検索
カレンダー
-
最近の投稿
アーカイブ
カテゴリー
リンク
日別アーカイブ: 2025年8月21日
もともと”ひとりぼっち”(8/22、8/23は臨時休診)
コロナ感染が残したものの一つに
オンライン診療のように
直接、人と会うこと
肌と肌を触れ合う機会を
少なくなってしまいました。
人間は
社会性の動物と言われるように
ひとりでは生きていけない動物。
だからなのか
「ひとりはさみしい」という科白が
耳につきます。
でも人はわがままな面もあります。
ひとりじゃないと満足かというと
感性の異なる人と過ごすと募るつらさ
誰かと一緒にいても
なぜかさびしさを感じることもあります。
人といるのに
感じるさみしさは
ひとりでいる時より
ずっとさみしいこともあります。
さみしさを感じる根本は
人といるからというものではない
と思うのです。
人はひとりで生まれてきて
ひとりで死んでいきます。
元々
人間はひとりぼっちなのが
当たり前なのです。
ひとりでは学べないことを学ぶために
この世に生きてきたからこそ
友人や仲間そして家族さえ
必要なのです。
もともとひとりぼっちで
生きてきたのに
さみしさを感じるのは
原因は人がいるいないに
左右されるわけではなく
別のことをこころが感じているのが
原因にほかならないのです。
さみしさを感じるのも
この世に生まれてきた
目的のひとつのような気がするのです。
すなわち
人間は生きている限り
孤独とも向き合わないといけないという
ことではないでしょうか?
一緒にいて楽しく食事をするのは
そんな時間をすごすのは
さみしさのなかから
独り立ちをするために
必要な過程では
ないでしょうか?
自分のこころを
紛らわすために人と過ごすのではなく
人と過ごすことで
自分とのちがいを感じ
自分の心の根本で求めてることを感じ
生きていくことを学ぶのでは
ないでしょうか?
今の時代は
みんなが
自分の心と向き合う時間を
地球が、コロナウイルスが
そしてもしかして神様から
いただいた機会かもしれません。
カテゴリー: 今日の言葉
もともと”ひとりぼっち”(8/22、8/23は臨時休診) はコメントを受け付けていません
「誇り」はウソをつかないための力のひとつ(8/22、8/23は臨時休診)
人はウソはつきたくないもの。
誰もがウソをつかないで生きていこうと思っている。
それは、ウソをついてしまうことで
自分のこころの中にある「誇り」を
傷つけることになるからだと思うのです。
「誇り」をもっているのは
なにも、おとなだけではなく
こどもだってもっているのです。
こどもは「誇り」の塊の様なもので
「誇り」は人間の本質のような所もあるけど
ウソをつくことで
「誇り」が傷つき始め
ウソをつき誇りがほころびだすと
そのほころびはどんどん大きくなります。
「誇り」が小さくなって
ただほころびが大きくなってしまうと
ウソをつくまいと頑張ることもしなくなり
おとなの世界でよく見かける
そのウソを第三者が突き止めて取り消させる様になるのです。
こどもたちには
生来もっている「誇り」の塊を
失わないように
大きくなって欲しいと願うのです。
カテゴリー: 今日の言葉
「誇り」はウソをつかないための力のひとつ(8/22、8/23は臨時休診) はコメントを受け付けていません