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病気を作らないで
メタトロンをはじめる前に
今の状態、これまでの病歴など
お聞きしますが
その時、よく出てくるのが
頭痛、疲れやすい、食欲がない、睡眠が悪い
という症状を仰る方がいらっしゃいます。
頭痛、食欲がない、睡眠が悪いと聞けば
程度はわからなくても
仰りたい意味はわかります。
でも
医者が未病を観たときにつけやすい病名を
仰るかたもいらっしゃいます。
診断名を言われると
実際どのようなことに困ってるのかと
疑問に思い
具体的にお聞きすることはよくあります。
例えば
先日は虚弱なんです。といの一番に
仰った患者さん。
虚弱って
どんなことで虚弱だと思ったのだろうか?
さりげなく使われた
伽弱という言葉の意味に引っかかってしまうのです。
お聞きすると
疲れやすい
下痢になることがある
頭痛がある・・・・などなど
具体的に説明して下さいました。
なるほど・・・と早速メタトロンを開始しました。
メタトロンは
からだのエネルギー状態を
頭から足の先まで
皮膚、筋肉、骨から胃、腸、脳、生殖器など
全身隅々まで
必要とあれば遺伝子レベルまで
チェックします。
すなわりからだ全体の自然治癒力の有無を
診ていくのです。
虚弱が心配な患者さんは
腸も、脳も、胃もエネルギーは普通レベル以上にあり
とても虚弱な臓器とはいえない状況でした。
虚弱(虚弱体質)は実は医学的病名ではなく
特定的な疾患があるわけでなく
からだに何らかの不調が常にある状態を言うことが多く
未病の代表的な病名なんです。
そして
その実態は生命エネルギーが少ない状態が
原因だとわかってきました。
エネルギーが落ちた状態が虚弱だとすると
この患者さんは
メタトロンでエネルギーの低下はないので
虚弱と言えます。
でも
だるい、頭痛、下痢が起こるのですよね。
これは、生活の中で
オーバーワークすぎること
からだの使い方、休息の取り方が
間違っていることが原因だと思われました。
早速
虚弱体質ではなく
きちんとからだのエネルギーに合わせて
からだを使い、生活することを
助言しました。
そして同様に虚弱ではないので
安心して下さいともお伝えしました。
患者さんは
うなずかれながら
話を聞いてくれ
笑顔で帰って行かれました。
次回は
今日よりもきっと元気な笑顔を
見せてくれると思ってます。
人って
自分で考えて病名をつけて
今の現状を納得しようとする
悪い癖があるんです。
頭で病気を作ってしまいがちなんです。
メタトロンは
あなたの本当のからだの状況を教えてくれます。
不安を吹き飛ばすツールとしても
役立つことでしょう。
カテゴリー: 真実の医療
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ハート☆エンド
萬田医師の
緩和ケアーをうけている患者さんを追った
ドキュメンタリー映画を観た。
どの患者さんも
末期ガンの患者さんで
余命が数ヶ月の患者さんばかり。
この状態で
自宅に帰っても
ほぼ寝たきりで、医療行為をうけながら
最後を迎えるのが普通かもしれないが
この映画の患者さんは
みな笑顔で、亡くなる前には
自分の言葉で、はっきりと
周りに感謝の言葉を伝え
旅立って行かれる。
残りの日を
家族に囲まれながら
好きなお酒を飲んだり
ゴルフをしたり、旅行や温泉に行ったり
何も制限されることなく
残りの日々を笑顔で過ごしていた。
もちろん
最後は死が訪れた時には
満足して心残りなく旅立たれたのが
印象的。
その死は悲しみがないわけではないが
周りの家族も本人が満足して逝かれたことに
やりきった表情を浮かべるのが印象的だった。
萬田医師は
必ず訪れる死を医学の敗北と捉えず
死を前向きに考えて、怖れもない。
僕も、萬田医師と同様の考えである。
生まれることにも意味があるが
死にも大きな役割がある。
誰にも訪れる死を
こどもだけでなく、孫にも伝えていくことが
先に逝くものの
大事な役割だと考えさせられた映画だった。
カテゴリー: 真実の医療
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病気になぜなる?
前回のブログで
薬は直接病気を治すためにではなく
自己治癒力をあげる目的で
服用するのがいいと書きました。
薬で病気を治してるんじゃないの?
なぜ?って
思われている方も多いでしょう。
薬の働きを考える前に
なぜ、病気になるのか?ということを
知らないといけないでしょう。
病気の原因は
ウイルス?細菌?毒素?免疫力の低下など
さまざまなものが知られています。
コロナウイルスを含めて
この世にある病気の多くは
みんながかかるわけじゃない。
病気になる人とならない人がいるのは事実。
病気になるか、ならないか?って
運、不運なんでしょうか?
そもそも病気になるということは
実は
こころに思うこと
今、感じてること
言葉で話したこと、食べることや
生きているうちの様々な行為全てにかんよしていて
今まで生きてきた生き方が
自然の摂理に反して過ごした行為が続くと
体内隅々に流れている
生命のエネルギーの流れが停滞し
それによって
体全体の調和が乱れたために起きるのです。
その中で
エネルギーの滞りをしらせるために
様々な症状がでてくるのです。
頭のエネルギーが停滞し頭痛や不眠症がおこり
からだの異物を排出できなくなり湿疹がでたり
下痢も出たりするのです。
先日
試験前になると
のどになにかひっかかるような感じが続くと
学生さんが受診されました。
PMが飛んでる時期でもあり
うがい、のどの乾燥を防ぐ対策を伝えて
様子を見てもらったのですが
その後も治まらないと受診されました。
診察上も検査上も異常は認めません。
耳鼻科で喉の内視鏡も必要かと思いましたが
もういちど、話をよく聞くと
不思議なことに
勉強しているときに起こる現象で
寝てるときや
授業中に起こることはない
もちろん食事も何も違和感なく採れるている。
自宅学習している時に
起こっているようだ。
その時の
状況をよく聞くと
勉強に集中できないときに
起こっているようだ。
話をききながら
集中力が途切れたときに
集中力の途切れたことを知らせる
サインではないか?と
気づいたのです。
だから、その時には
今集中力が途切れてると自覚し
ちょっと気分転換して
集中力が途切れていたのだとと自覚し
一息入れて
勉強をはじめることをすすめた。
でも
痰が絡むこともあるので
去痰剤を飲んで
気分転換して勉強を再開すると
治るよ。と伝えた。
患者さんは少し不思議な顔して
帰っていったが
その後、治ったよ。
先生、この薬すごいねと
明るい笑顔で受診してきた。
その笑顔をみて
試験結果も善かったことを知りました。
薬を服用して
症状を抑えようとしても
根本的な問題解決にはならないことを
改めて教えていただきました
カテゴリー: 真実の医療
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朝を迎えたしあわせ
朝目覚めた時
目覚めたことに感謝。
今日もまた頑張るぞという気持ちになっていることに
自然になっていることに
いつもありがとうという気持ちになります。
日頃診察していても
睡眠の大切さをいつも感じます。
睡眠は単に
からだの疲れを取るためでなく
頭の疲れるを取ることが大事。
なぜ、回復するのか?
ただ単に休んでいるからだけでなく
実は
エネルギーを身体中にうけているためではないでしょうか?
そのエネルギーはどこからきているのか?
僕は宇宙から降り注いでる気がします。
ですから
朝の目覚めがよいのは
からだにエネルギーが補充されたからなんだと
宇宙からのエネルギーに感謝しています。
カテゴリー: 今日の言葉
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中秋の名月
朝日の出前に
神社におまいりするのが日課です。
まだくらい時間の散歩でも
街灯が道を垂らしてくれるので
こけることもなくお詣りできているのを
有り難く思っています。
でも、日によっては
道全体が明るく照らされている時があるのです。
その時
明るい方向を見上げると
まん丸のお月様が輝いているのです。
月は太陽に比べて
地味な存在ですが
改めて月明かりの力を肌で感じるのです。
現代は
電気の力で
暗いはずの夜を昼間と同じように
過ごすことができるのです。
でも、それはごくごく最近の話し。
きっと夜は今よりもずっと暗く
月の明かりが頼りに
恋人に会いに行ったりしていたのでしょう。
そんな夜の生活を支えたのが
月の存在を昔の人は感じ
感謝して
明るい夜を楽しんだのでしょう。
お月見団子を
月明かりで食べる。
きっとお団子のおいしさは
格別だったことでしょう。
カテゴリー: 今日の言葉
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レッドマンが伝える医療人に必要な条件
人類の歴史の中で
常に向き合ってきたことのひとつに
病と死という問題がある。
これを人生最大の困難、苦難ととらえ
人類は
様々な努力をして
いまだ克服できていません。
死を克服できないのには
それなりの理由があることに
病気になり、様々な人々の病と
向き合ううちに
感じるようになりました。
死については
これから追々お話をしていこうと思いますが
現在は
医師として生きているわけですし
健やかに生き
この人生を有意義に過ごせるように
導くことが
僕たち医師としての
役割であると思います。
そのために、我々医師は
医療技術を学ぶと同じぐらい
人として学び続け
豊かな人間性を身につられてはじめて
ひとりの医療人として認められるのだと
思っています。
そうした医療人として
どうあるべきかを考えたのは
なにもここ数世紀の話ではなく
人間がずっと抱えてきた課題だとも言えます。
北米大陸の先住民の
レッドマン(インディアン)の世界でも
病気の治療を行ったひとを
シャーマンと呼び
特別の力があるように崇めていたようです。
そして
シャーマン自身も自ら医療人であるために
第一に謙虚であること
第二に愛にあふれていること
第三に高い霊性をもっていること
以上3点を重視していたそうです。
これはレッドマンの医療人に対してだけ
通じる点だけでなく
このまま現代のどの医療従事者にも
もっていなければならない素質では
ないでしょうか?
つまり
現代医療は、技術の高さや知名度が
最優先されがちですが
そのに加えて
高い人間性、霊格、霊性を備えることも
重要だと言うことです。
イエスキリストは
「人はパンのみで生きてるわけではない」という
言葉を残しています。
シャーマンは最も重要なことは
「霊性と倫理観を高めるために
できるだけの時間を費やして生きるべき」
といってます。
昔の賢者の述べた言葉にも
謙虚に耳を傾けることが
今の医療人にも大事なんだと思います。
カテゴリー: 真実の医療
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全てが手に入る世界
死後の世界は
芸術家だけでなく
全ての人が生きているうちに実現したかった
ことが叶う世界だそうです。
肉体はなくなっても
生きていたときの姿で過ごすのです。
しかし、ちがうのは・・・
からだに不自由があったとしても
五体満足で
行きたいところに瞬時にいけます。
会いたい人に思えばすぐ会えます。
行きたかったところにも
考えたとおりのところに行けるのです。
地球自体も
空はどこまでも青く住む渡り
宝石のように花々が美しく彩り
太陽のエネルギーを受け取り
人々はも生命力あふれ輝いています。
人はエネルギー状態なので
食べる必要もなく
お金も必要ない
何でも欲しいものがすぐ手に入る世界。
肉が好きだった人は、好きなだけ食べられ
甘いものが好きな人も
お酒が好きな人も
からだのことは心配せずに
思う存分欲求を満たすことができるのです。
夢が全て叶う
生きているときには考えられなかった
夢の世界が待っているのです。
全てやりたかったことができているのに
だんだん
肉体がないからなのか
思ったほど美味しくなく
やりたかったことをやっても
次第に満足できなくなるのです。
そして
自分がなぜこれを欲していたのか?
それと同時に
生きている時の人生を
振り返り考え、次第に反省するようになるのです。
それから
人々は次のステージに向かっていくと
言われています。
カテゴリー: 今日の言葉
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「病気」と「病」の違い
原因のわからない発熱や
いつもと違う阿不調や違和感、痛みなどは
からだのどこかに
健康障害が生じている証拠。
これを「病」といいます。
この段階で
適切な診断をうけ、治療をおこなえば
必ず治るのに
病院に行くのがおっくうだとか
薬なんかのみたくない
自分でなんとか乗りきろうと頑張ってしまって
治ればいいけど
治っていかないと
「悪い病気ではないか」と
勘ぐったり、心配になって
どんどん不安な気持ちが大きくなってきます。
この状態になっていくと
だんだん弱気になって
気持ちがどんどん病に向かって言ってしまい
「病気」になってしまうのです。
つまり
「病」は身体の衰え
「病気」は気持ちまで落ちてしまった状態なのです。
是非、病気にならないように
するのも医師の役割です。
カテゴリー: 真実の医療
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夢が叶う世界
誰もが知りたくても
知り得ないもののひとつに
死後の世界がある。
誰もが
確実に経験する世界だけど
生きているうちには
経験することはできない。
そして、死後の世界を経験した時には
そのことを誰にも伝えることはできない。
自分で死ぬまでは
経験するまでは
経験できないけど
必ずいく世界だから
興味は湧くし
想像の翼は広がる。
これは
僕だけの思いだけでなく
みなさんもそうだろうし
今すでに死後の世界を経験している人も
生きているときは
きっと知りたくてたまらなかった世界だろう。
死後の世界の興味があるから
仏教、キリスト教などの
宗教が発達したのも
頷ける。
でも、時々
死後の世界をみたといって
語る人や、本にであうことがある。
先日
喜多良男作「死帰」という本を
たまたま手にした。
その本には
死後の世界についてのことについて
事細かく書いてあった。
どこまでほんとで、信じていいかの基準は
全く読んだ人で異なると思うけど
そうかも?と思えることがあったので
少しずつ僕の感想も含め
紹介しようと思う。
そこには、死んだ後
こうなると書いてあった。
生きているときの願いが全て叶うのだと。
例えば
画家の人は、
生きているうちには
出会えなかったほどの美しい風景に出会い
今までかけなかったほどの美しい絵がかける世界だと。
もし、音楽家なら
これまでこんなに美しく演奏したことがないほど
自由に楽器を演奏することができる世界。
つまり
こうありたいと思う
理想の自分になれる。
と書いてあった。
それを読んだとき、ふと
ある著名なピアニストの
辞世の言葉を思い出したのです。
そのピアニストは
ご臨終の時に
「ラフマニノフもバッハもモーツアルトであっても
どんな作曲家の曲でも
美しく弾くことができる奏法がわかったの」
もちろん、
そのみつけた演奏を実際に
僕たちは聞くことはできないのですが・・・
僕が思うに
そのピアニストは
生死を彷徨いながら
ある瞬間死後の世界に生き
願いが叶ったのだと思います。
どんな音楽であっても
満足に美しく弾けたと。
この本を読んだときに
この言葉を思いだし
生きている時に願った世界なんだ
死後の世界は・・・と確信したのです。
でも
それで完結するのではなく
続きがあるのです。
それについては、次回に
カテゴリー: 今日の言葉
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気の正体とは
精神的な話しをすると
中々理解してもらえないことが多い。
それは
「気」というものの存在を
漠然としてわかっていても
その正体w聞かれると
???となってしまうからでしょう。
日本語には「気」のつく言葉は
たくさんあります。
「元気」「気持ち」「気合い」「気分」など
どれもこころに関連するものが多いので
実態が眼に見えないものなので
それがわからないものなのでしょう。
具体的には「気」とは・・・
偉い先生は
「あらゆる力は
それがなんの種類であるかを問わず
全て「気」というものから生まれる」
すなわち
「一切の生物の生命を生み出し
そして、その生命を生かしている究極的根源だ」
という人も。
わかりましたか?
僕もうまく言えないけど
生きていくための力なんだと
漠然と理解しています。
もしいい説明があったら
教えて下さい。
カテゴリー: 真実の医療
気の正体とは はコメントを受け付けていません
