「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
からだが伝えたかったこと
先日末期癌の方の
メタトロン治療を行いました。
末期の段階で
余命も伝えられている状態なのですが
いつもご自身で車を運転され
来院されます。
とても危険な状態であることを
いつも
患者さんご自身からお聞きしているので
1か月に1回ですが
いつものように会えて
治療できることが
僕にとって
喜び、いえ、励みになっている患者さんです。
先日のメタトロンを行いました。
原発巣と思える部分の陰のエネルギーを
陽のエネルギーが取り囲み
組織全体、器官全体で
癌組織をガードして
暴れないような状態に
しているかのみえる状態でした。
そして
癌組織があると思える部分の
上位リンパが
活発に働いていることが
わかりました。
患者さんご自身は
将来に対する不安を覚えることがあっても
今よりよくなれば
今後住みたいところを考え
将来設計を考えられています。
気持ちが安定しているから
眠れるし、食欲もあったり
今の日常生活をいつもどおり
過ごすことができているのかもしれません。
でも
メタトロンでは
今末期癌状態でもいつもの生活が行われているのは
様々な組織、免疫状態が働いていることを
教えてくれました。
そうなんです。
患者さんのからだが
今を生きていけるように
文字通りからだを張って守ってくれている
ことがわかりました。
今の波動状態は
慢性疲労の状態であることもわかりました。
でも
患者さんは、仕事もやめゆっくり過ごせているから
疲れはないと。
そう、その病名は
患者さんの思いというより
からだが頑張ってることを
メタトロンが教えてくれたんです。
そのからだが頑張ってることを
お伝えすると、
有り難いです・・・と涙を流されていました。
その涙は
からだの深からあふれた涙だと
思えたのです。
病気を作らないで
メタトロンをはじめる前に
今の状態、これまでの病歴など
お聞きしますが
その時、よく出てくるのが
頭痛、疲れやすい、食欲がない、睡眠が悪い
という症状を仰る方がいらっしゃいます。
頭痛、食欲がない、睡眠が悪いと聞けば
程度はわからなくても
仰りたい意味はわかります。
でも
医者が未病を観たときにつけやすい病名を
仰るかたもいらっしゃいます。
診断名を言われると
実際どのようなことに困ってるのかと
疑問に思い
具体的にお聞きすることはよくあります。
例えば
先日は虚弱なんです。といの一番に
仰った患者さん。
虚弱って
どんなことで虚弱だと思ったのだろうか?
さりげなく使われた
伽弱という言葉の意味に引っかかってしまうのです。
お聞きすると
疲れやすい
下痢になることがある
頭痛がある・・・・などなど
具体的に説明して下さいました。
なるほど・・・と早速メタトロンを開始しました。
メタトロンは
からだのエネルギー状態を
頭から足の先まで
皮膚、筋肉、骨から胃、腸、脳、生殖器など
全身隅々まで
必要とあれば遺伝子レベルまで
チェックします。
すなわりからだ全体の自然治癒力の有無を
診ていくのです。
虚弱が心配な患者さんは
腸も、脳も、胃もエネルギーは普通レベル以上にあり
とても虚弱な臓器とはいえない状況でした。
虚弱(虚弱体質)は実は医学的病名ではなく
特定的な疾患があるわけでなく
からだに何らかの不調が常にある状態を言うことが多く
未病の代表的な病名なんです。
そして
その実態は生命エネルギーが少ない状態が
原因だとわかってきました。
エネルギーが落ちた状態が虚弱だとすると
この患者さんは
メタトロンでエネルギーの低下はないので
虚弱と言えます。
でも
だるい、頭痛、下痢が起こるのですよね。
これは、生活の中で
オーバーワークすぎること
からだの使い方、休息の取り方が
間違っていることが原因だと思われました。
早速
虚弱体質ではなく
きちんとからだのエネルギーに合わせて
からだを使い、生活することを
助言しました。
そして同様に虚弱ではないので
安心して下さいともお伝えしました。
患者さんは
うなずかれながら
話を聞いてくれ
笑顔で帰って行かれました。
次回は
今日よりもきっと元気な笑顔を
見せてくれると思ってます。
人って
自分で考えて病名をつけて
今の現状を納得しようとする
悪い癖があるんです。
頭で病気を作ってしまいがちなんです。
メタトロンは
あなたの本当のからだの状況を教えてくれます。
不安を吹き飛ばすツールとしても
役立つことでしょう。
病気になぜなる?
前回のブログで
薬は直接病気を治すためにではなく
自己治癒力をあげる目的で
服用するのがいいと書きました。
薬で病気を治してるんじゃないの?
なぜ?って
思われている方も多いでしょう。
薬の働きを考える前に
なぜ、病気になるのか?ということを
知らないといけないでしょう。
病気の原因は
ウイルス?細菌?毒素?免疫力の低下など
さまざまなものが知られています。
コロナウイルスを含めて
この世にある病気の多くは
みんながかかるわけじゃない。
病気になる人とならない人がいるのは事実。
病気になるか、ならないか?って
運、不運なんでしょうか?
そもそも病気になるということは
実は
こころに思うこと
今、感じてること
言葉で話したこと、食べることや
生きているうちの様々な行為全てにかんよしていて
今まで生きてきた生き方が
自然の摂理に反して過ごした行為が続くと
体内隅々に流れている
生命のエネルギーの流れが停滞し
それによって
体全体の調和が乱れたために起きるのです。
その中で
エネルギーの滞りをしらせるために
様々な症状がでてくるのです。
頭のエネルギーが停滞し頭痛や不眠症がおこり
からだの異物を排出できなくなり湿疹がでたり
下痢も出たりするのです。
先日
試験前になると
のどになにかひっかかるような感じが続くと
学生さんが受診されました。
PMが飛んでる時期でもあり
うがい、のどの乾燥を防ぐ対策を伝えて
様子を見てもらったのですが
その後も治まらないと受診されました。
診察上も検査上も異常は認めません。
耳鼻科で喉の内視鏡も必要かと思いましたが
もういちど、話をよく聞くと
不思議なことに
勉強しているときに起こる現象で
寝てるときや
授業中に起こることはない
もちろん食事も何も違和感なく採れるている。
自宅学習している時に
起こっているようだ。
その時の
状況をよく聞くと
勉強に集中できないときに
起こっているようだ。
話をききながら
集中力が途切れたときに
集中力の途切れたことを知らせる
サインではないか?と
気づいたのです。
だから、その時には
今集中力が途切れてると自覚し
ちょっと気分転換して
集中力が途切れていたのだとと自覚し
一息入れて
勉強をはじめることをすすめた。
でも
痰が絡むこともあるので
去痰剤を飲んで
気分転換して勉強を再開すると
治るよ。と伝えた。
患者さんは少し不思議な顔して
帰っていったが
その後、治ったよ。
先生、この薬すごいねと
明るい笑顔で受診してきた。
その笑顔をみて
試験結果も善かったことを知りました。
薬を服用して
症状を抑えようとしても
根本的な問題解決にはならないことを
改めて教えていただきました
薬
薬は
病気の治療には欠かせないもの。
現在のコロナパンデミックの状況下で
予防できる
ワクチンの登場
そして
軽症から使える薬の開発が進んでいることが
今の世の中に
明るい希望となっているのは
先日の菅総理大臣が
最後の記者会見で述べた通りだと思います。
ワクチンを含む薬は
我々の健康にとって貢献できる
一つの武器です。
でも
ここで考えなくてはいけないのは
薬に頼りすぎていないか?
ということなのです。
薬を飲めばいいと安易に考えて
自分のからだからの声に
耳を傾けてない傾向にないですが?
確かに
病気を治すのは、薬の力だけでなく
忘れてはいけないのは
自己治癒力がないと
病気は治らないと言うことです。
薬が病気を治しているのではなく
薬も
自己治癒力を高めるために
役立っていると思って下さい。
頭痛やけがをしたとき
鎮痛剤を使うのは
安静を保つため。
痛みを取って、動き回るためではないのです。
熱があるとき
解熱剤を飲むのは
熱を下げて、働くためではないのです。
熱でつらくて、眠れない、水分がとれないなど
からだをリラックスした状況になれないからなんです。
そして
病気の状況であっても
少しでもリラックスできた状況を作り
その間の自己治癒力を高めるためなんです。
薬を飲んで
自己治癒力を高めるために
服用するのです。
薬を飲めば病気が治るわけではない。
という訳ではないということを
忘れないで下さい。
ならどうして
病気は治るのでしょうか?
そのためには
病気にどうしてなうかを考えないといけないですね。
その話は
次回のブログで
レッドマンが伝える医療人に必要な条件
人類の歴史の中で
常に向き合ってきたことのひとつに
病と死という問題がある。
これを人生最大の困難、苦難ととらえ
人類は
様々な努力をして
いまだ克服できていません。
死を克服できないのには
それなりの理由があることに
病気になり、様々な人々の病と
向き合ううちに
感じるようになりました。
死については
これから追々お話をしていこうと思いますが
現在は
医師として生きているわけですし
健やかに生き
この人生を有意義に過ごせるように
導くことが
僕たち医師としての
役割であると思います。
そのために、我々医師は
医療技術を学ぶと同じぐらい
人として学び続け
豊かな人間性を身につられてはじめて
ひとりの医療人として認められるのだと
思っています。
そうした医療人として
どうあるべきかを考えたのは
なにもここ数世紀の話ではなく
人間がずっと抱えてきた課題だとも言えます。
北米大陸の先住民の
レッドマン(インディアン)の世界でも
病気の治療を行ったひとを
シャーマンと呼び
特別の力があるように崇めていたようです。
そして
シャーマン自身も自ら医療人であるために
第一に謙虚であること
第二に愛にあふれていること
第三に高い霊性をもっていること
以上3点を重視していたそうです。
これはレッドマンの医療人に対してだけ
通じる点だけでなく
このまま現代のどの医療従事者にも
もっていなければならない素質では
ないでしょうか?
つまり
現代医療は、技術の高さや知名度が
最優先されがちですが
そのに加えて
高い人間性、霊格、霊性を備えることも
重要だと言うことです。
イエスキリストは
「人はパンのみで生きてるわけではない」という
言葉を残しています。
シャーマンは最も重要なことは
「霊性と倫理観を高めるために
できるだけの時間を費やして生きるべき」
といってます。
昔の賢者の述べた言葉にも
謙虚に耳を傾けることが
今の医療人にも大事なんだと思います。
全てが手に入る世界
死後の世界は
芸術家だけでなく
全ての人が生きているうちに実現したかった
ことが叶う世界だそうです。
肉体はなくなっても
生きていたときの姿で過ごすのです。
しかし、ちがうのは・・・
からだに不自由があったとしても
五体満足で
行きたいところに瞬時にいけます。
会いたい人に思えばすぐ会えます。
行きたかったところにも
考えたとおりのところに行けるのです。
地球自体も
空はどこまでも青く住む渡り
宝石のように花々が美しく彩り
太陽のエネルギーを受け取り
人々はも生命力あふれ輝いています。
人はエネルギー状態なので
食べる必要もなく
お金も必要ない
何でも欲しいものがすぐ手に入る世界。
肉が好きだった人は、好きなだけ食べられ
甘いものが好きな人も
お酒が好きな人も
からだのことは心配せずに
思う存分欲求を満たすことができるのです。
夢が全て叶う
生きているときには考えられなかった
夢の世界が待っているのです。
全てやりたかったことができているのに
だんだん
肉体がないからなのか
思ったほど美味しくなく
やりたかったことをやっても
次第に満足できなくなるのです。
そして
自分がなぜこれを欲していたのか?
それと同時に
生きている時の人生を
振り返り考え、次第に反省するようになるのです。
それから
人々は次のステージに向かっていくと
言われています。
親ガチャ
今巷では
”親ガチャ”という言葉が
若者の間、特にネット上で
流行っているようです。
”ガチャ”と言えば
最近昭和世代のおとなにも
人気が出てきている
おもちゃのガチャガチャから
きていると思いきや
“ガチャ”は若者にとって
身近なソーシャルゲームの用語のようです・
Yahooによると
一定額の課金によって
ランダムにアイテムなどを手に入れる
ことができるシステムのことを言うみたいです。
実際手にするまでは
なにを手にできるかはわからない
つまり
”ガチャ”とは
運次第という意味らしいのです。
基本は
僕昭和世代の
ガチャガチャと同じ
何が出てくるかは楽しみ
運次第ということ。
それでは
”親ガチャ”とは
どのような親の元に生まれてくるかによって
人生が決まってしまう。
という意味で、その裏には
どんな親の元に生まれるかは決められないし
生まれた家庭環境によって
裕福な家庭なら
欲しいものが充分に得られ
学歴だって、就職だって
小さい頃の経済状態によって
決まってるじゃないか・・・・
どの親の元に生まれたかで
大きく人生が決まってしまう。
親は選べないから
と、あきらめの声が聞こえてきそうな
言葉です。
この言葉には
こども世代と親世代で
異なる意見があるようですが・・・
本当に
親は選べないのでしょうか?
池川クリニックの池川明先生は
生まれたときの記憶が残っている
こどもたちにインタビューをまとめ
生まれた時の記憶のあるこどもの共通点は
みんな
生まれるまで順番待ちしていて
自分の番が来たときには
自分でこのお母さんのところに生まれたいと
白いおひげのおじいさんに伝えて
生まれてきたというのです。
このことを確認、証明することは
難しいですが
これが事実としたら
親を選んで生まれてきたんですよね。
親にとって
成績の優秀さに関係なく
かわいく、愛しいもの。
大切な宝物。
選んでくれた、偶然に生まれてきてくれた
それだけで充分なんですよね。
自分で決めたのであれば
その運命を全うできるように
一生懸命応援したいものです。
たとえ親はこどもに、親ガチャと思われても
しっかり自分の人生を歩んで欲しいと思うのが
正直な親心です。
夢が叶う世界
誰もが知りたくても
知り得ないもののひとつに
死後の世界がある。
誰もが
確実に経験する世界だけど
生きているうちには
経験することはできない。
そして、死後の世界を経験した時には
そのことを誰にも伝えることはできない。
自分で死ぬまでは
経験するまでは
経験できないけど
必ずいく世界だから
興味は湧くし
想像の翼は広がる。
これは
僕だけの思いだけでなく
みなさんもそうだろうし
今すでに死後の世界を経験している人も
生きているときは
きっと知りたくてたまらなかった世界だろう。
死後の世界の興味があるから
仏教、キリスト教などの
宗教が発達したのも
頷ける。
でも、時々
死後の世界をみたといって
語る人や、本にであうことがある。
先日
喜多良男作「死帰」という本を
たまたま手にした。
その本には
死後の世界についてのことについて
事細かく書いてあった。
どこまでほんとで、信じていいかの基準は
全く読んだ人で異なると思うけど
そうかも?と思えることがあったので
少しずつ僕の感想も含め
紹介しようと思う。
そこには、死んだ後
こうなると書いてあった。
生きているときの願いが全て叶うのだと。
例えば
画家の人は、
生きているうちには
出会えなかったほどの美しい風景に出会い
今までかけなかったほどの美しい絵がかける世界だと。
もし、音楽家なら
これまでこんなに美しく演奏したことがないほど
自由に楽器を演奏することができる世界。
つまり
こうありたいと思う
理想の自分になれる。
と書いてあった。
それを読んだとき、ふと
ある著名なピアニストの
辞世の言葉を思い出したのです。
そのピアニストは
ご臨終の時に
「ラフマニノフもバッハもモーツアルトであっても
どんな作曲家の曲でも
美しく弾くことができる奏法がわかったの」
もちろん、
そのみつけた演奏を実際に
僕たちは聞くことはできないのですが・・・
僕が思うに
そのピアニストは
生死を彷徨いながら
ある瞬間死後の世界に生き
願いが叶ったのだと思います。
どんな音楽であっても
満足に美しく弾けたと。
この本を読んだときに
この言葉を思いだし
生きている時に願った世界なんだ
死後の世界は・・・と確信したのです。
でも
それで完結するのではなく
続きがあるのです。
それについては、次回に
松果体の働き
湯川秀樹博士によってはじまった
量子物理学は
目に見えない現象のことを
解明していっています。
量子物理学の根本にある事実は
全てのものには
エネルギーがあり
その全てのものには固有の振動数があるという
発見でした。
声や音は当然振動していることは
わかっていましたが
全てのものに固有の振動数があるということは
全ての細胞も振動している
ミクロの世界だけでなく
宇宙も振動しているし
喜怒哀楽という感情にも
固有の振動数があるというから
ここまでいわれると
なんだか不思議な感覚になりますが
1970年頃から
東ドイツやロシアで研究が進んで
からだの様々な臓器にも
固有な振動数があることがわかってきました。
からだだけでなく全てのものには
エネルギーをもっていて
そのエネルギーがあるから
全てのものがこの世に存在することができるのです。
また
そのエネルギーの源は
宇宙から振り注いでいます。
そのエネルギーは、人間だけでなく
地球全体のすべてのものにに振り注いでいて
とても強力なエネルギーだろうと
想像できます。
その強さは。原子爆弾どころではないほど
強力なものだと思います。
その強大なエネルギーを
直接うけいれてしまうと
その強大なエネルギー力に
破壊されてしまうことでしょう。
しかし
その強大なエネルギーを受け取り
生きる源として利用して
生きていけるのは
脳にある松果体といわれる
小さな内分泌器官があるからだと
言われています。
松果体の機能については
まだはっきり解明されていませんが、
鳥でいえば体内羅針盤
動物でいえば体内時計のような働きをしているといえば
イメージしやすいのでは
ないでしょうか?
つまり
人間の松果体は
変圧器のような役目をしていて
宇宙から受ける強いエネルギー、情報を
からだに負担がかからないように弱く変換して
からだに流していると考え
その松果体からのエネルギーの流れを
分析したのがメタトロンなのです。
メタトロンが
松果体からのエネルギーを測定している証拠は
メタトロンが
チャクラを測定できること。
松果体は、チャクラで言えば第6チャクラを測定できること。
第6チャクラは昔から
第六感といわれたり
サードアイ、第3の目ともいわれ
高レベルのからだの波長やエネルギーを
だしていると考えれており
それが松果体によっていたこと。
その松果体にアプローチできるのが
メタトロンだと言うことなのです。
松果体については
まだまだわからないことも
多いですが
メタトロンを利用すれば
松果体や人間の持っているエネルギーが
解明されていくことでしょう。
そして、メタトロンは
ひとりひとりのこれからの人生を
健康で明るく過ごせることを
応援してくれることでしょう。
文明
コロナウイルスのパンデミックに揺れる世界
その中
日本の舵取りをする
新しい総理大臣が誕生する。
今の世の中
パンデミックの影響からなのだろうか?
世の中は分断され
閉塞感が充満してきて
このまま進めば、どんな世界になるのか
とても心配な状況です。
これまで進んできた
ある意味白人中心の文明世界の
限界に向かっているからなのか?
最近日本人、レッドマンの
古代の人々の
文献を通して知った
声にならない声を感じ
特にこれまでの文明に対する
疑問を感じることがある。
いまそう思うのは
これまでの文明が発達した根本にあるのは
拝金主義に行きつくのでないでしょうか?
レッドマンは
“文明”とは
人間がひとりで生きていくのをやめて
他の人間、家族と生きていくことを決め
大きな共同体を作り
この共同体とともに個人をも
維持するためのシステム作り
ではないのでしょうか?
それがお金儲けのためにと
その目的ににすり替わってしまったのが
現代文明の姿ではないでしょうか?
まだ文明の発達してないから
どんな文明を作りたいかを
みながこころで感じてたような気がします。
どんな文明を描いたのでしょうか?
僕は、こう思います。
1自分の生きていく権利を侵害せず
隣人の権利と共に保障してくれている
2弱者に対して、守る力が働いている
3罪を起こしたものに、公正な裁きが行われる
4市民に対しての生活を第一に掲げているか?
5ひとりひとりの考えを尊重できる素養があるか?
6衣食住など人間としての尊厳を保障してくれている
7まじめに生きる人が活かされる社会であること
8物質だけでなく、その中に含まれる精神性も
目に見えない価値あるものにも気づけるか?
9強権的な公正よりも、どんな時にも思いやりのこころを
大事にしているか?
10病人、障害者、老人、身寄りのない人などにも
安心して過ごせる社会であるか?
11家族を大事にしている社会であるか?
こんなことを目指した社会を
古代の人々は目指した社会、国作りは
まだまだ途中段階のような気がします。
彼らの思いが、これからの
社会、国作りに役立つことを
願って、今を生きる我々を
見守ってるのかもしれません。
