月別アーカイブ: 7月 2025

書いている時に考えていること

一昨年から
本を書いています。

1作目は「どう生きてどう死ぬか」は
50代に経験した脳出血を経験して
感じたこと、学んだことを書きました。
2作目は「進め」という
自分の人生を振り返り、
今、若い人に伝えたいことを求めました。

そして、現在3冊目を執筆中。
これは今年還暦を迎え
今後の生き方をまとめています。

でも
今後どう生きていくかは
これまでと違い、体力も落ちるし
今までの考え方通りに行くかどうかは
書きながらも
不安を感じつつ書き進めていきました。

そんな時
これからの人生について書く時の心得を
あるかたから、こんなアドバイスをいただきました。
それは

「人間は70歳を超えると
途端に体力がガクンと落ちます。
あなたはまだ60歳になったばかり。
これからは70代や80代の人生を生きる
自分を想像してごらんなさい」と。

これからの自分の姿を想像しながら
未来の70代の自分になったつもりで
書いてみようと思った。

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期待して下さい

当院は
赤ちゃんからおとなまで
様々な年齢の方を対象としているので
外科的な処置が必要でなければ
診療をしています。

ですから
色んな目的で受診されてこられます。
主治医の先生が
お休みなので
いつもの薬だけ欲しい。
とりあえず今の状態を診てもらいたい。
コロナワクチンの時期なので
コロナワクチンだけでなく
ワクチン接種だけお願いします
などなど
当院の受診目的は様々です。

僕の目の前に
座った患者さんは
患者さんの目的が薬だけであろうと
100%、全身全霊を込めて
診察しています。

日頃診てもらってる主治医の先生ほど
患者さんのこれまでのことはわからなくても
今僕がわかる範囲で
できることをしよう
診察後
主治医先生の迷惑にならないように
診療をしようという思いで
患者さんを診させていただいていますが
・・・・・
患者さんには
当院を受診した思いはまちまち。
薬屋さん感覚で
この薬を下さいとか
注射だけでいいですとか
露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
患者さんとの出会いも
一期一会かもしれないけど
いい出会いになればと思って
診療をしているのですが
診察室で
医者と患者という立場で
相対していますが
その前に
お互い人として
向き合っていることも
忘れてはいけないと思ってます。

もし、目の前の患者さんが
この先生は、偉大な人なんだ
この先生について行けば大丈夫。
この先生について行けば
頑張れるし
どこまでもついて行きます
なんて言われると
奇跡でも起こせそうです。

逆に
何か間違えでもしたら
糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
萎縮して
いい診療なんてできません。

医者のパフォーマンスは
患者さんに期待されると
上がるんでスンね。

これは
医者だけではなく
学校の先生や塾の先生に
期待すると成績が上がるし
お父さん、お母さんや
ご夫婦でも相手に期待すると
期待した本人にも
結局いい結果を産むということは
心理学の世界では
よく言われることで
ビグマリオン効果と呼ばれています。

是非
この先生はいい先生だと思って
いただけると
僕の力は100倍にも1000倍にもなって
患者さんもっともっと良き方向に導けます。

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米の備蓄問題は令和の米騒動

昨年から
お米に対する報道が連日されている。

米が足りない
米が高騰している
備蓄米をもっと放出して欲しいなど
様々な声は聞こえてくるけど
なぜ、米が足りなくなったのか?
不作と言うわけでもないし
少し前までは米離れも進んでいたのに
全く摩訶不思議な原因不明な令和の米騒動。

政府は騒動を落ち着かせるために
備蓄米を放出しているが
この米を備蓄することは
今に始まったわけではなく
実は神武天皇の時代には
国はお米を備蓄する習慣があったことを知りました。

神武天皇の時代は長期保存することは
とても貴重なことで
国は各地から少しずつお米を集めて
「みやこ」という米倉を造って備蓄し
災害などで食糧不足になった村へ
米を分配する仕組みを作ったというのです。

日本は災害の多い国です。
災害は突然に起こります。
災害が起こったらまずは自分のいのちは
自分達の力でで守って乗り越えて欲しい欲しい。
一次災害さえ乗り越えてくれれば
あとのことは国が守りますから
心配しないでいいですからという
メッセージをだし、実行していったのです。

国が国民のことを家族と思い
守ってくれるから
国民も国のことを信じることができたのです。

現代の米騒動は
色んな利益・利害がからんでいるためなのか
解決につながらないのが残念です。

はやく米騒動が落ち着くことを願います。

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中今とは夢中になること

こころに響く言葉のひとつに
「中今」があります。

この言葉は
神道の言葉であり
生きていく中心軸を
今という時間を
大事に、一生懸命生きることを
伝える言葉だと理解しています。

最近その「中今」という言葉は
もともと
「中夢 なかゆめ」という言葉から
派生した言葉だということを
知りました。

中夢
夢のまっただ中
夢の中にいること。
つまり夢中で生きると言う意味。

中今と夢中
考えてみると
確かに関係があると思いました。

何かに夢中になる時って
時間があっという間に経ちますよね。
自分の中では
一瞬に感じる時間であっても
実際の時間および
辞意分以外の人が感じる時間は
2.3時間は経っているって
よくありますよね。

浦島太郎が
竜宮城で過ごした時間が
まさに
「中夢」の時間だったと思いいます。

「中今」が
中夢という言葉から派生した言葉なら
中今は
今の時間を夢中になって過ごす。
目の前のことに没頭して
集中して過ごすことが
自分にとっての
夢の時間に思える時間になるってことですよね。

人生において
無我夢中になるものを見つけ
無我夢中の中で生きていると
「我」も消えてしまい
自分の真の人生を生きられるようになる。

そのことを
「中今」と言う言葉は
教えてくれているのでしょう。

目の前のことに
夢中になって過ごしてみましょう。

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しあわせになりたかったら

 

“しあわせになりたかったら”

しあわせになりたかったら
誰かをしあわせにしてあげたらいい

苦しんでる人
悲しんでる人
辛い思いで悩んでる人
慰め、励まし、勇気を
届けよう

人にたいしてだけじゃない
動物にも
小さい虫にでも
誰かが助けが必要としているなら
手助けする。
手を差しのべる。

そうすること
そうできること
それこそが
しあわせになることなのかも

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人生区分は(年齢)×(年齢)で変化する

人生では、年をとると
時間の進み方ががどんどん早くなると思いませんか?
感覚的に時間は等間隔で進んではいかない、
と感じる人は多いことでしょう。

数学者の森毅先生が
物事の変化は時間と共に累積するという法則を
人間の一生の変化に応用されたのが
人生区分を(年齢)×(年齢)で考えていくという法則です。

人間はどんなに長生きしてもせいぜい120歳です。
11X11が121。つまり121歳までの人生を11段に分けるのです・

1x1が1歳
一生のうちで一番変化の激しい時で
表情がでてきたり日に日に人間らしく変化していく。
たった1年で急成長する時期。

2X2 4歳まで
それまでは家族中心の子育ての場から
これから社会に出ていきこれから経験するであろう
社会的事件の種を経験する時期。

3X3 9歳まで
家族や学校での庇護をうけながらも
いじめなどの疑似社会体験をして行く時期

4X4 16歳まで
多感な思春期。
内省にふけったり、性にめざめたり
一番難しい時期だとも言える

5X5 25歳まで
若さあふれる、いわゆる青春時代
一番エネルギーにあふれる時期。

6X6 36歳まで
あらゆる経験を通して、失敗をも乗り越え
自分のオリジナリティーを作り始める時期

7X7 49歳まで
これまでの努力の花が開き
世の中で認められたり、評価される時期。

8X8 64歳まで
仕事を含め様々なことに対して
責任をもつ(もたされる)時期。
だから、責任をとるために
頭を下げることもでてくることも多くなる。

9X9 81歳まで
いわゆるシルバーの時代。
考え方によっては、一番楽な時期かもしれない。
あらゆる責任から解放され
健康であれば、一番人生を謳歌できる時期かもしれない。

10X10 100歳まで
この時期は
これまで人類があまり経験したことのない時期。
これからの我々がどう感じ、生きていくかにかかっている
未知の、これからの生き方を示す宿題を
我々世代に尽きられた時期

今、どの時代に生きているかを考えると
少し生きやすくなる考え方だと思います。

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家族を思う心

生まれた時から側にいる家族は、
とても身近な存在なために、
甘えてしまって、
気がつくと
わがままばかり言ってしまう
ことがあります。

“親孝行したい時に親はなし”
という言葉もあるように
わかっていても
中々できていないのが
親孝行です。

自分の都合で
家族に迷惑をかけても、
それほど気にかけることもなく、
ましてや
感謝の気持ちを伝えることも
できないでいることも度々です。

でも、
ここまで自分がこれたのは、
家族の支えがあったからなのは、
間違いありません。

だから、
ご家族にも
素直に感謝の気持ちを伝えることは、
とっても大事です。

でも、
いきなりは照れ臭いと
思われる方もいらっしゃるでしょう。

そんな時は、
お誕生日や父の日、母の日などの記念日に
何かプレゼントしたり、美味しいものを
ごちそうするのも一つの方法です。

その時大事なのは、
金額ではなく、
相手を思う心を大切にすることでしょう。

好きなお花を買う、
一緒に好物のお料理を食べるなど、
たとえ小さなことでも
感謝の気持ちは十分に伝わります。

ご家族が遠方にいらっしゃるなら、
電話して
元気な声を聞かせてあげるだけでも、
きっと喜んでもらえることでしょう。

身近な家族こそ、
いつも感謝の心をもって
接したいですね。

 

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あなたが言うことは正しいけど

僕と同世代で
最近テレビなどでよく取り上げられている
その自由な発言が人気の
長島一茂氏と高嶋ちさ子氏が
「自分が一番常識人であり
他の人はみんな非常識人だと思っている」と
お二人らしい発言をしていた。

そう思わないと
こんなに自由奔放な生き方はできない
その考え方に納得したのだけど
自分にもそんな思いがあることにも気がついた。
自分は正しいことをしていると言えるから
胸を張って生きていけるのだと思った。

そう思った時
先日薬師寺の僧侶から聞いた
言葉を思いだした。
その言葉は
「あなたが言うことは正しい。
でも、絶対ではない」という言葉。

その言葉を聞いて
仏様から僕のことを認めてくれているけれど
謙虚な気持ちを忘れるなと言われていると思った。

謙虚な気持ちをもって
強く生きていきたいと改めて
思ったのです。

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人に喜んでもらう生き方

”こんな風になりたい”と
思えるお手本になるような人がいますか?

もし、あなたが心からこうなりたいと
思える素敵な人に出会えたら
その方から
多くのことが学べると思います。

僕が、素敵だなぁと思える人は

”何を人に与えることができるか?
何をすれば人に喜んでもらえるか?
どうすれば人がしあわせになるだろうか?”と
自分のことではなく
常にまわりの人を思いやってる人です。

そんな風に思っている人は
見ただけでわかります。

いつも
”できることはありませんか?
何かお手伝いさせてください”と
メッセージを送ってくるからです。

そのメッセージは
どこにいても、誰に対しても
いつも同じなのです。

毎日、いつもどんな時も
会う人、会う全ての人に
何ができるかを常に考えてるから
いつも同じなのだと思います。

”give and take”でなく
”give and give”で考えることが
大事なんだと思います。

giveできるものは
”もの”ばかりではないと思います。
”知恵”であったり
”アドバイス”であったり
目の前の人に喜んでもらえる”こと”
なのかもしれません。

お金でも運でも
循環する性質があります。
自分が与えたものは、
何十倍にもなって自分にまた帰ってきます。

今成功している人は
”社会からしてもらっていることが多い”と思えるから
”その分を与えているから”
成功しているのだと思います。

望みをかなえる方法は、
実はシンプル。

”今、何かしたいことがあれば
それを誰かにしてあげればいい。
そうすれば
簡単に手に入るよ”

だから
“人の喜びを我が喜び”と
感じられた人
そんな生き方が出来た人が
本当の成功を手にするのだと思います。

人に喜んでもらえるような
生き方ができるように
日々精進しようと思います。

 

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しあわせのハードルが下がる

病気と健康の状態を比べると
病気になるより
病気にならないほうがいいに決まってる
と誰もが思うだろうし
それは真理だと思うから
人々は病気にならないように
巷では
いろいろな健康法が発表され
僕の元にも
からだのいろいろな悩みを抱えて
訪れる人がいる。

でも
いざ病気になって
それも長い間入院生活を強いられると
病気になったから
わかったこと
それも良かったと思えることがある。

それを
日々忘れないように
こうして少しずつだけど
書き留めているわけだけど

病気になって感じた
良かったことのひとつに
しあわせだのハードルが下がったことがある。

すなわち
今までなんとも感じなかったことに対して
感動することが増えるのです。

例えば
朝起きたとき
昨日全く動かなかった左の指がピクピク動き
ベットの手すりがつかめたこと
・・・・そんなことだけで
うれしくて涙がでました。

朝起きて
毎朝山から日が昇り
色も形も異なる
朝焼けの光景に感動して
写真を撮っては
家族に送ってました。

その他にも
鳥が病室前の手すりに止まっただけでも
会いに来てくれた気がして
喜んでました。

初めて
病院の外を散歩したときは
風が僕の歩みを
応援するかのように
背中を押してくれてるように
有り難く思いました。

食事も
肉と言えば鳥
魚と言えば鮭ばかりだったけど
あるときは煮てたり、揚げたてあったり
カレー味だったり
ムニエルだったり
同じ味ではないことに
感謝でした。

これが健康の時だったら
朝起きても、外を歩いてても
食事をしているときでも
仕事のこと
今やらないといけないことなど
考えることがいっぱいありすぎて
今の太陽の姿も
遊びに来てくれたかもしれない
鳥にも気づくことなく
毎日の食事も
エネルギーとしてからだに放り込むだけの
食事だったに違いない。

なんと
自分の周りにたくさんあったしあわせに
感謝せずに過ごしたことだろうか?
と言うことに
病気をしたことで
気づかされました。

これは
病気をして
しあわせのハードルが下がったから何ですよね。
病気をしたおかげで
しあわせのハードルが下がり
しあわせをいっぱい感じられるようになりました。
ですから
実は病気をしたことにも感謝なんです。

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