「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
ゆるす心
世界中の戦争が止まりません。
ロシアとウクライナそして中東情勢と
世界の不安定状態はおさまりません。
どうしたらいいのか・・・・
そんな時、マザーテレサが
次のような言葉を知りました・
「わたしたちは
ゆるされるためには
ゆるさなければならない。
ということを悟らなければなりません。
北アイルランドやその他の場所にいる人々が
もしもたったひとつ
ゆるすことを学んだなら
彼らのもとに
平和がやってくると思います」と。
プーチン大統領やトランプ大統領のやってることは
いかなる理由があろうとも
決して許されことではありません。
でも
両大統領なりの理由があるのかも
その本当の気持ちは
人間の欲から発したこころではないか?
権力があるから戦争になったのかも。
両大統領の持っている気持ちと同じものが
我々のこころの中にも
あるのではないでしょうか?
両大統領も我々と同じ人間。
同じこころをもった人間であるから
両大統領ばかりせめられない。
我々には世界を変えるような力はないから
人の命を奪う戦争にならないだけで
日常には同様なことがあるかもしれない。
そう考えると
非難一辺倒でなく
今起こってることを我がことと考え
人を許そうとするこころを
少しずつでももてれば
この戦争も終息するのかもしれません。
そう
マザーテレサの言葉を知って思いました。
環境を整える
成長するためだけでなく
人は一人では生きてくことはできず
絶えず
自分の置かれた
環境の中で生きています。
環境と一言で言っても
精神的な環境
物理的な環境
色々ありますが
ここでお話ししたい環境は
自分自身である内部環境と
自分自身の周りを取り囲む外部環境が
あるということです。
何かやろうとするとき時、
自分が成長したいと思った時
逆に
何かに躓いた時
まず意識しないといけないのは
自分自身である内部環境だ
と思います。
自分の環境が、
自分の周りの環境
つまり外部環境に影響する。、
今起こってることは
自分が原因なのです。
だから
まず自分が変わることから始める
ことが大事だと思います。
自分が変われば
まわりの環境をコントロール
することができる。
そのための方法が
3つあります。
そのうちの一つは
自分の能力を100%発揮すること
それができたら
その人は輝き、自信にあふれ、
力強く前に踏み出し、その行動は
必ず周りの環境に影響することでしょう。
そして、
理想に向かう
自分の気持ちを語ること
輝く未来を語ること
人を惹きつけ、様々なことを引き寄せ、
そして更に周りの環境が
変わってくることでしょう。
でも実は
それだけでは周りは変わりません。
そこに必要なことは
”周りに貢献する”して初めて
周りの環境(外部環境)は
大きく変わるんだと思います。
つまり
まわりに対する思いやりの心が
必要なんだと思います。
貢献するは意識が足りなければ
ただ自己中心的な行為になってしまします。
ですから、自分の行動が、周りの人に
共感を得てこそ初めて
自分の周りの環境が変わってくるのだと思います。
だから、今始めようとする行動が、
自分のためにやってることは
わかっています。
もう一歩進めて
自分の行動、理想が
周りの人の貢献になるのか
考えること、意識することで
きっと、内部環境と連動するかのように
外部環境も変わりだし、
目標、理想にきっと近づいて
いけるのだと思います。
自分にとって環境とは、
自分を包んでる空気です。
この空気が澄んでいれば
人は自由に生きていける。
よどんでいるのは、
全て自分のせい。
澄んだ気持ちで生きることで、
きっと空気は浄化され、
環境は整っていくんだと思います。
あなたの行動は
まわりの人のためにも
なっていますか?
ひとつひとつの動作にゆっくり気持ちをのせる
今を生きよう
今、この瞬間を一生懸命生きよう
といわれても
実際にどう生きればいいのか
具体的にはわからない人も多いことでしょう。
僕が考える
今を生きるということは
今目の前にあることを
大事に一生懸命に行うということ。
そう言えば、茶道をやっている人に
茶道の修行は
何も考えず、理屈なども考えず
ただひっつひとの動作をくり返し
何も考えずにできるようになるまで
行うのだと。
聞いたことがある。
つまり
ひとつひとつの動作に
気持ちを乗せることをしてみると
目の前のことに
集中しやすくなることに気づける
ということなのでしょう。
これと中今を生きることとは同じなのだ。
ひとつひとつの動作を
ゆっくり丁寧に
からだを動かせることに感謝しながら行い
そして生きていると・・・
ちゃんと、思い通りにからだが動けたことに
有り難さの気持ちも生まれてくるでしょう。
偉大な力の存在
最近の報道されるニュースは
世界中での争い
人手不足、値上がりラッシュ、
人々の誹謗中傷の声・・・
世の中の乱れが日に日に強くなり
誰もが不安な気持ちが
ましてきます。
でも
そんな不安な世の中でも
冬には水仙が咲き
その後梅が咲き終わり
河津桜、菜の花そして桜が咲き始め
どんなに人々のこころが乱れていても
春は訪れるし
夜は明け朝仁なり、また日が沈み夜を迎えます。
そして
これは自然現象だけの現象だけでなく
人のからだも
どんな状況でも
呼吸し、心臓は拍動し、
ものを食べれば寝てても消化し
僕たちが寝ても起きてても
からだは働いています。
自分が生きているのは
自分の力だけではないと思わざる終えないのです。
人間も含め
あらゆる物質の秩序は
規則正しく整然とした形式の中にあり
少しの狂いもなく
自然の法則通り
働いているのです。
この自然の法則は
太陽も月も、もちろん地球を含めた
全ての天体に及んでる力がある。
これは
ただの偶然だと考えていいだろうか?
いや、考えても考えても
偶然ではない
何か偉大な力が働いている
気がしてならない。
その偉大な力=神?
思ってしまう。
だから
僕は神は存在している
と信じてしまうのかもしれない
明るいこころ
毎日こども達と接していると、
小さいこども達は
天真爛漫な心、無邪気な心を持っていて、
どんな時も素直な気持ちで過ごしているなぁ
こどもは天性の明るさに溢れている
存在だと思います。
実はこの明るさは
こどもだけの特権ではなく
誰もが持っている
天から授かったもののはずなのに、
おとなになると、
生きていくうちに悩みが増えると
元々持っていた
明るいこころを忘れてしまい
こころが暗くなってしまう気がします。
仕事がうまくいかない時、
心身共に疲れた時こそ、
元々持っていた天性の明るいこころを
取り戻したいものです。
こどもの頃もっていた
天真爛漫な心を呼び起こす時には
こども達と積極的に関わって
童心に戻って見てください。
もしお子さんが身近にいなかったら、
自分の幼い時の写真を見て
そのこどもの時の笑顔に触れることで
自分の心の中にある明るさを
蘇らせられることができます。
天性の明るさを心の真ん中に置く生き方は、
日本人の生き方そのもの。
太陽のような明るい考え方、
明るい表情、明るい雰囲気、明るい言葉は、
すべての人のしあわせな人生に
つながっていると思います。
どんな時も、
心の真ん中に明るい心を
持って過ごしましょう。
人が善行に励むわけ
ウクライナとロシアの戦争も長期化し
中東の国々では戦禍に苦しんでいます。
世界に平和が訪れる日は来るのだろうか?
と思うのは僕だけではなく
戦争反対の声をあげる人は
日に日に増え
それに応じて
その声を上げる行動の表れとして
様々な寄付機関もあり
少しでも平和な世の中になるように
なればと思ってる人が増えています。
世の中が乱れたときに
困った人がいれば
その人を助けてあげたいと思うのが
人情ですが
その時、行動に出るきっかけが何かを
神経学者の池谷祐二氏が
「人は他人の目が合った方が
善行に励む」と
仰っています。
慈善のスタンスは国によって大きく異なるけど
2018年のCFAの世界寄付指数レポートによると
慈善活動をに寄付した国民の割合
第1位が見ヤンマー、2位がインドネシア
いかがオーストラリア、ニュージーランドと続き
日本はランク外
アメリカも最近は寄付離れがすすみ
12位という結果がでたそうです。
その寄付離れの理由は
「他人のための行動は
利己的な行動よりも清らかなことだ」
と寄付を美徳として
崇めすぎた結果だと
池谷氏は分析しています。
つまり
人は他人の目が合った方が
善行に励みます。
名前を公表する方が
寄付も集まりやすいそうです。
そういえば
日本も海外の援助するときも
ニュースになることがほとんどです。
寄付をした行為を
知ってもらえた方が
寄付の励みになるのは
わかる気がしませんか?
そういえば
天皇陛下が
東日本大震災の被災者や
コロナの医療従事者に対して
ご自身の資産から1億円寄付された
ことを思い出しました。
みなさんは
天皇陛下のこの寄付のことご存じでしたか?
僕は知りませんでした。
それを知ったときに
天皇陛下は
やっぱり徳を積まれている方なんだと
思いました。
僕も天皇陛下を見習って
僕も他人の目を意識せずとも
善行を積める人間になれるように
日々精進したいと思います。
ぼくが生きてる、ふたつの世界
耳の聞こえない両親のもとで
愛されて育った少年の
生き様を映画化した映画を観た。
ろうあ者である両親は
結婚をもそしてこどもを産むことも
周りから大反対されたけど
二人の強い愛で乗り越えた。
そして、どんなこどもが生まれ
愛情一杯注いで育ててきた。
幸いにも異常もなく生まれたこども大(吉沢亮役)は
成長するに従って
自分の親が周りの親と違うこと知るようになり
人生の挫折があった時に
親に自分がコーダとして生きている環境の
性だと親に自分に対する不満を
親にぶつけてしまうのです。
自分のやりたいことを見つけるために
東京に出て
社会というものを経験し
ろうあ者とコミュニティーに参加することで
自分の知らなかった世界を経験していく。
そして
彼は、自分が両親を支えてきたと思っていたけど
実は、大きな愛情で支えられていたことを
知るのです。
母親の愛情ある姿に
自分の母親の姿と重なり
自分の母親はろうあ者ではないけど
映画中の母親と変わらない愛情を
注いでくれたことを
思い出とともによみがえってきた。
その時どんな思いで僕に接してくれたかは
確認しないことは出来ないけど
母そして父の愛情ある子育てが
この映画と重なって思い出され
両親にも僕の生きてきた世界と異なる世界が
あることを思い出させてくれたたことに映画でした。
天国が宮殿だとしたら
誰も死んだ後のことはわからない。
でも
僕は死んだ後の世界は
きっと自分の望んだことが
全て叶うような世界ではないかと
勝手に思ってるけど・・・
そんな自分の望んだ世界にいるのだとしたら
どうして
またこの世に生まれてこようと
思うのだろうか?
そんな時
ロシアの文豪ドストエフスキーの
「死の家の記録」に
以下のような分があることを知った。
ひとつ宮殿を建ててみるがいい。
大理石や絵や金細工で飾り立てて、
極楽鳥を放ち、色とりどりの庭を作り
ありとあらゆる趣向を凝らす・・・
そしてそこにはいってみるのだ。
きっと
もはやどこにも行きたくなくなることだろう。
諸君は本当にそこからでないかもしれない。
何でもそろっているかららだ!
「幸せ者は高望みをしない」と言うではないか。
急にちょっとした変化が生じる。
諸君の宮殿のまわりが塀で囲まれて
諸君はこう告げられるのだ。
「何もかもおまえのものだ!
存分に楽しむがいい!ただし
ここから一歩もでてはいけない」
すると、請け合ってもいい、その途端に
諸君は自分の極楽を捨てて
塀を乗り越えて外に出たくなるのだ。
そう、そこに足りないものはただひとつ
自由だ!
自由で気ままな暮らしなのだ
とドストエフスキーは書いている。
きっと帝政ロシアの
静粛された時代の中で生きてきて
自由に生きることが
どんなに大切かを感じたのだろう。
多少生きづらくてもいい
自由にその時の自分が感じるままに
生きたい。
そんな自由に生きることを
人間は求めて生きているのだろう。
だから
天国にいたとしても
人はまた生まれ変わってこの世に生きたくなる。
だとしたら
今、どんな状況であっても
この世で生きることが僕たちの望んだこと
だから今という時間を
大切に生きないといけないんですね。
思いやりのこころ
人は日々戦っています。
武器を持たなくても
生存競争、受験戦争に
日々の生活の中で闘い続けています。
生きるためには
必要な戦いもあるけど
ただいのちのためにではなく
自分の欲を満たすために
自分以外の人を傷つけてしまう
戦争も起こしてしまうことも
あります。
人間はいつから
戦うことを覚えてしまったのでしょう。
人間は元々は
戦うことは望んでいなかったと思うのです。
なぜなら
生まれた時は
喜びいっぱいの気持ちに溢れて
この世にいたはず。
そして
こどもの時は誰でも、
困っている人を“助けたい”と、
優しい気持ちを
いっぱいもっていたずです。
それなのに
おとなになるにつれて
優しい気持ちが薄れてしまうのでしょうか?
でも
こども達と接すると、
どんなに戦闘モードに入ってた人でも
こどもの時に感じていた
優しい気持ちを思い出す場面があることでしょう。
でも
日々こどもと接すして働いていても
いつもこどもと同じ無垢な感覚を
持ち続けることはできないのが悲しいところです。
しかし
こころが洗われた瞬間があると
今までの生きる世界が変化を感じます。
看護師、保健師、学校の先生などのように
こどもと関わる方々だけでなく
子育て中のお父さんお母さん
子育て中でなくても
バスの中、町中で
無邪気な子供の姿に触れた時
こどもの時感じたことを思い出し
こどもの気持ちをもっとわかってあげられると思います。
子育ては大変だと思われている方
ご家族の介護でお疲れの方
ご家族のことが手いっぱいで
仕事、家事、全てのことを
完璧にできない時もあると思います。
僕も仕事で疲れ切った夜は、
いつも優しい父親でいることはできません。
でも、
こどもの顔を見ると、どんな時でも不思議
と「明日もまた、頑張ろう」と活力をもらいます。
家族は思いやりのこころという
絆でつながっていると思うのです。
だから、
こどもと過ごした時には
ご家族と過ごした時間は貴重な時間です。
生きていることに感謝し、
いつもこどもの頃持っていた
“思いやりの心”を思い出して
過ごすことができれば
きっと、戦争なんて起こらない世の中になると
思うのです。
こころが荒れたと思った時に
そっと目を閉じ
ご両親の温かさや
こどもの時の気持ちを思い出してみませんか?
こころを込める
人は
ひとりでは生きていけません。
でも自分を大事にするあまり
その事実を忘れてしまい
自分勝手な考えに占拠されて
自分と人との狭間で苦しむことがあります。
人のために
喜んでそして心をこめて生きることを
学べるのが育児だなのかな?と思うのです。
育児は毎日山あり谷あり。
お子さんの前で
お母さんもお父さんもはいつも笑顔でいたいはず。
だけど、
思わず大きな声で叱ってしまう出来事も起こります。
叱った後、
大泣きしているわが子を見て、
我に返ることもあるでしょう。
お子さんはその時どう思っているか
不安になることもあるでしょう。
我が子のためと思っても
自分のためになっていないでしょうか?
ある時、
亻(にんべん)の文字をジッとみていると、
「亻」が母の姿に思えてきました。
「優」の字を見て、
幼い頃、憂いの時いつもそばにいてくれた「
「優しい母」のことを思いました。
「信」という字を見た時
どんなことを言われても、
かたわらにはいつも母がいたことを思い出しました。
だから今、人を「信じる」ことができる。
母とケンカしとことも
今では忘れられない思い出になっています。
こどもと、本気で向き合う心は、
母がこどもを思う祈りです。
そして、
母の祈りは
こどもの心の中に永遠に生き続けます。
だから、この思いは必ず届くと信じ、
「この瞬間」そして「この場所」に心をこめましょう。
喜ぶ時も、悲しい時も怒っている時も
おこさんだけでなく相手のことを思い
心をこめましょう。
心をこめた思いは必ず通じますから。
