月別アーカイブ: 7月 2025

情報社会を生き抜く方法

現代は、欲しい情報はすぐ手に入れることができる
だけど
手軽すぎて、気がつくと
余りに多くの情報を手にしすぎて
混乱することも多いでしょう。
だから
この情報社会を生き抜くためには
「自分に何かを加算していく」というより
「自分から何かをマイナスにしていく」という
作業ができるかどうかが重要になってくるのだと思います。

何が重要か、重要でないかをみきわめないと
いけないわけですが
その選別がなかなか難しい。
その時の基準のひとつに
「それをしている時に
楽しい気持ちになれるか」
だと思うのです。

楽しく思えば
それはあなたにとって大切な物なんです。
楽しいと思うかどうかは
自分を大事にしているかどうかにも
つながってくると思うのです。

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本物の味を知る

入院を経験したことのある方から
こんな話をきいた。

入院中
治療のため
絶食を強いられていた時期が
あったそうです。

絶食中
絶食後初めて食べるものは
どんな食べ物でも
どんなに美味しいことだろうと
思っていたそうです。

しかし
絶食後はじめて口にした
おかゆがとてもまずかったと
教えてくれました。

おかゆは
お米と水が大切なので
とてもシンプルな分
最高のごちそうになるけど
まずい食べ物になるのです。

その患者さんは
舌で感じる味覚の感覚が
絶食したことによって
磨かれ、敏感になったのです。
おいしい水、お米の味を
区別できるようになったのでしょう。
それからは
それまで嫌いだった野菜のおいしさが
わかるようになって大好きになったとか。

僕たちがおいしいと感じるのは
舌で感じた味覚に対して
驚きがあるときなんだと思う。

この驚きを産むために
最近テレビでは
魔法の粉とか、別の素材を使って
驚きのおいしさを演出しようとしているものが
増えてると
舌の味覚が衰え、
本物を知る感覚が麻痺してしまいます。

いわゆる
おいしさを手軽に感じるために
巷では
添加物が多く含まれる食品にあふれています。

実際
舌が元気だと
添加物が多いと
味が濃く感じたり、
なんだかその素材に違和感を感じて
食が進まなくなるのです。

おかゆでさえまずく感じた患者さんは
絶食したことによって
舌の麻痺していた感覚も
改善したのでしょう。

現代は
一年中、季節に関係なく
好きなものをいつでも食べられる
時代に生きているのはのは
しあわせなことでしょうか?

最近、肥満や腸の異常で
受診される方が増えてきている気がします。
自然にあるはずの
本物を取り入れていれば
こんなに今苦労しなくても
良かっただろうにと
食生活の話をききながら
思います。

今からでも遅くありません。
人の手のなるだけかかっていない
自然にある本物のものを
取り入れて生活して欲しい。
そのことをお伝えしたく
患者さんにお話しています

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こころの栄養も大事

何を食べるかって
とても大事なこと。

だから
ファーストフードばかり
インスタント食品ばかり
大量生産された、お弁当や食品ばかり
スナック菓子ばかり
こんな食事はお勧めしないけど
もし、こどもにこんなことを言われたら・・・・

ハンバーガーのM店に
時々食べに行くことがあります。

ここでは
いつも忙しくしているお母さんも、
朝ご飯を作らなくてすむからなのか
ニコニコされています。

みんなが笑顔になれるハンバーガーは大好きです

でも
ファーストフードは栄養面などの点で
オススメはできないし
食べるのを極力控えるべきものです。

でも
食べることは栄養だけが目的じゃない
家族そろって
家族全員笑顔になって、
みんながしあわせな気持ちで
食卓を囲めた食事なら
栄養面以外の大切さがあります。

だから
そのことを理解して
食べるならたまにはOKですよね。
こころの栄養も大事ですから。

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プラトンの考えた死

プラトンは死について
「死は肉体という牢獄からの解放」だ
そして
「賢者は肉体の不完全な
目先の要求ではなく
魂の永遠の幸福のために
配慮するのだ」と述べている。

プラトンは
魂の存在を信じ
今生きている意味を
肉体と魂の点から考えた哲学者であった。

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“道”
人生は
長い道のりを
ずっと歩き続けているようなもの
だから
ひたすら歩いていると
疲れることもある
疲れたら
焦らず
休んだらいい
道端の木の陰に腰を下ろし
汗をぬぐえばいい
でも
居心地が良すぎて、
そこでじっと
何かを待つように
立ち止まり続けては
だめだよ
あなたの目指すゴールは
ここではないはず
歩いてるときも
休んでいる時も
いつもあなたの道は
あなたの行くべきところを
教えてくれる
疲れたら
焦らず
休んだらいい
でも
どんな時も
歩き続ける
勇気を持ち続けていないとね。
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学校に行く理由は

こどものから
親をはじめおとなの人に
勉強しなさいといわれてきましたが
漠然と勉強する必要性を感じていたとしても
どこか釈然としない気持ちをずっともっていました。

勉強をし始めた小学生の時は
学校に行くことが目的で
単位をとるため、卒業するためでもなかった。
学校に行く目的は
「行為」そのものであって
「目標」ではなかったきがします。

それが学年が上がるにつれて
物心ついた頃から
学校にいくという行為に「目標」が必要になったのです。
その途端
勉強することが億劫になったような気がします。
そして
こんな勉強して何になるのか?と
勉強に対して疑問を持つようになったのです。

人生の目標を達成するために生きると
人は挫折を味わうことが多くなる気がします。

目標を達成することに執着して
人生を過ごすと
自分の人生は、自分のものではなく
目標のためだけのものになってしまいます。

人生の目標を立てて、
頑張って目標を達成してもしなくても
いつかは皆老いて死を迎えるのです。
そこに人生の意義を見つけることはできません。

人生には「目標」はないのです。
「行為」そのものを目的とするのが
人生だと思う今日この頃です。

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小学校

この映画は
コロナ期の都内小学校の一年間の姿を
おったドキュメント。

なんのストーリーもない
ただ学校生活の一年間をおったものだけど
今まで自分をも通り過ぎた
小学校時代と重ね合わせて
この映画をみると、色んな思いが出てくる。

こどもとしてこの時期の思い
ああ先生が言われたのは
こういうことだったのかと確信したりした。
そして
時代が変わってきたことも感じるけど
先生の発言を見ていると
日本独特の教育方針が在り
その教育方針が古くなっているところもあるけれど
その考えがあるから
今の日本を造ってきたのだと思う。

つまり
個人ひとりひとりの力を伸ばし
成長していこうとするけれど
学校である場を重んじ
集団の迷惑をかけない
起立を守る
集団をよくするためにひとりひとりが頑張って
それが成長につながるという
思想が昔から続いていることを感じ
映画であるため、客観してみることができた。

客観視した時
外国から見ると、個人よりも全体を考えて行動する
教育方針がどう映るだろうか?
ふと思った。

これでいいのか教育現場。
でも、大切にしていただきたいところも感じる。
教育現場こそ
不易流行をよく考えないといけないのだと思う。

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死亡率は100%

人間には寿命があります。
どんなに健康に気をつかい、
最新の医療を受けたとしても
いつかは死んでしまいます。
これは
避けることのできない運命です。
今日本の平均寿命は80歳程度ですから、
現在の年齢で平均寿命を考慮して
自分はこれから何歳ぐらい
生きれるのか?生きたいのか?
が考えることができます。
そして
それを目標に
今から10年をどう生きるのか?
20年後はどうなっていたいのかという
ビジョンを立ててみると、
生きていく目標がはっきりしてくるでしょう。
100歳まで生きようとすれば
大変な努力が必要です。
でも50歳まで、60歳まで、70歳まで
健康に生きるためにはどうしたらいいかを
10年刻みで考えれば、
具体的なイメージもできやすいでしょう。
すると
意外と時間の流れの速さも感じるかもしれません。
すると、一日一日が貴重に思え、
大事に過ごせるでしょう。
そして
目標まで十分満足して生きることができれば、
その先は、これだけ頑張ったからと
後は自由に生きるという決断もできます。
残りの人生をいかに充実させるという、
クオリティ・オブ・ライフを考えていくという
人生の選択もできます。
そして誰でも最後の時を迎えます。
でも最後を自分ひとりで決めることはできません。
元気でぽっくり逝きたいと思っても、
現代医学では
死なせてもらえず、
寝たきりや長い長いリハビリ生活を
余儀なくされることもあります。
長生きをすれば認知症の問題もあります。
どう生きていくのか?を考えると同時に
どう死ぬのかも考えていく必要があります。
それには、年齢、性別、環境、性格、
そして
人生観や死生観といった要素が全て絡み合っています。
あなたと同じ人生を歩む人はひとりもありません。
あなたの生き方に悔いが残らないように、
どうやって生涯を終えたいのかを
考えて生きてくことも、
どう生きるのかと同じように大事だと思います。

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全人的に診療するとは

我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。

患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。

でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。

しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。

最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。

しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。

病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。

でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。

だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。

病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。

生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。

ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う

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この世で恐ろしいものとは

暑くなってくると
ちょっとでも涼しく過ごそうと
肝試ししたり
お祭りではお化け屋敷があったり
テレビでは心霊現象の番組が放映されたり
幽霊の話をよく耳にする。

幽霊は
目に見えないものの代表
目に見えないから怖いものの代表的な
ものです。

現代科学をもっても
幽霊の存在を証明することは
まだできていませんが
世の中には
幽霊を見ることができると
仰るかたがいるのは確かです。

僕も
幽霊って何だろうと
自分の目で確認できないものに
興味があり
幽霊を感じる方のお話を
聞くのが好きです。

最近
幽霊より怖いのは生き霊
つまり人間の思いだという話を
聞きました。

その方が仰るには
生き霊とは霊ではなく、人間の思い。
人間の思いの問題、つまりもめ事は
人間同志、当事者同志で
解決するしかないというのです。

死んだ方の死ぬ前の思いや念は
死んだあとは
上から俯瞰的に見ることができるそうなので
生きたときの念や思いを
和らげ、解決することができるそうです。

しかし
生き霊とは生きている人間の念、思いであり
その人が
思い続けている限りは改善することができないのです。

有名人が
人気が落ちると
転落人生を経験されることは
よく耳をしますが
それは人々の
妬みや嫉妬の念を受けるからとも
言われています。

これは
有名人だけの話ではなく
僕も含め
普通に生きている人も
生きている限り
人からの念をいつも受けているのです。

病気の全てではないにしても
病気もひとつの念の現れであるとも
思うのです。

病気になるのは
病気に対する免疫力が
落ちたからなどと言われますが
免疫力には
人の思い、念も関わっているでしょう。

有名人が
人気絶頂の時には
人々から好きだ、楽しい、有り難いという
陽のエネルギーを受けているから。
でも、逆の嫉妬、妬み、恨みなどの負のエネルギーも
受けていたはずですが
まだ陽のエネルギーが優勢なため
人気ものでいることができるのでしょう。
しかし、負のエネルギーが逆転すると
からだを壊したり
運命の歯車が狂い出すのでしょう。

僕も
診療中
様々な方の思いを受けているはずです。
今までずっと診療ができるのも
きっと
陽のエネルギーに守られているおかげなんだと
思っています。

つまり
みなさんのありがとうと言う
言葉に支えられて今生きているのですよね。
みなさんの思いで
僕は今活かされていることを
常々思います。
だから
みんなに喜んでもらえる日々を過ごすことが
僕の使命なんでしょうね。

これからも
よろしくお願いします。

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