この言葉は台湾の元総統李登輝氏が残した言葉。
「我是不是我的」日本語に直すと
「私が私でない私である」ということになるのですが
ちょっと意味がわかりにくいです。
ちょっと説明すると
自分という人間は、立場によって
色んな役割があります。
家庭では、父親であり、夫であり
社会では医者であり、院長であり
と色んな立場で暮らしています。
その立場の目的は
家庭が、特にこどもが
人として一人前に育ち、社会の役に立つ人間に
なるように育てる。
クリニックが、社会の病気で困った人の
役に立てるように働く場にする。
と言うことですが
李氏が、それだけでいいですか?と
問いかけているような気がするのです。
つまり
あなたは私人としての立場で
考えて生きていますが
あなたは家庭の外にある社会つまり公のために
何をしているのですか?と
問いかけている気がするのです。
この言葉を見て
ハッと気づかされました。
現代の日本に生きる自分たちは
ひとりひとりを大事にする社会になったけど
個人だけがよくなればいいのでしょうか?
まず自分がしあわせになることばかり
考えていないだろうか?
そう言えば
親世代が家の前を掃除する時
誰が見ているとかに関係なく
右隣りも左隣りも掃除していなかっただろうか?
どうせしているから、一緒にしておこうという
気持ちが自然に起こっていたと思います。
最近あまり聞かれなくなった日本語に
「向こう三軒両隣り」という言葉があります。
これは自分のとこばかりしないで
周りのことにも気を回しましょう
という言葉です。
でも、最近はこの言葉のいう意味が
失われてきている気がします。
日本教育で育った李元総統も
にほんじが元々持っていた
公を大事にする気持ちを失ってきていると
語っているのです。
公つまり社会のことも考えて
行動していく社会にしていくことが
今を生きている日本人の役目だと思うのです。
