病がからだと心を操る~メタトロンが教えてくれること~

病気が発症する前は
心の状態が
からだの状態に影響している。

つまり
病気になる前は
心が主人で
からだがこころの指示のもと
動いていた。
それが病気になると
そのからだと心の主従関係が逆転し
だんだん
からだのほうが主人になっていって
こころがからだの指示にしたがうという
立場が逆転してしまうのだ。

先日
受診された高齢の患者さんは
何年ぶりに受診された。
数年前に
からだのしびれ、睡眠障害などの
症状があり
メタトロンも受けられ
1回だけの受診で
その後音沙汰のなかった患者さんだった。

この数年間で
良くなっていたら良かったけど
今飲んでいる薬を処方してくれと
受診された。

お話をきくと
睡眠障害は続いて
最近専門病院で
薬を調整してもらい
睡眠できるようになったが
その病院が少し遠方にあるので
お一人での通院が難しいので
ご家族の付き添いがないと通院ができない。
ご家族も
忙しく、近くの病院で
薬をもらえたら・・・と思って
思い切って当院を受診されたようでした。

今の薬で
眠れるようになったようだけど
今まで通っていた
病院にいけない理由があるようだ
話していると
それは、物理的理由でなく
不信感などの理由で
いけなくなっているようでした。

少しでも
力になれればと思ったが
今飲んでいる薬は
専門医でないと処方も難しく
その処方までの間に
医師の苦労の跡も
薬歴からも感じられ
僕ができること
しないといけないことは
処方をすることではないと
強く感じました。

患者さんは
眠れないという極限の
からだの状態が
こころをも支配し
こころがガチガチに硬くなり
自分を苦しめている。
からだに支配されている
こころを解放させてあげるないと
この苦しみからはずっと続く。

まずは
今の病院の先生に
こころをむけて
患者さんの思いを届けることから
はじめないと思った。

そのための方策を
いくつかお話して
僕ができる薬の処方をして
その日の診療は終わった。

数年ぶりに会ったこの患者さんは
人が変わってしまったようになっていた。
病気になると
こころも、性格も
病気の状態にあるからだに支配され
変わってしまうのだろうか?

この患者さんを診て
こころが先かからだが先かを
見極めることも
からだの支配から
こころを解放するのも
僕の使命だと思った。

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あいさつ

あいさつと一言で言っても
時代や国によってもちがいます
あいさつは
人間が生み出した文化ではないかと
思います。

日本人のあいさつは
”おはよう””さようなら”などの言葉とともに
お辞儀を伴います。

言葉だけでなく
お辞儀などの動作を伴うので
その時のあいさつひとつで
相手に不愉快な思いをさせたり
相手にあいさつだけで気持ちが通じたり
あいさつをした数秒で
良くも悪くも、瞬く間に
自分の心が相手に通じてしまいます。

あいさつという字は
”挨”も”拶”という字
どちらも押すという意味があるそうです。

あいさつは
相手の心を押すこと
だから
相手の心に届くようにするのが
あいさつ。

あいさつひとつで
あなたの人間性が
相手に伝わってしまいます。
あいさつができることが
人間力のバロメーターの
ひとつにもなります。

どんなに忙しくても
数秒ですむあいさつが
できないわけはない

その数秒のあいさつに
心をこめる。
心をこめれば
あなたの心が
相手の心を押してくれます。

あなたの心が通じれば
相手のしあわせな気持ちになります。

あいさつは
人と人、心と心をつなぐもの。

あいさつには
自分のこころがあらわれる。
あいさつを磨くことは
自分の心を磨く生活道です

人に会ったら
心を込めたあいさつをしましょう

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老いを創める~年を取っても輝く~

年を重ねても輝いているためには
年を重ねても衰えることのない
内なる自分の精神力が体を支えていることを
意識して生きるということです。

ソクラテスが
「ただ生きることでなく、
善く生きることこそ最も大切にしなければならない。」と
言っています。
「善く生きる」とは
自分の中にねむっている遺伝子を
上手に開発し、それを人のために使うこと」
だと思います。

自分の中にねむっている力を引き出す。
何才になっても、今までやっていなかったことに
興味をもち、やってみることで
新たな自分を発見することができます。

年をとっても
奇跡的なことができる可能性はある。
老人でも可能性にあふれているのです。
決して使い古された存在なのではないのです。

日野原重明先生が
「老いを創める」という言葉を造っています。
この言葉は
老いを通して創造する、造り出す、
未知なる物を開発するということです」
この生き方が
老いを輝かす道につながるのです。

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大阪商人が大事にした心得

最近「宗教」というと
どこか危険な香りを感じる人は多いと思いますが
幕末までは宗教という概念はなかったそうで
あったのは「信心」だったそうです。
信心は、誰からか教わったものでもなく
強要されるようなものでもなく
お年寄りの後ろ姿を観るうちに芽生えた
神や仏に対する信仰心。

その信仰心が
目に見えるものとして
神社仏閣やお天道様につながったのです。
ここで大事なのは
最初はあったのは人間のこころ
そこから生まれたというのが信用を重んじた
商売の世界、大阪商人が大事にしたこころに通じるのです。

大阪の商人は
「始末、才覚、神信心」を大事にしたという。
すなわち
「収支を計って身を慎む」
「知恵を絞って工夫を凝らす」
これだけでは、一人前の商人とは呼べない。
「神仏に感謝する気持ちがあって初めて
真の大阪商人」
ということなのです。

そう言えば
薬師寺の僧侶から
忘れてはいけないのは
「物に栄え、こころを滅ぼす」と仰っていた。
つまり、何事も成功するためには
こころが大事であるということです。

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3つ子の魂百まで

“3つ子の魂百まで”は、
小さい時身についた性格は、
おとなになっても変わらない
という意味です。

最近遺伝子の世界で、
このことが証明されました。

幼い時の遺伝子の発現のパターンが
将来にわたって継続していること
がわかったのです。

例えば、
お母さんが栄養不足の状態で
生まれてきた赤ちゃんは、
遺伝子を変化させて、
エネルギーを消費せずに
エネルギーの吸収をよくする方向に
変わってきています。

ですから、
生まれた後栄養状態が改善されても、
遺伝子の状態は変わらないので、
少しの栄養でもエネルギーの吸収がいいので、
メタボリックシンドロームや糖尿病に
なりやすいというのです。

もう一つ、これはマウスの実験ですが、
生まれて1週間背中の毛をなめられた
赤ちゃんのマウスは、
脳内の遺伝子に変化が起きて、
この世の中は“安心なところで、
少しくらいの事では驚かない
勇敢な”安心なネズミになるというのです。

マウスの平均寿命は2年。
人間の寿命はマウスの40倍です。

ですから、
人間も40週(生後6か月頃)までの
スキンシップを大切にして育てると、
精神の安定したこどもに育つ
可能性があることになります。

つまり、
幼い時の体験、愛情、生活パターン、習慣、健康が
一生にわたって影響していきます。

現在、義務教育は小学校から行われ、
6歳以下の教育は
完全に個人、家庭にゆだねられていますが、
3つ子の魂百までの観点からみると、
6歳以下の教育もとっても大事だということに

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物語を語って下さい

目の前の患者さんに対して
最善の治療をするために
我々医師は日々努力していますが
病気の種類も含め
接する患者さんの症状、訴えは
多岐にわたり
医療も進歩する中で
患者さんに常に最高の治療をするためには
医師ひとりの経験だけ
医師ひとりの研究勉強だけでは
十分とは言えません。

そこで
皆の経験した治療法などを
分析して
病気に対する
道標を科学的根拠に基づいて
示したのが
EBM(Evidence-Based Medice)と
いわれるものです。

このEBMのおかげで
どこの病院であっても
医師の自身の経験に左右される治療を
患者さんは
受けられるようになりました。

しかし
最近は、EBMにこだわりすぎ
EBMが標準治療だから
EBMじゃないといけないという
風潮が強くなってきた気がします。

ここで
間違ってはいけないのは
EBMはじゃないといけないわけでは
ないので
EBMに縛られることは
ないのですが・・・
この治療に当てはまるように
治療を進めてしまう
傾向に陥りがちです。

患者さんの病気になった理由、経緯、症状
そして
病気についてどのように考えているのか
どうしたいのかなどの
患者さんの思いは加味されずに
基準とされる血液検査、画像検査などの
結果のみで判断、実施され
目の前の患者さんのことより
データーばかり見ているという
批判につながっているのでは
ないでしょうか?

ナチュラルメディカルセンターでおこなっている
メタトロンでは
みなさんに1時間の時間を作ってもらって
施行しています。
またメタトロン中であっても
特に患者さん自身の行動を規制することも
ないので
メタトロンの結果を含めて
患者さんと様々なお話をします。

毎日どんな生活をしているか
何が心配かなど
ご自身のことだけでなく
ご家族のこと
お仕事のこと、コロナウイルスについてなど
お話の内容は
多岐にわたります。

実は
この1時間のお話は
とても重要なんですね。
この会話から
患者さん自身が抱えている問題
どう生きていきたいか
何を求めていることが
わかることがあります。

そうすると
例えEBMに添った治療をおこなっていても
根本治療とはとはならず
EBM的治療だけでは
根本的治療が難しいことを
感じます。

その様に感じるのは
決して僕だけではなく
最近ナラティブ・ベイスト。メディスン(NBM)も
必要であると訴えられる医師も
増えてきています。

NBMは
患者さんが語る物語から
病気になった理由、症状、考え方などの
患者さん自身が抱える問題を
全人的に把握し
そこから
最善の治療法を考えていこうという考え方が
出てきています。

病気の原因は
患者さんひとりひとりで異なります
ですから
治療法もひとりひとりことなります。

ですから
NBMも加味して
治療をおこなう必要があると思います。

僕は
これからも
患者さんに対して
いつもOPEN HEARTで
患者さんの言葉にいつも耳を傾けられる
医師でいようと思っています。

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諸行無常

仏教が教える真理の中に
「諸行無常」があります。
「諸行無常」の意味は
「この世の全ての万物は
常に変化していて
一瞬たりとも
その場にとどまることはない」
という意味です。

これは
仏教世界だけの真理かと思っていたのですが
このことを
最新の科学「量子力学」でも
証明されてきているのです。
量子力学の父と言われる
マックス・ブランクは
「万物は波動である。いかなる物質も
存在しない」と逝っています。
つまり、この世に存在するものは
全てが波動エネルギーでできていて
宇宙の全てのものが
無限の波動エネルギーでできている
ということなんです。
波動エネルギーを自然界の現象で言えば
波のうねり。
海に寄せては返す波のようなものと
考えられます。
つまり
波もその場にとどまることがないように
波動エネルギーでできている全てのものは
その場にとどまることもなく
うねりの中にあると言うことがわかったのです。

また
「諸行無常」の無常が
無情でないこともポイントです。
無情とは変化です。
宇宙のエネルギーは常に変化しています。

全てのものがうねりとして
存在しているということが
わかってきたのです。
つまり
諸行無常は
この世はこのうねりの世界にある
といっていたんですね。

また
この宇宙のうねりの中にいるものは
自分のからだも
宇宙の一部分であり
宇宙のうねりのエネルギーでできている
ことになります。

だから
我々のからだだけでなく
生きている人生も
とどまることはない。
人間の持つ生老病死などの四苦八苦さえも
人生というエネルギーのうねりの
一部分でしかなく
常に変化していると言うことなんですよね。

人生は
山もあれば谷もあります
これは
波動エネルギーのうねりに生きているので
今起こっていることを
嘆いても、喜んでも
仕方ない。
万物は生々流転していて
エネルギーのうねりの中で生きていることを
意識して生きていきなさいと
「諸行無常」という言葉は
教えてくれているんでしょう。

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やわらかく生きる

生きにくい現代社会だから
みんながこんな風に生きていけたら
しあわせな世界になるんじゃないかなぁ
と思って、こんな詩を作ってみました。

“ふわふわ、やわらかく”
やわらかく
いきていこうね
とんがらず
ふわふわとやわらかく
あせらずに
むりせずに
ふわふわとやわらかく
みんなとも
しんじあいながら
ふわふわやわらかく
からだも
いたわりながら
ふわふわやわらかく
やわらかくいきていくと
きづいたら
しあわせになっていそう

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ふるさと

僕のふるさとは
高校時代まで過ごした北九州。
大学から山口県に出てから
長期休みがある時には
ふるさと・北九州に帰ってきたけど
大学以降暮らした町ではないけど
ふるさと・北九州は
帰ってきて、お帰りといってもらえる唯一の場所。
だから心地よいふるさとなんだと言える場所。

ふるさとは
一番近くにいる人を一番好きでいられる場所で
遠く離れてしまった人に「お帰り」といえる場所。
助けを求めたらいつでもどこでも
駆けつけられる場所。
何才になってもこころの安心基地がある場所。

そして
ふるさとの場所にいなくても
苦しい時に
ふとふるさとを思い出して
懐かしみ、勇気を与えてくれるのがふるさと。

ふるさとを思うと
いつでも懐かしい気持ちになる。
ふるさとは頭でなく、懐で感じるもの。

ぼくをいつでも迎えてくれるふるさとに
感謝です。

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子育ち

子育てという言葉があります。
これは
おとなの目線でこどもをみている言葉。
主語がおとなです。

こどもを育てることを
子育てと思ってしまうと
おとなの側から
こどもを枠にはめようとしたり
おとなの世界に引き込んだり
してしまいます。

こどもは
おとなよりも劣ってるのかいうと

確かに知識は乏しいかもしれませんが

急に言葉もいっぱい話し出したり
運動の能力もどんどん伸びて
おとなが中々できないことが
こどもはあっという間身につけたりします。

こどもは
本能と直感に優れ
記憶力や適応力は
おとなは到底こどもには
かないません。

こどもは
おとなよりも優れた面を
たくさん持っています。

ですから
本来こどもは
親の手を借りなくても
自然に育って
いくのかもしれません

逆に
おとなの目線で接することで
こどもの能力を摘んでしまうことにも
なりかねません。

こどもと接する時には
何を大切にすればいいのでしょうか?

それは
いつも本音で接することだと思います。

おとなはこどもより
決して優れているわけではないと
いつも
心に留めて接することだと思います。

親子げんかしても
はっきり自分の本心を隠さず伝えること。
親としての考えを
こどもに伝えたなら
結論はこどもの意思にゆだねる
姿勢が大事かと思います。

こどもに教えることよりも
こどもを信じて待つことのほうが
大切だと思います。

こどもを育てるって
親目線の”子育て”ではなく
こどもに親自身も成長させてもらってる
”子育ち”であると思えば

こんな風に変わりませんか?

いつもこどもに”ありがとう”と言えます
いつもこどもに”ごめんなさい”が言えます
いつもこどもをしっかり抱きしめることができます。
いつもこどもの前でも真実の自分の姿でいられます。
そうすると
いつもこどもとお話をすることができます
いつもこどもと遊べるようになります。

そんな、あなたといると
こどもは
いつもあなたに愛されている
いつもあなたに守られてる
と思って
自然にすくすく成長することでしょう。

おとな目線の”子育て”から
こどもとともに成長する
”子育ち”を目指してみませんか?

 

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