今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

目標よりも大切なもの

人生において大切なものは数々あります。

幼い頃から学校では目標を立てなさいと言われたし
学校だけでなく職場においても
目標を掲げて働くことを強いられることも
多くあります。
そして、その目標を達成するために
何を、どう過ごしていくか決めなさい。
つまり、目標の道程を
可視化しようという場面も
多々あります。

人生において
目標に向かって前進することが
大事なんだと植え付けられてきましたが
可視化できる目標なら、わかりやすいが
目標には可視化できない
こころの中に秘めたものだってあるはず。
それに対しては
目標達成を実感するというより
予感するという感覚でかんじるもの。

このように考えると
人生において重要なのは
目標をもって前進するよりも
原点を見失わないことのような気がする。

原点のことを
初心だという人もいるし
ある人は目的だという人もあるでしょう。

目標、目的を描いたその瞬間が
原点だということにならないでしょうか?
その原点を描いた出発点の気持ちを忘れずに
前に進むことが
最後は原点の思いを満足させる人生のような気がするのです。

今の気持ち、原点を忘れずに
日々生きていきたいものです。

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魂の誕生

輪廻転生がある
魂の存在があると信じている人は
増えてきているが
実際その存在を証明した人はいない。
でも、魂の存在を思わせるような
体験談を報告されるかたがいる。

脳科学者で
AIによる人工脳の開発に携わっている
科学者であられる黒川伊保子さんが
自分の出産直前に経験した
不思議な感覚を書き残されているので
紹介します。

「出産前夜。
眠りについた私は、深い眠りに落ちる寸前に
ふと目が覚めた。
何か尋常じゃない気配を感じて。
霊ではなく、時空の亀裂といったほうが当たっているかも。
私の枕の元のすぐ上で
トンネルのような穴が開いた感覚があったのだ。
深い深いトンネルだった。
私の後頭部のわずか10センチほどのところに
その空間はぽっかりと口を開けた。
ごうっという音を聞いた気がした。
私の脳裏に浮かんだのは、「死が近くにある」という感覚だった。
しかし、なぜか、私はちっとも怖くなかった。
そこは懐かしい場所につながっているきがしたからだ。
翌朝、お産がはじまった」

この文書を目にした僕は驚愕した。

お産前に感じた
この世とは別の世界がある
そこに生と死があると感じた体験。
同様なことは
時折生まれたこどもが語る記録はあるが
母親の出産前に感じた体験をきいたことは
僕はない。
科学者である彼女が非体験なことを書き残すはずはない。

この文を読んで
僕は魂のふるさとがあると
また確信するに至った。

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TATAMI

という映画を観た。
この映画は主人公はイラン人の柔道選手。
金メダルが狙える世界大会に出場したが
その対戦相手にイスラエル選手がいた。
イスラエルとの友好な関係を保ちたい
イラン政府は、この一選手に棄権するように
様々な圧力をかけてくる。

本人にだけでなく
家族を拉致しようとする。
その中での戦い
多の選手にはないプレッシャーとの戦い。
どうすべきかの苦悩の中
戦い続けて
最終判断は・・・
と大きな組織と戦うサスペンス映画の体しているが
リアルにあふれる試合の状況が
困難な状況を伝えてくる。

日本は人権をよく考えてくれる
いい国だと思うと同時に
世界にはコマとして生かされている国があることを
忘れてはいけないと強いメッセージにこころ震えた
秀作の映画だった。

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チャレンジを止めないための禁句

人生にはチャレンジしないといけないことも多く
チャレンジをやめてしまうと
進歩も止まってしまう。

チャレンジは
若者の特権のように思われるかもしれないけど
そんなことはなくて
70代でも、80代でも、そして90歳になっても
新しいことにチャレンジされているかたは
多くいらっしゃいます。
年をとっても
新たなことにチャレンジしていきたいと思っています。
歩みを止めているのは
年齢ではなく
できないと思っている自分自身の考えかもしれません。

ですから
チャレンジの機会が訪れた時に
その機会を逃さないようにする
3つの禁句をこころに留めて起きたいと思います。

一つ目の禁句は
「やったことがないからやらない」
やったことがないから
やってみないと何もはじまらないです。

二つめの禁句は
「ごめん、興味がない」
折角のお誘いを、こう断ってしまうと
人間関係は失わなくても
自分自身の経験は失われます。
もったいない。

三つめの禁句は
「今のままでいい」
本当に今のままでいいと思っているのですか?
もっと違う自分自身になろうと
おもわないですか?

何歳になっても
成長したいと思うし
いくつになっても
チャレンジすることを怖れずに
生きていたいと思うのです。

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受けた恩は絶対に忘れない

人間は一人で生きていくことはできません。
日々多くの人に支えられ、助けられ過ごしていきます。

今していること、
今の仕事に関すること
自分の利益につながりそうな人に対しては
誰もが礼を尽くすことを忘れないでしょう。

でも
自分の目の前を通り過ぎた人
過去にお世話になった人
に対しては
恩を忘れていないですか?

人から恩を受けた時の気持ちは
時間が経っても
決して忘れてはいけないものです。

人から受けた恩を忘れず
受けた恩に対して報いる努力をする
自分もまた、他の人に対して
受けた恩を送るような
人生が過ごせたら
しあわせな人生だと思いませんか?

誰にでも
お世話になった人は必ずいます。
両親、師、友人、知人・・・・
誰もがあなたのために
手を差し伸べてくれたのではないでしょうか?

その一人一人に
感謝の気持ちを伝えることができれば
気持ちも人生も豊かに
なるような気がします。

毎日一人づつ感謝したら
一年で365人
3年で1000人近い方に感謝することができます。

現代は、
手紙、電話、メール、ライン
様々な伝達方法があります。

自分に合った方法で伝える
また
決して、形にしなくても
その人に感謝して、しあわせを祈るだけでも
恩を尽くすことのような気がします。

受けた恩を絶対忘れることなく
あなたらしく
感謝をもって日々生きることが
できたら、きっと
あなたの心を豊かにし、
しあわせな人生へと
つながっていくのだと思います。

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あの世に持っていけるもの

人は
裸一環でこの世に生まれてきて
死ぬときも
この世で手に入れたもの
からだ一つ
持って行けない。

からだも
無くなるので
確かに今生で手に入れたものは
なに一つ持っていけない
全てのものを置いて
魂のふるさとへ
帰って行くと思っていた。

しかし
持って行けるものがあることに
気づいた。
それは”徳”

そういえば
松下幸之助さんが
「徳を積むことはこの世で
最も尊い行為である」と
語られていたし
稲盛和夫さんも
「利他の心、徳を積むこと」の
大切さを
度々語られていたことを思い出す。

これは、松下さんや稲盛さんのような
偉大な経営者が語った言葉ではなく
おじいちゃん、おばあちゃんなど
身近な方にも
徳を積む生き方をしなさい
徳を天に貯金しておきなさい。
あなたは、ご先祖さんの徳の貯金を使って
生きていることができるんだよ・・・・など
”徳を積む”ことの大切は
からだに染みついているのです。

徳を積むということは
魂のレベルを上げることに
つながっているのではないかと
僕は思っています。

また
魂をある意識対と考えるなら
魂という意識体は
この世では肉体を伴うことで
活動している。
しかし
この世で死を迎え
肉体が滅んでしまった後には
意識体である魂だけが
あの世に戻っていく。

あの世で何をするか?
次回生きるための
人生を設計、大枠を作っていると
思います。
今回得た経験を分析し
魂を成長させるために
何が必要で、必要でないかを
今回の徳を分析して
判断するのだと思います。

ですから
あの世には
この世で積んだ徳は持って行けるのです。
徳とは
あなたの全ての行動ではないでしょうか?
あなたは
今の行動は、あなたが望んだ行為?経験?
あなたの魂の成長に必要なことなんだと思います。

何を学ぶためにいきているか?なんて
意識することはできません。
ただ、できることは
今、自分の身に起きた経験を、人生を
一生懸命生きることなんだと思います。

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オールドでなくビンテージを目指す

年をとることを
単に古くなる、つまり単に年を重ねる
新しいものに対して古くなったもの
つまりオールドと捉えると
若い者に比べてどこか負い目をかんじてしまいます。

でも年を重ねることは
単に長く生きて来ただけでなく
若い人がもっていないような
経験を積み、価値が増えていないでしょうか?

年を重ねるにつれて
価値が上がっていないといけない
若者の手本になるような
生き方をしていないといけない。

豊かなしあわせは
物質的なものからだけにから生まれるのではなく
精神的な豊かなものから生まれてくると思うし
そう信じて生きていこうと思うのです。

還暦を過ぎオールドな生き方でなく
ビンテージな生き方をしていこうと思うのです。

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出会いと別れは次元上昇の証拠

これまでの人生
自分の歩んできた道を
振り返ると
様々な人との出会いがあり
その時々に僕を助けてくれました。
今でも感謝の気持ちを
持ち続けています。

それは人との出会いだけでなく
今のクリニックができるまで
様々なご縁に恵まれ
様々な組織に所属することになりました。

長く
組織に所属すると
組織と組織のある目的
益を求める姿を目にするようになるけど
自分の求めてるものとは違うと思っても
組織ご縁に恩返しするためにも
その組織の目的を受け止め
活動するようなこともあり
一種の義務感で属する状態になっていました。
でも
所属し続けたのは
感謝の思いがあったからです。

あるとき
ふと、思いました。
「僕は、いったいいつまで所属するんだろう」
と思った瞬間に
「やめることなんか、考えると
バチが当たるぞ。
どんな状態でやめることになるのかな?
どう考えても自分の意志で
脱退するなんて無理だろうな。
きっと、死ぬまで所属するんだろうな」
と病気になる前に
たった一回だけ
ふと頭によぎった日のことを
今でも覚えています。

あのときから
2年が経ち
今、僕は全ての組織を
脱退しています。
病気になったことが脱退のきっかけ
なったは事実です。

病後なので
実際に参加が難しく
脱退せざる負えなかったのも事実です。
変わったのは
組織だけでなく
友達や知り合いの層など
おつきあいも変わりました。

今気づくと
とても身軽になった感覚です。
逆に
病気になる前と比べると、
昔は、かなり無理してたのかなぁ
と思えるくらい
今は楽になったなぁと実感しています。

病気になったことは
僕のからだだけでなく
周りの環境など
全てのものを変えてくれたんだと
これは
けがの光明といえるものなのでしょうか?

実際は
病気にならなくても
これまでも。同じようなことが
あったのです。
例えば
あんなに仲が良かったのに
けんかをしたわけではないのに
気がつくと
何年、何十年も音沙汰なくなり
疎遠になってしまうことを
経験したことはあります。

このことを
波動エネルギーの観点から考えると
起こりうることで
人は日々様々なことを経験しています。
経験を積むことは
その人の人としての
次元を上げることになります。
人は
同じ次元のエネルギー同士
の交わりをおこなうことで
更なる上の次元上昇を求めて
生きています。

ですから
環境が変われば
これまでの次元と変わり
それまでの次元の世界とは交わりがなくなり
疎遠になってしまうのです。

ですから
自然な別れがあっても
嘆くことはないのです。
必要な別れ、脱退と理解し
過去の出会いに縛られることなく
今、自分の置かれた世界を大事に
生きていくのが大事なことなのです。

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手のひらを太陽に

この歌は
僕が小学校時文化祭で
この曲に合わせてダンスを踊って
この歌を初めて知って
ダンスも気に入って
今はさすがに踊りはしないけど
本番が終わっても
この歌を口ずさみながら
ひとりでも踊っていた
思い出の曲。

この曲の振り付けできに行ってたのが
♪手のひらを太陽に、透かしてみれば
真っ赤に輝く僕のの血潮♪のところで
手のひらを広げて
思いっきり空に届くぐらい高く
見上げて
キラキラ真っ赤に輝く手のひらをみていた。

その太陽と重なって
赤くキラキラ光る手のひらが
大好きだったのを
今でもはっきり覚えています。

この歌の歌詞の原作者は
あのやなせたかしさん。
なぜ、やなせさんがこの詩を書いたかの
理由を知ったのです。

やなせさんは、とてもさみしくたまらなると
手のひらに懐中電灯を当てると
レントゲンを撮ったみたいに
血の色がびっくりするぐらい赤く
本当に桜のようにうつくしさに驚き、
見とれてしまったそうです。

そして
自分は元気がなくても
血は元気なんだと勇気をもらった体験を
この歌の歌詞に込めたそうです。

そして
自分の手のひらを見つめる瞑想法が在り
何か困ったことがあると自分の手のひらを見つめる
方もいらっしゃいます。

そう言えば
石川啄木も”じっと、手を見つめていました”

手には不思議なパワーがあるのです。

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年をとっても願いは変わらない

ひとつ年をとっても
新しい時代を迎えても
変わって欲しくないものがあります。
それは・・・・

ライオンは面白がって
シマウマを殺したりしません。
シマウマをどんどん殺して
シマウマを絶滅させることもありません。
ライオンが
シマウマを殺すのは
生きるためだから。

ライオンもシマウマも
全ての動物は生きていくために
自然の法則に従って生きている。
だから
自然を、地球を傷つけることはありません。

自然の中で
お互いのいのちを大事にする
生き方をすれば
平和に生きることができるはず。

でも
人間は争ったり奪い合ったり
お互いのいのちを粗末にして
生きようとする。

現代人は食べきれないほどの食べ物に囲まれ
食べ物を簡単に捨ててしまう。
いのちを満たす食事であれば
みんなしあわせに生きることができるのに

生まれるときは
何ももたずに
身ひとつで生まれてきたのに
地位や名誉、
少しでも多くの財産をもって
生きようとする。

知恵を持って生まれている人間なのに
本当に人間は賢いのだろうか?

もっと、もっと平和な時代になるために
知恵を使わないといけない
そんな気がしています。

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