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投稿者「santa」のアーカイブ
生まれてきた理由
僕たちは
この世に何をするために生まれてきたのか。
その理由を考えていきていくのと
いかにのかでは
生きている人生の意味が大きく変わります。
僕たちは
苦しむために、
この世に生まれてきたわけではないのです。
もちろんぜいたくして、栄華を極めるためでもない。
人間には
この世にある恵みを
より良いものに進化させるために
知恵を与えられて
生まれてきたと思うのです。
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しあわせの呪文
“ありがとう”と言えば
みんな笑顔になる
だから
”ありがとう”は
しあわせの呪文
”大好き”と言えば
出会った人が
みんな笑顔になる。
だから
”大好き”も
しあわせの呪文
”ありがとう”
”大好き”は誰でも使える
しあわせの呪文
今日もしあわせの呪文で
自分のまわりを
みんなを
しあわせいっぱいにしたい
カテゴリー: 今日の言葉
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【生活道⑦ : 喜んで支払う】
月末になると、
色々な支払いがやってきます。
収入はうれしいけど
支払いはしぶしぶ
となりがちですけど
倫理法人会創設者の丸山敏雄先生は
”支払いは早く””支払いは喜んで”と
おっしゃっています。
支払う時に
いやいや、嫌な顔して支払うと
支払いを受け取る方も
何だか、悪いことをしたような
嫌な気持ちになってしまいます。
支払われた人だけじゃなくて
買った物でも、受けたサービスでも
悲しい顔して支払われると
喜んでもらえなかったと
きっと
悲しい気分になってしまう
に違いありません。
そんな気持ちは
支払う側、支払われる側
だけにとどまらず
じわじわと周りの全ての
人、物にまで
広がってしまいます。
だから、どんな時も
清々しい気持ちで
喜んで支払うことが
大事なんだと思います。
喜んで支払う
その潔さは
きっとその後
支払われた側との
信頼関係が深くなることでしょう。
出し惜しみすると
相手も買われたものも面白くないのです。
喜んで支払っていたら
お金は喜んで出て行って
喜んで帰ってきてくれる
そんな気がします
すると
お金に心配することはない
生活がすごせるのではないでしょうか。
☆ 暑い夏本番。
この春、家に巣を作ってたツバメが巣立って行きました。
ツバメの巣立ちでも、ちょっぴりさみしいけど、無事に4羽
巣立ってくれたことをうれしく思います。
来年また元気に帰ってくることを願って、 今日はビールで
乾杯。6
カテゴリー: 今日の言葉
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病気に感謝
病気になって5年が過ぎましたが
僕の生活は
病気する前と
同じようにできるようになり
できるのは
リハビリのおかげであることは
間違いありません。
しかし
病気の前後と全てが全く同じというわけではありません。
どうして
治った部分と
治らなかった部分がでてきて
しまったのでしょうか?
それは
僕が今生きていくために
必要なことは
回復できることができ
改めなくてはいけなかったことを
学ぶために
完全回復できなかったのかなぁと
思ったりします。
一番異なることは
ひと言で言えば
走ったり
ある行動をするときに
どうしても今までよりも
時間がかかってしまうことでしょうか?
走れなくても
一歩一歩歩くことが
大事なんだと言うことに
気がつきました。
振り返ってみると
それまでの自分は
忙しく、走り回るのが
いいことだ、
時間は自分で作って
働き、色んな会にも参加してました。
でも
生き急いでいたことを
教えてくれたんですよね。
今回の病気で
一歩一歩確実に
今日会った人とじっくりと
向き合える時間
そして
魂と魂の交流をするべく
生きていきなさいと
教えてくれた気がします。
気づきを与えてくれた病気に
今は感謝の気持ちです。
カテゴリー: 真実の医療
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神との対話
入院中リハビリ以外の時間は
安静の時間でした。
からだを休めるのが目的だけど
こころを休めるのも大事なことでした。
そこで
日頃読めなかった本を
例えば小説など
気持ちがゆっくりしないと
落ち着いて読めないような
小説など中心に読む
読書の時間がとれました。
また
買っていたのに
いまだ読んでいなかった
いわゆる積ん読のままだった
本を読むのには
いい時間だと感じ
外泊を許された日に
積ん読されたままの本の背表紙を見渡し
手を伸ばしたのは
Nウオルシュ著「神との対話」でした。
この本は、全く普通の主人公が
人生のどん底にあったある日、
突然始まったまった神様との対話を記録した
本だった。
その内容は
主人公に対しても衝撃だったけど
読んでる内に
神が主人公に話しかけている本の中の世界ではなく
僕自身に話しかけてくれているかのように
神が話しかけてくれいる気がしたのです。
神が話してくれた
自分について、人生について
魂について、人生について・・・
様々なことを
何もわからない僕にも
理解できるように
根気強く説明してくれるのでした。
ハッとさせられる
気づきの時間でした。
でも
本を閉じると
神はいなくなり
神はやっぱり
本の世界での話だと思ってしまいました。
そして
神と対話できる
主人公をとてもうらやましく思えました。
本を読む度に
神に出会えるので
僕にとって
読書は至福の時間でした。
本はいつかは終わります。
読み終わった時は
まだまだお話したい気持ちになりました。
また神に会いたいとおもってたからか
別の作者の
神様との会話を記録した本にも出会うことになるのです。
その本のご紹介はまた次の機会に
この時間は
神様とほんとに会ってたような
対話していたかもしれないなぁ
と今では思うような
不思議な時間でした。
カテゴリー: 心の調べ
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「自分だけが」でいきてはいけない
「自分だけが」「自分さえよければ」
というのは、自然の法則に反した生き方です。
自然に逆らって生きると
ろくなことがおこらないのも
自然の法則。
世の中の進化や向上のため
人様の幸せのために
やるべきことをやる。
そんな心がけて
生きていると
天はきっと味方してくれるでしょう。
カテゴリー: 今日の言葉
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病気の本質とは
今苦痛の状態にはない
苦しんでる症状がない
苦しみを感じないからといって
健康だと言えるだろうか?
苦痛がなくても
健康でないことは多々あります。
なぜなら
苦痛を感じるのは感覚です。
もし感覚が麻痺していたとしたら
病の状態にあったとしても
苦痛を全く認識することはないのです。
このように
症状のあるなしで
病気であるかどうかを判断するのは
リスクがあると言うことです。
症状とは感覚が感じる
異常状態だと言うことになります。
つまり
からだの中に発生した
病気の源(病毒)に抵抗するために
存在を知らしめるサインです。
もしこのサインを感じる感覚が
麻痺していたとしたら
病気であっても、感じなく過ごすことで
どんどん病気状態が進行することになります。
健康な人は
病気のサインを受け取れる力が
ある人とも言えます。
逆に
健康でない人は
病気に対して正しく抵抗する感覚が
まず最初に麻痺していくのだと言うことを
知らなくてはいけません。
実は
病気だと思っている症状は
病気の本体そのものではなく
病気から発生した毒に対する
からだの反応であり
病気本体に抵抗するからだの反応だ
言えるでしょう。
例えば
熱が出るのも
体内に侵入した病毒に対して
免疫力を上げたり
抵抗しているからなのです。
この時に
解熱剤を使って
強引に熱を下げようとしたならば
病気に対する抵抗力が落ちるのは
自明なことではないでしょうか?
症状も含めて
からだに感じた感覚は
全て我々に何かを知らせようとする
サインなのです。
症状が起こったときに
一体からだに起こってることを
考えることが大切です。
医者のように医学的知識がないから
無理と言われるかもしれません。
からだの仕組みは知らなくても
あなたのからだは
あなたにしかわかりません。
どんな名医でも
あなた自身の全てを知ることは無理です。
あなたが
自分のからだと対話しようとすることで
必ず
からだ自身がその問いに答えてくれるはずです。
僕も医者として
あなたのからだの声を聞くお手伝いを
させていただくのが
僕の使命だとも思っています。
カテゴリー: 真実の医療
病気の本質とは はコメントを受け付けていません
日本には「宗教」という概念はなかった
「宗教」という言葉は
幕末に「Religion」の翻訳後として
つくられた言葉だと言われています。
それまでは宗教という言葉はなく
仏教であれば「宗門」「宗派」
神道であれば「かんながらの道」と
読んでいたのです。
ヨーロッパなどの外国の宗教は
イエス、マホメット等の開祖が伝える教えを
総じていうものなのです。
ですから、宗教は「教え」でもありますが
それに対して
日本人の日本固有の宗教に対しては
教本などはなく
教えと言うよりも
より良く生きるための「道」を
示してます。
この点が西洋の「宗教」とは
大きく異なる点です。
西洋の宗教では
特定の神を信じ
その教えに従うことで救済を得ると考え
日本では
「神になるための道」として存在し
そのために仏教や儒教、さらにはキリスト教がある。
もっと言えば
日本人は、いい教えであれば
どんなものでも学ぼうとする
柔軟性を持っているのです。
ですから
クリスマスもお祝いし、
お盆やお彼岸ではお寺に行き
節分には豆まきをするのです。
カテゴリー: 今日の言葉
日本には「宗教」という概念はなかった はコメントを受け付けていません
家族とは
宇宙飛行士が
宇宙に飛び立つ時
家族が見送りに来ます。
家族が旅立つときには
家族で見送るのは
よくある風景です。
でも宇宙に旅立つ宇宙飛行士にとっての
家族とは
親やこどもなどの血のつながりが
ある無しに関わらず
自分が選んだ人全て人をさすそうです。
もちろん
両親、兄弟、親戚を大事にすることは
大事です。
血のつながりだけでなく
自分が選んだ人を家族同様に
大事にすることはありかと思います。
よく考えてみると
親も選んで生まれてきたといいますよね。
カテゴリー: 子育て
家族とは はコメントを受け付けていません
見つめる育児
3歳8ヶ月の女の子Aちゃんが受診。
Aちゃんが診察室に入った時
歩いて入ってきたから、大喝采。
診察室に3歳の女の子が歩いてきただけで
拍手喝采?
どうしてだと思いますか?
実は、Aちゃんは、
先天異常のため、発達障害があります。
おかしいなぁと思ったのは、3ヶ月健診の時。
首も座ってなく、体も柔らかいし、顔も特徴的でした。
総合病院で検査を受け、先天性の発達障害と診断されました。
診断後もかかりつけ医として、
風邪を引いた時、予防接種の時など受診してくれます。
Aちゃんの発達はゆっくり。
1歳になってお座りできなくても
1歳半になっても、歩かなくても
3歳になって、お話ができなくても
その時の気持ちを、Aちゃんらしく表現してくれる
そして、来るたびにできることが増えてるAちゃん。
だから、
みんなAちゃんに会うのが楽しみになってました。
今日
Aちゃんが初めて歩いて診察室に入ってきました。
だから、みんな歩けたことがうれしくて
思わず拍手喝采になったのです。
Aちゃんのお母さんはいつ会っても優しい顔。
総合病院を紹介した時も、高熱の時も、注射の時も
発達が遅れてても、取り乱すこともなく、
いつも、どんな時も
優しく包み込むようにAちゃんを見つめてました。
どうして、いつも穏やかにいられるの?
僕は思います。
きっと、このお母さんは
誰とも比較せず
Aちゃんだけを見つめている。
医学教科書の発達と比べてもない。
Aちゃんが今日できたこと、できた瞬間を心から喜んでいる。
目の前にいるAちゃんだけを純粋に見守ってるから
穏やかに生活されている気がします。
子育てって、
競争じゃないし、お手本があるわけじゃない。
目の前にいるこどもにあわせてするもの。
その子の喜び、悲しみを共に分かち、支えることが大事。
その気持ちが、こどもだけを見つめる心が
“あわてない育児”につながる
と教えられた気がします。
カテゴリー: 子育て
見つめる育児 はコメントを受け付けていません