真実の医療」カテゴリーアーカイブ

しあわせに生きるための条件

今の日本は
物質的に恵まれ、
世界の中で戦争しているところを知っていても
戦禍に巻き込まれているわけでもない
そして
医療水準、教育水準も
世界的にみても高水準にあります。
世界中からみると
きっとしあわせを感じている国民だと
思われていることでしょう。

でも
僕たちはしあわせでしょうか?
今年も10月末時点で
18000人以上の方が自らの命を絶っているという
統計があります。

それぞれに理由はあるのでしょうが
自ら命を絶つのは
今の現実に悲観している
すなわちしあわせと思うからではないでしょうか?

僕は
人間がしあわせであると感じるためには
二つの条件があると思います。

一つは、自分の人生に対して
目的、目標を感じて生きているかどうか?
すなわち、自分の人生と向き合って生きているか?

自分の生きていく目標、目的を持っていると
どんなに苦しい時であっても
その先のあるべき自分の姿を描いいると
苦しい時間も自分にとって必要な時間だ
と思えれば、いつかこの苦しい時間を
乗り越えられると思えるでしょう。

ここで注意したいのは
目標、目的が
お子さんなどの大切な人のためではなく
自分自身も目標、目的だということです。

あと一つは
自分を超える大きな存在と
つながっているという感覚があること。

今世間では
宗教と政治の関係が問題になっていますが
宗教に依存するというわけではなく
生きていくためには
自分ではコントロールできないことがある
ということ。

朝、目が覚めるって
自分の意志ではどうしようもないこと。
寝ている間にも、心臓は動き、息ができているから
僕たちは目覚めることができたのです。
朝、太陽の光を浴びて
温かさやぬくもりを受け取れるのも
僕たちの力ではどうしようもないこと。

そう考えると
目覚めたことに感謝
その後生きていることに感謝しませんか?
誰に感謝?
自分の英知を超えたところにある
何か大きな存在があり
生きなさいと生かされていると思いませんか?
だから
このいのち、この時、この瞬間を
大切に生きようと思えませんか?

僕たちが
今ここにいるのは
何かの大きな目的があるから
生かされているのだと思うのです。

だから
いのちは大事にしないといけないのですね。

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物に溢れた時代だから必要な感謝の気持ち

セミナー出席のため京都を訪れたので
少し足を伸ばして
洛北の鞍馬寺に行くことにしました。

鞍馬寺は
源義経が幼少時代過ごした寺としても有名で
天狗とともに修行したなど
数々の伝説が残されている。

そして
僕が個人的に敬意を払い
度々お会いし直接ご指導いただいた方も
若いときこのお寺に導かれるように
訪れ修行をしたと聞いていたので
僕もいつかは訪れたいと思っていて
その時が訪れた。

交通方法を調べようと
HPを拝見したら
鞍馬寺の香仁貫主様が遺された詩が掲載されてました。
山奥のお寺でしたが
そこには愛と慈悲にあふれた場所でした。

僕が説明するより
この貫主さんの遺された詩を読めば
伝わるのではないかと思うので
最後にその詩を紹介させて下さい。

「生活即信仰

戦後、我々は 復興に
一生懸命 努力し
物が豊かになってホッとした
たしかに便利になったが
それに満足せず
もっともっと 楽に生きられる
ようになって走ってきたが
豊かさや便利さを求めすぎて
バランスが崩れているようだ

しかし 世界に眼を転ずれば
苦しんでいる子供達や
食べ物すらない人も多くいる
多様な地球の生物が絶滅している
もう一度  自分の暮らし方を
見つめ 考え直すときがきている

「朝の目覚め」「顔を洗うこと」「食事のこと」
「沐浴」「眠り」が
単なる日常茶飯事の作業ではなく
宇宙代生命に生かされている
暮らしだと気づき めざめたい
「ありがとう」という感謝の念に
満たされた日々の暮らしのあり方
そのものが信仰ではないだろうか  」

宗教問題でも揺れる今の日本
今の時代だから
自分の生活を見直す必要があると思うのです

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信貴山参拝の思い出

2022年も残り少し
今年もコロナウイルス共に一年過ごすことを
模索した虎年になった気がします。

虎といえば思い出されるお寺が
奈良の信貴山にあります。
いつかいってみたいと思っていたお寺で
寅年の時には
このお寺を開かれた
聖徳太子も受けられた特別なご祈願ができると
聞いたので
この機会を逃すと12年後に
行けるかどうかわからないので
診療の穴を空けずに
お参りをすることができることがわかったので
思い切って行ってきました、

寅年のご祈祷を受けさせて
いただきました。
内容についてはお話することは
できないのですが
ご祈祷が終わった後
本堂から見た太陽、
斑鳩、伊勢湾まで見合わせた風景は
僕の胸に深く深く刻まれました。

このお寺は
本堂でお参りできるだけでなく
空海さんとの縁も深く
四国の88カ所のお遍路と同じ体験ができる
お堂があったり
毘沙門天の仏様以外にも
多くの仏様ともご縁がいただけるお寺です。

お遍路や、お寺を巡ることは
体力的にも難しい自分には
ありがたいほどのご縁をいただいたお寺。
信貴山は、お寺のアミューズメントパークても
言えます。

近くにバンジージャンプもできるところがあり
次回は
バンジージャンプを経験して
新たな体感を経験しようと画策してます。

みなさんも
機会があれば、奈良の信貴山を訪れては
いかがですか?

ちなみにお寺の中に泊まることもできますよ。

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スープとイデオロギー

在日コリアン2世の母の韓国、北朝鮮そして
日本でいきた母の苦悩を描いた
ドキュメンタリー映画をみた。

韓国現代史上最大のタブーとされる
「済州4.3事件」という大虐殺事件を体験し
挑戦総連の熱心な活動かでもあり
1970年代に帰国事業で
3人の息子達を北朝鮮に送り
その後も資金などおを送り続ける両親に
日本に残ったひとり娘で
本映画の監督であるヤンさんに
年老いた母が
済州での体験を語りはじめる。

その体験を思いだし
語ることで、時空が逆回りするかのように
母のアルツハイマー病が進行しだす。
そして
亡くなった夫の帰りを待ち続ける母。
母の時間はどんどん逆回り。

そんな時
やン監督は12歳年下の彼との結婚を決意する。
母は日本人との結婚は
認めないといっていた母親が
ヤン監督を彼が愛してくれることを感じたのか
韓国のおもてなし料理の
スープを作りもてなす。
彼は、そのスープを気に入り
母を本当の母のように尽くす。

スープを飲む食卓の光景は
3人のこころが
深く強く結ばれていったことを伝えてくる。

北朝鮮のこころをもった母親
韓国人として日本人として生きていく娘
日本人としてコリアンの歴史を受け入れ
人として愛をもって生きる夫。
この3人の姿
それぞれの思いがあっても
愛があればすべての問題の解決になることを
教えてくれた映画だった。

暗い、悲惨な歴史の中で生きていく人の
姿を見ることで
現在戦争中のロシア、ウクライナの可決だけでなく
愛があれば、愛を示せば
すべての問題が解決するのだと感じさせてくれた
映画だった。

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どうすればしあわせになれるか

それは
今日一日を喜んで生きていけばいい。
でも、喜ぶことには、覚悟がいる。
苦しい時も、悲しい時も喜こんで受け入れないといけないから。
よろこべば
よろこび事が
よろこんで
よろこびを集めて
よろこびが来る
どんな時も、どんなことがあっても
よろこんで受け容れる生き方ができたら
きっとしあわせな人生なんでしょうね
今日、東京のセミナーでこんなお話しを聞きました。
そして
自然流育児を提唱されている真弓定夫先生に
お会いすることができました。
ご高齢のためこの夏クリニックを閉院されましたが、
しっかりその熱い熱いお気持ちを感じ、
受け止めることができたことに
よろこびの一日に感謝感謝です。

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あたりまえ

以前、僕が支持している
溝口メンタルスクール校長の溝口先生が
こんなお話をしていました。

「元気がない。平和でない」って
あたりまえのことになっているこの世界。
これってあたりまえのことではない
だから
「みんなを元気にするために
みんなに平和が訪れるように」
力を尽くさないといけない。

そのために
人のあり方を学ぶことが大事だと
教えていただきました。

AI時代になっても
人を癒やすのも
人をしあわせにするのも
機械ではなく人
それも
ひとの温かい心だと思います。

病気になると
心も冷えてきます。
心が冷えると
ますます元気がなくなってしまいます。

心も温かくなる
医療を
今日も、明日も、明後日も・・・
ずっと、ずっと届けようと思います。

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神の経がいのちの親へと続く

前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。

生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。

つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。

神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。

受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。

僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。

僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。

生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。

いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう

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生みの親といのちの親

この世に生まれてくるためには
必ず父と母がいます。

この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。

血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。

血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。

でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。

受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。

3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。

この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。

僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。

ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。

いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。

両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。

僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。

両親にも感謝
そして
いのちを育んでくださった
大きな存在にも感謝して
生きていかないといけないですね。

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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見えていないのは人間だけ?

目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。

実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。

虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。

このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。

見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。

今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。

だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。

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