神様はどこにいる?

神様のことを信じている人は多いけど
実際、神様がどこにいらっしゃるか
わかる人はいないものです。

「神様はどこにいらっしゃるのか?」という問いに
玉光神社の本山博元宮司が
次のように答えられています。

「神の道を求めるものは
大きな川にだけ
水が流れると思って
大川に水を求めていくような
過ちをよく冒すものです。
あなたが今立っている足下にこそ
尽きることのない
地下水が流れているのです。
神を知ろうとするものは
まず己をよく知って時をまつことなのです」と。

また別の時には
「神様とは、ラッキョウのようなものです。
ラッキョウの皮を剥いて
ラッキョウを求めるようなことをしておると
手許にラッキョウの皮が残らぬから
ラッキョウはないと思うでしょう。
が、剥い手捨てた一枚、一枚の皮がラッキョウです。
神様ですよ」と。

つまり
神様は至る所に偏在しておられるのです。
目に見える物質や現象だけで
この世は成り立っているのではないのです。

物質も現象も、それをそれとして成り立たせる
背後の大きななものに支えられているのであって、
偉大な神のみ業kらすれば
目に見える物質や現象というものは
末の末の業なのである」と

つまり神様は目に見えない存在であると思っている
のは人間の浅はかな考え
実はいつも、今でも
神様に守られていることを
忘れないで生きていくことが大事なのです。

☆今日は節分です。明日は立春。
明日から新しい年が訪れます。
そこで、来年が良い年になるように
氏神様や恵方の方角(南南東)の神社にお参りしましょう。

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自然な死に時

パプアニューギニアには
呪術医療が盛んで
それを行う医師を「ウィッチドクター」と
呼ばれているらしい。

その医師の治療を実際に見た
医師によると
診断は先祖伝来の木片の上に載せた見ずに
訊ねて診断していたそうです。
実際に肘の痛みで診療を受けた人は
「悪い血を吸い取る」という治療で
症状を改善させたという。

けがや東洋医学では於血と言って
血の滞りを疑うので
診断はあながち違うとは言えないようだけど。

また、呪術医ナンバーワンと呼ばれている医師に
「死ぬ時がわかるか」と訊ねると
自信を持って「わかる」と答えたそうです。
「どうやってわかるのですか?」
その答えは
「歯が抜けて、目が悪くなって、
足が弱くなって歩けなくなった時だ」と
答えたそうです。

その答えを聞いて
日本なら
歯が抜けたら入れ歯を作り
目が見えないなら老眼鏡、白内障の手術
足が弱っでも、乗り物に乗って、車椅子や杖を使って
移動できます。
だから、このような状態になっても
日本人は死を予感することはないのです。

でも、実際は
明らかに生きていく力をなくしていて
死に近づいているのです。

医学の進歩で、老化現象が改善されたのはいいことだけど
それによって
近づいている死までが
遠ざかっているような感覚になることが
現代人の死の恐怖を増すことになっているのだと思う。

人間が元々自然の生き方をしていれば
死さえも自然にうけいれられるように
なっているのかもしれません。

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善と悪がある理由

人々の行いは
大きく善と悪に分けられると思うけど。
単純に善と悪という
二つには分けることは難しい。

全てが「善悪善」だったり、「善悪悪」だったり
「善善悪悪」、「善善善悪」だったり
無数の立場があります。

そしてその度合いも
常に変化します。
今日と明日でも変わるし
朝と晩でも変わってしまうことも
日常茶飯事なのは
日々体験していること。
それは、自分自身だけでなく全ての人間が
無限に変化しているという
宇宙の仕組みによるものだと思うのです。

そして、
どうして、この世には善と悪という
両極端な真野がものがあるのでしょうか。
それは
善も悪も必要なものだからです。

善も悪も両方ないと
方向性を決めることができないのです。
人間は誰しも
対比するものがなければ
自分の方向性を決められないものなのです。

ニュースで凶悪犯罪を起こした人が報道されると
そのことは悪いことだと判断されます。
戦争ばかりしている国の話しを聞くと
平和な国で暮らしていることが
ありがたいものに思えるのです。

善なるものだけに囲まれていたら
我々はきっと善悪の判断ができなくなるでしょう。

だから
天使がいるのも悪魔のおかげなのです。
善も悪も生きていくために必要なものなのです。

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素敵な奇跡

毎日、多くの人に出会います。
その出会いのひとつひとつ・・・・・って

”先生”と呼ばれて、返事をしている自分がいる
”〇〇さん”と呼ばれて、返事をした自分がいる
”〇〇ちゃん”と呼ばれて、返事をしている自分がいた
”パパ”と呼ばれて、返事をしている自分は、ちょっと不思議

呼びかけられてわかる 自分の立場
人生に用意された 自分の立場

この尊い出会い、絆って
素敵な奇跡

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ミソカモウデ

さとうみつろうさんの書いた
「神様とのおしゃべり」を読みました。

神様のことばとして
書かれている宇宙の法則の話が
600ページ近くもある本でしたが
内容に納得しながら
あっという間に読了できました。

この本で学んだことは
これからちょくちょくお伝えできればと
思っています。

読み終わったときが
29日で
この本の巻末に
「ミソカモウデ」について
書かれてたので
奇しくも翌日が30日だったので
「ミソカモウデ」に初めて行ってきました。

朔日詣では聞いたことあったけど
ミソカモウデは初めて聞いたことでした。

ミソカモウデを紹介します。

効能はあなたが確実にしあわせになる
日時は毎月30日(2月は28日)
場所はあなたの家の近くの鳥居がある
神社やお宮など

方法は
①鳥居に入る前に礼をする
②手を浄める
③お賽銭箱に300円以上入れる
④礼をして
⑤大きく深呼吸を3回し、こころを鎮める
⑥手を合わせる
⑦自分の名前、住所、干支を言う
⑧お宮の鏡を見たり、鏡がなければ目を瞑る
⑨今日起こったいいことをできる限りたくさん思い起こす
⑩それら一つ一つに
「ありがとうございました。
○○が起こってとても
しあわせでした」ということ。
⑪感謝の気持ちが湧いてきたら
その感覚に意識し全身に広げる
⑫最後に「ヤワタ」と声を出してつぶやく
⑬全て終わったら礼をする
⑭その時の気持ちに包まれたまま家に帰る

これが作法ですが
感謝を神様に伝えることというか
感謝の心をもって過ごすことは
生きていく上で
とても大事なことだと教えていただきました。

お参りが終わって
帰る道々
こころがぽかぽか温かく感じたのも
ミソカモウデのおかげ、神様の御心だと
感じたのでした。

みなさんも、毎月30日
ミソカモウデされてみてはいかがですか?

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健康が目的ではない

新年の決意で
“健康”を第一に掲げた方も多いことでしょう。

でも
あなたは今年健康であればいいですか?
健康であれば、ほかに何も望みませんか?

実は
盲目的に健康を目指す方は
意外に不健康であることの裏返しだと言われています。

健康を目標に掲げた時
健康が目標になっていませんか?
健康が人生の目的になっていませんか?

健康でいたいのは….
“やりたいことをやるため”のはず。
ただ、健康でいるだけが目標でないはず。
たとえ今病気であっても
元気になれば、やりたいことがあるはずです。
どんな人も
健康であるその先に
健康のからだになったら、どうしたいかが
きっとあると思います。

実際
人生に目標があり
日々目標に向かって“芯”“軸”のある
生き方をしている人は
からだも強い人が多いのです。

健康であるということは
人生の目的でなく手段にすぎないはずです。

東洋医学に
“心身一如”という考え方があります。

心とからだは繋がっています。
心が元気なら、からだも元気なのです。
心が健やかなら、からだも健やかになります。

やりたいこと
やらないといけないことがある
そのために生きていることを感じて
日々過ごしている人は
心身とも健康を望み
人生を全うするのではないでしょうか。

使命を感じて生ききる
それが
より良い事実した人生を送ること
になると思います。

みなさんが
健康でご自身の生きていく目的が
成就できること願い
応援していきたいと思ってます。

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「死因」より「死にざま」が大事

堀川惠子さんが書かれた
「透析を止めた日」という本を読んだ。

この本は夫が腎臓病のために
透析、腎移植を行い
愛する人と暮らし
やるべき仕事に取り組んでいた。

透析ができるようになって
多くの人がいつもの通常の生活を
遅れるようになった。
しかし
透析も、腎移植も根本医療ではなく
いつか腎臓の破綻が来る。
高齢になると
認知症がでてくる
さまざまな腎臓以外の疾病もでき
透析自体の
痛みもつらく
生きるために必要だった治療が
その人を苦しめ
目の前が奈落の深い底に放り込まれたように
生きていくことに絶望してしまい
透析の中止を懇願する。

透析を中止するということは
死を意味するのは明らかなこと。
そして
緩和ケアのように
痛みなどの肉体的苦悩を取り除き
やすらかに逝くことを希望する。

しかし
現行の保健では緩和ケアは
がん患者さんに限定されている。

だから
透析をしようが、しまいが
透析患者さんのターミナルケアに
対応していないのです。

透析を拒否されると
医療として手が出せないので
医者も戸惑い、どのように患者さんと向き合うか
戸惑ってしまう。

医者は、患者さんを診る時に
病名にこだわってしまい
病名にそった治療を行ってしまう。

それで上手くいっているときはいいが
誰にも訪れる死を目前にしたら
病名にこだわって治療をすることに
意味がなくなってしまう。
その時には
病名へのこだわりを捨て
死に様を大事にして治療を行うことが
医療者の使命だと
この本を読んで思った。

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八紘為字(一字)

お正月は
今年がいい一年に為るように
いろんなお願いをするかと思います。

個人的な願いごともあるでしょう。
世界の平和を祈ることもあるでしょう。

世界平和を祈る言葉の中で
「八紘為宇」というのがあるのは
ご存じですか?
この言葉は、政治家が時々口にする言葉で
東京裁判の時に議論されたり
最近では、三原じゅんこ参議院議員が
国会の発言で注目された言葉です。

この言葉は、日本古来の言葉で
神武天皇が
東征を決断されたときに
兄の五瀬命に述べたことばとして
現在まで伝えられています。

現在の漢和辞典によると
八紘は「天地の八方の隅」で
転じて全世界を意味し
「宇」は家を指します。
すなわち全世界をひとつの家にするとの意味。

その言葉を
神武天皇はきっと
日本全体が平和に収まった状態を
思い浮かべ
日本列島全体が
私たちの家となり
私たちが
同じ家に住む家族となるとこを願い
この言葉を発されたのではないかと
僕は思うのです。

今は
日本だけの問題だけでなく
世界全体が一つの家、家族と
為らなければいけない時を
迎えているのです。

今こそ
八紘一宇の精神で
「奪えばたりなくなるけど
分け与えれば余る」という
応神天皇が引き継がれた精神をも
日本人として生まれたからには
引き継ぎ、世界に広めないといけない
精神なのだと思います。

この精神は
特に、災害が起こったときなど
国全体がピンチに陥った時に
覚えていたい精神だと思うのです。

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忍耐の意味

「忍耐」とは苦しい時に耐える、乗り越える
という意味にとらえがちだけど
実は
その苦しみを感じた時に
もう一歩前に、でようとするか、しないかが
曲がり角だということを
教えてくれている言葉だと思う。

前にでようと一歩踏み出すことで
それはもう「苦しみ」ではなくなる。
むしろ「喜び」に変わると言うことを
「忍耐」という言葉が
教えてくれてくれているのです。

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生きているのではなく生かされている

新しい年を迎えて
思うことがあります。

それは
今ここにいるのは
自分の力でここにいるのではなく
ここでいるように
生かされている
という気がとてもするのです。

思えば
ひょっとして
今ここに存在しなかったかもしれない
出来事が
これまでに2回ありました。

一つは
今から約15年前。
山登りに魅力を感じていた時期で
乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
乗鞍岳は
3000mを越える山ですが
初心者の僕でも
登頂することができ
山登りの楽しさを教えてももらった
山でした。

山登りは
下山するまでが山登り。
とも言われます。
その時
一緒に同行した方と
下りは自転車で下ろうと提案してくれて
サイクリングの経験はないけど
下るだけなら
ついて行けるだろうと
軽く考えてOKしました。

でも
そこに魔物がいたんです。

長距離の下り
ペダルを漕がなくても
どんどんスピードが乗ります。
それも3000mの下り坂
つづら折りのカーブを曲がりながら
降りていきます。
スピードも乗って、楽で快適です。
でも
ガードレールの下は
絶壁の崖のところばかり
スリルも少しは感じながら
スピード感に酔いしれ
自転車が加速していきます
まさに
風を切り、風に乗ったと思った瞬間
カーブを曲がり切れず
ガードレールを
乗り越えてしまったんです。

目の前が真っ暗に成り
体がふわっと宙に舞う感覚とともに
ドスンと落ちて
右の胸を
ガードレールの柱を固めてあった
セメントの土台にぶつけ
強い衝撃と痛みで
僕の楽しい山登りは終わりました。
肋骨を打って
ひびが入ったのでしょう。
それからしばらくは
笑っても痛い
ベットから起き上がるのも
痛くて動きがとれない状況が
1週間近く続きました。

楽しい旅行の結末は
苦い思い出になってしまいました。

でも
冷静になって振り返ると
そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
つまり
他のカーブを
曲がりそこなってたら
深い深い谷底に落ちてしまい
いわゆる滑落事故として
いのちがなかったと思い
今思うとぞっとしてしまいます。

そして
一年前の脳出血。
脳出血でいのちを落とした方の
ことを聞くことがありました。
今まで元気だった方の
突然のニュース。
そんなニュースを聞く度に
僕もそうなっていても
おかしくなかったんだと思います。

亡くなったかたも
死ぬなんて思わなかったんでしょう。

色んな状況
同じような状況でも
死ぬ人と生きている人がいる。
このちがいってなんでしょうか?

人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
僕には
自分で勝手に生きているのではなく
誰かによって生かされている気がして
ならないのです。

生きる、死ぬも
自分で決められない
だから
毎日いやこの瞬間を
悔いなく過ごさないといけないと思うのです。

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