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「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
好奇心と希望
長谷川スケールを作られ
認知症について大きな足跡を残された
長谷川先生が
ご自身も認知症となり
91歳にもなられた誕生日に
娘さんとこんな会話をされたそうです。
娘さん
「お誕生日おめでとう。どんな気分」
長谷川先生
「普通だよ
そんなにうれしいってこともないよ。
でも、僕は103歳まで生きようと思うの」
「え、そうなの?
何か理由があるの?」
「うん、100歳を越えてみたいと思って」
人間って
生きている内に
次はどうなるかなんて
全くわからない。
でも
人間って好奇心の塊でもあるので
その先になるのか知りたがる。
同じ類人猿である猿と人間の
大きなちがいは
この好奇心が強いかどうかだと思う。
世界的な発見をして
科学者も
同じ人間の中でも
特に好奇心が強く
好奇心を満たすことを仕事にしたので
重要な発見をして
名を残せているのだと思う。
この好奇心のおかげで
人は進歩、進化を繰り返し
今の生活が実現できた。
好奇心は人間だけ
神様から与えられた
プレゼントだと思う。
寿命がわからないのも
例え、寿命を決めて生まれてきていても
知らないことで
いつまで経っても
90歳を越えても、いや100歳を越えても
今生きている先の世界が
どうなっているのか知りたい
好奇心を失うことはない。
そして
好奇心があるから
人は前を向いて歩いていけるのだと思う。
その生きる好奇心を
人は希望というのかもしれない。
カテゴリー: 真実の医療
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科学者として生きる
僕は今医師を生業として
生きて、生活しています。
医者とは
どんな職業かというと
もちろん人のからだを
病気から救うというのが使命ですが
生命と向き合い
真実の生き方を追求するのが
大きな目的であると思います。
真理を追究する立場として
医者には
科学者でもあり、
追求者としての研究者としての面を
もっていなければなりません。
厳密に言うと
科学者と研究者では
ちょっと意味合いが異なる面があります。
原爆の開発を例にとると
原発を開発したアインシュタインは
開発後に平和運動をとして
科学の枠を越えて
平和への道を唱えられました。
水爆の開発に携わり
後に、ソ連水爆の父とよばれた
サハロフ博士は
水爆を完成した後に
人権活動家として名をはせ
ペレストロイカの父とも
呼ばれています。
ここに
研究者と科学者とのちがいが
あるような気がします。
一般的に研究者は
社会の大きな望みを叶えることを
第一義に考えて
真実を発見することが益だと考えて
全身全霊を傾けます。
しかし
そこには、開発することが善かどうかは
その時にはわかりません。
それに対して、科学者は
自らの信念や考え方で
真実が正しいことなのかどうかを
考えていきます。
そこには自分の哲学、思想が
関与して暮れのです。
ですから
最初研究者であった
アインシュタイン博士も
サハロフ博士も
最後は科学者として生きられたんだと
思います。
世界の人類に貢献した人物だと
今でも尊敬されているのでしょう。
今
コロナワクチンの接種が全世界で
行われています。
全世界の人類の希望の灯火んいなるために
全英知を結集し
これまで誰も成功しなかった形で
短期間で開発に成功しました。
多くの研究者の努力のたまものだと思います。
このワクチンが
全世界の希望の灯火となることを
もちろん願っていますが
このワクチン開発されたことの善は
研究者ではなく
科学者といわれる方々で
きっと証明されることでしょう。
医者には
研究者と科学者としての両面を
もっていると
冒頭で書きましたが、
自分は
医療という研究の成果を
人々のしあわせに生きるために使える方法を
考え、伝える
科学者としての医師として
今後とも歩んでいきます。
カテゴリー: 真実の医療
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風立ちぬ
毎朝起きて
近所の神社までウォーキングを
しています。
入院中からしていた習慣で
陽が昇る瞬間に
陽の光、エネルギーそして
ぬくもり、温かさをからだ一杯に浴びて
今生きる源のエネルギーを
いただいているような気がしてます。
そして入院中とは違って
今の散歩して感じることは
陽の光だけでなく
風を感じています。
以前は
風は、強いか弱いかぐらいにしか
感じることはなかったと思います。
しかし
今の散歩中に感じる風は
頬をなでられたような優しい風
吹く方向も
決まった方向だったり
自分は風を体感できても
木の上の方で風が吹いているのでしょう
木の葉が
ザワザワ音を立ててるんです。
なんだか
風が僕に話しかけてくれてるような
気がするんです。
そう感じるのは
僕だけじゃないことを知りました。
堀辰雄作「風立ちぬ」という小説が
ありますが
その中に、こんな一節があることを
知ったのです。
「風は吹くんじゃない。立つんだよ。
風は確かに目には見えなくて
存在がないように思われているだろうけど
風をあたかも生きているように
大切に感じられる人もいるんだなぁ。」
変わらないと思っているもののなかにも
大切なもの
ひょっとして伝えてくれる
メッセージのようなものを受けとって欲しいとき
風は吹いてるのかもしれない。
風を感じることができるのは
今生きているからできること。
風は風だけど
優しいと感じる風
風に包まれ守ってくれている風
叱咤激励するように
目の覚めるような風
風は目に見えないけど
色んな表情があることを教えてくれる。
今の時代は
”風の時代”に入ったといわれる方がいる。
今は
目に見えないけど
自然の力を通して
僕たちに色んなことを伝えてくれる
宇宙からのメッセージ。
それが風が吹いてる意味。
だから
風は吹いているのでなく
自分のちからで立っている
だから
風立ちぬという言葉
があるのだと思うのです
カテゴリー: 真実の医療
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我思うゆえに我あり、そして・・・
デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。
そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。
我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。
だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。
だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。
そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。
宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。
”我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。
現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。
21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?
Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。
我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?
あなたは
神からのメッセージを信じますか?
カテゴリー: 真実の医療
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時の流れを感じるとき
入院中は
日曜日もなく
毎日、曜日は関係なく
リハビリに取り組みました。
機能回復に重要な時期に
休みなくリハビリに励めたのは
とても有り難いことでした。
でも
ある意味、それは
同じ毎日の繰り返し
今日が何日であっても、何曜日であっても
関係ないのです。
有り難いことだけど
曜日関係を意識しないでいると
時の流れに鈍感になります。
まだまだ認知症の進む年齢でなくても
意識しないと
わからなくなりそう。
病院も
できるだけ季節感を感じてもらおうという
配慮から何でしょう
節分、ひな祭り、バレンタインの時には
まめ、桜餅、チョコのババロアなど
その行事を感じることができる
食事が出てきます。
また
日曜日の朝だけパンがでるのです。
季節を感じる食事をとれることは大事
もっと広くいえば
旬の物を食べることって
からだにとっていいだけでなく
心にも大事なことなんですね。
でも、日々今日を感じるために
個人でも努力することは大事です。
僕は
自由時間には
必ず新聞を読むことを欠かさずしました。
1面からテレビ欄までじっくり
今の世の中の動きを想像しながら
呼んでいきました。
そして、テレビのニュースも
その当時
プリンスダイヤモンド号での
コロナウイルスのニュースばかりで
日常とはかけ離れたこと
そして
今もそうですが
感染者数がどうだと・・・
報道される内容やコメントは
いつも同じだということに気がついたんです。
そんな時
朝起きたら、カーテンを開けて
外を見渡しました。
僕の病室からは
視線に入ってくる人工物は
道、電線以外はありません。
僕の目の前に広がる世界は
毎日違う光景なんです。
予想しない太陽の光が織りなす
刻々と変化する
空の色、雲の形
植物の戻りの色、そして鳥が飛んできて
みせてくれる風景は
一瞬たりとも同じ光景はありません。
昨日見た風景、おととい見た風景とも
明らかにちがう光景。
テレビや、スマホではぜったい感じられない
最高のエンターティメントに
心奪われ
時間が過ぎていくのも忘れて
ずっと窓の外を見ていました。
自然は刻々と変化している
昨日と同じ今日はないことを
教えてくれています。
これは自然の中だけの話ではなく
自然の一部である僕自身も
昨日と違う僕なんだということに気がつきました。
だから
今日も新たな自分に感謝して
一歩一歩歩いていけるんだということに
気がつきました。
入院中の身であっても
今日生きている、
昨日と違う自分で生きられることを
教えてくれた入院生活でした。
そして
退院した今もそのことは続いています。
カテゴリー: 真実の医療
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お金を稼ぐ目的とは?
最近の生活をどうするかを考えるときに
いのちは大事だけど
経済活動も止められない。
そのために、なにができるのかと
政府も人々も悩まされている。
お金を持ちたい、
裕福になりたいという気持ちは
どなたにもあるでしょう。
そしてそのために
働いて、お金を稼がれていると思います。
でも、お金を稼ぐこと一生懸命になりすぎると
働く本来の目的がわからなくなります。
そんな時
海外のある寓話をききましたので
ご紹介します。
それは、次のようなお話です。
メキシコの小さい漁師町の港に
アメリカからハーバード大出身のMBA取得の
ビジネスマンがやってきて
漁が終わったばかりの漁師さんに尋ねました。
「その魚をとるのに何時間漁をしましたか?」
「ほんのちょっとの時間です」
「どうして、もっと長い時間漁をして
もっとたくさんの魚をとらないのですか?」
「家族が食べる分だけとれれば充分ですから」
「漁をしない余った時間はなにをしてるんですか?」
「たっぷり寝て、漁に出て
岸にいる時間は
こどもと遊び、妻と過ごす。
それから村へ行き
仲間と酒を飲み、ギターを弾く
そしてまた漁に出るの繰り返し。
忙しい人生なんですよ」
すると、ビジネスマンが苦笑して
アドバイスをはじめました。
「もっとたくさん漁をして
お金を稼いで
もっと大きな船を買う。
そうすれば、もっと稼げるし
もっと船を買えて、船団を作って
もっと、もっと多くの魚をとる。
そうすれば、缶詰工場を作って
魚を製品加工して
大量に売りさばけば
もっと大金が手に入ります。
大金をもっていれば
都会に出て
おおきな会社を作ればいい。
そうすればお金の心配することが
なくなりますよ」と
提案しました。
すると、今度は漁師が尋ねました。
「そこまでなるのは、どれくらい時間がかかるんだ?」
「20年から25年かな」
「その後は何するんですか?」
「株を売って、億万長者になれるよ」
「億万長者になったら、何をするんですか?」
「引退して
小さな漁村にでも移り住んで
こどもたちと遊ぶ、妻と過ごし
仲間達と酒を飲んで
ギターを弾いてのんびり過ごすのです。
どうだ、すばらしいだろう」
「????」
この話を読んで
何を感じられましたか?
豊かな人生って
お金を持つ、稼ぐ目的っなんでしょう。
ひとりひとりのしあわせってどこにあるでしょう。
お金では買うことのできないもので
身近にあるものかもしれませんね。
あなたの今もってるしあわせに気づき
失わないように過ごすことが
しあわせなことなんでしょうね。
お金、経済活動だけでは
人はしあわせになれないことを
今の時代が教えてくれているのでしょう
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毎日楽しめばいい
GWが終わりました。
今年のGWも緊急事態宣言が
全国的ではないしても発令している中
毎日、コロナウイルスPCR陽性者数が
増えていることを伝えるニュースをにらみながら
生活をどう過ごすかと
考えながら過ごしたGWじゃないでしょうか?
生きていると
病気になることもあるし
仕事が行き詰まったり
人間関係に疲れたり
色んな心配なこともあります。
人は
本質である魂を
肉体という鎧に包んで
この世に生まれてきたと
考える方もいられます。
なんで
肉体をもってうまれてきたのか?
それは
魂すなわち自分自身が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
魂は、平たくいえばエネルギーの状態とも
考えられます。
エネルギー=波動エネルギーともいえます。
エネルギーは
同じエネルギーと引き合います。
ですから、魂の状態では
同じエネルギー状態である
エネルギーと一緒にいる世界でしか
存在できません。
それは
ある意味居心地が
いい世界なのかもしれませんが
似たもの同士の世界なので
ある意味成長することが難しい
世界かもしれません。
そこで
魂が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
肉体をもって生まれることで
魂のもってるエネルギーに関わらず
色んなエネルギーの人と
ふれあうことができるようになるのです。
そして
エネルギーの違う人々と
接触できることで
今までの自分と違う考え方を知ったり
気軽に、自分が望めば
様々な経験ができます。
色んな人と出会い、共に生きることで
様々な経験をすることで
今までできなかった経験をして
その時、自分がどう過ごすかで
新しい世界を知ることになるのです。
GW中、家族でお祝いの会で
レストランに行きました。
そこは
みんなお祝いなのか
僕が一番年長で
他のグループは若いカップルで
ディナーを楽しんでました。
みなさん、思いで作りするためなのでしょうか?
様々なサプライズを用意してたみたいで
あちこちから
楽しい声そして驚きの声、涙も
見られました。
その感情の中に身を奥で
心が喜んでいることを感じました。
これが
この世に生まれてきたから経験を分かち合えると
いうことなんだな。
生まれてきたことは
修行という苦しいものではない
前向きに楽しめばいいんだ。
魂が、もっといろんな経験を楽しめばいい
心から楽しめばいい。
ということを実感させられたGWでした。
今日も、これからも
心から楽しく、喜んで過ごしましょう
カテゴリー: 真実の医療
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水に流すために酒を飲む
先日は
お客様をお呼びして
我が家にて食事会・・・というより
宴の装いでしたが
お酒も交えて楽しい時間を過ごしました。
ちまたでは
今お酒を飲むことが
ちょっとした悪のような
取り扱いのような気がしますが
確かにお酒の飲み方には
人それぞれの飲み方、スタイルがあしますよね。
あなたは
お酒をどんな風に飲まれますか?
僕は楽しいお酒が好きで
楽しすぎて、ちょっと失敗したことも
ありますが
人に酔っては
管を巻くなんて言葉があるみたいに
愚痴を言いながら
憂さ晴らし的にお酒を飲まれる方も
いらっしゃるのではないでしょうか?
憂さ晴らしのお酒の飲み方って
やけ酒っていうように
決して自分の気持ちを修めることって
難しいような気がします。
ですから
いいお酒を飲むときには
愚痴をこぼすよりも
自分に労いするために
飲まれるのが
いいお酒の飲み方って思います。
今、オンライン飲み会っていうのも
流行っていますが
自分自身とオンラインで飲んでると
鏡の前(画面の前)の自分と向き合って
「人には言えない苦労したね
頑張ってるのを知ってるよ」などと
自分自身と語り合いながら
過ごすのもいいかと思います。
日本語には
「水に流す」という言葉があるように
何を流すかといえば
自分の感情なんですよね。
水に流すために
お酒も飲むし、
そして実はお風呂にも入るんですね。
日本人は綺麗好きだから
毎日お風呂に入るなんて
いわれてますが、実は
身を清めるだけでなく
心も浄めるためにお風呂に入ってるんですよね。
お酒は
嫌な感情を流すために飲んでるときも
愚痴をこぼしすぎてやけ酒にならないように注意。
そのために
日頃から自分の口から出る言葉は
自分への感謝と労いの言葉であって欲しいと思います。
またお酒は
「御神酒(おみき)」と呼ぶように
神様の水なんですよね。
なぜなら、お酒はお米から作られます。
お米は、ニニギノ命が天孫降臨されたとき
天テラスの大御神から授けられた物です。
ですから
お米そしてお米から作られるお酒は
神様からの贈り物です。
これからGWに入ります。
緊急事態宣言中ですが
いいお酒を飲んで楽しみたいですね。
カテゴリー: 真実の医療
水に流すために酒を飲む はコメントを受け付けていません
運命を導いてくれたある団体との出会い
勤務医から
家族以外に知り合いのいない
防府で開業しました。
開業医とは
病気に困った患者さんが
来てくれるのをじっと待ち
勤務医の時とは違って
周りの医者と
協力して治療するという
ことはほとんどなく
自分ひとりの力で
患者さんのこと
そして
病院の経営のことも
自身の生活においても
自分で決めないといけません。
まさに
自分あるのみ
自分の責任でなんでもできるとは裏腹に
責任も自分ひとりで全部うけなければならない。
経営者は孤独だという言葉は
誰がいったでしょうか?
僕も
その責任を自分で背負うつもりで
開業医の世界に飛び込んだので
後悔などはありませんでしたが
しかし
自分ひとりだけの生活が
息苦しさを感じてきたのは
開業して5.6年経った頃でしょうか?
少々人恋しくなり
互いに胸をわって
話し合える仲間が欲しいと思ってたときに
新聞に載っていた。
「経営者の会が開催されます。
参加希望の方は
、名刺をもってご参加下さい」という
ご案内の記事。
これに参加してみようと
名刺を持って参加しました。
誰ひとり知らない世界のドアをノックしました。
でも
その時から
僕の今の生活が開かれる瞬間でもありました。
その時の講演会は
今まで本の中でしか知らなかった話が
目の前の講話者の先生が語られ
目からうろこの時間でした。
その時の講話者の先生には
その後もそして今も
僕の社会的歩みをサポートして下さっています。
運命的な出会いでもあり
その後
そこから僕の人脈も広がり
多くの人の力のおかげで
今、ここに存在できていることと思います。
現在は
その時に学んだ意味がもっと深く感じられ
単なる人脈が広がっただけでなく
今進めている真実の医療につながっただけでなく
人としての魂の生き方にも通じることを知る
大きな大きな出会い、一歩になったのでした。
カテゴリー: 真実の医療
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誕生日を迎えて
先日5●回目の誕生日を迎えました。
誕生日を迎えたからと行って
急に成長するわけではないし
おめでとうといってもらうことがあっても
昨日までと
変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
正直な実感です。
そんな時
伊勢物語の主人公でもあられる
在原業平の和歌を知った。
「日やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」という歌です。
この歌の解釈を
作家高樹のぶ子さんが
こんな風に解釈されています。
「この月は
いつぞやの月とは違うのか。
いや、そんなはずはない。
今年の春は
去年の春と違うのか。
いや、そんなはずもない。
我が身として、昔のわたしと変わらない。
それなのに
なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
そうか、
わたしの心が変わったのだ」と
の書いています。
そしてあこがれの人を思い
「あのお方がいた頃のしあわせだった
わたしが見た月や感じた春は
あのかたを失った
今おわたしが見る月や感じる春とは
確かに違う。
それほど、わたしは
あの方を思い続けている」と
熱く、熱く
純粋に人を愛する気持ちを
詠った和歌だったんですね。
自然も時間も
いつも雄大な流れの中に
身を置いて僕たちは生きている。
変わっていくのは
自分の身、思いだけである。
だから
昨日の自分の気持ちと違う
自分として生まれ変わった気持ちで
自分の使命、生まれてきた目的に向かって
これからも明日も、明後日も
しっかり歩いて行こうと思います。
僕がどんな時にも
太陽も、風も、花も虫も
変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
応援してくれている。
ほんとうに
有り難いことです。
今、この時代、この時に
生きていられることに
本当に感謝です。
カテゴリー: 真実の医療
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