「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
目標を整える
何かしようと思った時には
目標をもつことは大事
目標があるから
スキルも磨くし
モチベーションを上げる
努力もする。
でも
目標といっても色々。
大きい目標
今しないといけない目標
最終目標に向かって
乗り越えないといけない目標
色々な課題、問題を乗り越えないと
いけないでしょう
確実に
なりたい自分にゴールするためには
ひとつひとつ
問題をクリアしていかないといけない。
目標が大きければ
大きいほど
到達するゴールはみえるけど
そこまでの距離が長すぎて
今、自分がどこにいるかわからなくなって
だんだん
疲れてしまって
自分を見失って
あきらめモードになってしまう
ってことないですか?
そうならないためにも
目標を細分化して
この目標を達成したら次
この目標をクリアしたら
今度はこれっという風に
目標の細分化できたら
いいと思います。
そして、目標が整ってくると
目の前の自分の行動に
集中して取り組めるようになり
意外と早くなりたい自分に
なれるかもしれません。
その
目標を細分化して
目標を整える方法の一つに
”数値化”する
という方法があります。
数値化することで、
漠然とした目標に対して
具体的に行動できるようになる
と思います。
例えば期限を設ける。
最終ゴールの日時を決めてしまいます。
そして、そのために、
いつごろまでにはこれを完成しとかないといけない。
そしてそのためには
いつまでに準備をしておかないといけない・・・などと
次々にするべき行動が明確化されてきます。
そして、
最終的には
今日するべきことまで
落とし込んでいきます。
後はそれに従って、
行動するのみ。
毎日、行動をクリアーにすることで、
目標に一歩一歩
確実に近づいていきます。
ただ、日々の満足で終わると
全体が見えなくなってしまったり、
目標を見失ってしまう
可能性もあるかもしれません。
ですから、
今、どれくらいの完成度なのか、
チェックするいいかもしれません。
今何%完成したなど
進捗状況を把握することが
大事だと思います。
目標を明確にそして数値化することで
目標達成に日々近づいていきます。
目標は自分にとって
輝く未来に通じる道標です。
通過点を確実に乗り越えれば、
自分の前には
明るい未来がまっています。
目標に対して
今日、明日、明後日・・・
何を達成していきますか?
☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。
どうもありがとうございました。
今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために102205円を寄付したことを
ご報告させていただきます。
50を過ぎると先の道が開ける
年をとることに、不安を感じる人は多い。
確かに体力は落ちるし
若い時のように働けないかも
身体の無理もきかない
稼げなくなるかも・・・・と
老後に関して不安を感じているかもしれません。
本当にそうでしょうか?
心理学者のマズローは
高齢になった方が自己実現に達すると
いっています。
僕は年を重ねるごとに
気持ちが充実している感覚があります。
でも、誰でも年をとるのは嫌だという
イメージを持っている人は多いことでしょう。
僕たちはいろいろな偏見をもって生きています。
「老いは衰え、老いると孤独になる」とか
「男は、女はこうあるべきだ」など
少なくなってきたとはいえ
なかなか偏見はなくなりません。
若い時、青春時代が明るい、希望にあふれている
というのも偏見です。
年を重ねて、なお明るく、活き活きと生きている方は
たくさんいらっしゃいます。
僕も20代の時よりも
今の方が自分らしく生きています。
ですから
年をとっても自分の生き方さえみつければ
どんどん道は開けていくのです。
年をとると孤独になることはありません。
☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。
どうもありがとうございました。
今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。
健康とは
健康であるとはどういうことでしょうか?
この問いに対する答えは
無数に存在する気がします。
医者でさえ
“健康って何ですか?健康ってどういう意味ですか?”と
尋ねても、答えは様々だと思います。
それは、
健康に対する思い、願いは
人それぞれであることの
表れでないでしょうか。
例えば先天的、後天的であれ、
からだの一部に
不自由な面があった場合でも、
その部分を補い、
サポートする道具や器具があって、
望んだ日常生活ができれば、
きっとその方は
健康的な日々を過ごされていることでしょう。
逆に、
五体満足であっても、
肉体的、精神的な面で問題を抱え、
人生に対して希望や夢を描けない時は、
決して健康であるという事は言えないでしょう。
健康であるためには、
からだに問題がある、なしではなく、
心もからだも元気でないと
健康とは言えないのではないでしょうか?
つまり“心とからだ”のバランスが
とれていて初めて健康と言えるのです。
病気の原因は
からだが病んでいる場合と
心が病んでいる場合の二つがあります。
肉体が病んでいる時の治療法は
数多くあります。
特に現在主流の西洋医学は、
飛躍的な発展を遂げ、
多くの難病を治療することが
できるようになりました。
ただ残念ながら、
西洋医学はからだの悪い臓器や組織中心の医療です。
健康であるためには、
からだとこころのバランスをみることが必要です。
そのために、
これからは
目の前の患者さんの
からだとこころ全体を診る
“全人的医療”を目指して
いかないといけないでしょう
☆桜満開の季節です。
希望溢れるこの季節と同時に
いろんな旅立ちがある季節。
当院でも、出会いと別れもありました。
そして、ずっと家族同様に仲良くしている
ご家族が初めて山口に来てくれました。
出会った人はみな大事な家族のような気がします。
みんなが桜の花のように
美しい人生の花が咲きますように。
今日は、みなさんが
笑顔溢れる休日となること
安心して過ごせることを願い
一日休日診療所で働きます。
☆5/19、「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。
どうもありがとうございました。
今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。
治っていくことに感謝して
先日来られた患者さんは
多発性硬化症のため
全身の痺れや麻痺、しびれ、めまいなど
全身の神経症状に悩み、苦しみ
不自由な毎日をすごしていらっしゃる。
治療を開始してから
めまいがなくなり
足先の感覚が戻ってきて
一歩が出しやすくなってきた
階段を昇りやすくなってくることがある
などなど
少しずつ改善傾向が現れてきました。
でもまだまだ
元気な時に比べれば
歩くことも、手を使うことも
不自由な状態が続いている。
でも
健康な人からみれば
本当に些細な変化かも
しれないけど
その改善が喜びでもあり
そして
その喜びをかみしめることで
感謝の言葉を自然に口にする
患者さん。
からだが良くなることを喜び、
そのことを感謝することで
からだ自身も喜び
感謝してもらえることに喜んでいる
そんな風に
今回診察をして感じました。
今は小さな一歩かもしれないけど
必ず治る方に向かっていると
からだに感謝すれば
からだは必ず応えてくれる。
と
そのことを患者さんから
教えてもらいました。
☆昨日、「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。
どうもありがとうございました。
今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。
大切なしみじみする時間
入院している時
世の中はコロナで生活制限されていましたが
病院の中は
コロナに関係なく
ずっと4コマのリハビリの
毎日でした。
朝9時からはじまり
終わるのは17時。
ですから、17時から自分の
プライベートの時間が始まります。
終わって
妻がもってくれた
コーヒーとお菓子を食べて
ホッと一息を入れる
そしてしみじみとした気分に
浸る時間がとても心落ち着くのです。
外が雨でも、晴れていても
リハビリがうまくいかなくても
そのしみじみとした時間があるから
次の日も、また次の日も
単純な毎日を繰り替えせたのと思います。
その時のしみじみとした時間があったから
今の自分をまた取り戻せたのだと思います。
今、忙しい時に
ふと、その時の
しみじみとした時間を思いだし
疲れた時にはしみじみと今の時間を楽しんでいます。
病気が
しみじみとした時間の大切さを教えてくれたことに
感謝しています。
☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
残席残りわずかです
天国にいる人、地獄にいる人
誰も
天国がどんなところか
地獄がどんなところかを
見た人もいないし
はっきり語る人もいません。
でも
こんなところであろうという話が
仏教の例え話にあります。
それを今日、ご紹介します。
あるところに天国と地獄がありました。
天国と地獄は離れたところではなく
すぐ近くにあります。
そこに多くの人が集まって暮らしています。
そして、
みんな集まって食事をするきまりになっています。
食事方法は少し独特なんです。
ふたつの大きな釜があり
その釜の中にはたくさん食べ物があります。
食事の時間になると
天国チームと地獄チームに分かれて
その釜を囲みます。
そしてひとりひとり箸をわたされます。
渡された橋は、なぜか150cmもあるのです。
これは、天国の人も地獄の人も条件は同じです。
地獄チームの住人はまず、
誰もが自分の食べたいものを我先にとって、
自分の口に入れようとします。
しかし
箸が長すぎて、うまく食べることができません。
他の人も自分の皿に食べ物をとって生きますから
みんなどんどん焦り始めます。
「俺の食べ物だ」「お前は欲張りすぎだ」と
ついに、争いが始まってしまうのです。
これに対して、天国チームの人は
自分の箸を使って
目の前にし植わっている人の口に
食べ物を運びます。
つまり、お互いがごはんを食べさせあって
みんな口口に
「おいしいね」「ありがとう」
「次は僕があなたにとってあげる」と
こうして笑顔の食事が続くのです。
これも、ひとつの例え話だけど
譲り合い、自分以外のことを考えことができる人が
天国に行けるのかもしれません。
自分のしあわせのことばかり考えていても
自分は決してしあわせになれないことを
この例え話は教えてくれているのだと思います。
☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
残席残りわずかです
Dearドクター
2009年制作の古い映画だったけど
今回時間ができたので
ゆっくり観ることができた。
少しネタばらしになって
しまうかもしれませんが
高齢の進んだ町の唯一の診療所の
唯一のドクター。
診療所には
腹痛、大けが、お産など
様々な患者さんが医師を頼って
時間を問わず駆け込んでくる。
もちろん医師として
全ての患者さんを受け入れなければならないので
経験の少ないまたは
経験がなくても、教科書を片手に
時にはベテランナースの応援も受けながら
救急患者を救っていく。
医師が住民の信頼を一心に
受けているのは
その献身的な医師の技術的なことだけでは
なかったのです。
そのドクターの下で
勉強にきている研修医も
もっと勉強したい。
技術よりも
患者さんに心から寄り添う姿勢を
もっと、もっと学びたいと
大病院で学べないことがあるから
先生の元で勉強したいと。
そんな研修医に
自分の素性を明かしても・・・
そんな言葉でさえ
虚偽と思えるほど
先生に惹かれるのです。
この映画を観ていて
医者としての大切なことを
教えてもらいました。
でも、その思いだけではなく
真実の医者になるために
身につけないことがある
しっかり医師として働くべきことを
教えてくれた映画でした。
お金の向こうに人がいる
お金のことを考えた時
例えば支払いをする時に
忘れてはいけないこと。
それは、お金より大事なのは
人であるということ。
お金が偉いわけではないし
経済を回さないといけないと言い方を
よくするけれど
忘れてはいけないのは
経済を回す時も
人を中心に考えないといけない。
お金を払う時に
お金だけをみて
働く人の存在を無視してはいけない
のです。
そして
お金が動く時には
儲かると喜びも生まれるけど
損をした時の悲しみの方が
何倍も大きくなるということも
忘れてはいけないのです。
日用品や毎日の食品を買う時は
買うこと自体には喜びを感じませんよね。
でも、支払いの時点になると
わずかながらでも心の痛みを感じることでしょう。
でも、少しでも痛みを感じるから
買い物をする時は
よく吟味をしてから
するようになるのかもしれません。
でも
最近の支払いは
電子マネーやクレジット決算が増えていると・・・・
便利だけど
怖いのは、支払う時に
心の痛みが伴わないことでしょう
それはお金を中心に考えているから。
お金中心から人を中心に考え
ものに対してだけでなく
人に対する感謝のしるしが
お金だと考えることができれば
世の中はもっと豊かになるのかと思えるのです。
お金の向こうに人がいるのです。
☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
ADHDの包括的治療を求めて
今回は福岡の小児科医が集まって
独りでは経験しえない
病気の経験を共有するのが目的の
学会に参加してきた。
今回も貴重な症例が様々提示された。
どれも日頃の診療の中で
心に留めてあたらなければならないと
気合いが入った学会でした。
その中
こころに強く響いたのは
山下裕史朗久留米大学医学部小児科教授の
退官前の講演で
これまでの仕事の総括の講演。
先生は
まだADHDが一般的でなく
薬などもなく
四苦八苦していた時代から
現在に至るまでの
ADHDのこども達との関わりを
話して下さった。
これも
僕独りでは経験しえないような
貴重な話だった。
いまでこそ
教育現場で問題になるADHD児に
医療の介入をして欲しいと
医療機関を受診される方は
後をたちません。
授業の妨げになる
他のこどもたちの授業になっているから・・・
確かに
教室全体で起きていることを
想像すると・・・どうにかしないといけない
ということで
医者は丸く収めようと
診断、治療を行う。
それで、ある意味平和な
教室の風景が生まれることを
信じて診療を行います。
でも、治療を行う医師として
忘れてはいけないのは
ADHD児自身の気持ちは忘れてはいけない。
ADHDは病気ではない。
その子の特性であることを忘れてはいけない。
治療介入をするのは
その子がその集団で困っていることがあるから。
きっとその集団以上に
本人は苦しんでいるのだと思う
その本人の気持ちを助けるために
医療はあるのだと
いうことを
強く心に響いてきた
山下教授の講演だった。
病気の時ほど陽気に生きよう
病気になると
それまで前向きに生きていた人でも
後ろ向きな気分になりがちです。
病気になると
誰でも多かれ少なかれ
ついつい
ああして欲しい、こうしてほしいという
一寸わがままな気持ちがでてしまいます。
その気持ちをわかってもらえないと
だんだん被害者的な気持ちになってしまい
気持ちが抑えられなくなり
周りの人に
八つ当たりしてしまって
それまで築き上げていた
人間関係を崩してしまうことにも
なりかねません。
そうなると
どんどん孤独感が強くなり
ますます病気を呼び込んでしまうという
結果にもなりかねません。
この後ろ向きな気持ちが
どんどん病魔を引き込んでしまうのです。
ですから病気な時ほど
陽気な、前向きな気持ちでいたい
いるように努めないといけないでしょう。