検索
カレンダー
-
最近の投稿
アーカイブ
カテゴリー
リンク
日別アーカイブ: 2025年10月14日
よくなろうと頑張らなくていい
病気になって、治療が始まると
周りの人は
病気に負けるな
頑張れ・・・と応援し
病気の本人も
その気持ちに応え
病気を治すことを
闘病などといい
病気に負けないように
頑張る気持ちを自分自身で鼓舞します。
確かに
病気から治すために
周りの人の
自分を思う気持ち
悲しませてはいけない
まだまだ役割があると
自分の気持ちを鼓舞して
健康を目指せば
からだは患者さんの気持ちを受け取り
病気を治してくれるでしょう。
ただ単に
”よくなろう”と思うだけでは
決して
からだは健康に向かわないし
あまりいい結果は生まれないことを
傍で見ていて
感じることがあります。
これだけ頑張ってるのに
なぜ・・・と
治療するものとして
歯がゆくなることもあります。
でも
からだ(肉体)とこころがつながっている
人間の根本は
魂ではないかと
思うようになって
少しずつですが
そのちがいが見えてきたきがします。
ただ
「よくなろう」と思うことは
決して悪くない
力強いご自身の強いお気持ちだから
力になってくれるはずですけど
よくならない時、ひょっとして
「今、この状態は自分にとってよくない状態だと」
病気になった自分のことを
憎んではないでしょうか?
ここに至るまでの
ご自身の生き方を振り返ることなく
ただただ、病気を憎む。
それをバネに病気を戦う、闘病する力にするのですが
ここまでからだを苦しめたのは
からだではなく
ご自身ではないでしょうか?
それに気づいてもらいたいと
からだ自身は思っているのではないでしょうか?
もし
その点に気づくと
からだが気づいてくれてありがとうと
涙を流して!?喜んで
あなたの治りたい気持ちを
受け入れて
あなたのために頑張ってくれる
つまり
治癒に向かうはずです。
病気になったとき
ただ「よくなろう」と
闘う前に考えないといけないことがあった
病気の時も自分のからだに対して感謝することだと
僕も自分の病気をして
気がついたのでした。
カテゴリー: 真実の医療
よくなろうと頑張らなくていい はコメントを受け付けていません
運動会 変わる時代の写し鏡
10月10日はスポーッの日でした。
スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培い
健康で活力のある社会を戦う日とされ
2020年までは「体育の日」。
この日は61年前の東京オリンピックの開催日。
どうしてこの日が選ばれたかというと
一番晴れの日が多い日だから・・・と聞いたことがあります。
だから
僕が小学校の頃は
この日は休日で運動会がおこなわれた日でした。
運動会は両親がお弁当をもって
応援に来てくれる中
徒競走、リレー、騎馬戦、ダンス、組み体操などの
競技が華々しくおこなわれていました。
そして、リレーや徒競走、優勝チーム
それを引っ張る応援団など
新たなヒーローが現れてみなが歓喜する行事だったはずが・・・
10/13朝日新聞の一面には
「運動会 変わる時代の写し鏡」のみだし
そう、あの頃の運動会とは違うようなのです・
新聞には
「個性を大事にという自由化路線の中
パラドキシカル(逆説的)とも言える現象が
起きているというのです。
花形競技である”徒競走”が
足の遅いこどもにとっては
恥をかかされトラウマとなる場になるという
議論がおこり
東京の37自治体のうち21自治体が
徒競走に順位をつけないという。
確かに、人間には
能力の差があり、得意不得意があるから
徒競走では1等からビリまで生じる。
毎年1等の子もいれば、ビリの子もいるのは確か。
きっとビリの子は走りたくない子もいた。
でも、周りのおとな達、先生は
順番にはを言う前に
頑張ったこと、去年よりもかっこよく走れたこと
一生懸命の姿をみて褒めてくれた。
だから、次の年も頑張ろうと思ったものだ。
順番にこだわりすぎるのはおとな側ではないだろうか?
父親だけでなく母親も仕事があり
先生方の”働き方改革”の影響だろうか
プログラムも減り
午前中で終了・楽しかった家族のお弁当の時間もないという。
10月でもまだ、真夏のような日もあり
気候変動も影響しているでしょうが・・・
歴史を振り返れば
明治時代は学校を楽しい所だと知ってもらいたくて
はじまった運動会。
その後社会とつながるため、そして
集団で取り込む大切さをしるため
と運動会の意義が変わってきた。
もし運動会がなくなったら
不登校のこどもが増え
個人主義が進む
そんな日本にこどもたちが生きていくのだろうか?
そう考え過ぎるのは、考えすぎだろうか
カテゴリー: 今日の言葉
運動会 変わる時代の写し鏡 はコメントを受け付けていません