「子育て」カテゴリーアーカイブ
仕事をするとは
3月は卒業の季節
こどもたちが次のステップに
歩みはじめます。
新たな歩みは
こどもだけでなく
おとなも次のステップに進む方も
いらっしゃることでしょう。
社会に出て
様々な仕事に就きます。
どんな仕事につくかは
人それぞれで
日々の務めは思いのわずかかもしれませんが
その小さな務めをしっかり果たしていくことが
大事だと思うのです。
人間は
普段仕事をする上で
持てる力の10%も使っていないと
言われています。
この100%力を使って
仕事ができたら
どんなに満足な人生を過ごせることでしょう。
一生懸命に努めるだけでは
100%の力を出せない気がします。
力をだすためには
仕事に対する動機が大事なのだと思います。
今
ロシアとウクライナがとても心配な状況に
陥っています。
誰も戦争など望んでいない。
権力者の判断、政治家としての仕事、動機で
いまのような状況に陥ってる気がするのです。
仕事をすると
対価としてお金が払われますが
そのお金を稼ぐ目的が
利己的であってはいけないと思うのです。
家族のために
同胞のために
国のために・・・と考えると
神聖な気持ちになり
いい仕事ができるはずです。
そのためには
今の仕事を愛しましょう。
そして、今の仕事でいつまでも満足してはだめ。
更に向上、高みを目指しましょう。
その時に
決して利己的になっては
いけないことをこころに止めておきましょう。
誰もが、特に権力者が
自分の与えられた仕事を
仕事を愛し、
利己的に考えなければ
戦争にはならない・・・はずだと
平和を願うばかりです。
運命の道を歩む
一年間に生まれるこどもの数は
年々減っていっています。
毎年減っていますが
多くのこどもたちが
ひとりひとりの人生という
旅をはじめたと考えると
どこか感慨深いものがあります。
旅に出ると
機関車がレールの上を走るように
ひた走ることになります。
目の前に
レールという道があっても
それがどこにむかっているのか
行く手に何があるかもわからない
どこに続くかわからない
道を走り続ける旅が始まったのです。
自分の歩いてる道を
確かな道を歩く続けたいとおもっても
その道を歩く力がなければ
ゴールには達しません。
それは、あなたの今いる環境も
大きく影響しているでしょう。
その道を進むか、やめるか
運命の分岐点も度々目の前に顕れるでしょう。
その時
自分の生きている目的がわかっていれば
迷うことなく前進できることでしょう。
自分はなぜ生まれてきたのか?
これがわかっていれば
どんなに生きやすいことでしょう。
でも、わからないから
様々なことにチャレンジする勇気ももて
思わない経験をすることもできる。
そして
その体験で新たな才能や力が
開花するかもしれません。
でも
全てのことはあなたのこころが知っている。
迷ったら
今までの人生を振り返ってみて
困ったとき
順調なとき
あなたはどんな思いを感じ
どう選択したことでしょうか?
あなたが選択した行動の中に
あなたの運命が隠れていると思うのです。
あなたの気持ちを大事にして生きていくことが
きっと
あなたが望む世界に導いてくれるのだと思うのです。
幽玄の世界の境はどこ?
この世は全て
目に見える顕在の世界と
目に見えない核得れている幽の世界がある
といわれている。
もちろん
今生きているこの世界は顕の世界。
あの世、魂の世界は
幽の世界といわれている。
赤ちゃんが母親の子宮にいて
生まれてくるまでの世界は
幽の世界と言われている。
我々は
幽の世界でこの世に生まれてくる準備をして
この世にいきられる力を蓄えて
生まれてくる。
よって
生まれた瞬間に
幽の世界から顕の世界にいきていけるように
なってるのかというと
そうではないようです。
その境は
赤ちゃんの発達を観るとわかるます。
赤ちゃんは生まれた後
3か月になると
首がすわります。
心音セラピーをされている三門大慈先生によると
寝返りが打つまでは
泣いているときに
妊娠中の心音を聞かせると
落ち着き発育もいいようです。
しかし
8か月いこう寝返りができる頃になる頃
妊娠中の心音を聞かせても
落ち着かず、かえっておかしくなる。
しかし母親の心音を聞かせると
落ち着くというのです。
ここに幽玄の世界の境のヒントがあると
思うのです。
寝返りを打つまでは
お腹の中にいるときの気が優位
つまり食べるものも母乳のみで
東洋医学的にいう
先天の気で生きている。
だから、妊娠中の面影つまり
魂のまま生きてきた状態。
それが
寝返りする頃になると
先天の気のエネルギーから
この世に生きていくため
食事を自分でとるようになり
外界の刺激を感じるようになり
後天の気が優位になるのだと思う。
そこまでは
誰もが魂の世界のことを覚えているのかもしれない。
この世に生まれてきた目的も、意図も
だんだん記憶からなくなってしまい
その思いは潜在意識の中に
閉じ込めて生きていくようになるのだろう。
寝返りする
8か月が幽玄の世界の境なのです。
自分の信じる道を貫け?
世間や教育現場では
「自分を信じていけ」という言葉を
よく聞かれる。
でも、自分を信じて失敗することは以外に多い。
その時に「過信」という言葉で戒められる。
自分を信じることは大事だけど
自分は絶対にミスをするという意識をもつこと。
自分がよいと思うことを貫けという教えは
趣味の世界や芸術家として生きているのなら
それでいいのかもしれない。
でも相手がいる時、例えばビジネスの場合には
自分が正しいかどうかだけでなく
相手が何を求めているのかを知る必要が出てくる。
ビジネスの世界では
自分が信じるものに価値があるのではなく
他者が求めるものに価値があっります。
スポーツだって、相手との勝負がある
ものを売る時も相手が求めるものを
売らないといけない。
でも
こどもたちには
「自分のやりたいことをしなさい」
「信じる道をすすみなさい」という。
これだけでは、ビジネスは成り立たないかもしれない。
でも、これで生きていける
ゆとりある社会を作っていく
ことが今を生きる僕たちおとなに課された
課題なのかもしれない。
“はい”と言う返事
人から呼ばれたら
”はい”と声に出して
返事をしていますか?
それも
間髪を入れないで返事を
していますか?
何か頼まれたとき
声に出さないで
無言で、目だけ向けたり
面倒くさそうに
口だけモゴモゴさせていないですか?
小さいころから
きっと返事はちゃんとしなさいと
言われていたと思います。
どうして、すぐ返事を
することが大事なのでしょう?
返事やあいさつて
人と接し、ふれあうとき
心の扉をノックするようなもの。
それをおろそかにしては
相手は決して心の扉を開いてくれない。
そして
最初の返事が心に響かなければ
その後
その人と
人間関係を結ぶことは難しくなります。
だから
返事をする
間髪入れずに返事をする
ってことはとても大事。
そして
何気なくいつも呼ばれてるかもしれないけど
実は
名前を呼んだその声は
あなたを呼ぶ最後の声かもしれないって
ことがあるかもしれません。
その後
名前を呼んでもらえることが
無くなるかもしれない。
だから
いつでも、どこでも
誠心誠意呼ばれたら
返事で応えないといけないと思います。
何事にも
”はい”と返事をすることは
その瞬間瞬間に心を尽くすこと
今この瞬間にに集中することに
なります。
”はい”と答えた瞬間
その気持ちを後に残さず
次へ次へと進めるきっかけになってくれるはずです。
呼ばれたら
間髪入れず”はい”と返事をしましょう
返事は
相手との関係を
滑らかにしてくれる
きっと潤滑油のような存在に
なってくれるはずです
強みを考える
季節が移り変わるように
人の考え方、流れも変わってきます。
どんな時にも信じられるのは自分。
そして自分の強みを知っていたら・・・
どんな時にも自分の武器になってくれるような気がします。
そこで、今日は自分の強みについて考えてきました。
「強み」は、
自分の“好き”“得意”“成功”という
プラスの要素を全て兼ね備えたもの。
好き・得意・成功
というキーワードで自分を深めて行くと
僕の強みは、
やろうと思ったこと、やりたかったことを
実現するために行動することができる(た)
ことだろうと思います。
実現しようとがんばることは
好きだし、得意な事だと感じていて、
そしてもちろん今の自分につながっている。
とも思ってます。
そして
何か一つやり切った時、
ふと振り返ってみると、
それは昔思っていた夢が
実現していることに
気がつきました。
描いた通りの形ではないけど、
僕に夢が叶ったと
感じさせてくれました。
夢が
出会いたいと思う人に出会ったことで
こんな風に実現している。
とても、不思議なことに思えました。
もしかしてこれを
”運”と言うのかもしれません。
”運”と感じたその瞬間に、
決して自分一人だけの力でないことに
気がつかせてくれます。
神さまかもしれない、
ご先祖様かもしれない、
友達かもしれない、
昨日出会った人
かもしれない、家族かもしれない・・・
誰なのかはわからない
誰かの力で実現できた気がします。
僕の周りにいる人、
全ての人のおかげで
実現したことなのではないかと思う。
だから、みんなに感謝したい、
”ありがとう”っていう気持ちになります。
神さま、ご先祖様だけでなく
誰にも手を合わせたくなります。
そして、
みんなに恩返しをしたくなります。
僕がしあわせをいただいた力を
全部おかえしできたらいい。
そう思って過ごすと、
みんなのために頑張れる力が
湧いてきます。
そして、益々
自分にしあわせになる力が
あふれて来る気がします。
これから、
一人でも多くの
しあわせの輪が広がるそんな風に、
自分の強みを発揮できるように
生きて行こうと思います。
あなたの強みってなんですか?
どうしてこどもが減ってしまったのか?
少子化問題は
ずっと前からどのように乗りきろうかと
国も色々対策をたてているが
効果は全くといいほどみられない。
育児のための支援が不足しているとか
若者の恋愛力が低下しているとか
色々いわれてはいるが
育児支援のなく
自由恋愛も厳しい時代には
今よりもっずっと出生率が高い。
ですから、現代に少子化対策の効果が現れないのは
そんな問題ではないような気がする。
現代社会自体が
こどもが必要でないと考えるように
なったのかもしれない。
社会が貧し買った時代には
こどもは働き手だった。
こどもをたくさん作って
こどもの力を借りて
家庭を支えてもらおうと思っていたはず。
まずは生きていかなければならないから
個人の楽しみは二の次で
とにかく生きていくために
家庭を作り、こどもを作った時代だったのかもしれない。
現代社会は
恋愛よりも楽しみがたくさんある。
老後のことが心配だといっても
今は、こどもに頼らなくても
年金や介護のなどのサービスが受けられる。
こどもがいなくても
生き続けられる社会になった。
一方、こどもを作ることは
自分たちの人生に不安材料が増えてしまうし
こどもたちの人生にも
責任をとらなくてはという
精神的負担が増えてくる。
だから
こどもがいても一人か二人でいいと
考えてしまう。
少子化の問題がおきたのは
人々のライフスタイルの大きな変化が原因なのだ。
こどもを持つ理由は
負担ではないはず。
打算的な目的だけではない
もっともっと大きな目的があることを
一人一人が考えていかなければ
少子化は続くだろう。
最近聞かれることが少なくなった
「子は宝、授かり物」という言葉が
懐かしい。
☆今日は二十四節季の啓蟄です
長い間土の中で冬ごもりしていた虫たちが
地上に這い出して来る日と言われています。
そして、今日は一粒万倍日そして天赦日という
いいことをすれば大きな喜びが得られる日です。
今日は心清く、穏やかに
喜んで働きましょう。
初心忘れるべからず
おとなになって
仕事をする時大事なことはなんでしょう?
やる気?元気?勇気?
誠実さや努力
これらも大事な気持ちです。
どんな時も
”初心忘れるべからず”と言う言葉を
覚えてもらいたい
これは、能の創始者の世阿弥が残した言葉です。
実は3つあって
「是非初心忘れるべからず」
「時々初心忘れるべからず」
「老後に初心忘れるべからず」
それぞれに深い意味が・・・・
①是非初心忘れるべからず
”是非”というのは、
どんな時でもという意味
仕事が上手くいっても、いかなくても
まわりの人と比べることなく
どんな時でも
一生懸命仕事と向き合おうということだと思います。
その時に大事な心は
”素直でまっさらな心じゃないでしょうか?”
仕事に対するまっさらな心を持っていると
情熱、熱意など熱い心が沸々を湧いてきて
やる気、元気をもって
仕事に取り組められるような気がします。
②時々初心忘れるべからず
仕事に慣れてくると
初心を忘れてしまって
いい評価が欲しい、出世したいなど
心の中に欲が生まれてきます。
そして
自分を見失うことにもなりかねません。
ですから
”時々”折に触れて
初心に立ち戻らないといけないません。
仕事を始めた時のまっさらな心を思い出してほしいのです。
あなたは今
培ってきた経験の上に
胡坐をかいていませんか?
初心を忘れてはいませんか?
そして最後は
③老後に初心忘れるべからずです。
人は
いつか仕事を辞める時がきます。
でも
仕事を辞めた後も人生は続きます。
人生最大の仕事は
いただいた命を生ききること。
誰もが喜ばれてきた命を
大切に、感謝をもって
人に喜んでもらえるように
また次の世代につないでいくのも
”初心忘れるべからず”
だと言っていると思うのです
生まれた時のご両親の気持ち
そして
いろんなことをやろうと思った時の気持ち
いつでも”素直な心””まっさらな心”をもって
”初心を忘れず”に生きていってください。
こどもが楽しそうなのは?
こどもが遊んでる姿を見ていると
見ている方も楽しくなるほど
楽しそうに遊んでいる。
こどもがいつも
楽しそうにできるのはなぜだろう?
こどもが遊んでる所をよく見ていると
こどもはただ遊んでるばかりではない。
あらゆることを学んでいるのです。
学ぶことは知ることです。
知ることは理由もなく
楽しいものです。
こどもの時のことを思い出は
ワクワクした楽しいことばかり
覚えていませんか?
こどもの時は見るもの、経験するもの全てが
おもしろく、楽しくもありませんか?
このこどもが楽しめる理由の一つは
好奇心を持っていることだろう。
おとなになっても好奇心は持っているのに
楽しくないのは、どうしてだろう?
好奇心を持つことは
興味を持つこと。
興味を持つのは
知らないからである。
確かにおとなは
こどもよりも知らないことは少ないかもしれないが
知らないことはまだまだ多いはず。
そして
知ろうとしても
わからないことが多い
解決できないことがあるということを
多々経験したことによるからかもしれない。
おとなは
一種の諦めることを経験させられて
こどもの時に持っていた好奇心を封印して
生きようとしているのかもしれません。
今知っていることだけで
生きようとすることで
自分自身の世界を狭めてしまい
学ぶ楽しさを忘れていってるのです。
だから
おとなになっても
知らないことを知ろうとする
好奇心を忘れてはいけない。
それが人生を楽しんで生きることに
つながると思いのです。
好きなことの中の嫌い
さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。
実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面がある。
注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともある。
でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶ。
”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”
僕は我に返る。
今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、
目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をする。
終わった後は、一瞬で空気が変わる。
こども達の気持ちが僕の心に伝わってくる。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。
注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはない。
注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれる。
注射を打つ時に僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まる。
これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるんだと思う。
その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わる。
嫌な事でもだから、いいことはもちろん伝わる。
だから、
いつも目の前の人のしあわせを感じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。
