「子育て」カテゴリーアーカイブ
学校に行く理由は
こどものから
親をはじめおとなの人に
勉強しなさいといわれてきましたが
漠然と勉強する必要性を感じていたとしても
どこか釈然としない気持ちをずっともっていました。
勉強をし始めた小学生の時は
学校に行くことが目的で
単位をとるため、卒業するためでもなかった。
学校に行く目的は
「行為」そのものであって
「目標」ではなかったきがします。
それが学年が上がるにつれて
物心ついた頃から
学校にいくという行為に「目標」が必要になったのです。
その途端
勉強することが億劫になったような気がします。
そして
こんな勉強して何になるのか?と
勉強に対して疑問を持つようになったのです。
人生の目標を達成するために生きると
人は挫折を味わうことが多くなる気がします。
目標を達成することに執着して
人生を過ごすと
自分の人生は、自分のものではなく
目標のためだけのものになってしまいます。
人生の目標を立てて、
頑張って目標を達成してもしなくても
いつかは皆老いて死を迎えるのです。
そこに人生の意義を見つけることはできません。
人生には「目標」はないのです。
「行為」そのものを目的とするのが
人生だと思う今日この頃です。
小学校
この映画は
コロナ期の都内小学校の一年間の姿を
おったドキュメント。
なんのストーリーもない
ただ学校生活の一年間をおったものだけど
今まで自分をも通り過ぎた
小学校時代と重ね合わせて
この映画をみると、色んな思いが出てくる。
こどもとしてこの時期の思い
ああ先生が言われたのは
こういうことだったのかと確信したりした。
そして
時代が変わってきたことも感じるけど
先生の発言を見ていると
日本独特の教育方針が在り
その教育方針が古くなっているところもあるけれど
その考えがあるから
今の日本を造ってきたのだと思う。
つまり
個人ひとりひとりの力を伸ばし
成長していこうとするけれど
学校である場を重んじ
集団の迷惑をかけない
起立を守る
集団をよくするためにひとりひとりが頑張って
それが成長につながるという
思想が昔から続いていることを感じ
映画であるため、客観してみることができた。
客観視した時
外国から見ると、個人よりも全体を考えて行動する
教育方針がどう映るだろうか?
ふと思った。
これでいいのか教育現場。
でも、大切にしていただきたいところも感じる。
教育現場こそ
不易流行をよく考えないといけないのだと思う。
あいさつ
あいさつと一言で言っても
時代や国によってもちがいます
あいさつは
人間が生み出した文化ではないかと
思います。
日本人のあいさつは
”おはよう””さようなら”などの言葉とともに
お辞儀を伴います。
言葉だけでなく
お辞儀などの動作を伴うので
その時のあいさつひとつで
相手に不愉快な思いをさせたり
相手にあいさつだけで気持ちが通じたり
あいさつをした数秒で
良くも悪くも、瞬く間に
自分の心が相手に通じてしまいます。
あいさつという字は
”挨”も”拶”という字
どちらも押すという意味があるそうです。
あいさつは
相手の心を押すこと
だから
相手の心に届くようにするのが
あいさつ。
あいさつひとつで
あなたの人間性が
相手に伝わってしまいます。
あいさつができることが
人間力のバロメーターの
ひとつにもなります。
どんなに忙しくても
数秒ですむあいさつが
できないわけはない
その数秒のあいさつに
心をこめる。
心をこめれば
あなたの心が
相手の心を押してくれます。
あなたの心が通じれば
相手のしあわせな気持ちになります。
あいさつは
人と人、心と心をつなぐもの。
あいさつには
自分のこころがあらわれる。
あいさつを磨くことは
自分の心を磨く生活道です
人に会ったら
心を込めたあいさつをしましょう
逆境が与えられる理由
生きている中で
困難に出会わない人はいないと思う。
誰もが困難に直面するのはには
何か意味があることなのかと思う。
それは
人類の歴史を振り返るならば
過酷な逆境を超えて優れた事業を成し遂げた
偉人といわれる人にも通じることである。
そして、困難に直面しても
その困難に屈しない強さがあったと思う。
その困難を乗り越える強さとは何なのだろう。
僕は
逆境が与えられたのは
大いなる何かが、自分を育てようと
しているからではないかという気がしている。
それは、神や仏という宗教的なものではなく
あくまで自分の中に存在する
「強さ」や「生命力」を引き出してくれる力なのだと思う。
その力は
困難に直面すると発動する不思議な力。
この力があることは、昔の人は知っていたのだと思う。
これが「火事場の馬鹿力」
無農薬よりも大切な事
最近は食の関心が高まるにつれて
少しでも
からだにいいものを食べようと
する方も増えています。
同じ野菜を食べるなら
無農薬を選んで食べましょう・・・なんて
消費者だけでなく
患者さんに勧めるときも
農薬の怖さをお話することもあります。
でも
最近自分で
無農薬で野菜を作ってみて
わかったことがあります。
無農薬の野菜を作ること
それを生業にしようとすると
農薬をまけば、その後楽なのに
無農薬の野菜を育てようとすると
草を取ったり、虫を捕ったり
実際にからだを動かして
手間暇かけないといけません。
最近
僕もナメクジを捕りながら
この作業が楽にするために
防虫剤を使えばいい・・・なんて
耳元で悪魔の声?が聞こえてきました。
いや、いや
農薬は虫も殺すもの
それが少しでも体に入れば
からだにいいわけはありませんよね。
虫もよく知ってるんですよね。
自然の力を受けて実った野菜は
美味しいと言うことを。
だから
虫も食べたり
綺麗な形に作るためには
とても大変で
農家さんの苦労は
幾ばくもものでしょうか?
それを考えると
からだにいいものを
食卓まで届けてくれた
農家さん、そして漁師さんの
苦労に感謝せずには
おれなくなりますよね。
我々消費者は
からだにいいものを求めすぎて
ないでしょうか?
からだにいいものを食べるのは
消費者の当たり前の権利だと
上から目線になって
その影に隠れた人々のことを
忘れてはいけないし
感謝して食べないといけないと思うのです。
感謝の気持ちを忘れてしまうと
どんなにからだにいいものも
あなたのために働いてくれないでしょう。
逆に、少々農薬を使っていても
農薬を使わないといけなかった事情が
あるのかもしれません。
ですから
農薬を使っていたとしても
感謝の気持ちをもって
食べないといけないですね。
どんな時にも
農薬を使っていても、無農薬でも
全て我々の血や肉になります。
いつも有り難いと思って
いただきたいですね。
【こどもに伝えたいしあわせの法則 36 : 約束を守る】
約束ってなんだろう?
約束するってどういうこと?
約束って守るもの
約束って果たすもの
とも思う
でも、
約束は人を喜ばすために
することかもしれない。
約束ができるって
しあわせなことだと思う?
約束は一人ではできない。
約束する相手がいなければ
成立できないもの。
あなたのことを信じてるから
あなたと約束する。
だから
どんな小さな約束でも
守らないといけないのです。
守ることが大切なんです。
約束を守ると
約束した相手は
約束を覚えてくれたあなたに
感謝して、
とても喜んでくれます。
たとえ
今度会ったら、食事でも・・・
なんて社交辞令のような
約束でも
あなたが約束を守れば
きっと喜んでくれます。
あなたの事を
もっと、もっと信じてくれます。
人間関係が
益々よくなります。
そして
約束を守ることは
あなたにとっても
いちばん小さな成功体験にもなるのです
どんな小さな約束でも
しっかり守ってください。
たとえ相手が忘れてしまうような
小さな約束であっても
どんなささやかな約束であっても
必ず守って下さい。
約束を守ることで
相手も喜び
あなたも喜び
あなたも、相手も
しあわせになるのですから
☆昨夜、ソプラノ歌手森麻季さんのリサイタルに行ってきました。
その美しい声が、今も心の中で響いています。
とても感動的な時間を過ごせたことに感謝です。
今日は、朝、座禅、診療そして午後からは
岩国で倫理法人会の交流会に参加します。
今日も出会いを大切に、生きていることに感謝して
過ごしたいと思います。みなさんもいい一日、いい週を。
SNS時代の落とし穴
先日第128回小児科学会に参加しました。
全国学会なので
全国から多くの小児科医、世代も色々で
日頃の臨床経験や、研究報告があり
日頃一人で仕事していると
最新の情報に触れることも少ないので
医師として仕事をするには
とてもとても貴重な時間です。
今回みなさんにお届けしたい話しは
医者ではないが田崎陽典さんの講演。
テーマは
「どう発信すべきか
~SNS時代に求められれるリスクコミュニケーションのあり方~」
今は情報化社会。
僕もこうして、毎日情報は発信しているし
SNSを通して
情報や、世の中の動きを見ています。
それは、僕だけでなく
多くの方が、手軽に情報を
SNSを通して得ているし、発信している
手軽さ故に
SNS事件の被害者にも加害者にもなりがち
そのための対策についての講演だったが
ここで強調しておきたいのは
SNSを通して
知らないうちに洗脳されている可能性があるということ。
それは
Youtubeを見ていると
次々強うの情報が出てくる。
それが、スマホを見続けてしまうことになるのだが
その情報は
今見ているものと同類の情報を
どんどん見続けてしまう。
見続けていると・・・
その最初に検索した情報が
最初は確認しようと思っていた情報を
見続けるうちに
その情報が正しいことなんだと・・・思い込み
いつの間にか知らないうちに
洗脳されてしまっているのです。
情報を得るツールは
色んな手段をもち、確認し
判断する柔軟な知識をもっていなければと思った
学会講演でした。
あなたも、知らないうちに
洗脳されていませんか?
ネイティブ・インディアンの教え
批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします
敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います
ひやかしを受けて育った子は、はにかみやになります
ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気を持ちます
心が寛大な中で育った子は、がまん強くなります
励ましを受けて育った子は、自信を持ちます
ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります
公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます
思いやりのある中で育った子は、信頼を持ちます
人にほめられる中で育った子は、自分を大切にします
仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます
信じることが価値を生む
価値は考えを生む
考えは心の反応を生む
心の反応は態度を生む
態度は行動を生む
あなたが生まれたとき周りの人は笑ってあなたが泣いたでしょう
だからあなたが死ぬときは
あなたが笑って周りの人が泣くような人生を送りなさい
過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯したものと同罪だ
地球にあるものはみな目的を持ち
いかなる病にもそれを治す薬草があって
すべての人には果たすべき使命がある
大地とその上に住むものすべてを敬意をもって扱いなさい
偉大なる精霊(精神)を保存しつづけなさい
あなたの仲間に大いなる敬意を示しなさい
すべての人々(人類)のために手を携えて働きなさい
必要とされたなら場所を問わず援助と親切を与えなさい
自分が正しいとわかっていることを実行しなさい
心と体をいい状態に保つために気をつけなさい
あなたの努力の一部を善行に捧げなさい
いつも真実をみつめ、正直でいなさい
自分の行動について全責任を負いなさい
どんなことも7世代先まで考えて決めねばならない
インディアンが約束を破ったことは一度もなかったし
白人が約束を守ったことも一度もなかった
☆ こどもが生まれたことは
とても大きな意味がある。
愛情をこめて、感謝の気持ちを持って
自分の全てを込めて、伝えたいことがある。
今ここに共に生きていることに
大きな、大きな意味がある。
溺愛してもいいのか?
こどもはかわいいもの。
でもかわいくても、溺愛するのは
ちょっと問題だから
厳しく育てないと・・・よいう意見が
昭和世代のおじいちゃん、おばあちゃん
そして
教育パパさんからの声が聞こえてきそう。
溺愛してしまうと
こどもをダメにしてしまうのだろうか?
答えはNO。
いっぱい愛してあげて下さい。
愛された経験は
愛する力になるし
常に強さと工夫して乗り越えていく力が
育まれていく。
ただ、愛することと
過保護とは違うということ。
過保護は、その子をダメにしちゃうのです。
過保護とは
その子が困らないように
経験豊富な親が先回りして
危険を回避するようにしてしまうこと。
我が子が
失敗して、苦しんでいる姿を
見るのはこころが痛むもの。
だから失敗しないようにという行動に走る気持ちは
わからないでもないが・・・・
脳は失敗したことで
知恵やセンスは育まれるということを
覚えていて欲しい。
歩き始めたこどもにとって
大事なことは転ぶこと。
歩く経験より
転んだ経験から多くのことを学ぶ。
だから、見守って
転んだ時に手を差し伸べられるようにしておく。
もし
親の予想を超えて
こける場面をこけずに済んだら
こんなに大きな経験は
大きな成長につながる。
もし予想を超えてできた時
「すごーい」と声をかけるより
「できたね」「よかったね」がいい。
できなかったら
「そんなこともあるよね」という声かけをすると
こどもは次にやる気のスイッチを入れる。
出会いを大切にするということ
よく”出会いを大切にしなさい”と
言われます
”出会いを大切にする”って
どういうことだろう?
人は、日々出会いを重ねて
生きています。
この世にたった一人の
大切な存在同志と出会い。
その人に今日出会ったからといって
次の出会いが必ずあるとも限らない。
次に出会うことは
保障されていない。
だから
出会いは only one
出会いは 一期一会
と言われます。
貴重な出会いだから
出会えたこと
めぐり会えたことを喜び
喜びを感じた瞬間に
出会えた人のしあわせを願う気持ちが生まれ
その人のしあわせを自分でも喜べるようになる
ような気がします。
人との出会いを大切にすると
人の喜びが我が喜びに
感じられるようになるのだと
思います。
出会いを大切にできた時
出会った相手のしあわせを喜び
真心のこもった行動ができるようになります。
でも、
出会ってから時間が経ってくると
お互いになれ合いの気持ちが
出てきてしまいます。
親しくなれば
親しくなるほど
相手の真心のこもった行動が
当たり前になってしまいます。
そして
相手に対して
甘えから色んなことを
望んでしまいます。
それは
出会ったことの
有難さや感謝の気持ちを
忘れてしまったからでは
ないでしょうか。
だから
いつも出会えたしあわせ
この世に生まれてきたしあわせ
を感じながら
仕事をし、生活し
毎日を過ごしていくと
とってもしあわせな毎日が
過ごせるような気がしませんか?
これからも
今まで以上に出会いを大切に。