今日の言葉」カテゴリーアーカイブ

運命を分けるのは②

前回のブログで出来事が起こった時に
どう解釈するかが
運命の分かれ道だという話しをしましたが
今回は
運命を分けるもう一つの考え方。

それは、何か失敗した時の
考え方というか行動。

失敗した時、2つの行動パターンがあります。
ひとつは
その失敗をしたことを隠してしまう行動。
これは、自分を守りたいという
保守的な、名誉を守りたいなどという
自分の小さなエゴを守る行動の現れ。
この場合、失敗から更に悪循環が生み出されます。

もう一つは
失敗を失敗と認め
謝ることにはあやまり、しっかり反省し
同じことをくり返さないようにする。
これは、もっと成長したいという大きなエゴの
現れだと言うことです。

失敗した時に
小さいエゴを守るか
大きなエゴをめざすかは
運命の分かれ道になるのです。

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お金の使い方

お金を稼ぐのは何のため?
生活・生きていくため?もあるでしょう。
人生を楽しく生きるためもあるでしょう。
でも
お金を手にすると
手にしたお金は失いたくなる気持ちが
あふれてきます。
そこがお金が魔物と言われる所以でしょう。

お金を稼ぐと同時に
お金を何のために稼いでいるのかを
もっていないといけないのです。

NHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のなかで
こんなセリフがありました。

「そなたが鍛錬し培い身につけたものは
そなたのもの。
決して奪われることのない一生の宝。
されど宝は分かち与えるほどに
輝きが増すものと心得よ」と。

お金は決して奪われることのない一生の宝。
お金をどう使うかがやはり大事なのです。
お金は下手をすると
簡単に失ってしまいます。
金を物に変えるのもお金の使い方のひとつ。
使ったことで、輝きを増すのは
お金によって手にした体験によって得られた
力や思い出はいつまでもこころの中に残ります。

ですから
体験や思い出にという
誰にもうばうことのできない財産になるものに
使うのがいいのだと思います。

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老いを創める~年を取っても輝く~

年を重ねても輝いているためには
年を重ねても衰えることのない
内なる自分の精神力が体を支えていることを
意識して生きるということです。

ソクラテスが
「ただ生きることでなく、
善く生きることこそ最も大切にしなければならない。」と
言っています。
「善く生きる」とは
自分の中にねむっている遺伝子を
上手に開発し、それを人のために使うこと」
だと思います。

自分の中にねむっている力を引き出す。
何才になっても、今までやっていなかったことに
興味をもち、やってみることで
新たな自分を発見することができます。

年をとっても
奇跡的なことができる可能性はある。
老人でも可能性にあふれているのです。
決して使い古された存在なのではないのです。

日野原重明先生が
「老いを創める」という言葉を造っています。
この言葉は
老いを通して創造する、造り出す、
未知なる物を開発するということです」
この生き方が
老いを輝かす道につながるのです。

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大阪商人が大事にした心得

最近「宗教」というと
どこか危険な香りを感じる人は多いと思いますが
幕末までは宗教という概念はなかったそうで
あったのは「信心」だったそうです。
信心は、誰からか教わったものでもなく
強要されるようなものでもなく
お年寄りの後ろ姿を観るうちに芽生えた
神や仏に対する信仰心。

その信仰心が
目に見えるものとして
神社仏閣やお天道様につながったのです。
ここで大事なのは
最初はあったのは人間のこころ
そこから生まれたというのが信用を重んじた
商売の世界、大阪商人が大事にしたこころに通じるのです。

大阪の商人は
「始末、才覚、神信心」を大事にしたという。
すなわち
「収支を計って身を慎む」
「知恵を絞って工夫を凝らす」
これだけでは、一人前の商人とは呼べない。
「神仏に感謝する気持ちがあって初めて
真の大阪商人」
ということなのです。

そう言えば
薬師寺の僧侶から
忘れてはいけないのは
「物に栄え、こころを滅ぼす」と仰っていた。
つまり、何事も成功するためには
こころが大事であるということです。

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3つ子の魂百まで

“3つ子の魂百まで”は、
小さい時身についた性格は、
おとなになっても変わらない
という意味です。

最近遺伝子の世界で、
このことが証明されました。

幼い時の遺伝子の発現のパターンが
将来にわたって継続していること
がわかったのです。

例えば、
お母さんが栄養不足の状態で
生まれてきた赤ちゃんは、
遺伝子を変化させて、
エネルギーを消費せずに
エネルギーの吸収をよくする方向に
変わってきています。

ですから、
生まれた後栄養状態が改善されても、
遺伝子の状態は変わらないので、
少しの栄養でもエネルギーの吸収がいいので、
メタボリックシンドロームや糖尿病に
なりやすいというのです。

もう一つ、これはマウスの実験ですが、
生まれて1週間背中の毛をなめられた
赤ちゃんのマウスは、
脳内の遺伝子に変化が起きて、
この世の中は“安心なところで、
少しくらいの事では驚かない
勇敢な”安心なネズミになるというのです。

マウスの平均寿命は2年。
人間の寿命はマウスの40倍です。

ですから、
人間も40週(生後6か月頃)までの
スキンシップを大切にして育てると、
精神の安定したこどもに育つ
可能性があることになります。

つまり、
幼い時の体験、愛情、生活パターン、習慣、健康が
一生にわたって影響していきます。

現在、義務教育は小学校から行われ、
6歳以下の教育は
完全に個人、家庭にゆだねられていますが、
3つ子の魂百までの観点からみると、
6歳以下の教育もとっても大事だということに

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諸行無常

仏教が教える真理の中に
「諸行無常」があります。
「諸行無常」の意味は
「この世の全ての万物は
常に変化していて
一瞬たりとも
その場にとどまることはない」
という意味です。

これは
仏教世界だけの真理かと思っていたのですが
このことを
最新の科学「量子力学」でも
証明されてきているのです。
量子力学の父と言われる
マックス・ブランクは
「万物は波動である。いかなる物質も
存在しない」と逝っています。
つまり、この世に存在するものは
全てが波動エネルギーでできていて
宇宙の全てのものが
無限の波動エネルギーでできている
ということなんです。
波動エネルギーを自然界の現象で言えば
波のうねり。
海に寄せては返す波のようなものと
考えられます。
つまり
波もその場にとどまることがないように
波動エネルギーでできている全てのものは
その場にとどまることもなく
うねりの中にあると言うことがわかったのです。

また
「諸行無常」の無常が
無情でないこともポイントです。
無情とは変化です。
宇宙のエネルギーは常に変化しています。

全てのものがうねりとして
存在しているということが
わかってきたのです。
つまり
諸行無常は
この世はこのうねりの世界にある
といっていたんですね。

また
この宇宙のうねりの中にいるものは
自分のからだも
宇宙の一部分であり
宇宙のうねりのエネルギーでできている
ことになります。

だから
我々のからだだけでなく
生きている人生も
とどまることはない。
人間の持つ生老病死などの四苦八苦さえも
人生というエネルギーのうねりの
一部分でしかなく
常に変化していると言うことなんですよね。

人生は
山もあれば谷もあります
これは
波動エネルギーのうねりに生きているので
今起こっていることを
嘆いても、喜んでも
仕方ない。
万物は生々流転していて
エネルギーのうねりの中で生きていることを
意識して生きていきなさいと
「諸行無常」という言葉は
教えてくれているんでしょう。

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ふるさと

僕のふるさとは
高校時代まで過ごした北九州。
大学から山口県に出てから
長期休みがある時には
ふるさと・北九州に帰ってきたけど
大学以降暮らした町ではないけど
ふるさと・北九州は
帰ってきて、お帰りといってもらえる唯一の場所。
だから心地よいふるさとなんだと言える場所。

ふるさとは
一番近くにいる人を一番好きでいられる場所で
遠く離れてしまった人に「お帰り」といえる場所。
助けを求めたらいつでもどこでも
駆けつけられる場所。
何才になってもこころの安心基地がある場所。

そして
ふるさとの場所にいなくても
苦しい時に
ふとふるさとを思い出して
懐かしみ、勇気を与えてくれるのがふるさと。

ふるさとを思うと
いつでも懐かしい気持ちになる。
ふるさとは頭でなく、懐で感じるもの。

ぼくをいつでも迎えてくれるふるさとに
感謝です。

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子育ち

子育てという言葉があります。
これは
おとなの目線でこどもをみている言葉。
主語がおとなです。

こどもを育てることを
子育てと思ってしまうと
おとなの側から
こどもを枠にはめようとしたり
おとなの世界に引き込んだり
してしまいます。

こどもは
おとなよりも劣ってるのかいうと

確かに知識は乏しいかもしれませんが

急に言葉もいっぱい話し出したり
運動の能力もどんどん伸びて
おとなが中々できないことが
こどもはあっという間身につけたりします。

こどもは
本能と直感に優れ
記憶力や適応力は
おとなは到底こどもには
かないません。

こどもは
おとなよりも優れた面を
たくさん持っています。

ですから
本来こどもは
親の手を借りなくても
自然に育って
いくのかもしれません

逆に
おとなの目線で接することで
こどもの能力を摘んでしまうことにも
なりかねません。

こどもと接する時には
何を大切にすればいいのでしょうか?

それは
いつも本音で接することだと思います。

おとなはこどもより
決して優れているわけではないと
いつも
心に留めて接することだと思います。

親子げんかしても
はっきり自分の本心を隠さず伝えること。
親としての考えを
こどもに伝えたなら
結論はこどもの意思にゆだねる
姿勢が大事かと思います。

こどもに教えることよりも
こどもを信じて待つことのほうが
大切だと思います。

こどもを育てるって
親目線の”子育て”ではなく
こどもに親自身も成長させてもらってる
”子育ち”であると思えば

こんな風に変わりませんか?

いつもこどもに”ありがとう”と言えます
いつもこどもに”ごめんなさい”が言えます
いつもこどもをしっかり抱きしめることができます。
いつもこどもの前でも真実の自分の姿でいられます。
そうすると
いつもこどもとお話をすることができます
いつもこどもと遊べるようになります。

そんな、あなたといると
こどもは
いつもあなたに愛されている
いつもあなたに守られてる
と思って
自然にすくすく成長することでしょう。

おとな目線の”子育て”から
こどもとともに成長する
”子育ち”を目指してみませんか?

 

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美しい言葉

口から
物を食べることで
人は作られています。

食べ物を食べることで
血や筋肉ができて
命をつなぎ
生きていくことができます。

どんなものを口にするか
どんなものを食べてるかで
その人の体が
変わってくるし
健康でいられるかどうかが決まります。

ですから
天地の恵みとして
いのちの本として
旬のものを
有難くいただくためにも
口って
とても大事な場所です。

口が大事なのは
食べ物を食べるため
だけではありません。

人は
口を使って
言葉を発します。

実は
自分が発する言葉は
相手に伝えるだけでなく
自分の心をも作ってます。

言葉は
心で思ったこと
頭の中でイメージしたこと
が口から出ます。

”ありがとう””うれしい””楽しい”など
ポジティブな言葉を発してている人は
頭の中も心の中も
誰に対しても、どんなことがあっても
しあわせに満ちたイメージであふれてます。

それに対して
”面白くない””悲しい””嫌だなぁ”と
ため息を漏らしてる人の頭の中は
きっと
頭の中も、心の中も
いつも、どんより曇った状態でしょう。

逆に、いつも口にする言葉は
次第に体にしみこんでいき
無意識のうちに
頭の中でイメージされるようになります。

そして
頭の中のイメージ通り
行動するようになってきます。

だから
いつもしあわせなことを感謝して
しあわせを喜ぶ言葉を発している人は
頭の中で
しあわせをイメージするようになり
そのしあわせを実現するために
身体が動き出します。

口から出る言葉で
その人の行動が
その人の生き方が
そして
その人の心まで変わってきます。

でも
かっこいい言葉やしゃれた言葉を
使っていると
かっこつけた難しい人になります。

やさしく、愛に溢れた言葉を
使っていると
愛に溢れた人に
気持ちのいい言葉を使っていると
やさしい人になります。

言葉って
とても大事です。

いつも
言葉を意識して
やさしく、愛溢れる、いい言葉を
使ってみて下さい。

いい食べ物が
健全な肉体を作るように
いい言葉が
あなたの人格を作っていきます。

 

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死は体験できない

当たり前のことかもしれないけど
死を体験することはできないし
死の体験を語ることは誰にもできない。

米国自殺学会初代会長ESシュナイドマン氏が
「死は人間が求める必要のない
ただひとつのことで、
求めなくてもいずれは死の方がやってくる」
と述べている。

確かに死というものは
いつも意識している人は少ないだろうし
死を直前に感じない限り
死は意識の彼方にぼんやりと感じる程度で
死なんて忘れている。
死はいしきもろとも肉体も終焉するのだから
死んでしまえば、自分の死を知ることはできない。
死を迎えると
それまでのことが無になってしまう。

死はわからない存在で
誰にも必ず訪れるもの。
だから死について考えるよりも
自分の力で変えることができる
活きていることに集中した方がいいのだ。

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