今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

おかげさまで

日常生活で
ありがとう、ごめんなさいという言葉は
大事な言葉だと多くの人は知っています。

そのふたつの言葉に
「おかげさまで」という言葉を
意識して使ってもらいたいと思います。

たとえば、ご家庭で
お母さんはやることがいっぱい。
掃除、洗濯、食事の準備、後片付け・・・
それらの役割分担ができていればまだいいけど
そうでないと
どうしても負担が増し、余裕がなくなると
「わたしばかりが大変な思いをして」と
不満がたまってきます。

そんな時
おかげさまの言葉で
いまの状況をいい方向に転換して欲しいのです。

今日楽しい旅行ができたのは
日頃お仕事頑張っているお父さんのおかげ。
今日学校から先生から電話があったけど
そのおかげで学校の様子がわかった
・・・・・など○○のおかげで・・・と変換すると
その時の状況が、思いが変わってくることが
増えてきます。

そして
あなた自身も
その言葉を聞いたご家族全員も
ネガティブに考えなくなります。

不思議な「おかげさまで」という言葉を
もっと、もっと使ってもらいたいです。

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天地有情

この言葉は
雲が低く垂れ込めた陰鬱な世界にいると
人の心まで暗くしてしまう。
逆に晴れわたった時には
人のこころは晴れ晴れとしたものになる。
世界と人間の心は繋がっているということを
示した言葉。

確かに
人のこころは自分の置かれた環境で
刻々と変化する。

同じ環境に置かれていても
人の気持ちは皆違う
そのちがいは
ひとりひとりの表情を見れば
その人の感情までも
手にとるように感じることができる。

喜びの時も、悲しみの時も
不安な時など
人々は様々な表情を見せてくれる。

病院には
色んな病気、不安を抱えた方が
訪れる。

例え高血圧という同じ病名がついていても
ひとりひとり表情は違うし
同じ病名でも
同じ病名であっても
訪れる度にちがう表情でこられる。

今日はどうしてそんな表情をされるのか?
といつも思って
患者さんを診察している。

病名で患者さんを観るのではなく
訪れた時の
患者さんの全てを診るのが
医者の役割である。

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自立するとは

多くの人は
自立とは、ひとりで生きていくこと
ひとりで生きていく力であると
思っていると思います。

でも、人間は
ひとりでは生くことはできません。

ですから
自立するとは
ひとりで生きていくことをいうのではなく
ひとりで生きていけないのだと理解して
ここはひとりでは生きていけないと
見極めること力があること。

ですから
自立するために必要な力は
「自分はひとりで生きていけないから
誰か助けて!」と
自分以外の人に言うことができる力なのだと思います。

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ビヨンド・ユートピア 脱北

という映画を観た。
脱北と副題がついているように
現代一の極悪国といわれる
北朝鮮から
自由を求めて脱北をする一家の姿を追った
正真正銘のドキュメンタリー映画。

許されない脱出を試みるには
多くのブローカーに頼り
詐欺かもしれないと疑っても
お金を渡さざるおえない苦しい心境。
でも、その脱北を支援する韓国の神父と共に
脱北を試みる。

中国側に見つかって
北朝鮮に渡されれば、生き地獄に戻される。
まさに命がけの脱出劇。
その一家は80代の老人10歳にも満たない少女がいる。
生半可な気持ちでは
超えられない旅路
10時間も及ぶ山道を歩き通し
生きを殺して寝食していく
ゲームではない生死をかけた
サバイバル。

一家は無事自由の国にたどり着くのだが
自由の国でやることは
7か月もの間
北朝鮮で受けた洗脳教育を解く
プログラムを受け
韓国で自由な暮らしを始めた一家。

一同介して
皆が自由があることの
素晴らしさを口にする。
しかし、祖国北朝鮮を
悪くはいわない。
政治や生活の困難は忘れられないが
育った国の風景、人々のことは
自由を得ても愛していること。
いつか北朝鮮に帰りたいと口にする。

そこに生まれてきたことに
大きな意味があるということを
考えさせられた映画だった。

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三つの無常

仏教の教えに無常が言われるのは
みなさんもご理解されていることでしょう。

この仏教が教えている
無常という考えを
しっかり理解すること。
しっかりというのは
頭で何となく理解するというのではなく
こころから揺るぎなく理解できること。
これが意外に難しいのです。

僕が今
この無常だと思えるのは三っつ。

第1は、世の中に永遠なるものはひとつもない
第2は、形あるものは壊れる
第3は、人は生きて死ぬ

この3つがあることを理解して
人生を歩んでいくと
日々悩むことも減り
生きやすくなる気がします。

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明るい未来を信じて

昨日は東京都知事選挙でした。
50名以上の立候補者で
みなさん思いを訴えての立候補
それだけ東京を、そして日本を
よくしよう、よくしたいという
あらわれだったのでしょう。

その中選ばれた知事が
パワーを持って東京をそして日本を
よくするように願うばかりfです。

今や国家と同じぐらいの力を持つ
東京ですが
はじまりは徳川家康がお国替えを命じられて
当時沼地で何もなかった土地で
家康の家臣達は
不平不満をいい、激怒していたと聞きます。

しかし、家康は
これをマイナスとしては受け足らず
超ど田舎で会った江戸を
世界第一の都市にまで発展させたのです。

家康が
家臣と一緒になって不平不満をいって過ごしていたら
今のような発展はなかったでしょう。

都知事さんも
選挙中も前も色んな事があったでしょうが
是非前向きにとらえて
東京を日本を
よき方向に導いてもらうことを願うばかりです。

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七夕と竹

七夕の日に
織り姫と彦星は
年に一度だけ会うことができる日。
古代中国では
七夕にカササギが
天の川に橋を架け、二人を
会わせるという言い伝えがあります。

また七夕は
五節句のひとつで
邪気を祓える日でもあるのです。

日本では
この日短冊に願いを書いて
笹に結んで願いを書きます。

実は笹には
邪気を祓う力があるといわれています。
ですから
この日は短冊をつるさなくても
単に竹や笹を玄関先に
飾るだけでもいいのです。

竹は花屋さんでも売っていますか?
もし、竹がなかったら
ミリオンバンブーでも大丈夫です。

飾る竹がない
でも、邪気を払いたいという方には
竹林を歩くだけでもかまいません。

今日は
竹に囲まれた時間を是非作ってみてはいかがでしょう

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保育園を増やすことが子育て支援か?

選挙になると
政治家の方々は
少子化対策を公約の大きな柱に据えられます。
その中身をみると
保育所を増やして
待機児童を減らす・・・というのが目につきます。

確かに
女性が働きやすい環境になれば
子育てしながらでも
社会で自分の能力をいかせる
・・・・とは思うのですが。

それだけで
こどもを育てやすい環境が
整ったといえるのだろうか?
何か、大事な事を忘れてはだろうかと
気になるところです。

実際
東京都を例にとっても
待機児童は減ったといっていますが
出生率は1をきったと
その効果は思ったように上がっていないように
見えます。

保育園が少子化対策の要と考えるようになったのは
1960年代の経済学者Becker氏の理論によるです。
その理論とは
それぞれの家族は
その家族に与えられた所得と時間を考えて
育てられるこどもの数を決めているという
理論に基づいているのです。

50年以上前の理論をしても
効果は出ていないように思えるのです。

育児のために
働きにいけなくなって、その分所得が減ってしまい
育児をすることが
所得にマイナスであると。

物質主義的な無味乾燥な
考えでいっている気がします。
何かがたりない気がします。
その足りない面を
みなさんと考えていければと思います。

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しあわせ探し

人がしあわせかどうか感じるのは
本人が満足しているかどうか。

どんなしあわせの形でも
本人が満足さえしていれば
しあわせだと言えるのです。
逆に
他人からみて、どんなにしあわせそうに見えても
本人が満足してないかぎりは
しあわせだとは言えないのです。

何をどうしあわせかに感じるかは
ひとそれぞれだということになります。

しあわせを探す人生ではなく
自分が満足する生き方をしたいものです。

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一日仕切り

一日仕切りという言葉があります。
この言葉の意味は
「今日できることは
今日済ませ、明日に持ち越すな」であったり
「明日ありと思うな。
今日という一日のいのちを大切に生きよ」
という意味もあるようです。

僕はこの言葉は
「今日の自分と明日の自分は繋がってるようで
まるっきり違っている」と
言う意味に思えるのです。

人間のからだはずっと同じではなく
からだを構成するタンパク質の3%が
毎日入れ替わり
一年経てば、全細胞の90%以上が
入れ替わってしまうのです。

これはつまり
いのちは、全く別の形となって
存在続けるのだと
言えるのではないでしょうか?

昨日が過ぎ去ってきょうになり
今日が終わって明日になる
というものではない。

今日は今日という一日であり
それはぜったいてきなものである。
今日というより
今ここにあるという時を生きているのが
人間の生の真実の姿といえるのかもです。

そのいまという時間が
永遠のいのちという存在の根源に繋がっている
ように僕は感じるのです。

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