「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
年をとっても願いは変わらない
ひとつ年をとっても
新しい時代を迎えても
変わって欲しくないものがあります。
それは・・・・
ライオンは面白がって
シマウマを殺したりしません。
シマウマをどんどん殺して
シマウマを絶滅させることもありません。
ライオンが
シマウマを殺すのは
生きるためだから。
ライオンもシマウマも
全ての動物は生きていくために
自然の法則に従って生きている。
だから
自然を、地球を傷つけることはありません。
自然の中で
お互いのいのちを大事にする
生き方をすれば
平和に生きることができるはず。
でも
人間は争ったり奪い合ったり
お互いのいのちを粗末にして
生きようとする。
現代人は食べきれないほどの食べ物に囲まれ
食べ物を簡単に捨ててしまう。
いのちを満たす食事であれば
みんなしあわせに生きることができるのに
生まれるときは
何ももたずに
身ひとつで生まれてきたのに
地位や名誉、
少しでも多くの財産をもって
生きようとする。
知恵を持って生まれている人間なのに
本当に人間は賢いのだろうか?
もっと、もっと平和な時代になるために
知恵を使わないといけない
そんな気がしています。
いいことを増やす方法
嫌なことを1つ考えたら
楽しいことを2つ考える
心配事が1つあったら
うまくいったとこのことを2つ思い出す
嫌いなところを1つ見つけたら
好きなところを2つ見つける
そんな積み重ねで
いいことがいっぱい
増えていくと思う
どんな老人になるかは、今の自分で決まる
今若くても、年をとっていても
今後どんな風に年をとるかは
誰にもわからないし
どんな老人になるか、不安に思う人は
多いでしょう。
自分は還暦を迎え
これから老いの人生を突き進んで行くのだけれど
若い時に思っていたように
年をとることに不安を覚えていない。
よく
お年寄りが、まだまだ若いとよく言っているのを
耳にしたけど
外見だけで判断すると
確かに経年劣化は否めません。
でも、今老境の入り口に立ってみると
「年をとることは進化だ」と思えるのです。
特に今思うのは
世の中の見える部分だけで判断してはいけないということです。
目に見える容姿は若さを失っていても
だから得るものもあるのです。
本当に大事なことは見えないとも言いますが
日々診療していると
検査に頼らなくても
聴診、触診だけで患者さんの状態を感じることが
日々増えている気がします。
つまり、目に見えない真実を
体験しているのです。
この感覚は
今急に身についたわけではなく
若い時からの診療スタイルの
完成形に近づいている様な気がします。
これは僕だけの感覚ではなく
世の中には
90歳になっても
現役で仕事をして、成果を上げている人
何千メートル級の山に登ったり
マラソンを完走したり
超スーーパーマンのような人は
世の中にたくさんいます。
それは
若い時からの積み重ねが在り
今も進化し続けているからではないでしょうか。
ということは
どういう年をとるか、どんな老人になるかは
若い時から始まっているということです。
老・病・死は避けられないことですが
どうかっこよく人生を生きるかは
心がけしだいということです。
年をとることを畏れるな
将来の老いを畏れる余りに
今の若さを犠牲にする生き方は愚かだと思うのです。
神社に行く意味
毎朝地の神様が祀られてる神社に
お参りに行っています。
ここの神社は
とても“気”がいいのでしょう
行くと一日元気に過ごせるので
我が家にとってのパワースポットのひとつです。
全国にはたくさんの神社があります
パワースポットとよばれる神社も数多くあります。
神社は神様が降りて来られるような
エネルギーの高い場所だと聞いたことがあります。
神社は神様にとってもエネルギーの高い場所だから
僕たち人間にとってもエネルギーが高い場所になる。
だからパワースポットになるんでしょう
神社にお参りするということは
自分のエネルギーを高めると同時に。
自分のエネルギーを神様のエネルギーに近づけることで
神様のエネルギーと一体になることなんだと思います。
そして
神社で手を合わせるのは
単に祈るだけではなく
「神様と自分は一体になります。受け入れます」
という想いやを形にしていると想うのです
ある日、神社で手を合わせた時
よくても、悪くても
過去の自分のおかげで今の自分があるんだ
と思った瞬間がありました。
どんな出来事が起こっても
たとえ病気や仕事、人生の失敗があっても
自分にとってマイナスなことが起こっていたとしても
そのおかげがあったから
これまでの自分の過ちに気づくことができ
人の苦しみや傷みを理解できるようになる のです。
「おかげさまで今がある」と思えた瞬間に
きっと神様と自分は一体であると
感じられるような気がするのです。
カルマを乗り越える生き方
我々は
成長するためにこの世に生をうけて
今、現世に生きているとしたら
その目的は
魂の成長するためだと
僕は考えています。
患者さんとお話しすると
この症状は
遺伝だからしかたがないと
半ば諦めているように
お話しされる方がいます。
野口晴哉先生が
「親からもらったからだを10とすると
良いところは3で
悪いところは7である。
しかもこの7をどうやっても治らない。
だから
3の良いところを磨いている内に
7の悪いところがスッと消える」
というのです。
僕たちは
過去を背負っていると考えると
背負ったマイナス面を嘆き、否定するより
良いところをいかして生ききった人が
光り輝く人生を
過ごせると言われている気がします。
こよいは
自分の良いところを
しっかり理解、把握して
いかして過ごす生き方を
することが
この世に背負って生まれた
カルマを解消することになるのでしょうね。
これが
カルマを解消する生き方
誰にも良いところをもているのです
自信をもって
今日も過ごしましょう
風の時代
最近よく聴かれる言葉の一つに
風の時代。
風の時代ってなんでしょう。
風の時代という考え方は
西洋占星術の世界で
使われている考え方なんです。
西洋占星術の考え方なので
星の動きと星座の位置関係で
社会の動きを見るんですね。
風の時代は
木星と土星が大接近する時の
星座の位置とそこの星座の場で
判断するもので
これまでは
牡牛座、乙女座、山羊座の場にあり
地(土)の時代であり
200年以上続いたそうで
それが
令和2年12月22日から
水瓶座の場に入り
風の時代に入ったというのです。
風の時代になると
これまでの時代と何がどう変わるかと言えば
物質中心→精神中止
お金を求める→体験、情報、人脈を求める
モノを持つことが大事→モノは必要なだけあればいい
蓄積型→循環型
経済優先→いのち優先
縦社会(ピラミッド型)→ 横社会
短期的利益優先→長期的発展優先
外形的なしあわせ→内面的なしあわせ
という風に
世の中の価値観が変わるそうです。
占星術的、占い的な考え方ですが
前時代の地の時代に入ったときには
資本主義の原動力にとなった
産業革命が始まってました。
これからの
変わるであろうキーワードを眺めているとコロナの時代に
最近使われる、変わってきていると感じる
キーワードがならんでいませんか?
僕は
風の時代に入ったことを
肌で感じたのは
2021年の東京オリンピックだったと思います。
それまでのオリンピックの姿とは
全く違う形で行われたオリンピックでした。
地の時代を象徴しているオリンピックが
風の時代に入ったことを
全世界に示した
それが日本から発信したことに
なにか深い意味があった気がする今日この頃です。
中今を生きる
どんな時代になっても
大切なのは中今で生きることだと思う。
つまり
今に集中して生きること。
過去に囚われることなく
たとえどんな過去であっても
今があるのは、過去を生きてこれたおかげ。
だから
今この瞬間と同時に
過去にも感謝し
過去を喜び
過去を懐かしむ心をもって
生きたら、もっといい人生を生きられる。
そうしたら
未来を心配しなくてもいい
今というこの瞬間を大切に生きることができれば
未来が訪れるのが楽しみになり
未来の喜びへとつながっていく。
今何も心配する人はいない
悔いているのは過去のこと
憂えているのは未来のこと。
生きているのは
過去でもなく、未来でもない
今という時間だけ。
悔いる気持ち
憂える気持ちは
心だけでなく
人の体も壊してしまいます。
糖尿病で糖質制限中
ケーキをどうしても食べたくて
半分だけ食べてしまったとしたら・・・
罪悪感をもって食べたてしまうか?
とても美味しいといって食べたか?
この二つで結果は」おおちがい。
食べたことを悔やめば
病気は進行してしまうでしょう。
運動不足を指摘されて
きつい運動をイヤイヤするのと
5分でも軽い運動をした後
いい汗かいた?と思えるたら
からだの調子はずっとよくなるでしょう
その時を
喜んだか、苦に思ったかで
その後の結果はきっと大きく変わってくる。
病気を進行させるか
健康に近づけるかは
その時の心ひとつにかかっていても
不思議ではない
人には
いつの日か死は平等に訪れる。
その日を
どんな風に迎えるかは
今の自分自身にかかっている。
中今に生きることの大切さを
教えてくれる言葉。
今を大切に
今日も、明日も生きていきましょう。
ミネルバのふくろうは日暮れに飛び立つ
この言葉は
ドイツの有名哲学者、ヘーゲルの言葉です。
ふくろうは、ギリシャ神話では
女神アテネ(ミネルバ)の象徴であり
知恵や技芸、学問などをつかさどると言われます。
そして
ふくろうは黄昏時から
活動を始めるのです。
まさに
これから人生の黄昏時を迎えた
還暦を迎えた人に送られた言葉では
ないでしょうか?
このヘーゲルの言葉が示すように
黄昏時にこそ知恵が飛び立つ。
つまり
人間の知性は
年をとっても決して衰えることなく
年おいて、あらゆる所に衰えがきていても
体の機能が落ちても
不思議なことに
むしろ知性は衰えることなく
研ぎ済ませれていくのです。
これはなぜなのか?
きっと知性は
今までの経験、知恵がコネあって
化学反応を次々起こしていってるのでは
ないでしょうか。
知識の量、経験値は
年をとれば増えていくのです。
これが・・・・
ヘーゲルのいった言葉
そして、今僕の生き方を支えてくれる言葉です。
『よかれかし』の心を持って
以前、美智子上皇皇后様が
「皇室は祈りでありたい」と
仰られたことがありました。
その本意を記者が尋ねると
「国の道を選ぶような判断やその方法は
その国々の人々の
叡智であり判断であると思います。
それに対して皇室というのは
常に『よかれかし』と思って
祈り続けるのが大事なのかと・・・・」と
お答えになられました。
『よかれかし』とは
『よくなりますように』という
意味の古語のようです。
医師は
その時、その時代に
できる最高、最善の叡智を持って
患者さんを救うために
日夜患者さんと共に戦っています。
しかし、
どんな時代になっても
どんな患者さんが来られても
どんなに医学が進歩したとしても
どんな高度な技術を身につけていたとしても
美智子様のお言葉のように
いつ何時も「よかれし」(「よくなりますように」)という
願いを持って祈る心がなければ
患者さんを心から救う事は出来ないのだと
思います。
世の中の病に苦しむ全ての人が
「よかれかし」
でありますように。
マズロー「欲求五段階説」の続き
人間はみんな欲を抱えて生き
欲を満たそうと生きています。
マズローは人間の欲を五段階に分類しています。
まず、食べたい、寝たいという本能的欲求をみたそうとします。 これを生理的欲求といいます。
この生理的欲求が満たされると次に
家や健康など安全な暮らしを求めます
これが安全欲求です。
これが満たされると
集団に属したり、仲間が欲しくなります。
これを社会的欲求といいます。
この三つの段階がクリアされると
次は他者にみとめられたいという
尊厳的欲求がおこり
最後に自己実現欲求に至るのです。
これがマズローの提唱された
欲求五段階説です。
人間の欲の段階をよく分析されていて
社会で起こる問題を考えた時
どの段階の欲求が実現できずに起こってるのか
その原因を探るにはいい方法になっています。
これは有名ななので
ご存じの方も多いでしょうが
マズローはこの続きがあって
亡くなる前に
「自己実現欲求よりも高い次元の欲求がある」ことに
気づいたそうですが
それが何かの答えを残さずに亡くなられました。
この最上位の欲求は
「無欲」ということでないでしょうか?
人は自分を認められると
認めてくれた人、社会に対して恩返しをしたいと
考えるようになります。
その時に自分の欲を追求することは横に置いているはずです。
働くのが自分の欲を捨て去る
無欲ということだと思うのです。
自分の欲求を高めきったときに
自分という小さな器から離れて
もっと大きなものを望もうとするのです。
そして、その域に達した時に
真に喜び、いのちが喜び
天命を知るのかもしれません。
全ての欲を克服できたと思われる
スティーブ・ジョブスが膵臓癌の手術ごに残した言葉
「死は生命にとって唯一にして最高の発明だ」
きっとマズローの6段階の欲に到達していたのでしょう。
究極の欲は無欲だと思うのです。