
有限ないのちの中にある誘惑におぼれるなと
言う意味が
この玉手箱自身をもつ意味ではないかと
僕は思うのです。
太郎は
玉手箱ををついに明けてしまいます。
1段目の箱をあけると
あっという間に年をとってしまいました。
つまり
この世での目的を知り
この世で生きていく時間が残り少ないことを
教えてくれるのでしょう。
そして
2段目を開けると
鶴となって飛び立ってしまいました。
鶴になった浦島太郎は
どこに飛び立ったかは描かれていません。
鶴は渡り鳥です。
つまり、自分の生まれたふるさとへと
帰って言ったのではないでしょうか?
異国の地で
肉体を得て、様々な経験をし
学ぶことを学び
目的であった魂の成長を果たして
ふるさとへと戻っていった。
これが
浦島太郎の伝えてることではないかと
僕は思えて仕方ないのです。
人間の真実の姿は
魂ってことを現代人に伝えてるお話なんでしょうね。
情けは人のためにならず
ということわざがあります。
このことわざは
「人に情けをかけると
巡り巡ってやがて
自分のところに返ってくる」と言うことを
教えることわざです。
でも
この言葉はいかにも
日本人らしい発想のことわざだと思います。
誰かに優しくしても、その後
直接自分がやさしくされなくても
いつか誰かに優しくされることもあるだろうし
もし自分が優しくされなくても
自分のこどもが、孫が助けられれば
いいではないか。
だから、人に親切にしなさい・・・と
僕たちは教えられて育ってきました。
でも
世界には
色んな考え方の人がいます。
現実重視の民俗であれば
お礼をすぐ目に見える形で欲しい
自分がした恩義はすぐに求めてしまったら
もしお礼がなかったら・・・
折角いいことをしても
その後に相手を恨み、猜疑心が生まれ
だんだんその心が大きくなり
憎しみと変わってしまい
争いへと極端な話し続くかもしれません。
そんな気持ちを起こさないように
やんわりとなだめてくれるのが
このことわざの意図するところなのかも
しれません。
壮大なスケールのものに身を置く
人間だけが
将来のことを考えて
悩み、考えて行動するので
不安に感じてしまうし
頑張れる源になります。
年をとっても
将来に対する不安はあります。
若い時とちがうのは
不安の度合いが強まると言うより
自分ではどうしようもない
力の及ばなさを感じるからではないでしょうか?
年をとったら
壮大なスケールのものに触れて
震えるような体験にしてみることが
いいのではないかと思います。
非常に大きな建物、歴史的な建造物
大きな滝、満天の星空など
壮大な自然、物を観て胸を踊らす
体験のことをオウ体験と呼んでいます。
僕も最近日本に古くからある仏像の
勉強を初めて
昔の人の信仰心、生き方を感じ
聖徳太子さえ、色んな悩みを乗り越えようとした
ように感じて
悠久の時間に身を置いた瞬間
自分の悩みが吹っ飛んでいくのを
感じました。
悩みを感じ
人生に行き詰まりを感じたら
壮大なスケールの物に
身を置くことをお勧めします。
人間の器を高めるために
こどもの頃から
お年寄りは自分とは違って
威厳のある立派な存在だと思って
見ていました。
そして、見た目も
お年寄りと言えば
伊藤博文のように
立派な風貌をしているものだと
イメージしていました。
いざ、自分が周りから
年を重ねた世代になってきても
ちっともこどもの時に描いた
年寄りではありません。
でも、僕にとっての
なりたい年寄りのイメージは変わりません。
そして
もっとはっきりなりたい姿を表現
できるようになりました。
それは
器の大きな人間だということです。
人間には、持って生まれた器の大きさが
あると思います。
そしてその器は知恵を身につけ、経験を積むことで
大きくなっていくものです。
良き経験、知恵を積み重ねるために
必要なことは、自己肯定感です。
自己肯定感が高いほど
器は安定し大きくなっていくのです。
自己肯定感をいかに高くするか
自信をいかにつけるか。
このことが仕事や人生そのものの質を
大きく左右する鍵を握っているのです。
そして自己肯定感を磨くのは
自分の力だけでなく
周りの人からの影響も受けます。
周りの人から、褒められたり
周りの人の役に立ったり
周りの人によって培われていくのです。
周りの人のいいことを見つけ
そのいいところを
その人に伝え、褒めてあげること
で褒められた人の自己肯定感が上がってきます。
そして褒められた人は
自分の気づかなかった力を見つけてくれた人の
度量の大きさに感謝することでしょう。
そのことで
褒めた側の器も大きくなっていくのです。
ベストを尽くすだけでいい
いつも、どんな時も
何事にもベストを尽くそう。
と思ってきた。
ベストを尽くすことで
いい結果を生み出すことができる。
ベストを尽くさないと
いい結果を出すことがでない。
だから、いつも
結果をだすために
結果がでなくても
後悔しないために頑張ってきたし
そう教えられてきた。
若い時には
結果にこだわってきた
しかし
年を重ねてくると
ベストを尽くしても
結果にこだわらなくなってきた気がする。
今持っている力を
全て出し切ることが大事に感じる。
結果にこだわってしまうと
結果を気にする余り
無心で力を出し切れなくなっていくことが
ふえてきた。
だから
ベストを尽くしていれば
それがどんな結果になろうとも
その結果を真摯に受け止めればいい。
例えいい結果が生まれなくても
その時のベストを尽くしていれば
グズグズと反省などしなくてもいい。
後悔している時間など
もったいない。
結果にこだわらず
今できるベストを尽くすことが大事
得るは捨つるにあり~お金の不思議な法則~
この言葉は
何か始めようと思ったら
何かを終えなければならないということ。
例えば
人にやさしくしてもらいたいなら
まずは自分からやさしくすること。
愛されたいと思うなら
愛することから始めること。
望むことがあるならば
まずは自分から行動を起こすこと。
生きていくためにお金は必要です。
そしてお金を手にすると
もっと欲しくなったり
どれだけあっても満足しないのがお金。
お金はなくても困るし
持ちすぎても悩まされます。
生きている限り
お金に悩まされることは
誰にも多少なりともあることでしょう。
お金を稼ごうと思うなら
まずは金払いがよくならないといけません。
商売をするなら
どんなに金回りに困っていても
支払いは喜んですること。
お金は先に出さないと
決して入ってこない
不思議なお金の法則があるのです。
最期の1%がよければいい
マザーテレサは
「人生の99%が不幸でも
最期の1%がしあわせならば
その人の人生はしあわせな人生に変わる」
という言葉を残している。
どんな気持ちで
死を迎えられるかが
確かに自分の人生のまとめになるのだと思う。
でも
誰にもその最期の瞬間がいつ訪れるかなんて
わからない。
病気をしていても、いなくても
突然死は訪れる。
だから
生きている今の時間を大切に
生きていくのだと言うことを
マザーテレサは教えてくれているのでしょう。