「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
お金もかわいいなら旅をさせよ
こどもには旅をさせよという
言葉があります。
これは、こどもだけに当てはまる
言葉ではなく
実はお金にも言えるのです。
お金も世の中に回してこそ
役に立つのです。
世の中にまわすから
成長して増えて戻ってくるのです。
お金がかわいいと思うなら
お金も世の中に回すべきなのです。
お金の旅の方法は
①消費②投資③銀行に預ける④寄付です。
タンス貯金はいけないわけです。
お金にも旅をさせよです。
きっと旅をしたことを感謝して
ひとまわりも、ふたまわりも大きくなって
あなたのところに帰って来ることでしょう。
徳は弧ならず、必ずとなりあり
この言葉は論語にある言葉。
自分の信念を貫く人が
孤独であるはずはなく、
敵だった人でも見方になることだってある
という意味です。
この世の世界を作っているのは
全て自分の心です。
敵であるか、味方であるか決めるのも
自分の心次第です。
そして
相手がどう思うとも
自分が正しい生き方をしていれば
正しい生き方をしていると思っているのは
自分の心です。
自分の汗矢尿の匂いは
自分ではわからないと同じです。
ですから
ものや人に向けている意識を
なるべく自分の内面に向けることに
意識することが大事なのです。
自分のこころに恥じる思いがなく
こころを磨いていけば
あなたのことを悪く言う人は現れず
みなあなたの力になってくれるでしょう。
端午の節句には菖蒲湯に入りましょう
今日は端午の節句ですから
邪気を祓える日です。
そして、今日は特に
菖蒲湯に入ると更に
邪気を祓うことができると言われています。
菖蒲はその独特の香りがあるので
その香りが邪気を祓うと考えられていて
時に菖蒲湯では
人から飛ばされた念を浄化するだけでなく
自分の一寸した良くない思いや行動から発した
小さな汚れさえ消してくれると言います。
また塩風呂とはちがい
ひとり入った後お湯を変える必要もありません。
みんなの弱を消滅させるパワーがありますからです。
端午の節句の今日は
家族全員で菖蒲湯に入って
邪気祓いをするといいですね。
同病異治
という言葉があります。
ひとつの病気に
ある同じ薬を使っても
治る人と治らない人がいるという言葉です。
とても非科学的な言葉ですが
毎日患者さんに接していると
同じ風邪でも、インフルエンザでも
すぐ治ってしまう人
合併症を引き起こしたり
完治するのに時間がかかる人など
同じ診断、治療をしても
千差万別です。
何がちがうのでしょう。
僕が思うのに
患者さんの生活、生き方、
病気前後の過ごし方など、全くわかりませんが
診察室に来るまでとでた後の過ごし方が
みんな違うからだと思います。
病気にならないために大事なこと
病気になった時に大事なことがあって
患者さんひとりひとりの性格や生活スタイルが違うので
診察室では総論的なことしか
お伝えできません。
大事なのは
そのお伝えしたことを
どれだけ受け止めてもらえるかにかかっているので
全身全霊を込めてお話ししています。
でも、それがしゃくに障られる方もいるようで
気分も害される方もいらっしゃいます。
医者は薬だけだせばいいと思っているような
態度をとられる方もいっらっしゃいます。
そうではない。
病気の本質、病気になった意味を考えてもらいたいです。
その差が
同病異治に繋がることを
昔からのこの言葉が伝えてくれています。
失敗は人生を意味あるものにする
僕たちは、何かと失敗することを
怖れしまいます。
できるだけ失敗をしないようにと
何かと石橋を叩いて渡ろうとします。
そして、その傾向は
年を重ねることに増えてきている気がします。
でも
失敗しない人生を
崩壊した人生である。
意味のある人生を送るための
必要条件である。
という人もいる。
確かに
運転免許書をもっていても
実際に運転せず
ペーパードライバーのままで
優良ドライバーだと表彰されても
何もうれしくない。
もちろん大事故を起こしてはいけないが
事故を怖れるあまりに
運転をしないのでは
自分の経験値も活動も
制限してしまうことにならないだろうか?
アメリカの刑務所に入っている
囚人達が怖れるものは何かというと
「最も怖れているのは
自分の人生が意味のない人生になることだと」
いう調査があります。
失敗した時
そこから学ぶことが大事。
そして、同じ失敗をくり返さないこと。
島流しに合ったナポレオンが
「ナポレオンはいずこにありてしあわせなり」
という言葉を遺しています。
つまり
戦争に勝利しても、敗北しても
皇帝の時でも、島流しされても
自分の人生は
「わたしはしあわせである」といえる
図太さを見習って生きて生きたいですね。
自分の花を咲かせるためには
失敗も必要なんです。
しあわせになれないロマンチスト
しあわせになりたい
といつもいってるだけでは
いつまでたってもしあわせにはなれません。
すべきことがわからない。
好きなことが見つからないと
嘆いているだけでは
何をしたらいいのかもわからないし
好きなことにも出会えません。
特に年をとると
自分自身を救うために
好きなことを無理に探そうとするから
自分が何が好きなのかわからなくなってしまう。
それは
考えるための視点が少ないから。
これまでの経験だけをベースにして
判断しようとするから
価値観がゆがんできている証拠なのかもしれません。
頭で考えるだけでは
決して前には進んで行かないのです。
ただ「しあわせになりたいと」大きな声で叫んでも
その時は気持ちがスッキリしても
しあわせはやってきません。
抽象的な願いでは
あなたは、特にあなたの頭は
何も変わろうとしない、動こうともしないのです。
だから、声を上げるだけでは
しあわせになれないのです。
だからしあわせになろうと思うなら
もっと具体的な願いが必要なんです。
若い時のように
この勉強して、弁護士になって
多くの人の悪から守って
しあわせにしてあげたい・・・・とか
具体的な目的意識が
あなたをしあわせの方向に突き動かして
行くのでしょう。
生きる道はいろいろある
前回、終始一貫の人生の話をしましたが
生きる道は常にひとつでも
実は選択肢はいろいろあるし
選択するチャンスは次々に現れてきます。
悩みが大きい人は
多方面からものを見るように
したらいいこともたくさんあります。
自分の生きる道は
これだ、これしかないのだと
思うから、苦しくなってしまうのです。
道はひとつではなく
こっちの道もあった
この道もあったんだと気がつけば
生きていくのが楽になると思うのです。
そして
生きる道はひとつしかないと思ってしまうのは
実は自分で生きる道を決めていないから
苦しいのかもしれません。
選択をする時は
失敗しないか、選ぶことに不安に思ったり
失敗を怖れてしまう。
そして、何もできなくて、
動けなくなってしまうのです。
後悔した人生を歩んでる人は
実は、失敗を怖れるあまりに
何もしてない人なのかもしれません。
悪はなぜ存在するのか?
前回ブログで(20243/14)
宇宙に善悪は存在しないと
いうことを書きましたが
実際には、世の中には
悪というものは存在します。
僕たちが考える悪とは
「人としてしてはいけないこと」と考え
幼い頃から
「いじめはダメ、うそはダメ、争いはダメ」などと
教わってきました。
善悪が存在しないのなら
悪はなぜ存在するのでしょうか?
幼い頃教えてもらったことがなくなれば
生きる上での大切な基準やモラル崩壊に
繋がることでしょう。
今この世に生きている限り
悪の存在も
重要なことのように思えます。
また、悪が存在する理由があるのです。
僕たちがこの世に生きている一番の目的は
様々な体験を通して
自分の魂を成長させることだとしたら
時には、こころがキヅつくような
辛い体験をすることも必要なのです。
悪と思えることを経験することで
耐えること、寛容になること、許すことなどを
学んでいくのです。
そして同時に、
愛と喜びにあふれたことを体験することで
人の愛を知り、愛の素晴らしさを体験することで
魂を成長させているのです。
そのためにも
悪は必要なので存在するのです。
終始一貫の人生
人生悔いなく生き抜くためには
年をとった時にあっても
自分の人生はこれでいいのだと思って
生きていく
そしてそう思って死んでいく
そんな
終始一貫、自分の願胃を成就するために
生きることができれれば
それは、それでしあわせな一生ではないかと
思います。
自分の人生はこれだ。
自分の人生はこのために捧げて生きる
ということをみつけられたとしたら
自分が納得した人生を生きることができる
ある意味しあわせな人生になると
思うのです。
老いても孤独にならないには
年をとっても
孤独にならないことは
一つの人生の成功とも言えると思う。
嫌われないための
第一条件は
まずは自分のしていることが
楽しくないといけない。
自分が楽しめていないと
人に嫌われることばかりしてしまっている
ことが多いのです。
こころの中では
人に好かれたいと思ってるのに
結果は
逆の場合が多い。
なぜだろう・・・・
あなたがうらやましいと思う人の
行動、やってることを
よく見てみると・・・・
実は見えないところで
努力していることに気づくはず。
人に好かれる人は
見えないところで努力してるから
自分のことを信じられる。
気づかないうちに
他人に接する時に気持ち余裕ができて
優しく接することができるのでしょう。
だから、人に好かれる
好循環が生まれてくる。
人に好かれる努力って
結局自分を磨く努力だと思う。
年を重ねてくると
それまでの業績にあぐらをかいて
高飛車な態度になりがち。
だから年を重ねても
自分磨きを続けている人は
人が集まってくるから
孤独にはならないのでしょう。
自分磨きを忘れずに
