「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
人を愛するとはその人のしあわせを願うこと
時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。
愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。
ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。
若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。
豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?
戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。
これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。
これが人の愛ある行動なのです。
相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。
つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。
お金を稼ぐ目的は
今後の生活をどうするかを考えるときに
いのちは大事だけど
経済活動も止められない。
そのために、なにができるのかと
政府も人々も悩まされている。
お金を持ちたい、
裕福になりたいという気持ちは
どなたにもあるでしょう。
そしてそのために
働いて、お金を稼がれていると思います。
でも、お金を稼ぐこと一生懸命になりすぎると
働く本来の目的がわからなくなります。
そんな時
海外のある寓話をききましたので
ご紹介します。
それは、次のようなお話です。
メキシコの小さい漁師町の港に
アメリカからハーバード大出身のMBA取得の
ビジネスマンがやってきて
漁が終わったばかりの漁師さんに尋ねました。
「その魚をとるのに何時間漁をしましたか?」
「ほんのちょっとの時間です」
「どうして、もっと長い時間漁をして
もっとたくさんの魚をとらないのですか?」
「家族が食べる分だけとれれば充分ですから」
「漁をしない余った時間はなにをしてるんですか?」
「たっぷり寝て、漁に出て
岸にいる時間は
こどもと遊び、妻と過ごす。
それから村へ行き
仲間と酒を飲み、ギターを弾く
そしてまた漁に出るの繰り返し。
忙しい人生なんですよ」
すると、ビジネスマンが苦笑して
アドバイスをはじめました。
「もっとたくさん漁をして
お金を稼いで
もっと大きな船を買う。
そうすれば、もっと稼げるし
もっと船を買えて、船団を作って
もっと、もっと多くの魚をとる。
そうすれば、缶詰工場を作って
魚を製品加工して
大量に売りさばけば
もっと大金が手に入ります。
大金をもっていれば
都会に出て
おおきな会社を作ればいい。
そうすればお金の心配することが
なくなりますよ」と
提案しました。
すると、今度は漁師が尋ねました。
「そこまでなるのは、どれくらい時間がかかるんだ?」
「20年から25年かな」
「その後は何するんですか?」
「株を売って、億万長者になれるよ」
「億万長者になったら、何をするんですか?」
「引退して
小さな漁村にでも移り住んで
こどもたちと遊ぶ、妻と過ごし
仲間達と酒を飲んで
ギターを弾いてのんびり過ごすのです。
どうだ、すばらしいだろう」
「????」
この話を読んで
何を感じられましたか?
豊かな人生って
お金を持つ、稼ぐ目的っなんでしょう。
ひとりひとりのしあわせってどこにあるでしょう。
お金では買うことのできないもので
身近にあるものかもしれませんね。
あなたの今もってるしあわせに気づき
失わないように過ごすことが
しあわせなことなんでしょうね。
お金、経済活動だけでは
人はしあわせになれないことを
今の時代が教えてくれているのでしょう
人生の三計
人間には成長段階に応じて
三つの計画を立てながら生きています。
「生計」「老計」「死計」の三つです。
若い時は「どのように生きるか」を考えます。
これが生計です。
そして徐々に年をとるにつれて
「どのように老いるか」をかんがえるようになります。(老計)
最後は「どのように死んでいくか」を
考えるようになります。(死計)
サンタブログ202504
本 執行草舟「老に学ぶ」P159
言葉上 127
#8人を愛するとはその人のしあわせを願うこと
時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。
愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。
ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。
若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。
豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?
戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。
これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。
これが人の愛ある行動なのです。
相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。
つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。
毎日楽しめばいい
GWが終わりました。
みなさんは、どんな風に過ごされましたか?
みなさん、それぞれ様々な体験をされたのではないでしょうか?
生きていると
病気になることもあるし
仕事が行き詰まったり
人間関係に疲れたり
色んな心配なこともあります。
人は
本質である魂を
肉体という鎧に包んで
この世に生まれてきたと
考える方もいられます。
なんで
肉体をもってうまれてきたのか?
それは
魂すなわち自分自身が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
魂は、平たくいえばエネルギーの状態とも
考えられます。
エネルギー=波動エネルギーともいえます。
エネルギーは
同じエネルギーと引き合います。
ですから、魂の状態では
同じエネルギー状態である
エネルギーと一緒にいる世界でしか
存在できません。
それは
ある意味居心地が
いい世界なのかもしれませんが
似たもの同士の世界なので
ある意味成長することが難しい
世界かもしれません。
そこで
魂が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
肉体をもって生まれることで
魂のもってるエネルギーに関わらず
色んなエネルギーの人と
ふれあうことができるようになるのです。
そして
エネルギーの違う人々と
接触できることで
今までの自分と違う考え方を知ったり
気軽に、自分が望めば
様々な経験ができます。
色んな人と出会い、共に生きることで
様々な経験をすることで
今までできなかった経験をして
その時、自分がどう過ごすかで
新しい世界を知ることになるのです。
いろいろな体験の中に身を置いた時
心が喜んでいることを感じることもあるでしょう。
これが
この世に生まれてきたから経験を分かち合えると
いうことなんだと思うのです。
生まれてきたことは
修行という苦しいものではない
前向きに楽しめばいいんだ。
魂が、もっといろんな経験を楽しめばいい
心から楽しめばいいと思うのです。
今日も、これからも
心から楽しく、喜んで過ごしましょう
美しい老人になるために
美しく死を迎えたいという人は
多いかもしれません。
しかし、死を迎える前に
多くのかたは老人になります。
美しく人生を終えるためには
美しい老人にならないとなのです。
死はその時にならないと
自分がどうなるかは想像の域を超えないけど
美しく年をとることは
生きているうちに、自分の意志でできることです。
美しい老人になるための
僕なりの条件を書いておきます。
美しい老人は
その人が魂の存在になる前の
人間としての完成形であると
考えるならば・・・
美しい老人になるための条件とは
「人間を人間たらしめるものを
自分の中にもっていることではないでしょうか?」
自分を自分らしく
自分を自分として生きているかが
何であるかと言うことだと思うのです。
言葉で表すのは難しいですが
自分の本心
自分の存在を超えた何か崇高で高貴な
本質的な存在だと思います。
あなた自身が
なぜ今ここに存在しているのか
今この時代を生きてきた理由。
あなたが知らない、気づかない力が
あなたにあることに気づき
その力の源に気づくこと、確信をもった時に
あなたの魂は輝きだし
あなたを美しい存在としてくれるのではないでしょうか?
その答えを探し続けるのが
生きている意味のひとつなのかもしれません。
戦争のない世の中になりましすように
戦争はしてはいけないことです。
日本では、第2次世界大戦以降
軍隊、武器の所有などを放棄し
戦争はいけないものだと教育され
実際戦争をすることもない時代になりました。
僕も
戦争を知らない世代で
実際の戦争を体験した世代も
年々少なくなってきています。
戦争を経験しなくても
世界中のあちこちでは戦争がおこり
自分は戦争を知らない世代だけど
とても平和な世の中になった
という実感はありません。
その理由は
現在の社会は、誰もが口々に
平和を訴えているけど
実際の武力衝突は回避しようとしているけど
現在優勢の資本経済主義社会では
武力衝突ではない形を変えての
戦争が起こっているからではないでしょうか?
暴力は
目に見えて人を傷つけ、尊いいのちを奪い
誰もがいけないことだと認識しています。
目に見える形の暴力はいけないけど
目には見えないけど、お金や原油など
豊かな生活の源泉になると思っている物の奪い合い
それらを奪い、戦い抜く財力が
暴力に代わる形として
人々を支配する道具になっています。
更にいうと
戦場は市場へと変わり
戦争を先導しているのは
軍隊から企業へとかわりました。
そして
軍隊を動かす力は
我々の我欲で変わりはありませんが
前回の戦争は原動力は
生きていくために、生き残るための
自衛の意味合いが強かったのですが
現在は、生存権は保障されていて
より多くの物を手に入れて
裕福に生きたいという
所有欲に変わりました。
このように。現在でも
資本主義の旗の下で
形を変えて戦争(戦闘)体制にあると
考えていいでしょう。
そんな中
コロナウイルスの出現によって
これまでの経済活動が停止する経験をし
世の中は、元の経済活動に戻そうと
頑張っていますが
コロナ流行前に戻るのが
本当にいいことなのでしょうか?
コロナウイルスは
みんなが本当の戦争のない
心から平和だと思える世界に
どうやったらなるかを
考えるチャンスを与えてくれたのでは
ないでしょうか?
これからの世の中が
本当に戦争のない平和の世の中になるように
進んでいかなければいけないのです。
今日も面白く
同じ人生を生きるなら
面白く、楽しく生きたいと思っても
実際にはそんなに人生甘くないと
思っている方も多いことでしょう
楽しい人生を送ろうと思うなら
まずは、今この瞬間が面白くなくては
いけない。
今日が面白く、楽しめれば
明日も面白くなるはず。
そんな日がずっと続けば
昨日よりも今日、今日よりも明日と
楽しい日が続くと共に
成長していること
成長し続けていることに気がつくでしょう。
日々、漫然と生きているだけでは
人生の楽しさは続きません。
毎日面白く過ごすには
自分に刺激を与え、挑戦し
ちょっと困ったり、うんと頑張ったり
困難を乗り越えた時
喜びは大きくなると共に
昨日よりも一段と成長し続けることでしょう。
そして
この人生はいくつになっても続く
死ぬまで成長し続けることができると
僕は思っています。
あの世はあるのか?
最近
からだのことだけでなく
魂のこと、こころのこと
目に見えないいわゆる
見えないけどこころで感じることについて
話すことも多くなりました。
世間でも
以前に比べて
目に見えない世界があると信じて
胸を張って語られる方、本を出される方など
情報発信される方も増えています。
でも、依然として
目に見えないもの、科学で証明できないことは
信じないというかたも
いらっしゃるのも事実です。
こう語ってる僕は
目に見えないものは、
科学で証明できないものは
信じない、受け入れないというわけではなく
東洋医学で考えている気が
エネルギーの流れであることが
少しずつわかるようになり
今、ナチュラルメディカルセンターで行ってる
メタトロンも
エネルギー、気の医療だと
いうことになります。
僕は
目に見える患者さんを治療する医者ですが
どうして
このように普通目に見えないような医療を
行えるようになったのは
自分自身の次のような考えがあったからなんです。
この世の物は
全て陰と陽、表と裏、男と女というように
全て2つの面、組み合わせによって成り立ったいるんです。
ですから
目に見える部分が全てと言うわけではなく
目に見えない部分もあるというのも
当然だと考えていいのです。
今生きている、今体験できている世界があれば
もう一面
目には見えないけど、もうひとつの世界があるはず。
その世界は、唯物論が中心の現代科学では
まだまだ証明できません。
目に見えないから
証明できていないからという理由だけで
否定するのも、少々暴力的な考えだとも
思えるのです。
我々のからだも
2面性で成り立っているのであれば
目に見える肉体そして
目には見えないけど存在する魂によって
成り立っていると考えてもいいでしょう。
肉体と魂があるならば
今肉体をもって生きる世界
そして
魂がいきる魂の世界が
目には見えないけど確実に存在していると
思っています。
この2つの世界のことを
みんなは
この世、あの世といってるのです。
ですから
魂の生きる世界、あの世はあるのだと
僕は思っています。
魂の世界があるなら
なぜ、今肉体をもって生まれてきたのでしょうか?
それにも、意味があると思っています。
これから
僕の考える魂の世界を
お伝えしようと思ってます。
人間は地球の居候
今年の冬は寒かった。
冬だから寒くなくてはいけないけど
大雪だ、梅の開花が遅れた・・・と
寒さを伝えるニュースが耳ついた冬だった。
今年の夏はどうなる?
昨年以上の暑さになるのか?
天気予報の技術は進んでいても
誰も現時点での確証はもっていない。
科学が進歩して
その日の天気予報はかなり進化して
かなり予報の的中率は上がっていると思うけど。
科学文明はどんなに進んだといっても
自然の前ではまだまだ力が及ばないと
全く無力。
その証拠に
地球のどこかで自然災害が起こっている。
地震、豪雨、山火事、台風、雪崩、火山噴火・・・
自然災害の前では科学の力も及ばない。
自然災害の報道をみる度に
地球が起こってるような気がしてくる。
そして、そう感じる度に
人間は地球の居候なんだと思ってしまう。
人間は地球の居候。
だから
居候しているということを意識して
あるじの機嫌をそこなわないように
気を使いながら暮らすのが
居候の守るべき分であろう。
それなのに人間は
居候であることを忘れ
我が物顔で好き勝手にいきていないだろうか?
山を削り、森の木を切り刻み、海を埋め立て
川、空、海を汚し続け・・・
自分たちの都合のいい哲学を大義名分に
暴れている気がする。
幼い時
祖父が夫と言っていた言葉を思い出す。
「非科学的な所にこそ哲学がある」と。
頭だけで考えるだけでなく
こころの目で見て、考える
時期に今きているのかもしれない。