月別アーカイブ: 5月 2023

まわり道

“何がしあわせかわからないです
ほんとうにどんなつらいことでも
それが正しい道を進む中での出来事なら
峠の上り下りであっても
ほんとうのしあわせに近づく一歩なら
それも必要なこと”

これは
宮沢賢治作”銀河鉄道の夜”の一節。

今歩いている道が
どんなにつらくても
この道が
しあわせに続いていると
わかっているなら

この道を
通らなければしあわせになれないなら
どんなことも
がんばれるはず。

もし
この道が
あなたの夢の実現に
必要な事なら
どんな勉強でも
どんな批判でも
ごんな苦労でも
きっと
乗り切れるはず。

その苦労が
しあわせに続く道の一部で
あると分かっていれば
きっと乗り切れる。


もし、まわり道をしていると思ったら
もう一度
何がしあわせなのか
考えてみよう。

どうなりたいのか
考えてみよう。

今いる道が
まわり道かどうかは
どうなるのが
しあわせかどうかを
わかっているかどうか。

しあわせになるために
まわり道なんかはない。
この道が
あなたが信じる道なら
まわり道じゃなくて
きっと
しあわせに通じる道

 

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6/11(日)14時から KDDI維新ホール会議室

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治っていくことに感謝して

先日来られた患者さんは
多発性硬化症のため
全身の痺れや麻痺、しびれ、めまいなど
全身の神経症状に悩み、苦しみ
不自由な毎日をすごしていらっしゃる。

治療を開始してから
めまいがなくなり
足先の感覚が戻ってきて
一歩が出しやすくなってきた
階段を昇りやすくなってくることがある
などなど
少しずつ改善傾向が現れてきました。

でもまだまだ
元気な時に比べれば
歩くことも、手を使うことも
不自由な状態が続いている。

でも
健康な人からみれば
本当に些細な変化かも
しれないけど
その改善が喜びでもあり
そして
その喜びをかみしめることで
感謝の言葉を自然に口にする
患者さん。

からだが良くなることを喜び、
そのことを感謝することで
からだ自身も喜び
感謝してもらえることに喜んでいる
そんな風に
今回診察をして感じました。

今は小さな一歩かもしれないけど
必ず治る方に向かっていると
からだに感謝すれば
からだは必ず応えてくれる。

そのことを患者さんから
教えてもらいました。

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健康とは

健康であるとはどういうことでしょうか?
この問いに対する答えは
無数に存在する気がします。

医者でさえ
“健康って何ですか?健康ってどういう意味ですか?”と
尋ねても、答えは様々だと思います。

それは、
健康に対する思い、願いは
人それぞれであることの
表れでないでしょうか。

例えば
先天的、‪後天‬的であれ、
からだの一部に
不自由な面があった場合でも、
その部分を補い、
サポートする道具や器具があって、
望んだ日常生活ができれば、
きっとその方は
健康的な日々を過ごされていることでしょう。

逆に、
五体満足であっても、
肉体的、精神的な面で問題を抱え、
人生に対して希望や夢を描けない時は、
決して健康であるという事は言えないでしょう。

健康であるためには、
からだに問題がある、なしではなく、
心もからだも元気でないと
健康とは言えないのではないでしょうか?

つまり
“心とからだ”のバランスが
とれていて初めて健康と言えるのです。

病気の原因は
からだが病んでいる場合と
心が病んでいる場合の二つがあります。

肉体が病んでいる時の治療法は
数多くあります。
特に現在主流の西洋医学は、
飛躍的な発展を遂げ、
多くの難病を治療することが
できるようになりました。

ただ残念ながら、
西洋医学はからだの悪い臓器や組織中心の医療です。

健康であるためには、
からだとこころのバランスをみることが必要です。

そのために、
これからは
目の前の患者さんの
からだとこころ全体を診る
“全人的医療”を目指して
いかないといけないでしょう

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6/11(日)14時から KDDI維新ホール会議室 で行います

 

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気を遣うよりも愛を遣う

人は
仕事をして
仕事に対する報酬をもらって
生きるために
必要なものをそろえます。
仕事は生きるために
必要な事です。

でも
仕事をしていると
様々な問題にぶち当たって
ストレスを抱えてしまいます。

生きていると
色んな競争があります。
辛いこともあります。
多くの人にとって
うまくいかないとつらいのが
“人間関係”です。

人には
色んな考え方、感じ方があって
それぞれ異なります。
その人の考え方を
受け入れられずに
勘違いをしたり
イライラしちゃうことも
あります。

人の心って
イライラすると
お互いが悪い雰囲気に
なってしまいます。

その悪い雰囲気に
気がついて
相手に気を使うことで
丸く収めようとしようとしても
なかなかうまくいかず
更にイライラして
益々ストレスを感じてしまうかも
しれません。

相手に変わってもらうより
自分が変わる方が簡単。
相手に愛されるより
相手を愛する方が簡単。
自分が変われば
自分の周りの環境は
簡単に変わります。

自分の目の前に現れた人は
きっと
何かを自分に伝えようとして
現れたのだと思います。
きっと
色んな事を伝えるために
出会っている、きっと学びの対象なんです。

だから
出会ったことに
感謝しましょう。

好き嫌いを超えて
その人と感謝と愛情を持って
接することができれば
その感謝と愛の気持ちは
周りに伝わり
きっと周りから良いエネルギーが
帰ってくると思います。

そして
イライラから生まれた
悪い空気は浄化され
今まで感じてたことが
とてもちっぽけなことに
感じられるでしょう。
人と接する時
最も大切なのは
“愛”
人間関係に疲れたら
“気を使うより、愛を使いましょう

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死んだらどうなる?

どんな偉い人でも
どんなに学んでも、学ぼうとしても
生きている内に経験できないことは
死んだ後のこと。

考えても、考えても
わからないから
西洋医学は死は終わりと考え
その終わりの時間を少しでも遅らせようと
努力してきました。

死が終わりと考えるから
死を未知のものと考ええるから
人々はどんどん不安が出てくるのです。

実際
死が終わりかどうかも
本当はわからないのです。

死に対する不安も
実は取り越し苦労なこと
なのかもしれません。

死んだ後どうなるか
臨死体験をした人
死を感覚的に感じてる方が発表してる
経験で考えてみようと思います。

何度も臨死体験を経験され
その内容を紹介している
木内鶴彦さんは死後次のように
述べられています。

「死後、自分という存在はなくなって
宇宙全体に吸収されていく」と。

???よくわからないですよね。

看護師で僧侶、作家でいらっしゃる
玉置妙憂さんが
「死によって、肉体は滅びるけれど
その人のエネルギーは残っている」と書いてます。

僕も人は肉体とエネルギーでできていると
考えているのでこの言葉は
すーっとっこころの中に入ってきました。

死んだすぐは
目には見えませんが
エネルギー体として
この世に存在しているのです。

エネルギーとは
最近量子という粒であることがわかっています。
そして、すべての物には
エントロピーの法則があり
壊れて分散していく性質があるのです。

ですから
肉体がなくなって
エネルギー体として存在しても
エネルギー体を構成していたエネルギーの粒が
次第に散らばっていき
やがて宇宙と一体化するのです。

仏教では、なくなった後
初七日からはじまり
七日ごとに法要をおこない
四十九日で仏の世界に行くと考えていますが
これは
エネルギー体であった
我々の意識が
だんだん散らばって
最後は宇宙の一部になることを
言ってるのかもしれません。

そして
散らばった小さな粒はどうなるのか?

ある瞬間に
ある力が働いて
広がってた粒子が一カ所にあつまり
それまでとは異なる
エネルギー体になり
また人としてこの世に生まれてくるのではないでしょうか?

僕の想像の話ですが
生命も宇宙も
実際わからないことばかりですね。

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勝海舟の妻民子が苦しむ人に話しかけた言葉

「悲しいときは
私たちのところへいらっしゃい。
一緒に泣きましょう。

そして
あなたがしあわせな時には
一緒に笑いましょう。

さあ、勇気をおだしなさい。
・・・・
これから先の長い年月のことは考えず、
今日とという日以外には
日はないと思って
ただ毎日をお過ごしなさい。」と言った
勝海舟の妻民子さんの言葉が
残っています。

この民子さんの言葉のように

悲しいときも
うれしいときも
あなたに寄り添い
今を大切に生きていく。

医者はそう生きるべき
そう生きたいと
いつも心にとめています。

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汝の隣人を愛せれば、こころもからだもしあわせになる

聖書の有名な言葉に
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛し、汝を迫害するもののために祈れ」
というのがあります。

中々実行するには
僕のような凡人には難しいく
神様や聖人にしかできないことかな?
と思ったりしてました。

でも
この言葉の意味を医学的に考えると
納得できる
真実の意味があったのですね。

つまり
人を愛しているとき
オキシトシンというしあわせホルモンが
分泌することがわかってきました。

オキシトシンがたくさんでれば
自分のからだとって
いいことが多くでるのです。
つまりオキシトシンが多くでると
こころもからだもいい状態
つまり満たされた状態になります。

そして
自分が幸せいっぱいの状態になっていると
そのことが
相手にも伝わり
相手にもオキシトシンが多く
分泌されることがわかってきたのです。

人を恨んだり、憎んだり
不平不満ばかり行っていると
オキシトシンの分泌量が減って
そのために
からだの不調を訴えたり
病気になってしまうのです。

オキシトシンは
からだの健康にとってだけでなく
こころの平穏のためにも
大切なホルモンです。

また自分自身が
このオキシトシンで満たされていると
相手のことも
自分のことのように
愛したり、大切に思えるようになるのです。

オキシトシンが分泌することで
お互いに採って信頼やしあわせが
もたらされて
その結果愛と調和の世界が誕生する

神様はそのことをちゃんと知っていて
「汝の敵を愛せよ」と言ったのでしょう。

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目には青葉山ほととぎす初鰹

 目には青葉、山ほとどぎす初鰹

新緑の美しい5月。
この時期、この句が頭に浮かびます。

これは、
今から300年ほど前に
山口素堂という俳人が作られた句で、
青葉、ほととぎす、かつおと
3つも季語がはいっているという
ちょっと変わった印象深い句です。

この句を詠むと、
生命の息吹が、五感で感じられる
個人的にも大好きな句です。

ところで、昔から「緑は目に良い」と
言われていますが、
実は緑は視力を回復させる効果があるかどうかは
確認されていないのです。

しかしながら、
山をみたり、遠くの景色の新緑の緑を
意識的に見ると、
視力回復に対してポジティブな効果があったり、
リラックスできて、
目の疲れを和らげてくれます。

次にほととぎすです。
ホトトギスの鳴き声は
人によっては
東京特許許可局と聴こえたり、
てっぺん、かけたかと聴こえたり
言うのも聴くのも表現するのも
難しい鳴き声。

でも、
鳴き声が聞こえる、口に出せるってことは
聴覚が健康である証拠じゃないでしょうか。

そして最後は初鰹。
かつおは、
血液をサラサラにしてくれるEPAや、
脳の働きを活性化するDHA、
コレステロールを減らし、肝機能を高めるタウ リンが
豊富に含まれています。
さらに、
ビタミンB群・D、ミネラル成分も豊富で、
高血圧、動脈硬化、肝臓疾患などの
生活習慣病、貧血症状を予防する食材
として近年注目されています。

春は生命あふれる良き季節。
体全体でこの句のように。
五感で味わえるって、
とても健康的で、
しあわせなことだと思いませんか?

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「病は気から」を考える

「病は気から」ということは
古くから
病気はこころの持ちように左右される
という意味で知られた言葉です。

いつからこの言葉が
言われるようになったかはわかりませんが
最近の科学でも
正しいことが証明されてきています。

というのは
最近、人間の各臓器は
それぞれメッセージ物質を介しながら
お互い協調性をもって
働いてることがわかってきました。

分子レベルにおいても
免疫細胞に、
神経からの情報を受け取る部分の存在が
次々に発見されるようになり
ストレスと病の関係が
科学的に解明されてきたのです。

つまり
現代科学でも
気持ちの持ちようが
免疫力に大きく関与していて
その状況が病気の発生との関係がある
ということなのです。

アメリカの大学で癌患者生存率の研究で
病を素直に受け入れ
未来のことに希望をもって生きている患者さんの方が
絶望的、悲観的な気持ちで
日々を過ごしている患者さんより
平均的生存率が高かったと
報告されています。

つまり
病のすべてはないにしても
気持ちが左右する面があると言うことです。

ですから
どんなつらいことがあっても
絶望、悲観することなく
前向きに生きて生きましょう

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病気が嫌い

人生100年時代を迎え
長寿のご老人が活躍していることも
不思議ではない。

今は亡くなってしまったけど
日野原先生は100歳超えても精力的に
診療を続けていた。
最近では
瀬戸内寂聴さんも
90才を超えても
筆の勢いは衰えることなく
作家、講演活動を続けられていた。

先日90才を超えても
お元気な姿でテレビに出演されていた
評論家の樋口恵子さんが
これまでこんなに長命でも
元気に活躍している人はいなかったので
その心境を伝えていきたいと
おしゃっていた。

確かに
長命の方は
もちろん定命というものもあるだろうけど
長生きでも活躍できる
考え方があるような気がして
これからの生き方を
学びたいと思っています。

90代になって
病気を切り返しても
不死鳥のように復活した
瀬戸内寂聴さんは
次のように語られている。

「なぜ、私は病気をしても
死なないのかと
思いめぐらすと
一つの答えがでた。
私は病気が嫌いである。
病気になった自分を見苦しいと思い
一日も早く、その状態から逃れたいと思う。
病気を呼ぶ自分の老衰も嫌いである」

この文章から
本当に病気が嫌いなんだと
言うのがひしひしと伝わってくる。

本当に病気が嫌だから
病気の淵から這い上がってこられたのだ。

でも
病気が好きな人っていないと
思うけど・・・
病気の人をうらやましいと思ったことはないですか?
病気になったら
ゆっくり休めるのに
みんなに優しくしてもらえる
今の苦しみから
逃れられるのでは・・・など
病気をうらやましいと
病気に憧れる気持ちがありませんか?

正面から、はっきり
病気は嫌いだといえますか?
一点の曇りもなく
病気は嫌い、病気になりたくないと思う人には
病気はよってこないのではないか
と寂聴さんの言葉をきいて感じました。

あなたは
病気は嫌いですか?

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