「子育て」カテゴリーアーカイブ
褒めて育てるために覚えておくこと
昭和の時代に育った自分から
今のこどもたちの教育方針は
かなり変わってきたと思う。
自分たちは
しごきなどと言われるような
歯を食いしばって
愛のある指導をうけて成長してきた。
しかし、現代の多くの教育方針は
褒めて育てるという。
親も先生も指導者も叱ってはいけない。
自分たちの時代は愛ある鉄拳も日常茶判事だったけど
今は、どんな理由があろうとも
全て暴力と捉えられてしまうらしい。
そして
指導を受ける側も
「僕はは褒めて伸びるタイプなので
叱らないで下さい」という
こどももいるようです。
その言葉を聞くと
さすがに違和感を感じるのです。
褒められることだけを
相手に望んでいると
褒めると伸びるどころが
いつも自分の殻から抜け出せない
こじんまりとした人生になりそうで
ちょっと心配になります。
褒めるにしても
何から何まで褒めるというのは
ちょっと違うと思うのです。
ですから、褒め方にに注意なのです。
例えば
何から何でも褒めていると
褒められることが当たり前になり
ほめられないと
不満や不安を感じるようになってしまいます。
注意しないといけないのは
何かをさせるために、褒め言葉をくり返すだけだと
自信過剰に陥って
予想外の失敗を経験した時
失望がとても大きくなってしまいます・
だから、必要以上の褒め言葉が
おだてになってはいけないのです。
また
何か褒めることを探した時に
外見のことばかり褒めていると
自分の内面がわかってもらえない
と自身喪失に繋がってしまいます。
褒めればいいというわけではなく
褒めるリスクもあるのです。
それでは、どう褒めればいいのでしょうか?
それは、「すごいね」「えらいね」という
相手を評価する言葉ではなく
自分が感じた素直な気持ちを
伝えるのがいいのです。
勉強頑張ってくれるし
いい子でいてくれるから
いつも笑顔で過ごせるからありがとう。
とか
ごはんも残さず食べてくれるから
料理作りがいがあるわ・・・など
気持ちを素直に自分の言葉で伝えることが
いいと思うのです。
そのあなたの素直な気持ちが
一番の褒め言葉なんです。
こどもは宝だけど
今も昔もこどもは宝だというのは
変わらない事実です。
そして
こどもにはしあわせになってもらいたいのも
親の願いだけでなく
社会の願いだけでなく
社会の役割なのも現代も過去もかわりません。
でも
そのやり方や考え方は
今と昔は異なってきていると思います。
今はこどもが成長に必要な
食料や教育を不自由なく提供できる
社会になるように
こども手当という
お金を給付している政策。
お金のばらまきだと
非難されることもある。
確かに子どものいる家庭
特にこどもの多い家庭には助かるし
実際にそういう声も聞かれるけど・・・
これが少子化対策になるかというと
疑問に思う。
小児科医として
30年以上働き
こどもの病気は減らないものの
こどもが亡くなるという
最悪の事態を招くことは
激減しているのを感じ
これは医療の進歩だと
喜んでいいことだと思います。
現代は
こどもはおとなになるのが
当たり前のことになっている時代に
なっているから
こどもの将来に対して
思いや願いを込めるご家族が
ほとんどだと思う。
しかし
昔はこどもは
元気におとなになることは
当たり前のことではなかったので
今よりもこどもの今が続くことを
祈り、願って
子育てしていたことだと思います。
その意識の現れが
コロナ流行期のマスク着用の意識に
現れていたと思います。
もちろん、コロナにかからないために
こどもたちにもマスク着用をすることが
求められましたが
実際、今でもそうですが
老人の方が
コロナの直接の影響を受けて
いのちを落とすことがわかっていました。
そして
老人はこどもよりも
これから先生きている時間は短く
いのちを落とす可能性が高くなるので
老人のいのちを守ろうという考えが
無意識下で働いていたような気がします。
こどもはマスクして不自由しても
感染はいつか終わるし、その後の人生は長い
でも、老人はコロナを乗り越えても
いのちは短い。
老人を守ろうという考えに
シフトしていた気がします。
いのちは平等で、尊いものなのは
今も昔も
どんなに医学が発展しても、社会が変わっても
変わらない事実です。
どんな世の中になっても
おとなもこどももいのちが輝いている
世であって欲しいと言う思いが年々強くなってきたのです。
人事を尽くして天命を待つ
桜が開花の時期になりました。
桜が咲き始める頃になると
出会いと別れがあるなど
我々の生活環境が大きく変わることを経験します。
特にこどもたちにとっても
卒業、入学など
新たな一歩を踏み出す時期になります。
そして
この時期新聞を開くと
○○中学校、何名合格
△△高校、何名合格
□□大学、何名合格 など
いわゆる俗に言う学校に入った(入れた)ことを
謳う広告をみて
ふと、思ったのです。
ここに名前が上がっていない
学校に合格した人もいるだろうし
がんばったけど
落ちてしまった人もいるだろう。
実際にあった人はいないけど
その喜びを謳う広告をみて
様々な表情の顔が浮かんでは消え
・・・・
しばらくして
これは「人事を尽くして天命を待つ」という
言葉の真意に触れた気がして
そのことを
ブログに書こうと思います。
今生きている世界には
因果の法則があり
自分がある結果を求めて
一生懸命取り組まないと
結果はでないと言う法則があるので
人は、頑張り
いい結果が出るように願ったりします。
それなら
一生懸命やったのに
結果が出ないのは、失敗なのでしょうか?
僕は一生懸命やった先にある結果は
成功であれ、失敗であれ
きちんと受け入れる
受け止めることが大事なんだと思います。
人は
魂が成長するためにこの世に生まれてきて
そのために、なにを経験すべきかを
決めてこの世に生まれてきたと言います。
ですから
どんな結果が出るかは
生まれる前から決まってたのかもしれませんし
その結果を踏まえて
どう過ごすかが
魂の成長につながるのだと思います。
少しスピリチュアルな言い方をすると
自分の行った行動から出た結果が
どんな結果であっても
それは神様が自分のために必要な結果なんだと
言うことに気づくと
どんな結果も受け入れて前に進むことができますよね。
自分のやった結果にこどわらず
目標にむかって
心や体全体でありったけの
知恵と勇気、力を振り絞って
自分が願う、思う世界を描き
努力して最善を尽くす。
その後
描いたとおりの結果が
例え手に入らなかったとしても
それは、神様いえ、自分の決めた道なのだと
受け入れましょう。
結果に囚われ、心奪われないことが大事なんです。
と言うことを
「人事を尽くして天命を待つ」の
真意だと思うのです。
受験生のみなさん
ほんとうにお疲れました。
みなさんが頑張ったことは
ご自身が、そして神様は
ちゃんとわかってくれています。
だから
望む、望まない結果に関わらず
胸を張って、笑顔で歩いて言って下さいね。
人生には旬がある
子育てをしている時
忘れてはいけないのは
人生には旬があるということ
生まれて死ぬまでの間
生まれてからすぐは
生きていくための
循環、呼吸、神経、内分泌など
生物として
大袈裟に言えば
地球上に生きていく
力を付けていかなければなりません。
その後
少年期には
人として生きていくための
社会性、道徳性などを身につけ
今後生きていく術を身につけていきます。
そして、青年期は
少年期に身につけたものを
更に伸ばすために
様々な経験し
自らの力を伸ばし
その力を使いつつ
自ら生きていく場を整えていきます。
社会の場で生きていく内に
生きがい、生きる意味など
精神的成長を続けていくのです。
そして
成長していく内に
老年期に入ると
今までの人生で身につけたことを
次世代に伝えることも
大きな役目になってきます。
そして
死が訪れた時に
自分の人生で学んだことを
伝えきって終えるのでしょう。
このように
その時、その時代で
やるべきこと、旬があることを知って
生きていくべきだし
これは子育てをしている時も
頭に置いておかねばならないてっんだと思います。
人生には旬があると言うことを。
ストレスは判断力を高める
ストレスは
何かと病気の原因であると言われます。
確かに
精神的なストレスが高いと
免疫力が低下し、
ガンになりやすくなるとも言われます。
確かに
ストレスがあるといえば
マイナスイメージが生まれがちだけど
プラス面があります。
それは
適度のストレスは人間を成長させる面も
あるということ。
適度のストレスは
交感神経を刺激して
判断力や行動力を高めてくれます。
またストレスを感じたから
予想以上の力が出るのです。
つまりストレスを感じると
火事場の馬鹿力がでるのです。
自分の価値
あなたは
どんな人ですか?
あなたって
どんな人か説明できますか?
あなたのの顔ってわかりますか?
意外と
自分のことってわからなくないですか?
自分の顔を知りたければ
鏡をみればわかるはずだけど
”あの人と比べたら、かわいくない”
”あの人より、目が小さい、鼻が低い”
”あの人と・・・”なんて
あなた以外の人と比べてないですか?
逆に
人から言われて
肌がつるつるしてる
髪がきれい
くちびるがふっくらしてる
・・・・など
初めて自分の魅力に
気がつくことがあるかもしれない
自分のことって
意外と知らないものだと思いませんか?。
自分の外見だってわかりにくいのに
自分の良さや能力なんて
もっとわからないもの。
勉強や仕事をする時
誰かと比べてしまったら
集中できないし、
あの人が気になって
心が上の空になってしまいます。
そして
誰かと比べて
”あの人より劣ってる”なんて
不安に思ってしまうこともあるかも。
人と比べるってことは
ないものねだりをしてる
実はとっても我がままな行為なんだとおもう。
外見にしても
内面にしても
みんな持ってるものが違う
ってことに気づいてほしい。
あの人が持っているものを
あなたは持っていないかもしれない
けど
あなたが持っているものは
あのひとは持っていないはず。
自分が持っていないものを
欲しくなるのは人間の性。
あの人と同じものを持ちたい
と思うのも人間の性。
あの人と同じものを持ってしまうと
また
別のものを欲しくなってしまうのも
人間の性。
だから
人の持っているもので
満足することはできないんだと
思います。
”人がもっているものは
永遠に手に入れることはできない”と
思った瞬間に
自分の中に大切なものがあることに
気がつきます。
そして
自分の中にある
大切な宝物を
探してみたくなるでしょう。
自分の中にある宝物なら
きっと
いつまでも大切にしようと
思うでしょう。
他の人が
持っていようが
持っていようが
関係ない。
あなただけがもっていたい
あなただけの
大切な宝物
そんな宝物は
みんな持っている。
もっと自分に関心を持って
自分の中にある
宝物を見つけてみましょう。
自分の中にある
自分らしさを見つけましょう。
他人からみた自分の価値ではなく
自分の中の宝物を発見したら
きっと
自分の素晴らしい価値を
誇らしく、大切に
思うでしょう。
自分らしさとは
実は
”神様からもらった果実”
神様からもらえる果実は
1種類だけで
自分の手で持てるだけという
決まりがあります。
だから
他の人がもっている果実を
持つことはできません。
取り替えることもできません
分かちあうこともできません。
その果実は
あなたしか見つけることができません。
あなたしか手に取ることはできません。
あなただけの果実
その果実は
自分で、自分のために
大切に味わうことしかできない。
そして
その果実は
永遠にあなたを支えてくれます。
”自分らしさ”という
神様にもらった果実を
さあ、見つけてみて下さい。
☆週末は、
美容師の MIKIKOさんとフォトグラファーの美智子さんに
1日お付き合いいただき自分らしさ発見の時間を過ごしました。
本当に自分って自分ではわからないものだと実感。
わくわく、ドキドキしっぱなし。カメラの前で、もっと輝きたい
と思った刺激的な貴重な時を過ごせたことに
感謝の時間でした。
自信を回復させてくれるもの
今日は、
自分にとって
元気や自信を回復させてくれるものって
なんだろうか、考えてみました。
僕にとって
元気や自信を回復させてくれるものは、
きっと自由な時間だと思います。
ある事柄に一心不乱に取り組み
無事成し遂げた後の
開放感は格別なものがあります。
その時感じた開放感は
何かに解き放されたかのように、
まるで
久しぶりに太陽の光を
浴びたかのように
全身エネルギーチャージされていくような
感覚に全身が満たされます。
そして
疲れがとれ、
気がつくと次へのエネルギーに
充填されていくのを感じます。
その心から解放される時
自由な時間をどのように過ごしているか?
実際に好きなことをする、
家族と過ごす、友達と過ごす、
好きな本や映画を観る・・・
その時々で自由な時間の使い方は違います。
また、たとえ何もしなくても
自由を感じることだけでも
自分へのご褒美をいただけたような気がします。
自分に元気を回復されてくれるもの
それは、決してモノではないような気がします。
今振り返っても
疲れた時に
心が満たされたモノは
思いつきません。
物ではないような気がします。
自由を得られたことは、
何かから解放されたということ。
自分の明日へのエネルギーであり、
希望へと続くものだと思います。
そして
自らの発展に繋がっていく。
そして
新たな結果を生むステップにつながる。
その満たされた結果自体が
ひょっとしたら
ご褒美なのかもしれない。
何にも束縛されない、
心から溢れる純粋な明日への活力、
未来の成功へのスタートに立てた気持ちが、
僕にとってのご褒美としての
自由なのかもしれません。
あなたにとって自信を回復させてくれるために
必要なものって
なんですか?
“はい”と言う返事
人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事をしていますか?
何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?
小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。
どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?
返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。
そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と人間関係を結ぶことは難しくなります。
だから返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。
そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど
実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。
その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。
何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することになります。
”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。
呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう
返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです
ルール
世の中にはルールや規則ってたくさんある。
おとなにはおとなのルール
そしてこどもにもこどものルール
誰もが守らないといけないルール
がある。
ルールは守るためにある。
でも
ルールを守りましょうと言わても
与えられ、守らされてるルールって
どこか窮屈で
ちょっと反発したくなるかも。
ルールや規則って
嫌なものって思ってるかも
必ず守れるルールがある
それは
自分で決めたルール
自分で守ろうと決めたルール。
自分で決めたんだから
きっと守れると思う。
ルールは
自分を律するための自分のための決まり。
そして
自分自身との約束事。
自分自身との約束事って
何のためにするの?
自分自身の約束は
なりたい自分になるため。
夢を実現するために
するもの。
夢を口にすることは
誰にも言うことはできる。
でも
夢を実現するためには
毎日毎日
夢に向かった階段を
一段ずつ一段ずつ登っていかないといけない。
毎日毎日
とだえることのない営みを続けないと
目指すゴールには到達しない。
そのために
毎日毎日階段を上るように
自分自身でルールを決めて
それを上っていく。
成長するために
自分自身が決めたルールなら
きっと守れる。
そして
自分自身との約束を守れば
必ずや結果はでる。
自分自身を信じて
日々歩んで欲しい
真実の愛とは
聖書(ヨハネ福音書15章13節)に
神父ダミアンの次のような言葉が載っています。
「友のために自分のいのちを捨てること
これ以上に大きな愛はない」と。
つまり
何ものかの犠牲になって死ぬのが愛です。
だから
家族のために
こどものためにいのちを捨てることが
つまり死ぬることが
本当の愛だと言えるというのです。
もし
こどもや奥さんが絶体絶命の状態にある時
自分のいのちを捨てれるかが
本当の愛のしるしなんです。
それができないなら
それはエゴイズムなのかもしれない。
大きな悩みを持った時に
知覧の特攻隊記念館に行き
心が洗われると言う言葉をよく聞きます。
そこにあるのは
特攻隊員の偽りのない真実の愛に
触れるからだと思うのです。
多分今の時代
こどものため、家族のためだと言っても
簡単にいのちは捧げられないでしょう。
でも、こどもも奥さんも家族も
愛しているはずです。
それなら
こどもにはこどもの人生がある。
親がそれをわかっていさえすれば
こどもは自分の人生を歩いて行きます。
その人生を「祈り」「見つめる」ことが
愛だと思うのです。