「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
働かざる者食うべからず
”働かざる者食うべからず”という
言葉があります。
この言葉を聞くと
怠けるなと言われている
ような気がして
ちょっとドッキリする言葉です。
実はこの言葉は
禅語の
”一日不作、一日不食”
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)
からきている言葉です。
禅では、作務をおこないます。
作務というものは
単なるそうじではなく
人が人であるための基本行為
または
人としてやるべきことを
をさしています。
つまり
人のためにすること
人が社会に対してすることが
作務
人間としての
務めと考えているのです。
人は人との関わりで
生きている。
一人では
生きていけないと
わかっているのに
人は
周りの人や
自分が勤めている会社
そして社会に対して
要求ばかりだしてしまいます。
そして
要求が叶わなければ
すぐ
まわりの人や社会のせいに
してしまいます。
一人で
生きているわけではないので
うまくいかなった時
自分で解決する努力を
していただろうか?
自分に対して
甘えがなかっただろうか?
振り返ってみることが
大切じゃないでしょうか?
社会の中では
人はお互い支え合って生きている。
やるべきことを放棄して
支えられることばかり考えていては
社会は乱れてしまう。
どんな小さなことでもいい
自分のできることをする
誰かのために
自分のできることをする
どんな小さな一歩でもいいから
自分の脚で歩いてみることが大事。
誰かのために
一歩踏み出すことができれば
困った時には
きっと誰かが手を指しのばせてくれる。
誰かのためにして初めて
”生きる”意味がわかるのかもしれない。
“働かざる者食うべからず”という言葉は
そんなことを
教えてくれている気がします。
過去最早の梅雨明け
先週の6/27に山口県は梅雨明けしました。
観測史上最早の梅雨明け
だそうです。
この週末
まだ梅雨明け宣言してない東京での
日差しは
もう真夏と変わらない
肌につきささるくらい痛いほど。
肌感覚はもう夏真っ盛りの
日差しでした。
そして
昨日初めて朝セミの声を聞こえました。
そう言えば
これまでは
セミが鳴き出したら、梅雨明けを感じていたけど
セミも今年の梅雨明けにはびっくりして
急いで地上に出てきたかもしれません。
今日から7月。
今年はどんな夏になるでしょう。
暑くても、みんなが元気に笑顔で
しあわせに過ごせる夏になりますように。
人生において、約束されていること
人生において
失敗し、悩み苦しむことも多々あります。
ですから
人生で全てのことに成功することは希でしょう。
ですから
「人生において、成功は約されていない」と言えます。
それなら
成功するために努力することは
無駄なのでしょうか?
僕は、そうは思いません。
今頑張ってることが
成功するかどうかの保証などどこにもありません。
でも
頑張った、その努力は
必ずその後の成長につながっていると
僕は感じています。
ニュートンが生きた時代と現代の関係
ニュートンと言えば
万有引力などの古典物理学を確立した
誰もが知る大物理学者であります。
ニュートンが生きた時代は
17世紀のことで
今から350年前に活躍しましたが
この時代は
昨年末まで続いていた
土の時代の始まりの時期だったんですね。
*ちなみに現在は
風の時代なんですね
詳しいことは
5/27のブログに書いているので
見て下さいね
土の時代は
ひと言で言えば
物質中心の時代で
当時錬金術など
お金、経済などが第一に
考えるようになった時代のはじまりなんですね。
歴史はくり返すと言いますが
ニュートンが生きた時代は
土の時代に変化する時期で
世の中の変化が
風の時代に変化している現在と
類似する点が多いんですね。
ニュートンが生きていた
1665年6月にペストが大流行しました。
ペストはネズミが媒介する伝染病で
当時原因も治療法もわからず
死に至る病で
”死病”と言われています。
当時
人から人に感染が広がることは
認識されていたようで
人の接触を制限され
ニュートンが通っていた
大学も閉鎖され
帰郷していたようです。
帰郷している間
今のようにオンライン講義などは
もちろんありませんでしたが
この時期に、ニュートンは
スペクトル分解、万有引力、微分積分など
その後の科学発展に大きく貢献する
理論を発表しています。
1665年6月から始まったペスト流行は
その後18ヶ月続き、終息したようで
この時期、ニュートンの活躍で
発展が滞ることなく
飛躍的に発展し、科学発展に貢献したので
物理学の世界では”奇跡の18ヶ月”とも呼ばれています。
時代が変わるときには
パンデミックのような
人類の危機に襲われるのかもしれません。
今回もコロナウイルスのパンデミックに襲われ
その中で
人類はこの危機を乗り切り
今後の世界を作り出す
知恵と力を蓄えているのでしょう。
そして
コロナ感染が終息したときには
素晴らしいこれからの時代に合った
現代にあったニュートンのような
人智が出現する気がします。
ニュートンは
もしかして
この時期神様に出会い
神から時代を切り開く目的、力を
委託されたから
奇跡を起こせたのかもしれません。
これからの時代を切り開くのは
今を生きている
あなたかもしれません。
しあわせの方程式
一般的というか常識的には
しあわせを感じるときは
欲望が満たされたときと考えられてます。
つまり
「しあわせ度=欲望分の充足」で
分母が欲望の量で、分子が現況での充足で
表されると思います。
例えば1000万円ほしいなぁと思っていて
現在500万しか手元になかったら
しあわせ度は500万/1000万で
しあわせ度は1/2と表現できるとも
言えますが
・・・・実際は
この方程式通り
手元に500万円以上手に入れられると
実際は
しあわせ度がますかと言えば
中々この方程式通りにはいっていないのが
現実ではないでしょうか?
それはなぜなのか?
僕はしあわせ度は
欲望がどの程度を満たされているかで
計るものではなくて
「しあわせ度=少欲分の知足」で計るもの
だと思うのです。
つまり
出来るだけ良くを減らして
今現状で足りていることを自覚して
生きていくことで
しあわせ度を計るのです。
生きている限り
欲がなくなることはありません。
究極的に無欲ならば
分母は0になりますが
分母が0nなることは
この方程式は成り立ちません。
つまり
欲を少なくすると
動詞形で考えたほうが
いいかもしれません。
欲を少なくしようと生きている中で
少ない状態でも
「ありがたい」とどれだけ思えるか
ということではないでしょうか?
世の中の事件をみても
お金が元になったトラブルは後を絶ちません。
お金に絡む欲望は
少なくなることはありません。
雪だるま的に
どんどん増えるばかり。
ブレーキが効かなくなります。
餓鬼は
欲望の奴隷になった姿だと
言われます。
今の資本主義中心の世界の中で
自分自身が餓鬼にとりつかれていると
気づいている人は
どれだけいるでしょう。
欲望の奴隷になると
その欲望が
貨幣への信仰のもと
進歩、発展という信念のもと
技術発展することが
至上課題だと
信じてやまなくなり
進んで言ってしまうのです。
そこには
他の人のことを考える
思いやり心はどんどん薄くなっていることに
気づいているのでしょうか?
ムヒカ大統領
先月ムヒカ大統領がお亡くなりになりました。
2021年大統領の映画を観てブログを書いていました。
その死を悼み、今回再掲載させていただきます。
お疲れさまでした。
ご冥福をお祈りします
「わたしたちはこの世に
発展するために生まれてきたわけではない。
しあわせになるために
生まれてきた」
という言葉を残されたのは
世界一貧しい大統領と言われた
ウルグアイのムヒカ元大統領の言葉。
国連スピーチで
世界全体の流れを見て
富を得るために生きているのではない
ものを持たないことが貧しいのではない。
ものがあっても満足できないのが貧しいのだと
しあわせを追求する真の生き方を
訴え、世界から注目されました
またその後
来日されたときの講演では
愛の大切さを訴え
愛のために戦わないといけない時がある。
わたしはこどもを持つ機会は失ったけど
親のいないこどもたちに
親に変わって絆を繋ぐ活動をしていること。
つまり
しあわせの種まきをしている。
種をまいただけで
その種全てが芽をだし
どんな花を咲かせ、実をつけるか
見ることはできないし
大統領になった後も
思っていたことの全てはできなかったけど
種をまけとと思う。と
ご自身のされたことを振り返られて
愛にあふれる未来が訪れる仕事をし
本当に人類のしあわせになることを信じ、願っている
透き通る先を見、ぶれることのない強い意志を感じる
眼差しで語られていた。
また
広島を訪れた時に
科学の発展のためには
道徳が必要であること。
そして
日本は長い歴史をもった素晴らしい国だけど
西洋化して忘れた思いがあると
憂えをもったまなざしで語られた。
まだまだ
様々なことを映画中でも
語られていたが
僕の拙い文章力では
ムヒカ大統領の言葉を
表現するのは難しいので
是非、YouTubeなどで
ムヒカ大統領のスピーチを見
五感で大統領の力強い
エネルギーを感じてもらいたい。
是非是非・・・・
そして、日本にも
ムヒカ大統領のような政治家が必要だと思う。
ムヒカ大統領を
世界一貧しい大統領というなんて
なんて、文明人の上から目線の言葉
こんなことを恥ずかしくもなく使い
現代文明は変えないといけないとも
強く思う。
僕も
しないといけないことは
多くあっても
できることはひとりでは
限界があるのは間違いない。
だから
できないといって諦めてはいけないんだ。
結果は見ることはなくても
種をまくことなら
僕にでもできる。
僕はやっぱり
しあわせの種をまき続けたい
ひとつの空
ひとつの空
という映画を観た
主人公の女子高校生の女の子
現代の女子高校生らしく
恋に悩み、友達との関係に悩み
家族の重みを悩み
どこかにいってしまいたいと・・・・
家出をし
そこに自由に生きる男性と会い
しがらみのない生活をしていたが
俗世間から逃れて生きていくことなんてできない。
二人で町に出かけた時
事件に巻き込まれ
その時の彼の今まで見なかった姿に恐怖し
その状況を偶然救ってくれた空手の恩師との出会い。
空手の
精神世界に触れ、のめり込み
彼女の精神世界が開花し
勝負とは、本当に強い人は
どういうことなのかを空手を通して学んでいく
映画。
本当に強い人は
戦わずして勝つ人だと。
その日のニュースは
カスハラ、パワハラのニュースが目につく。
人を責めること
相手が強くても、弱くても
戦いに勝つことが勝利することではない。
そう、真の強さとは
たたかわず勝つことだと教えてくれた
地味だけど、深い映画だった。
「好き」と「愛してる」の違い
「好き」という言葉と
「愛してる」の違いはわかります?
感覚的には、わかるような気がするけど
首をかしげてしまう人も多いことでしょう。
僕がもし聞かれたら次のように答えます。
「好き」は今の気持ち。
「愛してる」はこれからもずっと好きであることの誓い。
つまり
「好き」は今の鮮烈な気持ちを表すストレートな言葉
「愛してる」は、
さまざまな気持ちが積み重なって完成された
これからも続くゆるぎない気持ち
だといえるのではないでしょうか?
安心・安全の世界とは
今回は
「安心・安全」について。
安心・安全は
言葉上はよく似てる気がしますが
実は意味の上では全くちがう言葉何です。
安全とは
危険を取り下げること
または、危険のリスクを下げることです。
安全を達成するためには
誰もが納得できる基準
特に科学に裏打ちされた基準が
求められます。
例えば
シートベルトは車の死亡事故を減らす
とか
感染については
感染源を特定し、感染経路を断てば
感染を抑えることができるなどのような
誰もが納得する科学的根拠が
存在しています。
ですから
データーを示すことで
人々は納得できるのです。
それに対して
”安心”という言葉には
科学的根拠は存在しません。
人々の頭の中に浮かんだイメージ
すなわち
人が作り出した幻なんです。
安心という言葉には
科学根拠というものは存在しません。
そこにあるものは
安心という言葉を発した人が
”安心”したいという願望を表した
言葉なのです。
その言葉は、
こうありあたいという願いを表した
言葉なのです。
どんな行動をすると
どんな効果が起こり
感染リスクが下がるから
安全なんだと考えたらいいのです。
僕も診療中や日常生活でも
よく使ってる言葉ですが
言葉の意味をおかみしめながら
使っていきたいです。
愛の正体
愛については
科学者も、文学者も、哲学者も、宗教学者も
それぞれの立場で考えている。
学者でなくても
誰もが愛の正体について考え
自分なりの答えを持っている人も多いだろう。
でも、その答えも
愛についての永遠の答えとは言えず
胸を張ってこれが愛とはいえない。
僕自身も愛の正体はまだmだわからない、
言えるのは
男女間の彫れあうのは愛とは言えない。
この愛の形は相手を独占したいという
種の保存のなせる技のような気がする。
だから恋する期間が終わると
愛は覚めてしまう。
だから、愛とは
考えることができる人間だからできる行為のような気がする。
何を考えるか?
それは相手の苦しみ、こころの痛みを
相手と同じように感じ
その痛みを癒やすようにすることが
愛の行動ではないだろうか?
だから
痛みを知っている人
苦い体験をたくさんしている人は
愛にあふれる人になれるのだと思う。
愛あふれるこどもになってもらいたいなら
痛みの経験も必要なんです。