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投稿者「santa」のアーカイブ
バベルの塔の失敗を繰り返してはいけない
科学は、これまで
世界で起こることの
様々の現象、姿、法則を
明らかにする学問として発展してきました。
でも
近代科学は
細部にこだわり
詳細に突き詰めて行くにしたがって
この世界の裏に潜む
人智を超えた神の偉業
を解明しようとしているように思えます。
医学の世界でも
人工授精など
最も神秘的な命の誕生に
挑戦して
神の領域に踏み込もうとしているかのような
一面ももっていないでしょうか?
現在
全世界がコロナウイルスワクチンの
誕生を心待ちし
全世界の医学者が
懸命に努力しています。
しかし
できるどころか
あちこちで聞こえる
治験中止のニュース。
このことも
ある種の人類に対する
ウイルスからの警告のような気がするのです。
科学の進歩は素晴らしく
喜ばしいことだと思う。
でも、今の科学至上主義の
行き過ぎの現状をも危惧してしいます。
こんな時たまたま
聖書にある
バベルの塔の話を読む機会がありました
バベルの塔の話では
かつて、人類は
神様に近づこうと、思い上がって
高い塔、つまりバベルの塔を作って
神様に対して挑戦したことありました。
その時神様は
未熟な人間の
その奢った人間の心を戒めるために
バベルの塔を
ことごとく破滅したのでした。
これをただの物語
歴史神話として読んではいけない
気がします。
バベルの塔を作ったときのように
人類は今
地球をそして人の命ですら
自由にコントロールできると
自分の力を過信し
奢った気持ちを持っていないでしょうか?
人間は
僕は肉体と魂とから成り立っていると
考えられます。
医学が進歩して
肉体のことは解明できた来たけど
魂については、まだまだ
その存在すら証明することもできていません。
人間の知恵は・・・・
まだまだというか
全然神様には及んでいないのです。
だから
科学の進歩があって
世界全ての人々が賞賛するようなことが
できても
決して奢らず、謙虚に生きていかなくては
いけないことを
バベルの塔の神話は
現代社会に忠告しているのだと思います。
自分の力に奢ることなく
謙虚に生きていかなくてはいけませんね。
カテゴリー: 今日の言葉
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いのちのバトン
人は必ず死ぬから
いのちのバトンタッチがあるのです
死に臨んで先に往く人が
「ありがとう」と言えば
残される人が
「ありがとう」と応える
そんな一瞬のバトンタッチが
あるのです。
そのバトンタッチがあるから
いままでこころが想いがDNAが
ずっと引きつながっているのです。
そのバトンタッチをきづかなかったとしても
バトンタッチをうけたことを
意識して生きていくかどうかで
あなたの人生は大きく変わってくる。
そして
あなたのバトンをまた渡す日は
必ず訪れるのです。
カテゴリー: 今日の言葉
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薬より大切なこと
人は
病気になった時はもちろんだけど
病気を予防するために考えた時
薬やたべもののことをまず気にします。
日常の診療でも
みんな薬を求めて受診される
だから
薬が飲まなくていいよと言うと
喜んでもらえるかと思うけど
実際は不服そうな顔をされる方が多い。
僕は
病気を治すためには
薬だけではなく
薬よりもっと大切なことがあります
プラシーボ効果という言葉が
医学会にはあります。
それは、たとえ偽薬であっても
服薬される患者さんが
本物の薬であると信じて服薬すれば
実際効果があるというが経験されているのです。
同じ薬を飲むにしても
仕方なく渋々飲むのと
「これはすごくよく効く」と
前向きな気持ちで服薬するかでは
治療効果に大きな差が出るのです。
このプラシーボ効果は
人間のからだが持っている
自然治癒力の働きで説明することができます。
いい薬だ、この薬を飲めば絶対治るなど
より強いイメージや信念を持って服薬すると
免疫の中枢器官である間脳が刺激され
間脳の働きが活発になリます。
その刺激が神経系に情報伝達されると
血液中のリンパ球が強化され
病気に対する免疫力が高まって
従って
自然治癒力も高まると言うわけなんです。
人間には
生まれたときから
元々備わっている自然治癒力があります。
その生まれつき持っている
自然治癒力のパワーは
自身が考えているより
はるかに強力で
どんな難病でも治すだけの力があるとも
言われています。
その底知れない
自然治癒力をひきだせるのも
自分自身しかないのです。
治りたい、なおるなど
その病気に打ち勝つんだという
強い気持ち、信念をもち
心の底から
自身のもつ自然治癒力を信じることでしょう。
僕も入院したとき
絶対治る、これまで通りの仕事、生活をすると
と思ってましたし
それが現実になったのは
薬ではありません。
自分自身の力
すなわち
自然治癒力のたまものなのです。
この世には
プラシーボ効果が存在します
つまり
自身のもつ思いやイメージが強ければ
奇跡を起こす力が
誰にも備わっているのです。
カテゴリー: 真実の医療
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魂の修業するとは
この世に生まれてきたのは
魂の修行をして
魂のレベルを高めるためだと
お話をしましたが
魂のレベルを上げるために
どんな風に
生きていけばいいのでしょうか?
魂のレベルは
魂の熱量の差で
決まります。
つまり
魂のレベルをあげるとは
今生きている
自分の人生に対する
温度差で決まりのです。
自分の
人生の温度を高めていく生き方が
魂のレベルを上げる生き方だと言うことです。
毎日
のんべんだらりと
過ごしているけでは
人生の温度はあがりません。
魂の温度が上がるためには
「気づきが多いければ多いほど
波動は高まっていくのです」
僕たちが肉体を持って生まれてきたのは
いろんな事を経験するため。
経験することで
人それぞれ気づきがあります。
その気づき一つ一つが
あなたの魂の温度を高め
そして
その積み重ねが魂のレベルアップにつながります。
気づくことで
心の豊かさを生みます。
気づくことで
心の安定や充実感と言った物が高まります。
今回
生きている人生
身の回りの中で起こる出来事、事件は
どんなことでも
僕たちに何かの気づきを与えるために
起こっているのです。
ですから
一分一秒でも無駄にすることなく
いいこと悪いことも
自分の魂の温度を上げるには必要なこと。
ですから
どんなつらいことがあっても
今この瞬間を大切に
生きることが
魂のレベルをあげ
霊性を高めることになるのです
カテゴリー: 今日の言葉
魂の修業するとは はコメントを受け付けていません
魂の修業とは
この世に生まれてきたのは
魂の修行をして
魂のレベルを高めるためだと
お話をしましたが
魂のレベルを上げるために
どんな風に
生きていけばいいのでしょうか?
魂のレベルは
魂の熱量の差で
決まります。
つまり
魂のレベルをあげるとは
今生きている
自分の人生に対する
温度差で決まりのです。
自分の
人生の温度を高めていく生き方が
魂のレベルを上げる生き方だと言うことです。
毎日
のんべんだらりと
過ごしているけでは
人生の温度はあがりません。
魂の温度が上がるためには
「気づきが多いければ多いほど
波動は高まっていくのです」
僕たちが肉体を持って生まれてきたのは
いろんな事を経験するため。
経験することで
人それぞれ気づきがあります。
その気づき一つ一つが
あなたの魂の温度を高め
そして
その積み重ねが魂のレベルアップにつながります。
気づくことで
心の豊かさを生みます。
気づくことで
心の安定や充実感と言った物が高まります。
今回
生きている人生
身の回りの中で起こる出来事、事件は
どんなことでも
僕たちに何かの気づきを与えるために
起こっているのです。
ですから
一分一秒でも無駄にすることなく
いいこと悪いことも
自分の魂の温度を上げるには必要なこと。
ですから
どんなつらいことがあっても
今この瞬間を大切に
生きることが
魂のレベルをあげ
霊性を高めることになるのです
カテゴリー: 今日の言葉
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しあわせな社会にを作るために
ある調査によると
「親はこどもに1日200個もの
否定的な言葉をかけている」そうです。
そんなに多くと思うかもしれないけど
ちょっとふりかえって見て下さい。
「早く起きなさい」
「まだごはん残してるの」
「宿題はやったの?はやくしなさい」
「明日の準備はしたの?遅刻するわよ」
・・・・・・
ちょっと数え上げただけでも
かなりの数言ってませんか?
否定的なこと言葉を
少しでも減らして
「いい子だね」「よく頑張ったね」
「偉いね」「凄いね」と
意識して言ってあげることが
その子の成長にはとても大事なことだと思います。
これはこどものことだけではなく
おとなでも否定語をかけ続けられると
「俺はダメなんだ」と思うようになって
否定的な気持ちになってしまいます。
だからおとなだって
「君は素敵だ」「君は素晴らしい」
「いつも頑張ってるね」と言われると
うれしくなって、もっと頑張っていこうと
前向きな気持ちになってきます。
前向きな言葉に対して
「ありがとうございます」と応えあっていると
お互い気持ちよくなります。
おとなもこどもも
肯定的な言葉をかけ合っていけば
素敵な人たちの輪が広がって
人も待ちも元気になると思います。
カテゴリー: 子育て
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主の祈り
日本人は
キリスト教徒でなくても
何かあると
手を合わせて神?に祈ることがあります。
キリスト教徒なら
祈ることは
日常的に当たり前の行為でしょう。
聖書(新約聖書)に
「主の祈り」というものがあって
これはカトリック系の幼稚園でも
毎日お祈りされるそうです。
これは
マタイ福音書第6章にあるそうですが
死を迎えたときに助けて下さいと
いう祈りだそうです。
死から助けを乞うって
死から逃れる、避けさせて下さい
という祈りではなく
死を迎えたときに
「魂を助けて下さい」という祈りなんです。
キリストは復活されました。
肉体が滅んでも
キリストも人もまた復活することができると
教えられています。
また、キリスト教では
天国と地獄があり
死ぬ前にその中間にある
煉獄というところにいって
罪の償いをして
天国か地獄に行くと
考えています。
つまり
死を迎えても
魂は生き続け、復活する
輪廻転生があると考えたのでしょう
ですから
死を迎えたときに
天国に行ってまた復活できるように
臨終のときに祈るのです。
「天にまします神よ
御名があがめられますように
御国が来ますように
御心が行われますように。
天におけるように
地の上にも」という
主の祈りの一節にあるように
天にいるように
どんな時も清らかな気持ちで
生きることが大事なんでしょうね。
そのために
人は神に手を合わせて
「主の祈り」を唱えるのですね。
カテゴリー: 真実の医療
主の祈り はコメントを受け付けていません
人間の四つの不変の真理
人類には、どんな時代になっても
変わらない四つの真理があります。
一つ目は「人間は必ず死ぬ」
二つ目は「自分の人生は自分しか生きられない」
こどもの病気や運命を肩代わりすることはできない
三つ目は「人生は一回限り」
人生にリハーサルも本番もない。
全て一発勝負
四つ目は「この悠久の宇宙の中で自分という人間は
過去にも未来にも一人しかいない」
例え生まれ変わりがあったとしても
未来に生まれ変われたとしても
過去に生きた自分、未来に生きる自分も
現在の自分とは異なる存在。
だから
過去にも未来にもたったひとつしかない
この尊いいのちをどういきるかが重要になってくるのです。
そして
どうやって生きていこうか
学べるのは人間だけ。
人が人であるためには
今をどう生きるかを学ぶことなのです。
カテゴリー: 今日の言葉
人間の四つの不変の真理 はコメントを受け付けていません
こどもが元気がなくなる時。
三重県のPTA会長さんが
こどもたちに
「どういう時に元気がなくなりますか?」という
アンケートを採りました。
9歳までのこどもたちの回答の1位は
「お父さんとお母さんが喧嘩している時」
だったそうです。
幼いこどもは
両親が喧嘩していると
家族のなかでの自分の立ち位置が
わからなくなったり
拠り所が亡くなってしまうのでは?
と不安になるのでしょう。
次に10歳以上のこどもの回答は
「親が人の悪口を
言うのを聞いた時」だそうです。
親が悪口を言ってるのを聞いて
こどもたちは親が考える以上に
ショックを受けると言うことです。
小さい時には
誰とも仲良くしなさい
喧嘩をしてはいけない
悪口を言ってはいけないと言ってた親が
悪口を実際言ってるのを耳にすると
確かに衝撃を受けるのでしょう。
こどもは
自分の親だけでなく先生も
周りのおとなはみな立派だと思っていたのに
そんな悪口を言うなんて・・・と
おとなに対してショックを受けて
次第に不信感が生まれてくるのかもしれません。
こどもたちはみんな
親やおとなのことを尊敬したいと思っているのです。
そんなこどもたちの想いを裏切らないように
おとなもえりを正して生きていかなければなりませんね。
カテゴリー: 子育て
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からだをうまく使えば病気なんか怖くない
暑かった夏がうそだったかのように
過ごしやすい
季節になってきました。
自然は
四季が毎年訪れてきて
それぞれの季節の恵みを
僕たちに届けてくれます。
でも
僕たちの生活環境を
見てみると
自然に抵抗するかのように
冬でも暖かく
夏でも涼しくして
過ごしています。
食べ物に対しても
季節限定の自然の恵みなどお構いなしに
いつでも、どこでも
日本中、世界中のものを
お金さえだせば
いつでも、どこにいても
食べることができます。
僕たちの生活は
自然の流れに逆らって
過ごしています。
実は
僕たちのからだも
体全体で
暑いときには暑さを
寒いときには冷えを感じ
暑いときは
からだの熱を奪う食べ物
寒いときは
温める食べ物を食し
自然の流れに合わせて
これまで暮らしてきたはずですが
暮らし方の変化によって
からだは、まだ
その変化について行けてないような気がします。
だから
現代人は
冷え性、頭痛、だるさを訴えるひとが増え
アレルギー疾患、うつ病、不妊などに
悩まされている方も年々増えてきているのも
自然に抵抗した
生活様式の変化にも
その一因があるような気がします。
僕たちが住む世界には
全て陰と陽の二つの面をもっていて
陰と陽が
バランスをとることで
健康に過ごせると考えられています。
暑い陽の時には
陰性の物を食べて
寒いときには
陽性の食材をとることで
バランスをとって
過ごしているのです。
ですから
物があふれる時代だからこそ
しっかり
自然の流れを考え
食材を選ぶ必要があります。
例えば
玄米がいいと言っても
からだが陰性のひとにはいいけど
陽性の人には
取り過ぎると害になってしまうことになります。
最近の健康ブームで
食に対する極端なこだわりを持ち
実践される方が増えています。
自然に逆行するような
極端なこだわりは
そのものがどんなにいいエネルギーを持っていても
あなたにとっては毒にしかなりません。
こだわって
自然に逆らって生きていくより
寒いときは寒い時を楽しみ
暑いときは暑さを謳歌するような
自然を満喫する生活をすることを
お勧めします。
人間も
自然の流れで生きていくことが
何よりもしあわせなことです
カテゴリー: 真実の医療
からだをうまく使えば病気なんか怖くない はコメントを受け付けていません
