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「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
風立ちぬ
毎朝起きて
近所の神社までウォーキングを
しています。
病気してからの習慣で
陽が昇る瞬間に
陽の光、エネルギーそして
ぬくもり、温かさをからだ一杯に浴びて
今生きる源のエネルギーを
いただいているような気がしてます。
今の散歩して感じることは
陽の光だけでなく
風を感じています。
以前は
風は、強いか弱いかぐらいにしか
感じることはなかったと思います。
しかし
今の散歩中に感じる風は
頬をなでられたような優しい風
吹く方向も
決まった方向だったり
自分は風を体感できても
木の上の方で風が吹いているのでしょう
木の葉が
ザワザワ音を立ててるんです。
なんだか
風が僕に話しかけてくれてるような
気がするんです。
そう感じるのは
僕だけじゃないことを知りました。
堀辰雄作「風立ちぬ」という小説が
ありますが
その中に、こんな一節があることを
知ったのです。
「風は吹くんじゃない。立つんだよ。
風は確かに目には見えなくて
存在がないように思われているだろうけど
風をあたかも生きているように
大切に感じられる人もいるんだなぁ。」
変わらないと思っているもののなかにも
大切なもの
ひょっとして伝えてくれる
メッセージのようなものを受けとって欲しいとき
風は吹いてるのかもしれない。
風を感じることができるのは
今生きているからできること。
風は風だけど
優しいと感じる風
風に包まれ守ってくれている風
叱咤激励するように
目の覚めるような風
風は目に見えないけど
色んな表情があることを教えてくれる。
今の時代は
”風の時代”に入ったといわれる方がいる。
今は
目に見えないけど
自然の力を通して
僕たちに色んなことを伝えてくれる
宇宙からのメッセージ。
それが風が吹いてる意味。
だから
風は吹いているのでなく
自分のちからで立っている
だから
風立ちぬという言葉
があるのだと思うのです
カテゴリー: 今日の言葉
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ゆきてかへらぬ
中原中也と小林秀雄が
ひとりの女優長谷川康子をめぐる
恋愛模様を描いた映画。
中原中也をいえば
山口県出身の詩人としても有名で
小林秀雄といえば
文学評論家であり
かつて入試などで
現代国語の問題によく出てきた作者。
そして最近
「考えるヒント」という本を読んで
高校生の時も難解な文章だったけど
今読んでも
まだまだ難解な文章に四苦八苦した。
そんな二人が
一人の女性を巡って
三角関係?があったことは知らなかったし
自分的にとてもタイムリーに思えて
是非みないといけないと・・・・観に行った。
世の中で一番の贅沢は詩だとのべ
自分の心の襞を描いた
詩を書くことに才能を捧げた中也。
しかし、詩を書くには
繊細でないといけないから
長谷川康子との恋と別れ
愛する我が子との別れを
経験し・・・人生が不安定になりはじめ
結核も患い
若き死を迎えたことを知った。
長谷川康子も
不幸な生い立ちを抱えつつ
本当の愛を求め生き続けたひと。
様々な恋を経験し過酷な愛を生き続けた康子。
康子の劇中のセリフ
「私たち、神経と神経でつながろうとしましたの。
それが一番深い愛、深い愛だと思ったから。」
それは中也もそうだったのだろう。
桜の開花のニュースが耳に入った。
桜の花を見ながら
二人が語ったセリフ
「この花びらは、散っているのか、散らしているのか」を
思いだし、
僕は、今年桜の花を見ながら
何を感じるだろうか?
カテゴリー: 今日の言葉
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我思うゆえに我あり
デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。
そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。
我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。
だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。
だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。
そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。
宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。
“我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。
現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。
21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?
Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。
我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?
あなたは
神からのメッセージを信じますか?
カテゴリー: 今日の言葉
我思うゆえに我あり はコメントを受け付けていません
時の流れを感じる時
以前入院していた時は
日曜日もなく
毎日、曜日は関係なく
リハビリに取り組みました。
機能回復に重要な時期に
休みなくリハビリに励めたのは
とても有り難いことでした。
でも
ある意味、それは
同じ毎日の繰り返し
今日が何日であっても、何曜日であっても
関係ないのです。
有り難いことだけど
曜日関係を意識しないでいると
時の流れに鈍感になります。
まだまだ認知症の進む年齢でなくても
意識しないと
わからなくなりそう。
病院も
できるだけ季節感を感じてもらおうという
配慮から何でしょう
節分、ひな祭り、バレンタインの時には
まめ、桜餅、チョコのババロアなど
その行事を感じることができる
食事が出てきます。
また
日曜日の朝だけパンがでるのです。
季節を感じる食事をとれることは大事
もっと広くいえば
旬の物を食べることって
からだにとっていいだけでなく
心にも大事なことなんですね。
でも、日々今日を感じるために
個人でも努力することは大事です。
僕は
自由時間には
必ず新聞を読むことを欠かさずしました。
1面からテレビ欄までじっくり
今の世の中の動きを想像しながら
呼んでいきました。
そして、テレビのニュースも
その当時
プリンスダイヤモンド号での
コロナウイルスのニュースばかりで
日常とはかけ離れたこと
そして
今もそうですが
感染者数がどうだと・・・
報道される内容やコメントは
いつも同じだということに気がついたんです。
そんな時
朝起きたら、カーテンを開けて
外を見渡しました。
僕の病室からは
視線に入ってくる人工物は
道、電線以外はありません。
僕の目の前に広がる世界は
毎日違う光景なんです。
予想しない太陽の光が織りなす
刻々と変化する
空の色、雲の形
植物の戻りの色、そして鳥が飛んできて
みせてくれる風景は
一瞬たりとも同じ光景はありません。
昨日見た風景、おととい見た風景とも
明らかにちがう光景。
テレビや、スマホではぜったい感じられない
最高のエンターティメントに
心奪われ
時間が過ぎていくのも忘れて
ずっと窓の外を見ていました。
自然は刻々と変化している
昨日と同じ今日はないことを
教えてくれています。
これは自然の中だけの話ではなく
自然の一部である僕自身も
昨日と違う僕なんだということに気がつきました。
だから
今日も新たな自分に感謝して
一歩一歩歩いていけるんだということに
気がつきました。
入院中の身であっても
今日生きている、
昨日と違う自分で生きられることを
教えてくれた入院生活でした。
そして
退院した今もそのことは続いています。
カテゴリー: 今日の言葉
時の流れを感じる時 はコメントを受け付けていません
「この世に私のものは一つもない 」
たった今、コンクラーベが終わり
新しい教皇が決まったようです。
そんな時
前フランシスコ教皇が最後に残された手紙の存在を知りました。
温かい言葉を残されたことに
とても感謝しています。
温かい世界になることを願い
フランシスコ前教皇の手紙を紹介します。
「この世に私のものは一つもない 」― フランシスコ教皇 ―
この世の
すべての愛する子どもたちへ。
私は今日、
この人生を通り過ぎる者として、
小さな告白を
一つ遺したいと思います。
毎日、顔を洗い、
身だしなみを整え、
鏡の前に立って生きてきました。
その姿が「私」だと
信じていました。
しかし、振り返れば、
それはただの、
一時的にまとう衣でした。
私たちはこの身体のために、
時間を使い、
お金を使い、
愛情と情熱を注ぎます。
美しくありたい。
老いたくない。
病気になりたくない。
そして……
死にたくないと願いながら。
ですが、
結局この身体は、
私の願いにかかわらず、
太り、
病み、
老い、
そして、
静かに私から
離れていきます。
この世で、
本当に「私のもの」と呼べるものは、
一つもありません。
愛する人も、
子どもも、
友人も、
そしてこの肉体さえも。
すべては、
雲のように、
一時的に留まるだけの存在です。
憎い縁も、
美しい縁も、
すべては
私に与えられた
人生の一部でした。
だから、
避けられないなら
抱きしめてください。
誰かがしなければならないことなら、
「私が先に」
そう思って
取り組んでください。
無理やりではなく、
喜びの心で。
やらなければならないことがあるなら、
先延ばしせず、
今日、今すぐに行いましょう。
あなたの前にいる人に、
あなたのすべての心を
注いでください。
泣けば、
解決するでしょうか。
怒れば、
良くなるでしょうか。
争えば、
勝てるでしょうか。
この世の出来事は、
すべて、
それぞれの流れに従っています。
私たちができるのは、
その流れの中で
少しの余白を与えることです。
少しの譲り合い。
少しの思いやり。
少しの控えめさ。
それが、
誰かにとって
温かな息抜きとなります。
そして、
その温もりが、
世界を再び
包み込む力となるのです。
今、
私は旅立つ準備をしながら、
この言葉を
遺したいと思います。
「本当に、
ありがとう。」
私の人生に
触れてくれた
すべての人々へ。
すべての縁へ。
そして、
この美しい世界へ。
「私と縁を結んでくれたすべての人々に、
心から感謝します。」
静かに振り返ると、
この人生は、
感謝に満ちた
奇跡のような旅でした。
どうか、
あなたの人生にも、
このような静かな奇跡が
訪れますように。
心から
お祈りしながら、
この手紙を終えます。
カテゴリー: 今日の言葉
「この世に私のものは一つもない 」 はコメントを受け付けていません
人を愛するとはその人のしあわせを願うこと
時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。
愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。
ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。
若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。
豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?
戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。
これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。
これが人の愛ある行動なのです。
相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。
つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。
カテゴリー: 今日の言葉
人を愛するとはその人のしあわせを願うこと はコメントを受け付けていません
お金を稼ぐ目的は
今後の生活をどうするかを考えるときに
いのちは大事だけど
経済活動も止められない。
そのために、なにができるのかと
政府も人々も悩まされている。
お金を持ちたい、
裕福になりたいという気持ちは
どなたにもあるでしょう。
そしてそのために
働いて、お金を稼がれていると思います。
でも、お金を稼ぐこと一生懸命になりすぎると
働く本来の目的がわからなくなります。
そんな時
海外のある寓話をききましたので
ご紹介します。
それは、次のようなお話です。
メキシコの小さい漁師町の港に
アメリカからハーバード大出身のMBA取得の
ビジネスマンがやってきて
漁が終わったばかりの漁師さんに尋ねました。
「その魚をとるのに何時間漁をしましたか?」
「ほんのちょっとの時間です」
「どうして、もっと長い時間漁をして
もっとたくさんの魚をとらないのですか?」
「家族が食べる分だけとれれば充分ですから」
「漁をしない余った時間はなにをしてるんですか?」
「たっぷり寝て、漁に出て
岸にいる時間は
こどもと遊び、妻と過ごす。
それから村へ行き
仲間と酒を飲み、ギターを弾く
そしてまた漁に出るの繰り返し。
忙しい人生なんですよ」
すると、ビジネスマンが苦笑して
アドバイスをはじめました。
「もっとたくさん漁をして
お金を稼いで
もっと大きな船を買う。
そうすれば、もっと稼げるし
もっと船を買えて、船団を作って
もっと、もっと多くの魚をとる。
そうすれば、缶詰工場を作って
魚を製品加工して
大量に売りさばけば
もっと大金が手に入ります。
大金をもっていれば
都会に出て
おおきな会社を作ればいい。
そうすればお金の心配することが
なくなりますよ」と
提案しました。
すると、今度は漁師が尋ねました。
「そこまでなるのは、どれくらい時間がかかるんだ?」
「20年から25年かな」
「その後は何するんですか?」
「株を売って、億万長者になれるよ」
「億万長者になったら、何をするんですか?」
「引退して
小さな漁村にでも移り住んで
こどもたちと遊ぶ、妻と過ごし
仲間達と酒を飲んで
ギターを弾いてのんびり過ごすのです。
どうだ、すばらしいだろう」
「????」
この話を読んで
何を感じられましたか?
豊かな人生って
お金を持つ、稼ぐ目的っなんでしょう。
ひとりひとりのしあわせってどこにあるでしょう。
お金では買うことのできないもので
身近にあるものかもしれませんね。
あなたの今もってるしあわせに気づき
失わないように過ごすことが
しあわせなことなんでしょうね。
お金、経済活動だけでは
人はしあわせになれないことを
今の時代が教えてくれているのでしょう
カテゴリー: 今日の言葉
お金を稼ぐ目的は はコメントを受け付けていません
人生の三計
人間には成長段階に応じて
三つの計画を立てながら生きています。
「生計」「老計」「死計」の三つです。
若い時は「どのように生きるか」を考えます。
これが生計です。
そして徐々に年をとるにつれて
「どのように老いるか」をかんがえるようになります。(老計)
最後は「どのように死んでいくか」を
考えるようになります。(死計)
サンタブログ202504
本 執行草舟「老に学ぶ」P159
言葉上 127
#8人を愛するとはその人のしあわせを願うこと
時代の流れなのか
愛の形が変わってきていると感じる。
愛し合う二人の選択は・・・
結婚しないという選択
こどもを作らないという選択など
かつてあった
しあわせな家族の風景は
様々な形、生き方が選択できるようになった。
ひとりひとりにとっては
自由に選択できるからいいけど
日本のこと、世界のことを考えると
こどもを減っていくのは
大変なことだと
国はお金をばらまいている。
若い夫婦の経済的負担がかからないよう
子育てしやすいように
できる援助を必死でしているけど
少子化は経済的問題だけではないでしょう。
豊かな生活を維持するために
お金を使っているという風に思えるのです。
そこにあるのは
愛する形が変わってきたのではないでしょうか?
戦争を経験した
我々の両親の時代は
愛する我が子のしあわせのために
自分を犠牲していた。
つまり、自分のことは二の次で
あったことは
幼い時に感じていました。
これが愛の原点かなと思うのです。
本当に愛しているなら
全部自分のために使いたいこころを
人のために使う場所を空けること。
これが人の愛ある行動なのです。
相手のために
自分の時間やこころを空けておく余裕を持てることが
人を愛するという目に見える形だと思うのです。
つまり
真実の愛は、その人のしあわせを願って行動する
これが人を愛する行動だと思うのです。
カテゴリー: 今日の言葉
人生の三計 はコメントを受け付けていません
毎日楽しめばいい
GWが終わりました。
みなさんは、どんな風に過ごされましたか?
みなさん、それぞれ様々な体験をされたのではないでしょうか?
生きていると
病気になることもあるし
仕事が行き詰まったり
人間関係に疲れたり
色んな心配なこともあります。
人は
本質である魂を
肉体という鎧に包んで
この世に生まれてきたと
考える方もいられます。
なんで
肉体をもってうまれてきたのか?
それは
魂すなわち自分自身が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
魂は、平たくいえばエネルギーの状態とも
考えられます。
エネルギー=波動エネルギーともいえます。
エネルギーは
同じエネルギーと引き合います。
ですから、魂の状態では
同じエネルギー状態である
エネルギーと一緒にいる世界でしか
存在できません。
それは
ある意味居心地が
いい世界なのかもしれませんが
似たもの同士の世界なので
ある意味成長することが難しい
世界かもしれません。
そこで
魂が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
肉体をもって生まれることで
魂のもってるエネルギーに関わらず
色んなエネルギーの人と
ふれあうことができるようになるのです。
そして
エネルギーの違う人々と
接触できることで
今までの自分と違う考え方を知ったり
気軽に、自分が望めば
様々な経験ができます。
色んな人と出会い、共に生きることで
様々な経験をすることで
今までできなかった経験をして
その時、自分がどう過ごすかで
新しい世界を知ることになるのです。
いろいろな体験の中に身を置いた時
心が喜んでいることを感じることもあるでしょう。
これが
この世に生まれてきたから経験を分かち合えると
いうことなんだと思うのです。
生まれてきたことは
修行という苦しいものではない
前向きに楽しめばいいんだ。
魂が、もっといろんな経験を楽しめばいい
心から楽しめばいいと思うのです。
今日も、これからも
心から楽しく、喜んで過ごしましょう
カテゴリー: 今日の言葉
毎日楽しめばいい はコメントを受け付けていません
美しい老人になるために
美しく死を迎えたいという人は
多いかもしれません。
しかし、死を迎える前に
多くのかたは老人になります。
美しく人生を終えるためには
美しい老人にならないとなのです。
死はその時にならないと
自分がどうなるかは想像の域を超えないけど
美しく年をとることは
生きているうちに、自分の意志でできることです。
美しい老人になるための
僕なりの条件を書いておきます。
美しい老人は
その人が魂の存在になる前の
人間としての完成形であると
考えるならば・・・
美しい老人になるための条件とは
「人間を人間たらしめるものを
自分の中にもっていることではないでしょうか?」
自分を自分らしく
自分を自分として生きているかが
何であるかと言うことだと思うのです。
言葉で表すのは難しいですが
自分の本心
自分の存在を超えた何か崇高で高貴な
本質的な存在だと思います。
あなた自身が
なぜ今ここに存在しているのか
今この時代を生きてきた理由。
あなたが知らない、気づかない力が
あなたにあることに気づき
その力の源に気づくこと、確信をもった時に
あなたの魂は輝きだし
あなたを美しい存在としてくれるのではないでしょうか?
その答えを探し続けるのが
生きている意味のひとつなのかもしれません。
カテゴリー: 今日の言葉
美しい老人になるために はコメントを受け付けていません