「心の調べ」カテゴリーアーカイブ
道
死亡率は100%
人間には寿命があります。
どんなに健康に気をつかい、
最新の医療を受けたとしても
いつかは死んでしまいます。
これは
避けることのできない運命です。
今日本の平均寿命は80歳程度ですから、
現在の年齢で平均寿命を考慮して
自分はこれから何歳ぐらい
生きれるのか?生きたいのか?
が考えることができます。
そして
それを目標に
今から10年をどう生きるのか?
20年後はどうなっていたいのかという
ビジョンを立ててみると、
生きていく目標がはっきりしてくるでしょう。
100歳まで生きようとすれば
大変な努力が必要です。
でも50歳まで、60歳まで、70歳まで
健康に生きるためにはどうしたらいいかを
10年刻みで考えれば、
具体的なイメージもできやすいでしょう。
すると
意外と時間の流れの速さも感じるかもしれません。
すると、一日一日が貴重に思え、
大事に過ごせるでしょう。
そして
目標まで十分満足して生きることができれば、
その先は、これだけ頑張ったからと
後は自由に生きるという決断もできます。
残りの人生をいかに充実させるという、
クオリティ・オブ・ライフを考えていくという
人生の選択もできます。
そして誰でも最後の時を迎えます。
でも最後を自分ひとりで決めることはできません。
元気でぽっくり逝きたいと思っても、
現代医学では
死なせてもらえず、
寝たきりや長い長いリハビリ生活を
余儀なくされることもあります。
長生きをすれば認知症の問題もあります。
どう生きていくのか?を考えると同時に
どう死ぬのかも考えていく必要があります。
それには、年齢、性別、環境、性格、
そして
人生観や死生観といった要素が全て絡み合っています。
あなたと同じ人生を歩む人はひとりもありません。
あなたの生き方に悔いが残らないように、
どうやって生涯を終えたいのかを
考えて生きてくことも、
どう生きるのかと同じように大事だと思います。
しあわせになりたかったら
“しあわせになりたかったら”
しあわせになりたかったら
誰かをしあわせにしてあげたらいい
苦しんでる人
悲しんでる人
辛い思いで悩んでる人
慰め、励まし、勇気を
届けよう
人にたいしてだけじゃない
動物にも
小さい虫にでも
誰かが助けが必要としているなら
手助けする。
手を差しのべる。
そうすること
そうできること
それこそが
しあわせになることなのかも
運命を分けるのは①
毎日色んなことが起きます。
日々変わらないと思って
平凡な毎日を過ごしているように思えても
振り返ってみるちると
出会う人も違うし、やってることも違う
全く同じ日は一日としてないはずです。
その違いのある日々を
どう過ごすか、どう過ごしたかで
人生の結果は変わってきます。
日々のわずかと思える変化、出来事を
どうとらえるかどうかで
その後の人生はだんだん変わってくると思うのです。
そして、人生を分けるのは
「何がおこったか」ではなく
「起こったことをどう解釈するか」ということに
かかっていると思うのです。
やわらかく生きる
生きにくい現代社会だから
みんながこんな風に生きていけたら
しあわせな世界になるんじゃないかなぁ
と思って、こんな詩を作ってみました。
“ふわふわ、やわらかく”
やわらかく
いきていこうね
とんがらず
ふわふわとやわらかく
あせらずに
むりせずに
ふわふわとやわらかく
みんなとも
しんじあいながら
ふわふわやわらかく
からだも
いたわりながら
ふわふわやわらかく
やわらかくいきていくと
きづいたら
しあわせになっていそう
忘れられない密な自粛生活
コロナ期間は、今でも
個人的にも色々忘れられない時間が
多くあります。
特にコロナ期間の自粛期間の時間は
僕にとって
入院時間と同じくらい忘れられない
とっても貴重で密な時間でした。
入院中はできなかった
家族3人で過ごすという
それまであたり前だった時間。
朝の散歩から始まり
毎日
妻と娘が一緒に作ってくれた食事を
3人で笑顔で食べ
たまには
手作りのケーキなどおやつを持って
友人の恵みいっぱいの畑や
人のいない大自然の中で過ごす。
そして夜になったら
3人で川の字になって寝て・・・・
また朝になったら、お散歩に行って・・・の繰り返し。
いつも家族3人一緒
何をするにも3人一緒でした。
妻と娘の話し声が
妻と娘といる空間と時間の流れが
僕のからだを心地よく癒してくれました。
自粛期間の家族との密な時間でした。
その後
こんなに長く家族3人で一緒に過ごした時間って
あっただろうか?
これからもそんな時間ってあるだろうか?
退院した後一番望んだことは
家族3人で過ごす時間でした。
この願いを
神さまがそしてコロナウイルスが
叶えてくれたんだと思います。
本当に感謝の日々でした。
今朝いつもの神社には
ひとりでお参りして
神さまに毎日生きていることにお礼して始まった一日。
今日もそしてこれからも
この穏やかな日々が続くことを
願うばかりです。
あたりまえ
いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた
でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた
あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ
あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く
ドゴール「果物採集」
自然には
人を癒す力がある。
そのことを伝えた詩を紹介します。15
ドゴールの詩「果物採集」
「危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まることを乞うのではなく
痛みに打ち克つ心を乞えますように
人生という戦場で味方を探すのではなく
自分自身の力を見いだせますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
成功のなかにのみ
あなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、
失意のときにこそ
あなたの御手に握られていることに
気づけますように。」
この詩の中に
だれにもどんな時でも
生きていく力が自分自身の中にあること
そして
しあわせに生きていくヒントがあるような
気がしたのでご紹介します。
同窓会に参加する理由
還暦を迎えた今年
旧友との再会する機会が増えてきました。
先日も高校の同窓会に参加しました。
そこには
恩師にお会いして
さすがに学生時代よりは見かけは
だいぶん年月を感じますが
その話しぶり、やさしい眼差しは以前と変わらず
恩師と話していると
僕の時計が逆回りして
あっという間に学生時代の自分に戻るから不思議です。
そして
旧友はかなり変わりました。
会っていない期間が長いからなのか
顔を見てもすぐには思い出せないのです。
それは自分だけでなく
旧友も自分を観てもよそよそしいのです。
そして、初めましてのように名刺交換して
名前をみると・・・
「あ、○○ちゃん、元気にしとった?」
「今、何してる?」と
それまでとは打って変わって話しが始まりだし、
どんどん時計の針は逆回りしだし
僕たちを懐かしい時代に戻してくれるのです。
そして、最後は同窓会は
とても楽しかった・・・となるのですが
同窓会の意義をちょっと考えてみると
昔の知人、恩師に会いたいという気持ちは
昔の自分に戻りたいという願望の現れかもしれない。
また自分の顔かたちは直接自分では観られないから
自分と同じ年代相手に対面し
相手に違和感がなければ、
老けたことを自覚しなくて済みます。
そうすると少しは気持ちから若返って刳るのかもしれません。
同窓会っていいことがたくさんある。
あの世があると思って生きてみよう
死んだらどうなるのか?
あの世があるかどうかの
答えがでることは
生きている限り得られることはないでしょう。
ですから
死んだあとのことに
永遠にこの世ではわからないでしょう。
でも
生き方として
あの世があると信じて生きるか
あの世がないと思って生きるかを
選ぶことはできます。
もし
あの世なんてない。
死んだら全て終わると考えたら
自分の好きなように生きる
自由気ままに生きてもいいんです。
そして死んだ時
本当にあの世がなかったら
楽しいことも全て無となってしまいます。
あのときの楽しさは一瞬で消えてしまいます。
なんか虚しいですよね。
逆にあの世があったら
楽しかったけど
もっと周りの人も考えて生きればよかったかな
自分勝手な生き方を後悔することでしょう。
もし
あの世があると思って生きると
楽しい時も苦しい時も
全てのことに意味があると考えられ
感謝の気持ちをもって生きることでしょう。
そして死後の世界がなかったとしても
その時に全てがなくなっても
苦しいことも報われ、無になっても
満足、納得して消えることができる。
もし、あの世があれば
なつかし人に再会を喜び
生きてきた人生を労ってくれることでしょう。
あの世があると信じて生きた方が
充実した人生を送れるように思えませんか?