神も仏もないのか

よく人は
自分の思い通りにならないことや
苦しむ状況になると
「神も仏もありはしない」と言う台詞が
思わず口から出てしまうことがあります。

人は
いいことも、悪いことも
自分に起こっていることは
何らかの自分以外の力が働いて起きていると
考えているから
苦しいときに
こんな台詞が
思わず口から出てしまうのかもしれません。

自分が生きているこの人生は
自分だけの人生だし
人生の主人公は自分です。
だから、今起きていることは
昨日までの自分の行動の積み重ねの
結果なんです。

病気になったり
何か苦しいことに出会ったときでも
決して
神も仏のせいではないんですね。

なら
神様も仏もいないのでしょうか?

実は、僕は 入院中いつも
自分を守って、応援してくれている
存在?力?を感じることがありました。

病気になったのは
自分の昨日までの行いの結果であり
それに気づかそうとして
僕は病気になったのかもしれない。
でも
動かなかった左手も、左足も
「こうなったのは、おまえのせいだから」とは
僕にもっと苦難を与えようとは
決してしません。

なぜなら
服を着替えようとするとき
必死でボタンをかけようとする右手を手伝おうと
無意識に右手の手伝いをしようとする動かない左手。
「今日もリハビリお疲れ様。夜はゆっくりして
また明日は、がんばって左足を動かしてみよう」と
語りかけていると
翌日は、指がそして足も昨日より動くんです。

僕は
からだのメッセージを受け取らずに
結果として病気になったのかもしれない。
だけど
からだは、そんな僕を恨んだりしない。
逆に、元に戻れるように応援してくれました。

僕のからだの中には
僕がどんな時でも
僕の力になってくれる存在を感じました。

この力、存在を人は
奇跡、神の力と言うのかもしれませんが
僕のからだにも、あなたのからだにも
あなたをどんな時にも守ってくれている存在がいるんです。
それを、人は神と呼んでるのかもしれません。

神様は
どんな人にも
どんなに苦しい時でも
あなたの中にいる力、存在なのだと思います。

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神と髪

みなさんは、神様というと
どんな姿が目に浮かぶだろうか?
男?女?若い?老人?
太ってる?痩せてる?
髪はある?
ひげは生やしてる?
みんなさんそれぞれのイメージが
あることでしょう。

僕は
もちろん見たことはないけど
立派な白いひげを生やして
少しはげてて
杖をついた
老人の姿を思い描いてしまいます。

実際
神様は若い方もお年寄りの方も
いらっしゃるようです。

そして
禿げた姿の神様は
知恵の神様らしいです。
悟りだけでなく
先の先まで見通しているとか
神の計画や人生の方向性、天命をなどを司られる
そういう神様は
禿げているらしいです。

つまり
知恵は知恵でも
宇宙のコンピューターの如く
あらゆるものを悟っている頭脳は
禿げた姿で表されるのです。

髪は情感を表すものだと言われているので
お坊さんは髪を剃るのは
世俗の思いとか感情などの表す髪をたって
神の意志を果たそうとするのです。

なら
髪が白くなるのは
人間的に枯れること
つまり原点に返っていくこと。
人間本来のあり方や原点が
わかってきつつある
ことを示しているのです。

年取って
髪の変化は気になります。
決して老いたからではなく
人生における学びの一つの
通過点にいることを
教えてくれるのでしょう。

僕も
病気をして、白髪が増えました。
その意味を
毎日鏡を見ながら
今の自分の立ち位置を振り返っています。

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今日の空は特別

今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。

思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。

そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。

「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。

贈り物?

確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。

今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない

だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね

だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。

人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。

今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。

そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。

今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終わろうと思います。

みなさんにとって明日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。

今日もありがとうございました。

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静かに美しく生きる

僕自身病気をしてから
これまでの人生を振り返ると共に
今までの生き方を見つめ直し
これからの人生設計を考えることが増えてきた。

未来はわからないけど
同世代の人が
どんなことを考え、どう生きたかを知ることが
これからの
生き方の参考になることがある。

特に気になる同世代の人は
松浦弥太郎さん。
彼は生活を大事に過ごしてることを
多くのエッセイで紹介していて
僕も参考にさせてもらうことも多い。

人生はよく
マラソンにたとえられ
僕はマラソンはしないが
ランニングを趣味にされてる人は
周りに多い。

松浦さんも
10年前から、からだの不調を是正するために
ランニングをはじめたようだ。
最初は全く走れなかったけど
シューズやウエアーを整え
健康になるという目的のために
毎日続けていると
どんどん楽しくなって
もっと、速くなりたいと
頑張るようになったそうです。

でも走りすぎたことで
足を痛め
ランニングを中止せざる負えなくなった
時期があったそうです。

からだを休め
また、走り初めて気づいたことを
書かれています。

「走ろうと思えば速く走れる。けど、
これからは、あえてペースをぐっと落とし
ゆっくり、静かに、
姿勢の良い美しいフォームで走れるように
なりたいと思った。
速さとは、成果や実力ではない。
本当の実力とは
美しさによる継続である」と

人生をランニングに例えると
若いときは(今までの自分)
速さという目の前に示されたものを
目標に走っていた。
でも、50代になったいま
人生を突っ走るのではなく
自分らしく、自分の取り柄を生かして
ゆっくりでも、美しく
その走りが人のこころに何かを訴えるような
生き方を見せることができれば
本望だと僕も松浦さんのように思っています。

人生のゴールは
どこにあるのか、いつまで続くのかは
わからないけど
これからの人生は
静かに美しく、自分らしく
自分しかできない走りを意識して
ゴール目指して、走って行こうと思います。

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検索しても熟知にはならない

何か新しいことをはじめようとする時に
物事を「熟知」してはじめて
スタートラインに立てる。

何かを創り出す時に
ゼロから生み出すのは困難です。
創造性は情報量に比例するので
この世の中の事実や情報を
どれだけあつめられかが
クリエイティブになれるかどうかの
鍵になるんだと思います。

集められるだけの情報を集められたら
新たなアイデアは生まれやすくなります。

そして情報を集めるのに
インターネットは便利。
そして、最近では
AIを使って
簡単にわからなかったこと
知らなかったことの情報を集まってきます。

だから、知らないことがあれば
スマホで調べればいい・・・と
安易に考えてしまいます。

検索したことで詳しくなったとしても
それは熟知したとはいえません。

確かに、その道で成功している人は
人一倍に詳しいし、知識も豊富というだけでなく
そのことについて
問題意識がとてつもなく深いものです。

決して現状に満足せず
「こうすればもっとよくなる」と
アイデアが湧いてくるでしょう。

AIは確かに便利だけど
AIに頼ってばかりいると
我々人間の成長は止まってしまうかも知れません。

情報を集めた先に
僕たちは集めた情報を元に
考え「熟知」することを
忘れてはいけないと思うのです。

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過去をひきずらない、未来を負わない

無常について
お釈迦様がおっしゃった言葉が
残っています。

「過ぎざるをおうことなかれ
いまだ来たらざるを念う(おもう)ことなかれ
過去、そは既に捨てられたり
未来、祖はいまだ到らざるなり
ただ今日まさに作す(なす)べきことを
熱心になせ
誰か明日死のあることを知らんや」
中部経典131番

人は
過去のことにこだわり
止まってしまい
起こっていない未来のことに
こころ悩まし
前に進むことができなくなる。

だから
自分でなんとかできるのは
今という時間のみ。

だから
今という時間を悔いなく生きることが
大事なのです。

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寄り添う

誰の心の中にも
大切な人に何かしてあげたい
という気持ちはあるもの
その気持ちは
親心であったり
友情であったり
そして
愛情
と言うのかもしれない。
だから
大切な人に何かしたいと思うから
やさしい言葉をかけたり
親切にしてあげたり
思いやりある行動
をしようとする。
でも
相手が悲しんでいる時だったら
やさしい言葉が届かないかも。
傷ついている時は
あなたの親切が
重荷になってしまうかも
あるかもしれない。
だから、そんな時は
何もせず
距離を置くことも
あなたを大切にしているの
サイン。
楽しい時も
悲しい時も
どんな時も
大切な人に寄り添うことができる。
ただ寄り添う
ずっと寄り添う。
たとえ、今会えない人でも
心は寄り添うことができる。
寄り添う気持ちは
どんな時でも
大切に思う人への
何よりも美しい贈り物

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夢をもつな

七色の声を持つと言われた
昨年亡くなったアナウンサー小倉智昭さんは
著書の中でこんな言葉が紹介されていたので
紹介します。

小倉智昭さんは、お父さんに
「智昭、夢を持つな」と言われていたそうです。

夢をもつなって、
こどもに言うのは酷な気がするのですが
次のような理由があったのです。

「夢を持つな。
夢は夢で終わるんだ。
夢は叶うというのは、
夢がかなった人しか言わないことで、
夢が叶わなかった人はそんなこと言わないんだ。

夢なんかもたなくていい。
目標を持ちなさい。
目標だったら自分にあった目標をもてるだろ。
その目標を達成したら
次の目標を考えればいいじゃないか」

と述べられています。

この言葉を聞いて納得。
夢は究極の目的。
その目標に向けて
身近な目標を持って進み
目標を達成したら
次のステップに進むことが大事なことを
この言葉は教えてくれているのです。

夢を持つな。
目標を持て

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続・日本史上一番平和な時代

1万年以上も争いのない
平和な時代が続くためには
その国のリーダーの考え方に左右されます。

縄文時代のリーダーが
どんな考え方をしていたかを
知るよしもありませんが
現在に生きる現代文明の垢にまみれてない
少数民族のリーダーの
考え方が参考になるのではないかと思います。

パプアニューギニアに住む
民族の酋長のインタビューを読み
ハッとしたので
ご紹介したいと思います。

その酋長さんに
リーダーとして大事にしているかを
質問したら
「人々が、いかなる畏れも不安も抱かぬままに
きれいな空気を吸い
おいしい水を飲み
畑を耕し、狩りをし
家族と共に絵がでくらせるようにする。ことだ」と。

リーダーとして
当たり前すぎることだけど
この言葉が口先からだけでなく
腹の底から出てくるのが
リーダーの資質だと思う。

そしてもうひとつ質問をしたそうです。
「人間として大切なことは?」と質問すると
酋長はぽかんとそんな当たり前のこと聞くのか?
あきれたかのような表情して
答えたそうです。

「人間として一番大切なことは、
子孫を残すことだ」と

現代は
様々な考え方、生き方があります。
酋長のこの答えに賛否両論もあります。
でも
昔の人がこう考えてくれたから
今の自分がいるのはまちがいないことです。
酋長の言葉を聞いていると
今生きていること
ご先祖様に感謝の気持ちでいっぱいになり
大切な人、お隣の人が
しあわせになれるように生きていこうと
思うのでした。

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日本史上一番平和な時代

今までで
日本が一番平和だったのはいつだっただろう?
元禄文化が花開いた
江戸時代でしょうか?

確かに
戦国時代から徳川家康が統一してから
江戸時代は
戦争はなく、身分制度はあるものの
争いごとは少なく
文化が花開き
平和な時代だったと思います。

その平和な時代は
明治維新まで続きました。
250年は平和続いた平和な時代。
徳川家康の国作りは
大成功だったのだと思います。
でも
もっと長く平和な時代が日本にあったことが
最近わかってきました。

その平和時代は縄文時代という説を
耳にすることが多くなりました。

確かに
縄文時代の遺跡からは
戦争の形跡がないという
事実が裏付けています。

でも
なぜ戦争がなかったのか?
人々の間に争いごとはなかったのだろう?
小さいいざこざはあったかもしれませんが
根本的な人々のこころの中に
争いごとになる火種となる考え方が
生まれなかったのだと思います。

その考え方とは
僕はこう考えていたのではないかと思います。

それは
縄文式の遺跡には
祈るような土偶を見たことがあります。

縄文人は
きっと自分の願いが叶うように
よく祈っていたのではないでしょうか?
現代人と同じしあわせを願って
祈ってたことでしょう。
でも、その祈りが
自分ではなく
大切な人をしあわせにできますようにって
祈ってたと思うのです。

自分がしあわせであるためには
大切なあなたがしあわせでいることだと思うから。

それを
こころからそう思い、実践したのが
縄文人だったと思うのです。
だから縄文時代といわれる1万年以上も
平和が続いたと思うのです。

そして
縄文人をまとめたリーダーの
思いも知る必要がある気がします。

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