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「心の調べ」カテゴリーアーカイブ
心豊かに過ごすためにできること
11月になると
朝晩は冷え込む日も多くなりました。
診療のある日は
日が昇る前に家を出て
神様にごあいさつと
日の出を拝んで一日をスタートするのが
僕の日課です。
でも、休日は
時間に縛られることも少ないので
少しのんびり起きて
家族の予定に合わせて
ゆっくり朝食を食べ
それから
神様のお参りに出発します。
いつもは
まだまだ暗く
すれ違う人も
まばらな感じで
みなさんおそれぞれのルーチンワークが
あるのでしょう
黙々とおつとめをされている感じで
すれ違っても
挨拶さえ、はばかれそうな気がします。
でも
休日にすれ違う方は
お散歩を楽しまれる余裕もあるのでしょう。
すれ違うと
あいさつはもちろんのこと
ちょっと立ち止まって
ひと言、二言雑談をすることもあります。
お互い気持ちに余裕があるからでしょう
飼い主がリラックス為ているからでしょうか
一緒にお散歩しているわんこも
尻尾を振ってあいさつしてくれます。
お互いとても心地よく
別れ、お散歩が続けられます。
これは休日だからではなく
気持ちの余裕を持って
一日のスタートができれば
その日はきっといい一日になるのでしょうね。
休みの日だけでなく
仕事の日も
気持ちの余裕を持って
行き交う方々とあいさつしようと思います。
そんな些細や心がけ一つで
その日が心豊かな一日に変わることは
間違いないと思います。
カテゴリー: 心の調べ
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進路指導
医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。
それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。
自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。
ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。
でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。
何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。
その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。
みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。
僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。
その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。
僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。
神の経はいのちの親へと続く
前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。
生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。
つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。
神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。
受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。
僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。
僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。
生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。
いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう
カテゴリー: 心の調べ
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科学と宗教
アメリカ大陸の先住民の
インディアンは
風貌も白人とは違って
どこかアジアン風であり
その先祖が日本と共通なのかな?
と思ったり
それだけでなく
考え方にも惹かれる面もあるので
今日はカナダの
ネイティブインディアンの宗教についてです。
カナダのネイティブインディアンの
宗教の出発点的な考え方は
第一に
「自然界をありのままに見て
しかも
これはだめ、あれはだめ」と
言わないことなのだそうだ。
ありのまま、ありのままに受け入れ
受け入れると
「なぜ、自分だけがこんなに不幸なんだ」
なんて、悲観的な考えは浮かばず
苦しくても仕方がないと
今の状況を現実のまま受け入れるのです。
受け入れるとも
現実は苦しいことは変わらない。
そんな時
第2段階として次のように考えるようになるのです。
「この苦しみは
この宇宙のからくりの中で生きている中での
起こったことは苦しみは
幻なのだ・
本当の世界に戻ったときに
この苦しみから解放され、救済されるのだ。
だからこそ
この世での悪行を止め
苦しみに耐え忍び、救済を待つ」
と救済を信じて生きているのです。
第一段階の
ありのままに受け入れるという
この姿勢が
科学発達の出発点であり
その科学という先に
宗教があるのだと言うことを
ネイティブインディアンも伝えているのです。
科学の先にあるのが
真実のこころ、魂のことが
わかるのではないでしょうか?
そこは目で見えない世界
だから科学と区別して
人は宗教とよぶようになったのだと思います。
カテゴリー: 心の調べ
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うがいができない
診察中に
外から帰ってきたら、手洗い、うがいをしましょう
と言われても
まだ、うがいができないんです。
とか
赤ちゃんなのでうがいができないので
どうしたらいいでしょうか?
と質問されることがあります。
そこで、今日はうがいについてです。
鼻やのどからウイルスや細菌が侵入してきます。
そして
鼻やのどの粘膜に
ウイルスや細菌が長い時間くっついて
そこで増殖するので、風邪をひいてしまいます。
ですから
かぜをひかないため(予防する)ためには
のどや鼻についたウイルスや細菌を洗い流せばいいのです。
うがいは
のどや鼻を洗うことです。
洗うことで
細菌やウイルスそしてチリやほこりを洗い流してくれます。
また
のどを適度に刺激することで
粘液(唾液)の分泌や血行を良くしたり
のどの潤いを保って繊毛運動の衰えを防ぎ
抵抗力を整えることができます。
そして
最近うがいが風邪を予防することが可能だと
いう研究発表もされています。
余談になりますが
インフルうエンザにおける
うがいの効果は???なんです。
というのは
インフルエンザウイルスが
のどに侵入すると
20分以内に細胞内に侵入してしまうと言われます。
ですから
20分毎にうがいをしたら
予防できるかもしれませんが・・・・
現実的には難しいですよね。
でも
しないよりは、した方がいいのは
間違いないですよ。
こまめにうがいをする習慣は大切ですよ。
最近
インフルエンザに対して
紅茶のうがいがよいと世間では言われていますが
確かに、紅茶の成分であるカテキンが
ウイルスの粒子にくっついて、
ウイルスの細胞内への侵入を防ぐ・・・なんていわれていますが
まだ、その効果については
????です。
うがい、
すなわち”ガラガラ、ペー”ができるかどうかは
かなり個人差があります。
小学生になってできるこどももいるし
2歳でできるこどももいるし
かなり個人差があります。
ましては
赤ちゃんはできませんよね。
うがいができないからって
あわてないで大丈夫です。
外からかえったら
手を洗って、
お口の周りをきれいに拭いて
お茶やお水を飲ませてあげて下さい。
うがいは
お口の中を洗い流すことですから。
ウイルスはのどで増えますが
飲み込んで、胃の中に入ると死んでしまいますから。
風邪は予防が大事。
外から帰ったら
手洗い、うがいの習慣を
小さいときから、しっかり身につけて
風邪をひいて
あわてないようにしましょうね。
☆ 運動会も無事終わりました。
子供たちの頑張り、成長している姿に感動、感激。
写真を撮りながら、目が何度もウルウル。
これも、先生方のご指導のおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいでした。
運動会後のお疲れ様会にい、お呼びいただき
感謝の気持ちを込めてご挨拶させて頂きました。
そして、恒例の写真撮影を
校長先生、教頭先生、長年ずっとこどもたちを見守り続けて
下さってるSさんと写真撮影。感謝の1日でした。
ありがとうございました。
教頭先生、手がかぶっててごめんなさい。
カテゴリー: 心の調べ
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進化して得たもの失ったもの(9/22、9/24臨時休診です)
人は
単細胞の原始生物から
多細胞の生物へと進化しました。
単細胞だった生物が
多細胞となり、その後も進化を続け
どんどん生き物は大型し
人間は脳が発達し
非常に高度な存在になりました。
進化の過程で
得たものは数々ありますが
実は、失ったものもあります。
それは、不老不死です。
原始生物は
不老不死の世界を生きていたと
考えられています。
原始生物は
無酸素の状態で生きれる
解糖系と呼ばれるシステムを使って
エネルギーを得て、生きていました。
環境が劣悪になると、分裂活動を
一旦ストップ
環境がもどれば
また分裂を開始し
細胞自体が
食べられたり、焼かれたりしない限り
つまり
個体が消滅しない限りは、
分裂が続き
命は永遠に続くのです
人を始め全ての生物は
その肉体を維持するため
大きなエネルギーが必要となりました。
大きなエネルギーを得るために
無酸素の解糖系だけでなく
酸素を原料にエネルギーを生み出す
ミトコンドリアが発達しました。
ミトコンドリアおかげで
大きなエネルギーを得ることが
できたのですが
それと引き換えに
体に対して毒性を持つ
活性酸素が発生するようになりました。
活性酸素は
鉄が酸素にさらされると錆びるように
肉体を錆びさせ
病気にもなり、老化するようになったのです
つまり
全ての生物は
進化することを選び
それと引き換えに
不老不死を捨てたのです。
今更、不老不死の世界には戻れません。
そして、誰にも公平に死は訪れます。
あなたは、
原始生物のような不老不死の世界に
戻れたらいいと思いますか?
僕は不老不死の世界に
生きなくてもいいと思います。
それは命に限りがあるからこそ
生きている喜びが感じられるからです。
☆ 昨日の朝は、防府市倫理法人会のメンバーと
防府駅前の清掃をしました。
これでお盆で帰省された方を
気持ちよくお迎えすることができると思います。
終わった後は
コメダコーヒーでモーニング。
飲み物を注文すると、
トーストと卵が付いてくる大サービスにびっくりでした。
明日から16日までおやすみをいただきます。
みなさんもいいお盆をお過ごしくださいね。
カテゴリー: 心の調べ
進化して得たもの失ったもの(9/22、9/24臨時休診です) はコメントを受け付けていません
ほめる育児
突然ですが、こんな話を聞きました。
「人はなぜ悪行ばかりを見つけるのだろう。
悪行は確かに良いことではないけど、悪行があるから善行がある。
ならば
悪行を少なくするために苦心するより、
善行を探し、見つけ、それを愛でた方が、人は善良になる。
たとえ過去に悪行を行った人がいても、
その後のその人の善行を褒め続ければ、二度と悪行しなくなるものである。
ゆえに人の道とは、
人の善行を探し、褒め、認めれば、善行の輪が大勢を支配するのである。」
これは、孔子が人の育て方を説いた時の言葉です。
人を育てる方法は、まさに子育ての方法。
4歳から11歳の間、ずっと怒られ続けたこどもは
おとなになって、褒めらた時、どんな風にリアクションしていいか
わからなくなるといいます。
そして、褒められたことのない人は
褒められても、「いえいえ、そんなことはない」と
否定して
褒められたことを素直に、そして謙虚に受けとれないそうです。
「ほめられたら伸びる」が子育ての極意。
そういえば、診察中でも、
アーンが上手にできたねとか
注射がんばったねと伝えると
うれしそうに帰って
次回からは自分一人で診察できるようになるこどもがいます。
こども達は、褒められたがっている。
褒めて育てると
「褒めは7割、叱り、注意は3割」を実践すると
伸び伸び、素直なこどもに育ち
大きくなった時も、あわてなくていいかも
☆ この絵は、年長さんの患者さんが、注射をする前に
「先生書いたよ」って渡してくれました。
こんなイケメン先生に映ってるのかな?
夢を壊さないように 頑張らないと。
明日から日曜日まで参禅会です。しっかり自分と対峙します
カテゴリー: 心の調べ
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古代日本の真実の姿は
昔から
古代の日本の姿に興味があり
「古事記」を読むのが好きでした。
古事記を読むと
神々の活躍がとても神々しく
現代に生きている僕の心に
力をくれている気がして
何度も何度もくり返し読み
淡路島などの
古事記のはじまりの伝承が残る地を
訪れたりしてました。
楽しく、興味をもって
接していたのですが
どこか遠い神話の世界
そして
名前しか出てこない神様が出てきたり
神話であるから
少し遠い世界に感じて
真実の姿を知りたくて
ページをめくりながら
どこか悶々としたところもありました。
そんな時
ひょんなきっかけから知った
「ホツマツエ」という古文書
その内容の真偽に対しては
色々な意見があるようですが
どこか引きつけらてしまいました。
同じ古代日本の歴史で
古事記の内容と一致する部分はありますが
古事記とのちがいは
神話でなく、全て生きている人の記録として
描かれていること。
古事記との違いもあり
びっくりしたのは
アマテラスの大神様が男性であったり
その奥さん瀬織津姫様だと書かれていたり
読み進める内に
へー、ホーとそうだったのか
びっくりすることだらけ。
古事記での記載も
同じこともあり
より詳しく、具体的に
みなさんの功績がしっかり書かれていたり
僕の興味のある
ニニギノ命のこともしっかり書かれている
あっという間に
惹きつけられました。
カテゴリー: 心の調べ
古代日本の真実の姿は はコメントを受け付けていません
神との対話
入院中リハビリ以外の時間は
安静の時間でした。
からだを休めるのが目的だけど
こころを休めるのも大事なことでした。
そこで
日頃読めなかった本を
例えば小説など
気持ちがゆっくりしないと
落ち着いて読めないような
小説など中心に読む
読書の時間がとれました。
また
買っていたのに
いまだ読んでいなかった
いわゆる積ん読のままだった
本を読むのには
いい時間だと感じ
外泊を許された日に
積ん読されたままの本の背表紙を見渡し
手を伸ばしたのは
Nウオルシュ著「神との対話」でした。
この本は、全く普通の主人公が
人生のどん底にあったある日、
突然始まったまった神様との対話を記録した
本だった。
その内容は
主人公に対しても衝撃だったけど
読んでる内に
神が主人公に話しかけている本の中の世界ではなく
僕自身に話しかけてくれているかのように
神が話しかけてくれいる気がしたのです。
神が話してくれた
自分について、人生について
魂について、人生について・・・
様々なことを
何もわからない僕にも
理解できるように
根気強く説明してくれるのでした。
ハッとさせられる
気づきの時間でした。
でも
本を閉じると
神はいなくなり
神はやっぱり
本の世界での話だと思ってしまいました。
そして
神と対話できる
主人公をとてもうらやましく思えました。
本を読む度に
神に出会えるので
僕にとって
読書は至福の時間でした。
本はいつかは終わります。
読み終わった時は
まだまだお話したい気持ちになりました。
また神に会いたいとおもってたからか
別の作者の
神様との会話を記録した本にも出会うことになるのです。
その本のご紹介はまた次の機会に
この時間は
神様とほんとに会ってたような
対話していたかもしれないなぁ
と今では思うような
不思議な時間でした。
カテゴリー: 心の調べ
神との対話 はコメントを受け付けていません
