年別アーカイブ: 2025
人間は地球の居候
今年の冬は寒かった。
冬だから寒くなくてはいけないけど
大雪だ、梅の開花が遅れた・・・と
寒さを伝えるニュースが耳ついた冬だった。
今年の夏はどうなる?
昨年以上の暑さになるのか?
天気予報の技術は進んでいても
誰も現時点での確証はもっていない。
科学が進歩して
その日の天気予報はかなり進化して
かなり予報の的中率は上がっていると思うけど。
科学文明はどんなに進んだといっても
自然の前ではまだまだ力が及ばないと
全く無力。
その証拠に
地球のどこかで自然災害が起こっている。
地震、豪雨、山火事、台風、雪崩、火山噴火・・・
自然災害の前では科学の力も及ばない。
自然災害の報道をみる度に
地球が起こってるような気がしてくる。
そして、そう感じる度に
人間は地球の居候なんだと思ってしまう。
人間は地球の居候。
だから
居候しているということを意識して
あるじの機嫌をそこなわないように
気を使いながら暮らすのが
居候の守るべき分であろう。
それなのに人間は
居候であることを忘れ
我が物顔で好き勝手にいきていないだろうか?
山を削り、森の木を切り刻み、海を埋め立て
川、空、海を汚し続け・・・
自分たちの都合のいい哲学を大義名分に
暴れている気がする。
幼い時
祖父が夫と言っていた言葉を思い出す。
「非科学的な所にこそ哲学がある」と。
頭だけで考えるだけでなく
こころの目で見て、考える
時期に今きているのかもしれない。
その人にあった伝え方で
受験シーズンは終わりましたが
試験の時
ある瞬間に閃いて
予想以上に点が取れて
合格したという
ということを経験した人はいるかもしれません。
試験に限らず
人生の中でも
突然頭の中に閃いて
アイデアが生まれて
大きく飛躍したり
難を逃れたことがあるなどという人は
意外に多いかもしれません。
僕も
朝目が覚めたときや
朝神社にお参りをしたときに
ふとこうしたらいい、こうしようと
閃いたり、思いつくことがあります。
思いついた考えって
自分の頭の中で考えついたことだと
思っていましたが
よく、思い出してみると
なんだか人の声が聞こえてるような感覚に
なることもある気がします。
もしかしたら
これって神様?からのメッセージなんて
思ったりすることもあります。
ある方が
実は神様は、その人にメッセージを常に送っている。
そのメッセージに気づくかどうかは
その人次第なんだと。
気のせいと思うか
ただ閃いたと思うか
それを、メッセージと思うかどうかと
いうことを言ってるのだと思います。
また不思議な能力のある人は
目に映像として浮かんでくる人もいるとも
いいます。
僕には
全く映像として閃くことはありません。
自分のこれまでの生き方って
視覚よりも、聴覚に強く影響されやすい。
つまり
美術より音楽のが得意だったし
病気になってからも
自分で演奏するよりも
音楽を聴く、音楽にあふれた時間が
とても心地よいと感じるようになりました。
僕はきっと
ビジュアルよりも
聴覚の影響を受けやすいからなんでしょう
だから
自分の声として、閃くことが多いように思うのです。
僕のひらめきを、分析すると
リラックスしている状態から
音楽を聴いてリラックスしたときに
閃くかもしれません。
ひらめきの理屈を考えたとき
真偽のほどはわかりませんが
ひらめきを
神様から受け取ったとメッセージ思った方が
なんか神秘的で、わくわくしませんか?
健康とは
健康であるとはどういうことでしょうか?
この問いに対する答えは
無数に存在する気がします。
医者でさえ
“健康って何ですか?健康ってどういう意味ですか?”と
尋ねても、答えは様々だと思います。
それは、
健康に対する思い、願いは
人それぞれであることの
表れでないでしょうか。
例えば先天的、後天的であれ、
からだの一部に
不自由な面があった場合でも、
その部分を補い、
サポートする道具や器具があって、
望んだ日常生活ができれば、
きっとその方は
健康的な日々を過ごされていることでしょう。
逆に、
五体満足であっても、
肉体的、精神的な面で問題を抱え、
人生に対して希望や夢を描けない時は、
決して健康であるという事は言えないでしょう。
健康であるためには、
からだに問題がある、なしではなく、
心もからだも元気でないと
健康とは言えないのではないでしょうか?
つまり“心とからだ”のバランスが
とれていて初めて健康と言えるのです。
病気の原因は
からだが病んでいる場合と
心が病んでいる場合の二つがあります。
肉体が病んでいる時の治療法は
数多くあります。
特に現在主流の西洋医学は、
飛躍的な発展を遂げ、
多くの難病を治療することが
できるようになりました。
ただ残念ながら、
西洋医学はからだの悪い臓器や組織中心の医療です。
健康であるためには、
からだとこころのバランスをみることが必要です。
そのために、
これからは
目の前の患者さんの
からだとこころ全体を診る
“全人的医療”を目指して
いかないといけないでしょう
星はいつも耀いている
しあわせになりたいと誰もが思っている
でも、どんな時も、どこにいても
実はしあわせに囲まれて
生きているような気がしています。
空が暗くなると
星が見えてくるように
人生が暗くなると
当たり前の中にある
しあわせが見えてくる
星もしあわせも
見える時も
見えない時も
いつもそこにあることを
忘れないでいたい
先日、還暦を迎えました。
しあわせをしあわせだと気づいたから
しあわせの日々を生きている
だから
生きていることに感謝
今まで出会った全ての人に感謝
これから出会う全ての人に感謝
この世に生をくれた親にご先祖様に感謝
そして家族に感謝
どんな時も
ありがとうの心をを胸に
日々のしあわせをかみしめて
これからも生きていこうとおもいます。
マインドフルネス
最近マインドフルネスという
瞑想法が注目されています。
マインドフルネスとは
”心が満たされている”状態のことを言います。
私達の日々の生活を振り返ったとき、
日々忙しく、慌ただしく過ごし、
頭の中は膨大な量の情報に占拠され、
頭の中も、心もざわつき、
とても”マインドフル”な状態でいることは、
言いがたいでしょう。
このような
”マインドフル”でない状態が続くと、
心の中に不安や心配、恐れなどの感情があふれてきたり、
過去の出来事に縛られたり、
様々な雑念に支配され、
結果として
全てのパフォーマンスが落ちてしまいます。
このようなざわついた心の状態を
意識的に変えていこういう方法が
マインドフルネスという瞑想法です。
つまり、
全ての意識を「今・ここ」集中する、
つまり今生きていることに集中する、
つまり”呼吸”を意識することなのです。
マインドフルネスのやり方ですが
①立っていても、座っていてもかまいません。
背筋を伸ばし、肩の力をぬいて、
半眼でどこか一点を見つめましょう
②ゆったりと気持ちのいい呼吸を呼吸をし
繰り返される呼吸に意識を集中しましょう
③途中で何か雑念を浮かんだら、
雑念だと思い、
また意識を呼吸に戻しましょう。
これを1日5分でも10分でもいいので、
毎日続けるといいです。
マインドフルネスを続けていると、
集中力が増し、創造性や幸福感、
リラックス感が高まり、
自分をよりコントロールすることが
できるようになります。
また「今・ここ」を意識すると、
高血圧や高血糖などの改善、
不安・うつ病などの軽減も期待できます。
ご自身の生活および健康改善のために、
是非一度トライしてみて下さい。
“僕の人生”
悲しいことも
楽しいことも
寂しいことも
胸躍ることも
苦しいことも
すべてぼくの人生
すべて受けとって
めぐりあったことを 喜びに変えて
今日も、
僕の人生を歩いていく
誕生日を迎えて
本日60回目の誕生日を迎えました。
誕生日を迎えたからと行って
急に成長するわけではないし
おめでとうといってもらうことがあっても
昨日までと
変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
正直な実感です。
そんな時
伊勢物語の主人公でもあられる
在原業平の和歌を知った。
「日やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」という歌です。
この歌の解釈を
作家高樹のぶ子さんが
こんな風に解釈されています。
「この月は
いつぞやの月とは違うのか。
いや、そんなはずはない。
今年の春は
去年の春と違うのか。
いや、そんなはずもない。
我が身として、昔のわたしと変わらない。
それなのに
なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
そうか、
わたしの心が変わったのだ」と
の書いています。
そしてあこがれの人を思い
「あのお方がいた頃のしあわせだった
わたしが見た月や感じた春は
あのかたを失った
今おわたしが見る月や感じる春とは
確かに違う。
それほど、わたしは
あの方を思い続けている」と
熱く、熱く
純粋に人を愛する気持ちを
詠った和歌だったんですね。
自然も時間も
いつも雄大な流れの中に
身を置いて僕たちは生きている。
変わっていくのは
自分の身、思いだけである。
だから
昨日の自分の気持ちと違う
自分として生まれ変わった気持ちで
自分の使命、生まれてきた目的に向かって
これからも明日も、明後日も
しっかり歩いて行こうと思います。
僕がどんな時にも
太陽も、風も、花も虫も
変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
応援してくれている。
ほんとうに
有り難いことです。
今、この時代、この時に
生きていられることに
本当に感謝です。
くりかえし
人を笑わせると 人に笑わされて
人を怒らせると 人に怒られて
人を助けると 人に助けられて
人に優しくすると 人に優しくされて
人を愛すると 人に愛されて
人に甘えると 人に甘えられる
人生はそれのくりかえし
どんなにがんばっても
ひとりでは生きていけない
だから、あなたに感謝
愛する気持ち
学がある
技術があるということは
立派なことにちがいない
それは人のしあわせのために
使われてこそ
初めて役に立ったということになる
そして
その人が優れた人間だということに
なるのだと思う。
何よりも大事なのは
人を愛する気持ち
情緒力
現代人は自分の利益、家族の利益
所属している組織の利益を最優先に考えて
生きているのはまちがいありません。
それは、自分の生活がかかっているので
利害得失を考えて行動するのは
いたしかないことだと思います。
しかし
その考えだけだと
生き続けるために戦いつづけなければ
ならないでしょう。
そうならないために、人間には
他の動物がもっていない
自分の利益を考えていても
「もののあわれ」や
不幸なものに対する
敏感さを感じることが強ければ
戦うこととは別の思考をするようになります。
戦うことで
悲しむ人おこることを感じることでしょう。
この感じる気持ちが「情緒力」です。
感じ方がみなが違うように
もっている情緒力はみな異なります。
だから戦争はなくならないのでしょう。
そして
科学は進歩して
戦争の武器はどんどん増えています。
知能は進歩しても
こころは進歩しないのはどうしてでしょう。
こころを豊かにするためには
たっぷりの愛情が必要
人を自然を愛する気持ちをもっと、もっと育てて
いかなければならないのでしょう