人間関係をよくする方法

誰でも、人生の中では
色んな困難な問題にぶち当たり
失敗することも多々あると思います。

数ある問題の中で
悩まされ、一番大変なのは
人間関係にまつわることだと思います。

人間関係は自分だけの問題ではないので
人間関係を自分ひとりでは
解決は難しい問題です。

だから
人間関係問題が起きると
防衛なこころが作動して
ちょっとしたことで
傷ついたり、起こったり、悲しくなったり
するのです。

人間関係のトラブルは
自分自身で防ぎようがありませんし
学びにならないことも多々あります。

そんな人間関係のトラブルを
大きくしない最善の方法は
潔く謝ることが一番だと思います。

頭を下げられて
嫌な気持ちがしませんし
相手を許そうという気持ちが
湧き上がってくるでっしょう。

言い訳したいこともあるでしょう。
そんな時にも
そんな気持ちをぐっとこらえて
まずは
「すみません」「ごめん、ごめん」と
自分の非があることを認めて
頭を下げるのです。

目立つトラブル以外は
謝らずにうやむやにしてしまう人もいます。
頭を下げられないのが
つまらないプライドと意地が
あるからではないでしょうか?

今こころに起こった意地を捨てて
謙虚さと取り替えてみる。
そして、その姿勢があれば
大抵の人間関係のトラブルは
修復され、トラブルを食い止められるでしょう。

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生きてきたように死を迎える

人はピンピンコロリと苦しまずに
死んでいきたいと多くの人が
思ってるかもしれませんが
実際
死のうと思っても
人は死ねるものではありません。

人の生と関わる仕事をしていると
避けて通れないのが死の問題。
人はある意味
死にむかって生きてるし
生きてきたように死んでいくのでは
ないかと思うのです。

ですから
今をどういきるかが大事になって来るのです。

人生は
「集める人生」と「散らす人生」に
分かれると言います。

集める人生とは
お金、物、アイデア、知識などを
集めることが中心になる人生。
散らす人生とは
お金、知識、経験、能力、時間などを
周りの人に散らす人生です。

散らす人生を過ごされた方は
平安な最後を迎えられるような気がします。

散らすものの中で
最も大切な物は時間ではないでしょうか?
人生は時間の集積ですから
時間を自分のために使うか
人のために使うかによって
その人の最後の瞬間がきまるような気がします。

日野原重明先生は
「いのちとは、今あなたがもっている時間のことです。
いのちをもっているということは
使える時間が与えられているということです。
自分が使うことができる時間こそが
いのちであり
それを何にどう使うかということが
生きていくということです
時間の使い方は
そのままいのちの使い方です」

あなたのいのち、
与えられた時間をどのように使うかが
いや使ったが
どのように死を迎えるかということに
なるのだと思います。

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「あきらめない」生き方

毎日クリニックには
同年代以上の患者さんも
来院されます。

ちょっと年配の方々と
接して感じることは
みんな個人差はあるにしても
「あきらめている」方が多いということ。

僕も還暦を過ぎましたが
同年代の多くは
ある程度生活が安定し
ある程度会社などの社会においても
立場が確立しているから
「もう、いいや」という気持ちが
出てくることが多いように感じます。
ましてや、新しいことに
チャレンジしようという気持ちも
少なくなって来ていることでしょう。

この年になると・・・と言ってしまいますが
「もういいや、俺ってこうだから」
「自分ってこういう人間だから」と
ちょっと後ろ向きになっていませんか?

でも、よく世の中を見渡すと
何歳になっても
現役で頑張っていらっしゃる方は
多くいらっしゃいます。

我が身を振り返ると
「もう、いいや」と考えるのは
今に始まったことではなく
実は若いときから
「もう、いいや」と考えていた
自分がいたことを思い出します。

だから
実は若いときから諦め癖を
これから見直していこうと思いますが・・・

体に染みついた考え方を
いきなり変えるには
かなりの努力がいると覚悟しています。

年って後悔しないように
若い人に伝えたい。

もし、20才代の君が
「もう、いいや」と考えていたら
せっかくの柔らかなこころが
さび付いてしまいます。
だからそうならないように
自分で自分を鼓舞しましょう。

もし、30代の君が
何回かチャレンジしただけで
あきらめてしまったら
せっかくの失敗が失敗で終わってしまいます。

もし、君が40代なら
全てがわかったような顔して
現状に安住しているのなら
その現状さえ維持できなくなるかも知れません

これからの世の中は
「うまくいった過去のやりかた」を
コピー&ペーストしているだけでは
生き残ることは難しいでしょう。

だから
自分も含め、全ての年代の人に伝えたい。
何事に対しても
「あきらめることなく」
生きていきましょう。

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魂の痛み~スピリチュアル・ペイン~

人間の感じる痛みは
4つにあると言われています。

1つは肉体に感じる身体的痛み。
2つめは、不安、おそれ、怒り、鬱状態などの
精神的痛み
3つめは、人間関係、仕事関係などで経験する
社会的痛み
そしてあとひとつは
スピリチュアルペインともいわれ
人間がもつ霊性、魂があるから
感じる痛みがあると言われています。

このスピリチュアル・ペインは
魂の痛みとも考えられます。
具体的には以下の質問の答えを
見いだせずに苦悩する苦しみでしょうか。
例えば
①生きる意味への問い
こんなになって生きていてもしかたない
自分の人生って何だったのだろう
こんな病気になって何を支えにいきていけばいいのか
②苦難に対する問い
こんなに自分だけ苦しみのはなぜ?
これらの問いに対する答えが見つからない苦しみ。
他に答えの見つからない苦しみとして
③孤独感
④罪責感
⑤自分以外の人に迷惑をかける
⑥死後の世界

こんな時感じるのが
魂の痛みです、

この魂の痛みには
自分ひとりでは答えが見つからない
自分以外の人に
助けを求めても答えが見つからない
そして
解決するために死さえ
選んでしまうこともある
とても苦しい痛みだと思います。

この苦しみから逃れるために
こころのよりどころになる思いを
もっていればいいのだけど
人々はずっとそれをもちたいと思っている
それが神であり、宗教なのだと思う。

あなたの魂の痛みを救ってくれるのは
誰でしょう?
あなたには神様はいますか?

僕は神様ではないけど
あなたの魂の痛みを和らげることが出来るように
精進したいと思っています。

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「登る山を見つければ、もう半分上ったのと一緒」

この言葉は
ソフトバンクの孫正義氏が
よく口にされる言葉らしい。

山とは何でしょう
目標、ビジョンなど
山の解釈は人によって
様々だと思います。

いろいろ解釈があっていいと思います。
目標が見つかったなら
もう半分くらい目標は達成されている。
目標が見つければ
動き始める事ができます。
目標も、ビジョンがなければ
何をどうするかがわからないことでしょう。

ですから
目標を見つけることが大事だと
大経営者である
孫正義氏はいっているのです。

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病気になった時の心構え、あなたは?

人は病気になったとき
病気だと診断されたとき
その診断を聞いたとき
その時の反応は
千差万別だとは思いますが
大きく3つに分けられると思います。

「あきらめる方」
「うけ入れる方」
「育むかた」
がいらっしゃると思います。
この3つに違いがあります。

「あきらめる」というと
マイナスイメージがあります。
しかし、あきらめるの元々の意味は
原因をつまびらかにする。
真相をあきらかにする。から
きているそうです。
あきらかにする→あきらめると変化したのです。

「受け入れる」は
拒むことなく許し、迎え入れることです。
僕も脳出血を経験した後
からだの不自由さを
最初はあきらめてましたが
今は
受け入れて日々過ごしています
あきらめるに比べて
こころにプラスな面ががでてきた言葉です。。

そして最後は「育む」ですが
更にプラスの気持ちが増えてきます。
育むは、もともと
親鳥が、ひなを羽で覆い包む
「羽包む(はくくむ)」が語源で
愛情を持って育てるという感じです。

つまり
あきらめるがマイナス
受け入れるは±ゼロ
育むはプラスになった状態です。

病気になっても
人は生き続けなければならない。
つまり
病気になったときに
受け入れ、その状態を育んで生きていくことが
大事なんですよ。

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【ラビンドラナート・ドゴール「果物採集」より】
最近
海に行き、山に行き
太陽の光を浴びながら
海のものをとって食べ
畑に行って採れたての野菜を食べ
自然の中に身をおき
自然からのエネルギーを
いただくことがありました。
そんな時に
自然の中で生かされているんだと
感じた時に出会った詩。
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。

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他人ごとで生きていかない

最近、色々な人と会ってお話すると
自分のことなのに、
どこか他人事のように思って
すっと身を引いてしまっているなぁと
思う方が多い気が気がします。

そう、思う理由はおそらく
「自分のキャパシティはここまで」と
自ら線を引いてしまい
「それを越えるものについてはうけいれない」と
決めてしまい
「あ、もう無理だ」と思ってしまい
逃げているのかも知れません。

だから、冒険したくない
チャレンジしたくない
失敗したくないなどと言って
自分に能力が実はあるのに
ガンバらない理由がここにあると思うのです。

これもある種の
自己防衛なのかも知れません。

新しい事を
はじめないと行けない局面になると
人間は
守りにひってしまい
必死になってやらない理由を探し出します。

この状況を打破しないと
人間成長できません。
この状況を打破するには
自分は、こうありたい
こんなことをしたいと
熱い情熱が必要です。

年を重ねると
情熱の灯火さえ
消してしまおうとしていませんか?

情熱の炎は
死ぬまで燃やすことは可能だと
僕は信じています。

是非、情熱の炎を燃やし続けて
生きていきましょう。

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いのちは地球よりも重い

僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。

もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの

この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。

昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
「人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。

今回の政府の動きは
ダッカ事件の時とは異なり
いのちだけでなく経済重視するあまりに
迷い行動できなくなってるように
僕は見えてしかたありませんでした。

ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。

人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。

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感謝の気持ちで運命を切り拓く

稲盛和夫さんが、ご自身の著書の中で
「運命を変えるためには
よいことに出会おうとともに
悪いことに出会おうとともに
どんな運命に出会っても
出会ったことに対して
感謝する心で対応することです。
でも、これは大変難しいことだ」と
書かれていました。

確かに災難に遭っている時や
苦難な場面に直面したとき
その境遇に感謝しなさいと言われても
現実的には
とても難しいことだと思います。

実際
僕も病気になったときに
病気はきっと僕に伝えたいことがあるから
しっかり病気という運命を受け止めて
感謝しないといけないと
頭でそう思っていても
実際には難しいものです。

これから先どうなるのか
不安な気持ちが増すばかりで
感謝するっと思えない時間は
過ぎていきました。

でも
時間が経つに連れて
不安が少しずつ取りのぞかれる内に
病気を通して
自分と向き合う時間が
病気を通してとれて
様々な気づきをいただけたことを
知りました。

ですから
今は、病気をすることも僕の運命
そして
その病気ということに運命に出会ったことで
僕のからだも、考え方も、環境も大きく変わりました。
今では
病気は僕を大きく変わるきっかけをくれたのだ
感謝の気持ちでいっぱいです。

病気をしたことを悔やむのではなく
感謝するものだと思えたことで
僕の運命は
大きく変わったのです。

どんな時にも
それは自分にとって必要なことなのですね。
だから
悪いときにも
感謝の気持ちを忘れないことって
大事なんですね。

逆に、良いことが起こったときには
感謝の気持ちを忘れないかと言えば・・・
そうでもないと思います。
良いことが起こったのは
自分が頑張ったからだとか、
ちょっと自分の力に有頂天になってしまって
感謝の気持ちを忘れそうです。

良いことがあったときには
自分だけに
こんなに良いことがあっていいのだろうか?
もったいないことだぁと言う風に思うことができれば
感謝の気持ちがわいてきて
謙虚に振る舞うことができないでしょうか?

良いときも奢らず、偉ぶらず、謙虚さを失わないで
今、こんなにしあわせなんだと
感謝する心を持つことが
大事なんだと思うのです。

苦しみの時にも
神が気づきいてもらいたいことがあるから
こんな災難が起こったのだ
しあわせな時も
今のしあわせは
おまえだけのものでも
おまえひとりの力で達成できたことではない
と今の現実を
感謝の気持ちを持って受け入れること。
そうすれば
運命は変わってくるのだ。
と稲盛さんは言っているのだと思います。

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