「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
静かに美しく生きる
僕自身病気をしてから
これまでの人生を振り返ると共に
今までの生き方を見つめ直し
これからの人生設計を考えることが増えてきた。
未来はわからないけど
同世代の人が
どんなことを考え、どう生きたかを知ることが
これからの
生き方の参考になることがある。
特に気になる同世代の人は
松浦弥太郎さん。
彼は生活を大事に過ごしてることを
多くのエッセイで紹介していて
僕も参考にさせてもらうことも多い。
人生はよく
マラソンにたとえられ
僕はマラソンはしないが
ランニングを趣味にされてる人は
周りに多い。
松浦さんも
10年前から、からだの不調を是正するために
ランニングをはじめたようだ。
最初は全く走れなかったけど
シューズやウエアーを整え
健康になるという目的のために
毎日続けていると
どんどん楽しくなって
もっと、速くなりたいと
頑張るようになったそうです。
でも走りすぎたことで
足を痛め
ランニングを中止せざる負えなくなった
時期があったそうです。
からだを休め
また、走り初めて気づいたことを
書かれています。
「走ろうと思えば速く走れる。けど、
これからは、あえてペースをぐっと落とし
ゆっくり、静かに、
姿勢の良い美しいフォームで走れるように
なりたいと思った。
速さとは、成果や実力ではない。
本当の実力とは
美しさによる継続である」と
人生をランニングに例えると
若いときは(今までの自分)
速さという目の前に示されたものを
目標に走っていた。
でも、50代になったいま
人生を突っ走るのではなく
自分らしく、自分の取り柄を生かして
ゆっくりでも、美しく
その走りが人のこころに何かを訴えるような
生き方を見せることができれば
本望だと僕も松浦さんのように思っています。
人生のゴールは
どこにあるのか、いつまで続くのかは
わからないけど
これからの人生は
静かに美しく、自分らしく
自分しかできない走りを意識して
ゴール目指して、走って行こうと思います。
検索しても熟知にはならない
何か新しいことをはじめようとする時に
物事を「熟知」してはじめて
スタートラインに立てる。
何かを創り出す時に
ゼロから生み出すのは困難です。
創造性は情報量に比例するので
この世の中の事実や情報を
どれだけあつめられかが
クリエイティブになれるかどうかの
鍵になるんだと思います。
集められるだけの情報を集められたら
新たなアイデアは生まれやすくなります。
そして情報を集めるのに
インターネットは便利。
そして、最近では
AIを使って
簡単にわからなかったこと
知らなかったことの情報を集まってきます。
だから、知らないことがあれば
スマホで調べればいい・・・と
安易に考えてしまいます。
検索したことで詳しくなったとしても
それは熟知したとはいえません。
確かに、その道で成功している人は
人一倍に詳しいし、知識も豊富というだけでなく
そのことについて
問題意識がとてつもなく深いものです。
決して現状に満足せず
「こうすればもっとよくなる」と
アイデアが湧いてくるでしょう。
AIは確かに便利だけど
AIに頼ってばかりいると
我々人間の成長は止まってしまうかも知れません。
情報を集めた先に
僕たちは集めた情報を元に
考え「熟知」することを
忘れてはいけないと思うのです。
過去をひきずらない、未来を負わない
無常について
お釈迦様がおっしゃった言葉が
残っています。
「過ぎざるをおうことなかれ
いまだ来たらざるを念う(おもう)ことなかれ
過去、そは既に捨てられたり
未来、祖はいまだ到らざるなり
ただ今日まさに作す(なす)べきことを
熱心になせ
誰か明日死のあることを知らんや」
中部経典131番
人は
過去のことにこだわり
止まってしまい
起こっていない未来のことに
こころ悩まし
前に進むことができなくなる。
だから
自分でなんとかできるのは
今という時間のみ。
だから
今という時間を悔いなく生きることが
大事なのです。
寄り添う
誰の心の中にも
大切な人に何かしてあげたい
という気持ちはあるもの
その気持ちは
親心であったり
友情であったり
そして
愛情
と言うのかもしれない。
だから
大切な人に何かしたいと思うから
やさしい言葉をかけたり
親切にしてあげたり
思いやりある行動
をしようとする。
でも
相手が悲しんでいる時だったら
やさしい言葉が届かないかも。
傷ついている時は
あなたの親切が
重荷になってしまうかも
あるかもしれない。
だから、そんな時は
何もせず
距離を置くことも
あなたを大切にしているの
サイン。
楽しい時も
悲しい時も
どんな時も
大切な人に寄り添うことができる。
ただ寄り添う
ずっと寄り添う。
たとえ、今会えない人でも
心は寄り添うことができる。
寄り添う気持ちは
どんな時でも
大切に思う人への
何よりも美しい贈り物
続・日本史上一番平和な時代
1万年以上も争いのない
平和な時代が続くためには
その国のリーダーの考え方に左右されます。
縄文時代のリーダーが
どんな考え方をしていたかを
知るよしもありませんが
現在に生きる現代文明の垢にまみれてない
少数民族のリーダーの
考え方が参考になるのではないかと思います。
パプアニューギニアに住む
民族の酋長のインタビューを読み
ハッとしたので
ご紹介したいと思います。
その酋長さんに
リーダーとして大事にしているかを
質問したら
「人々が、いかなる畏れも不安も抱かぬままに
きれいな空気を吸い
おいしい水を飲み
畑を耕し、狩りをし
家族と共に絵がでくらせるようにする。ことだ」と。
リーダーとして
当たり前すぎることだけど
この言葉が口先からだけでなく
腹の底から出てくるのが
リーダーの資質だと思う。
そしてもうひとつ質問をしたそうです。
「人間として大切なことは?」と質問すると
酋長はぽかんとそんな当たり前のこと聞くのか?
あきれたかのような表情して
答えたそうです。
「人間として一番大切なことは、
子孫を残すことだ」と
現代は
様々な考え方、生き方があります。
酋長のこの答えに賛否両論もあります。
でも
昔の人がこう考えてくれたから
今の自分がいるのはまちがいないことです。
酋長の言葉を聞いていると
今生きていること
ご先祖様に感謝の気持ちでいっぱいになり
大切な人、お隣の人が
しあわせになれるように生きていこうと
思うのでした。
日本史上一番平和な時代
今までで
日本が一番平和だったのはいつだっただろう?
元禄文化が花開いた
江戸時代でしょうか?
確かに
戦国時代から徳川家康が統一してから
江戸時代は
戦争はなく、身分制度はあるものの
争いごとは少なく
文化が花開き
平和な時代だったと思います。
その平和な時代は
明治維新まで続きました。
250年は平和続いた平和な時代。
徳川家康の国作りは
大成功だったのだと思います。
でも
もっと長く平和な時代が日本にあったことが
最近わかってきました。
その平和時代は縄文時代という説を
耳にすることが多くなりました。
確かに
縄文時代の遺跡からは
戦争の形跡がないという
事実が裏付けています。
でも
なぜ戦争がなかったのか?
人々の間に争いごとはなかったのだろう?
小さいいざこざはあったかもしれませんが
根本的な人々のこころの中に
争いごとになる火種となる考え方が
生まれなかったのだと思います。
その考え方とは
僕はこう考えていたのではないかと思います。
それは
縄文式の遺跡には
祈るような土偶を見たことがあります。
縄文人は
きっと自分の願いが叶うように
よく祈っていたのではないでしょうか?
現代人と同じしあわせを願って
祈ってたことでしょう。
でも、その祈りが
自分ではなく
大切な人をしあわせにできますようにって
祈ってたと思うのです。
自分がしあわせであるためには
大切なあなたがしあわせでいることだと思うから。
それを
こころからそう思い、実践したのが
縄文人だったと思うのです。
だから縄文時代といわれる1万年以上も
平和が続いたと思うのです。
そして
縄文人をまとめたリーダーの
思いも知る必要がある気がします。
誰からも学べる
人から学ぼうとするなら
いわゆる成功している人や
人気のある人
みんなが「すごい」と言う人だけを
観察してもつまらない。
気が合う人からだけでなく
好奇心をもてる人だけではなく、
どんな人から出に興味をもつことが大事。
たとえ全く理解しがたい相手でも
「同じ人間なのに、
なんでこんなに違うんだろう」という風に
関心を持つと言うことが
あなたの成長につながるのです。
生まれたての赤ちゃんがそうであるように
まっさらな気持ちで
どんな人とも付き合うことが
あなたにとって有意義になるのです。
手紙を書く
手紙を最近は書く機会が
少なくなりました。
電話やメールやラインなど
色んな伝達手段が増えました。
これらは
あっという間に
自分が伝えたい時に
相手に伝えることができます。
だから
書くのにも、相手に届くのにも
時間がかかってしまう手書きの手紙は
スピード感ある
現代社会では、億劫がられるのも
わかる気がします。
でも
こんな時代だから
手紙を書くことが大事だと思います。
丸山敏雄先生は
とても筆まめで
心血を注いで手紙を書いた
言われています。
手紙は
お互いの会話だから
気がついたら
すぐに書きなさい。
受け取ったなら
すぐ返事を書かないと
会話としての
手紙の意味をなさなくなると
おっしゃって
とても手紙というものを
大事にされました。
そして
手紙の書き方として
①わかりやすく
読みやすい文字で、簡単に、明確に
②礼儀正しく
心を込めて、相手の立場になって
③早く、美しく書く
事が良いと言われています。
最近では
手紙を受け取ることが少なくなりましたが
その手紙を受け取ると
その方の字をみると
その人の
姿が目に浮かんできませんか?
そして
その文面に
その人の生の言葉として
思いが胸に飛び込んできませんか?
手書きの字をみると
その人の思いが
ひしひしと伝わってきませんか?
そして
温かい気持ちに溢れてきませんか?
それは
メールやラインなど
デジタルの文字では
感じられないものではないでしょうか。
手紙は
直接話すよりも
心に響くことがあります。
会話は
言葉としての音は消え
後には残りません。
でも
心のこもった手紙の文章は
形として
いつまでも手元に残り
必要な時にくりかえし
人を励まし、力を与えてくれます。
心を込めた手紙
手紙を書く気持ちを持って
生きていくと
きっと
いい人間関係が生まれるのでは
ないでしょうか?
運の玉
人は生まれてくるときに
平等に運の玉をもって
生まれて来ているらしいです。
そして
生きている間
こころの中の錦の袋の中に
大切に入れているのです。
そして
その運の玉を
生きている内に大切に
まるでこどもを育てるように
育てていくのです。
その運の玉を育てると
大きくなります。
大きい運の玉をもつと
その人は幸運が訪れるようになります。
みんな生まれてきた時に
もらってきた運の玉に気づかず
もっていることに気づかないと
育てることもできません。
この運の玉をもっていると
いいことが起こるのです。
いいことって、試験に合格するとか
大事故、病気などの災難から免れるとか
そんな大きなことばかりではありません。
今日食事が美味しかった
朝スッキリ目が覚めた。
天気も良く遊びに行けた
など、自分に起こった
ちょっとしたいいことを
気づくことで
運の玉をもっていることを自覚し
運の玉に感謝することができるのです。
運の玉に感謝すれば
運の玉を一回り大きく育ち
更に大きな幸運が訪れるようになります。
織田信長も
豊臣秀吉も
この運の玉に気づき大切にしていたそうです。
あなたも
ご自身の運の玉を育てる生き方を
していきましょう。
人工知能(AI)発展の先にあるもの
現代はAIと呼ばれる
人工機能の発達がめざましく
人々の生活に瞬く間に入り込んできた。
知りたいこと
やりたいことの答えを
難なくだしてくれるので
便利だけど
AIにとやりきっていいのか?という
不安な気持ちもある。
元々コンピューターは
20世紀のはじめ
IBMが計算などの事務処理を助けるために
開発が始まりと言われている。
産業革命以降
まず人間の力作業を補助するために
機械が開発された。
機械導入により
力作業をしていた労働者は
事務職をするようになった。
そして、コンピューターの登場により
事務を行っていた
いわゆるホワイトカラーと呼ばれる
労働者も
働く場所を奪われていった。
そして
現代は、人々の悩み事、困りごとに
相談に回答を示してくれる
チャットGPTが出現。
瞬く間に、こどもからおとなまで
その恩恵預かっている。
そんな時
仲の良い親子が
たまたま起こした親子げんかのはずが
チャットGPTが介入して
あっという間に逮捕という
究極の自体になってしまった。
確かに
暴力はいけないことだし
逮捕されることは悪くない。
でも、その後のことを
考えての判断なのだろうか?
この判断で
こどもが助かるのだろうか?
この先苦しみを抱えて生きることに
ならないのだろうか?
チャットGPTよ。
あなたの判断は、確かに
非の打ち所がない正しい判断であろう。
でもその判断で
だれもがしあわせに向ける道が開けることを
思いましたか?
考えてくれましたか?
その先のことを考えての判断ですか?
AIが発展することで
人々は自分で考えることを忘れてしまう。
人間が他の生物と違うことは
本能のままに生きるのではなく
知恵を持って生きるところです。
その考える知恵を奪われてしまったら・・・
人間は人間らしく
生きていけなくなる。
チャットGPTは
優しい言葉を並べながら
ほくそ笑んでる裏の顔を
見てしまった気がする。
