「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
夢が叶う世界
誰もが知りたくても
知り得ないもののひとつに
死後の世界がある。
誰もが
確実に経験する世界だけど
生きているうちには
経験することはできない。
そして、死後の世界を経験した時には
そのことを誰にも伝えることはできない。
自分で死ぬまでは
経験するまでは
経験できないけど
必ずいく世界だから
興味は湧くし
想像の翼は広がる。
これは
僕だけの思いだけでなく
みなさんもそうだろうし
今すでに死後の世界を経験している人も
生きているときは
きっと知りたくてたまらなかった世界だろう。
死後の世界の興味があるから
仏教、キリスト教などの
宗教が発達したのも
頷ける。
でも、時々
死後の世界をみたといって
語る人や、本にであうことがある。
先日
喜多良男作「死帰」という本を
たまたま手にした。
その本には
死後の世界についてのことについて
事細かく書いてあった。
どこまでほんとで、信じていいかの基準は
全く読んだ人で異なると思うけど
そうかも?と思えることがあったので
少しずつ僕の感想も含め
紹介しようと思う。
そこには、死んだ後
こうなると書いてあった。
生きているときの願いが全て叶うのだと。
例えば
画家の人は、
生きているうちには
出会えなかったほどの美しい風景に出会い
今までかけなかったほどの美しい絵がかける世界だと。
もし、音楽家なら
これまでこんなに美しく演奏したことがないほど
自由に楽器を演奏することができる世界。
つまり
こうありたいと思う
理想の自分になれる。
と書いてあった。
それを読んだとき、ふと
ある著名なピアニストの
辞世の言葉を思い出したのです。
そのピアニストは
ご臨終の時に
「ラフマニノフもバッハもモーツアルトであっても
どんな作曲家の曲でも
美しく弾くことができる奏法がわかったの」
もちろん、
そのみつけた演奏を実際に
僕たちは聞くことはできないのですが・・・
僕が思うに
そのピアニストは
生死を彷徨いながら
ある瞬間死後の世界に生き
願いが叶ったのだと思います。
どんな音楽であっても
満足に美しく弾けたと。
この本を読んだときに
この言葉を思いだし
生きている時に願った世界なんだ
死後の世界は・・・と確信したのです。
でも
それで完結するのではなく
続きがあるのです。
それについては、次回に
人間は何のために生まれてきたのか?
誰もが
気がついたら、この世に生まれていた。
そして、成長するうちに
自分は何のために生まれてきたのか
考えることだろう。
その答えは
なかなか見つからないし
偉い人も語っているけれど
誰もが納得する答えでは、ないでしょうし
どれも中々抽象的で具体的なイメージは
もてない人も多いことでしょう。
稀代の思想家である中村天風さんが
次のように言っています。
「人間は、世の中を進化させ
向上するために生まれてくるのだ」
実感は伴わないけど
どこか納得する言葉。
そんな使命があって生まれてきてると知ると
毎日誠実に生きていこうと思う言葉でした。
古事記に書かれていた科学の真実~天之御中主神(アメノミナカヌシ)の意味とは
日本に伝わる古文書には
実は宇宙創世の秘密が
書かれているということを
書きましたが
古事記などの古文書には
これから解明されるであろう
科学のことが書かれています。
古事記に最初に
天之御中主神(アメノミナカヌシ)という神様が
登場します。
この神様は古事記の最初にしか
登場しません。
その後には存在も忘れてしまいそうなほど
名前だけの登場ですが
とても重要な神様なのです。
天之御中主神は
大宇宙の中心を司り
至高至純、自由、円満、光明、清純の神だと
考えられています。
宇宙創世した偉大な神のひとりだと
言うことです。
その偉大な神様の力、働きが
次に出てくる
高御産日神(タカミムスビノカミ)と
神産巣日神(カミムスビノカミ)という
名前で表されています。
高御産日神は精神、霊、超越を司る神
神産巣日神は物質、肉、内在を司る神
そして
天之御中主神は、この二つの存在を
結合、調和させて
完全なる一致させている
神であると昔から考えられていたのです。
つまり
天之御中主神こそが
物質と精神、心とからだ、平和、安楽
生活、思想、政治、経済など
全てのものを結びつけ、調和させ
この世を安定させている神様なのです。
ここで
神様を信じるかどうかは別として
現代科学の中、現代を生きる人々にも
憶えていただきたい力の秘密が
神様の名前の裏に
隠されている気がします。
この世は
精神と物質の調和
つまり
目に見える物と見えない物を結ぶことで
生成発育発展している世界である
ことはまちがいないと思います。
そのことは
量子力学の発展により
波動などのエネルギーとして
説明され
理解される方が増えてきました。
この世の
あらゆる「物」の本体は
(波動)エネルギーであると
考えられます。
僕たちのからだも
例外ではありません。
人の体を作っている
60兆個ある細胞の中心は
原子核であり
原子核と電子の結合体であります。
そして
細胞一つにとどまらず
地球上すべてのものは
元素と元素が結ばれてできあがっています。
酸素も、水もそうですよね。
ですから
全ての物の本体は
物と物とが結び合ってできています。
そしてその
結合力のことを分子間力とも
現代のひとは言っているし
昔の人は
天之御中主神と言っていたのでしょう
最近の量子力学では
中性子、陽子、陰師に分けられることがわかりました
このことも
神様の名前として書かれています。
高御産巣日神は陽子(遠心力)
神産巣日神は陰子(求心力)
そして
この二つの力を結びつけているのが
天之御中主神は中性子だと
言うことなのです。
ちなみに
天之御中主神、高産巣日神、神産巣日神
のことを造化三神と言われて
元を作られ三神として古事記に書かれています。
じつは
造化三神って
原子核をつくっている
中性子、陽子、陰子のことだったんですね。
力、エネルギーによって
この世の全てはできていると
昔の人の人は知っていて
それを
現代人にまで
わかりやすく伝えてくれてたのでしょう。
また
力が作用するときは
必ず振動が生じることもわかってきました。。
振動は音でもあります。
聖書の人類創世記に
最初に言葉があったと書かれています。
言葉=音
エネルギーが生まれたことを
いっているのではないでしょうか?
なぜ?言葉が最初に書かれていたのか
不思議だと思いましたが
実は聖書も
古事記と同様なことが書かれていたんですね。
古事記も読見とけば
真実が書かれていますが
聖書にも、色々考えさせられることが
実は書かれているんですよ。
聖書についての話は
またの機会に
最後まで生きる姿を残した白秋
北原白秋といえば
「赤い鳥小鳥」「からたちの花」など
なつかしい童謡の作詞をした
日本を代表する詩人。
ということは知っていても
その人生は、自由奔放に生きていたようで
現代に置き換えても
スキャンダラスな人生だったような気がします。
晩年は糖尿病、腎臓病のため
眼もほとんど見えなくなり
床に伏して、視線を彷徨った時の
思いも書き残されている。
亡くなる直前の状況を平静に受け止めて
次のように書き残している。
「長い五年の薄明の生活であった。
しかし私は平静にこれを受け入れ、
むしろ内的に深度を楽しんできた。
仕事の手を少しも休めてはいない。
あの暗黒の洞窟を潜り抜けてきた私の歩みは
この後といえども道の歩みとするだけである」と。
この時の状況を想像すると
どんなに不安な気持ち
不自由さに苦しんでいたに違いないけど
そのことにジタバタせずに
平静に受け止めて
いきていこうという
白秋の強さを感じる。
死を迎える前に
こんな進境で生きていければ・・・
と思うのでした。
望ましい死とは
誰にも訪れる死。
死の直前まで
どんな死をむかえるかは
誰にもわからない。
でも
誰もが、どんな風に死を迎えたいかは
漠然としてでも
一回は考えたことがあるのではないでしょうか?
ワイズマンという人が
考えた望んでいた死とは
「まず、それぞれの人が望んでいた死であり
次に
親しい人々と心ゆくまで
別れを惜しむことの死であり
更に、心残りや少ない死である」と
規定している。
望む死とは人それぞれ
千差万別でしょう。
あなたの望む死とは、どんな死でしょうか?
楽しみは下り坂にあり
人生は山あり谷あり。
いいこともあれば、悪いこともあり。
いいことがあっても、それはいつまでも続かない。
逆に、悪いところがあっても
それもいつまでも続かない。
それが人生。
若い時に、できたことが
だんだんできなくなったと感じて
人生の下り坂を感じることが出てくる。
そんな時に
「まだまだ、これから」
「これからが第二の人生だ」
「若い者には負けないぞ」などと
また人生の上り坂を登ろうとするから
人生がつらくなる。
上り坂には
その先になにがあるかを楽しみにして登る。
下り坂は、体力的には楽なので
周りの景色を楽しみながらゆっくり下れば
上り坂の時には気づかなかったことに気づく。
下り坂を下る楽しみがあるのだ。
下り坂の人生を
楽しんで下りるのも人生。
こころの持ち方で全てが決まる
こころの持ちようで
今後どんなことが起こるか
運が開くかどうかが決まってくるのです。
人間は弱気になると
不運を招くようにできているのです。
反対に、困難なことが起こったとしても
動揺せずに平気な顔して過ごしていると
悪いこと、不運から立ち去っていくから不思議です。
全てのことは
こころの持ち方で決まるのです。
やるべきことをやる(本日臨時休診です)
自分の運を好転させる方法は
今、やるべきことをやること。
人は先のこと、将来のことを考えがち。
そして
考えすぎて何もできなくなってしまう。
起こっていないことを悩んでしまって
今、やるべきことが
おろそかになっていませんか?
あなたの今起こっていないことを心配する余り
不安になって
行動できなくなってしまっていませんか?
人間はこころの持ち方によって
体の働きや力の出方が代わってきます。
それが健康だけでなく
実は運命までも変えてしまうのです。
だから、どんな時にも
こころを積極的に続けなければならないのです。
だから
「今やるべきことをやる」のは
本当に人生がよくなる法則なのです。
宇宙の法則(本日臨時休診です)
ある朝のこと
お散歩していて
空を見上げると
星が空いっぱいに輝いていて
しばし
足を留めて
星空に見いってしまいました。
満天とまでは言えなくても
その星の存在感に
自分は今見える星の一個一個よりも
小さな存在だけど
宇宙の星に囲まれて
星に、いえ宇宙に守られて
生きている気がしてきた。
つまり
宇宙に確かに存在する
宇宙の法則によって守られているんだと
感じたのです。
宇宙の法則はたくさんあるのでしょうが
僕がその時感じた法則は
善因善果、悪因悪果。
つまり善いことが、悪いことが起こるのも
善い原因、悪い原因があると言うこと。
全ての結果は自分が作りしたもの。
そして
善因の積み重ねが魂を浄化させるのです。
そういえば
お釈迦様は
10個の悪因があり、そこから離れるようにと説かれたのを
思い出しました
10の悪因とは
身(からだによるもの):殺生、盗み、邪淫
口(言葉によるもの) :うそをつく、二枚舌、悪口、有害な噂話
意(こころによるもの):貪欲、他者に有害な思想、邪見
と説かれてます。
この中で特に協調されるのは
こころによるもの。
実際にうそをついたり、盗んだりしなくても
人を傷つけるようなことを思うだけでも
行動したと同じことだと言うことです。
思いは叶う・・・とも言われますが
よいことだけでなく
悪いことの原因にもなるってことに
注意していきていかないといけないんですね。
今日も
こころ美しく生きていきましょうと
星々が語ってくれたように感じた
夜明け前でした。
アダムとイブが作られた秘密(9/22、9/24臨時休診です)
前回のブログで
イブがアダムの肋骨から
作られた意味について
書きました。
エデンの園の話は
こどもでもわかりやすい話ですが
読めば読むほど
深い意味を感じで
色々考えさせられます。
アダムとイブという
神は、どうして男性と女性を
作られたのでしょう?
神と同じ人間を
男と女という分離して作ったことで
魂の進化を促そうと
したのかもと考えてしまいます。
それは
男性、女性と同じ人間だけど
考え方など
性質、性格も全く異なリます。
女性は
ハートや直感が主体で生きているので
内面にある
潜在意識に代表される
智慧んお世界のエネルギーを感じやすいのです。
それに対して男性は
女性性のもつハートの力が弱く
そのため
内面に対するよりも
外側の世界に意識が向きやすく
そのため
好奇心旺盛で攻撃性、支配性も
前面に出やすくなりやすい特徴があります。
今までの男性優位の社会では
戦うことが前面に出て
槍、ミサイル、ロケットなどは
男性性を象徴する発明品だと
思います。
今からの時代
多様性に注目するようになりました。
また
自民党総裁選では
女性の総裁候補が出馬したり
これまでの男性中心の世界が
変わりつつあることを予感します。
もういちど
男性性、女性性を復習すると
男性性の攻撃性は
ハートで象徴される愛よりも
頭の知識を優先し、
頭で考えたことこの目で確認できることを
重視したところから生まれます
女性性は
内面重視で
男性性では感じらることが難しい
ハートチャクラのエネルギーが影響する
見えない形で現される
創造性ややさしさが
主だと言えます。
これからの世界は
男性、女性というのではなく
お互いのもっている特性を知り
その特性をそれぞれがいかせる
時代になることを願っている。
それが
神様が男性と女性の
二性をお作りになった
理由のような気がします。
