年別アーカイブ: 2025
青い月のバラード
この本は
加藤登紀子が夫藤本敏夫しとの
出会いから、その死までを綴った本。
加藤登紀子といえば
日本を代表するシャンソン歌手そして
東大卒のインテリジェンス歌手。
そんな知的な女性が
学生運動のリーダとして活動し
何度も逮捕された男性と結婚。
そして彼が獄中の時に結婚した女性。
なぜ・・・・そんな過激な男性と
過酷な運命を共にしたのか・・・
僕にとってずっと疑問に思っていた。
この本で
二人の夫婦としての
硬い硬い絆を知った。
破天荒な彼に
自分の生き方を守った女性だから
しあわせな日々ではなかった。
二人ぶつかり合い
離婚の危機も何度もあり
その危機で
それまで考えていた夫婦のあり方
理想を改め二人の生き方を見つけていく。
彼女夫婦に必要なことだったように
二人の絆が深まっていく。
そして
最後にやはり死という別れが訪れる。
死んだ後
彼の志、エネルギーを引き継ぎ
始まりを感じたと加藤登紀子さんは書いている
家庭がストレスを解消する場
みなさんは
ストレスがたまった時には
どこで解消されますか?
仕事に行き詰まった時逃げ場はありますか?
石川啄木は
実は働くことがあまり得意ではなかったようで
家族のために仕方なく働いていたそうです。
そして落ち込んだ時に
自分のダメさえを実感することもあったようで
「友が皆、我よりも偉く見ゆる日よ
花を買い来て妻と楽しむ」
という歌を残しています。
仕事でコンプレックスを覚えた時は
家に帰って奥さんと花を愛でることで
ストレスを解消する。という意味。
おとなだけでなく
こどもにとっても
ストレスを感じやすい社会を生き抜くために
家庭が
ストレスから逃れる場であって欲しいと思うのです。
☆奇しくも
今日はクリスマスイブ。
日頃忙しくしている人も、
今日だけは大切な人と過ごす時間をつくりましょう。
それが、とても幸せな時間だと思うのです。
神様からのプレゼントだと思うのです。
お金より大切なもの
そもそも人生の目的は
「しあわせに生きること」であり
「お金持ちになること」ではありません。
しあわせに生きるために
お金は必要なものだということ。
だから
汗水流して働いて
お金を稼ぐのも
お金を貯めたり、少しでもお金を増やそうとすることが
しあわせに生きるために
お金なしでは実現できないから。
だから
お金は手段であり
それ自体が目的でないことを
こころに留めておかなければいけません。
お金がしあわせになるための
手段である限り
お金はある程度あった方がよいということです。
でも、お金を払っても手に入らないものがあります。
家族、友人、健康そして愛情などです。
これらから得られるしあわせのために
お金を使うのが一番いいのかもしれません。
尊さは知に宿る
平安時代から明治時代にかけて
寺子屋で使われてきた「実語教」
という教科書があります。
この中に
「山高きがゆえに貴からず。
樹あるを以て貴しと為す。
人肥たるが故に貴からず。
智あるを以て貴しとす。」
という一節があります。
知識があることで
貴いのだということです。
人は見た目でではない。
人はお金を持っているかどうかではない。
人は学問をすることが貴いのだと言うことを
こども達は教わってきて
勉強して来たのです。
忙しいこどもたちに
勉強する意味を失いかけているこどもたちに
この言葉を贈りたいと思います。
なぜ初めに言葉があったか?
言葉ひとつで
人生が変わってしまうことがある
言葉ひとつで
願い事が叶うこともある。
僕は言葉はとても
大事なものと思っています。
聖書に
「はじめにことばあり」と
世界のはじまりは言葉からはじまったと
書いてあります。
人類が言葉を持つようになったのは
人類が誕生して
かなり経ってからだと
記憶してるので
この聖書のはじまりの文には
どこか違和感を感じ
なじむことができませんでした。
しかし
最近、いろんな書物を読むようになって
この言葉ありきの解釈に触れる
ことが多くあり
少しずつ意味がわかってきました。
聖書でいう言葉というのは
どうも神そのものの存在を表してる
という結論に至りました。
神は光であり、エネルギー波動であり
時間をも支配する存在。
神の力を総じて
わかりやすく述べているのでは
ないのでしょうか?
実際に言葉でコミュニケーションをとるように成ったのは
人類が誕生しかなり経ってからだし
それまでは音として
音とは波動なんですよね。
すなわち
今のように
耳で感じる音としての言葉ではなく
波動として
相手の意志を感じ取り
自分の意志を伝えていた。
また
これも定かではないですが
昔々、縄文時代、ムーの時代の人々は
まだ肉体もなく
波動のままの状態であった時期が
合ったとも考えられています。
波動でコミュニケーションをとっていた
エネルギーを感じていたのではないでしょうか
自分の身の回りの生物をみても
自分の耳にはわからなくても実際には存在する
虫の羽尾と、こうもりの超音波、鳥の鳴き声
全てもものは波動を伝え合っています。
これは
生きているものだけでもなく
神も波動で私たちに話しかけているのは
昔も今も変わらないことかもしれないと
僕は思っています。
言葉は
波動エネルギーと考えると
その言葉に、想いという波動エネルギーをも
乗せて、伝えることもできるはず。
それが言霊ということに成るのだと思います。
最初に
言葉というエネルギーによって
この世は始まった。
そしてそのエネルギーによって
生まれた人間をも含めた地球上の全ての生物は
神のエネルギーを受けとり
そのエネルギーの使い手なんだと思います。
ほめられる人からほめる人に
現代は生きにくい社会になっているともいわれ
年々うつ病などの
精神疾患が増えている現代。
みんな好き好んで
生きにくい社会に生きているわけではなく
この社会でも
生きていこうと努力している。
社会からはみ出さないように
自分の望む望まないにかかわらず
他人からほめてもらおうと頑張って
自分を防衛している人が増えている気がします。
その結果
頑張りすぎて、無理をしすぎて
精神的バランスを崩してしまうのです。
この生きにくなってきた社会を
生きやすく生き抜く方法は
ほめる人になればいいのです。
ほめられて嫌な気分になる人は
少ない者です。
あなたのことをよく思っていない人でも
ほめられると
あなたに対する気持ちも変わることでしょう。
ですから
人間関係の潤滑油は
「ほめられる人」から「ほめる人」で
生きていくことです。
現代版”知らない人について行ってはいけない”
僕たちがこどもの時には
親や先生から
「知らない人について行ってはいけません」
とよく注意されました。
もちろん現代でも
誘拐事件がないわけではないので
もちろん
事件に巻き込まれないためにも
知らない人について行ってはいけないのですが
これに加えて
こどもたちに伝えたいのは
「知らない人の言葉を気にするな」と言いたい。
昭和の時代と比べて
現代はSNSが発達して
ネット社会では知り合、知り合いにかかわらず
誹謗中傷する言葉にあふれている。
自分に関係ないとわかっていても
攻撃な言葉に触れると
気持ちいいものではないし
もし、自分についてであるなら
どんなに傷ついてしまうだろう。
匿名性ではなく
本人に直接言うべきだし
いちいちネットの言葉に左右されることは
決していいことではない。
最近あまり聞かれなくなった言葉
「影でこそこそ言うな」
「知らない人の言葉に左右されるな」
という言葉を付け加えたい。
生きている意味
今ここに生きているということ
存在している、存在したということは
誰も否定できない。
だから、例えいのちが消滅することがあっても
人間の存在を消滅することも
誰をも破壊することもできない理由。
そして
あなたが病に苦しんだ時
例え、もう先が長くない
かもしれないと思ったとしても
この世に生きて苦しんでいたことは
誰も否定できない。
それをもなかったことにはできない。
だから
あなたが生きてきたことも
死をも抹消されることもないのです。
そして
あなたの生きてきた事実は
死によって有意義なものとして
輝き続けるのだと思うのです。
だから
今の自分が生きているのも
これまでの多くの犠牲の
おかげであることも忘れてはいけないのです。
コロナの次は食糧難の時代が来る!?
コロナ感染が大流行中の
2020年12月21日に以下のようなブログを
書いていました。
「コロナ感染が拡大する中
その影に隠れてますが
僕が注目している
ちょっと心配なニュース。
それは
実はあちこちで広がりをみせている
鳥インフルエンザのニュース。
この鳥インフルエンザのニュースに関連して
心配な鳥不足のニュース。
このクリスマスシーズン前で
実は鳥肉が不足しているとか。
このニュースが鳥インフルエンザと直結している
わけではないかもしれませんが
もしも、もしも
鳥インフルエンザウイルスが
強毒化し、人に感染するようになったら・・・・
また
世界は、食品の消費が高まってくると・・・・
食糧難の時代がやってきそうな気がするのです。
今の日本は
食料は充分にある豊かな国ですが
現実をみてみると
食料自給率は10%ともいわれていて
実は
食糧難の時代がくる可能性と
背中合わせの国であることを
自覚しなくてはいけません。
世界、世の中の状況が変われば
食糧難に陥ってしまうのです。
例えば
①世界全体の食料生産力が低下し
各国が食料を輸出できなくなった場合。
②新型鳥インフルエンザなどの強毒性のある
ウイルスによって
パンデミックが発生した場合。
まさに今の世界全体は
自粛で、感染のため外出を控え
長期家庭内に待機することに成り
食料生産力の低下とともに
消費力の増大によって
食料の需要と供給のバランスが崩れることに
よって起こる食糧難の時代が
来てもおかしくないかもしれません。
パンデミックが最も恐ろしいのは
食料が尽きて餓死をすることです。
1ヶ月で人は餓死すると言われてます。
そして
不安と恐怖にさいなまれると
人の死期は更に早まると言われています。
その他にも
③国の経済破綻したとき
④外国勢力による経済制裁、封鎖によるもの
そして、最後は天変地異が起こった場合。
考えると
安心できない、危うい状況で
僕たちの今の生活が成り立っていることが
わかりますね。
救う道・・・は一筋縄では
いかないかもしれません。
ひとりひとりの力は小さいかもしれませんが
ひとりひとりの他人を、地球を思いやる
日々の生き方をすることしか
ないかもしれません。」
最近の米騒動も
生活を足元を見つめ直す時に
なっているのかもしれません。
急性期のリハビリ
今日は、個人的に忘れられない日。
6年前、診療中に突然手足が動かなくなり
脳出血を発症した日なのです。
最初入院した病院は
急性期の3次病院。
僕の場合
脳出血の進行を止め
脳機能を落とさないようにすることが
まずは初期の治療の柱ととなる。
脳出血を止める治療
急性期だからと言って
リハビリをしないと
からだの機能はどんどん落ちていくので
急性期の状態でも
病状をみながら
リハビリを行いました。
でも、からだの安定が第一なので
無理はできません。
足のリハビリ
手のリハビリと
1回40分程度毎日行われました。
リハビリと言えば
血のにじむような
歯を食いしばって行っている話が
テレビなどで
聞くことがあったので
そんなイメージを持っていましたが
急性期だからなのか
余力を残したままで終わることが
ほとんどでした。
機能を回復させないとと
焦る気持ちもありましたが
無理はできませんでした。
でも少ない時間でも
からだは確実に変わって来ていることを
実感することができます。
「ひとりで立てた。
杖を使って30m歩けた
トイレにひとりで行けた
妻と握手ができた
グーパーができた。」
昨日できなかったことが
今日はできるようになっていた。
些細な変化でも
ぼくにとっては大きな変化。
とても喜ばしいことが出てきます。
もっと、もっと
明日は動けるようになりたい。
だから
リハビリをもっとしたいと
焦る気持ちもありました。
そして
昨日できなかったことが
今日できるようになったのは
ぼくのからだがそうしてくれている
その力は
決してぼくの意志ではなく
動けるようにしてくれている
第三の力があるからなんだという風に
なぜか感じてました。
もっとリハビリをしたい
もっとリハビリの時間を作ってもらいたいと思った時
病状をみながらのリハビリの卒業
次のリハビリのステップに入ることになるのでした。
そんな風に過ごした6年前を思い出し
今診療できることに感謝して毎日過ごしています。
