時を超えたお盆(本日も通常通り診療中です)

半藤一利氏の最後の著書
「戦争というもの」を読みました。
その時僕は
戦争が始まる当時に
いました。
戦争に突入し
連戦連勝のニュースに沸き返る人々
でも実際は
先行き不安だらけの日本の状態で
あると言うことに気づかず
報道を信じて。勝つと信じ
生きていたのです。

そして
8月15日の
田辺聖子さんの日記に触れ
「何事ぞ!」と
突然の敗戦の事実を知り
驚愕したと書かれており
まさに本を通して
戦争体験。

偶然にも半世紀前の
日本の状況を
偶々手にした著作から
知ることなり
当時、人々が自粛を強いられながらも
いつになったら
元の自由な生活に戻れることを
望んでいたのだと
どこか現代にも通じる
感覚をを覚えました。

まさに
戦時中も今も
人々の気持ちは
元の自由な気持ちになりたいという
気持ちを持ってるのは同じだ
と言うことを感じました。

そして
その日みた映画
「ナミア雑貨店の奇蹟」
いまだした手紙が32年前から
返事が来るという
時空を越えて交流するという
映画でした。

時計の上では
現在であっても
過去から送られてきたメッセージを
受けた気がした
ちょっと不思議なお盆を過ごしました。

これも
お盆だから受け取ることができた
これからもしっかり生きよという
ご先祖様からのメッセージだったのでしょうか

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終戦の日に戦争について考える(本日も通常通り診療中です)

今日は80年前に戦争が終わった日。
それから80年経ち
戦争を直接経験した人は
年々少なくなっています。

戦争はいけないことだけど
今日本では戦争がないから
戦争は我が国に関係ないことだとして
平和ボケして生きていくことはできません。
なぜなら、世界のどこかで
戦争をしているわけです。

ですから
戦争について目を背けることはできません。
そこで、今日は戦争について
考えてみましょう。

戦争とは
国家の正義を示すためにおこなうもので
国の正義にを踏まえ、戦争は
国際法上3つの場合しか認められません。

一つ目は
国家の生存権が脅かされた時。
(他国に攻め込まれた時)
二つ目は
制裁戦争。
(他国が国際法や条約を破った場合)
三つ目は
集団自衛権。
(平和維持活動や停戦合意の治安維持を
目的とする軍隊の派遣)
これ以外の戦争
例えば「侵略戦争」は国際法上の違法行為なのです。

更に、実際の戦争行為において
戦争は国家行為なので
国際法上、軍服、軍帽を身につけ
銃などの武器を携帯しているなら
撃ち殺してもいいルールになっています。

ですから
たとえ戦争であっても
一般市民を巻き込んで
殺してしまえば、それ犯罪攻撃なのです。
この法は、第二次世界大戦後にできた考えで
先の大戦では
日本は空襲攻撃を受けたり
広島、長崎に原子爆弾が投下されたり
一般市民にも多大な被害を受けたのはご存じの通りです。

先の大戦では
相手をトコトン降参させないと
終結させることはできませんでした。

ですから我が軍の英霊といわれる人は
報復のための虐殺や策略行為に走るのではなく
正々堂々と矛を収めたのです。

だから我々は8/15は
戦争に負けた日敗戦の日というのではなく
戦争をやめることを決断した日「終戦の日」というのです。

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臨死体験(本日も通常通り診療中です)

人が平等に必ず経験すること。
それは誕生と死。
いつ、どこに誕生するかということは
自分で決めて生まれてくると言う話を
最近よく耳にします。

それが事実であったとしても
生まれてしまった後なので
あ、そうなのかと
自分で納得して生きていくかどうかで
生きていくことに
あまり影響はしないかもしれません。

でも
死については
ちょっと話が違います。
必ず経験することだけど
いつその日が訪れるのか?
死んだ後一体どうなるかも
全くわかりません。

死を経験して
その後の話を聞くことは
できませんが
死にそうになったひとが
耳聞きした経験を知ることがあります。

それを臨死体験と言いますが
自らステージ4の前立腺癌になった
石蔵文信医師の臨死体験の経験を
次のように語っています。

体調が悪く、まもなくいのちが尽きるだろうと
思った瞬間に、
とても奇妙な体験しました。
それは若いときの夢をよく見たのです。

はじめは20代くらいの夢でしたが
そのうち10代後半、10代前半の夢
そして幼い頃の記憶に残ってるような夢も
みました。
奇妙なことに
次第に若いときの記憶に移っていくのです
と語られています。

瀕死の時には
夢として
自分の決めたとき人生を
どのように振り返る時間ではないでしょうか?
その記憶を携えて
我々は旅立っていく。
その次のステップにむかって
進んで行くのです。

死で僕の人生は終わらないは事実かも
その後の人生はその後のお楽しみにして
今は今を大切に生きることが
きっと大事なんでしょうね。

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父と僕の終わらない歌(お盆期間も診療します)

アルツハイマーの父を
家族でサポートするが
病状は次第に進行し
疲れ果てる家族。

でも
以前と異なる姿を見せることが多くなっても
合間に見せる
昔と変わらない父親の愛にふれ
家族も父を愛し続けていることに気づく家族。

でも
どうしても病気に日々襲われ、悩む日々。
そこで
父親の若い頃からの夢を叶えようと
イベントを企画する。
その企画を
なんとか行うことができたが
その後父親が本当に望んでいたことが
明らかになる。

たとえアルツハイマーになっていても
心の奥には
アルツハイマーになっても変わらない
深い愛の姿が表現されていた映画に涙した。

平均寿命は伸びたけれども
人は老いるもの。
僕の父もそうでした。
劇中で父親役を描いた寺尾聰が父に
そうして
寺尾聰が息子役の松坂桃李が
自分に重なって
父親がそばにいる気がして
涙が自然にあふれてきた映画でした。

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養生の心得(お盆期間中も診療します)

養生と言えば
健康であるための心得、生き方とも
言えるが
生活に落とし込むためには
それなりの覚悟もいると思う。

石田三成が
処刑場に向かった時
飲み物を進められて
「体に悪いから」と断った
逸話が残っている。

石田三成の
強い意志が感じられる逸話である。
ここに我々が学ぶのは
やると決めたら、最後までやること
それが養生というもの。

養生をするのが
当たり前になるまでやる
どんな時にも身についているのが
養生と言える。

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久方のひかりのどけき春の日に(お盆期間中も診療します)

久方のひかりのどけき春の日に
しづこころなく花の散るらむ

この和歌は
紀貫之の有名な和歌です。
この歌を読み解くことで
日本人が大切にしてきた
本意がわかるのです。

「久方の」は光の枕詞で
とこしえのという意味があります。
すなわち、光は
この世界とは別のもうひとつの世界から
やってくると感じていたのでしょう。

「しづこころ」は「静心」とも書き
花は一般的に桜を示しますが
桜は言葉は語らないけれど
だからといって語るべきことがないわけではない。
ただ語れないのか、
桜の言葉を我々がわからないだけなのだ。

日本人が桜を愛する理由は
単に美しいからだけでなく
その散り方に死に方、亡き者の姿を感じたのでしょう。
桜の花を見て
肉体がなくなっても、
姿を変えて存在し続ける「生きている死者」を
感じていたのかもしれません。

そのことを紀貫之は歌ったのです。

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言葉はハートで話す(お盆期間中も診療しています)

言葉はハートでするもの
外国暮らしが長いビジネスマンの方が
次のような話しをしていた。

「流ちょうな英語で説明した時には
無反応だけど
相手がわかるはずのない
日本語で話した時でも
何かが伝わる」というのです。

言葉というものは
聞いた時、頭で理解するのではなく
意味としてはわからない「音」であったとしても
その人が母国語で
何か一生懸命話してくれている
この人は私のことを思っていると伝わるのです。

音の高さや低さや流れなどの
気配を感じて言うのです。

大切なのは
言葉そのものではなく
伝えたいというハートなのです。

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おもてなしの心(お盆期間も診療します)

“おもてなし”と言う言葉は、
日本人の良い心を
表す言葉として世界的に注目されています。
“おもてなし”と
よく似た言葉に
“サービス”と
いう言葉があります。
おもてなしとサービスの
違いはなんでしょう。
サービスは
相手が見える(気づく)前提でやるものです。
相手が満足する行為、行動が
サービスです。
もしその行為が
相手に嫌な気持ちにさせてしまったら、
サービスでなくなります。
そして
サービスする側とされる側が
対等な関係だとは言えません。
一方、
”おもてなし”は、
もてなす側(主人)ともてなされる側(客)双方が、
共に創りあげていきます。
“おもてなし”の語源は
“表なし”からきていると言われています。
つまり、
相手に気づかれずに、
さりげなく相手のためを思ってやる。
そして
相手もある意味で
そのことに気づかない心遣いのこと。
お互いのことを思いやりながら
自らの役割を果たしていく。
ある時は主人が客のように、
客からもてなされます。
そこにあるのは
相手を思いやる気持ち。その行為が
おもてなしです。
“おもてなし”
常日頃相手の事を思い、
相手の喜ぶ姿を喜びとする、
日本人の目指す生き方を示した
ことばじゃないでしょうか。
いつも
“おもてなしの心”をもって
過ごしたいですね。
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無駄なもの、無意味なもの(お盆期間も診療します)

世の中はものにあふれています。
価値のないものはないし
無駄なものも世の中にはないでしょう。

でも
無意味なものもたくさんあると思います。
無駄と思われるものにお金を使っても
無駄なものも
いつか無駄でなくなるかもしれません。
ですから、今無駄だと思うことにお金を使うことは
ありだと思いますが
無意味なものにお金を使うのは
やめた方がいいと思っています。

無駄と無意味というのは
違うと思います。

人から見たら無駄と思えたとしても
自分にとって価値がある、あるいは
興味があるというものであれば
それは決して無駄なものではないのです。
だから無駄だと思った時には
よく考えてやめるかどうかは決めるべきです。

一方。無意味というのは
明かに重複していたり、自分に全く興味がないものに
お金をかけるのは
よく考えても、やめるべきだと思います。

あなたが今やっていることは
意味があることですか?

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見えない自分の背中(お盆期間も診療します)

自分のからだなんだから
自分のからだのことが
一番わかっているのは自分。
わかってあげられるのも
自分しかないと思ってしまう。

でも、実際のところ
一番わからないのが
自分という存在では
ないだろうか?

自分のからだなのに
自分の背中を
自分の目で見ることはできない。
人に見せている
自分の顔だって
鏡を見ないと自分の顔すら見ることができない。
うれしい顔も
悲しい顔も
怒った顔も
普通にどんな顔もわからない。
鏡を使ってみても
左右逆の顔しか
知ることができない。

だから
自分については
自分以外の人に尋ねるしかない。

特に
からだが悪い時には
医者などの自分以外の人に
頼らざる負えない
僕自身も
他の人のからだを客観視できるけど
自分のからだは
混乱してしまうことも多い。
だから
相談した相手が
僕の何を見ているのかが
とても大事に思える。

僕のからだを
どんな思いでみてるか?
からだだけでなく
こころも魂も診てくれると
とてもありがたいと思う。

だから僕も
患者さんを診るときには
患者さんが見ている部分だけでなく
患者さんが見えない部分も
診て、伝えて
本当の健康を手にしていただきたいと
思うのです。

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