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「子育て」カテゴリーアーカイブ
孫がかわいい訳
孫って我が子とちがうかわいさがあるという。
お孫さんと一緒に
受診されるおじいちゃん、おばあちゃんの表情って
本当にかわいくて仕方がないという
やさしい表情をされている。
そんな姿をみると
本当に孫はかわいいものなんだ。
確かに孫は無条件にかわいいといいます。
実は
動物行動学的にみて
その理由がわかったというのです。
孫が無条件にかわいいのは
祖父母に生殖本能がないからなのだそうです。
人間を含めて全ての生物は
できるだけ自分自身の遺伝子を残そうとする
本能が働いているのです。
生殖能力がある限り、本能としての脳の働きは
「この子で終わりにしよう」なんて考えないのです。
しかしその時の母の脳の大脳の思考領域では
「経済面」「仕事。やりたいこと」と
母親としての自分の間で
今の生活とこれからの生活を考え出すのです。
ですから
子育て想像以上にてがかってしまうと
人生が奪われた感覚になってしまうのです。
本能と理性がバランスを崩したために起こることでしょう。
それに対して
祖父母は生殖能力がないので
孫に対して本能と理性が崩れるということはないので
目の前にいる孫に対して
無条件に可愛がることができるのです。
これまで
日本では、現代の核家族とは異なり
大家族というだけでなく
隣り近所との結びつきも強く
何か困ったことがあったら協力する
特にこどもに関しては
今よりもみんなで育てるという意識が
高かったと思います。
だから
昔の母親は
本能のままに子育てができたのだと思います。
ですから
少子化そして高齢化時代においては
もっともっと、祖父母世代の
子育て参加が必要ではないでしょうか?
カテゴリー: 子育て
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溺愛してもいいのか?
こどもはかわいいもの。
でもかわいくても、溺愛するのは
ちょっと問題だから
厳しく育てないと・・・よいう意見が
昭和世代のおじいちゃん、おばあちゃん
そして
教育パパさんからの声が聞こえてきそう。
溺愛してしまうと
こどもをダメにしてしまうのだろうか?
答えはNO。
いっぱい愛してあげて下さい。
愛された経験は
愛する力になるし
常に強さと工夫して乗り越えていく力が
育まれていく。
ただ、愛することと
過保護とは違うということ。
過保護は、その子をダメにしちゃうのです。
過保護とは
その子が困らないように
経験豊富な親が先回りして
危険を回避するようにしてしまうこと。
我が子が
失敗して、苦しんでいる姿を
見るのはこころが痛むもの。
だから失敗しないようにという行動に走る気持ちは
わからないでもないが・・・・
脳は失敗したことで
知恵やセンスは育まれるということを
覚えていて欲しい。
歩き始めたこどもにとって
大事なことは転ぶこと。
歩く経験より
転んだ経験から多くのことを学ぶ。
だから、見守って
転んだ時に手を差し伸べられるようにしておく。
もし
親の予想を超えて
こける場面をこけずに済んだら
こんなに大きな経験は
大きな成長につながる。
もし予想を超えてできた時
「すごーい」と声をかけるより
「できたね」「よかったね」がいい。
できなかったら
「そんなこともあるよね」という声かけをすると
こどもは次にやる気のスイッチを入れる。
カテゴリー: 子育て
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人に喜んでもらえる生き方
こんな生き方が
出来たらいいなぁと思える
生き方。
それは
”人に喜んでもらえる生き方”
今日も、明日も、24時間常に
自分のこどではなく
目の前の人について
”自分はなにを人にあたえられるか。
何をすればこの人に喜んでもらえるか
何が人をしあわせにするのだろう”
と考え続けられたら
しあわせなんだろうなぁと
思う。
常に
人に思いやる姿勢を持てたら、
しあわせになれる
と思う。
”give and take”
ではなく
“give and give”
な生き方。
損得ではなく
自分が与えたことって
必ず
自分に帰ってきます。
朝のあいさつも
自分から心を
込めて言ってみましょう。
すると
相手から
心こもった”おはよう”に
”ありがとう”と言う一言が増えて
自分に帰ってきます
もっとしあわせな気持ちに
なれるから。
お金も運も循環するのが
自然の法則。
そんな生き方をしていると
きっと運も味方して
”望みはかなうはず”
何か望みがあるなら
いいと思ったことがあれば
まずは、それを誰かにしてあげてみてください
そうすれば
あなたの望みは叶うから
人に喜んでもらえる生き方
をしてみましょう。
カテゴリー: 子育て
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挫折を怖れるな
同じ人生なら
成功したいと思うし
失敗したくないと思うのは
と思うのは当然だと思う。
成功する人生を歩みたいと思うけど
でも、実際は失敗、挫折の経験も
大事なことだと思うのです。
なぜなら
挫折を経験した瞬間に
その時に考えていた
損得勘定から離れられるのです。
人は
自分欲を満たしたいとか
人から求められたい
自分のためになることをしたい
とか
一つの行動を行う時に
こうすればうまくいくだろうと
その行動で少しでも得をしたいと
思ってしまいます。
でも
その行動で失敗を経験した
挫折を感じた瞬間に
今まで突き進んで、これから進むはずだった
計画が吹っ飛んでしまうのです。
その瞬間
今まで考えていた未来の絵図が描けなくなり
全てのことをリセットでき
この挫折w契機に
次なる目標や未来を描くことができるのです。
だから
挫折を経験することで
もっと大きな、それまで考えられなかった
真の自分に向かって進むことができるのです。
まさに、苦難は幸福のもんなんです。
カテゴリー: 子育て
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まわり道
“何がしあわせかわからないです
ほんとうにどんなつらいことでも
それが正しい道を進む中での出来事なら
峠の上り下りであっても
ほんとうのしあわせに近づく一歩なら
それも必要なこと”
これは
宮沢賢治作”銀河鉄道の夜”の一節。
今歩いている道が
どんなにつらくても
この道が
しあわせに続いていると
わかっているなら
この道を
通らなければしあわせになれないなら
どんなことも
がんばれるはず。
もし
この道が
あなたの夢の実現に
必要な事なら
どんな勉強でも
どんな批判でも
ごんな苦労でも
きっと
乗り切れるはず。
その苦労が
しあわせに続く道の一部で
あると分かっているば
きっと乗り切れる。
今
もし、まわり道をしていると思ったら
もう一度
何がしあわせなのか
考えてみよう。
どうなりたいのか
考えてみよう。
今いる道が
まわり道かどうかは
どうなるのが
しあわせかどうかを
わかっているかどうか。
しあわせになるために
まわり道なんかはない。
この道が
あなたが信じる道なら
まわり道じゃなくて
きっと
しあわせになる道
カテゴリー: 子育て
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人がいなくなってしまう前に
先日2014年度の出生数が70万人をきったという
ニュースが流れた。
2022年の出生数が80万人をきったと記憶しているので
単純に日本の国から赤ちゃんが生まれなくなっている。
小児科医として
こどもが減ることに対して
どの職業よりも敏感に感じてしまい
診察室の風景も
医者になった30年前より
どこか赤ちゃんの賑わいが減った気がします。
こんままでは、こどもだけでなく
日本人の数、人口も減っているとはいえ
総務省の統計によると
2025年1月1日のの日本の総人口は1億2359万人と
発表されていて
数字だけ診ると、この狭い国土に
多くの人が住んでいるとおもうのだけど
一歩外にでて
周りを見渡すと
人がいなくなったことを感じることばかり。
家の近所の公園や空き地で
見かけるこどもの数が減ったなぁ。
デパートに行っても、人が少ない。
お店屋さんに行っても
自分以外に人がいなくて閑そう。
駅にいくと、駅員さんがいなくなってる。
知り合いの経営者に会うと
働いているくれる人が見つからない。
ニュースでも、人が集まらない倒産が増えた
定員に満たない学校も増えていると。
日本は人口が減っていても
世界人口は現在80億人 50年後には100億人を超えると
予想されている。
日本人もまだ1億人もいるのだから
僕の印象だけだけど
いるとこにはいるのだろう。
だけど・・・将来的には・・・
日本という国はどうなってしまうのだろう。
この状況を変えるには
どうすべきかを考え、提言していくことが
還暦を超えた年をとった小児科医の仕事しなるだろう。
ひとりひとりの意識も
自分だけのことでなく、家族、地域、社会、日本について
真剣に考えていく、考え直さないといけない時期にきていると
思うのです。
本当に人が消えてしまう前に
動き出さないと思う今日この頃です。
カテゴリー: 子育て
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その人にあった伝え方で
受験シーズンは終わりましたが
試験の時
ある瞬間に閃いて
予想以上に点が取れて
合格したという
ということを経験した人はいるかもしれません。
試験に限らず
人生の中でも
突然頭の中に閃いて
アイデアが生まれて
大きく飛躍したり
難を逃れたことがあるなどという人は
意外に多いかもしれません。
僕も
朝目が覚めたときや
朝神社にお参りをしたときに
ふとこうしたらいい、こうしようと
閃いたり、思いつくことがあります。
思いついた考えって
自分の頭の中で考えついたことだと
思っていましたが
よく、思い出してみると
なんだか人の声が聞こえてるような感覚に
なることもある気がします。
もしかしたら
これって神様?からのメッセージなんて
思ったりすることもあります。
ある方が
実は神様は、その人にメッセージを常に送っている。
そのメッセージに気づくかどうかは
その人次第なんだと。
気のせいと思うか
ただ閃いたと思うか
それを、メッセージと思うかどうかと
いうことを言ってるのだと思います。
また不思議な能力のある人は
目に映像として浮かんでくる人もいるとも
いいます。
僕には
全く映像として閃くことはありません。
自分のこれまでの生き方って
視覚よりも、聴覚に強く影響されやすい。
つまり
美術より音楽のが得意だったし
病気になってからも
自分で演奏するよりも
音楽を聴く、音楽にあふれた時間が
とても心地よいと感じるようになりました。
僕はきっと
ビジュアルよりも
聴覚の影響を受けやすいからなんでしょう
だから
自分の声として、閃くことが多いように思うのです。
僕のひらめきを、分析すると
リラックスしている状態から
音楽を聴いてリラックスしたときに
閃くかもしれません。
ひらめきの理屈を考えたとき
真偽のほどはわかりませんが
ひらめきを
神様から受け取ったとメッセージ思った方が
なんか神秘的で、わくわくしませんか?
カテゴリー: 子育て
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こどものこころを蝕むもの
僕は戦争は実際の経験はしてないし
戦争を経験した親世代から
幼い頃から
戦争はいけないことだし
身近なことに冠しても
争いごとはいけないことだと
教えられて大きくなった。
こどもの時に
教わったとおりのことを実行していれば
おとなの世界は世界平和に向かってるはず。
けれど、実際は・・・・
世界のあちこちで今も銃声が轟いています。
こどもの世界でも
銃社会であるアメリカでは
学校で発砲事件が度々起こっていることを
耳にします。
銃をもつことは禁止されている
日本は、一見平和のように思いますが
争いごとは絶えず
理由があっての争いごとばかりでなく
無差別事件や
罪のない動植物に暴力をふるうケースも
増えています。
こうなってしまったのは
昔は
テレビで放映される番組が
こどもに影響すると考えられます。
サスペンスドラマのように
悲惨な現場を再現する番組があふれ
こどもたちの視聴に配慮しなければ
ならないと思います。
そして、時代はすすみ
こどもの遊び方も変化し
近頃のこどもはゲームに夢中です。
全てではないですが
対戦ものでは、簡単に人をやっつけて
高得点を得るというゲームに
夢中になっているのに
心配になります。
最初は高得点を挙げることに
快感を覚えてたものが
どんどんエスカレートして
人をやっつけることに快感を覚え
バーチャルでは物足りず
実際の行動を簡単に起こすことが
増えている気がします。
こどもの時期は
争いごともなく、全てが守られた時期に
やさしいこころ、夢見るこころ、
可愛い、愛しいと思うこころを育む
大切な時期です。
その大切な時期に
暴力が染みついたこころが満足するために
次に、何を求めていくのか・・・
心配するのは僕だけでしょうか?
カテゴリー: 子育て
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“はい”と言う返事
人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事を
していますか?
何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?
小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。
どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?
返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。
そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と
人間関係を結ぶことは難しくなります。
だから
返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。
そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど
実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。
その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。
何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することに
なります。
”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。
呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう
返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです
カテゴリー: 子育て
“はい”と言う返事 はコメントを受け付けていません
断られ上手になる
最近、まわりの方に
いろいろお願いをしないと
いけないことはあります。
お願いを受けてもらったら
とってもうれしいけど
もちろん
断られることもある。
期待持たされて
結局断られたことも
何度も。
断れたことで
学んだことがあります。
断ったといっても
相手は必ずしも
自分のことを
嫌ってるわけじゃないんだと
思います。
断られたからと言って
感情的にならず
相手の事を
受け入れてあげることが
大事だと思います。
頼み事でも
お誘いごとでも
自分の思い通りにならないのは
当たり前のこと
頼んだ方にも
いろんな事情があるのだから。
断る方も
きっと、悩んで
こちらのことを気をつかって
断ったんだと思うようになりました。
断ると
何だか悪者にされそうな
気がします。
気が引けて
その間の関係が
ぎくしゃくとなりそう。
実は
断るのも
辛いんだと思います。
だから
頼んだときに
相手がさらっと
楽に断れるように
してあげたほうが
お互い楽なのかもしれない。
たとえ返事が”NO”でも
言う方も言われる方も
さらっと流せるようにする。
断られる上手に
なったらいいんだと思います。
お願いする立場にあったら
断れ上手でいようと思います
どんな軽いお誘いでも
相手に断れられやすいようにすること
断られ上手になると
その人との関係も
心地よいお付き合いができる。
断わられ上手って
妙にへりくだることじゃない
断られ上手になるには
相手の表情、声の調子、仕草、言葉使いで
難しいと思ったら
パッと引くタイミングを計り
そのことを察知して
追い詰めないのが
断割られ上手。
そして
断られ上手の根底にあるのは
相手の気持ちを思いやる心
常に思いやりの心を
持っていることが
断られる時も
断る時も
大事ってことを
断られて
教えてもらいました。
思いやりの心ある
断られ上手でありたいと
思います。
☆ 今日は周南倫理経営講演会に行ってきました。
今日もいっぱいいい話を聞きました。今日聞いたいい話を
経営に取り入れることができるかどうか、当たり前のことを
当たり前として続けて行くことができるかどうかか、成功への
ポイントだとつくづく思いました。明日からの行動が勝負です。
防府でいつも支えてくださってる原田相談役、馬場副会長と周南
に参上。いい時間を過ごせたことに感謝です。
カテゴリー: 子育て
断られ上手になる はコメントを受け付けていません