「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
いい日旅立ち
今までの人生の中で
どのような時に
しあわせを感じましたか?
憧れの学校に入学できたとき
仕事がうまくいったとき
好きな人ができた時
こどもや孫が生まれたとき
願いが叶ったとき
不安が解消されたとき
などなど
しあわせを感じた瞬間は
人それぞれでしょう。
しあわせの瞬間は
ひとそれぞれであっても
その根本にある気持ちは
これをするために生きてきた
この人達に出会うために生きてきた
と思える
つまり
「自分はこのために生きてきた」
「人の役に立った」と思えた瞬間
しあわせを感じるのだと思います。
僕は有り難いことに
しあわせを感じながら
日々過ごさせてもらっています。
それは
僕の学んできたことが
微力とも役に立っていると思える
僕に頼ってきてくれた人に出会ってるから
何だと思います。
昔から好きな歌に
「いい日旅立ち」があります。
この歌の、こんな歌詞にひかれます
”ああ~日本のどこかに
わたしを待っている人がいる”
待っている人がいるから
僕は生きている。
これが、僕のしあわせの原点
なのかもしれません。
ナチュラルメディカルセンターが
開設できたのは
僕を必要としている人に
出会うため、治療するため
のような気がして
出会えたことに感謝して
しあわせをいただいています。
いただいたしあわせを恩返しすることが
僕の使命でもあるのだと思います。
感謝です。
かくすれば かくなるものを
この言葉は
吉田松陰が黒船に潜入するも
アメリカ兵に見つかり
吉田松陰は逮捕され
獄に贈られることになりました。
連行中
高輪泉岳寺前で
吉田松陰が詠んだ歌の
上の句です。
この歌は
「かくすれば かくなるものと知りながら
病むにやまれぬ大和魂」
こんなことをすれば
自分は捕らわれ
いのちを落としてしまうことになるかもしれない。
でも、
日本をよくしたいというこの思いは
やむにやまれないという
こころの底から湧き上がる
魂のこころの叫びが感じられます。
奇しくも
今日は衆院議員選挙戦。
この歌のような志を持った方が
当選されることを切に願うばかりです。
運命を変える方法
中国に伝わる徳積みついての
話をきいた。
その話とは
明の時代に最高の出世コースである科挙の試験に
何度も挑戦していた青年に
親は
「もう諦めて
父と同じ医者になりなさい」と諭され
思い悩んでいたとき
将来を見透せる力のある易者と出会い
「そなたは官僚になる人間だから
必ず合格する。
そしてその後の働き方、生活
最後は中央に戻って高い地位に就くが
53歳で一生を終える。
こどもには恵まれない」と断言された。
その後青年は科挙の試験に無事合格し
易者の予言通りの
「人生は既に運命によって決まっているんだ」と
変に納得し
人生をある意味安心して歩んでいた。
そんなある日
今度は高名な禅僧に出会い
自分の運命・人生は決まっている」と
話をすると
禅僧は笑いながら
「確かにその通り。
しかしその通りに生きるのは凡人だけだ。
世の成功者と極悪人は
それぞれの善の力、悪の力に引っ張られて
定められた運命とは違う人生を生きられるのだ。
そして
運命を変え、人生の成功者になるための方法がある。
それが
「徳積」であるという。
例えば
「死にいこうとする人を助けた」
「災害に遭った人を救護した」
「病人の介護をした」
「道に落ちていたゴミを拾った」
「人のために寄付・募金をした」
などであるが
ここでひとつ面白いのは
善行はポイント制だというのだ
規模が大きいほど高ポイントになるというのです。
ただ
「暴力をふるう」
「盗む」「悪口を言う」など
悪い行いをするとポイントが減るというのだ。
この青年は
この禅僧にあった後
3000ポイントをため
こどもに恵まれ、74歳まで生きたとか。
徳積みのポイントを
実際に確認することはできないが
世の中をよくするため
目の前の人を喜ばそうと
そんな純粋な気持ちで徳積みを行えば
ご自身も
そしてその徳は子孫にも恩恵が続くのでしょう。
運命を変える方法は
徳積みなんですね。
生きるとは誰かをしあわせにすること
僕たちは、生きてるだけで
誰かをしあわせにすることができます。
たとえ病に伏していたとしても
生きているだけで
誰かを勇気づけることができます。
逆に
健康なのに
人を苦しめ悲しませる
生きかたをしてしまってる人もいます。
誰もが
しあわせになることを望みながらも
誰かを
不幸せにしてしまってることに気づかず
生きていることがあるかもしれません。
相手を不幸せにしてしまう生き方。
それは
自分が不幸せだと思い
自分を蔑み
自分を否定し
自分を拒否する生き方じゃないかと思います。
あなたが
もし病気になってしまったら
あなたは不幸なのですか?
あなたが
健康であっても、病気であっても
あなた自身が不幸せだと思えば、思うほど
あなたの家族、友達
あなたの愛する人
あなたのしあわせを願っている全ての人を
不幸せにしているのかもしれません。
どんな時も
たとえ、病の中にいても
あなたは決して不幸なんかじゃない。
生きているだけで
誰かをしあわせにしてあげられるのです。
しあわせをもっと多くの人に
届けてもらいたいから
僕たち医者は頑張ってるのです。
不幸とは
しあわせがないんじゃない
自分はしあわせじゃないと
しあわせを否定することだと思います。
生きているだけで
多くの人をしあわせにしてあげられることを
忘れないで欲しい。
それが、きっと
あなたが生きている意味なんです。
☆今日は三隣亡の日です。
この日は建築関係の厄日と言われています。
信仰を持つ理由
信仰を持ったからといって
生活が楽になったり
病気が治ったりすることはありません。
なぜなら、宗教は
現実に対する教えではないと思うのです。
宗教や信仰が存在する理由とは。
人生の不条理という
重い荷物に押しつぶされて
こんな人生もう嫌だと途中で投げ出したくなったり
歩くのをやめて座り込みたくなった時
歩き続ける希望を与えてくれるのが
宗教や信仰だと思うのです。
いうならば
暗闇の中の月の光といえるのかもしれません。
人生の下山の景色を楽しむ
登山で下山といえば
登る時は、頂上に行くという
期待と希望があり
それを楽しみに登ると言うのが
登山の醍醐味だと感じ
みんな苦しくても頑張って登るものです。
そして
登ったら必ず下りないといけません。
下りる時は
次第に現実に戻る気がして
少しさびしげな印象があるかもしれません。
でも下りには
下る時の楽しみがあると思うのです。
登る時は
ただ登った時の絶景を楽しみに
脇目もふらず、後ろも振り返らず
無心で登ったと思います。
必死で上へ上へと昇り
周りを眺める余裕もなかったことでしょう。
でも、下る時は
気持ちも余裕もあり
体力、気持ち的にも段々回復してくるので
周りをみたり
ちょっと眺めのよいところでひと休みをするなど
登る時には気づかなかった
絶景の景色に出会うことも多々あります。
人生を登山に例えるなら
若い時は、目標を達成するために
ただがむしゃらに
寄り道もせず
休みたい気持ちも惜しんで
進んだことでしょう。
人生の山を下る時にこそ
自分の人生を豊かなもの、
より幸福なものにする原石が転がっていると思うのです。
自分の歩んできた道や
下界の景色
自分が立った景色をのんびり眺めながら
気持ちの余裕をもつことができて
登りの時には気づかなかった
見えなかった大切なもの、美しいものに
気がつくことができるのです。
人生の山を下る時こそに
しあわせをかみしめていく時間なんだと
思うのです。
☆今日から新しい年が始まりました。
人の運命は星のめぐりあわせに左右されるといわれています。
九星気学では、自分の本命星が一白水星方向にある年を厄年と言っています。
今年は数えで6、15、24、33、42,51,60,69歳のかたです。
まずは今年厄払いをしてもらいましょう。
神様はどこにいる?
神様のことを信じている人は多いけど
実際、神様がどこにいらっしゃるか
わかる人はいないものです。
「神様はどこにいらっしゃるのか?」という問いに
玉光神社の本山博元宮司が
次のように答えられています。
「神の道を求めるものは
大きな川にだけ
水が流れると思って
大川に水を求めていくような
過ちをよく冒すものです。
あなたが今立っている足下にこそ
尽きることのない
地下水が流れているのです。
神を知ろうとするものは
まず己をよく知って時をまつことなのです」と。
また別の時には
「神様とは、ラッキョウのようなものです。
ラッキョウの皮を剥いて
ラッキョウを求めるようなことをしておると
手許にラッキョウの皮が残らぬから
ラッキョウはないと思うでしょう。
が、剥い手捨てた一枚、一枚の皮がラッキョウです。
神様ですよ」と。
つまり
神様は至る所に偏在しておられるのです。
目に見える物質や現象だけで
この世は成り立っているのではないのです。
物質も現象も、それをそれとして成り立たせる
背後の大きななものに支えられているのであって、
偉大な神のみ業kらすれば
目に見える物質や現象というものは
末の末の業なのである」と
つまり神様は目に見えない存在であると思っている
のは人間の浅はかな考え
実はいつも、今でも
神様に守られていることを
忘れないで生きていくことが大事なのです。
☆今日は節分です。明日は立春。
明日から新しい年が訪れます。
そこで、来年が良い年になるように
氏神様や恵方の方角(南南東)の神社にお参りしましょう。
善と悪がある理由
人々の行いは
大きく善と悪に分けられると思うけど。
単純に善と悪という
二つには分けることは難しい。
全てが「善悪善」だったり、「善悪悪」だったり
「善善悪悪」、「善善善悪」だったり
無数の立場があります。
そしてその度合いも
常に変化します。
今日と明日でも変わるし
朝と晩でも変わってしまうことも
日常茶飯事なのは
日々体験していること。
それは、自分自身だけでなく全ての人間が
無限に変化しているという
宇宙の仕組みによるものだと思うのです。
そして、
どうして、この世には善と悪という
両極端な真野がものがあるのでしょうか。
それは
善も悪も必要なものだからです。
善も悪も両方ないと
方向性を決めることができないのです。
人間は誰しも
対比するものがなければ
自分の方向性を決められないものなのです。
ニュースで凶悪犯罪を起こした人が報道されると
そのことは悪いことだと判断されます。
戦争ばかりしている国の話しを聞くと
平和な国で暮らしていることが
ありがたいものに思えるのです。
善なるものだけに囲まれていたら
我々はきっと善悪の判断ができなくなるでしょう。
だから
天使がいるのも悪魔のおかげなのです。
善も悪も生きていくために必要なものなのです。
素敵な奇跡
毎日、多くの人に出会います。
その出会いのひとつひとつ・・・・・って
”先生”と呼ばれて、返事をしている自分がいる
”〇〇さん”と呼ばれて、返事をした自分がいる
”〇〇ちゃん”と呼ばれて、返事をしている自分がいた
”パパ”と呼ばれて、返事をしている自分は、ちょっと不思議
呼びかけられてわかる 自分の立場
人生に用意された 自分の立場
この尊い出会い、絆って
素敵な奇跡
ミソカモウデ
さとうみつろうさんの書いた
「神様とのおしゃべり」を読みました。
神様のことばとして
書かれている宇宙の法則の話が
600ページ近くもある本でしたが
内容に納得しながら
あっという間に読了できました。
この本で学んだことは
これからちょくちょくお伝えできればと
思っています。
読み終わったときが
29日で
この本の巻末に
「ミソカモウデ」について
書かれてたので
奇しくも翌日が30日だったので
「ミソカモウデ」に初めて行ってきました。
朔日詣では聞いたことあったけど
ミソカモウデは初めて聞いたことでした。
ミソカモウデを紹介します。
効能はあなたが確実にしあわせになる
日時は毎月30日(2月は28日)
場所はあなたの家の近くの鳥居がある
神社やお宮など
方法は
①鳥居に入る前に礼をする
②手を浄める
③お賽銭箱に300円以上入れる
④礼をして
⑤大きく深呼吸を3回し、こころを鎮める
⑥手を合わせる
⑦自分の名前、住所、干支を言う
⑧お宮の鏡を見たり、鏡がなければ目を瞑る
⑨今日起こったいいことをできる限りたくさん思い起こす
⑩それら一つ一つに
「ありがとうございました。
○○が起こってとても
しあわせでした」ということ。
⑪感謝の気持ちが湧いてきたら
その感覚に意識し全身に広げる
⑫最後に「ヤワタ」と声を出してつぶやく
⑬全て終わったら礼をする
⑭その時の気持ちに包まれたまま家に帰る
これが作法ですが
感謝を神様に伝えることというか
感謝の心をもって過ごすことは
生きていく上で
とても大事なことだと教えていただきました。
お参りが終わって
帰る道々
こころがぽかぽか温かく感じたのも
ミソカモウデのおかげ、神様の御心だと
感じたのでした。
みなさんも、毎月30日
ミソカモウデされてみてはいかがですか?
