「今日の言葉」カテゴリーアーカイブ
座敷わらし(お盆期間も診療します)
座敷わらしってご存じですか?
名前の通り
こどものお化け?で
座敷わらしが現れた家は
縁起がよく
繁栄すると守り神として
しあわせを運んでくれる神様とも言われ
座敷わらしのでる旅館などは
多くの人が泊まりたがるとか・・・
まさに
繁栄に導く神様と
今でも信じられているのです。
座敷わらしが
家に住む条件は
その家の人が決して驕らず
周りの人たちのしあわせをも
願うことができる人。
座敷わらしが運んでくれたかもしれない
しあわせを
独り占めせず
そのしあわせを分かち合うことに
しあわせを感じるひとに
しあわせを届けるような幽霊?
のような気がするのです。
だから、こんな風な話を
耳にすることがありました。
宝くじが当たった人の
仕事がスイスイうまくいった人の
その後の幸運が続かなかった話。
幸運を手に入れた全ての人で
内だろうけど
その転落人生はよくテレビなどで
話題になります。
それは
きっと幸運を手にした人の
驕った気持ち
それを戒めるために
座敷わらしは
僕たちの心の中にいるのでなにでしょうか?
幸運なことがあっても
幸運を独り占めしたりせず
ちやほやされた自分を
偉くなったと勘違いしない
謙虚な気持ちを忘れないように
しなくてはいけないことを
昔から日本人は
座敷わらしという幽霊がいると
戒めたのでしょう。
筋を通す(お盆期間も診療します)
江戸時代は泰平の時代というように
歴史的にみても
平和な時代だったと言われています。
その平和な世をつくったのは
初代将軍徳川家康のの考え方に
よると思います。
徳川家康が大事にしたのは
「筋を通す」こと。
家康は「筋を通す」ことが
人と人との信頼を生むと考えたのです。
3代目将軍家光を決める時に
世継ぎ争いが起こったが
家康は長幼の序を明確にし、
世継ぎが家光に決定したという逸話が残っています。
つまり、長子がその家を継ぐという伝統を作り
その後に家督争いは起こらなかったのです。
この考えは
将軍家のみに関わらず
一般の家庭にまで浸透していっています。
このように
ぶれない、筋を通すという考え方が
家康が戦国乱世を生き抜き
江戸幕府という盤石な体制を築く上での
大きな指針になったのです。
この話しは
何も遠い江戸時代の話しではなく
現代にも通じる話。
一度決めたらぶれない生き方が
信頼を得る生き方です。
自然の声を感じる時(お盆期間も診療します)
朝陽が昇る前に
家を出て
氏神様のお参りをして
日の出の時間を迎え
今日も生きていることを
感謝する時間を
毎日過ごせることで
生きていることを実感すると共に
生きていることに感謝し
今日も生きて生きると決意を新たにして
その日をはじめています。
毎日続けられているのは
僕にとって
生きるための儀式になっているのかも
しれません。
そして
同じ時間に家をでても
毎日違った光景を
見せてくれます。
感じさせてくれます。
天気予報では
今日も真夏日だと
夏盛りの日が続くと伝えています。
でも、朝
外に出ると
朝の空気が肌に突き刺さってくるような
感じではなく
優しく感じるのです。
そして、耳を澄ますと
虫の声が聞こえてきたのです。
その虫の声に耳を傾けていると
もう、次の季節に進んでいることを
自然が
母なる地球が伝えてくれている気がします。
自然を感じながら歩き続けると
神社には大きな木があります。
その大きな木に近づくと
木から体全体を包み込むように
柔らかい風を感じるのです。
とっても。とっても
肌に優しい風なんです。
朝は
自然からのそして地球からの
メッセージにあふれています。
地球に生まれ
自然に育まれて
生きていることを実感すると共に
感謝の時間なんです。
だから
僕は1日も休まずに
歩き続けれるのだと思います。
記憶の中のしあわせ探し
今こうして、毎日思いを綴っています。
書き綴る内容は
今の出来事に、医療に
自分自身に対して思うこと
そして
未来はこうあって欲しいと思うこと
などを書き綴ってます。
思いのベースになっていることは
今までの経験や思いです。
ですから
生い立ちなど
自分のこれまでのことを
自分自身を振り返ることにも
なります。
過去の自分を振りかえって
ブログを書くことも多くなります。
過去の自分を振り返る
時間をもちながら
記憶の中にある自分自身を向き合ったとき
気づいたことがあります。
幼い自分は
確かに自分自身ではあることは
間違いないけど
実は自分ではない存在であることに
気づいたのです。
今の僕は
記憶に残っている僕とは
容姿ひとつとっても
全く異なっています。
それだけでなく
住んでる環境も
一緒にいる人だって
違っています。
そして
過去を振り返ったとき
僕が探すのは
楽しい自分、しあわせな自分の姿。
また
不幸せな自分であっても
その時があったから
今の自分があると思える自分探し。
人は
昔がしあわせだと思うことで
いまがもっとしあわせだと思いたいのです。
今も過去も
しあわせな自分でありたいと思って
生きているのです。
僕たちは
いつもしあわせでいるために
生きているのでしょうね。
夫婦愛和のためにすること
年を取ると
男はそれまで仕事があったけど
仕事を手放す時が来る。
そして、多くの人は
家で過ごすことになる。
でも、その時になって
気づくかも入れない。
家は(家庭)は、奥さんの城となっており
その城に
外から我が物顔で入ってしまうと・・・
トラブルになってしまうのは明らか。
愛妻家で知られるリチャード・ギアが
次のような言葉を残している。
「妻の愚痴につきあいなさい。
とことん聞いてやりなさい。
その時に、こうしたらいいとか、
自分ならどうするかといった
自分の意見は絶対に言わないように。
妻は、そんな物を求めているのではなく
聞き手をもとめているのだ。
黙って、我慢して最後まで聞くんだ」と。
口を挟んだり
意見を言ったりするなどもってのほかだと。
そう言えば、同世代の
長嶋一茂氏と石原良純氏がテレビで
「奥さんの言うことに
はい、はいと聞くのです。
意見などもってのほか」だと
このご意見は
夫婦愛和の極意の様です。
あなたは、できますか?
「富士山」の名前の由来
世界的にも
その雄大で美しい姿に
多くの人に魅了されている山である
「富士山」
日本昔から多くの人が魅了され
今でも霊山としても独特の立ち位置にある山です。
大昔、富士山は蓬莱山(はらみやま)と
呼ばれていたそうなのです。
その名前の由来は
全国を回って灌漑農業を行った
ニニギノミコトがコノハナノサクヤ姫と
出会って子をもうけたと山なので
この山に蓬莱山(はらみやま)と呼ばれていたのです。
この山に、第7代・孝霊天皇が参拝された時
豪華な藤の花が献上されたそうです。
孝霊天皇は。これを大変喜ばれ
蓬莱山の名前を「フジノヤマ」と名付けられ
それ以降富士山と呼ばれるようになったそうです。
日本国民をずっと見守ってきた富士山。
これからも
その美しい姿で
我々日本人を見守っていただきたいと思います。
情報社会を生き抜く方法
現代は、欲しい情報はすぐ手に入れることができる
だけど
手軽すぎて、気がつくと
余りに多くの情報を手にしすぎて
混乱することも多いでしょう。
だから
この情報社会を生き抜くためには
「自分に何かを加算していく」というより
「自分から何かをマイナスにしていく」という
作業ができるかどうかが重要になってくるのだと思います。
何が重要か、重要でないかをみきわめないと
いけないわけですが
その選別がなかなか難しい。
その時の基準のひとつに
「それをしている時に
楽しい気持ちになれるか」
だと思うのです。
楽しく思えば
それはあなたにとって大切な物なんです。
楽しいと思うかどうかは
自分を大事にしているかどうかにも
つながってくると思うのです。
プラトンの考えた死
プラトンは死について
「死は肉体という牢獄からの解放」だ
そして
「賢者は肉体の不完全な
目先の要求ではなく
魂の永遠の幸福のために
配慮するのだ」と述べている。
プラトンは
魂の存在を信じ
今生きている意味を
肉体と魂の点から考えた哲学者であった。
この世で恐ろしいものとは
暑くなってくると
ちょっとでも涼しく過ごそうと
肝試ししたり
お祭りではお化け屋敷があったり
テレビでは心霊現象の番組が放映されたり
幽霊の話をよく耳にする。
幽霊は
目に見えないものの代表
目に見えないから怖いものの代表的な
ものです。
現代科学をもっても
幽霊の存在を証明することは
まだできていませんが
世の中には
幽霊を見ることができると
仰るかたがいるのは確かです。
僕も
幽霊って何だろうと
自分の目で確認できないものに
興味があり
幽霊を感じる方のお話を
聞くのが好きです。
最近
幽霊より怖いのは生き霊
つまり人間の思いだという話を
聞きました。
その方が仰るには
生き霊とは霊ではなく、人間の思い。
人間の思いの問題、つまりもめ事は
人間同志、当事者同志で
解決するしかないというのです。
死んだ方の死ぬ前の思いや念は
死んだあとは
上から俯瞰的に見ることができるそうなので
生きたときの念や思いを
和らげ、解決することができるそうです。
しかし
生き霊とは生きている人間の念、思いであり
その人が
思い続けている限りは改善することができないのです。
有名人が
人気が落ちると
転落人生を経験されることは
よく耳をしますが
それは人々の
妬みや嫉妬の念を受けるからとも
言われています。
これは
有名人だけの話ではなく
僕も含め
普通に生きている人も
生きている限り
人からの念をいつも受けているのです。
病気の全てではないにしても
病気もひとつの念の現れであるとも
思うのです。
病気になるのは
病気に対する免疫力が
落ちたからなどと言われますが
免疫力には
人の思い、念も関わっているでしょう。
有名人が
人気絶頂の時には
人々から好きだ、楽しい、有り難いという
陽のエネルギーを受けているから。
でも、逆の嫉妬、妬み、恨みなどの負のエネルギーも
受けていたはずですが
まだ陽のエネルギーが優勢なため
人気ものでいることができるのでしょう。
しかし、負のエネルギーが逆転すると
からだを壊したり
運命の歯車が狂い出すのでしょう。
僕も
診療中
様々な方の思いを受けているはずです。
今までずっと診療ができるのも
きっと
陽のエネルギーに守られているおかげなんだと
思っています。
つまり
みなさんのありがとうと言う
言葉に支えられて今生きているのですよね。
みなさんの思いで
僕は今活かされていることを
常々思います。
だから
みんなに喜んでもらえる日々を過ごすことが
僕の使命なんでしょうね。
これからも
よろしくお願いします。
米の備蓄問題は令和の米騒動
昨年から
お米に対する報道が連日されている。
米が足りない
米が高騰している
備蓄米をもっと放出して欲しいなど
様々な声は聞こえてくるけど
なぜ、米が足りなくなったのか?
不作と言うわけでもないし
少し前までは米離れも進んでいたのに
全く摩訶不思議な原因不明な令和の米騒動。
政府は騒動を落ち着かせるために
備蓄米を放出しているが
この米を備蓄することは
今に始まったわけではなく
実は神武天皇の時代には
国はお米を備蓄する習慣があったことを知りました。
神武天皇の時代は長期保存することは
とても貴重なことで
国は各地から少しずつお米を集めて
「みやこ」という米倉を造って備蓄し
災害などで食糧不足になった村へ
米を分配する仕組みを作ったというのです。
日本は災害の多い国です。
災害は突然に起こります。
災害が起こったらまずは自分のいのちは
自分達の力でで守って乗り越えて欲しい欲しい。
一次災害さえ乗り越えてくれれば
あとのことは国が守りますから
心配しないでいいですからという
メッセージをだし、実行していったのです。
国が国民のことを家族と思い
守ってくれるから
国民も国のことを信じることができたのです。
現代の米騒動は
色んな利益・利害がからんでいるためなのか
解決につながらないのが残念です。
はやく米騒動が落ち着くことを願います。
