「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
死によって完成する
生きるとは何か
死ぬとは・・・・
この永遠の命題について
昔から
多くの哲学者を始め知識人が考え
各々の考えを残しています。
昭和の文豪太宰治は
著作「パンドラのはこ」の中で
こんな風に語っています。
「人間は死によって完成せられる
生きているうちは
みんな未完成だ。
でも、虫や小鳥は
生きて動いてるうちは完璧だけど
死んだ途端にただの死骸だ。
完成も未完成もない
ただの無に帰る。
人間はそれに比べると
まるで逆である。
人間は死んでから、1番人間らしくなる
というパラドックスも成立するようだ」と。
つまり
今生きているのは
何か目的をもち
自分を成長するために生きていると
太宰は考えたのだろうか?
死は終わりではなく
死をもって生きて経験したことが
意味をなす。
肉体以外に魂があること
魂の成長のために
生きているのだと言っているのか?
太宰治は
破天荒な人生を生きた方のように
僕は思うのが
何かの成長を意識して
生きてこられたのかもしれない。
太宰治が
魂のことを信じていたかどうか
確認する術は
今の僕にはないが
きっと人は
魂を持ってこの世に生きていて
死ぬと、肉体は死骸だけれど
魂はその後もいきると
考えていたのかもしれない。
太宰治の話を聴くことができるなら
是非きいてみたい。
あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と
遠い山なみの光
人は希望と夢を持っているから
生きていけるだ。
ノーベル賞作家カズオイシグロ原作の
映画をみた。
カズオイシグロは長崎出身である。
過去の長崎と現在のイギリスとを
人生を描きながら話しを進んでいく。
長崎で原爆を経験した
二人の女性のその後を描いた人生。
被爆地にいたことで
原爆の恐怖、周りの偏見、将来の不安を
抱え生きている二人の女性。
新しい希望を描いて
外国で生く決断をした二人。
しかし、そこでも苦しい現実が待っていた。
戦争が
どんなに深く傷跡を残し
運命を変えてしまう。
でも、生きていかないといけない現実。
平和について改めて
考えさせられた映画だった。
こころがこもった言葉
南極観測船「ふじ」に乗り込んでいる
夫に宛てて
日本にいる奥さんが打った電報は
ただ3文字「ア ナ タ」。
たった3文字の言葉だけど
その言葉に込められた思いが
当事者でなくても伝わり
奥さんの夫を思う気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
人は言葉を使うことで
多くのことを人に伝えることができるようになった。
そして
現代は、本、手紙、電報、作文だけでなく
SNSを使って
今感じることを文章で伝える手段を多く持つようになった。
実際
直接話すよりも
文章で思いを伝えることが増えてきた。
かつては
目を見て話しなさいとよく言われた。
発する言葉が相手に伝わるように。
でも今は
どんな文章を書く時には
「こころを込めて」書くことが大事になってきているような
気がするのです。
清少納言
清少納言といえば
「春はあけぼの・・・」ではじまる
「枕草紙」の作者で有名です。
実は幼い時父・清原元輔が
周防の国司になられ、現在の防府市にあった
周防国府に赴任されていたようです。
自分が今生きているところに
1200年前の超有名な女流作家がいたなんて
とても浪漫を感じてしまいます。
ただ清少納言は
清原元輔の晩年にできた子で
赴任を命じられたのは974年。
清少納言は966年頃生まれたと言うことなので
清少納言が当時のこと(思い出)とわかることを
残念ながら書き残してはいません。
ただ「枕草紙」160段に
「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船。
人の齢。春、夏、秋、冬」という
文章を残しています。
この文章は
おだやかな海をゆったり
帆をあげた舟に乗っている時のことを思いだして
書いているのでしょうか。
すれ違う船はどんどん過ぎていく。
きっと瀬戸内海を
父親と乗った時の楽しい思い出を思いだし
きっと
今は自分もおとなになり
もしかしたら父親も亡くなっているかもしれない
そんな時間の流れを感じたのでしょう。
きっと
清少納言にとって
防府にいた時は
父親と過ごした楽しい思い出の時間だったことでしょう。
善く生きるとは
僕たちがこの世に人間として
この世に生まれてきたからには
他の動物のようにただ生きるだけでは
生まれてきた理由
生まれてきた使命を果たしたと
言えないのではないのだろう?
どう生きてきたかが重要で
善く生きてこそ
人間としての使命が果たされたとも
言えるのです。
そして「善く生きる」とは
自分自身の満足するためだけに生きるのではなく
自分以外の人たちや
社会全体の幸福や喜びを考えて
行動することだと思うのです。
人間は
誰かの喜びを創るべく生き、
誰かの喜びを生み出したことにしあわせを感じるのです。
人は誰かと見守られて生きている
人は
ひとりでは生きていない
ひとりでは生きられないとも
よく言われます。
確かに
人は特につらいときは
誰かが見守ってくれている
自分の元気になるように
願って祈って下さっていると思うと
どんなに力づけられることでしょう
そして
一歩、一歩前に進むことができるでしょう。
僕も入院したとき
家族が、スタッフが
他にも回復を願ってくれる方々の
無心の祈りによって
病から回復し
また今ここにいられると思っています。
人の思いに助けられたのは間違いないのですが
忘れてはいけないのは
僕をどんな時も、守ってくれていた
自然の力があることを知りました。
入院して、感じることができた
自然の力。
恥ずかしながら、それまでは
ほとんど意識することはありませんでした。
それは
僕の心、生き方に問題があったのです。
自然の力は
意地張った心、頑な心では
感じることができないのです。
素直な心になってはじめて
自然の力を感じ、受け入れることができるのです。
素直に自然の力を受け入れることができれば
いつでも、どんな時でも
自然の力は、あなたを、僕を
喜んで守ってくれるのです。
自然の力は
前回お話をした神の経、神経を通して
60兆個の細胞一つ一つに伝わっていきます。
素直な心がないと
すべての細胞を司っている神経が
硬直すると言われています。
神経が硬直して働けなくなると
細胞も同様に働けなくなり
体の中に毒素をため込んでしまいます。
それが
病気や不幸を生み出してしまうのです。
神経は
からだを動かしている働きがあると
現代医学では考えていますが
実は
宇宙からの力が
自然界からの力が
僕たちのからだに伝えてくれているのです。
そして
宇宙からの英知を受け取って
僕たちは生きている、生きられているのです。
そのことを
素直に受け入れていきることができれば
病気になることもなく
心豊かに生きていけると思うのです
日本人の魂
日本人は世界的に見ても
他に類を見ない民族ではないでしょうか?
そのひとつが
宗教に縛られない民族だと言うこと。
日本人の多くは仏教徒だから
死んだら仏様に手を合わせて
家には仏壇でご先祖様をお祀りします。
クリスマスもバレンタインもハロウインモお祝いして
お正月や七五三では神社にお詣り
どんな宗教でも受け入れてきた民族です。
どうして、こうなったのか?
それは神武天皇が日本国を作った時に
「養生」と言うことを発しておられるのです。
これは
何が正しいかを宗教や神の教えなどに固定せず
正邪を見分けるこころを養い、広め
正しい方向に向かっていこうと考えたことに
よる気がするのです。
だから、何が正しいのか、何が必要なのかを
自分自身の心で判断することを
ずっとおこなってきたことによるのでは亡いでしょうか。
我々の魂には
「養生」という想いが根付いてるのです。
大切にしたい日本人のこころです。
生みの親といのちの親
この世に生まれてくるためには
必ず父と母が必要です。
この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。
血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。
血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。
でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。
受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。
3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。
この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。
僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。
ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。
いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。
両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。
僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。
両親からの贈り物
僕たちは
ひとりで生まれてきたわけではなく
両親から3つのものをいただいて
この世に生まれてきたんだと
思います。
一つは
この世で生きていくための
「肉体」。
そしてあと二つは
「良いこころ」と「魂」だと
思います。
肉体は
生まれたときに
両親からいただいたのは
わかるのですが
「良いこころ」はいつ?
僕は
死を迎えたとき
つまりあの世に旅立つ瞬間に
旅立つご先祖様から
生きているときに感じられた
「良いこころ」を
これから生きている人に
エネルギーとして
手渡されているのだと思います。
親しい人が亡くなると
思い出されるのは
美しい思い出ばかり。
これは
「良いこころ」を受け取った
証拠なんだと思う。
そして
生きている間
お金ではなく、
天に徳という貯金をして生きていく
ということが大事なんだと思う。
いわゆる
徳積みは自分のためでなくて
こどもだけでなく孫のためなんだ
ということもきいたことがあります。
そうなんですよね
今感じた「良いこと」
それを良いと感じることで学んだ自分の魂
そのエネルギーは
両親やご先祖さまからいただき
もっといい経験をして
もっと大きなエネルギーとして
こどもや孫そして子孫に続く
生き方をしないといけないと
いうことですね。
この世に生まれてきたわけは
魂を磨き、徳積みをして
エネルギーを高めることは
自分だけならず
代々引き継いでもらえると思うと
今真剣に大事に真の道を
歩いて行かないといけない
大きな責任があるのですね。
万葉の時代から変わらない愛のこころ
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き
野守(野守)は見ずや君が袖振る」額田王
これは万葉集の載っている有名な和歌。
額田は少女のころから
大海人皇子(後の天武天皇)の后で
二人の間には十市皇女が生まれ
後に額田王が中年になった頃でしょうが
天智天皇の后になったかたです。
多くの心情豊かな和歌を残しており
きっと才色兼備の美女だったのでしょう。
天智天皇が近江の地にに遷都するのですが
その時に近江で遷都を祝して
大宴会が催され
その時に額田王がかつて会いを交わした大海人皇子に
向けて歌った歌です。
意訳すると
「紫草がずっと咲いているきれいな野原。
あなたは人がみているのに
おおぴらに私に手をお振りになったりして」
これの歌に大海人皇子の返しの歌は
「紫野にほえる妹を憎くあらば
人妻ゆえに恋ひめやも」 です
意訳すると
「紫野ように美しいあなた、
あなたを今でも恋すればこそです。
あなたは人妻だけど
あなたに想いを残しています」
なんと現代でもありそうな恋愛事情が
古代にも変わらず合ったのですね。
とても艶やかな歌のやりとりです。
