「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
この世を立ち去る時②
前回のブログの続き
最後の瞬間を穏やかに迎えた方の
実践のお話を紹介します。
そのご婦人はのやっていたことは
2つ
一つ目は
朝起きるといつも鏡の前でニコッとして
「今日も1日笑顔でがんばりましょう」と
自分と約束を交わしたそうです。
もう一つは
一日に何十回も、
念仏でも唱えるかのように
「わたしはしあわせ」と
言われてたそうです。
いつもにこやかに、
明るく、感謝の気持ちを
周りの方々に伝えながら
過ごされていたそうです。
まわりにしあわせの波動を
振りまきながら生きてきたので
こどもさんやお孫さんからも
大切にされながら日々過ごされたそうです。
でもやはり最後の瞬間は訪れます。
最後の時には
全国から親戚方一同が集まり
ベットの周りを取り囲んだそうです。
集まった方々の顔をひとりひとりみつめながら
「よく来たな。よく来たな。
あぁ、わたしはしあわせ~」と
仰ったそうです。
これが最後のことなとなり
旅立たれたそうです。
奇蹟が起こったのはその後でした。
行きを引き取った直後から
お顔は、どんどんピンク色に染まリ
若返ったようになり
笑みをうかべて
まるで観音様そっくりのお顔になられたそうです。
そして
その神々しいお姿を
見られた方は
手を合わせずにはいられなかったそうです。
この方は
このように生きればいい
と僕たちにも伝えているのでしょう。
どんな時でも
今生きていることを
喜び
今生きていられることに感謝して
過ごす。
どんな生き方をしてしようが
この気持ちをもつことを忘れず
今ここにいることを喜んで生きることが
大事だと言うことを
教えられました。
この世を立ち去る時
誰もにも
必ず訪れる死
死は
人間だけでなく
この世に生きている全ての生物に
生物だけではありません
全ての形ある全てのものにも
いつかは変われてしまう運命にあります。
死は
この世に存在するものの
運命(サガ)であります。
誰にも必ず訪れる
最後の瞬間に
どんな気持ちでその瞬間を迎え
幸せな気持ちで
その瞬間を迎えたいと
誰もが願うことでしょう。
そのために
宗教があるのかもしれませんが
最後の瞬間に
「あー楽しかった」
「ありがとう」
「愛している」
「しあわせだった」と
伝えて旅立つことができれば本望でしょう。
誰にも訪れる死の瞬間ですが
いつ訪れるかは誰にもわかりません。
それまで病気をしていても
元気に過ごしていても
その瞬間は
突然に訪れます。
ですから
その瞬間が
いつ訪れてもいいように
毎日
いつその瞬間が訪れてもいいように
やることがあるのです。
最後の瞬間を穏やかにむかえられた
あるご婦人の実践されたことを
紹介したいと思います。
具体的な方法は
長くなるので次回のブログで
紹介したいと思います
科学と宗教
アメリカ大陸の先住民の
インディアンは
風貌も白人とは違って
どこかアジアン風であり
その先祖が日本と共通なのかな?
と思ったり
それだけでなく
考え方にも惹かれる面もあるので
今日はカナダの
ネイティブインディアンの宗教についてです。
カナダのネイティブインディアンの
宗教の出発点的な考え方は
第一に
「自然界をありのままに見て
しかも
これはだめ、あれはだめ」と
言わないことなのだそうだ。
ありのまま、ありのままに受け入れ
受け入れると
「なぜ、自分だけがこんなに不幸なんだ」
なんて、悲観的な考えは浮かばず
苦しくても仕方がないと
今の状況を現実のまま受け入れるのです。
受け入れるとも
現実は苦しいことは変わらない。
そんな時
第2段階として次のように考えるようになるのです。
「この苦しみは
この宇宙のからくりの中で生きている中での
起こったことは苦しみは
幻なのだ・
本当の世界に戻ったときに
この苦しみから解放され、救済されるのだ。
だからこそ
この世での悪行を止め
苦しみに耐え忍び、救済を待つ」
と救済を信じて生きているのです。
第一段階の
ありのままに受け入れるという
この姿勢が
科学発達の出発点であり
その科学という先に
宗教があるのだと言うことを
ネイティブインディアンも伝えているのです。
科学の先にあるのが
真実のこころ、魂のことが
わかるのではないでしょうか?
そこは目で見えない世界
だから科学と区別して
人は宗教とよぶようになったのだと思います。
両親からの贈り物
僕たちは
ひとりで生まれてきたわけではなく
両親から3つのものをいただいて
この世に生まれてきたんだと
思います。
一つは
この世で生きていくための
「肉体」。
そしてあと二つは
「良いこころ」と「魂」だと
思います。
肉体は
生まれたときに
両親からいただいたのは
わかるのですが
「良いこころ」はいつ?
僕は
死を迎えたとき
つまりあの世に旅立つ瞬間に
旅立つご先祖様から
生きているときに感じられた
「良いこころ」を
これから生きている人に
エネルギーとして
手渡されているのだと思います。
親しい人が亡くなると
思い出されるのは
美しい思い出ばかり。
これは
「良いこころ」を受け取った
証拠なんだと思う。
そして
生きている間
お金ではなく、
天に徳という貯金をして生きていく
ということが大事なんだと思う。
いわゆる
徳積みは自分のためでなくて
こどもだけでなく孫のためなんだ
ということもきいたことがあります。
そうなんですよね
今感じた「良いこと」
それを良いと感じることで学んだ自分の魂
そのエネルギーは
両親やご先祖さまからいただき
もっといい経験をして
もっと大きなエネルギーとして
こどもや孫そして子孫に続く
生き方をしないといけないと
いうことですね。
この世に生まれてきたわけは
魂を磨き、徳積みをして
エネルギーを高めることは
自分だけならず
代々引き継いでもらえると思うと
今真剣に大事に真の道を
歩いて行かないといけない
大きな責任があるのですね。
フロイトとアドラー
毎日健康上悩みを解決しようと
こどもからおとなまで
様々なかたが来院されます。
そして
お話を聞いてると
その人の考え方が2種類あることに
感じます。
それは
前向きに考えるかどうか
物事をポジティブに捉えれるかどうかが
大きいなと思います。
ネガティブに考えてしまう人も
出来るだけ前向き、ポジティブに考えた方が
いいと思って
お話しするのですが
中々一筋縄ではいけません。
そんな時
心理学者のユング、フロイトの考え方
それと
アドラーの心理学のちがいの話を聞きました。
そこで、今日は
フロイトとアドラーの心理学のちがいを
お話しようと思います。
フロイトは「原因論」と言われ
過去にこういう原因と考えられることが
合ったので
今があるのだ。
つまり
今こうなったことの原因を探し
その原因をみつけて
原因を改善しようとします。
それに対して
アドラーは「目的論」と言われ
その人の今の状態は
その人が選んだことでしょう
ということなのです。
全ての原因を
自分以外の外に求めるのではなくて
自分自身に求めているという
ことです。
日頃診察しても
この2つのパターンを
感じることがよくあります。
病気などの何かのからだの不調を感じたときに
普通は
なんでこうなったんだろうと考え
食事、運動が悪い
寝れなかったから
仕事のストレス
人間関係の不調が
あるから起こったんじゃないかと
一生懸命
その原因だけを探そうとします、
アドラー的に考えると
今この状態にいようとするのは
自分が選んだこと。
何のために
自分はこの状態を選ぼうとしたのだろう
この選んだことで
どんなことを考え、
その考えたことで
自分の気持ちが変わってきてないだろうか?
今、こういう風に気づくために
この不調という時間が
必要になったのだろうか?
などなど
様々の内なる原因に気づき、
変化が始まるのです。
原因がわかったとしても
それを自分で変えようとしないと
決して先には進めませんよね。
どんな状態でも
原因は自分自身の中に答えがある
そんな気がします。
そう思えた瞬間に
人は変われるのかもしれませんね。
神様が見えないわけ
星の王子さまの中に
「大切なものは目に見えないんだよ」という
有名な科白が出てきます。
本当に
大事なものって目に見えないなぁと
思うことも多いです。
大事なものなのに
目に見えない代表的なもの
といえば
神様の存在ではないでしょうか。
神様だけでなく
根源的なもの、真理というのは
まごころ、やさしさなど
本当に大事なものって
目に見えないように作られていて
そのわけは
感じて欲しいからではないでしょうか?
なぜ大事なものは
こころで感じないといけないかと言えば
人は目に映るものをみてしまうと
自分勝手に見てしまう
からではないでしょうか?
もし、神様のお姿を
実際にみてしまうと
神様を自分の都合のいいような姿で
頭の中にイメージつけてしまい
神様自体を
自分勝手に扱ってしまうリスクが
でてかにでしょうか?
このことは
昔から伝えられている歴史の中をみても
神様は姿を現されないように
していたように思います。
例えば、古事記では
最初にアメノミナカヌシをはじめ
タカミムスビの神様は名前が出てきた後
すぐお姿をお隠しになられました。
聖書でも
モーゼが全知全能の神ヤーウェは
火を通して現れています。
そして、十戒では
神の姿を作ってそれを拝んではいけないと
述べられています。
神は
目で見えるものには
真実をわからなくすることも多い。
真実は音などこころで
感じるものだと教えてくれるのでしょう。
真実を見極めるために
こころを磨くことは必要なのだと思います。
結婚
真子様がご結婚されました。
婚約会見されてから
ご結婚されて
様々な報道があり
色々な困難なことも合ったでしょうが
それを乗り越えて
ご結婚できたことは
想像を超えて感慨深いものでしょう。
ご結婚されて
本当に良かったと思います。
おめでとうございます。
真子様のご結婚は
真子様の私的なことと言うだけでなく
世間の人々
あらゆる世代に
それぞれの立場で
結婚というものを考えさせられた
期間になったと思います。
結婚とひと言で言っても
日本だけでなく
世界にも様々な結婚形態があり
同じ日本でも
家ごとでも
様々なしきたりがあるから
結婚って本当に一大事ですよね。
そこで
結婚というものを考えてみたいと思います。
若いうちの結婚は
容姿などの見た目や社会条件や
肉体な要求に大きく左右されやすく
お互い愛を確かめ合い
肉体を求め合うという
今の自分の気持ちを満足させることに
こだわってしまいがちです。
結婚するとき
若いときは
肉体的などの目に見える価値観を
一致する相手を見つけようとしてしまいます。
しかし
本当は魂のレベルで一致する
相手を見つけることが大事だと思います。
若い時に
魂レベルで一致する相手を探すことは
なかなか難しいことが多いことでしょう。
年を重ね、様々な失敗を経験して
魂レベルの一体感や精神性の一致を優先して
自分に相応しい相手を
見極めることができるようになります。
結婚するなら
魂が求める方と言えるでしょう。
真子様も
結婚する前に
「生きていくための必要な選択」と言われました。
その深い意味は
物理的に離れた時期に
ひとりで考えても変わらなかった選択は
魂の判断だと思われたのでしょう。
愛は
求め合うものではなく
与え合うものである。
そして
人間的な愛で結ばれる関係から
お互い霊的に高め合う関係で
なければ続きません。
その様なお相手は
磁石で惹きつけ合うように
出会い共に魂を磨くながら
歩むようになる。
それが真の結婚だと思うのです。
真子様も
魂を磨き合うご関係で
ご自身の選んだ道を一歩一歩
歩んで行かれ
しあわせになられることを
一国民として願っています。
ご結婚おめでとうございます
言霊~西川悟平氏のトーク&コンサートに行って
西川悟平氏は
東京2020パラリンピックの閉会式で
ピアノ演奏して
世界中にその名前が
全世界に轟いたピアニストで
その演奏スタイルから
奇蹟のピアニストといわれている。
実は彼は
海外でピアニストとして
活躍中に
ディストニアという神経の病気にかかり
ピアノを弾くときに
左手の2本しか使えず
右手と合わせて7本指を使ってしか
ピアノを演奏できない
7本指のピアニストとも
よばれているのだ。
病気によって
完全な指の機能を失い
絶望したあるいはできなくなったことに
意識するのではなくて
5本指、7本指でも弾けることに
意識を向けると
有り難い気持ちがわき上がって
現在の状態に復帰するチャンスに結びついた。
また
ピンチをチャンスに変える
言霊についてのお話を
ご自身の経験を幹に
話をされた。
まずピンチが起きたときに
「何とかなる、自分はついてるから」と
何度も何度も唱えるのです。
何度も、何度も・・・唱えていると
こころの中の感情の変化が現れ
ピンチの状況を
こころのどこかでうらやんでいた気持ちが
気づくと
このピンチの状況がなかったら
ひょっとして大事故やもっとピンチが訪れたかも?と
思いつくと同時に
感謝の気持ちが
あふれてきたそうです。
このピンチの状況が
ありがたくて
その感謝の気持ちを伝えたくて
その場にいた方に
感謝の気持ちを伝えたそうです。
すると
後から後から
多くの人の手だすけがあり
ピンチがピンチでなくなって
逆に幸運にもなったという
話をされた。
ピンチの時に
そのピンチをどのようにとらえ、思い
その思いを言葉に表現するで
ピンチがチャンスに変わるのだと
教えていただきました。
言葉に
自分の気持ちを変え、行動が変わり
周りのエネルギーは確実に変わることを
改めて実感しました。
そんな話を聞きながら
これは
神様が僕に伝えたかったことかもしれないと
思うと、熱いものがこみ上げてきて
早く家族に
そしてみなさんにも
しあわせな時をすごす方法をお伝えしたくて
たまらなくなり
今こうしてブログを書けることに
僕自身もしあわせをいただいています。
西田さん素晴らしいコンサートに
いけたことに感謝です。
ありがとうございました。
価値観を変えるために
今の生活を続けるとどうなるのか
今の生活でいいのかどうかを知るために
定期的に検査をすることを
お勧めしています。
異常な点がなければ
現状のままでよく
患者さんご自身も
データを診る自分自身も
ホッとします。
難しいのは
やはり異常データがでたとき。
それまでの生活を改めないと
もっとからだは悪くなるので
生活の改善を提案します。
甘いものをこのまま食べ続けると
高カロリーのものを食べすぎると
将来糖尿病になりますよ。
このまま高血圧状態が進むと
脳出血、心筋梗塞になりますよ
など
少し脅しにたように
生活の転換を患者さんに迫ってしまいます。
でも
今までの価値観を変えることって
大変なことだと思います。
例えば僕自身も
病気をした後も
病気になる前に乗っていた
少し大きめの車を変わりなく乗っています。
少し大きい方が
運転しているときに
からだ自体にくる負担は少ないので
今は乗っているけれど
今後
年をとってくると
どうしてもからだの機能が衰えてくる
次に車を変えるときには
永く乗るために
自分のからだと相談しながらの
選択に迫られるかもしれません。
その時に
車を変える時
車種選択のメリット、デメリットの
バランスを考えて
決定するといいのではないかと思ったのです。
食事の選択もこれと同じでしょう。
今まで続けてきた習慣を変えるために
今の生活をそのまま続けることの
デメリットだけで判断するのではなく
楽しくなることを考えてみる。
例えば・・・・
生活を変えることで
体重が減り、今まで着れなかった服のサイズも
着れるようになり
おしゃれの選択が増える。
からだも軽く運動もしやすくなる。
人から褒められることも多くなり
うれし思うことも増えてくるかもしれない
などなど
生活を変えることで
単純に病気を防ぐということだけでなく
毎日の生活が豊かになることが
増えてきませんか?
そう考えると
今の習慣を変えることって
難しくないですよね。
価値観を変えて
変わる楽しみを見つけてみましょう。
魂の痛み
我が国の
ホスピス医学の第一人者であり
現在もホスピス医学の第一線で活躍中である
柏木哲夫医師の
インタビュー番組を観た。
2500名以上の患者さんを看取り
患者さんの死の瞬間に向き合い
その瞬間に感じた思いを
語られた言葉は
とても重く、深く
でも患者さんの気持ちに寄り添えてるかと
苦悩にも満ちた日々から
感じた確かな言葉が
僕の心にも重くのしかかってきた。
2500人以上看取った患者さんで
忘れられない2名の患者さんを
紹介された。
ひとりは
大社長さんで末期の膵臓癌で入院されてきた患者さん。
その患者さんは
富も名声も、いわゆる生きているうちに
手に入れられる全てのものを
文字通り手にされててた患者さん。
その患者さんは、柏木先生に
不安だ、死ぬのが怖い
この不安をとることを必死で願われたけど
医学では痛みをとることはできても
こころの不安をとることはできなかった。
患者さんの不安をとってあげることができず
看取った患者さん。
もうひとりは
末期の肺がんで入院されてきた患者さんは。
その患者さんはクリスチャンで
自分の死期を悟られてるのでしょう。
2週間で神様のところに行きますが
それまでの間この胸の苦しさだけを
とって下さいとお願いされたそうです。
その患者さんに治療をし
神様もお恵みがあったのでしょうか
3日後には息苦しさもなくなり
2週間後に逝かれたそうですが
最後の言葉は「行ってきますね」と言われ
安らかに旅立たれたそうです。
人はなくなるときは
生きているうちに
身につけていたものが
全て剥げ落ちて
魂だけの状態となって
旅立つのかもしれません。
死ぬときは
この世で手に入れたものは
何一つもって逝かれません。
持って行けるものは
魂の部分だけ。
人は
魂の修行をしに
この世に生まれたとしたなら
満足した、望み通りの修行ができて
平穏な魂の状態で
魂の世界に戻れる
(死を迎える)生き方をすることを
目指さなければいけないんでしょう。
魂の求める生き方とは
自分でしかわかりませんが
自分に素直に生きていくことで
気がつくのかもしれませんね。
