投稿者「santa」のアーカイブ
清少納言
清少納言といえば
「春はあけぼの・・・」ではじまる
「枕草紙」の作者で有名です。
実は幼い時父・清原元輔が
周防の国司になられ、現在の防府市にあった
周防国府に赴任されていたようです。
自分が今生きているところに
1200年前の超有名な女流作家がいたなんて
とても浪漫を感じてしまいます。
ただ清少納言は
清原元輔の晩年にできた子で
赴任を命じられたのは974年。
清少納言は966年頃生まれたと言うことなので
清少納言が当時のこと(思い出)とわかることを
残念ながら書き残してはいません。
ただ「枕草紙」160段に
「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船。
人の齢。春、夏、秋、冬」という
文章を残しています。
この文章は
おだやかな海をゆったり
帆をあげた舟に乗っている時のことを思いだして
書いているのでしょうか。
すれ違う船はどんどん過ぎていく。
きっと瀬戸内海を
父親と乗った時の楽しい思い出を思いだし
きっと
今は自分もおとなになり
もしかしたら父親も亡くなっているかもしれない
そんな時間の流れを感じたのでしょう。
きっと
清少納言にとって
防府にいた時は
父親と過ごした楽しい思い出の時間だったことでしょう。
神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。
著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
熱がでるのも恵みです
患者さんの心配になる症状の一つに
「熱」があります。
熱があると
元気であっても
大変熱を下げないとと
解熱剤をつかったり
病院に夜中でも駆け込んでしまう
一番、心配な症状の一つでしょう。
熱→悪い病気→熱を下げないといけない
という構図ができあがっていると思います。
確かに
熱が出す病気は様々なあります。
重症な病気が隠れていることもあるので
注意を要する症状の一つであるのは
まちがいありません。
ですから
熱が出るとき
病院にかかることは間違いではありませんし
遠慮なく病院にかかって欲しいです。
でも、熱が出ている時に
心得ていて欲しいのは
熱→あわてて→熱を下げたい→解熱剤を使う
という行動パターンに走るのは
ちょっと待って下さい。
熱=病気のサイン だけれども
熱=悪いサイン とは限らないと言うことを
憶えていていただきたいです。
からだの中に
ウイルスや病原体がからだの中に入ると
様々な免疫細胞が働いて
からだを攻撃する病原体を排除しようとします。
その時、神経細胞は
免疫細胞が病原菌と闘っていることをキャッチして
免疫細胞を援護射撃するかのように
体温中枢神経に働きかけ
体温を上げて、熱を出させているのです。
病原体は熱に弱いからなのです。
熱が出ると言うことは
病気を治そうとする
からだの働きなんです。
そこで
あわてて、解熱剤を使ってしまうと・・・
からだがあわててしまいます。
あれれ、熱上げようとしてたのに
熱が上がらなかった。
大変だ、もっと全力で体温を上げないと
全力で熱をだそうとします。
その時
毛穴を塞ぎ、血管を縮ませ
体温が外部に漏れないような体制をとります。
だから、熱が上がるときは寒がったり、震えたりするんです。
そして
その時に熱を上げるために
体力も使って、ぐったりって言うことにもなります。
熱が出てるとき
ぐったりするのも心配だけど悪いことではなく
からだのサインでもあるんです。
からだが熱を出して集中して闘っているので
うろうろして体力消耗や神経集中できない状況に
させないためなんです。
からだが発する「寝とけ」のサインなんです。
からだが必死で闘ってるのに
そのからだからのサインを無視して
熱を下げ、体力を消耗する行動に走ると
後で、痛いしっぺ返しがくることもあります。
このように
「熱」ひとつとっても
自ら気づかないけれども
自分のためにからだが働いていることって
たくさんあります。
熱もからだからの大切なサイン
からだの中の神様が
守ってることを知らせてくれている
大切な恵なんです。
からだからのサインを発するのは
あなた自身のため。
あなたを苦しめるためではないんです。
病気になっても
あなたを守ってくれているからだに
感謝の気持ちを忘れずに
過ごさないといけないですね。
脅威の免疫システムのおかげで今をいきられる
休日のある朝
たまたま観た
「驚異の免疫ネットワーク」という番組。
ちょっと難しいコロナウイルスと免疫のことを
鮮明な画像で解説している一般のかた対象の医学番組。
海外の放送局制作の番組のために
全編英語、でも字幕もあるので
映像の美しさにもひかれ
英語と医学の勉強もかねて最後まで見入ってしまった。
新型コロナウイルスという
新ウイルスと
体内の免疫力との戦いを解説していた。
免疫学の復習もかねて
書いてみると
体内にコロナウイルスであれ、インフルエンザであれ
ウイルスなどの未知の異物が体内に入ると
体内の食細胞が
未知の異物を発見しとらえ
食べてしまう。
その時に、そのウイルスなどの遺伝子を解析し
情報を他の食細胞を共有し
2回目以降の体内に侵入した際には
直ちに攻撃できるように準備している。
しかし
ウイルスも進化し
体細胞に発見されないように
忍者のように
体細胞の中に同化し偲びこんで
食細胞の発見から逃れようとする。
すると
食細胞は免疫第2段階として
侵入者の情報をB細胞という免疫細胞に
情報を渡す。
情報を受け取ったB細胞は
抗体を直ちに造り
細胞に異物が入り込む前に
捕まえようと
抗体を作り出して
ウイルスなどの侵入にあらかじめ備えていく。
この抗体を作る
免疫力を人為的に作らせるのが
ワクチンだということになります。
これで
もう、新型コロナウイルスが体内に
侵入しても大丈夫かと思いきや
新型ウイルスも進化し
どんどん強力かするのです。
今回の新型コロナウイルスでも
多くのかたがいのちを落とされました。
その人々の多くは
肺に血管が血液が詰まる塞栓症が
原因でなくなる方の死亡がほとんどでした。
そのなくなった方の
血管を調べてみると
血栓の中身は
血液とウイルスと食細胞そして食細胞のDNAだったのです。
つまり
免疫細胞の最後の姿だったのです。
イメージとして
食細胞が最後の力を振り絞って
自滅、自爆した
捨て身の戦法のなれの果ての姿だったのです。
これを医学的に
サイトカインストームだと言いますが
これを起こさせないようにしないと
いう考え方もあるけど
僕は
未知の予想外の相手の
コロナウイルスによって
身を呈して頑張って
捨て身の戦法までとって
闘ってくれる食細胞、免疫細胞に感謝です。
相手がどんなに強大でも
いつも僕のからだを守ってくれていることを
改めて感謝しかありません。
そこまでしてくれて
たとえ僕がなくなっても
責めることも、悔いることもありません。
でも、この免疫力も
急にできたわけではなく
人類が生まれたという5億年前から
様々な病原菌と闘ってきた病原菌との
長い長い歴史の結果なんです。
僕たちは
このご先祖さんから引き継いだ免疫力をもらって
現代社会を生きています。
こんな僕たちも
生まれたときは純粋で、免疫力は働いていません。
しかし
母乳をのみ
数々の感染症にかかりながらも
母の愛、両親の愛、ご先祖さんの力で
演繹力を育みながら
生きている、生き続けられていることを知り
生きていかなければならないということを
コロナウイルスが教えてくれていると思うのです。
善く生きるとは
僕たちがこの世に人間として
この世に生まれてきたからには
他の動物のようにただ生きるだけでは
生まれてきた理由
生まれてきた使命を果たしたと
言えないのではないのだろう?
どう生きてきたかが重要で
善く生きてこそ
人間としての使命が果たされたとも
言えるのです。
そして「善く生きる」とは
自分自身の満足するためだけに生きるのではなく
自分以外の人たちや
社会全体の幸福や喜びを考えて
行動することだと思うのです。
人間は
誰かの喜びを創るべく生き、
誰かの喜びを生み出したことにしあわせを感じるのです。
人は誰かと見守られて生きている
人は
ひとりでは生きていない
ひとりでは生きられないとも
よく言われます。
確かに
人は特につらいときは
誰かが見守ってくれている
自分の元気になるように
願って祈って下さっていると思うと
どんなに力づけられることでしょう
そして
一歩、一歩前に進むことができるでしょう。
僕も入院したとき
家族が、スタッフが
他にも回復を願ってくれる方々の
無心の祈りによって
病から回復し
また今ここにいられると思っています。
人の思いに助けられたのは間違いないのですが
忘れてはいけないのは
僕をどんな時も、守ってくれていた
自然の力があることを知りました。
入院して、感じることができた
自然の力。
恥ずかしながら、それまでは
ほとんど意識することはありませんでした。
それは
僕の心、生き方に問題があったのです。
自然の力は
意地張った心、頑な心では
感じることができないのです。
素直な心になってはじめて
自然の力を感じ、受け入れることができるのです。
素直に自然の力を受け入れることができれば
いつでも、どんな時でも
自然の力は、あなたを、僕を
喜んで守ってくれるのです。
自然の力は
前回お話をした神の経、神経を通して
60兆個の細胞一つ一つに伝わっていきます。
素直な心がないと
すべての細胞を司っている神経が
硬直すると言われています。
神経が硬直して働けなくなると
細胞も同様に働けなくなり
体の中に毒素をため込んでしまいます。
それが
病気や不幸を生み出してしまうのです。
神経は
からだを動かしている働きがあると
現代医学では考えていますが
実は
宇宙からの力が
自然界からの力が
僕たちのからだに伝えてくれているのです。
そして
宇宙からの英知を受け取って
僕たちは生きている、生きられているのです。
そのことを
素直に受け入れていきることができれば
病気になることもなく
心豊かに生きていけると思うのです
日本人の魂
日本人は世界的に見ても
他に類を見ない民族ではないでしょうか?
そのひとつが
宗教に縛られない民族だと言うこと。
日本人の多くは仏教徒だから
死んだら仏様に手を合わせて
家には仏壇でご先祖様をお祀りします。
クリスマスもバレンタインもハロウインモお祝いして
お正月や七五三では神社にお詣り
どんな宗教でも受け入れてきた民族です。
どうして、こうなったのか?
それは神武天皇が日本国を作った時に
「養生」と言うことを発しておられるのです。
これは
何が正しいかを宗教や神の教えなどに固定せず
正邪を見分けるこころを養い、広め
正しい方向に向かっていこうと考えたことに
よる気がするのです。
だから、何が正しいのか、何が必要なのかを
自分自身の心で判断することを
ずっとおこなってきたことによるのでは亡いでしょうか。
我々の魂には
「養生」という想いが根付いてるのです。
大切にしたい日本人のこころです。
進路指導
医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。
それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。
自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。
ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。
でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。
何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。
その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。
みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。
僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。
その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。
僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。
母親をどうして「お袋」と呼ぶのか?
なぜ、母親のことを「お袋」というのか?
母親は袋のような存在だからです。
袋のように
何でも入れてくれて
何を入れても柔らかく膨れて
何を入れていたとしても
袋は袋のまま
ゆったりと柔らくて
本来の姿、袋であリ続けてくれる。
大きな柔らかな伸縮自在の布袋。
そんな袋のような存在が母親なんです。
誰にとっても
母親はあなたの全てを包んでくれる
誰よりも大きく、やさしく包みこんでくれる
存在であるから
母親のことを「お袋」というようになったのです。
2025年度インフルエンザワクチンについて
10/6からインフルエンザワクチン接種開始しています。
今年から経鼻ワクチンも導入し
注射が苦手なお子さんにお勧めです。
