真実の医療」カテゴリーアーカイブ

悪魔を作ったのは誰?

神についての話はしたことはありますが
悪魔について
話したことはないので
今日は悪魔について。

悪魔とは
神に対する敵勢力としての存在
キリスト教的には
ヴァンパイアと言われることも
あります。

キリストに敵対する存在なので
ヴァンパイアは
十字架を見るともだえ苦しみ
聖水で虐待される運命にあります。
それは
イエスを神としての力を
示すため存在しているのです。

悪魔は
キリスト教において
神の存在をわかりやすく説明する
ために人間が作ったのだと思います。

科学が発達した現代でも
政治家の中で
敵を作り
自分の正当性を示す手法を
とられてる姿を目にします。

人間は
敵を作って説明すると
行動しやすいのでしょうね。

コロナウイルス流行していた時
コロナウイルスをいいやつと思っった人は
あまりいなかったでしょう。
やっつける、退治することが善だと考え
人々は行動しました。

コロナウイルスは
本当に悪魔だったのでしょうか?

コロナウイルスを悪魔のような存在に
祭り上げたのは
ウイルス自身ではなく
人間ではないでしょうか?

ですから
ひとりひとりが
冷静になり
今この時代、悪魔の存在の有無を
考えないといけない。
作られた悪魔に踊らされていませんか?

悪魔っているのでしょうか?
悪魔は人間が作り上げた虚像。
悪魔はあなたのこころの中に住んでいるのかも
しれません。

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朝はエネルギーの宝庫

毎朝神社参りをしていますが
最近は
陽が昇時間も早くなりました。

朝家を出たときには
周りが
地球が、自然が
目覚める瞬間に出会えます。

すずめが
チュンチュンと鳴いています。

どうして
朝鳥は、ちゃんと目覚めるのか?
朝日が昇る時
何を感じているのでしょう。
実は
朝の酸素を感じているらしいのです。

酸素はいつもあるじゃないかと
思われるでしょうが
実は朝日が昇るときの酸素は
他の時間の酸素とは異なるのです。

朝日が昇る前
朝日が昇った太陽の光に
木々は敏感に反応して
ごくごく微量の酸素
それも植物の持つエネルギー
いわゆる気にあふれた力ある
酸素を排出しているらしいのです。

その酸素のエネルギーを感じ取った
気に暮らす鳥は感じ取って
鳴き始めるのです。

そういえば
理論物理学者の保江邦夫先生が
著書の中で
超能力を得たいなら
朝日が昇る瞬間の空気を
吸うのがよいと書かれていたのを
思い出しました。

そんなに空気が違うのかと
思いますが
朝日が昇る瞬間の時間に
木の近くを歩くと
とってもいい匂いか嗅ぐってくるのです。
どの植物の匂いかは全くわかりませんが
本当に心から落ち着く匂い何です。

でも匂いを感じるのは一瞬なんです。
「ああ、いい匂いだ」と感じた次の瞬間には
わからなくなるので
本当に一瞬なんです。
だけど
その匂いを感じると
うれしく、心ウキウキ、わくわく
確かにエネルギーをいただいてるんですね。

僕はこれが
植物からもらってる
朝の力だと思います。

朝はとても気持ちがいいです。
これからの時期
早起きして
自然の力を、恵をうけてみてはいかがですか?

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健康な人とは

健康な人とは
あなたはどんな人だと思いますか?
五体満足な人?
病院にかかっていない人?
薬を飲んでいない人?

それでは
パラリンピック選手は
健康でないですか?
脳梗塞をおこさなように
お薬を飲んでる人は健康でない人?
生まれつきホルモンを補充している人は
健康でないのでしょうか?

健康というと
肉体的に病気がない状態と
考えてしまいがちですが
僕は病気があるかどうかだけで
健康であるかどうかは決まらないと思ってます。

僕が考える健康な人とは
今の自分を
精一杯生きている人のことを
いうのだと思います。

病気やけががあろうとなかろうと
今の自分の気持ちや状態を
しっかり受け止めて
今を生きている人が
健康だと思うのです。

メタトロンを行うと
臓器の状態の様々な状態がわかります。
全く問題ないから
少しエネルギーが落ちている
病気になっている状態まで
様々です。

でも
症状のない人もいます。
思ったところが悪くなく
別のところが悪い方もいらっしゃいます。

メタトロンしていて思うことは
その部分が悪い、いいと判断しないこと。
悪いから
あせって治療をしなくてもいい。
大事なのは
今の状態をいい、悪いとはんだんするのではなく
今、こんな風にからだは頑張ってくれているんだと
ありのままの自分を受け止めることが
大事なんだと
メタトロンは教えてくれます。

ありのままの自分を
まずは受け止めて生活することが
健康な人の生き方なんだと
メタトロンは教えてくれます。

あなた自身の
あなた自身の状態を
わかってあげるだけで
からだは健康の道へと進み始めるのです。

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数字の不思議~私たちのからだは宇宙とつながっている

地球の海と大陸の割合と、
からだの中の体液と臓器の割合は
どちらも7対3。

海水のミネラル成分と
羊水のミネラル成分は
ほぼ同じ。

 1分間の呼吸数は約18回で、
その回数は1分間に
穏やかな海が寄せる
波の回数と同じ。

これって、ひとは
海からうまれて
地球にいのちを育まれている
証拠なのかもしれない。

他にも数字の不思議があります。
18の倍は36。
36は人間の平均的な体温。
さらに
倍の72は平均的な脈拍数。
その倍は血圧の最高値と
ほぼ一致。

女性の生理周期や
皮膚の新陳代謝の周期は
約28日。
月の満ち欠けの29.5でほぼ同じ。
月のリズムもからだと結びついている。

いのちは
地球の、月のそして宇宙のリズムと
つながって生きている。

いのちは
特定のリズムをもって生きている。
だから
体調が崩れているときは
からだのリズムが崩れている

熱が上がり
呼吸数が増し
血圧が上がり
体液のバランスが崩れてくる。

からだのリズムが崩れ始めると
病気の状態になってくる
からだのリズムを取り戻せば
病気を治すことができる。

地球のそして宇宙のリズムに
この身を委ねることができれば
健康でいられるのです。

エネルギーを調え
からだのリズムを調える医療が
これからの真実の医療だと思うのです。

ですからエネルギーの乱れを調え
リズムを調える医療を
ナチュラルメディカルセンターでは
おこなっています。

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病気にならないための生き方

病気になったことで
今まで気づかなかった
様々なことを教えてくれる
それに気づくとともに
これまでの過ごし方に
反省させられることも多い

入院していた時
1ヶ月過ぎた頃から
リハビリの合間の時間や
寝る前に読書ができる余裕が生まれてきました。

元々読書は好きで
毎日活字をみないと
ストレスを少し感じてしまうくらいほど
様々な本を入院中も、
今も続いてますが
入院中出会った本は
今でも僕に影響していると思えるような
記憶に残っている本です。

その中の一冊
友人の先生から貸していただいた本
内海康満著「霊止の道」

それまでの自分なら
手にしなかった本を
今読んだ方がいい本だからと
持ってきていただき
その言葉の意味が読見終わってわかりました。

その本には、次の内容のようなことが
書かれていたのです。

「自分のために生きない
と病気になると」
中真という書き方もされていましたが
自分をど真ん中にして考え生きましょうって
ことでしょうか。

人が喜ぶからでなく、
自分のために
自分が喜ぶ生き方をしてないから
生きないから病気になる。
自分を中真に持って生きることが大事なんだ。

そういえば
昔別の友人が
自分の疲れない生きをしない
といっていたし、
妻も
自分を大事にする生き方をしてね。
とよく言われてました。

自分の人生なんだから
人のために生きるのではなく
人に喜ぶ前に
まずは自分が喜ぶ生き方をしなさいと
いわれたような気がしました。

これからは自分のため
中真で生きてみようと思ったのです。

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科学者として生きる

僕は今医師を生業として
生きて、生活しています。

医者とは
どんな職業かというと
もちろん人のからだを
病気から救うというのが使命ですが
生命と向き合い
真実の生き方を追求するのが
大きな目的であると思います。

真理を追究する立場として
医者には
科学者でもあり、
追求者としての研究者としての面を
もっていなければなりません。

厳密に言うと
科学者と研究者では
ちょっと意味合いが異なる面があります。

原爆の開発を例にとると
原発を開発したアインシュタインは
開発後に平和運動をとして
科学の枠を越えて
平和への道を唱えられました。

水爆の開発に携わり
後に、ソ連水爆の父とよばれた
サハロフ博士は
水爆を完成した後に
人権活動家として名をはせ
ペレストロイカの父とも
呼ばれています。

ここに
研究者と科学者とのちがいが
あるような気がします。
一般的に研究者は
社会の大きな望みを叶えることを
第一義に考えて
真実を発見することが益だと考えて
全身全霊を傾けます。

しかし
そこには、開発することが善かどうかは
その時にはわかりません。

それに対して、科学者は
自らの信念や考え方で
真実が正しいことなのかどうかを
考えていきます。
そこには自分の哲学、思想が
関与して暮れのです。

ですから
最初研究者であった
アインシュタイン博士も
サハロフ博士も
最後は科学者として生きられたんだと
思います。
世界の人類に貢献した人物だと
今でも尊敬されているのでしょう。

コロナパンデミックを経験し
その困難を乗り越えられたのも
多くの研究者の努力のたまものだと思います。
このこの病気に対して
賛否両論を巻きこみましたが
今こうして生きているのは
当時からの研究者のみならず
科学者といわれる方々の努力があったからと
きっと証将いわれるれることでしょう。

医者には
研究者と科学者としての両面を
もっていると
冒頭で書きましたが、
自分は
医療という研究の成果を
人々のしあわせに生きるために使える方法を
考え、伝える
科学者としての医師として
今後とも歩んでいきます。

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きちんと若さを卒業していく

前回年をとっても進化できる
どんな風に年をとりたいかを
考えておくことが大事だという話しを
書きました。が
生きていると確実に
老・病・死は迫ってきます。
肉体的な衰えは避けられない事実です。

ですから
老いることを畏れないことと共に
きちんと「若さを卒業していくこと」も大事なことです。
おじいさん、おばあさんになることを畏れるのではなく
かっこいいおじいさん、おばあさんになれるか
努力をしていくのです。

テレビを観ると
いつまでも美しく若々しい芸能人の
姿がクローズアップされます。
でも、同じ人間ですから
表側は変わらなくても
裏側は並々ならぬ努力もあり
犠牲とすることもあるでしょう。

芸能人は、自分自身が商品とも言える面があるので
いつまでも変わらないことに
価値があるのですが
周りにそんないつまでも変わらない人がいたら
魅力を感じるというより
少し畏れ多く感じてしまうのではないでしょうか?

人には
その時代、その時代での輝きがあるはずです。
年をとったら
美しさという感性の領域よりも
もっと内面的な知性の領域を磨くことが美しい年の取り方では
ないでしょうか?

いつまでも
若くいよう、若さにしがみつくよりも
若さを卒業することが大事ではないでしょうか?

母親が
我が子をもっとゆっくり大きくなって欲しいと願うように
老いもゆっくりゆっくり受け入れていくことが
大事なのでしょう。

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治っていくことに感謝して

先日来られた患者さんは
多発性硬化症のため
全身の痺れや麻痺、しびれ、めまいなど
全身の神経症状に悩み、苦しみ
不自由な毎日をすごしていらっしゃる。

治療を開始してから

めまいがなくなり
足先の感覚が戻ってきて
一歩が出しやすくなってきた
階段を昇りやすくなってくることがある
などなど
少しずつ改善傾向が現れてきました。

でもまだまだ
元気な時に比べれば
歩くことも、手を使うことも
不自由な状態が続いている。

でも
健康な人からみれば
本当に些細な変化かも
しれないけど
その改善が喜びでもあり
そして
その喜びをかみしめることで
感謝の言葉を自然に口にする
患者さん。

からだが良くなることを喜び、
そのことを感謝することで
からだ自身も喜び
感謝してもらえることに喜んでいる
そんな風に
今回診察をして感じました。

今は小さな一歩かもしれないけど
必ず治る方に向かっていると
からだに感謝すれば
からだは必ず応えてくれる。

そのことを患者さんから
教えてもらいました。

 

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縄文時代はしあわせな時代

縄文時代というと
どんな風に感じますか?
動物の毛皮で作った服をまとって
狩りをいそしみ
焼いた肉を頬張っている姿を
まさに
はじめ人間ギャートルズのような
世界を想像する人もいるでしょう。

でも、実際は
とてもしあわせな
現代人が見習う点が多くあることが
わかってきました。

ある縄文時代の遺跡から
小児麻痺になっていたと思える
おとなの遺骨が見つかりました。

これは
医学の発達した現代でも
小児麻痺のこどもを
診断し、養育することは
大変で、今でも社会全体の協力がかかせません。

それが
科学が未発達で
多くの猛獣のような外敵に囲まれている縄文時代に
小児麻痺のこどもを天寿全うするまで
生き抜くことは大変だったと思います。

しかし
それができたと言うことは
機械、知識など特別なものはなにもない時代
存在したのは
みんなで助け合いながら
こどもたちを見守り、手を差し伸べる
優しい気持ちではないでしょうか?

また縄文時代は1万年ぐらい
続いていたとも言われますが
遺跡からは
争った形跡が全くなく
とても平和な時代であったとも考えられています。

現代は
物にあふれ、気候、周りの動植物を
我が物のように支配してるかのように
暮らしている人間社会。
縄文時代よりも、明らかにめぐまた環境とも
思えるけど
我々は、しあわせを感じているでしょうか?

コロナウイルスの出現したのも
物にとらわれてしまった人の心を
よき時代の心を
取り戻すよう警告してる気がするのです。

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プラトンが語る病気

プラトンと言えば
誰もが知っている古代ギリシャ時代の
大哲学者で
様々な現代人にも通じる英知を
授けてくれて
人間が今こうして発展してきたのも
彼の考えや教えによるところも大きいと
思います。

そんなプラトンは
病気のことについても
お考えを残しておられます。
そのひとつを今日はご紹介しようと思います。

著書「法律」の中で
病気について語っています。
病気にも患者、医者には2つに階級に分けられると。

つまり
病気に心奪われて
病気の奴隷として生きる人と
病気になっても心は自由である人の
2種類の患者さんがいると。

医者も
病気の奴隷になってる医者は
走り回っている病気の奴隷の傷を治すために
診療所で待って
患者さんの個人的なことについて気にしたり
不満に対してもきく耳を持とうとしない。
そして
自分の持ってる知識が
絶対であるかのように
自分の経験のみで、薬を処方し
暴君のように命令を下すと
また鼻高々に次の患者さんのところに行く。

病気に自由な患者さんのかかる医者は
自分自身も自由人の医者である。
自由人な患者さんと
色々お話をし、その話の中から
患者さんの不調の原因を見つけ出す。
患者さんだけでなく
必要なら家族、友人とも真剣に話して
情報を集め
考えられるすべてのことを
患者さんに伝えてくれるだろう。

医学知識のみで語る医者は
こんな生まれつきの体質や、性格など
ちょっと哲学的な話を患者さんとしているのを
見ると
心の底から笑うかもしれない。

そんなこと
どの論文、教科書にかいてあるんだ?
エビデンスはどこにある・・・なんて
言い出すかもしれない。

でも、目の前の患者さんは
なぜ病気になったかより
今ある苦痛、不安をとってもらいたいと
思って受診されます。

病気だけを診てる医者は
病気だけを治せば満足し
患者さんもそれで満足だと思うんです。

だけど、そのうち気がつくんですね。
また、同じ病気になったとき
同じ症状をくり返すうちに
どうして、病気ばかりするんだろう?
本当の訳を知りたい
病気から心から解放されたいと
思い出すんです。

例え、病気であっても
安心と安らぎを感じる生き方
心から自由でいきたいと
思うことでしょう。

僕も病気だけを治す医者でなく
患者さんが病気であっても
病気でなくても
本当の病気の真意を探り
心安らかに生きられることを目指す
僕自身も病気の奴隷でなく
心自由な医師であり続け体と思います。

人間は
どんな時でも自由なんです。
自由に生きなくてはいけないんです。

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