「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
みんなの願い
星新一さんの
「ショートショート」を引き継いで
星新一さんが全国から寄せられた
膨大な作品の中から編んだ
「ショートショート みんなの広場」の中から
八塚顔高さんの「みんなの願い」という作品を
今日は紹介します。
神様の使いが
地球にやって来て
みんなに呼びかけました。
「地球は誕生から
宇宙時間の一周期に達したので
これをお祝いして
神様がみんなのひとつの願いごとを
叶えることになりました。
1週間後に、神様に向かって
自分の願い事を一つだけ念じてください。
その中から一番多かった願い事を
一つ神様が
叶えることになってます。
みんなそれぞれ懸命に考え
1週間後のその日
それぞれの願い事を心に念じました。
神様の使いが再びやってきて
その結果を発表しました。
神様が叶える願い事は
人間以外のほとんどの生物の願いである。
『人間を地球上から
消滅させて下さい』というものに
決定しました。
皆様、次の1周期を目指して
地球を大切にして下さい。
それでは、ごきげんよう。
人間達が
最後に聴いたのは
動物たちの歓喜にも似た喜びの声でした。
これを読んでどう思われましたか?
人間は
いかにも地球上の支配者であるかのように
我が物顔で
動物たちを殺し
地球という環境を破壊し
まだまだ自分達の利益追求に
走っていませんか?
こんな時に
コロナウイルスが登場しても
まだいのちと経済を両天秤にかけ
周りの状況
これまでしてきたことを顧みようともしない人間。
ひょっとして
コロナウイルスは他の生物には広がっていません。
このショートショートのように
動物たちの願いによって
登場したウイルスかもしれません。
ちなみに
人間はたったひとつ叶えてくれる願いに
皆が迷い、一致することもなく
バラバラだったのです。
まさに
我々は、自分のことだけでなく
周りの人が
こどもが孫のこと
そしてこの地球全体の生物のこと
更には
宇宙全体のことも
考えて行動しないといけない
時期になっているのではないでしょうか
ルノワール~おとなの闇を知った少女~
ルノワールという映画を観た
この映画は1980年代後半の夏が舞台。
闘病中の父と仕事に追われる母と暮らす11歳の少女の
ひと夏の物語。
父は闘病中、母は忙しく
父の迫り来る死の影で
ギクシャクする家庭のなかで
自分の居場所
そして自分の思いをわかってくれる人を
求めている少女。
その時期はやった超能力、そして伝言ダイヤルに
孤独から救ってくれるものを
求めるひと夏の旅。
おとなは自分の気持ちをわかってくれないし
逆に甘い言葉で誘惑する
おとなの裏側を知る。
と同時に両親の純粋な
自分を愛する気持ちを確認した少女。
父親が亡くなり
ぽっかり穴を埋めるように
旅に出た親子
その二人がテレパシーを使い
こころが通じ合うことを確認した母子。
きっと二人で
これからの人生を歩み続けてくれることを
象徴された場面で終わった。
この映画は
多くのカットが
次から次に映像として現れる
言葉は少ないが
こころから生まれた背景を
映し出した光景として
強く語りかけてくる。
見終わった後に、深く考えさせられる
映画だった。
恐怖に対する対処法
こころの中に
恐怖心が一旦芽生えてしまうと
人間はそれをとめることはできないと言います。
特に死に対する恐怖心が生まれると
死の実態がつかめないために
恐怖心が増すことになります。
ですから
恐怖心が生じた時には
恐怖心を押さえ込もうとせずに
その恐怖をできるだけつぶさに
観察するのがいいという。
なぜ怖いのか
なぜ怖いという気持ちが今湧いたのか
死の何が怖いのか。
怖いと思う気持ちの本体は何なのか?
生じた恐怖心を避けるのでなく
その恐怖心そのもの、恐怖の思いを
逃げずに向き合うことが
大事なのかもしれない。
恐怖心について考え続けていると
だんだん恐怖心そのものが薄まるはずです。
恐怖心をだんだん客観視できるようになり
怖がっている自分さえも
客観的に観る自分が生まれてきます。
なぜなら
考え事に集中している時は
感情は意識の後方へと撤退するからです。
人生はテーマパーク
人間の人生は
こどもがテーマパークで遊んでるような
感じに陥ることがある。
テーマパークと一口で言っても
広いところもあるし
狭いところもあるし
いろんな遊具があるところもあるし
冒険を体験するところ
ファンタジーや夢を感じるところ
恐怖を感じるところ
過去を感じるところ
未来を感じるところ
その内容はさまざま。
人生のテーマパークは
出生エントランスからはじまって
学校ジャングル
人間関係の迷路
就職クルーズ
結婚アドベンチャー
おとなファンタジー
老いの館
と様々なエリアを体験していく。
この巨大なテーマパークを
如何に過ごすかは
ひとりひとりの思い、心持ちで
異なると思う。
閉園して人生のテーマパークを退出するのは
死を意味する。
ですから
死に日を迎えるまで
人生のテーマパークを楽しんでいきましょう。
だます人、だまされる人
年末になると
色んな事件が報道されますが
例年特にお金がからんだ詐欺事件が頻繁に報道されます。
詐欺の報道を聴くと
いつも思うことがあります。
詐欺をする人
人をだます人は
確かに悪い人です。
でも、だまされる人は
いい人なんでしょうか?
だました人は
道理にあわない
悪いことをしたので
罪の償い、罰をうけることになります。
でも
だまされるには
だまされた人にも
だまされるだけの理由が
合ったからではないでしょうか?
いい話、うまい話をきいたときに
どうして自分に
そんな取り分があるのか
考えたのしょうか?
詐欺にあっった側に
世間の常識から考えてみて
大きく外れていないか考えなかったでしょうか?
相手の巧みな
話術などが合って、
信じ込まされたかもしれませんが
だます人がつけ込んだのは
だまされた人の心の闇
すなわち欲望だと思うのです。
だまされた人の心は
語られることは少ないですが
必ず欲望があるはずです。
欲望があったから
だまされてしまったのでしょう。
大きな欲望を持っていなければ
詐欺師のいうことの話の矛盾点に
気づけたかもしれません。
自分の欲望が
冷静な判断をできなくしてしまっているのです。
お釈迦様が
色欲物欲を捨てなさいと
仰っているのは
自分を見失わないためかもしれません。
うまい話、いい話が合ったとき
自分のこころが病まされていないか
その話で
自分の欲望を満たそうとしていないか
考えないといけないですね。
欲望は
簡単に我が身を滅ぼす原因に成るのですから。
ただ詐欺師の手法もどんどん光明になり
おれおれ詐欺のように
人の情に隙いる詐欺も世の中にあります。
その場合も、なんでもお金で解決するのではなく
何事もその本人、いのちを第一に思えば
その方の安否を確認する行動に走るでしょう。
いつも何事もお金で解決しようとしているから
お金が第一という物欲の心が
影響しているのかもしれませんね。
常日頃から
お金に縛られず
生きる習慣を持ちましょう。
コロナの時代で、今
いのちか経済かなどと選択をせまられる
報道を良く聴きます。
僕は
これにも違和感を持ちます。
大事なのは
いのちでしょう。
お金を失っても
命さえあれば、またやり直しがききます。
目は心の鏡
目はとても大事です。
現代社会は目で情報の9割を得ているとも言われています。
医療現場においても見ることは治療の第一歩。
目をフル活動して、
患者さんの全体を観て、
身体の状態を診て、
悪いところをしっかり視て
診断した後、
患者さんをやさしく看ます。
患者さん自身の目もみます。
“目は、心の鏡”と
言われるように、
今の状態がわかります。
元気な人の目は、
白目に濁りがなく、
まぶたに張りがあって、
適度な潤いがあります。
そして、
好奇心旺盛なこどもの目は、
いつもキラキラ輝いています。
時々
目がうつろに曇っている
こどもに出会うことがあります。
悩みがあるの?
楽しくないの?
心配になります。
目は心と体の状態を表します。
だから、
“目は心の鏡”と言うのでしょう。
僕も目を輝かして
生きていきたいと思っています。
どんなに忙しくても、
患者さんが元気になって、
周りのご家族が喜んで、
しあわせに生活していると感じると、
僕もしあわせをもらって、
心が輝きだすような気がします。
誰かのしあわせを
自分の喜びに感じられたとき、
目はキラキラ輝いていることでしょう。
“目は心の鏡”
今日も心も目も
輝かせて生きたいものですね。
日々の喜びをかみしめて過ごす
11/20のブログで
希望は持つな
遠い未来に対して
あれこれ思っていてもしかたが無い
それよりも大事なことは
今だというをお話しました。
僕も入院した当時は
からだが動かない現実を知り
これからどうなるのか
わからない未来のことを思って
不安に思っていました。
僕が不安な気持ちにいるときでも
からだは一生懸命、一途に
僕を、僕のからだを守って
くれてたんです。
入院して1週間ほど過ぎた
ある日、朝目覚めると
少しだけだけど
それまで全く動かなかった
左手が動いたんです
そして、短い時間の間だけど
手を水平に上げて
短い時間でしたが維持もできんです。
わずかな動き、そしてほんの瞬間的な時間だし
支えはいるけど
以前のようにはいかなくても
動かしたい方向へ動きをわずかでも
動こうという動きを示してくれる。
本当にうれしかったですね。
特別ななことをしたわけでもない
動かす薬を飲んだだけではない。
いうならば
自分の意志とは形で
僕のからだは治ろう、治すという
僕のために治そうという
慈愛に満ちあふれた力を感じました。
動かなかった手が動く
それが小さい動きであっても
僕にとっては
大きな大きな喜びでした。
そしてその喜びが大きな希望になりました。
喜びが希望になりそして心も明るくなり
不安な気持ちも吹き飛ぶんですね。
希望は持たなくてもいい
不安など払拭しようとしなくてもいい
からだは見放さず
しあわせの方向に導いてくれる
今を信じて、今生きていること、起こっていることを
ただただ喜べばいい。
日々喜びをかみしめて過ごせば
希望持とうと思わなくても
自然と希望が湧いてくるんでしょうね。
リーダーの素質
最近
日本では初の女性総理大臣が誕生しました。
総理大臣だけでなく
世の中には多くのリーダーがいます。
そこで
リーダーについて
少し考えてみたいと思います。
リーダーとは
人の上に立つ指導者です。
人の上に立つということは
みなさんのことを理解する
つまり全てのことを
理解しなければならない立場にいます。
全てのこととは
文字通り全てのこと。
経済などの
目に見える物質的なことだけでなく
人の気持ち
ものを動かす力
地球、宇宙のエネルギーなど
全てのものを構成するメカニズムなど
目に見えない力との調和も
考えていかなければならないのです。
物事の道理、真理、真髄を理解し
自ら行動し、人々を引っ張っていくことが
リーダーになる人の大きな役割だと思います。
真理を理解し、行動を
くみ上げていかないと
どこかで必ず失敗しかありませんし
そんなリーダーが作った組織には
不満しか残りません。
そんなうわべだけの行動で
真理に促さない行動をとっている場合は
いくら知恵を絞っても
よい知恵、良い結果はえられません。
これは
地方自治体だけで無く
国家においても同じです。
真理を考えの原点とし
考え方を変換することが
国家をも安定させることになります。
つまり
リーダーこそ
意識革命が必要なんです。
真理に反した行動を続ければ、続けるほど
もがけば、もがくほど
地獄に落ちてしまいます。
世界中のリーダーと言われる方に
知っていただきたいのは
私利私欲を優先した行動をしないで下さい。
真理を無視して
自己満足優先、自我意識で運営していては
世界はよくなりません。
何も変わりません。
もし、一見経済が復活したとしても
今回のような
パンデミックが起きたり
新たな天変地異が起こるやもしれません。
子や孫、子孫に残すものは
財や名誉ではなく
今いる地球、
変わらない宇宙、世界のはずです。
この世界を守るために
リーダーの意識革命が必要だと思うのです。
希望を持つな
人は
苦しい状況になると
よく希望を失わないように・・・など
希望をもつことが
大切だと良く言われますし
僕もそう思って
希望は失わないように・・・なんて
よく口にしていました。
でも
今回入院したとき
希望をもつということ
希望を持とうと思えば
自分を苦しめることになりました。
例えば
来月は、3ヶ月後には
今までのように
歩いたりできるんだばどと
希望をもとうとすればするほど
現実とのギャップを感じ
希望の大きさに比例して不安を大きくなったんです。
苦しい時に
希望を持つ、もとうとすることは
決してしないといけないことじゃないと
今では思っています。
退院して
入院していたときのことを振り返って
なぜ、希望がこころの支えにならなかったが
わかったので
今回のテーマは、「希望をもつな」です。
希望をもったとき
自分の目線がどこを観ているか考えてみると
どこか遠くに視線を移し
遠い未来を観ていないでしょうか?
つまり
希望をもつということは
現実を見ずに未来を見ている。
現実を否定し、未来へと逃避することなんです。
希望を持つとは
今は良くないので
未来に期待しようという考えなんですね。
でも
未来を期待したからといて
現実の今は全くかわっていません。
人は
期待に裏切られてしまうと
希望もないといってしまいます。
期待が強い人ほど、絶望感が増し
そして最悪の場合
自殺してしまう人が出てきてしまうのではないのでしょうか
希望をもっても
今を変えることはできません。
もし何か現実のことから落ちこぼれた状態になった時
希望を持とうと思うより
落ちこぼれたって言いじゃないか、失敗しててもいいじゃないか
これから、こうしてみようよ
と考えたり、諭してあげる方が
希望をもとうと遠くの未来のことを考えるより
ずっと心が楽じゃないでしょうか?
病気になったときに
「絶対良くなるから、頑張れ」と
今頑張っている人に対して
もっと頑張れとムチをうちようなことに
ならないでしょうか?
それよりも
「病気になって良かったよ
このまま頑張りすぎてたら、もっと大きな病気になってたよ
ゆっくりね」と
言われた方がどんなに楽でしょう。
希望を持とうと
未来を想像するのは
現実から逃避してしまうことですが
希望をもつよりも
思ってはいけないことは
今を拭こうだと思うことです。
今不幸な状態にあると思うのは
世間や他人と自分を比較しているからなんです。
困難に陥ったとき
失敗だったな、今は反省しようなどと
いまの状況を受け入れることが
心にとっての療養になります。
病気をすると言うことは
反省する、考え直す時間をくれてるんですね。
あなたを苦しめるためではありません。
病気で気づいたことを大切に
これから生きていきましょう。
それが
本当の希望をもつことなんだと思います。
毎日しあわせだったら、しあわせなの?
毎日がしあわせだったら
そのしあわせをしあわせだと
認識できるだろうか?
しあわせなことしか
身の回りにない時に
それをしあわせだと思えるだろうか?
不幸なことがあって
それと比較することで
初めてしあわせの位置が
決まるのではないだろうか?
自分たちは
いつもしあわせだけを
喜び、感謝し
しあわせであることを望んでばかり。
でも、大事なことを教えてくれて
成長させてくれるのは
「悩み」「失敗」「病気」などの
望んでないこと。
それに対して
感謝の気持ちを持つことを忘れてはないだろうか?
不幸せなことだ思えることに
感謝する気持ちがもてれば
必ずしあわせは近づいてくるはず
