真実の医療」カテゴリーアーカイブ

毎日がメンテナンス

新しい年を迎え
昨年より更に気をつけようと
思うことは
からだのメンテナンス。

これは
今に始まったことではないけど
病気になって以来
日に日に睡眠に対する意識が
強くなってきています。

毎日4時半には起き
夜9時には寝ています。
寝られることにとてもしあわせを感じています。
つまり
しっかり寝ないと
自分のポテンシャルが
発揮できない気がするのです。

病気になるまでは
二日ぐらい寝なくて大丈夫。
睡眠が足りなくても
誰にも負けないくらい
エネルギッシュに働けると
思っていました。

でも
病気になったときに
これまでの自分を振り返る時間になり
病気やけがというものは
「もっと自分を大切にしないと」と
立ち止まって考える機会になりました。

50代をすぎた患者さんは
腕が、肩が痛くて手が上がらない
いわゆる五十肩の症状を訴える患者さんが
一気に増えます。
それは
肩だけが悪いわけではなくて
「不摂生や無理をしてはいけない。
からだに気遣って過ごしなさい」と
伝えたいから、症状がでるのです。

症状がでたときは
症状がでたメッセージを
受けとめて欲しいからなんです。
症状を抑えるだけでなく
その裏にあるメッセージを
受け取らないといけないです。

でも実際は
からだに症状というメッセージを
だしてもらわないように
自分自身を大切にして
すごさ亡いといけないのでしょう。

年が明けて
老若男女に関わらず
全てのかた平等に
昨年より年をとります。

だから
昨年よりは自分のからだを大事にして
過ごしていただきたいと思います。

ご自身のからだのメンテナンスに
ご協力に役立てたらと思います。

今年もよろしくお願いします。

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コロナ感染の果てに

今年もコロナ感染の感染拡大の
ニュースにこころ
揺さぶれるようにして始まりました。

オミクロン株の報告はありますが
重症者の報告は少なく
このまま暴れないでくれと
願うばかりです。

今は一年前に比べれば
まだまだ感染が収まってる時期だからこそ
考えないといけないこともあります。
医療面はもちろん
社会生活も、家庭生活も・・・
全ての人間の活動に関して
影響を及ばしたと思います。
影響は、悪い影響ばかりでなく
いい影響もあったと思います。

いい影響に注目することで
これまでの事を反省する機会に
なるのではないでしょうか。

例えば・・・

①地球に及ぼした影響
全世界で人類の活動が一時的にでも停止したことで
大気汚染が軽減し
海や川も綺麗になったようで
中国の空気も澄み
ガンジス川の水が透明になり
ヒマラヤ山脈の山々が美しくみえるようになったとか

②仕事面での影響
オンライン勤務が進んだことで
無駄な会議、出張など
これまでの働きを見直す
真の働き方改革が進んだ

③家庭生活
仕事や生活に割く時間が減り
家で食事をとり
パーティーをするなど
家庭、家族で過ごす時間が増え
家族との生活を見直す人が増えた

④その他
三密を叫ばれ
人との交流を制限される一年を過ごし
人とふれあう事の大事さを
感じることが増えた。

自粛生活のおかげで
働き過ぎの人に
ゆっくり休めたり、日頃できなかった事が
できた方もいるでしょう。
飲食店業など大変な方も多かったでしょうが
だから
業種転換など、新しい展開をできる
きっかけになった方もいらっしゃることでしょう。

このように考えると
コロナだったからと
悪い事ばかりではない。
きっとよかったことも起こったたかもしれません。
コロナ感染だからといって、
いたずらに不安な気持ちを増強させるのではなく
コロナが気づかされたことにも目を向け感謝して
新しい年を進んでいきましょう。

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コロナ後の世界と文明

年が明けると
今年はどんな年になるのか
頭に描くことでしょう。
個人的にも、世界的にも
どんな一年になるのか
年が始まったばかりだけど
一年経った時
いい一年であると思えるように
書き初めをしたり
初詣にいったりします。

そんな時
動物学者の今泉忠明さんが
「未来を生き抜く鍵は
ざんねんにある」という
言葉に出会いました。

人類も含め
生物は環境に適応し
未来にむかって進化して生き延びてきた
だから
人間も成長しないと
いけないと思ってました。

しかし
一度進化すると
後戻りすることはできないのです。

マグロは
えら呼吸を進化させましたが
いつまでも動いて続けなくてはいけません。
イルカも
海に生きる哺乳類ですが
海の中で暮らすには
えら呼吸した方が
生きやすいのかもしれなかったけれど
進化してしまったら
後戻りはできないのです。

これは
生物学的な進化の話ではなく
人間の文明についても言えます。
みなさんも
暖房のおかげで
大寒波に見舞われても
部屋の中は温かく過ごすことができたでしょう。
暖房という文明の恩恵に感謝です。

でも
部屋の中が温かすぎて
いっぱい洋服を着て過ごした
肌の弱い赤ちゃんは
ひょっとして
湿疹が悪化していなかったでしょうか?

文明は
人間をしあわせにしようとして
はじまったけれど
実際半分は人間をダメにしてしまったかも。

コロナが広まって
僕たちの生活の文明の利器
例えばコンピューター、薬なども
使い方によっては
色々変わってくるのではないかと
思うのです。

文明は
半分は人をしあわせにしてくれるけど
半分はダメにするリスクがあることを知った上で
この一年過ごさないと言えないと思った
年明けでした。

今年も
みなさんにしあわせに続く道を
少しでも多くお伝えできるように
精進していこうと思ってます。

今年もよろしくお願いします。

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除夜の鐘

大晦日。年最後の行事は
除夜の鐘をつき、きき
新年を迎えるのが
昔からのしきたりです。

除夜の鐘は
つくごとに人間の持っている
108個の煩悩を一つ一つ
消し去ってくれる
そして美しいこころで
新年を迎えましょうという
意味があるのです。

煩悩は
人のこころを惑わすものであり
しあわせな人生を送るためには
煩悩を払わないといけないもの。
と考えてました。

でも108個もある煩悩を
完全に払うことは
除夜の鐘をついたからといっても
難しいもの。
生きている限り
煩悩と付き合わないといけない。
煩悩をひとつでも減らすように
努めるように生きていかないとも
思うのです。

空海さんは、煩悩を
「覚りの原動力」と考えられ
「煩悩即菩提」という言葉を残されています。
つまり
煩悩のままが菩提のこころと言うのです。

そして
煩悩について
ろうそくと火を使って
こんな例えを残されています。

ろうそくと火は
全く別物ですが
ろうそくの明るさは
ろうそくを原材料としてもたらされますが
ろうそくに火がつかなければ
ろうそくはろうそくのまま。
ろうそくに火がついてはじめて
まわりを照らす存在になるのです

空海さんのおっしゃった「菩提心」とは
ろうそくに火がついた状態
ということです。

ですから煩悩は
自分の心の菩提心を
灯すものなんだと思います。

つまり、除夜の鐘は
108ある煩悩をひとつひとつ揺り動かし
煩悩を発火させ
菩提心の火を灯し
菩提心とともに新年を迎えるという意味が
あるということをしりました。

今日で
当院も仕事納めになりました。
僕の心にも多くの煩悩があります。
その心をみなさんの温かい気持ちで
菩提心を灯すことが出来て
一年を過ごせたことに気づきました。

一年間
本当にありがとうございました。
来年もみなさんから受け取った
菩提心をもっともっと明るく灯して
いこうと思います。

みなさん方も
いい年をお迎え下さい。

新年は1月4日(月)から診療スタートします

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MINAMATA

ジョニーデップ主演で
水俣病の存在を全世界に発信した
写真家ユージン・スミスを
モデルにした映画
「MINAMATA」を観た。

写真家ユージン・スミスは
アメリカの雑誌「life」から
水俣病の写真を撮ってきて欲しいと
依頼された。
当時はまだ
水俣病は公害病とも認定されず
猫踊り病とも言われ
会社側と被害者との
争いのまっただ中。

ユージン・スミスは
原因を探ろうと駆けずり回り
原因研究の写真を突き止めたり
患者の現状を写真に収めたりした。
しかし
その水俣の裏では
お金を握らされた人がいたり
ユージン・スミスの仕事場が焼かれたり
その他
様々な妨害工作に合い
水俣病の仕事から
手を引こうと決意した。

最後に、ユージンは
水俣病の家族の姿を
撮った。

その時写真が
「入浴する智子と母」という一枚。
同じ湯船に
水俣病で生まれてきた智子を
抱きかかえ一緒に湯につかる
母子の姿を切り取った一枚。

その母子の姿を目にしたとき
僕には
十字架で絶命した
イエスキリストの亡骸を
抱えるマリア様にみえたのです。

こどもは
母親のからだから生まれてきたけど
こどもと母親は別人格だといわれます。
実際
川嶋辰彦さんが紹介していた
カリール・ジフランの詩でも
魂は別だと述べています。
それも真実でしょう。

しかし
母親のこどもに対する愛は
理屈では考えられないほど
深い事を知りました。

そして、この世に存在する愛は
母親のこどもを思う愛だけでは
ありません。
様々な愛の形が存在し
どの愛も同じように深いものであること
を知りました。

今は
「入浴する智子と母」の一枚は
傷ついた地球を抱きしめる
母なる宇宙の姿に思えるのです。

傷ついた地球を救うのが
今地球に生きている
人類の使命なのかもしれません。

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武士の考えた死とは

葉隠の中に
「武士道というのは
死ぬ事を見つけたり」と
書いてあった。

昔の人、特に武士は
いつ死ぬかもしれないという
常に死と隣り合わせで生きていて
死のことを
いつも頭に置いて覚悟をもって生きていたと思います。

実際、武士は
「人は死と向き合ってこそ
意味のある『生』を送ることができる」
「人はこの世に誕生した瞬間から
『死』というゴールに向かっている」
と考えて生きて来られたのでしょう。

人はみんな、栄光のゴールである
『死』を迎えたいはずなのに
現代は、いつしか『死』を
縁起の悪いもの、不幸なものとして
忌み嫌うようになってしまった。

これは
死に対する考え方は
現代人の生き方を端的に現していると思う

コロナ感染での対応でわかるように
いのちと経済を天秤にかけているところがある。
つまり
物質世界を守るのと
経済を回すことが生のゴールと
考えているのだろうか?
死んだら終わりだから
今の生を守ろうとする気持ちが強くなっている。

生を考えるものとして
医療はある意味科学の頂点であるが
死をゴールとして
終わりなのか、終わりでないのかで
人の人生は大きく変わってくる。

誰も死の世界を語ることはできないから
死で終わりと考えていいのか?
死を考えることで
生も輝いていくのだと思う。

僕は生を仕事とする医師として
死をもともしっかり向き合わないといけないと
日に日に強く思うのです。

ですから
縁起が悪いと思わないで
時々、僕の考える死について
耳を傾けていただけると
うれしく思います。

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救世主はあらわれるか?

今日はクリスマスです。
クリスマスは
救世主イエス様の誕生日をお祝いする日
でもあります。

救世主が
救済してくれると
人々は救世主の誕生に
今でも喜んでいるわけですが
今の世界を見てみると
なかなか終わりがこない
コロナ感染症に全世界の人々が
救世主の登場をこころから
願っているのではないでしょうか?

ぼくも
救世主のようなかたが現れて
これからの生きる道を
示してくれればと思いますが
実際救世主を考えたときに
これからの時代は
キリストや仏陀のように人の形としては
現れてくださらないような気がするのです。

というのは
救い主が現れる時というのは
人々の心に
真に救世主の誕生を求めるこころが育った時に
はじめて
神の化身であられる
救世主が現れるのではないかと思います。

ですから
人々のこころが乱れ、
その人のこころの波動が荒れている時には
神的な波動、エネルギーをもった方とは
同調しえない。

考え方も様々な時代
みんなに共通の思いをもつことは
難しい上に
肉体をもってしまうと
限定された地域の
同じような考えをもつ人にしか
限定的な人にしか
影響を及ぼせないということになります。

ですから
今の時代の救世主は
きっと人として
生まれてこない気がするのです。

肉体、すなわち
目に見える形あるものとしての
救世主ではなく
人の思いという
目に見えないものに同調する形で
救世主の存在に
気がつくのではないでしょうか?

人ひとりひとりが
救われたことに
気づいていくのです。
救われたという気持ちがもてれば
自分のこころがすくわれれば
人に対して
優しい気持ちを持ち、助けようと
言う気持ちになるでしょう。
そうおもった気持ちが
あなたのとなりにいる人の
こころに波動として伝わり
あなたが感じたように
救い主の存在に気づくでしょう。

そして
その方も救われた波動を
お隣の人に伝えることになります。
その救われた波動が
次々に広がり
みんなが救われることになります。

そして
世界全体が救われるのです。
これからの時代の救世主は
あなた自身のこころのなかにいらっしゃる
やさしいこころ
みなの平和を願うこころの中に
いらっしゃると思うのです。

今年のクリスマスは
今生きることができていることに
素直に感謝して過ごしましょう。

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天行健

「天行健、君子以て自彊(ジキョウ)して息(ヤ)まず」
というお言葉を
僕の師匠でもあられる丸川春潭老師から賜りました。

この意味は、一般的には
「天地は、途切れることなく、規則正しく
健全に運行されている。
そのように君子も、自ら努め、学問に励み
人と交わり、職務を全うし
怠ることなく規則正しく健全に
行わなければとならない」という
意味にとられています。

しかし、老師の伝えたい意味には
もっと深い意味がありました。
全て、自分の心の動きだと。
今我々は
コロナ禍の中に生きています。
歴史を振り返ってみても
世界を巻き込む戦争
また日常的にも生活の中にも
大小様々の争いごともあり
こころ揺れ動くこともあるでしょう。
そして、社会においても
経済活動、受験など
人それぞれ立ち向かわなければ
ならないこともあるでしょう。

でも、
どんな時も、自分の心に従い
結果を案ずるのではなく
毎日毎時毎時を悔いることなく
今を生きよ。
そうすれば
天の運行のように健やかに
そして穏やかに過ごせるのだと
教えていただきました。

今日はクリスマスイブ。
2年前のイブは病院のベットの上にいました。
ですから
今、こうしていつものように
みなさんに自分の思いを伝える事は
僕にとってとても有り難いこと。

今こうして生きていけるいのちがあること
まさに「天行健」であることに感謝して
今日一日を精一杯生きていきます。

メリークリスマス

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みんな頑張ってる

ある日の診察室でのこと。
次の患者さんは
インフルエンザワクチン接種。
患者さんをお呼びする前に
問診票をチェックしようとすると
問診票と一緒に
こどもの大きな文字が飛び込んできた。

そこには
「がんばる」と大きく
注射器の絵と共に書かれていた。
その字から
その患者さんの気持ちが
あふれ出ていた。

「あばれない
なかない
にげない」と
綴られていた。

その患者さんの名前をみて
思い出しました。
1回目のワクチン接種の時
大暴れして
みんなで説得しながら
接種した患者さんだった。

怖くて
怖くて
抵抗したその気持ちはよくわかったが
病気にかからないために
インフルエンザになって
悲しい気持ちにならないためにも
願いと思いを込めて
お母さんも
スタッフもそして接種する僕も
必死で打った患者さんだった。

接種した後は
患者さんも、お母さんも
スタッフも僕も力尽きた。

その気持ちを
その子はわかってくれてたのだ。
でも、怖い、痛い・・・不安が募るばかり
でも、頑張らないと、がんばるために
がんばりますと
宣言してくれたので。

その子の気持ちが
痛いほど伝わってきた。
その子の思いに応えるために
その子の健康を願って
こころを込めて接種した。

その時
患者さんは
お母さんにつかまって
お母さんの力も借りて
ピクリとも動かずに
頑張ってくれた。

終わった後
振り返ったとき
目からは涙があふれていたが
笑顔で返っていかれました。

赤ちゃんから
お年寄りまで
老若男女、様々な方に
予防接種をしていますが
怖いのはこどもだけじゃありません。
おとなだって
頑張って、みんなドキドキこころ震わせながら
接種しているのが
接種している僕にも伝わってきます。

そんな頑張りに応えられるように
病気で悲しむことのないことを願って
接種しています。

その笑顔で
ずっと、ずっといてもらいたいから。

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ミスマルクス

「ミスマルクス」という映画を観た。
18世紀の代表的な社会主義学者で
著作「資本論」で有名な
カール・マルクスの三女エリノア・マルクスの
伝記映画である。

父は有名だが
彼女についてはほとんど記録がないが
父親の政治活動を引き継ぎ
「資本論」の英国刊行に奔走し
労働条件の改善、児童労働の禁止
女性平等実現のための社会活動を行った。
私生活では
自由に憧れ、手に入れようと
父親と異なり
自由に生きる芸術家エイヴリングとの事実婚を
選んでしまう。
彼は旅を好み、美食家な芸術家であったが
自由すぎる上の軽さがあり
全てに対して
後先考えずに、自由のために振る舞うので
エリノアの財産も食い尽くし
女性問題で
常にエリノアを悩ます。

しかし
彼を愛しているがゆえなのか
自由に生きる彼にひかれたのか
彼に尽くしたエリノア。
そして
43歳に自殺してしまう。
原因は不明だが
自由に対する憧れと現実とのギャップに
苦しんでいたのが原因だった気がする。

映画を見終わって
彼女が生きた19世紀後半に比べて
現代は何か変わったのだろうか?

コロナ禍の中
様々な労働問題があり
女性問題、多様性の問題
悩むこども達も年々増えてきている。
月日が経って
世の中は変わりましたか?
よくなっていますか?
自由を楽しめてますか?と
映画を見終わった後
主人公ミス・マルクスに
ずっと問いかけ続けらる気がした。

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