真実の医療」カテゴリーアーカイブ

縄文時代はしあわせな時代

縄文時代というと
どんな風に感じますか?
動物の毛皮で作った服をまとって
狩りをいそしみ
焼いた肉を頬張っている姿を
まさに
はじめ人間ギャートルズのような
世界を想像する人もいるでしょう。

でも、実際は
とてもしあわせな
現代人が見習う点が多くあることが
わかってきました。

ある縄文時代の遺跡から
小児麻痺になっていたと思える
おとなの遺骨が見つかりました。

これは
医学の発達した現代でも
小児麻痺のこどもを
診断し、養育することは
大変で、今でも社会全体の協力がかかせません。

それが
科学が未発達で
多くの猛獣のような外敵に囲まれている縄文時代に
小児麻痺のこどもを天寿全うするまで
生き抜くことは大変だったと思います。

しかし
それができたと言うことは
機械、知識など特別なものはなにもない時代
存在したのは
みんなで助け合いながら
こどもたちを見守り、手を差し伸べる
優しい気持ちではないでしょうか?

また縄文時代は1万年ぐらい
続いていたとも言われますが
遺跡からは
争った形跡が全くなく
とても平和な時代であったとも考えられています。

現代は
物にあふれ、気候、周りの動植物を
我が物のように支配してるかのように
暮らしている人間社会。
縄文時代よりも、明らかにめぐまた環境とも
思えるけど
我々は、しあわせを感じているでしょうか?

コロナウイルスの出現したのも
物にとらわれてしまった人の心を
よき時代の心を
取り戻すよう警告してる気がするのです。

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プラトンが語る病気

プラトンと言えば
誰もが知っている古代ギリシャ時代の
大哲学者で
様々な現代人にも通じる英知を
授けてくれて
人間が今こうして発展してきたのも
彼の考えや教えによるところも大きいと
思います。

そんなプラトンは
病気のことについても
お考えを残しておられます。
そのひとつを今日はご紹介しようと思います。

著書「法律」の中で
病気について語っています。
病気にも患者、医者には2つに階級に分けられると。

つまり
病気に心奪われて
病気の奴隷として生きる人と
病気になっても心は自由である人の
2種類の患者さんがいると。

医者も
病気の奴隷になってる医者は
走り回っている病気の奴隷の傷を治すために
診療所で待って
患者さんの個人的なことについて気にしたり
不満に対してもきく耳を持とうとしない。
そして
自分の持ってる知識が
絶対であるかのように
自分の経験のみで、薬を処方し
暴君のように命令を下すと
また鼻高々に次の患者さんのところに行く。

病気に自由な患者さんのかかる医者は
自分自身も自由人の医者である。
自由人な患者さんと
色々お話をし、その話の中から
患者さんの不調の原因を見つけ出す。
患者さんだけでなく
必要なら家族、友人とも真剣に話して
情報を集め
考えられるすべてのことを
患者さんに伝えてくれるだろう。

医学知識のみで語る医者は
こんな生まれつきの体質や、性格など
ちょっと哲学的な話を患者さんとしているのを
見ると
心の底から笑うかもしれない。

そんなこと
どの論文、教科書にかいてあるんだ?
エビデンスはどこにある・・・なんて
言い出すかもしれない。

でも、目の前の患者さんは
なぜ病気になったかより
今ある苦痛、不安をとってもらいたいと
思って受診されます。

病気だけを診てる医者は
病気だけを治せば満足し
患者さんもそれで満足だと思うんです。

だけど、そのうち気がつくんですね。
また、同じ病気になったとき
同じ症状をくり返すうちに
どうして、病気ばかりするんだろう?
本当の訳を知りたい
病気から心から解放されたいと
思い出すんです。

例え、病気であっても
安心と安らぎを感じる生き方
心から自由でいきたいと
思うことでしょう。

僕も病気だけを治す医者でなく
患者さんが病気であっても
病気でなくても
本当の病気の真意を探り
心安らかに生きられることを目指す
僕自身も病気の奴隷でなく
心自由な医師であり続け体と思います。

人間は
どんな時でも自由なんです。
自由に生きなくてはいけないんです。

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健康とは

 

健康であるとはどういうことでしょうか?
この問いに対する答えは
無数に存在する気がします。

医者でさえ
“健康って何ですか?健康ってどういう意味ですか?”と
尋ねても、答えは様々だと思います。

それは、
健康に対する思い、願いは
人それぞれであることの
表れでないでしょうか。

例えば先天的、‪後天‬的であれ、
からだの一部に
不自由な面があった場合でも、
その部分を補い、
サポートする道具や器具があって、
望んだ日常生活ができれば、
きっとその方は
健康的な日々を過ごされていることでしょう。

逆に、
五体満足であっても、
肉体的、精神的な面で問題を抱え、
人生に対して希望や夢を描けない時は、
決して健康であるという事は言えないでしょう。

健康であるためには、
からだに問題がある、なしではなく、
心もからだも元気でないと
健康とは言えないのではないでしょうか?

つまり“心とからだ”のバランスが
とれていて初めて健康と言えるのです。

病気の原因は
からだが病んでいる場合と
心が病んでいる場合の二つがあります。

肉体が病んでいる時の治療法は
数多くあります。

特に現在主流の西洋医学は、
飛躍的な発展を遂げ、
多くの難病を治療することが
できるようになりました。

ただ残念ながら、
西洋医学はからだの悪い臓器や組織中心の医療です。

健康であるためには、
からだとこころのバランスをみることが必要です。

そのために、
これからは
目の前の患者さんの
からだとこころ全体を診る
“全人的医療”を目指して
いかないといけないでしょう

 

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マインドフルネス

最近マインドフルネスという
瞑想法が注目されています。

マインドフルネスとは
”心が満たされている”状態のことを言います。

私達の日々の生活を振り返ったとき、
日々忙しく、慌ただしく過ごし、
頭の中は膨大な量の情報に占拠され、
頭の中も、心もざわつき、
とても”マインドフル”な状態でいることは、
言いがたいでしょう。

このような
”マインドフル”でない状態が続くと、
心の中に不安や心配、恐れなどの感情があふれてきたり、
過去の出来事に縛られたり、
様々な雑念に支配され、
結果として
全てのパフォーマンスが落ちてしまいます。

このようなざわついた心の状態を
意識的に変えていこういう方法が
マインドフルネスという瞑想法です。
つまり、
全ての意識を「今・ここ」集中する、
つまり今生きていることに集中する、
つまり”呼吸”を意識することなのです。

マインドフルネスのやり方ですが
①立っていても、座っていてもかまいません。
背筋を伸ばし、肩の力をぬいて、
半眼でどこか一点を見つめましょう
②ゆったりと気持ちのいい呼吸を呼吸をし
繰り返される呼吸に意識を集中しましょう
③途中で何か雑念を浮かんだら、
雑念だと思い、
また意識を呼吸に戻しましょう。
これを1日5分でも10分でもいいので、
毎日続けるといいです。

マインドフルネスを続けていると、
集中力が増し、創造性や幸福感、
リラックス感が高まり、
自分をよりコントロールすることが
できるようになります。

また「今・ここ」を意識すると、
高血圧や高血糖などの改善、
不安・うつ病などの軽減も期待できます。
ご自身の生活および健康改善のために、
是非一度トライしてみて下さい。

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スキルを整える

モチベーションを上げることは
何かをしようとする時には
必ず必要なエネルギーです。

モチベーションを持ち続けるには
色んな方法があります。

大きく分けると
給料アップ、地位アップ、名声など
外に求めた場合と
なりたい自分になる、
愛される自分になるなど
自分の内に求める場合があります。

モチベーションを
内なるものとして持っておけば
いつでも
どこでも
誰の助けも借りずに
モチベーションアップ
することができます。

内なる心に
モチベーションアップする術を
持っておけば
成果を上げることが
可能になります。

モチベーションは
やる気というガソリン。
それと同様に
モチベーションだけでは
物事はすすみません。

モチベーションを活かす
スキル、つまりエンジンも大切です。
スキルを常に整えておくことは
自分の能力を現場で活かすこと
それによって
実践的な人間になり
より成果をだしやすくなります。

だから、スキルを整えるのは大事です。
スキルを整える方法は
3つあると思います。

1つ目は
いつでもスキルが使えるように
練習することです。
技術を持っていても
使わないと知らないうちに
さび付いてしまうもの
日頃から準備しないと
イザという時に
サッと使えなくなります。

2つ目は
質を高めること。
スキルは、一定以上に
質を保つことは大事。
でも、維持するだけでは
いつの間にか、古ぼけたものに
なってしまいます。
そのために、
日頃から質を高める努力は必要です。

そして
3つ目は
2番目にも通じることですが
”最新のバージョンにしておく”
です。

医学は、日々変化しています。
新しい知見が発見されたり、
新しい病気が猛威をふるったり、
新しい薬が治療法があったり、
予防接種などのやり方も
日々変わってきています。

医学の世界も
常に進歩しています。
その進歩に遅れることは、
確実に医療のスキルを
落としてしまう。
そうすれば
患者さんにとって、
不利益を生じてしまうことになります。

そして、
今は誰でも簡単に情報を得て
様々な情報があふれています。
あふれる情報の中には、
不確かな情報もあります。
ですから、正しい情報を知ることは
信頼関係にもつながります。

そして
情報の信頼度を判断できる
知識を常に身につけておくことは
とっても大事なこと。
最新の情報に
目を光らせていく。
最新の論文のチェック、
インターネットでの
最新情報のチェック、
講演会や学会への参加、
行政の出す情報を見落とさないようにする。
などで、情報を常にキャッチする。

でも、情報の氾濫にならないようにすることも大事
情報を貯めるだけでなく、
必要で無くなった
情報を捨てる断捨離も必要なこと。
自分にとってスキルとは
患者さんや周りの人に
安心、しあわせを届けるものだと思います。

あなたは
どうやって
スキルを磨いていきますか?

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しあわせに生きるための選択

生きていると
様々な困難・問題にぶつかり
それをどう乗り越えていくかの
選択に迫られることがあると思います。

病気になった時の選択は深刻でしょう。
例えば医師から癌を宣告されたとしましょう。
早期発見だから
手術すれば大丈夫だと言われて
手術でがん細胞を全てと取り除いたとしても
その後少なくても5年は
再発していないか経過を診ることになるし
5年経っても再発せず、寛解したと言われても
その後の再発から完全に解放されるわけではありません。
いつ再発するかという不安を抱えて
いくことになるかもしれません。

癌と診断されれば
再発するか、しないかの2つに
賽は投げられたということです。
この時、僕は
「再発しない」ほうに賭けていこうと思います。
そう思って、もし再発してしまったら
がん細胞と「共存して生きよう」と
決心しようと思います。

今、こう思っていても
不安な気持ちは起こるでしょう。
でも、僕は「再発しない」と強く信じて
ポジティブに生きていこうと思います。

もし、
死が目前に迫った時
「神ははいる」と信じていたい
だから死んだら神が天国へ導いてくれると
信じています。
もし、いなくても
ただ賭けに負けるだけで、失うものはないのです。

ポジティブに考えられるかどうかが
しあわせに生きられるかにかかっていると思うのです。

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人の素晴らしさ

生まれたばかりの赤ちゃんは
最初は母乳を飲むしか飲まないのに
血液や骨、髪の毛が生えたり
首が座り、立ち、歩き、しゃべるようになり
どんどん成長していきます
でも
母乳を試験管に入れても
血液も骨も組織も臓器も
全く何も生まれません
でも
赤ちゃんは
母乳だけで
どんどん成長していくというのは
とても不思議なことだと思いませんか?
人間には
それだけ、大きな力が備わっている
ということではないでしょうか?
もしかしたら
その力を
宇宙から、大いなる存在から
生きるためにいただいてるかもしれません。
生きているのではなく
生かされているのかもしれません。
だから
生きていることに価値があり
いのちはとっても尊いものだと思います。
生きているってことは素晴らしい
病んでいるときでも
健康なときでも
つらい時でも
苦しい時でも
生きている自分はそれだけで素晴らしい存在だ
と感じることができれば
元気に過ごせるのだと思います。
そんな生きる力を引き出す医療
それが真の医療だと思うのです。

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今こそ食生活を変える時 〜ポッテンガーの猫の実験より〜

最近
何をどのように食べるかが
健康に大きく影響していることが
少しづつ認識されるようになりました。
ガン、アレルギーの病気、免疫の病気
精神疾患など
食べ物の影響は無視できません。
そして、実は
現在の食生活が
ご自身だけでなく
こどもや孫の代まで影響するってことを
知っていますか?
このことは
すでに60年ほど前
アメリカのポッテンガー博士の行った
通称“ポッテンガーの猫”と言われる実験で
予言されていたのです。
“ポッテンガーの猫”の実験とは
猫を2組に分けて
一方の組みには健全な餌を与え
もう一組みには不健全な餌を与え
三代にわたって飼育実験をしました。
健全な餌を与えた組は
2代目も3代目も
健康な猫が生まれました。
不健全な餌を与えた組では
2代目は肉体的不調や病気の多い猫が生まれ
3代目の猫は
からだの不健康さだけでなく
高い所から落とすと
背中から落ちて、きちんと着地できない。
他の猫に意味もなく敵意を見せたり
飼い主に噛みつくなど
不器用さと精神的な不安定さが
目立つ結果を示したようです。
この結果を見て
戦後の豊かな食生活が始まり
その影響が
今のこども達に及んでる問題
落ち着きのない子
キレやすいこども達
若者が犯すおぞましい事件の数々
まさに
今のこども達は3代目の猫??
……を連想してしまいます
このままでは
これからのこども達の未来が
日本がそして世界が大変な事態に
なるかもしれません。
今こそ食生活を見直し
食生活を変える時に来ているのです。
そうしないと
こども達の未来は
大変なことになるかも。
今ポッテンガーの猫は
どうなってるかと言うと
実は
この実験は次の4代にわたって
行うことはありませんでした。
なぜなら
実験できるだけの数の猫が
4代目は生まれなかったのです。
ポッテンガーの猫は
現代をそしてこれからの危機を
予言そして警告してるのです

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喜びの医療

先日ナチュラルメディカルセンターに
はじめて来られた方は
数年前から度々胃が痛くなり
そのたびに胃カメラなど
検査を受けていたけど
全く異常がない
だけど、痛みは治まらないどころが
日に日にひどくなると
精神的にも疲れた感じで
来院されました。

お話を伺った後
早速
診療を開始。

胃の状態が悪い
直腸の状態が悪い
前立腺の状態が悪い
肝臓にも
リンパ、血流にも
ダメージを受けた痕跡があります。

これでは
からだは不調のはず。

詳しくみると
まだまだ病気の前段階の状態なので
胃カメラ、MRIなどで
見つからなくても不思議ではない状態
でも
このまま放っておくと
必ず本当の病気になってしまう
のは間違いない。

ナチュラルメディカルセンターでは
異常が見つかったところは
たとえ染色体、DNAであっても
波動療法、オステオパシーで
気を高め、エネルギーを高め
免疫力、自己治癒力を高め
全身を整え治療していきます。

だから
帰られる時には
来られたときよりも
からだ中の
細胞ひとつひとつが
元気になって帰られます。

患者さんは
病気の原因がわかり
治療もできたので
喜んで帰られました。

笑顔で帰られる患者さん
患者さんの喜びを感じる時が
僕にとっても喜びの瞬間です

治療を受ける患者さんも
治療を施す医師も
お互い喜ぶ医療が
真の医療なんだと思います。

 

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プラトンが語る病気

プラトンと言えば
誰もが知っている古代ギリシャ時代の
大哲学者で
様々な現代人にも通じる英知を
授けてくれて
人間が今こうして発展してきたのも
彼の考えや教えによるところも大きいと
思います。

そんなプラトンは
病気のことについても
お考えを残しておられます。
そのひとつを今日はご紹介しようと思います。

著書「法律」の中で
病気について語っています。
病気にも患者、医者には2つに階級に分けられると。

つまり
病気に心奪われて
病気の奴隷として生きる人と
病気になっても心は自由である人の
2種類の患者さんがいると。

医者も
病気の奴隷になってる医者は
走り回っている病気の奴隷の傷を治すために
診療所で待って
患者さんの個人的なことについて気にしたり
不満に対してもきく耳を持とうとしない。
そして
自分の持ってる知識が
絶対であるかのように
自分の経験のみで、薬を処方し
暴君のように命令を下すと
また鼻高々に次の患者さんのところに行く。

病気に自由な患者さんのかかる医者は
自分自身も自由人の医者である。
自由人な患者さんと
色々お話をし、その話の中から
患者さんの不調の原因を見つけ出す。
患者さんだけでなく
必要なら家族、友人とも真剣に話して
情報を集め
考えられるすべてのことを
患者さんに伝えてくれるだろう。

医学知識のみで語る医者は
こんな生まれつきの体質や、性格など
ちょっと哲学的な話を患者さんとしているのを
見ると
心の底から笑うかもしれない。

そんなこと
どの論文、教科書にかいてあるんだ?
エビデンスはどこにある・・・なんて
言い出すかもしれない。

でも、目の前の患者さんは
なぜ病気になったかより
今ある苦痛、不安をとってもらいたいと
思って受診されます。

病気だけを診てる医者は
病気だけを治せば満足し
患者さんもそれで満足だと思うんです。

だけど、そのうち気がつくんですね。
また、同じ病気になったとき
同じ症状をくり返すうちに
どうして、病気ばかりするんだろう?
本当の訳を知りたい
病気から心から解放されたいと
思い出すんです。

例え、病気であっても
安心と安らぎを感じる生き方
心から自由でいきたいと
思うことでしょう。

僕も病気だけを治す医者でなく
患者さんが病気であっても
病気でなくても
本当の病気の真意を探り
心安らかに生きられることを目指す
僕自身も病気の奴隷でなく
心自由な医師であり続け体と思います。

人間は
どんな時でも自由なんです。
自由に生きなくてはいけないんです。

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