今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

いのちは地球より重い

僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。

ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」

この両面から
 いのちは支えられていると思います。

もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
 親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの

この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。

昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。

ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。

人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。

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悪人も善人もない

人間には
悪人でも善人もないと思うのです。
でも、実際人は
誰もが大なり小なりがあるとしても
いいことだってするし、ちょっと悪いことだって
することもあると思います。

罪になるかならないかは
ごく単純に、その時
思慮がかけていたかどうかってことに
なるのではないでしょうか?

人の道を踏み外してしまうのは
その人が悪人だからということではなく
愚かさではないでしょうか?
愚かな行為をしてしまうのは
ふとした瞬間、こころを愚かさに支配されてしまった
からではないでしょうか?

人間にはいい心も悪いこころもある。
罪を犯してしまうのは
その人が悪人だからではなく
その人をそうさせたことを汲み取らないと
おぇないのだと思うのです。

だから
人を責めてはいけないのだと思うのです。

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日々是好日

この言葉は禅の言葉で
「どんな一日もよい日だ」という意味だと
解釈されますが
今日、今がいい日だ、今日が最良の一日だとすると
明日もいい日、明後日も、明明後日もいい日になるし
逆に
昨日も、一昨日も最高の日を生きてきたとしたならば
毎日を好日で生きていたら
生きている日にいい日も悪い日もないのでは
ないでしょうか?

だから
今日が好日か不好日かということには
意味がないということを言っているのではないでしょうか?

要は
毎日がよい日なら、もはやいいも悪いもないという意味を
この禅語はいいているのではないでしょうか?

実はこの禅語の前には、こんな言葉があります。
「十五日以前は、則ち問わず。
十五日以降は則ち如何」
「十五日以前のことは問わないが
十五日以降のことはどうだ?」という意味です。

これは
以前と以後を
人生の前半と後半と解釈することもできます。

この言葉は
人生に価値のある時とない時があるのか?
と問いかけていると思うのです。

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いつまでも夢をもち続ける

夢をもっていますか?
夢がかなったら
どんな気持ちになると思いますか?

夢について
どんどん考えてみて下さい。

”こんな風になりたい”と
思っただけで
なんだかワクワクしませんか
そんなワクワクするような
心躍る夢を持てたら
それだけで
しあわせに気分になりませんか?

夢って
叶えることが大事じゃなくて
夢を持つことが大切なんと思う
でも
新しいことを
始めようとすると
まわりから反対されたり
様々な困難なことが
起こるかもしれない。

”夢”持っている限り
どんな困難にも
立ち向かうことができる。

”夢”を持ってるから
”自分”を信じて
あきらめずにやり抜くことは
できるんだと思う。

夢に向かっていく生き方は
人生を
輝き、豊かなものにしてくれる。
そして
夢は
いくつになっても
持ち続けることができる。

人間、志を立てるのに遅すぎることはない
いくつになっても夢は叶う。
いくつになっても
夢を持ち続けることはとっても大切。

人は死ぬまで
理想に向かって
夢に向かって
生き続けることができる
”夢”をもつ生き方が
人生を輝かせてくれる

さあ
”夢”に向って
輝く未来に向かって
生きていきましょう。

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表と裏

 

今、我々の人類は
大切な岐路になっている気がします。
新型コロナウイルスパンデミックを経験したのも
物質主義の対する警鐘だったのかもしれません。

科学の発達した
現代社会に生きる我々は
目に見えるものしか
頭で納得したものしか
信じられなくなっています。

でも
コロナウイルスの登場によって
科学は万能でなく
目に見えるものが全てでないことを
知る結果になったのではないでしょうか。

この世に存在する全てのものには
裏表の2面性があります。
目に見えるものと、見えないもの。
例えば光と影。
影があるから、光を感じることができます。

谷川俊太郎さんの
「闇は光の母」という詩を紹介うします。

闇がなければ光はなかった
闇は光の母

光がなければ眼はなかった
眼は光の子ども

目に見えるものが隠している
目に見えぬもの

人間は母の体内の闇から生まれ
ふるさとの闇へと帰って行く

つかの間のひかりによって
世界のかぎりない美しさを知り

こころとからだにひそむ宇宙を
眼が休む夜に夢見る

・・・・・つづく

全てのものが
目に見える部分、見えない部分から
成り立っていることを
知らないといけないのです。

我々のからだも
肉体と心、肉体と魂
見える部分、見えない部分から成り立っているのです。

これまでの医療は、
検査技術を駆使して
原因をあぶり出し見える化して
それに対応して治療してきました。
でも、
これでは表の部分しか治療していないと言うことですね。

目に見えないところにある
裏の部分を治療しないと
病気は完治できないのです。

コロナウイルスに対して
我々がやったことは
PCR検査の充実
ワクチンの普及などの目に見える効果を期待したことでした。

でも、本当に元気に、しあわせに生きようとするなら
目に見える結果だけでなく
目に見えない影の部分にもアプローチしないといけないと
考えます。

そして、
コロナウイルスも、病気の原因にも
表と裏、光と影の面があることを
知らせようと思ってる気がするのです。

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輪廻転生を受け入れることの恩恵

最近輪廻転生があると
仰る方が増えています。
僕も、輪廻転生はあると
信じる派ですが
輪廻転生のことを
実際に証明した人もいませんし
証明することは
現代の科学の力を結集しても
難しい問題だと思います。

輪廻転生の存在を証明することが
できなくても
直感的に
存在を信じることはできます。
そして
輪廻転生を受け入れることで
生きていく上で恩恵をうけることができます。

その恩恵とは
死に対する恐怖を克服することが
可能になるのです。

僕たちは
生きている限り
死に対する不安をもって
生きることになります。

死に対して
どうして不安になるかと言えば
それは
死によって全てが終わると考えるから
死によって
生きていた人生の価値が
無意味なものになってしまうと
考えてしまうからです。

輪廻転生があると思えば
今生での死で
僕の人生が終わるわけではない。
死に対する恐怖から解放され
人生に対して
永続的な価値を見つけ出すことが
可能になるのです。
そして
人生自体にたいしても
精神的な余裕が出てきて
人生に対して焦ることなく
ゆとりを持って、一歩一歩確実に
歩めるようになるのでは
ないでしょうか?

余裕を持って生きることは
別に怠惰な人生を送ることを
意味していることではありません。
人生の意味を深く考えられるようになり
自分の人生を
目先の利益にこだわることなく
充実させて生きることに目覚め
大切にいきようとするでしょう。

人生に対して
余裕の気持ちが生まれることで
人生そのものが豊かなものになるでしょう。

恐怖でなく
死を迎えるその瞬間まで
有意義に生きることができる。
そして
死の瞬間その時には
来世に対する希望に満ちあふれた気持ちで
その瞬間を迎えられることでしょう。

まだ誰も証明できていない輪廻転生
信じて生きてみませんか?

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人生の二毛作、三毛作

人生は短いようで長い。
そう感じるのは、人生のステップには
何段階もあると思うからです。
一つのキャリアが終われば
次に向けてのステップの始まります。

つまり
今のキャリアで
その時描いていた夢や希望が打ち砕かれても
そこで人生が終わるわけではないのです。
さっさと、次のステップに進めばいいのです。

人生に夢が一度だけというのは
大きな思い込みです。
僕は人生は二毛作ぐらいは当たり前。
生きようと思えば
三毛作以上の多毛作だって可能なんです。

人生に負けなんてありません。
立ち上がる気があれば
勝つまで生き続けられるのです。

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好奇心と希望

長谷川スケールを作られ
認知症について大きな足跡を残された
長谷川先生が
ご自身も認知症となり
91歳にもなられた誕生日に
娘さんとこんな会話をされたそうです。

娘さん
「お誕生日おめでとう。どんな気分」
長谷川先生
「普通だよ
そんなにうれしいってこともないよ。
でも、僕は103歳まで生きようと思うの」
「え、そうなの?
何か理由があるの?」
「うん、100歳を越えてみたいと思って」

人間って
生きている内に
次はどうなるかなんて
全くわからない。
でも
人間って好奇心の塊でもあるので
その先になるのか知りたがる。
同じ類人猿である猿と人間の
大きなちがいは
この好奇心が強いかどうかだと思う。

世界的な発見をして
科学者も
同じ人間の中でも
特に好奇心が強く
好奇心を満たすことを仕事にしたので
重要な発見をして
名を残せているのだと思う。

この好奇心のおかげで
人は進歩、進化を繰り返し
今の生活が実現できた。

好奇心は人間だけ
神様から与えられた
プレゼントだと思う。

寿命がわからないのも
例え、寿命を決めて生まれてきていても
知らないことで
いつまで経っても
90歳を越えても、いや100歳を越えても
今生きている先の世界が
どうなっているのか知りたい
好奇心を失うことはない。

そして
好奇心があるから
人は前を向いて歩いていけるのだと思う。
その生きる好奇心を
人は希望というのかもしれない。

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過去が未来を決めるのではなく、未来が過去を決める

人生を時間軸で考えていると
過去から現在そして未来と続いている
一本道に考えてしまうけど。
本当にそうだろうか?

一本道であるなら
もう過ぎ去った過去は変えることはできない。
確かに
過去に起こった出来事
過去にやったことは事実なのは確か。
でも
過去に起こったことの感情や思いは
その時のままだろうか?

今も過去の出来事
例えば病気したことを悔いた
悲しい出来事と思っていても
その病気をきっかけに
それからの自分の生きる道が変わるかもしれない。
そして、新しい人生を歩めたきっかけだとしたなら
過去の病気は
後悔でなく、自分を新しい世界へと誘ってくれた
背中を押してくれた大切な経験に
一瞬のしてかわってしまう。

物理学者の佐治晴夫氏が
「これまでがこれからを決めるのではなく
これからがこれまでを決める」と
仰っています。

過去の生き方で人生が決まるのではなく
未来にどう生きたかで過去が変わってくることを
覚えて生きていたい。

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侍タイムスリッパー

今年の日本アカデミー作品賞をとった作品で
自主制作の作品だったと聞いて
これはみないと・・・と思って
観に行った。

時代は140年前の
明治維新直前の夜明けの時。
尊皇攘夷、開国問題で
世の中が二分されていた時代。
会津の侍と長州の侍が対決していたその瞬間
なぜか
二人が雷に打たれ
現代に来てしまった会津の侍。

現代でも
侍として生きようとして
多くの人の助けと理解のおかげで
なじんで生き始め
仕事ぶりも認められ
大きな仕事を依頼された。
その仕事の相手が
長州のあの侍だったのだ。
現代で、140年前の果たし合いを行うことに
ひょんなきっかけでなるのです。
決着は・・・是非映画を観て欲しいのですが。

あの明治維新の時代
色んな考え方があり
その時代のご先祖様がいのちを賭けて
良い国にしようと戦ってくれたことを忘れずに
生きていくことが
その時代の人々に対する供養になるのだと思うのです。

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