投稿者「santa」のアーカイブ

遠い山なみの光

人は希望と夢を持っているから
生きていけるだ。

ノーベル賞作家カズオイシグロ原作の
映画をみた。

カズオイシグロは長崎出身である。
過去の長崎と現在のイギリスとを
人生を描きながら話しを進んでいく。

長崎で原爆を経験した
二人の女性のその後を描いた人生。

被爆地にいたことで
原爆の恐怖、周りの偏見、将来の不安を
抱え生きている二人の女性。
新しい希望を描いて
外国で生く決断をした二人。
しかし、そこでも苦しい現実が待っていた。

戦争が
どんなに深く傷跡を残し
運命を変えてしまう。
でも、生きていかないといけない現実。

平和について改めて
考えさせられた映画だった。

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こころがこもった言葉

南極観測船「ふじ」に乗り込んでいる
夫に宛てて
日本にいる奥さんが打った電報は
ただ3文字「ア ナ タ」。

たった3文字の言葉だけど
その言葉に込められた思いが
当事者でなくても伝わり
奥さんの夫を思う気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

人は言葉を使うことで
多くのことを人に伝えることができるようになった。
そして
現代は、本、手紙、電報、作文だけでなく
SNSを使って
今感じることを文章で伝える手段を多く持つようになった。
実際
直接話すよりも
文章で思いを伝えることが増えてきた。

かつては
目を見て話しなさいとよく言われた。
発する言葉が相手に伝わるように。
でも今は
どんな文章を書く時には
「こころを込めて」書くことが大事になってきているような
気がするのです。

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目に見えないのは人間だけ?

目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。

実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。

虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。

このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。

見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。

今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。

だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。

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進路指導②

医者になる道を
選択したものの
本当に心に描いたような医者になれるか
自信がなかったのでしょう
今とちがう形で
夢を描いていました。

医者には
患者さんを診る医者と
研究する医学者という道があります。

当時
僕には姉が生化学の研究者である方と
結婚することが決まっており
将来有望な医学者として
期待され、近々アメリカへ留学される
予定の彼であり
時々、医者についての話を聞くことがありました。

義理の兄となる人の
後ろ姿を診ながら
そうか、研究者という道がある
そうすれば、世界を股にかけた仕事で
人を助けられるんだ。

そうだ
留学して、癌についての研究をしよう。
そんな医者になろうと決意し
受験勉強に取り組んでいました。

でも、理科的発想ができないのに僕が
世界を渡り歩きたい
そんな医者になる道を選び
それが科学者というのも
今考えている理想とした医師像から
少しピントが外れた選択だったんです。

そういえば
理科系でも難関と言われる医学部に
文科系人間の僕が挑むと決めたのは
医者は理科系頭は必要ない。
人の心も考えないといけない
生き方も、倫理観、そして哲学、宗教感も必要
受験に理科系科目が必要なだけで
医者は理科系頭じゃなくても
できるからと思ったから理科系を選んだんです。

理系に言っても
僕の進む道は、医者になっても
世界を渡り歩きたいと思っていた夢は
その時点で持ち続けていたんですね。

医学者として
世界で活躍する医者になろうと決心したのですが
僕はなぜか
臨床医になるのは
夢の夢と思ってたのでしょう。
ひと言でいうなら
サラリーマン家庭でもなれる
医者の道を歩くことを決めたんですね。

まだまだ迷いの多い決断でしたが
魂もこの決心にちょっとほっとしていたのでは?

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先輩医師の死

知らせは突然だった。
メールが届いた時には
忘れられない名前なのに
本当に先輩の名前なのか
わからなくなるぐらい
混乱していた自分がいた。

最後にあったのは
昨年春の小児科学会。
お昼のセッションで偶々出会い
一緒に昼食を摂ったのが最後だった。

研修医時代に
新生児医療に対して
文字通り一から教えていただいた
先輩医師。

その指導は
厳しくも、やさしさもあり
いつも僕を信じて指導してくれた。

最後にお会いした時も
そのお人柄は
当時とは全く変わらなかった。

その先輩が、もういない。

その先輩の死が信じられず
生きている証を捜そうと
HPを訪問した。

すると、そこには最後のお知らせが。
そこには病気療養のため
今週末でしばらく休診すると。

そして
休診予告の日が
亡くなった日だった。
亡くなる直前まで
病と戦いながら
こどもたちの診療に当たっていたのだ。

文字通り
いのちの削りながら
過ごされていたのだ。

その生き様を知って
僕にこのように最後まで
小児科医として生きていくことを
教えて下さった先輩医師。

本当に大きなことを
教えて下さった先輩。
ありがとうございます。

ご冥福をお祈り申し上げます
合掌

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かぜ

朝晩冷えていくと
咳、鼻水、熱と風邪ひきさんの受診が増えます。
誰でも知ってる風邪という病気。
でも、風邪というどんな病気なのがわかりにくいです。

今日は正しく風邪を理解していただけば
あわてなくていいかもです。
そこで、今日は風邪についてお話しします。

こどもはよく風邪をひきます。
年に5,6回はひくともいわれています。

よくある病名なので
くしゃみ、鼻水、のどの痛み、咳、熱、頭痛、だるい、食欲がない
などの症状があると
誰もが、あら、風邪ひいたかな?と思います。

でも
この症状って風邪に特有な症状ではありません。
なぜ、どうしてすぐ風邪と思ってしまうのでしょうか?

風邪の正式には
”風邪症候群”という病名です

症候群というのは
様々な原因で似た症状が泡われて、
大体同じような経過をたどる病気をまとめて
症候群と言います。

原因は様々でも、症状は同じ病気のことだと言えます。

風邪の原因の8~9割以上は
インフルエンザ、パラインフルエンザウイルス、RSウイルス、アデノウイルス
ライノウイルス、エコーウイルスなど代表的なものでもこんなにありますが
その他にも多数あり
原因となるウイルスは400種類以上もあると言われます。

ですから
風邪は何度もひくということになります。

残りの1割は
最近、マイコプラズマ、クラミジアなどが原因です。

赤ちゃんや保育園に行き始めたおこさんが
良く風邪をひいてしまうのは

これまでに、風邪のウイルスにさらされなかったこと
集団生活で
こども達自身が様々な風邪のウイルスを持ち込むことで
何度も、風邪をひいてしまうことになります。

風邪は、ほとんどがウイルスが原因なので
細菌に対する薬である抗生剤は
ウイルスには効きません。
ウイルスを直接やっつけることはできないので
咳、鼻汁、熱などの症状を和らげる治療が中心になります。

風邪の特効薬がないのは
こういう理由です。

こども達はすぐ風邪をもらってしまいます。

風邪のウイルスは
鼻、のど、気管支の粘膜で増えます。
そして、増えたウイルスが
くしゃみ、痰、咳、鼻汁にのって体の外に広がります。
抵抗力が落ちていると
感染した後に、またウイルスが増えて
症状を出してしまうことになるのです。

ですから
日頃から抵抗力をつけておくことが大事です。

特に冬は
気温が低く、乾燥しているので
風邪のウイルスは活発に活動し
身体が冷えると、呼吸器系の粘膜も血の巡りがわるくなり
抵抗力が落ちてしまいます。

日頃から
食事や水分を十分を摂ること
寒さに負けない体力作り
が大切になります。

またウイルスは
鼻水のついた指、ハンカチ、便などからうつるので
うがい、手洗いは
とても大切なことです。

風邪は
何度もひいて、強くなっていくもの。
風邪をひいたことに
一喜一憂せず
日頃からの体力作り、生活習慣が大切なのかもしれません。

 

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進路指導

医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。

それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。

自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。

ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。

でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。

何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。

その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。

みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。

僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。

その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。

僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。

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よくなろうと頑張らなくていい

病気になって、治療が始まると
周りの人は
病気に負けるな
頑張れ・・・と応援し
病気の本人も
その気持ちに応え
病気を治すことを
闘病などといい
病気に負けないように
頑張る気持ちを自分自身で鼓舞します。

確かに
病気から治すために
周りの人の
自分を思う気持ち
悲しませてはいけない
まだまだ役割があると
自分の気持ちを鼓舞して
健康を目指せば
からだは患者さんの気持ちを受け取り
病気を治してくれるでしょう。

ただ単に
”よくなろう”と思うだけでは
決して
からだは健康に向かわないし
あまりいい結果は生まれないことを
傍で見ていて
感じることがあります。

これだけ頑張ってるのに
なぜ・・・と
治療するものとして
歯がゆくなることもあります。

でも
からだ(肉体)とこころがつながっている
人間の根本は
魂ではないかと
思うようになって
少しずつですが
そのちがいが見えてきたきがします。

ただ
「よくなろう」と思うことは
決して悪くない
力強いご自身の強いお気持ちだから
力になってくれるはずですけど
よくならない時、ひょっとして
「今、この状態は自分にとってよくない状態だと」
病気になった自分のことを
憎んではないでしょうか?

ここに至るまでの
ご自身の生き方を振り返ることなく
ただただ、病気を憎む。
それをバネに病気を戦う、闘病する力にするのですが
ここまでからだを苦しめたのは
からだではなく
ご自身ではないでしょうか?
それに気づいてもらいたいと
からだ自身は思っているのではないでしょうか?

もし
その点に気づくと
からだが気づいてくれてありがとうと
涙を流して!?喜んで
あなたの治りたい気持ちを
受け入れて
あなたのために頑張ってくれる
つまり
治癒に向かうはずです。

病気になったとき
ただ「よくなろう」と
闘う前に考えないといけないことがあった
病気の時も自分のからだに対して感謝することだと
僕も自分の病気をして
気がついたのでした。

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清少納言

清少納言といえば
「春はあけぼの・・・」ではじまる
「枕草紙」の作者で有名です。

実は幼い時父・清原元輔が
周防の国司になられ、現在の防府市にあった
周防国府に赴任されていたようです。

自分が今生きているところに
1200年前の超有名な女流作家がいたなんて
とても浪漫を感じてしまいます。

ただ清少納言は
清原元輔の晩年にできた子で
赴任を命じられたのは974年。
清少納言は966年頃生まれたと言うことなので
清少納言が当時のこと(思い出)とわかることを
残念ながら書き残してはいません。

ただ「枕草紙」160段に
「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船。
人の齢。春、夏、秋、冬」という
文章を残しています。

この文章は
おだやかな海をゆったり
帆をあげた舟に乗っている時のことを思いだして
書いているのでしょうか。
すれ違う船はどんどん過ぎていく。
きっと瀬戸内海を
父親と乗った時の楽しい思い出を思いだし
きっと
今は自分もおとなになり
もしかしたら父親も亡くなっているかもしれない
そんな時間の流れを感じたのでしょう。

きっと
清少納言にとって
防府にいた時は
父親と過ごした楽しい思い出の時間だったことでしょう。

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神秘体験

僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。

僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。

でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。

最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。

それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。

魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。

ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。

著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。

「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。

つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。

僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。

重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。

これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。

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