真実の医療」カテゴリーアーカイブ

コロナウイルス感染症にならないために

新型コロナ感染症が
  まだまだ終息する気配はなく
  緊急事態宣言は終了したものの
  患者数は全国的に
  増加傾向にあり
  変異株の報告など
  ついに
  まん延防止法が適応される地域が出てきたり
  不安材料は増えるばかり。

  それを阻止するために
  ワクチン接種を期待するものの
  ワクチン不足などがあり
  不安解消の材料には至っていません。

  でも
  ここで冷静になって
  考えてみましょう。

  コロナ感染から防ぐのは
  ワクチンだけでしょうか?
  感染対策ができることは
  三密の回避、マスクの着用、手洗い、消毒
  しかないでしょうか?
  実はこれは感染しないための対策ですよね。
  
  コロナ感染症は
  確かに全世界中で多くの方が罹患し
  その数3000万人以上とも言われます。
  確かに全世界的パンデミックと言えます。
  でも、よく考えてみると
  そのうち、なくなった方は100万人以上おられ
  その方々には
  確かにどうかしていのちを助けてあげられなかったかと
  思います。
  しかし、その数、全感染者のうちの3%しかなく
  97%の方はいのちを助すかったんですね。

  そのほとんどが助かってるんですよね。
  ですから
  発症することばかりに 
  注目するのではなく
  なぜ発症しなかったことに
  注目すべきかと思います。

  発症しなかったのは
  己自身の免疫システのおかげ
  いわゆる
  自分自身の免疫力、すなわち自然治癒力の
  おかげではないでしょうか?

  ですから
  ワクチンだ
  他の人からワクチンをもらわないようにする
  感染対策も軽視はできませんが
  それと同時に、いやそれよりも
  自分自身のからだを整え
  自分の免疫力を整える生活を
  心がけないといけないと思うのです。

  そのために
   食生活を乱れないように
   睡眠や運動不足などの生活習慣の乱れ
   ストレスによる自律神経の乱れ
  をおこさにようにすることが大事になります。

  でも
  このような生活をしていると
  脳が疲れます、腸が弱り
  免疫力が破綻しています。

  でもからだはとても優秀で、
  過酷な状況におかれても
  必死でからだの状態を維持するために
  歯を食いしばって頑張ってくれるのが
  ご自身のからだなんです。

  ですから
  症状が出たり、免疫力が落ちたときは
  からだから緊急の赤信号が出ているときなんです。
  そうなる前に
  からだが黄色信号を発しているときに
  対応してあげれたら
  コロナにかかることも
  いや、病気になることもないでしょう。

  そんな時に、役立つのが
  当院ナチュラルメディカルセンターで行ってる
  未病健診です。

  コロナと共に生きていく時代だからこそ
  役立っていただけると思ってます

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難しかったことは今でも難しい

小さい頃の思いでの中
  今も思い出すのは
  年中さんの頃でしょうか
  ひとりでお着替えをすることを覚え
  母に
  着ていくものを出してもらって
  ひとりで、誰の手も借りずに
  着替えをするのですが
  難しいのは
  カッターシャツを着るとき
  ボタンを留めるときでした。

  目のボタンを留めて、
  次は袖のボタン。
  まず左の袖を
  片手の指だけを使って
  留めるのですが
  前のボタンを留める時より
  片手だけで留めるので
  難易度も上がって
  少々緊張しましたが
  利き手の右手だったので
  少し時間がかかっても
  指先を器用に使って
  いつもきちんと留められました。

  そして問題なのは
  次の右手の袖のボタン。
  これが難しいかった。
  不器用な左手だけを使い
  ボタンを穴に入れて
  押し込んで、少し持ち上げて
  ボタンの穴に固定する。
  これが、幼いときも
  時間をかけてもうまくいかず
  ついに母に泣きついて
  ボタンをあっという間に
  留めてもらったことを
  今も思い出します。

  というのは
  今も左手が病気の影響で
  以前より動き悪いのです。
  ですから
  今でも右袖のボタンを留めるとき
  とても緊張します。

  指先に感覚を込めて
  穴を探り、指先で穴にボタンを押し込み
  ボタンのお尻を少し持ち上げて
  更に押し出すようにして
  ボタンの全体を穴から外に押し出すのです。
  病気の後もとても難しさを感じてますが
  多少左袖よりも時間かかりますが
  ひとりでボタンを留めることができています。

  
  今は感覚的でなく
  左手の動きを頭で理解しながら
  動かして
  ボタンを留めています。
  左手の袖のボタンを留めるだけでも
  とても複雑な作業なんですね。
  それが
  今できるようになったのは
  リハビリのおかげでもありますが
  ふと
  幼いとき、母に着替えを手伝ってもらった
  記憶が蘇ったとき
  昔から(幼いとき、生まれたときから)
  今の状態を想定して
  生まれて来てたんじゃないのか?
  ずっと、左手の不器用さに合わせて
  生きていけるように対応して生きていたのかも?
  と思うのです。
  
  生まれ持っている肉体の状態、力には
  全て何らかの意味があるような気がするのです。

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桜の花の下で

  今週末は雨が降り
  雨が上がると
  今まであれだけ花一杯満開だった桜が
  若葉の姿になっていました。

  今年も桜が満開の姿を
  みせてくれました
  そして、雨が色んなことを
  浄化してくれた気がします。

  思い返せば、去年も
  桜が咲く春を心待ちにして
  桜の花をいっぱい、満足するまで
  観ることができました。

  今年も
  例年よりも早い開花で
  満開が近づいた日に
  大雨が降ったけど
  そんな大風、大雨に負けることなく
  その後も満開の姿を
  みせてくれました。

  そんな桜の姿を見て
  桜の花は
  雨が降るから、風が吹くから
  散るわけじゃない
  雨にも、風にも負けない力がある。
  桜の花は咲くのも、散るのも
  自分で決めている。

  そこに
  桜の、そして自然の、宇宙からの
  大きな力を感じるのです。
  人にも、木にも、動物にも
  全ての自然にみなぎっている
  生命の力があるのです。
  その生命の力に気づき、その存在を伝えることが
  医者を含めた科学者の役割ではないでしょうか。

  植物学者レイチェル・カーゾン氏が
  著書「センス・オブ・ワンダー」で
  生命の探求は
  自然の中の美しさを発見、感動する心をもつ
  その不思議に感動する心をもつこと。
  自然、生命、宇宙を愛する心から
  生命への探求がはじまる。
  と、仰ってるように
  自然のもつ美しさに感動し
  人のもつ力強さに感激し
  そうすることで
  今生きていけてることを喜び、感謝する気持ちが
  芽生えることで
  生命への探究心が始まるのです。

  今生きていて
  目にする、耳にする、心から感じる思いを
  大切に生きていくことが
  何をするにもとても大事なことだと
  満開の桜の花が教えてくれて
  来年の春会えるまでの僕の成長を楽しみに
  今年の桜の花は
  散って行かれました。

  桜さん
  今年もありがとうございました。
  来年もお会いできるの楽しみに
  僕もまた頑張ります。

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人が煩悩をもってるわけ

  人は
  肉体をもってこの世に生まれてきた。
  肉体を持って生まれてきたため
  生きるために
  食べたり、眠ったり
  自分以外の人たちの結びつきの中で
  日々過ごすことが
  必要となりました。

  必要なことなのですが
  悪い面にもなるとこが
  指摘されています。

  それが
  貪欲、怒り、愚痴と言われる
  3つの煩悩です。

  貪欲なのは
  がむしゃらに
  生きる糧を求めていないと
  生命を維持できないから。

  怒りは
  困ったことなど
  自分のエネルギーの足を引っ張ることが
  起きたときに
  その負のエネルギーに負けない力が
  怒りとなって顕れます。

  そして
  現状に満足するだけでは
  生きていけないことが起こったとき
  現状を振り返ることができなければ
  その後改善することができません。
  ですから
  愚痴も生きるためには
  必要なことなんです。

  ですから
  貪欲に目的に向かって生きること
  前進するために
  怒りのエネルギーを推進力に変え
  現状をかえるために
  愚痴のエネルギーをもつこと。
  どれも
  生きていくために必要なことだと思いませんか?

  この気持ちがないと
  僕たち人間は生きていけないのです。

  それなら、なぜ?
  仏教では3つの煩悩といって
  戒めているのでしょうか?

  その理由を
  僕は、こう考えるんです。

  生きていくために必要な煩悩でも
  使い方によっては悪になる。
  それが、必要な物か、煩悩のなるかは
  我々人間しだい。
  つまり
  煩悩ならないために
  人は理性をもたされたのだと思います。

  煩悩の使い方を学ぶために
  知恵、理性をもつ人として
  僕たちは生まれてきたのです。

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メタトロンとは

  サンタキッズ&ファミリークリニックでは
  西洋医学を中心に現代医療を中心に
  診療をしていますが
  それとは別に
  ナチュラルメディカルセンターで
  これまでの医療とは全く
  意を異なる医療を行っています。

  ナチュラルメディカルセンターでも診療を開始し
  2年半が過ぎましたが
  同様の医療を行ってる医師は
  それほどいなく
  ある意味手探りではじめた医療。
  きっと
  緒方洪庵先生などの
  歴史に名を残す先生方がそうであったように
  医療そのものより
  患者さんから教えてもらうことも多かったと思います。

  メタトロンを使った
  いわゆる波動医療も、僕自身も
  日々わかったこと、進歩、進化
  して行ってます。
  ここでの医療について
  今日は少しお話したいと思います。

  メタトロンを行うと
  からだの様々な部位
  臓器から、細胞、染色体、遺伝子までの
  エネルギーの低下
  すなわち自然治癒力がどれくらいあるかが
  わかります。

  自然治癒力とは
  からだが元々もっている
  病気にならない、病気に負けない力とも
  いえますが
  この力が低下していると
  病気になってしまいます。

  でも
  急に病気になるわけではなく
  健康な状態から
  徐々に治癒力が落ちて
  自力での回復が認められなくなると
  自ら症状をだし
  薬、手術などの治療が必要な状態となり
  その時点になると
  人々は病院を受診をし、治療が始まると
  考えます。

  でも、実際は
  医学の力を借りずに
  自力で治そうとからだは
  免疫力、神経など持てる力を総動員して
  元気で暮らせるように
  まさにからだをはって
  僕たちを守ってくれているのです。

  僕たちは
  自分のからだであっても
  実際、からだがどのような状態で
  どのようにからだを守ってるか
  知らないで過ごしてます。

  知らなくてもいいのかもしれないですが
  からだが頑張っていることを
  気付いてあげると
  からだも喜んであなたを支えてくれます。
  
  そのことを
  気づいてもらえる
  わかってもらえると
  誰でもうれしいですよね
  それが人情というものですよね。

  からだが頑張っていることに気づき
  頑張っていることに
  感謝の気持ちを伝えることが
  メタトロンの役割です。

  最近はやりのことばでいうと
  自然治癒力を上げる
  自己免疫力を上げる
  自分のからだの内なる声を聞く
  と言うことになるのでしょうね。

  ナチュラルメディカルセンターでは
  あなたの内なる声を聞く
  新しい医療をこれからも更に進めていきます。

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河井克之元法相の懺悔に思う

河井克之元法相が
  参議院選広島選挙区をめぐり  
  100人n約2900万円を使い
  買収したととして
  公選法違反の罪に問われている
  ことはみなさんご存じのことと思います。

  最初は罪を認めず
  無実を争う姿勢であった氏だが
  290日を越える拘束期間の後
  最近になって
  「信頼を裏切り万死に値する」と
  罪を大筋を認められ
  議員辞職を決断された氏。

  氏の動向と主に
  発言された氏の
  心の動きに沿った素直の言葉に
  人間の弱さ、でも
  真実に気づくことの大切を
  教えてもらっている気がして
  このブログにあえて描かせていただきます。

  
  氏は自分の行動を振り返って
  「お金で人の心を買えると思っていた
   自らの品性の下劣さに恥じるばかりです」と
  本当に心から反省した人の生の声だと思います。
  心は物によって失うこともあるという
  お金の危険な面を教えてくれました。

  また妻案里氏に対して
  後悔の念を次のように語っています。

  「彼女は
   参議院として国民に尽くすことができると
   夢と希望を膨らませていました。
   夫であるわたしの行為によって
   政治精米を経ってしまった」と。
    
  愛は人をしあわせにする大切な感情だけど
  そんな愛でも人を傷つけてしまう
  こともあるのです。

  氏の行動の発端は
  妻案里氏への愛に対する
  ちょっと曲がった行動だったのでしょう。
  
  自分にも、みなさんにも
  自分本位の愛が
  行動の源になっていることはないでしょうか?
  
  氏の心を変えたのは
  ずっと心の指導者であった
  牧師さんの言葉です。
  「自分の内面に誠実に向き合って下さい」と。
  
  自分の内面?って
  きっと、なぜこの世に生まれてきたのか?
  魂に刻まれている生まれてきた使命
  今ここにいる意味
  魂について考えなさいということだったんだ
  と思います。

  氏は
  心から懺悔して
  大切な物を気づかされたのだと思います。

  そして
  氏のした行動は
  罪のあることだけど
  氏のこうした行動が報道されたことで
  僕をはじめ
  多くのかたが様々なことに気づかされた人も
  多いと思います。

  これが
  魂からの選挙活動だった
  彼の使命だったような気がします。

  彼は
  人の前に現ることもなくても
  バッチがなくても
  この世のための政治活動をされる
  かもしれません。

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仕事ができるためのリハビリ

  退院するための目標は
  病気をする前の状態
  日常生活に戻るということです。

  そのために
  起きる、歩くにはじまり
  着替える、食べる、排泄をする
  お風呂に入るなど
  日常生活を自力で過ごすことを目指します。

  ただ
  そのことができただけでは
  人間として
  満足に生きていける訳ではありません。

  生きていくためには
  仕事もしたり
  自分の趣味をもって
  生きていく糧を得ないといけません。

  ですから
  リハビリ中は 
  常に退院後の生活を頭に置いて
  計画をたてて行います。

  実際は
  細かい計画を練って下さったのは
  作業療法士の先生方です。

  いつも
  診療内容について聞かれます。
  パソコンを打ったり
  注射をしたり
  健診などの診察方法など
  できるように
  指導して下さるのです

  あるときは
  抱っこができる
  赤ちゃんのお人形をもって来て下さって
  実際の患者さんの思って
  診察してみて下さい。
  と言われシュミレーションして下さいました。

  今の機能で診療はできるのですが
  人形と違うのは
  動くし、重さも違うので
  お人形におもりを一杯担がせたり
  あるときは
  リハビリ師の先生に寝てもらって
  実際に引き起こし検査などもしました。

  こんなリハビリをしてる患者さんは
  これまでいなかったのでしょう
  何をやってるのかと
  注目の的でした。

  でも
  お人形準備して下さったり
  様々な準備をして下さっておかげで
  退院してから、現在まで
  やるべきことはできているので
  リハビリの先生方には感謝です。

  自分の残された機能を伸ばして
  できることを更にできるようにしていく。
  リハビリは、小児科医の僕にとって
  それはまるで
  今までずっと寝ていた赤ちゃんが
  首が座り、お座りができて
  立って、歩き出す・・・などという
  発達の段階を
  かみしめながら成長を確認する
  勉強の時間でもありました。

  こどものように
  スムーズに発達を獲得することはできませんが
  こどもたちは
  物は言いませんが
  こんな気持ちでこの時期を過ごしていたんだと
  こども目線で考えることができました。

  この時の経験が
  今の小児科医として
  病気をする前と比べて
  こどもたちの、患者さんの気持ちに
  寄り添えることができたからだと思います。

  これも
  入院中僕をご指導いただいた
  先生、看護師さん、リハビリ師さん他
  スタッフさんのおかげです。

  一年経った今でも
  変わらず感謝しております

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1丁目1番地1号

  サンタキッズ&ファミリークリニックを開院して
  今年で丸10年になりますが
  ここに病院ができたのには
  色んな思いがありますが
  それを象徴的に示すのは
  ここの住所でした。

  元々あった土地に
  サンタを立て替えたのですから
  ここの土地を選べたご縁を強く感じます。

  ここで開院しようと思ったのは
  自分だけど
  新田1丁目1番1号という住所を
  選んだわけではありません。

  建物ができあがる直前に
  住所案内を作ろうと
  ここの住所を知らないことに気づき
  市役所にいきました。

  市役所で
 「どこどこで今度病院を建てるので
  住所を教えて下さい」
  と尋ねると
  窓口の人は・・・
 「建物の壁はできあがりましたか?
  それなら、これから決めることになります」と
  少し奥に行かれると
  奥から、上司と思われる方が出てこられて
 「元○○だったところですよね。
  そこは新田1-1-1で
  通常は建物が建ってから番地をつけるのですが
  あそこは
  次回病院が建つことがわかってたので
  1丁目1番1号をとっていたので
  1丁目1番1号を引き継ぐことになります」と
  言われた。

  1丁目1番1号
  偶然にしてもすごい住所。
  新参者なのに
  こんな住所いただけて・・・
  とてもうれしく思ったと瞬間
  頭の中に
  ひとつのイメージが頭に浮かんだ
  
  建物に次々
  表情の暗い、うつむき加減で人が入っていき
  建物から出るときは
  うって変わって
  ニコニコ、キラキラした人たちが
  出て行くのです。
  その笑顔のまま家に帰り
  その家ではその笑顔が広がり
  その後次々灯りがともるように
  明るい家が広がっていくのです。

  そう
  僕が願う
  ここからしあわせな笑顔が広がるんだと
  いうことを確信しました。

  今でも
  ここからしあわせが広がることを
  願って日々過ごしています
  
  新田1丁目1番1号という住所は
  僕には
  神殿1丁目1番1号とも思えるのです
  今ここにいることは
  偶然なことでしょうか?

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みんなの中にいる神様

  入院していたとき
  感じた、わかったことのひとつに
  自分のからだの中には
  自分をいつも守ってくれている力があること。

  それまで
  どんな生活をしていても
  例え、道徳にひどいことを
  していたとしても
  いつもどんな時も
  自分を守り抜いてくれる力が
  あることをかんじました。

  それは
  入院中は、
  からだに備わっている自然治癒力だと
  思って今も自分の中にある
  自然治癒力はあると確信するに至っていますが
  退院後一年経ち
  その思いは変わっていませんが
  自然治癒力だけでなく
  きっと自分の人生全てを見守ってくれている力が
  あることを今は疑っていません。

  その力は
  神様の力だと言っても言い過ぎではないと
  思います。

  自分のからだの中には
  いつもどんな時でも、どこにいても
  自分を見守ってくれている力があると
  確信しています。
  その力って・・・・
  表す言葉はすぐには浮かばないけど
  ひょっとして
  この力が神様のご加護というのかとも
  思うのです。

  神様が
  いつも守ってくれているのだから
  自分を信じて、生きていくことは
  神様にお任せして毎日過ごせいいんだ。
  神様のご加護の元
  生きていけばいいと思えば
  どんなに毎日生きていくのが楽になることでしょう。

  
  それから僕は
  神様の力、ご加護を感じたときには
  手を合わせて感謝するようにしました。
  その時、お祈りについて気づいたことがリます。
  それまで
  神社にお参りにいくのは
  初詣、誕生日、厄年、受験など
  神様の御利益を期待して、願い
  お参りに言ってたんですよね。

  でも
  御利益をお祈りするのではなく
  今こうして生きられることに感謝の気持ちを
  神様に伝えないといけない
  これが神様の喜ばれるお参りだと
  気づいたんですね。

  自分の中にいらっしゃる神様に
  感謝することは忘れてはいけないことに
  気づいたと同時に
  神様は
  自分以外の人の中にもいらっしゃってるんですよね。
  もちろん、木にも石にも、動物にも花にも、物にも
  全ての中に神様がいらっしゃるんですよね。

  日本では
  八百万の神と呼んで
  全ての物に感謝の気持ちを伝えいるんですよね。

  全ての物、人の中にいらっしゃる
  全ての神様に感謝して  
  神様にお任せして
  毎日一生懸命大切に生きていけば
  必ず神様からのご加護があるんでしょうね。

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僕にとっての入院の意味は

  一年前の3月29日は、
  約3ヶ月から退院した日です。

  当時もそうですが
  今でも自分にとって入院って何だったのか?
  と考えることがあります。

  これまでの生活、生き方を改めるため
  それもある気がします。
  休養の意味もあったとも思いますが。

  退院してから
  考え方、しないといけないこと(使命感)など
  大きく変わった気がします。

  僕の医療に大きな影響を与えてくれた3ヶ月
  今この一年を振り返ると
  留学して勉強していた期間だった気がするのです。

  僕は医療を志したときから
  研究者をしても生きていきたい
  そのために留学したいと
  ずっと思ってましたが
  どういうわけか
  その願いは現在まで叶っていません。

  これまでの歩みに後悔は全くありませんが
  なぜか大学院に行く機会はなかったし
  医療を深く研究する機会もなく
  ずっと臨床畑一筋に歩いてきました。

  不思議なことに
  専門医になったときに
  みんな自分の専門分野を決めて
  専門グループに属して専門医の知識を深めるのですが
  その時も
  不思議と医局の指示に束縛されることもなく
  歩いてきました。

  少し
  先輩、後輩の先生と違う道をあるかされてるなぁ
  と思わずにいられないこともあります。

  でも僕の今の状況を考えると
  専門という領域に縛られない
  現在の医療でさえ何ものにも縛られず
  自分の意志だけで
  開業もしたし、それまで使っていなかった
  漢方薬を医療に取り入れたり
  その後西洋医学とは全く異なる
  波動医学を取り入れる医療を行えてるんだと思います。

  医学界で
  僕はしがらみに巻き込まれなかった。
  ある意味
  神様が敷いてくれた医療の道を
  僕は歩かさせてもらっていることに
  退院した日を振り返ると思わせてくれます。

  僕が
  今、魂の医療、真実の医療を
  勧めるために、様々なことを経験し
  勉強するための期間だったと思います。

  退院した日は
  僕にとって必要な留学から帰国した日。
  だから今、こうして
  入院の意味、感じた意義を
  胸を張ってみなさんにお伝えできるのです。
  
  目に見えるものとしての学位、権威なんて
  持っていないけど、
  もっと、医者として、人として大事なものを
  神様から準備していただき
  学ばさせてもらった気がする。

  僕が一番したかった、
  必要だった勉強をさせてもらい、
  そして一年前の最高の学位をもらいました。
  神様、ありがとうございます。

  一年前の退院の日は
  僕のこれまでの医療からの卒業、旅立ちの日
  だったのです。

  これからも医道を精進します。

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