「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
病気とこころのゴミ
毎日患者さんと向き合ってると
みなさん
「早く病気を治したい」
「健康になりたい」と
思われているのですが
時々
病院に来たら安心できるので
来られてるのでは?と
思う方もいらっしゃいます。
症状があるとき
どんなに検査をしても
悪いところが見つからないのです。
想像力を働かせ
患者さんの気持ちになって考え
患者さんが元気になるようにと
薬をだしたり治療するので
患者さんは安心して帰られるのですが
時間が経つと
また同じ症状で来院され
どうにかしてくり返さないように
患者さんと向き合っています。
そんな時
こんな風に感じることがあります。
この患者さんは
病気であることで
バランスをとろうとしているのでは
ないでだろうか。
人間のからだは
肉体だけでできているわけではなく
こころも大きく関与しています。
肉体はこころの結晶体です。
こころの影響が
肉体にも、いわゆる症状として現れるのです。
つまり
こころの中の
マイナスエネルギー
不安、悲しみ、怒り、恨み、不平不満などの
こころの塵がこころのなかに溜まり
その感情を
からだはわかってもらいたいので
症状としてあらわれ
そのこころの苦しさを
わかってもらおう、治そうとして
病院を受診されるのでしょう。
わかってもらえるまで
こころの塵がなくなるまで
同じことをくり返すのでしょう。
ですから
我々医師は
症状だけを診るのではなく
その奥の真の苦しみに手を差し伸べるために
日々努力しなければいけないのです。
運命を変える方法
中国に伝わる徳積みついての
話をきいた。
その話とは
明の時代に最高の出世コースである科挙の試験に
何度も挑戦していた青年に
親は
「もう諦めて
父と同じ医者になりなさい」と諭され
思い悩んでいたとき
将来を見透せる力のある易者と出会い
「そなたは官僚になる人間だから
必ず合格する。
そしてその後の働き方、生活
最後は中央に戻って高い地位に就くが
53歳で一生を終える。
こどもには恵まれない」と断言された。
その後青年は科挙の試験に無事合格し
易者の予言通りの
「人生は既に運命によって決まっているんだ」と
変に納得し
人生をある意味安心して歩んでいた。
そんなある日
今度は高名な禅僧に出会い
自分の運命・人生は決まっている」と
話をすると
禅僧は笑いながら
「確かにその通り。
しかしその通りに生きるのは凡人だけだ。
世の成功者と極悪人は
それぞれの善の力、悪の力に引っ張られて
定められた運命とは違う人生を生きられるのだ。
そして
運命を変え、人生の成功者になるための方法がある。
それが
「徳積」であるという。
例えば
「死にいこうとする人を助けた」
「災害に遭った人を救護した」
「病人の介護をした」
「道に落ちていたゴミを拾った」
「人のために寄付・募金をした」
などであるが
ここでひとつ面白いのは
善行はポイント制だというのだ
規模が大きいほど高ポイントになるというのです。
ただ
「暴力をふるう」
「盗む」「悪口を言う」など
悪い行いをするとポイントが減るというのだ。
この青年は
この禅僧にあった後
3000ポイントをため
こどもに恵まれ、74歳まで生きたとか。
徳積みのポイントを
実際に確認することはできないが
世の中をよくするため
目の前の人を喜ばそうと
そんな純粋な気持ちで徳積みを行えば
ご自身も
そしてその徳は子孫にも恩恵が続くのでしょう。
運命を変える方法は
徳積みなんですね。
病気は悪なのか?
これまで医学では
病気は悪、死は敗北である。
人の人生は
死と共に終わりその後は
無に帰する
という考えを根本ににして
発展してきた。
現代の死生観のみならず
疾病観、身体観が
人々の生活のみならず
生き方にも影響している。
その考え方が
これまでの文明の発展の
根本であった。
死で全てのものが無になる。
というのは真実である。
無というのは
どういうことだろう?
無の捉え方次第で
人生の歩み方が変わってくると思う。
無というのは
なくなってしまうと
考えると無くしてはいけないと
思ってしまうが
無とはなくなるのではなく
全てだと考えられないだろうか?
無はゼロ、ゼロは全体、源とも
考えられる。
そして終わりとは
新しいはじまり、出発だと考えると
死は
新しい生への通過地点、乗換駅であると
考えられないだろうか?
それを踏まえて
医師としての使命を
改めて考え治してみると
病気をただ治すだけが
目的ではない。
患者さん自身の体の声、心の声をきいて
自分自身の本当に歩みたい人生を
歩めるようにしてあげることが
真実の医師の使命だと思う。
病気などの
人生に起きた苦難や試練を
悪として捉えるわけではなく
ギフトに変えること。
そこに気づき
心身の健全度をあげ
次のステージに迎えられるように
目の前の方をサポートすること。
人間は
自分ひとりでは生きていない
自然とのつながり
自分以外の人々のつながり
そして
何よりも自分自身の魂とのつながりに
気づいていけるように
サポートすることが
医師の、僕の役割だと思うのです。
食べたいものを食べる
世の中は情報があふれています。
食べるものについても
おいしいものだけでなく
この食材がからだにいい、悪いなど
消費者のこころを揺さぶる
情報が増えます。
でも
不思議なことに
情報にもはやりすたりがあるのか
いつのまにか消えていく
情報も多々あります。
食事についての基本は
「食事はおなかがすいたとき
からだが欲しがるものを食べ
嫌がるものは食べない」です。
からだは
必要なものを敏感に嗅ぎ分ける
力があります。
そして、さしたる理由もないのに
「今、サラダが食べたい」
「甘党じゃないのに、甘いもの食べたい」
「さっぱりしたものが欲しい」など
不思議といつもと違う食を
欲しがることはあると思います。
その感覚を気のせい、たまたまでなく
大事に受け取って欲しいのです。
レストランで出てきた料理を
目の前にして急に食欲がなくなった。
食材に不安を感じた。
一口食べて、一瞬不安を感じた
などのご自身の感覚を
大切にしてもらいたいのです。
あれはダメ、これはダメと言い始めると
食べるものがなくなりそうと
不安におもうかたもいらっしゃるでしょう。
知ると知らないとでは
大違いなのです。
情報はよく知っていて損はありません。
よく知った上で
こだわりすぎないようにすればいいのです。
食べたいものを食べ
楽しいひとときを過ごす。
これは人生の楽しみであり、喜びにつながります。
こだわりは
生命エネルギーの流れを悪くします。
気持ちの持ち方ひとつで
影響を受けたり、受けなくなったりします。
自分のこころのバランスを整えることを
日頃から心がけ
天地の恵み。料理してくれた人に感謝し
おいしくいただくことが
もっとも大事なことなんでしょう。
月夜の森の梟
作者である小池真理子さんが
37年間連れ添った夫であり
同業の作家でもあった藤田宣永さんが
亡くなった後の
生活思いを書き綴ったエッセイ。
見送った後思い出される
夫である藤田さんとの
生活を感情と共に
思いのままに綴られており
赤裸々な思いが胸に迫ってくる
例えば
再発したことを告げられたとき
精神的にも疲労困憊して帰宅した後
家に帰った後
食欲の全くなかったご主人に対して
やっぱりお腹がすいて
カップラーメンを食べているときに
横で
もう手立てがないんだなぁとつぶやかれ
生と死の堺を感じた作者。
年取ると
老人は自分の死を達観して
死に対して落ち着いて
対応でききるようになるのでは?と思うけど
実際、自分も年をとっても
死を達観できるようにはならないし
生きている感覚は
思春期も今も老年期も
変わらないことを知った。
今回
この本を読んで
大切な人が亡くなったときに
どう思い、どんな行動をとるのか・・・
教えていただいた
疑似体験できた有り難いエッセイだった。
自分のつらい気持ちを
語ってくれた小池真理子さんに感謝です。
ミソカモウデ
さとうみつろうさんの書いた
「神様とのおしゃべり」を
こどもともに読みました。
神様のことばとして
書かれている宇宙の法則の話が
600ページ近くもある本でしたが
内容に納得しながら
あっという間に読了できました。
この本で学んだことは
これからちょくちょくお伝えできればと
思っています。
読み終わったときが
29日で
この本の巻末に
「ミソカモウデ」について
書かれてたので
奇しくも翌日が30日だったので
「ミソカモウデ」に初めて行ってきました。
朔日詣では聞いたことあったけど
ミソカモウデは初めて聞いたことでした。
ミソカモウデを紹介します。
効能はあなたが確実にしあわせになる
日時は毎月30日(2月は28日)
場所はあなたの家の近くの鳥居がある
神社やお宮など
方法は
①鳥居に入る前に礼をする
②手を浄める
③お賽銭箱に300円以上入れる
④礼をして
⑤大きく深呼吸を3回し、こころを鎮める
⑥手を合わせる
⑦自分の名前、住所、干支を言う
⑧お宮の鏡を見たり、鏡がなければ目を瞑る
⑨今日起こったいいことをできる限りたくさん思い起こす
⑩それら一つ一つに
「ありがとうございました。
○○が起こってとても
しあわせでした」ということ。
⑪感謝の気持ちが湧いてきたら
その感覚に意識し全身に広げる
⑫最後に「ヤワタ」と声を出してつぶやく
⑬全て終わったら礼をする
⑭その時の気持ちに包まれたまま家に帰る
これが作法ですが
感謝を神様に伝えることというか
感謝の心をもって過ごすことは
生きていく上で
とても大事なことだと教えていただきました。
お参りが終わって
帰る道々
こころがぽかぽか温かく感じたのも
ミソカモウデのおかげ、神様の御心だと
感じたのでした。
みなさんも、毎月30日
ミソカモウデされてみてはいかがですか?
*2月は2月28日です
チャンスを活かす
病気になったことで
病気についてだけでなく
生き方、考え方など様々なことを
考えるきっかけになった。
この経験を受け
病気の後も
多くの患者さんを診させて
いただいているが
医者としても
ただ病気を治すだけでは
もったいない。
病気をきっかけに
更に自らを高めるきっかけに
して欲しいと思う。
病も自らを高める一つのチャンスなのです。
科学もそして医学も
人間をしあわせにすることを目的にして
その観点を分けに分けて
発展してきたけど
最初の出発点は同じである。
しかし
その出発点から発展するにあたって
人間のための
全体像がわかりにくく
なってきたのかもしれません。
だから
癌という病気は治ったけど
ご臨終を迎えてしまうことが
起こってしまうのでしょう。
病気を克服しても
いのちを助けることができなかった。
これは病気のことだけに囚われすぎて
人間そのものをみていない結果です。
医者も頑張っているけれども
全てのことがつながっていることを
知っておかなかったために
起こった悲劇かもしれません。
そのためには
病気だけを診るのではなく
全てのものをものをみていかなければ
ならないのです。
そして
全体をみることが大事。
人間も肉体だけでいきているのではなく
こころも魂もあることを知り
その肉体だけでなく
こころもそして魂も診るここも必要なのです。
全てのものにはこころがあります。
それは人にも当てはまります。
人の体を診ただけでは
診たことにはならないということです。
病気になったことで
からだを診ることで
こころと魂との関係に気づくきっかけにも
なるのです。
だから
病気になることは
そこに気づくチャンスになるのです。
その機会を有効に
活かしていただきたい
活かしていただけるように治すのも
医者の仕事だと言えるのです。
波動を合わせる
宇宙には
あらゆるエネルギーが充満しており
自然界にあるすべてのものは
宇宙全体とつながっています。
そして人も例外ではなく
全ての人が
宇宙とつながっているのです。
ですから
宇宙全体に波長を合わせることで
大きなエネルギーを受けることが
可能になるのです。
そして
宇宙の波動を合わせることで
自分のもっている波動を
変えることが可能になるのです、
すなわち
医学的に治すことが困難だと
考えられる病気でも
宇宙からのエネルギーを受ければ
治ることも可能だと
考えられます。
これは
病気のことだけでなく
宇宙のエネルギーの波動と
合わせれば
全てのことが
自分の思うままの方向に
動き出すこともできるのです。
でも
そうだと知っていても
現実にはそう動き出すのは
容易なことではありません。
ただ宇宙のエネルギーと
波長を合わせるだけでは足りないのです。
仏教の言葉に
三密加持という言葉があります。
加持の加はというのは
宇宙の力
持というのは
こちら側が受け取る状態であるということ
密は密着しているということ。
すなわち
こころとからだそして魂も合わせて
宇宙からの力を
受け入れる準備ができていることを
表現した言葉なのです。
仏教でも
宇宙からのエネルギーの存在に
合わせて生きていくことの大事さを
教えてくれているのです。
人間は自分ひとりで
生きていない
いえ、生きられるわけではないことを知り
全てのことに感謝して
生きていくことから
全てのことが始まるのです。
嫌な体験を未来につなげるために
年が明けて
コロナ感染の拡大が広がり
活動が制限されたり
この時期は
受験シーズンでもあり
おとなだけでなく
こともたちにとっても
今までにない
不安な気持ちを抱き
日々嫌な気持ちが湧き上がって
来てしまう中
人々は必死に生活されていることでしょう。
どんな嫌なことを体験したとしても
学ぶべきことはあります。
その嫌な体験を
嫌なことだと思うだけで
学ばないままにしてしまうと
いつまでもその体験は
嫌な思い出として
今後の人生に尾を引いてしまいます。
ですから
嫌な出来事が起こった場合
「決して無駄な経験ではない。
何科学ぶべきことがあるはずだ」と
思い直してみて下さい。
嫌なこと、体験を逃げずに
様々な立場で
その思いを体験を
眺めてみて下さい。
そして
こんな思いを二度としないですむ
生き方をしていこうと
決意しましょう。
その時
こころに留めていただきたいのは
自分にとって大事なのは
過去でなく
今をどう生きるかということです。
過去は今後につながる
土台となるものです。
全ての過去の経験が積み重なっていくことで
強固な石垣となり
その上に自分の城が築けるのです。
内在する声に従う
現代は
情報氾濫している。
インターネットを広げれば
コロナに対しても
様々な見解、意見そして感想が
渦巻いている。
誰もが意見を発信しやすくなる分
瞬時に色んな情報が
世界を駆け巡る。
情報が全て
確かなものであればいいが
情報全てが確かなものばかりではない。
いいえ
不確かなものばかりでは
ないだろうか?
その不確かな情報に
振り回されている人が
とても多く
それに従って
不安を抱える人も目立っている。
いったい
何を信じればいいのか?
僕は真実は
我が内にあると思います。
大事なことは
自分の内の潜在意識
つまり
絶対なる存在から引き出すのがいいのです。
誰か
偉い人が発した言葉でも
例え
あなた自身が発した言葉であっても
自分自身に違和感を感じ
自分の理性にそぐわなかったり
したものは信じてはいけないと思うのです。
信じていい声
従っていいのは
自分の中から発する
内在する声なのだと思います。