今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

終戦の日に戦争について考える(本日も通常通り診療中です)

今日は80年前に戦争が終わった日。
それから80年経ち
戦争を直接経験した人は
年々少なくなっています。

戦争はいけないことだけど
今日本では戦争がないから
戦争は我が国に関係ないことだとして
平和ボケして生きていくことはできません。
なぜなら、世界のどこかで
戦争をしているわけです。

ですから
戦争について目を背けることはできません。
そこで、今日は戦争について
考えてみましょう。

戦争とは
国家の正義を示すためにおこなうもので
国の正義にを踏まえ、戦争は
国際法上3つの場合しか認められません。

一つ目は
国家の生存権が脅かされた時。
(他国に攻め込まれた時)
二つ目は
制裁戦争。
(他国が国際法や条約を破った場合)
三つ目は
集団自衛権。
(平和維持活動や停戦合意の治安維持を
目的とする軍隊の派遣)
これ以外の戦争
例えば「侵略戦争」は国際法上の違法行為なのです。

更に、実際の戦争行為において
戦争は国家行為なので
国際法上、軍服、軍帽を身につけ
銃などの武器を携帯しているなら
撃ち殺してもいいルールになっています。

ですから
たとえ戦争であっても
一般市民を巻き込んで
殺してしまえば、それ犯罪攻撃なのです。
この法は、第二次世界大戦後にできた考えで
先の大戦では
日本は空襲攻撃を受けたり
広島、長崎に原子爆弾が投下されたり
一般市民にも多大な被害を受けたのはご存じの通りです。

先の大戦では
相手をトコトン降参させないと
終結させることはできませんでした。

ですから我が軍の英霊といわれる人は
報復のための虐殺や策略行為に走るのではなく
正々堂々と矛を収めたのです。

だから我々は8/15は
戦争に負けた日敗戦の日というのではなく
戦争をやめることを決断した日「終戦の日」というのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 終戦の日に戦争について考える(本日も通常通り診療中です) はコメントを受け付けていません

父と僕の終わらない歌(お盆期間も診療します)

アルツハイマーの父を
家族でサポートするが
病状は次第に進行し
疲れ果てる家族。

でも
以前と異なる姿を見せることが多くなっても
合間に見せる
昔と変わらない父親の愛にふれ
家族も父を愛し続けていることに気づく家族。

でも
どうしても病気に日々襲われ、悩む日々。
そこで
父親の若い頃からの夢を叶えようと
イベントを企画する。
その企画を
なんとか行うことができたが
その後父親が本当に望んでいたことが
明らかになる。

たとえアルツハイマーになっていても
心の奥には
アルツハイマーになっても変わらない
深い愛の姿が表現されていた映画に涙した。

平均寿命は伸びたけれども
人は老いるもの。
僕の父もそうでした。
劇中で父親役を描いた寺尾聰が父に
そうして
寺尾聰が息子役の松坂桃李が
自分に重なって
父親がそばにいる気がして
涙が自然にあふれてきた映画でした。

カテゴリー: 今日の言葉 | 父と僕の終わらない歌(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

久方のひかりのどけき春の日に(お盆期間中も診療します)

久方のひかりのどけき春の日に
しづこころなく花の散るらむ

この和歌は
紀貫之の有名な和歌です。
この歌を読み解くことで
日本人が大切にしてきた
本意がわかるのです。

「久方の」は光の枕詞で
とこしえのという意味があります。
すなわち、光は
この世界とは別のもうひとつの世界から
やってくると感じていたのでしょう。

「しづこころ」は「静心」とも書き
花は一般的に桜を示しますが
桜は言葉は語らないけれど
だからといって語るべきことがないわけではない。
ただ語れないのか、
桜の言葉を我々がわからないだけなのだ。

日本人が桜を愛する理由は
単に美しいからだけでなく
その散り方に死に方、亡き者の姿を感じたのでしょう。
桜の花を見て
肉体がなくなっても、
姿を変えて存在し続ける「生きている死者」を
感じていたのかもしれません。

そのことを紀貫之は歌ったのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 久方のひかりのどけき春の日に(お盆期間中も診療します) はコメントを受け付けていません

言葉はハートで話す(お盆期間中も診療しています)

言葉はハートでするもの
外国暮らしが長いビジネスマンの方が
次のような話しをしていた。

「流ちょうな英語で説明した時には
無反応だけど
相手がわかるはずのない
日本語で話した時でも
何かが伝わる」というのです。

言葉というものは
聞いた時、頭で理解するのではなく
意味としてはわからない「音」であったとしても
その人が母国語で
何か一生懸命話してくれている
この人は私のことを思っていると伝わるのです。

音の高さや低さや流れなどの
気配を感じて言うのです。

大切なのは
言葉そのものではなく
伝えたいというハートなのです。

カテゴリー: 今日の言葉 | 言葉はハートで話す(お盆期間中も診療しています) はコメントを受け付けていません

おもてなしの心(お盆期間も診療します)

“おもてなし”と言う言葉は、
日本人の良い心を
表す言葉として世界的に注目されています。
“おもてなし”と
よく似た言葉に
“サービス”と
いう言葉があります。
おもてなしとサービスの
違いはなんでしょう。
サービスは
相手が見える(気づく)前提でやるものです。
相手が満足する行為、行動が
サービスです。
もしその行為が
相手に嫌な気持ちにさせてしまったら、
サービスでなくなります。
そして
サービスする側とされる側が
対等な関係だとは言えません。
一方、
”おもてなし”は、
もてなす側(主人)ともてなされる側(客)双方が、
共に創りあげていきます。
“おもてなし”の語源は
“表なし”からきていると言われています。
つまり、
相手に気づかれずに、
さりげなく相手のためを思ってやる。
そして
相手もある意味で
そのことに気づかない心遣いのこと。
お互いのことを思いやりながら
自らの役割を果たしていく。
ある時は主人が客のように、
客からもてなされます。
そこにあるのは
相手を思いやる気持ち。その行為が
おもてなしです。
“おもてなし”
常日頃相手の事を思い、
相手の喜ぶ姿を喜びとする、
日本人の目指す生き方を示した
ことばじゃないでしょうか。
いつも
“おもてなしの心”をもって
過ごしたいですね。
カテゴリー: 今日の言葉 | おもてなしの心(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

無駄なもの、無意味なもの(お盆期間も診療します)

世の中はものにあふれています。
価値のないものはないし
無駄なものも世の中にはないでしょう。

でも
無意味なものもたくさんあると思います。
無駄と思われるものにお金を使っても
無駄なものも
いつか無駄でなくなるかもしれません。
ですから、今無駄だと思うことにお金を使うことは
ありだと思いますが
無意味なものにお金を使うのは
やめた方がいいと思っています。

無駄と無意味というのは
違うと思います。

人から見たら無駄と思えたとしても
自分にとって価値がある、あるいは
興味があるというものであれば
それは決して無駄なものではないのです。
だから無駄だと思った時には
よく考えてやめるかどうかは決めるべきです。

一方。無意味というのは
明かに重複していたり、自分に全く興味がないものに
お金をかけるのは
よく考えても、やめるべきだと思います。

あなたが今やっていることは
意味があることですか?

カテゴリー: 今日の言葉 | 無駄なもの、無意味なもの(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

座敷わらし(お盆期間も診療します)

座敷わらしってご存じですか?
名前の通り
こどものお化け?で
座敷わらしが現れた家は
縁起がよく
繁栄すると守り神として
しあわせを運んでくれる神様とも言われ
座敷わらしのでる旅館などは
多くの人が泊まりたがるとか・・・

まさに
繁栄に導く神様と
今でも信じられているのです。

座敷わらしが
家に住む条件は
その家の人が決して驕らず
周りの人たちのしあわせをも
願うことができる人。
座敷わらしが運んでくれたかもしれない
しあわせを
独り占めせず
そのしあわせを分かち合うことに
しあわせを感じるひとに
しあわせを届けるような幽霊?
のような気がするのです。

だから、こんな風な話を
耳にすることがありました。
宝くじが当たった人の
仕事がスイスイうまくいった人の
その後の幸運が続かなかった話。
幸運を手に入れた全ての人で
内だろうけど
その転落人生はよくテレビなどで
話題になります。

それは
きっと幸運を手にした人の
驕った気持ち
それを戒めるために
座敷わらしは
僕たちの心の中にいるのでなにでしょうか?

幸運なことがあっても
幸運を独り占めしたりせず
ちやほやされた自分を
偉くなったと勘違いしない
謙虚な気持ちを忘れないように
しなくてはいけないことを
昔から日本人は
座敷わらしという幽霊がいると
戒めたのでしょう。

カテゴリー: 今日の言葉 | 座敷わらし(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

筋を通す(お盆期間も診療します)

江戸時代は泰平の時代というように
歴史的にみても
平和な時代だったと言われています。

その平和な世をつくったのは
初代将軍徳川家康のの考え方に
よると思います。

徳川家康が大事にしたのは
「筋を通す」こと。
家康は「筋を通す」ことが
人と人との信頼を生むと考えたのです。

3代目将軍家光を決める時に
世継ぎ争いが起こったが
家康は長幼の序を明確にし、
世継ぎが家光に決定したという逸話が残っています。
つまり、長子がその家を継ぐという伝統を作り
その後に家督争いは起こらなかったのです。
この考えは
将軍家のみに関わらず
一般の家庭にまで浸透していっています。

このように
ぶれない、筋を通すという考え方が
家康が戦国乱世を生き抜き
江戸幕府という盤石な体制を築く上での
大きな指針になったのです。

この話しは
何も遠い江戸時代の話しではなく
現代にも通じる話。
一度決めたらぶれない生き方が
信頼を得る生き方です。

カテゴリー: 今日の言葉 | 筋を通す(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

自然の声を感じる時(お盆期間も診療します)

朝陽が昇る前に
家を出て
氏神様のお参りをして
日の出の時間を迎え
今日も生きていることを
感謝する時間を
毎日過ごせることで
生きていることを実感すると共に
生きていることに感謝し
今日も生きて生きると決意を新たにして
その日をはじめています。

毎日続けられているのは
僕にとって
生きるための儀式になっているのかも
しれません。

そして
同じ時間に家をでても
毎日違った光景を
見せてくれます。
感じさせてくれます。

天気予報では
今日も真夏日だと
夏盛りの日が続くと伝えています。

でも、朝
外に出ると
朝の空気が肌に突き刺さってくるような
感じではなく
優しく感じるのです。
そして、耳を澄ますと
虫の声が聞こえてきたのです。
その虫の声に耳を傾けていると
もう、次の季節に進んでいることを
自然が
母なる地球が伝えてくれている気がします。

自然を感じながら歩き続けると
神社には大きな木があります。
その大きな木に近づくと
木から体全体を包み込むように
柔らかい風を感じるのです。
とっても。とっても
肌に優しい風なんです。

朝は
自然からのそして地球からの
メッセージにあふれています。
地球に生まれ
自然に育まれて
生きていることを実感すると共に
感謝の時間なんです。

だから
僕は1日も休まずに
歩き続けれるのだと思います。

カテゴリー: 今日の言葉 | 自然の声を感じる時(お盆期間も診療します) はコメントを受け付けていません

記憶の中のしあわせ探し

今こうして、毎日思いを綴っています。
書き綴る内容は
今の出来事に、医療に
自分自身に対して思うこと
そして
未来はこうあって欲しいと思うこと
などを書き綴ってます。

思いのベースになっていることは
今までの経験や思いです。

ですから
生い立ちなど
自分のこれまでのことを
自分自身を振り返ることにも
なります。

過去の自分を振りかえって
ブログを書くことも多くなります。
過去の自分を振り返る
時間をもちながら
記憶の中にある自分自身を向き合ったとき
気づいたことがあります。

幼い自分は
確かに自分自身ではあることは
間違いないけど
実は自分ではない存在であることに
気づいたのです。

今の僕は
記憶に残っている僕とは
容姿ひとつとっても
全く異なっています。
それだけでなく
住んでる環境も
一緒にいる人だって
違っています。

そして
過去を振り返ったとき
僕が探すのは
楽しい自分、しあわせな自分の姿。
また
不幸せな自分であっても
その時があったから
今の自分があると思える自分探し。

人は
昔がしあわせだと思うことで
いまがもっとしあわせだと思いたいのです。

今も過去も
しあわせな自分でありたいと思って
生きているのです。

僕たちは
いつもしあわせでいるために
生きているのでしょうね。

カテゴリー: 今日の言葉 | 記憶の中のしあわせ探し はコメントを受け付けていません