小学校

この映画は
コロナ期の都内小学校の一年間の姿を
おったドキュメント。

なんのストーリーもない
ただ学校生活の一年間をおったものだけど
今まで自分をも通り過ぎた
小学校時代と重ね合わせて
この映画をみると、色んな思いが出てくる。

こどもとしてこの時期の思い
ああ先生が言われたのは
こういうことだったのかと確信したりした。
そして
時代が変わってきたことも感じるけど
先生の発言を見ていると
日本独特の教育方針が在り
その教育方針が古くなっているところもあるけれど
その考えがあるから
今の日本を造ってきたのだと思う。

つまり
個人ひとりひとりの力を伸ばし
成長していこうとするけれど
学校である場を重んじ
集団の迷惑をかけない
起立を守る
集団をよくするためにひとりひとりが頑張って
それが成長につながるという
思想が昔から続いていることを感じ
映画であるため、客観してみることができた。

客観視した時
外国から見ると、個人よりも全体を考えて行動する
教育方針がどう映るだろうか?
ふと思った。

これでいいのか教育現場。
でも、大切にしていただきたいところも感じる。
教育現場こそ
不易流行をよく考えないといけないのだと思う。

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死亡率は100%

人間には寿命があります。
どんなに健康に気をつかい、
最新の医療を受けたとしても
いつかは死んでしまいます。
これは
避けることのできない運命です。
今日本の平均寿命は80歳程度ですから、
現在の年齢で平均寿命を考慮して
自分はこれから何歳ぐらい
生きれるのか?生きたいのか?
が考えることができます。
そして
それを目標に
今から10年をどう生きるのか?
20年後はどうなっていたいのかという
ビジョンを立ててみると、
生きていく目標がはっきりしてくるでしょう。
100歳まで生きようとすれば
大変な努力が必要です。
でも50歳まで、60歳まで、70歳まで
健康に生きるためにはどうしたらいいかを
10年刻みで考えれば、
具体的なイメージもできやすいでしょう。
すると
意外と時間の流れの速さも感じるかもしれません。
すると、一日一日が貴重に思え、
大事に過ごせるでしょう。
そして
目標まで十分満足して生きることができれば、
その先は、これだけ頑張ったからと
後は自由に生きるという決断もできます。
残りの人生をいかに充実させるという、
クオリティ・オブ・ライフを考えていくという
人生の選択もできます。
そして誰でも最後の時を迎えます。
でも最後を自分ひとりで決めることはできません。
元気でぽっくり逝きたいと思っても、
現代医学では
死なせてもらえず、
寝たきりや長い長いリハビリ生活を
余儀なくされることもあります。
長生きをすれば認知症の問題もあります。
どう生きていくのか?を考えると同時に
どう死ぬのかも考えていく必要があります。
それには、年齢、性別、環境、性格、
そして
人生観や死生観といった要素が全て絡み合っています。
あなたと同じ人生を歩む人はひとりもありません。
あなたの生き方に悔いが残らないように、
どうやって生涯を終えたいのかを
考えて生きてくことも、
どう生きるのかと同じように大事だと思います。

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全人的に診療するとは

我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。

患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。

でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。

しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。

最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。

しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。

病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。

でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。

だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。

病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。

生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。

ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う

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この世で恐ろしいものとは

暑くなってくると
ちょっとでも涼しく過ごそうと
肝試ししたり
お祭りではお化け屋敷があったり
テレビでは心霊現象の番組が放映されたり
幽霊の話をよく耳にする。

幽霊は
目に見えないものの代表
目に見えないから怖いものの代表的な
ものです。

現代科学をもっても
幽霊の存在を証明することは
まだできていませんが
世の中には
幽霊を見ることができると
仰るかたがいるのは確かです。

僕も
幽霊って何だろうと
自分の目で確認できないものに
興味があり
幽霊を感じる方のお話を
聞くのが好きです。

最近
幽霊より怖いのは生き霊
つまり人間の思いだという話を
聞きました。

その方が仰るには
生き霊とは霊ではなく、人間の思い。
人間の思いの問題、つまりもめ事は
人間同志、当事者同志で
解決するしかないというのです。

死んだ方の死ぬ前の思いや念は
死んだあとは
上から俯瞰的に見ることができるそうなので
生きたときの念や思いを
和らげ、解決することができるそうです。

しかし
生き霊とは生きている人間の念、思いであり
その人が
思い続けている限りは改善することができないのです。

有名人が
人気が落ちると
転落人生を経験されることは
よく耳をしますが
それは人々の
妬みや嫉妬の念を受けるからとも
言われています。

これは
有名人だけの話ではなく
僕も含め
普通に生きている人も
生きている限り
人からの念をいつも受けているのです。

病気の全てではないにしても
病気もひとつの念の現れであるとも
思うのです。

病気になるのは
病気に対する免疫力が
落ちたからなどと言われますが
免疫力には
人の思い、念も関わっているでしょう。

有名人が
人気絶頂の時には
人々から好きだ、楽しい、有り難いという
陽のエネルギーを受けているから。
でも、逆の嫉妬、妬み、恨みなどの負のエネルギーも
受けていたはずですが
まだ陽のエネルギーが優勢なため
人気ものでいることができるのでしょう。
しかし、負のエネルギーが逆転すると
からだを壊したり
運命の歯車が狂い出すのでしょう。

僕も
診療中
様々な方の思いを受けているはずです。
今までずっと診療ができるのも
きっと
陽のエネルギーに守られているおかげなんだと
思っています。

つまり
みなさんのありがとうと言う
言葉に支えられて今生きているのですよね。
みなさんの思いで
僕は今活かされていることを
常々思います。
だから
みんなに喜んでもらえる日々を過ごすことが
僕の使命なんでしょうね。

これからも
よろしくお願いします。

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書いている時に考えていること

一昨年から
本を書いています。

1作目は「どう生きてどう死ぬか」は
50代に経験した脳出血を経験して
感じたこと、学んだことを書きました。
2作目は「進め」という
自分の人生を振り返り、
今、若い人に伝えたいことを求めました。

そして、現在3冊目を執筆中。
これは今年還暦を迎え
今後の生き方をまとめています。

でも
今後どう生きていくかは
これまでと違い、体力も落ちるし
今までの考え方通りに行くかどうかは
書きながらも
不安を感じつつ書き進めていきました。

そんな時
これからの人生について書く時の心得を
あるかたから、こんなアドバイスをいただきました。
それは

「人間は70歳を超えると
途端に体力がガクンと落ちます。
あなたはまだ60歳になったばかり。
これからは70代や80代の人生を生きる
自分を想像してごらんなさい」と。

これからの自分の姿を想像しながら
未来の70代の自分になったつもりで
書いてみようと思った。

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期待して下さい

当院は
赤ちゃんからおとなまで
様々な年齢の方を対象としているので
外科的な処置が必要でなければ
診療をしています。

ですから
色んな目的で受診されてこられます。
主治医の先生が
お休みなので
いつもの薬だけ欲しい。
とりあえず今の状態を診てもらいたい。
コロナワクチンの時期なので
コロナワクチンだけでなく
ワクチン接種だけお願いします
などなど
当院の受診目的は様々です。

僕の目の前に
座った患者さんは
患者さんの目的が薬だけであろうと
100%、全身全霊を込めて
診察しています。

日頃診てもらってる主治医の先生ほど
患者さんのこれまでのことはわからなくても
今僕がわかる範囲で
できることをしよう
診察後
主治医先生の迷惑にならないように
診療をしようという思いで
患者さんを診させていただいていますが
・・・・・
患者さんには
当院を受診した思いはまちまち。
薬屋さん感覚で
この薬を下さいとか
注射だけでいいですとか
露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
患者さんとの出会いも
一期一会かもしれないけど
いい出会いになればと思って
診療をしているのですが
診察室で
医者と患者という立場で
相対していますが
その前に
お互い人として
向き合っていることも
忘れてはいけないと思ってます。

もし、目の前の患者さんが
この先生は、偉大な人なんだ
この先生について行けば大丈夫。
この先生について行けば
頑張れるし
どこまでもついて行きます
なんて言われると
奇跡でも起こせそうです。

逆に
何か間違えでもしたら
糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
萎縮して
いい診療なんてできません。

医者のパフォーマンスは
患者さんに期待されると
上がるんでスンね。

これは
医者だけではなく
学校の先生や塾の先生に
期待すると成績が上がるし
お父さん、お母さんや
ご夫婦でも相手に期待すると
期待した本人にも
結局いい結果を産むということは
心理学の世界では
よく言われることで
ビグマリオン効果と呼ばれています。

是非
この先生はいい先生だと思って
いただけると
僕の力は100倍にも1000倍にもなって
患者さんもっともっと良き方向に導けます。

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米の備蓄問題は令和の米騒動

昨年から
お米に対する報道が連日されている。

米が足りない
米が高騰している
備蓄米をもっと放出して欲しいなど
様々な声は聞こえてくるけど
なぜ、米が足りなくなったのか?
不作と言うわけでもないし
少し前までは米離れも進んでいたのに
全く摩訶不思議な原因不明な令和の米騒動。

政府は騒動を落ち着かせるために
備蓄米を放出しているが
この米を備蓄することは
今に始まったわけではなく
実は神武天皇の時代には
国はお米を備蓄する習慣があったことを知りました。

神武天皇の時代は長期保存することは
とても貴重なことで
国は各地から少しずつお米を集めて
「みやこ」という米倉を造って備蓄し
災害などで食糧不足になった村へ
米を分配する仕組みを作ったというのです。

日本は災害の多い国です。
災害は突然に起こります。
災害が起こったらまずは自分のいのちは
自分達の力でで守って乗り越えて欲しい欲しい。
一次災害さえ乗り越えてくれれば
あとのことは国が守りますから
心配しないでいいですからという
メッセージをだし、実行していったのです。

国が国民のことを家族と思い
守ってくれるから
国民も国のことを信じることができたのです。

現代の米騒動は
色んな利益・利害がからんでいるためなのか
解決につながらないのが残念です。

はやく米騒動が落ち着くことを願います。

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中今とは夢中になること

こころに響く言葉のひとつに
「中今」があります。

この言葉は
神道の言葉であり
生きていく中心軸を
今という時間を
大事に、一生懸命生きることを
伝える言葉だと理解しています。

最近その「中今」という言葉は
もともと
「中夢 なかゆめ」という言葉から
派生した言葉だということを
知りました。

中夢
夢のまっただ中
夢の中にいること。
つまり夢中で生きると言う意味。

中今と夢中
考えてみると
確かに関係があると思いました。

何かに夢中になる時って
時間があっという間に経ちますよね。
自分の中では
一瞬に感じる時間であっても
実際の時間および
辞意分以外の人が感じる時間は
2.3時間は経っているって
よくありますよね。

浦島太郎が
竜宮城で過ごした時間が
まさに
「中夢」の時間だったと思いいます。

「中今」が
中夢という言葉から派生した言葉なら
中今は
今の時間を夢中になって過ごす。
目の前のことに没頭して
集中して過ごすことが
自分にとっての
夢の時間に思える時間になるってことですよね。

人生において
無我夢中になるものを見つけ
無我夢中の中で生きていると
「我」も消えてしまい
自分の真の人生を生きられるようになる。

そのことを
「中今」と言う言葉は
教えてくれているのでしょう。

目の前のことに
夢中になって過ごしてみましょう。

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しあわせになりたかったら

 

“しあわせになりたかったら”

しあわせになりたかったら
誰かをしあわせにしてあげたらいい

苦しんでる人
悲しんでる人
辛い思いで悩んでる人
慰め、励まし、勇気を
届けよう

人にたいしてだけじゃない
動物にも
小さい虫にでも
誰かが助けが必要としているなら
手助けする。
手を差しのべる。

そうすること
そうできること
それこそが
しあわせになることなのかも

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人生区分は(年齢)×(年齢)で変化する

人生では、年をとると
時間の進み方ががどんどん早くなると思いませんか?
感覚的に時間は等間隔で進んではいかない、
と感じる人は多いことでしょう。

数学者の森毅先生が
物事の変化は時間と共に累積するという法則を
人間の一生の変化に応用されたのが
人生区分を(年齢)×(年齢)で考えていくという法則です。

人間はどんなに長生きしてもせいぜい120歳です。
11X11が121。つまり121歳までの人生を11段に分けるのです・

1x1が1歳
一生のうちで一番変化の激しい時で
表情がでてきたり日に日に人間らしく変化していく。
たった1年で急成長する時期。

2X2 4歳まで
それまでは家族中心の子育ての場から
これから社会に出ていきこれから経験するであろう
社会的事件の種を経験する時期。

3X3 9歳まで
家族や学校での庇護をうけながらも
いじめなどの疑似社会体験をして行く時期

4X4 16歳まで
多感な思春期。
内省にふけったり、性にめざめたり
一番難しい時期だとも言える

5X5 25歳まで
若さあふれる、いわゆる青春時代
一番エネルギーにあふれる時期。

6X6 36歳まで
あらゆる経験を通して、失敗をも乗り越え
自分のオリジナリティーを作り始める時期

7X7 49歳まで
これまでの努力の花が開き
世の中で認められたり、評価される時期。

8X8 64歳まで
仕事を含め様々なことに対して
責任をもつ(もたされる)時期。
だから、責任をとるために
頭を下げることもでてくることも多くなる。

9X9 81歳まで
いわゆるシルバーの時代。
考え方によっては、一番楽な時期かもしれない。
あらゆる責任から解放され
健康であれば、一番人生を謳歌できる時期かもしれない。

10X10 100歳まで
この時期は
これまで人類があまり経験したことのない時期。
これからの我々がどう感じ、生きていくかにかかっている
未知の、これからの生き方を示す宿題を
我々世代に尽きられた時期

今、どの時代に生きているかを考えると
少し生きやすくなる考え方だと思います。

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