投稿者「santa」のアーカイブ

迷惑をかけることを怖れずに

年をとることを
なぜ、怖れるかというと
よく聞かれるのは
「迷惑をかけたくない」
「こどもに迷惑をかけたくない」などという
声はよく聞きます。

人に迷惑をかけずに
生きたいという気持ちは
僕にもあるし、迷惑をかけていると思うと
大変恐縮してしまいます。

でも
夜中には年取った時だけでなく
一般的にも迷惑行為ということが
よくあります。

迷惑な行為は
自分が迷惑な行為だと認定しない限りは
迷惑とはカウントされないということを
忘れてはいけないのです。

人間の脳はかなり勝手なもので
自分が認識したくないものは
スルーできるようになっています。
ですから
「迷惑をかけている」と認識しないように生きれば
心穏やかに生きられるのでしょうか?

イヤイヤ、そんな生き方は
欺瞞であるのはいうまでもないことでしょう。

大体、迷惑をかけずに生きることって
人間はできるのでしょうか?
生まれてから、ずっと、誰かのお世話になって
生きることができていますし
究極、地球に対しては
迷惑ばかりかけているのは間違いないこと。

だから迷惑をかけずに生きることはできないと
自覚をして
だからこそ、感謝の気持ちを忘れずに
「ありがとう」の言葉とともに生きることが大事だと思うのです。

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健康な人とは

健康な人とは
あなたはどんな人だと思いますか?
五体満足な人?
病院にかかっていない人?
薬を飲んでいない人?

それでは
パラリンピック選手は
健康でないですか?
脳梗塞をおこさなように
お薬を飲んでる人は健康でない人?
生まれつきホルモンを補充している人は
健康でないのでしょうか?

健康というと
肉体的に病気がない状態と
考えてしまいがちですが
僕は病気があるかどうかだけで
健康であるかどうかは決まらないと思ってます。

僕が考える健康な人とは
今の自分を
精一杯生きている人のことを
いうのだと思います。

病気やけががあろうとなかろうと
今の自分の気持ちや状態を
しっかり受け止めて
今を生きている人が
健康だと思うのです。

メタトロンを行うと
臓器の状態の様々な状態がわかります。
全く問題ないから
少しエネルギーが落ちている
病気になっている状態まで
様々です。

でも
症状のない人もいます。
思ったところが悪くなく
別のところが悪い方もいらっしゃいます。

メタトロンしていて思うことは
その部分が悪い、いいと判断しないこと。
悪いから
あせって治療をしなくてもいい。
大事なのは
今の状態をいい、悪いとはんだんするのではなく
今、こんな風にからだは頑張ってくれているんだと
ありのままの自分を受け止めることが
大事なんだと
メタトロンは教えてくれます。

ありのままの自分を
まずは受け止めて生活することが
健康な人の生き方なんだと
メタトロンは教えてくれます。

あなた自身の
あなた自身の状態を
わかってあげるだけで
からだは健康の道へと進み始めるのです。

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いのちは地球より重い

僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。

ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」

この両面から
 いのちは支えられていると思います。

もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
 親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの

この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。

昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。

ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。

人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。

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悪人も善人もない

人間には
悪人でも善人もないと思うのです。
でも、実際人は
誰もが大なり小なりがあるとしても
いいことだってするし、ちょっと悪いことだって
することもあると思います。

罪になるかならないかは
ごく単純に、その時
思慮がかけていたかどうかってことに
なるのではないでしょうか?

人の道を踏み外してしまうのは
その人が悪人だからということではなく
愚かさではないでしょうか?
愚かな行為をしてしまうのは
ふとした瞬間、こころを愚かさに支配されてしまった
からではないでしょうか?

人間にはいい心も悪いこころもある。
罪を犯してしまうのは
その人が悪人だからではなく
その人をそうさせたことを汲み取らないと
おぇないのだと思うのです。

だから
人を責めてはいけないのだと思うのです。

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数字の不思議~私たちのからだは宇宙とつながっている

地球の海と大陸の割合と、
からだの中の体液と臓器の割合は
どちらも7対3。

海水のミネラル成分と
羊水のミネラル成分は
ほぼ同じ。

 1分間の呼吸数は約18回で、
その回数は1分間に
穏やかな海が寄せる
波の回数と同じ。

これって、ひとは
海からうまれて
地球にいのちを育まれている
証拠なのかもしれない。

他にも数字の不思議があります。
18の倍は36。
36は人間の平均的な体温。
さらに
倍の72は平均的な脈拍数。
その倍は血圧の最高値と
ほぼ一致。

女性の生理周期や
皮膚の新陳代謝の周期は
約28日。
月の満ち欠けの29.5でほぼ同じ。
月のリズムもからだと結びついている。

いのちは
地球の、月のそして宇宙のリズムと
つながって生きている。

いのちは
特定のリズムをもって生きている。
だから
体調が崩れているときは
からだのリズムが崩れている

熱が上がり
呼吸数が増し
血圧が上がり
体液のバランスが崩れてくる。

からだのリズムが崩れ始めると
病気の状態になってくる
からだのリズムを取り戻せば
病気を治すことができる。

地球のそして宇宙のリズムに
この身を委ねることができれば
健康でいられるのです。

エネルギーを調え
からだのリズムを調える医療が
これからの真実の医療だと思うのです。

ですからエネルギーの乱れを調え
リズムを調える医療を
ナチュラルメディカルセンターでは
おこなっています。

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あの世があると思って生きてみよう

死んだらどうなるのか?
あの世があるかどうかの
答えがでることは
生きている限り得られることはないでしょう。

ですから
死んだあとのことに
永遠にこの世ではわからないでしょう。

でも
生き方として
あの世があると信じて生きるか
あの世がないと思って生きるかを
選ぶことはできます。

もし
あの世なんてない。
死んだら全て終わると考えたら
自分の好きなように生きる
自由気ままに生きてもいいんです。
そして死んだ時
本当にあの世がなかったら
楽しいことも全て無となってしまいます。
あのときの楽しさは一瞬で消えてしまいます。
なんか虚しいですよね。
逆にあの世があったら
楽しかったけど
もっと周りの人も考えて生きればよかったかな
自分勝手な生き方を後悔することでしょう。

もし
あの世があると思って生きると
楽しい時も苦しい時も
全てのことに意味があると考えられ
感謝の気持ちをもって生きることでしょう。
そして死後の世界がなかったとしても
その時に全てがなくなっても
苦しいことも報われ、無になっても
満足、納得して消えることができる。
もし、あの世があれば
なつかし人に再会を喜び
生きてきた人生を労ってくれることでしょう。

あの世があると信じて生きた方が
充実した人生を送れるように思えませんか?

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日々是好日

この言葉は禅の言葉で
「どんな一日もよい日だ」という意味だと
解釈されますが
今日、今がいい日だ、今日が最良の一日だとすると
明日もいい日、明後日も、明明後日もいい日になるし
逆に
昨日も、一昨日も最高の日を生きてきたとしたならば
毎日を好日で生きていたら
生きている日にいい日も悪い日もないのでは
ないでしょうか?

だから
今日が好日か不好日かということには
意味がないということを言っているのではないでしょうか?

要は
毎日がよい日なら、もはやいいも悪いもないという意味を
この禅語はいいているのではないでしょうか?

実はこの禅語の前には、こんな言葉があります。
「十五日以前は、則ち問わず。
十五日以降は則ち如何」
「十五日以前のことは問わないが
十五日以降のことはどうだ?」という意味です。

これは
以前と以後を
人生の前半と後半と解釈することもできます。

この言葉は
人生に価値のある時とない時があるのか?
と問いかけていると思うのです。

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いつまでも夢をもち続ける

夢をもっていますか?
夢がかなったら
どんな気持ちになると思いますか?

夢について
どんどん考えてみて下さい。

”こんな風になりたい”と
思っただけで
なんだかワクワクしませんか
そんなワクワクするような
心躍る夢を持てたら
それだけで
しあわせに気分になりませんか?

夢って
叶えることが大事じゃなくて
夢を持つことが大切なんと思う
でも
新しいことを
始めようとすると
まわりから反対されたり
様々な困難なことが
起こるかもしれない。

”夢”持っている限り
どんな困難にも
立ち向かうことができる。

”夢”を持ってるから
”自分”を信じて
あきらめずにやり抜くことは
できるんだと思う。

夢に向かっていく生き方は
人生を
輝き、豊かなものにしてくれる。
そして
夢は
いくつになっても
持ち続けることができる。

人間、志を立てるのに遅すぎることはない
いくつになっても夢は叶う。
いくつになっても
夢を持ち続けることはとっても大切。

人は死ぬまで
理想に向かって
夢に向かって
生き続けることができる
”夢”をもつ生き方が
人生を輝かせてくれる

さあ
”夢”に向って
輝く未来に向かって
生きていきましょう。

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表と裏

 

今、我々の人類は
大切な岐路になっている気がします。
新型コロナウイルスパンデミックを経験したのも
物質主義の対する警鐘だったのかもしれません。

科学の発達した
現代社会に生きる我々は
目に見えるものしか
頭で納得したものしか
信じられなくなっています。

でも
コロナウイルスの登場によって
科学は万能でなく
目に見えるものが全てでないことを
知る結果になったのではないでしょうか。

この世に存在する全てのものには
裏表の2面性があります。
目に見えるものと、見えないもの。
例えば光と影。
影があるから、光を感じることができます。

谷川俊太郎さんの
「闇は光の母」という詩を紹介うします。

闇がなければ光はなかった
闇は光の母

光がなければ眼はなかった
眼は光の子ども

目に見えるものが隠している
目に見えぬもの

人間は母の体内の闇から生まれ
ふるさとの闇へと帰って行く

つかの間のひかりによって
世界のかぎりない美しさを知り

こころとからだにひそむ宇宙を
眼が休む夜に夢見る

・・・・・つづく

全てのものが
目に見える部分、見えない部分から
成り立っていることを
知らないといけないのです。

我々のからだも
肉体と心、肉体と魂
見える部分、見えない部分から成り立っているのです。

これまでの医療は、
検査技術を駆使して
原因をあぶり出し見える化して
それに対応して治療してきました。
でも、
これでは表の部分しか治療していないと言うことですね。

目に見えないところにある
裏の部分を治療しないと
病気は完治できないのです。

コロナウイルスに対して
我々がやったことは
PCR検査の充実
ワクチンの普及などの目に見える効果を期待したことでした。

でも、本当に元気に、しあわせに生きようとするなら
目に見える結果だけでなく
目に見えない影の部分にもアプローチしないといけないと
考えます。

そして、
コロナウイルスも、病気の原因にも
表と裏、光と影の面があることを
知らせようと思ってる気がするのです。

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病気にならないための生き方

病気になったことで
今まで気づかなかった
様々なことを教えてくれる
それに気づくとともに
これまでの過ごし方に
反省させられることも多い

入院していた時
1ヶ月過ぎた頃から
リハビリの合間の時間や
寝る前に読書ができる余裕が生まれてきました。

元々読書は好きで
毎日活字をみないと
ストレスを少し感じてしまうくらいほど
様々な本を入院中も、
今も続いてますが
入院中出会った本は
今でも僕に影響していると思えるような
記憶に残っている本です。

その中の一冊
友人の先生から貸していただいた本
内海康満著「霊止の道」

それまでの自分なら
手にしなかった本を
今読んだ方がいい本だからと
持ってきていただき
その言葉の意味が読見終わってわかりました。

その本には、次の内容のようなことが
書かれていたのです。

「自分のために生きない
と病気になると」
中真という書き方もされていましたが
自分をど真ん中にして考え生きましょうって
ことでしょうか。

人が喜ぶからでなく、
自分のために
自分が喜ぶ生き方をしてないから
生きないから病気になる。
自分を中真に持って生きることが大事なんだ。

そういえば
昔別の友人が
自分の疲れない生きをしない
といっていたし、
妻も
自分を大事にする生き方をしてね。
とよく言われてました。

自分の人生なんだから
人のために生きるのではなく
人に喜ぶ前に
まずは自分が喜ぶ生き方をしなさいと
いわれたような気がしました。

これからは自分のため
中真で生きてみようと思ったのです。

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