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年別アーカイブ: 2025
なぜ初めに言葉があったか?
言葉ひとつで
人生が変わってしまうことがある
言葉ひとつで
願い事が叶うこともある。
僕は言葉はとても
大事なものと思っています。
聖書に
「はじめにことばあり」と
世界のはじまりは言葉からはじまったと
書いてあります。
人類が言葉を持つようになったのは
人類が誕生して
かなり経ってからだと
記憶してるので
この聖書のはじまりの文には
どこか違和感を感じ
なじむことができませんでした。
しかし
最近、いろんな書物を読むようになって
この言葉ありきの解釈に触れる
ことが多くあり
少しずつ意味がわかってきました。
聖書でいう言葉というのは
どうも神そのものの存在を表してる
という結論に至りました。
神は光であり、エネルギー波動であり
時間をも支配する存在。
神の力を総じて
わかりやすく述べているのでは
ないのでしょうか?
実際に言葉でコミュニケーションをとるように成ったのは
人類が誕生しかなり経ってからだし
それまでは音として
音とは波動なんですよね。
すなわち
今のように
耳で感じる音としての言葉ではなく
波動として
相手の意志を感じ取り
自分の意志を伝えていた。
また
これも定かではないですが
昔々、縄文時代、ムーの時代の人々は
まだ肉体もなく
波動のままの状態であった時期が
合ったとも考えられています。
波動でコミュニケーションをとっていた
エネルギーを感じていたのではないでしょうか
自分の身の回りの生物をみても
自分の耳にはわからなくても実際には存在する
虫の羽尾と、こうもりの超音波、鳥の鳴き声
全てもものは波動を伝え合っています。
これは
生きているものだけでもなく
神も波動で私たちに話しかけているのは
昔も今も変わらないことかもしれないと
僕は思っています。
言葉は
波動エネルギーと考えると
その言葉に、想いという波動エネルギーをも
乗せて、伝えることもできるはず。
それが言霊ということに成るのだと思います。
最初に
言葉というエネルギーによって
この世は始まった。
そしてそのエネルギーによって
生まれた人間をも含めた地球上の全ての生物は
神のエネルギーを受けとり
そのエネルギーの使い手なんだと思います。
カテゴリー: 今日の言葉
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ほめられる人からほめる人に
現代は生きにくい社会になっているともいわれ
年々うつ病などの
精神疾患が増えている現代。
みんな好き好んで
生きにくい社会に生きているわけではなく
この社会でも
生きていこうと努力している。
社会からはみ出さないように
自分の望む望まないにかかわらず
他人からほめてもらおうと頑張って
自分を防衛している人が増えている気がします。
その結果
頑張りすぎて、無理をしすぎて
精神的バランスを崩してしまうのです。
この生きにくなってきた社会を
生きやすく生き抜く方法は
ほめる人になればいいのです。
ほめられて嫌な気分になる人は
少ない者です。
あなたのことをよく思っていない人でも
ほめられると
あなたに対する気持ちも変わることでしょう。
ですから
人間関係の潤滑油は
「ほめられる人」から「ほめる人」で
生きていくことです。
カテゴリー: 今日の言葉
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現代版”知らない人について行ってはいけない”
僕たちがこどもの時には
親や先生から
「知らない人について行ってはいけません」
とよく注意されました。
もちろん現代でも
誘拐事件がないわけではないので
もちろん
事件に巻き込まれないためにも
知らない人について行ってはいけないのですが
これに加えて
こどもたちに伝えたいのは
「知らない人の言葉を気にするな」と言いたい。
昭和の時代と比べて
現代はSNSが発達して
ネット社会では知り合、知り合いにかかわらず
誹謗中傷する言葉にあふれている。
自分に関係ないとわかっていても
攻撃な言葉に触れると
気持ちいいものではないし
もし、自分についてであるなら
どんなに傷ついてしまうだろう。
匿名性ではなく
本人に直接言うべきだし
いちいちネットの言葉に左右されることは
決していいことではない。
最近あまり聞かれなくなった言葉
「影でこそこそ言うな」
「知らない人の言葉に左右されるな」
という言葉を付け加えたい。
カテゴリー: 子育て
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生きている意味
今ここに生きているということ
存在している、存在したということは
誰も否定できない。
だから、例えいのちが消滅することがあっても
人間の存在を消滅することも
誰をも破壊することもできない理由。
そして
あなたが病に苦しんだ時
例え、もう先が長くない
かもしれないと思ったとしても
この世に生きて苦しんでいたことは
誰も否定できない。
それをもなかったことにはできない。
だから
あなたが生きてきたことも
死をも抹消されることもないのです。
そして
あなたの生きてきた事実は
死によって有意義なものとして
輝き続けるのだと思うのです。
だから
今の自分が生きているのも
これまでの多くの犠牲の
おかげであることも忘れてはいけないのです。
カテゴリー: 今日の言葉
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コロナの次は食糧難の時代が来る!?
コロナ感染が大流行中の
2020年12月21日に以下のようなブログを
書いていました。
「コロナ感染が拡大する中
その影に隠れてますが
僕が注目している
ちょっと心配なニュース。
それは
実はあちこちで広がりをみせている
鳥インフルエンザのニュース。
この鳥インフルエンザのニュースに関連して
心配な鳥不足のニュース。
このクリスマスシーズン前で
実は鳥肉が不足しているとか。
このニュースが鳥インフルエンザと直結している
わけではないかもしれませんが
もしも、もしも
鳥インフルエンザウイルスが
強毒化し、人に感染するようになったら・・・・
また
世界は、食品の消費が高まってくると・・・・
食糧難の時代がやってきそうな気がするのです。
今の日本は
食料は充分にある豊かな国ですが
現実をみてみると
食料自給率は10%ともいわれていて
実は
食糧難の時代がくる可能性と
背中合わせの国であることを
自覚しなくてはいけません。
世界、世の中の状況が変われば
食糧難に陥ってしまうのです。
例えば
①世界全体の食料生産力が低下し
各国が食料を輸出できなくなった場合。
②新型鳥インフルエンザなどの強毒性のある
ウイルスによって
パンデミックが発生した場合。
まさに今の世界全体は
自粛で、感染のため外出を控え
長期家庭内に待機することに成り
食料生産力の低下とともに
消費力の増大によって
食料の需要と供給のバランスが崩れることに
よって起こる食糧難の時代が
来てもおかしくないかもしれません。
パンデミックが最も恐ろしいのは
食料が尽きて餓死をすることです。
1ヶ月で人は餓死すると言われてます。
そして
不安と恐怖にさいなまれると
人の死期は更に早まると言われています。
その他にも
③国の経済破綻したとき
④外国勢力による経済制裁、封鎖によるもの
そして、最後は天変地異が起こった場合。
考えると
安心できない、危うい状況で
僕たちの今の生活が成り立っていることが
わかりますね。
救う道・・・は一筋縄では
いかないかもしれません。
ひとりひとりの力は小さいかもしれませんが
ひとりひとりの他人を、地球を思いやる
日々の生き方をすることしか
ないかもしれません。」
最近の米騒動も
生活を足元を見つめ直す時に
なっているのかもしれません。
カテゴリー: 今日の言葉
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急性期のリハビリ
今日は、個人的に忘れられない日。
6年前、診療中に突然手足が動かなくなり
脳出血を発症した日なのです。
最初入院した病院は
急性期の3次病院。
僕の場合
脳出血の進行を止め
脳機能を落とさないようにすることが
まずは初期の治療の柱ととなる。
脳出血を止める治療
急性期だからと言って
リハビリをしないと
からだの機能はどんどん落ちていくので
急性期の状態でも
病状をみながら
リハビリを行いました。
でも、からだの安定が第一なので
無理はできません。
足のリハビリ
手のリハビリと
1回40分程度毎日行われました。
リハビリと言えば
血のにじむような
歯を食いしばって行っている話が
テレビなどで
聞くことがあったので
そんなイメージを持っていましたが
急性期だからなのか
余力を残したままで終わることが
ほとんどでした。
機能を回復させないとと
焦る気持ちもありましたが
無理はできませんでした。
でも少ない時間でも
からだは確実に変わって来ていることを
実感することができます。
「ひとりで立てた。
杖を使って30m歩けた
トイレにひとりで行けた
妻と握手ができた
グーパーができた。」
昨日できなかったことが
今日はできるようになっていた。
些細な変化でも
ぼくにとっては大きな変化。
とても喜ばしいことが出てきます。
もっと、もっと
明日は動けるようになりたい。
だから
リハビリをもっとしたいと
焦る気持ちもありました。
そして
昨日できなかったことが
今日できるようになったのは
ぼくのからだがそうしてくれている
その力は
決してぼくの意志ではなく
動けるようにしてくれている
第三の力があるからなんだという風に
なぜか感じてました。
もっとリハビリをしたい
もっとリハビリの時間を作ってもらいたいと思った時
病状をみながらのリハビリの卒業
次のリハビリのステップに入ることになるのでした。
そんな風に過ごした6年前を思い出し
今診療できることに感謝して毎日過ごしています。
カテゴリー: 真実の医療
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神様は姿を変えて現れる
冬はウイルスが猛威を
振るう時期です。
僕は
ウイルスはとても不思議な生物だと思ってます。
ウイルスは人の低波動を吸収して
それを生きる力として
この世に存在しているのではないかと思ってます。
つまり
愛と逆の波動を好み、
成長、力をつけて生きている生物だと思ってます
これは
僕だけの考えではなく
同じように考えているグループが
世界中にはたくさんあって
その中のひとつに
ドイツのドクターのグループがあります。
彼らは
「ウイルスは、人間のこころが
ポラリティー思考に満ちて
荒むのを待っている」と主張しています。
ポラリティー思考とは
妬み、憎しみ、嫉妬、欺瞞、偽善、悪癖、
怒り、不調、不安、畏れ、コンプレックス
禁欲、物欲、利己主義などの
極端な思考や感情で
実はこの感情から
超低波動が出ているとのです
そして
この人間のポラリティー思考は
すでに地球全体に蔓延し
太陽からの陽のエネルギー(光エネルギー)を
曇らせ、人々を地球を狂わせているとも言われてます。
最近
世間を驚かすような
凶悪事件が多いのも
ポラリティー思考が深まっているから
とも言われています。
強毒ウイルスは
この人間の発する低波動を吸収して
どんどん強力化してるのです。
それが
世界中で
ウイルスが蔓延し、パンデミックが
起こっている理由なのかもしれません。
人の低波動を好んで
成長して生きているのが
ウイルスの強力化の理由であるなら
明るい心で過ごすことが
ウイルスを寄せつけない
健康に生きるために
必要なことになります。
人が困難な状況に置かれると
人は本心が出てしまいます。
そんな不平不満の心で対応してしまうか
明るい心を失わずにおられるか
大切になります。
コロナウイルスの蔓延したのも
みんなが自粛、自己規制の中で
明るい心を忘れず、
困っている人や苦しんでる人のために働く
これこそが
人格を磨く最高の機会になることに
気付かされた気がします。
そして
そんな生き方が
ウイルスが嫌いな高波動を発することになります。
ウイルスに負けない
明るい心を胸に留めて
日々生活していきましょう
カテゴリー: 真実の医療
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わがままな遺伝子
リチャード・ドーキンスが1976年に発表した
「利己的な遺伝子」によれば
遺伝子はむき出しのままでは傷つきやすいので
うまく生き延びていくための砦として
細胞をつくり生物を作った。
つまり、生物(固体)は
遺伝子の”乗り物(ヴィークル)”に過ぎない」と
考えたのです。
そう遺伝子は生きのびるために
人は行動していくというのです。
例えば
火災のなかで母親が
自分の身体でこどもを覆い
自らはいのちを失っても
こどもを救うという鼓動がある。
この行動は
母親の子どもだけは守りたいという
感情的には「母の愛」「母性本能」だと居いわれている。
これを前述の動物行動学者は
ドライに、利己的遺伝子のなせるわざだと
説明しているのです。
そう覚めた考え方があるとしても
発動する人間的な行動は
まさに人類を作った創造主の
なせる技なんだと思う。
カテゴリー: 真実の医療
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正しく畏れる
毎年寒くなると
インフルエンザなどの感染症のニュースが増えます。
感染対策を呼びかけるのはわかるけど
どこか、国民を恐怖に陥らさせて
どこかに向かわせてるような気もあるように
思える時があるのです。
そして連日の報道を見ながら
今の時代
正しく畏れることがだいじだなぁと。
思うのです。
畏れるとは
むやみやたらと
強迫観念に囚われることでなく
今起こっていることの意味を考え、受け入れ
自然に対して畏敬の念をもつ
姿勢が大事でhないかと思います。
人類はこれまで
過去において様々な感染症や自然災害の
試練をうけて来ましたが
その困難を乗り越え
生き延び、文明を発展させてきました。
人類がこれまでの経験した感染症
インフルエンザ、ペストなどと同様
新型コロナウイルスも
感染して、重症化するリスクはあるものの
人類は受け入れずにはおられない状況のなりつつ
そのリスクを受容しつつ、共に生き
大半は軽度の症状をもたらすと言う
これまでと同様の
ウイルス感染の経過を辿る可能性はあります。
ここでウイルスとはなんでしょう。
僕は、ウイルスだけでなく
我々人間も含めて
この地球に存在するものだけでなく
宇宙全体に存在するもの全ては
最初宇宙の大爆発(ビックバーン)によって
生まれ、散らばった
宇宙のかけらからできていると考えてます。
ウイルスの正体は
DNA,RNAとも言われています。
つまり
タンパク質や脂質と同じように
もともとからだの中に入ってしか
存在できない存在なんです。
ですから
人と共に生きていこうとしないと
ウイルス自体も存在しなくなります。
ですから
体内で初めは
ウイルス自体、己の主張し
最初はわがままいっぱい振る舞うことでしょう。
でも、そうすることが
自らのいのちを縮めることに気づき
人間との共存の道を歩み始めるのです。
ですから
我々は、宿主として
ウイルスに共に生きていこうという
メッセージを発して行かないといけないと思います。
そんな神のような心で
冷静にはいられないかもしれません。
でも
あなたのウイルスをも受け入れる
広い愛の心が
自らを、いえ人類をそして地球を救う
ことになるのだと思います
報道に惑わされることなく
心の眼で世の中を見て、感じてみませんか?
カテゴリー: 真実の医療
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死を大事にするということ
死を大事にするとは
死にゆく時間を大事にすること。
脳死を人の死とするなら
脳死から心停止にいたる時間を
家族が死にゆく者と会話し、受容し
納得のいくかたちで
死を迎える時間が大切。
死は本人にとってだけでなく
家族など周りの人にとっても
受け入れるための
時間が必要なのです。
その時間を大事にすることが
死を大事にするということだと思うのです。
カテゴリー: 今日の言葉
死を大事にするということ はコメントを受け付けていません
