「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
諸法実相
諸法というものは
存在する全てのもののことです。
自然の山や川、木や花はもちろん
人間も諸法に含まれます。
それらは悉く実相、つまり真実の姿
真理であるというのです。
至る所に真実の姿、真理があるのだから
それに気づく機会もふんだんにあるのです。
たとえば、花は時を得て咲き、また、
時を得て散ります。
そこには何の計らいもありません。
人知を超えた大いなる力が
そうさせているとしか考えようがないのです。
そのことを仏の徳ともとらえられます。
この徳はあらゆる存在に行き渡っています。
全てのものに行き渡っている徳、真理に気づきます。
そのようにしてひとつずつ
この世に満ち満ちている真理に気づくことも
小さな悟りと言えるのでしょう。
母親の子育てと父親の子育てのちがい
母親と父親の子育ては
本能的にかどうかでは定かではないのですが
生物学的な考え方が違うような
気がします。
母親はこどもを「弱者」と考えて過ごします。
それは、生まれるまで
体内でこどもの生育を育んできたという
歴史がそうさせるのでしょう。
ですから
こどもが生まれてからも
10ヶ月間育んできたこどもの思いから
「この尊くか弱いいのちを
生き延ばらせるために、守ろうとするのでしょう。
ですから、母親は
普通に成長するために力を尽くすのです。
これに対して、父親は。
生まれた時のこどものか弱さに触れた瞬間
この子を守ろうと決意するのは
母親と同じでしょう。
こどもはか弱い存在だからこそ
この集団で生き残りためには
相対的に強者として生き残らせないといけない。
勝ち残って行く術を
伝えないといけないと思うのです。
これが父親と母親の子育てに対する
大きなちがいはあるとしても
父親に母親的育児の思いがかけてるわけではなく
母親も同様に
父親的な面も持っているのです。
ですから
子育てには
母親的育児、父親的育児
どちらも必要だということでしょう。
「看」の字の語源
看護の「看」の字を見ると
手と目というふたつの字を
組み合わせて出来ていることがわかります。
その語源を調べると
やめる人の容体を
手をかざすようにして
目でもよく確かめてみるという
意味になるのです。
つまり
患者さんをよく観察し
見守ることが
看護の真の姿であると
考えられます。
これは看護士だけでなく
医師にも伝わるこころのひとつで
患者さんの容体を充分に把握した上で
次の段階として
病んでいる人のこころとからだを守ることなのだと
この字が教えてくれます。
一つ目小僧が一つ目なのは
「ゲゲゲの鬼太郎」などの
妖怪漫画を多く遺している
水木しげる氏の短編漫画「一つ目小僧」に
次のような科白があります。
「猫や犬も人間ほど
心配してはいないようすなのは・・・」
「人間には目がふたつあるので
未来と過去を考えて心配が絶えないが
一つ目小僧は
こどものように今しか見えないから
苦労がない」というのです。
年取って
視力が落ちたり
耳が遠くなるのは
いく末を案じて不安にならないように
周りが見えすぎないように
目の前のことに集中できるような
からだの計らいなのかもしれません。
年取って
認知症になるのも
こどもや犬猫のように
いましかなくなるので
わずわさも消しさってしまうためかもしれません。
もしかして
認知症は病気と考えるのではなく
自然の恵みなのかもしれません。
武士も大切にした神様を敬う精神
「神は人の敬いに依りて威を増し
人は神の徳に依りて運を添う」
これは、武士の政権の最初の法律
「御成敗式目」の第一条。
鎌倉幕府が
大事にしていたのは
「神様を敬う精神」だったことが
わかります。
武士の神様を敬うほどに力が増し
神様の力で運もよくなると
考えていたのでしょう。
また武士の世の中を生きると言うことは
自分のいのちが
明日にはどうなるか
わからないという
時代背景もあるから
明日はどうなるかわからないから
少しでも長くそしてよく生きられるように
神様を敬ったのでしょう。
現代にいきる自分も
武士の時代のように
理不尽なかたちで
いのちが終わることは少ないけど
まったくないわけではない。
だから
現代に生きる我々も
神を敬って生きていくのがいいのでしょう。
悪は存在しない
「ドライブ・マイ・カー」の監督さんであった
濱口竜介監督の作品で
第80回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞授賞した
映画だった。
感想は
深く、不思議なラストに
映画を見終わった後に
ラストシーンが目に、頭にこびりついて
あのラストシーンの意味を
探ろうとしている自分がいる。
今も、この映画の
登場人物の科白がでてきた
背景、こころの襞を探っている。
そして、
題名に帰って考えてしまう。
悪は存在しない。
確かに
きっと、普通の人は
悪いことをしようとして生きていない。
でも
自分が生きていくために
他の人を犠牲にしてしまう場面が
起きることがあるのだと思う。
その究極の選択が
自然環境、自然に生きる動物に対して
自然の中でバランスをとって
自分は人間としてどう生きるかを
考えないといけない。
自然は寛容。
人間が無茶をして自然破壊したとしても
それを悪とはしない。
そんな大きな、大きな自然に対して
甘えて、バランスを崩して生きようとする
人間の生き方を
これから考えていかないと行けないのでは
思った。
ここまで読んで
何を言ってるのかわからないと思ってる人も
多いことでしょう。
これは、ネタバレしないように
書いている映画解説なので・・・・
是非「悪は存在しない」を
みてみて下さい。
むずかしいことほどやさしく
作家井上ひさしさんが遺した言葉に
「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そして
ゆかいなことはあくまでゆかいに・・・」
があります。
僕たちは
長く生きるようになって
年を重ねるごとに
何かをみたり、聞いたりした時に
もっと深い意味があるのではないかと
立ち止まって考え込んでしまうことが
増えている気がします。
井上ひさしさんがおっしゃっているように
真理に添って、シンプルに
そして美しく生きることが
しあわせにつながる気がします。
会いたい人に会いに行く
僕は出会いが
人生を切り開いてくれると思っているし
自分の人生を振り返ると
その人と出会ったから
その時には考えられなかった
道を今歩いている気がします。
ですから
運命を変えるチャンスを
人が運んでくると思っています。
運命の人との出会いがあるから
あなたの運命が新しいステージに向かうのです。
日々多くの人に出会うし
誰が運命の人なんかはわからない。
いきなりその人に出会うとも限りません。
でも、その人に出会うように
すでに運命の歯車は動き出しているのです。
それに気づくのは
あなたの意識ではなく
あなたの直観です。
僕の場合は本です。
本屋や図書館に時間があれば
行くようにしています。
そして、多くの本の中に
手を伸ばしたくなる
キラッと光るような本を手にすることが
あります。
なぜその本を手にしたのか
わからないけど
興味をひいたのは明らかなのです。
それが、直観なんです。
その直観を頼りに
手にした本は
必ず借りるか買うようにしています。
読んでいくと
これからの自分が動くべきヒントが書いてあったり
この本の著者に会いたいと思うようになり
そのその者者に会える気がして
この本を手にしてよかったと思えるのです。
そして、その気持ちは萎えることは
ありません。
そうすると
その方と実際出会え、新たな道を開いてくれるのです。
ですから
僕は会いたい人には会いに行こうと思っています。
忙しくても、時間がなくても
必ず会えて、あなたの人生の歯車が回り出すのです。
会いたい人には
必ず会いにいきましょう。
いない人の話をしない
人ってうわさ話がすきだなって
思いませんか?
テレビや週刊誌で
芸能人の話であっても
思わず耳を傾けてしまって
何だか
嫌な気分になるってこと
ありませんか?
日常生活でも
お話しをしていて
”○○さんって、最近・・・”って
その場のいない人のことを
話題にすることってないですか?
たとえ
その場にいない人のことを
心配する内容であっても
話しているうちに
話に尾ひれがつき、憶測が憶測を呼び
そして
どんどん悪い方向に話が進んでしまったとか
又は
誰かが悪口を言い始めて
黙って聞いてても
相槌を打ってるような気がして
結果一緒に悪口をいってしまってるような
気がしたことってありませんか?
悪口でなくても
例えほめる内容なことでも
その場にいない人のことを
話題にするのはやめましょう。
自分の知らないところで
話題にあがるって
いいことでも、悪いことでも
いい気持ちはしませんよね。
もし、いい話だと思っても
なおさら本人に直接お話しした人がいいですよね。
その場にいない人の話はしない
その場にいない人の悪口は決して言わない
ように心がけましょう。
そうは言っても
その場にいない人の事を話題にしないって
できそうでできないことのひとつかもしれません。
でも、
その事を心に留めて
人と接することで
だんだん
自分の心の中の責め心が小さくなり
人を思いやる気持ちが芽生えてくるような気がします。
その場にいない人の話をしない
実践してみませんか?
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著第二作「己を信じる道を進め!」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
Amazon、楽天で購入できます。
購入は
進め チラシ
喜んで支払う
月末になると、
色々な支払いがやってきます。
収入はうれしいけど
支払いはしぶしぶ
という気持ちになりがちですけど
倫理法人会創設者の丸山敏雄先生は
”支払いは早く””支払いは喜んで”と
おっしゃっています。
支払う時に
いやいや、嫌な顔して支払うと
支払いを受け取る方も
何だか、悪いことをしたような
嫌な気持ちになってしまいます。
支払われた人だけじゃなくて
買った物でも、受けたサービスでも
悲しい顔して支払われると
喜んでもらえなかったと
きっと
悲しい気分になってしまう
に違いありません。
そんな気持ちは
支払う側、支払われる側だけにとどまらず
じわじわと周りの全ての
人、物にまで
広がってしまいます。
だから、どんな時も
清々しい気持ちで
喜んで支払うことが
大事なんだと思います。
喜んで支払う
その潔さは
きっとその後
支払われた側との
信頼関係が深くなることでしょう。
出し惜しみすると
相手も買われたものも面白くないのです。
喜んで支払っていたら
お金は喜んで出て行って
喜んで帰ってきてくれる
そんな気がします
すると
お金に心配することはない
生活がすごせるのではないでしょうか。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著第二作「己を信じる道を進め!」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
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