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チャレンジを止めないための禁句

人生にはチャレンジしないといけないことも多く
チャレンジをやめてしまうと
進歩も止まってしまう。

チャレンジは
若者の特権のように思われるかもしれないけど
そんなことはなくて
70代でも、80代でも、そして90歳になっても
新しいことにチャレンジされているかたは
多くいらっしゃいます。
年をとっても
新たなことにチャレンジしていきたいと思っています。
歩みを止めているのは
年齢ではなく
できないと思っている自分自身の考えかもしれません。

ですから
チャレンジの機会が訪れた時に
その機会を逃さないようにする
3つの禁句をこころに留めて起きたいと思います。

一つ目の禁句は
「やったことがないからやらない」
やったことがないから
やってみないと何もはじまらないです。

二つめの禁句は
「ごめん、興味がない」
折角のお誘いを、こう断ってしまうと
人間関係は失わなくても
自分自身の経験は失われます。
もったいない。

三つめの禁句は
「今のままでいい」
本当に今のままでいいと思っているのですか?
もっと違う自分自身になろうと
おもわないですか?

何歳になっても
成長したいと思うし
いくつになっても
チャレンジすることを怖れずに
生きていたいと思うのです。

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受けた恩は絶対に忘れない

人間は一人で生きていくことはできません。
日々多くの人に支えられ、助けられ過ごしていきます。

今していること、
今の仕事に関すること
自分の利益につながりそうな人に対しては
誰もが礼を尽くすことを忘れないでしょう。

でも
自分の目の前を通り過ぎた人
過去にお世話になった人
に対しては
恩を忘れていないですか?

人から恩を受けた時の気持ちは
時間が経っても
決して忘れてはいけないものです。

人から受けた恩を忘れず
受けた恩に対して報いる努力をする
自分もまた、他の人に対して
受けた恩を送るような
人生が過ごせたら
しあわせな人生だと思いませんか?

誰にでも
お世話になった人は必ずいます。
両親、師、友人、知人・・・・
誰もがあなたのために
手を差し伸べてくれたのではないでしょうか?

その一人一人に
感謝の気持ちを伝えることができれば
気持ちも人生も豊かに
なるような気がします。

毎日一人づつ感謝したら
一年で365人
3年で1000人近い方に感謝することができます。

現代は、
手紙、電話、メール、ライン
様々な伝達方法があります。

自分に合った方法で伝える
また
決して、形にしなくても
その人に感謝して、しあわせを祈るだけでも
恩を尽くすことのような気がします。

受けた恩を絶対忘れることなく
あなたらしく
感謝をもって日々生きることが
できたら、きっと
あなたの心を豊かにし、
しあわせな人生へと
つながっていくのだと思います。

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あの世に持っていけるもの

人は
裸一環でこの世に生まれてきて
死ぬときも
この世で手に入れたもの
からだ一つ
持って行けない。

からだも
無くなるので
確かに今生で手に入れたものは
なに一つ持っていけない
全てのものを置いて
魂のふるさとへ
帰って行くと思っていた。

しかし
持って行けるものがあることに
気づいた。
それは”徳”

そういえば
松下幸之助さんが
「徳を積むことはこの世で
最も尊い行為である」と
語られていたし
稲盛和夫さんも
「利他の心、徳を積むこと」の
大切さを
度々語られていたことを思い出す。

これは、松下さんや稲盛さんのような
偉大な経営者が語った言葉ではなく
おじいちゃん、おばあちゃんなど
身近な方にも
徳を積む生き方をしなさい
徳を天に貯金しておきなさい。
あなたは、ご先祖さんの徳の貯金を使って
生きていることができるんだよ・・・・など
”徳を積む”ことの大切は
からだに染みついているのです。

徳を積むということは
魂のレベルを上げることに
つながっているのではないかと
僕は思っています。

また
魂をある意識対と考えるなら
魂という意識体は
この世では肉体を伴うことで
活動している。
しかし
この世で死を迎え
肉体が滅んでしまった後には
意識体である魂だけが
あの世に戻っていく。

あの世で何をするか?
次回生きるための
人生を設計、大枠を作っていると
思います。
今回得た経験を分析し
魂を成長させるために
何が必要で、必要でないかを
今回の徳を分析して
判断するのだと思います。

ですから
あの世には
この世で積んだ徳は持って行けるのです。
徳とは
あなたの全ての行動ではないでしょうか?
あなたは
今の行動は、あなたが望んだ行為?経験?
あなたの魂の成長に必要なことなんだと思います。

何を学ぶためにいきているか?なんて
意識することはできません。
ただ、できることは
今、自分の身に起きた経験を、人生を
一生懸命生きることなんだと思います。

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オールドでなくビンテージを目指す

年をとることを
単に古くなる、つまり単に年を重ねる
新しいものに対して古くなったもの
つまりオールドと捉えると
若い者に比べてどこか負い目をかんじてしまいます。

でも年を重ねることは
単に長く生きて来ただけでなく
若い人がもっていないような
経験を積み、価値が増えていないでしょうか?

年を重ねるにつれて
価値が上がっていないといけない
若者の手本になるような
生き方をしていないといけない。

豊かなしあわせは
物質的なものからだけにから生まれるのではなく
精神的な豊かなものから生まれてくると思うし
そう信じて生きていこうと思うのです。

還暦を過ぎオールドな生き方でなく
ビンテージな生き方をしていこうと思うのです。

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出会いと別れは次元上昇の証拠

これまでの人生
自分の歩んできた道を
振り返ると
様々な人との出会いがあり
その時々に僕を助けてくれました。
今でも感謝の気持ちを
持ち続けています。

それは人との出会いだけでなく
今のクリニックができるまで
様々なご縁に恵まれ
様々な組織に所属することになりました。

長く
組織に所属すると
組織と組織のある目的
益を求める姿を目にするようになるけど
自分の求めてるものとは違うと思っても
組織ご縁に恩返しするためにも
その組織の目的を受け止め
活動するようなこともあり
一種の義務感で属する状態になっていました。
でも
所属し続けたのは
感謝の思いがあったからです。

あるとき
ふと、思いました。
「僕は、いったいいつまで所属するんだろう」
と思った瞬間に
「やめることなんか、考えると
バチが当たるぞ。
どんな状態でやめることになるのかな?
どう考えても自分の意志で
脱退するなんて無理だろうな。
きっと、死ぬまで所属するんだろうな」
と病気になる前に
たった一回だけ
ふと頭によぎった日のことを
今でも覚えています。

あのときから
2年が経ち
今、僕は全ての組織を
脱退しています。
病気になったことが脱退のきっかけ
なったは事実です。

病後なので
実際に参加が難しく
脱退せざる負えなかったのも事実です。
変わったのは
組織だけでなく
友達や知り合いの層など
おつきあいも変わりました。

今気づくと
とても身軽になった感覚です。
逆に
病気になる前と比べると、
昔は、かなり無理してたのかなぁ
と思えるくらい
今は楽になったなぁと実感しています。

病気になったことは
僕のからだだけでなく
周りの環境など
全てのものを変えてくれたんだと
これは
けがの光明といえるものなのでしょうか?

実際は
病気にならなくても
これまでも。同じようなことが
あったのです。
例えば
あんなに仲が良かったのに
けんかをしたわけではないのに
気がつくと
何年、何十年も音沙汰なくなり
疎遠になってしまうことを
経験したことはあります。

このことを
波動エネルギーの観点から考えると
起こりうることで
人は日々様々なことを経験しています。
経験を積むことは
その人の人としての
次元を上げることになります。
人は
同じ次元のエネルギー同士
の交わりをおこなうことで
更なる上の次元上昇を求めて
生きています。

ですから
環境が変われば
これまでの次元と変わり
それまでの次元の世界とは交わりがなくなり
疎遠になってしまうのです。

ですから
自然な別れがあっても
嘆くことはないのです。
必要な別れ、脱退と理解し
過去の出会いに縛られることなく
今、自分の置かれた世界を大事に
生きていくのが大事なことなのです。

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手のひらを太陽に

この歌は
僕が小学校時文化祭で
この曲に合わせてダンスを踊って
この歌を初めて知って
ダンスも気に入って
今はさすがに踊りはしないけど
本番が終わっても
この歌を口ずさみながら
ひとりでも踊っていた
思い出の曲。

この曲の振り付けできに行ってたのが
♪手のひらを太陽に、透かしてみれば
真っ赤に輝く僕のの血潮♪のところで
手のひらを広げて
思いっきり空に届くぐらい高く
見上げて
キラキラ真っ赤に輝く手のひらをみていた。

その太陽と重なって
赤くキラキラ光る手のひらが
大好きだったのを
今でもはっきり覚えています。

この歌の歌詞の原作者は
あのやなせたかしさん。
なぜ、やなせさんがこの詩を書いたかの
理由を知ったのです。

やなせさんは、とてもさみしくたまらなると
手のひらに懐中電灯を当てると
レントゲンを撮ったみたいに
血の色がびっくりするぐらい赤く
本当に桜のようにうつくしさに驚き、
見とれてしまったそうです。

そして
自分は元気がなくても
血は元気なんだと勇気をもらった体験を
この歌の歌詞に込めたそうです。

そして
自分の手のひらを見つめる瞑想法が在り
何か困ったことがあると自分の手のひらを見つめる
方もいらっしゃいます。

そう言えば
石川啄木も”じっと、手を見つめていました”

手には不思議なパワーがあるのです。

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年をとっても願いは変わらない

ひとつ年をとっても
新しい時代を迎えても
変わって欲しくないものがあります。
それは・・・・

ライオンは面白がって
シマウマを殺したりしません。
シマウマをどんどん殺して
シマウマを絶滅させることもありません。
ライオンが
シマウマを殺すのは
生きるためだから。

ライオンもシマウマも
全ての動物は生きていくために
自然の法則に従って生きている。
だから
自然を、地球を傷つけることはありません。

自然の中で
お互いのいのちを大事にする
生き方をすれば
平和に生きることができるはず。

でも
人間は争ったり奪い合ったり
お互いのいのちを粗末にして
生きようとする。

現代人は食べきれないほどの食べ物に囲まれ
食べ物を簡単に捨ててしまう。
いのちを満たす食事であれば
みんなしあわせに生きることができるのに

生まれるときは
何ももたずに
身ひとつで生まれてきたのに
地位や名誉、
少しでも多くの財産をもって
生きようとする。

知恵を持って生まれている人間なのに
本当に人間は賢いのだろうか?

もっと、もっと平和な時代になるために
知恵を使わないといけない
そんな気がしています。

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いいことを増やす方法

嫌なことを1つ考えたら
楽しいことを2つ考える

心配事が1つあったら
うまくいったとこのことを2つ思い出す

嫌いなところを1つ見つけたら
好きなところを2つ見つける

そんな積み重ねで
いいことがいっぱい
増えていくと思う

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どんな老人になるかは、今の自分で決まる

今若くても、年をとっていても
今後どんな風に年をとるかは
誰にもわからないし
どんな老人になるか、不安に思う人は
多いでしょう。

自分は還暦を迎え
これから老いの人生を突き進んで行くのだけれど
若い時に思っていたように
年をとることに不安を覚えていない。

よく
お年寄りが、まだまだ若いとよく言っているのを
耳にしたけど
外見だけで判断すると
確かに経年劣化は否めません。

でも、今老境の入り口に立ってみると
「年をとることは進化だ」と思えるのです。
特に今思うのは
世の中の見える部分だけで判断してはいけないということです。
目に見える容姿は若さを失っていても
だから得るものもあるのです。

本当に大事なことは見えないとも言いますが
日々診療していると
検査に頼らなくても
聴診、触診だけで患者さんの状態を感じることが
日々増えている気がします。
つまり、目に見えない真実を
体験しているのです。

この感覚は
今急に身についたわけではなく
若い時からの診療スタイルの
完成形に近づいている様な気がします。

これは僕だけの感覚ではなく
世の中には
90歳になっても
現役で仕事をして、成果を上げている人
何千メートル級の山に登ったり
マラソンを完走したり
超スーーパーマンのような人は
世の中にたくさんいます。

それは
若い時からの積み重ねが在り
今も進化し続けているからではないでしょうか。
ということは
どういう年をとるか、どんな老人になるかは
若い時から始まっているということです。

老・病・死は避けられないことですが
どうかっこよく人生を生きるかは
心がけしだいということです。

年をとることを畏れるな
将来の老いを畏れる余りに
今の若さを犠牲にする生き方は愚かだと思うのです。

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神社に行く意味

毎朝地の神様が祀られてる神社に
お参りに行っています。

ここの神社は
とても“気”がいいのでしょう
行くと一日元気に過ごせるので
我が家にとってのパワースポットのひとつです。

全国にはたくさんの神社があります
パワースポットとよばれる神社も数多くあります。

神社は神様が降りて来られるような
エネルギーの高い場所だと聞いたことがあります。

神社は神様にとってもエネルギーの高い場所だから
僕たち人間にとってもエネルギーが高い場所になる。
だからパワースポットになるんでしょう

神社にお参りするということは
自分のエネルギーを高めると同時に。
自分のエネルギーを神様のエネルギーに近づけることで
神様のエネルギーと一体になることなんだと思います。

そして
神社で手を合わせるのは
単に祈るだけではなく
「神様と自分は一体になります。受け入れます」
という想いやを形にしていると想うのです

ある日、神社で手を合わせた時
よくても、悪くても
過去の自分のおかげで今の自分があるんだ
と思った瞬間がありました。

どんな出来事が起こっても
たとえ病気や仕事、人生の失敗があっても
自分にとってマイナスなことが起こっていたとしても
そのおかげがあったから
これまでの自分の過ちに気づくことができ
人の苦しみや傷みを理解できるようになる のです。

「おかげさまで今がある」と思えた瞬間に
きっと神様と自分は一体であると
感じられるような気がするのです。

 

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